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月蝕  作者: 檸檬
1章 幼年期編
6/67

月の導きと加護の宿命6

 Today is the first day of the rest of your life.

 今日という日は残りの人生の第一歩である。


「おーい、●●。さっきの講義でわからなかった所があるんだけどさぁ」

「何だ良一……、また寝てたのか? 金を払って講義を受けているのに寝てたら勿体無いだろう」

「いや、まぁそうなんだけどよ」


 懐かしい記憶、学生の時の記憶。

 この記憶が本当かどうか、そこまで疑ってしまえばきりがない。

 けれどこの気持ちは本物だと信じていたい。


「異世界に行ってたって? おいおい●●、頭は大丈夫かよ……?」

「痛い人を見る様な目で見るな、俺だったこの年になって変なことを言ってると思ってるよ」

 

 はたして笑い話だろうか、それとも苦労話だろうか、こんな話をする機会が果たして訪れる事があるのだろうか。

 たわいもない会話、変化の乏しい日常、平穏に流れる時間。


「どうした?」


 ぼぅ、と急に外を見出した俺に不審を感じたか良一が声をかけてくる。

 心配そうな、それでいて不安げな声、それは俺の声の様にも聞こえる。


「いいや、夢はやはりいいものだと思ってな」


 夢見てた瞬間が終わる、差し込む日差しも、この温かなぬるま湯の様な環境も、久々に会った友人すらも全て幻。

 ゆっくりと目を閉じて、そしてゆっくりと開く。

 黄昏の時は終わり、そして現実へと帰郷する。


 ――さて、そろそろ時間だ、現実に立ち向かおう。


「なに言って……」

「じゃぁな良一、ちょいと、命のやり取りって奴をやってくるよ」


 なにせ極上の美女との二人きりのワルツだ、誘いを断る無粋な真似をするつもりも無いさ。

 

 初撃でめり込んだ鳩尾の爪先、一瞬にして飛んだ意識を血が出る程に噛み締めた唇の痛みで目が覚めた。


 ○


 シャムシール。

 ペルシア語で刀剣を意味する普通名詞であり、名称そのものに刀や剣、刀身の曲がりなどの形状についての意味は有しない。

 西洋ではシミターと言われるその剣は後のサーベルへ大きな影響を与えたと言われている。

 曲刀の意味を持たないとはいえ、その実物は刀身が独特の曲がりを持っており、新月刀、半月刀などとも名される。


 剣閃が走るとはまさにこの事を指すのだろう。目の前の彼女が剣を振るう度に幾重もの残像が視界に映る。

 一撃一撃の威力はアルフロッドに比べれば児戯にも等しき一撃ではあるが、その速度は視認する事すら怪しい程。

 アルフロッドとの鍛錬がなければ即死だったな、と頭の片隅で考えながら必死に死地より体を逃す。


 全身へと渡る魔素を元に強化された体は通常不可能とされる様な無茶な動作を行っていく。

 構えられた剣は幾重にも広がる剣閃の数本を捕らえるだけに過ぎず、それを超えて体へと届く剣はその痛みをきっちりと与えてくれる。生に対する執着か、それとも死に対しての恐怖か、致命的な傷こそ未だ無いがこのままではジリ貧も良い所、出血多量で動きが鈍った所をずぶり、とやられて終わるだろう。


(スオウ、右、左だ、右上、頭をもっとさげよっ! 右手を出せ、剣を上に、ああっ! 下がれ、下がらんかっ、足をもっと動かせ、右だ、右から来る! ええいっ、直ぐに剣を左に出せぇっ!」

(くくっ、あはははっ)

(何がおかしい! はよ、はよ逃げいっ! 死んで、死んでしまうぞスオウ!)


 傷が熱を持って意識が朦朧としかかる中でクラウシュラの声だけがしっかりと聞こえている。

 その焦慮感がどこかおかしくて、そしてそれが本当に心配しているのだと理解して。


(あぁ、お前がもっと嫌な奴なら良かったのにな)

(何を言っておるスオウッ、下がれと言うとるであろうがっ!)


 剣が舞う、不覚にも美しいと思える程の剣舞。月夜に浮かぶブロンドの髪と妖艶に照らされてきらきらと月の光を反射させ死をちりばめるその死線、僅かに避け損ねた切っ先が頭を擦り、ぬるり、と流れていく血が頬を伝い首へと流れる。


 振り上げる剣、しかしそれは擦りもせずに空を切る。ふわりと浮かぶ様に距離を取った彼女は着地すると同時にまたこちらへと駆け抜けてくる。剣をだらりと垂らした様な姿勢でありながら、その間合いに入った瞬間剣を持っている右手がゆらりと動き、そして瞬間銀の線が走る。おそらくアンナと同じくらいの年であるというのに凄まじい技量だ。そこに至るまでに何を捨てたのか、何を奪われたのか、想像すら出来ない地獄の中に居たのだろうか、あるいは単純に才能の差だろうか。切れていく自身の皮膚を感じながらその剣閃、銀の線を避けていく。


「ふっ――」


 息を吸って、息を止めて、力を入れて、剣を避ける。

 ミチミチと悲鳴を上げる関節と筋肉。だんだんと楽しくなって来た、あるいは戦闘狂だったのだろうか俺は。

 死を真近に感じながら、笑みを浮かべて剣を避けるこの俺はだいぶ狂っている様な気がしないでもない。


 だが、泣きわめく事も、無様に命乞いをする事も、逃げる事も、そして簡単に死んでやる事も出来やしない。

 いいや、死んでなんかやれないのだ。お前相手では俺の命は高すぎる。


「悪いな名も知らぬ殺し屋、俺は死ねないんだよ。スオウ・フォールスである以上はな」


 ぐるり、と回転する様に体を回して剣を振るう、遠心力を加えた一撃、それすらも柳のごとくゆらりと躱されるが気にしない。

 その勢いのまま剣を手から離す、一直線に“飛ぶ”剣を前にもう一歩、先へと踏み込んでいく。


(スオ――)


 ――すこし、黙っていろクラウッ。


 僅かに見開かれた対面の彼女の瞳、ク、と口角があがるのを自覚しながら肘を前に、そして流れる様に手を前に。

 右尺骨及び橈骨、肘関節を部分“強化”。

 軽掌八式――みちり、と懐に入った事によって自身の横へと移動した相手の剣を持つ手首に肘が突き刺さり、そして踏み出したその勢いのまま胸部へと掌底を放つ。


 身体強化の施されたその一撃は一般人程度であれば骨を砕き内蔵を破壊する程ではあるが、何分未だ10歳に過ぎないこの身、なおかつ相手も身体強化をしているのだ、それでも相手の体勢を崩し距離を測るのには十分だった。だがそれだけでは終わらない、突き出した右手は蛇の如く相手の服へと絡み付き、そして引き寄せる、みしみしと自分の腕が悲鳴を上げている事から無茶な動きをしているのはわかるがこのタイミングを逃せば後は無い。


 そしてそのまま流れる様にもう一歩、肩を押し込む様にして一撃を放つ。


「はぁっ――!」


 ごふっ、と耳の近くで漏れ出る声が聞こえる。

 ほんの数センチの距離で僅かに覗く彼女の顔が目に写り、そして戦慄した。


 ――死ぬ、と。


 走馬灯の様に時間がゆっくりと流れる、ちりちりと首の後ろで何かを感じているのは錯覚ではないだろう。

 先ほど打ち込んだ肘の先にあった手、そこに掴まれていた剣、シャムシールが首の後ろへと迫っているのだ。


 挟み込む様に首を狩らんとばかりに迫りくる剣、死地の中、頭はこれ以上無い程に鮮明に働いていた。

 彼女へ抱きつく様に前へと進む、獰猛な笑みを浮かべながら、彼女の顔にぶつかりそうになるほどまで近づく。 

 驚愕に開かれるその目をすぐそこで見つめながら、ざくり、と肩に当たる剣の感覚を感じた。燃える様な痛み、ぎちぎちと嫌な汗が流れながらもその傷が深く無い事は人体の構造的に想像も容易い。僅かに弱まる腕の力を肩越しに感じ、そしてすぐに体を捻り後ろへと抜け、死地を脱した。


「ぐ、ぅ……。セーフ、かな」

(このっ、大バカ物が! し、死んだかと思ったぞ……)


 じわりと、滲みだしてくる血。じんじんと体の芯へと響いてくるその痛みを感じながら命がまだある事に安堵した。

 ヒトは自分の体の方向へ攻撃するのは苦手だ、それは自分を傷つけてしまうという事もあるが、腕の関節の動きから構造上懐にある者に一定以上の長さのある武器を“振り抜く”事は出来ない。


「まさか、あの状態でさらに前に出ますか。ただの商家の息子と聞いていましたが、どうやらずいぶんと違う様ですね」

「へぇ、あんた結構長く喋る事も出来るんだな。どうせなら会話で解決できるのならそれに越した事は無いんだが?」


 痛む肩に治癒魔法をかけながら軽口で問いかけるが、気を悪くしたのかまた口を噤み、剣を構えてくる。


(まったく、さっきの一撃でもびくともして無いみたいだな)

(あほかっ! お前はっ、あほかっ! いい加減にしろっ、早く逃げろと、武器まで失って何を考えているっ!)


 怒鳴りすぎて咳き込みだしたような声も聞こえる気がしなくも無いクラウの声だがまたもや黙殺。

 そして先ほど掌底を放った手をちらり、と見て、目の前に立つ彼女へとひらりと振り――


「ふぅむ、D、か? いや、なかなかに育っつぉあっ!」


 ぶん、と剣が目の前を通り過ぎる。今のはかなり危なかった、シャレじゃなくてかなり真面目に。


「折角ならさっきキスもしてやればよかったな」


 くつくつと笑うスオウに殺意の篭った目で見ている彼女も場に流されたか憮然とした態度で口を開く。


「……ずいぶんと余裕のようですね。加護持ちや、豪腕が駆けつけてくれると期待しているのですか?」

「いいや、グランさんは散々飲んでたし、アルフロッドもさすがにまだそこまで人間離れした察知能力はないだろうさ」


 そも、加護持ちとはいえど子供に其処まで期待する方がおかしい。

 だいたい気配を察知するとか意味が分からない、でも最近何となくわからないでも無い自分が気味悪くなる。


「自殺願望ですか? まぁ、私としては仕事が楽で助かるのですが」


 そして詰め寄って振られた剣をしゃがんで躱した所で蹴りを放たれる、みしり、と悲鳴を上げる肋骨。くるであろうと覚悟して強化していたのが功を奏したか折れてはいない。だがその衝撃で吐き出された空気、惨めにも酸素を求めようと口を開き、痙攣する肺へと無理にでも送り込む。


「ぐほっ、がっえ、がはぁっ、げふっごふっ」


 胃酸が苦い、そういえば新年生歓迎会で散々飲んだ後に良く味わった味だな、とどうでも良い事を考えながら唾を吐き出して立ち上がる。


「げほっげほげほ、はぁ、はぁ……。ふぅ……。さっきも言ったが、な。生憎と死ぬ気はないし、アンタ程度じゃ俺の命はやれないよ」

「……」


 口角をこれでもかと上げる、溢れ出そうになる笑みを噛み殺し、全身を覆う痛みによる熱を意志で殺し、そして見る。


「そういや、アンタ名前は?」

「……名は無い」

「ふぅん、じゃあアリイアね」

「……は?」


 ブロンドの髪、小麦色の肌、凄腕の美人の殺し屋、元の世界ではアーリア人系だろうか? いや、彼らは黒髪が基準だからブロンドは居ないだろう。まぁ、異世界だしそんな誤差はどうでもいいのだが。


(お主は、あほうか……)

(なんだ、今気がついたのか)


 アーリア人の名の原型。アリイア、高貴なという意味を持つそれ、いまから殺し合いをする相手に言う言葉ではない。だがしかし、血煙に舞う彼女は美しく、その言葉が相応しい様にも思えた。


 怪訝な表情でこちらの動きを見続ける彼女に意味深にもう一度笑みを浮かべ、ざり、と蹴り上げた地面の砂を叩きつけると同時に詠唱を始める。


 ――Conversion de l'élément.


 朗々と溢れ出る詠唱、体に巡る魔素が脈動する。ちりちりと目の奥でスパークが鳴る。


(スオウ……? まさか、よせ、お主の体ではまだ早いっ!)

(そう言うな、付き合えよクラウ。実戦経験に勝る物は無いって言うだろう?)


 ボコリ、と空間が脈動する。そして続いていく詠唱と同時に空中の一部が歪み盛り上がり、手へと収まる。


「……そんな馬鹿な」


 初めての驚愕の顔を見てしてやったりと満足げに彼女を見る。

 手には剣が握られていた、無骨で飾りも何も無い剣、ただ刃と柄があるだけの本当に只の剣。


「物質精製を魔法陣も無しに一人でやりとげた?」


 ぽつりと呟くその言葉。

 

「いいや、これはちがうな。驚くのはコレからだ」


 二ッ、と笑い手を前に。


 ――L'atmosphère.


 ふわり、と空気が揺らぐ、スオウを中心に空気すら脈動する。

 さらさらと持っていた剣が空中へと溶け出していく、同時にぷつり、と血管が切れる音が聞こえた。

 つぅ、と額を流れる血、口元まで流れて来たその血をペロリ、と舐めて獰猛に笑う。


(60secだそれなら文句ないだろう?)

(……くっ、愚か者がっ!)


 ぶちり、と毛細血管がちぎれ、指先からも血が出て来ているのを視界の隅に納めながら、沸き上がる魔素を自覚する。

 大気中の魔素を支配下に、制御するは“二つの術式”。


 ――massacre automatique.(キリング・マリオネット)


 紡がれた詠唱、それと同時にガク、と肩を落とし脱力するスオウ。だが、その体から溢れ出す禍々しさは異質。


「さ……ぁ……、感じろ、ここが、死の境界線だ」

「――っ」


 その異常さを感じたか、ぐん、とコレまでに無い速度で彼女がブロンドの髪をなびかせて迫りくる。――だが“遅い”。


(パターンAからパターンBへと移行、αからβへの伝達速度0.000023sec、パターンDの承認、DからCへと、Fを省略、HとRを連立進行。γ了承、Σ介入せよ)


 がくん、と体が動く、しかしそれは……、まさに“ヒトの限界”を超えていた。


「がっ――」

 

 ――瞬間

 ミチ、とスオウの右手掌底が彼女の鳩尾へと突き刺さった。まさに一瞬の出来事、毛細血管から吹き出している血すらを置いたまま一瞬で移動したスオウは彼女の懐へと入り込み、ただそこへ打ち込んだ。そしてそれだけでは終わらない。


(α省略、β了承、パターンHからパターンHα、パターンYを省略、パターンMとパターンNを簡略化。神経伝達を高速化、βエンドルフィン放出)


 神速の突きが、手の動きすら残像のごとき速度で突きが放たれた瞬間、ぐるり、と両腕が回転し、彼女の服ごと彼女を回してそして衝撃。メキメキという嫌な音とともにブロンドの髪を乱雑に振りまきながら地面を数回バウンドして数メートル吹き飛ばされていく。

 しかしその吹き飛んでいる間でも追撃が入った、僅かに覗く顰めた視界の中に異常な程の速度でこちらへと走ってくる標的、スオウが彼女の視界に映る。この瞬間初めて暗殺者である彼女は戦慄した、アレはなんだ、あの化け物は、いったいなんだ、と。


 ○


 彼女が地面へと転がり止まる前にスオウはその先へと回り込み踵から地面へと叩き付ける様に攻撃を加えた。

 ぎりぎりで間に合った防御すらも打ち抜く程の攻撃、メキ、という嫌な音が腕を伝わってくる。恐らく罅、下手をしたら骨折しているかもしれないと頭の片隅で彼女は考えながら話が違う、と舌打ちしたい気持ちで一杯だった。

 

 そもそも最初の時点でだいぶ予定と違ってはいたが、それでもアルフロッドと手合わせしていると言う事前情報は貰っていため許容範囲ではあった。今回この案件に一人で動いたのはアルフロッド・ロイル、あるいはグラン・ロイルが現れたとしても、逃げられる“程度”の実力を持っている事が必須だったからでもある。


 だが今の現状はどうだ、作戦遂行すら危ぶまれ、標的のスオウ・フォールスからも逃げ出せない状況に陥ってる。


 ガン、と側頭部を蹴り飛ばされて視界が揺れる中、足を地面へと縫い付ける様に堪えて前を見る。先ほどとは状況が逆転してしまっている、唯一の救いは10歳であり、小柄である事によって小柄である事によって体重をかけた攻撃がそれほどでもないこと。だがしかし、その速度は“異常”に尽きる。こちらの全力の剣すら躱して、攻撃を加えてくる、時偶擦ったとしてもそれは致命傷にならない程度に過ぎず、問答無用でその懐に入り攻撃を加えてくるその状況は生命としての根源的な恐怖を沸き上がらせる様な錯覚すら覚える。


 そう、その姿はまるで殺戮人形の様で……。


 ――ニンギョウノヨウデ


「う、うふふ」


 そして彼女は笑った。


 すばらしい。

 自身と同じ存在がここに居た。

 異常が、異質が、異端がここに居た。


 名も与えられず、血と肉に溺れた生活の上で得たこの技量と力、彼と同じ年齢の時には既に血に染まる手を掲げていた。

 果たして自分はコレと同じ時に同じだけの力量はあったか。

 果たして自分はコレと同じ時に同じだけの意思はあったか。


 捨てた、捨てたすてたすてた捨てた、捨てて得たこの力。


 では、彼は果たして何を捨てたのか。


 ミシ、と打ち込まれた腕が悲鳴を上げる中、抑え切れぬ笑みを浮かべながらただ避ける事だけに集中し、そして彼女は最低限コレを殺す事に支障のでない所は“捨て”た。


 ○


(上腕二頭筋断裂、広背筋裂傷、鎖骨罅、尺骨骨折、左手小指二関節骨折、中指第一関節骨折、親指粉砕骨折、手首脱臼、右足首脱臼、右足……、行動限界まで時間がないぞスオウッ)

(ご、が、あ、あぁ、ぁぁぁぁっ)

(アドレナリン大量生産、βエンドルフィン再抽出、最高血圧350mmHG危険域到達)

(あ……、がっ……)


 がは、と口から血を吐きながら“勝手”に動く体に意思を任せてただ激痛に耐える。意識を失うわけにはいかない、意識を失えばこのキリング・マリオネットも停止する。全てを“記憶”する事が出来る、記憶のクラウシュラ・キシュテイン。彼女の力を利用して用いたこの魔法は魔法によって人間を動かす事に集約する。あらゆる行動パターンと攻撃パターンを“記憶”して、それを起こす為の電気信号を“記憶”して、ただ忠実にそれを守るただの人形と化す魔法。いや、もはや外法か。


 全てを記憶したクラウシュラが術式を唱え、俺がそれをロードする。ただただ淡々と、脳内リミッターすら外すその力は自身の肉体の破壊すら厭わない。


 折れた手で敵を殴る、折れた足で敵を穿つ、血で染まる視界で敵を見て、血に濡れる腕で捌いてく。


「ぐぅっ――」


 だが、その時間が終わる。がくり、と足を付く、体内の魔素が切れ、そして行動できるだけの肉体限界も超えてしまったのか。

 目の前では血達磨になりながらもこちらを射抜く様に睨む彼女が残っている、まだその意思が残っている。それであればここで寝ている訳にはいかない。


(ク、ラウ……、なぜ、止め、たっ……!)

(これ以上は無理じゃ、お主、一生動けなくなるぞ!)


 まいったな、と思う。それはそれで困る。

 “俺”が苦しむのは構わないけれど、この体が完全に壊れてしまうのは困る。だが、このまま寝ていても殺されるのは間違いない。


(もう心配いらぬ、寝ておけ、スオウ)

(……な、に?)


 何かに気が付いた様に、突然打って変わって冷静な言葉で話すクラウ。

 パチン、とまるでTVのスイッチを切るかの様に意識が闇へと落ちた。


 ○


「――っ」


 ぽたり、ぽたりと滴り落ちる自分の血を見ながら、地面へと倒れ込んだ標的を呆然と眺めた。

 どうやら、一時的なブースト魔法だったのだろう、ぴくりとも動かないその姿からは死んだかの様にも見える。


「ふ、ふふふ、参りましたね。女性の体をここまで問答無用で殴る事が出来るとは、将来が心配でしょうがありません」


 腫れ上がった腕、青く痣になるであろう顔、血でぼさぼさになってしまった髪、服もあちらこちらが破れてしまっており、見る者が見ればかなり欲情的な格好ではあるが、生憎とこの場にそんな事を考える者は居ない。


 そしてずるり、と重たい体を引きずってスオウから“離れる”。

 と、同時に彼女がいた場所に轟音と粉塵をまき散らしながら剣が突き刺さり、そして怒声とともに一人の壮年の男が現れた。


「スオウッ! 無事かっ!」


 現れたのは豪腕、グラン。

 直に血まみれで地面に倒れているスオウの傍へと寄り、慣れない治癒魔法をかける。

 その姿に僅かに目を細めて見ていた彼女は剣を鞘へと納め、――そしてその場に背を向けた。


「まてっ、てめぇ、ここまでやって逃げれると思ってるのかっ!」

「ではやり合いますか? 生憎と私も只では死ねませんので、意地でもそこの彼は道連れにさせてもらいますが」


 一触即発の雰囲気、見るからに血まみれで満身創痍な彼女とグランが戦えば一瞬で片が付くであろうが、それでも万が一動きの取れないスオウがどのような状況になるかわからない。それ以上にスオウの怪我は早急に治療しなければいけないだろう。


「いったい何の目的で……! ……? お前、まさか鮮血か……!」


 血で汚れ切ってしかも腫れた顔のせいか直ぐにはわからなかったのだろう、だが月明かりに照らされたその顔を見てグランは頭の片隅にあった記憶が鮮明によみがえり驚愕に目を見開いた。


「ご無沙汰しております豪腕、以前お会いしたのは3年前でしたでしょうか」

「ガキがいつまでそんな事してやがるっ、今度の雇い主は誰だっ! このクラウシュベルグで何をするつもりだ!」

「質問ばかりの男性は嫌われるそうですよ、それでは失礼します」


 ぺこり、と頭を下げて闇に消えていく。ぽたぽたと滴り落ちる血から相当の激痛だろう事が予想されるが、それを感じさせない仕草はさすがと言った所だろうか。


「まて、鮮血! 貴様! 逃げられると思うなよ!」

「……この場を預けるだけですのでまたお会いする事もあるでしょう。あぁ、それと。私の名は鮮血ではありません、“アリイア”、と言うそうですよ?」

「なに、を?」


 血に濡れた顔、腫れた頬痛みを感じながらも月夜の下で僅かに微笑んだ彼女、不覚にもソレに毒気を抜かれたグランは闇に消える彼女を見ている事しか出来なかった。


 ○


 クラウシュベルグ フォールス邸 スオウ・フォールス自室


「痛い」

(当たり前じゃあほうめ)

「すごい痛い」

(当然じゃあほうめ)

「ものすっごい痛い」

(常識じゃあほうめ)


 もはや数十回やり取りされた会話もとい、心の中での対話。

 キリング・マリオネットの代償として全身を蝕む筋肉痛というか肉断裂と言うべきか、自身の治癒魔法と母の治癒魔法が無かったと考えると想像すらしたくない。

 しかし、正直口を動かすのすら痛いのだが。こう、痛すぎて痛い事を外に伝えたい不思議なこの感情、わかるだろうか。わからないだろうな。鮮血、と呼ばれる凄腕らしい暗殺者とのワルツもとい殺し合いないし殺し愛を楽しんだ日からおよそ1週間、未だベットの上でごろごろと転がるスオウが其所に居た。


「まさか10歳でミイラ人間のコスプレをする事になるとは思わなかった」

(儂もまさかこの状況をそんなコメントで済ませるとは思っておらんかったわい)


 くぅ、と呻く。 


(今日はずいぶんとしゃべるじゃないかクラウ、どうかしたのか?)

(あぁ、儂が肉体が無い事をこの時程悔やんだ事は無いぞ。この1000年、貴様程ふざけた主はおらんかったわっ!)

(なんだ随分と長生きだな、おばあちゃんなんて目じゃないぞ)

(五月蝿いわ、このあほうがっ! ええい、この、あほうがっ!)


 やたらめったらと罵詈雑言を並べるクラウの声をここ最近の子守唄として、自身の怪我の治療をしていたスオウは“思ったより”怪我が酷く無くて安心していた。

 駆けつけたグランと、そしてその後一家騒然となった騒ぎではあったが、彼女、いや、アリイアが去った後グランから施された適切な処置と、母の治癒魔法によって後遺症が残る様な怪我は無く済んだ。まさに医学に真っ向から喧嘩を売っている技術である。おそらく時間逆行か、再生促進か、まぁ、今は其所はたいした問題ではないので置いておくとする。


(うーん、しかし本当にアリイアと名乗ってくれるとは、今度会う時はポニーテールにしてくれないかな。褐色でポニーテールとかいいんだが、あの髪の短さだと難しいだろうか。黒髪だったら文句は無かったんだが)

(お主はやはり一度死ぬべきだな)

(ほっといてくれ、普段カリヴァとのやり取りで疲れてるんだ、多少嵌め外した所で文句は無いだろう?)

(しらんわっ!)


 そんな漫才とも取れる様なやり取りをしている所でがちゃり、と扉が開かれ一人の男性が入ってくるのが見えた。


「カリヴァか、今日も見舞いか? 慣れない事はするべきじゃないぞ?」

「失礼ですね、優秀な“部下の長男”が大怪我を負ったのですから見舞いに来たところで問題は無いでしょう?」


 くすり、と笑うカリヴァ。かけている眼鏡をク、と上に僅かにあげてそう告げる。


「どうせなら母からの説教中に来てくれれば良かったのに、大変だったんだぞ」

「それは自業自得かと思われますが」

(散々泣かれて大変だったのぅ、自業自得じゃわ)


 目の前のカリヴァとナカのクラウが不本意ながらも同時に同じ様なことを言った事からクラウは舌打ちをし、カリヴァは何かを感じたか眉をしかめた。

 そして、簡単な言葉の応酬をした後、カリヴァが急に真面目な顔へと変わる。


「スオウ様を襲った暗殺者の雇い主ですが、おそらく領主のオロソルである可能性が一番高いと思われます」

「へぇ……。予想通り過ぎてつまらないな。お前だったりしたら面白かったんだが」


 くつり、と笑う。


「私がやるとしたらもっと確実にやりますよ、加護持ちやグラン殿が近くに居る所でなんてとてもとても」

「そう言う事にしておく。しかし、オロソルか、どうせ加護持ちが傍に居ても、カナディル最強と謳われていた男が傍に居ても関係がないぞと言いたいんだろ。自己顕示欲の高い奴のやりそうな事だ、が……」


 そこまで言って眉をしかめる。


「あまりにも“短絡的”だな。そもそも俺をピンポイントで狙う意味が分からない」

「ええ、ですから少し探りを入れてみました」


 カサリ、と丸められた小さな紙切れ、おそらく報告として受け取った紙そのまま原文なのだろう。

 その紙切れを見ながらカリヴァは次の様に告げた。


「どうやら辺境伯が動いているようです」

「ふぅん、グリュエル辺境伯か? セレスタン辺境伯か?」


 辺境伯が出てくる時点でかなりの大事であり、所詮名を売ったといえど一介の商人に過ぎないメディチ家が真っ向に立ち向かえる訳も無いのだが、その内容が出て来てもお互い特に動揺もせず淡々と話を続ける。

 そもそも、国家権力に左右する可能性を大きく有している加護持ちが傍に居るのだから辺境伯どころかこの国の最大権力者である国王が出張って来た所でおかしく無いのだから。


「いえ、ガウェイン辺境伯です。スオウ様の情報も多少漏れていたようですね」

「まぁ、予想の範囲だ、アイツの傍に居れば自ずと起こり得る可能性を孕んでいた。他の連中に行く前に俺にくる程度にはアイツの傍に居たしな」

「となると今回退けたのは失敗でしたね、彼女を相当叩きのめしたのでしょう?」

「立派な正当防衛だよ、倒し切れなかったのは残念だが、まぁ良い収穫も得られた」


 その収穫という言葉に首を傾げるカリヴァ、その仕草に苦笑が浮かぶスオウ。


「こちらの話だ、とりあえず暫くは任せる、俺はこの様で動けないし。というより動いたら母が怖い」

「くくく、年齢相応に寝込んでいてくださいスオウ様。私としても悪化して回復が遅くなられても困りますし」


 では、と、そう言ってベットの傍に座っていたその椅子から立ち上がり退室しようと背を向ける。

 だがスオウは退室しようとするカリヴァに向かって声をかけた。


「そういえば、一つ聞きたいのだが」

「はい、なんでしょうか?」

「なぜ、暗殺者が女性だと知っていた? 彼女、と言ったよなカリヴァ?」


 ぴたり、と止まる。空気が止まる。


「何を言っているのですかスオウ様、グラン殿から聞いたのですが?」

「それは無いな、グランさんは俺が運び込まれてから直ぐに詰め所で事情聴取、その後は領主邸への報告、そしてしばらく俺の傍で警護してくれていた。その間お前と話しているという事は聞いていない」

「これは言い方を間違えましたね、グラン殿から報告を受けた調書を確認したまでですよ」

「なるほど、確かにお前なら調書を確認する事は雑作も無いだろう、だがなグランさんは鮮血であった、という報告はしたそうだが女性であるなどという話はしていないそうだ。これは聞いた話だが、鮮血は年場も行かぬ幼い子供である、という情報しか出回っていない。最後に現れたのが3年前、それからぴたりと外へ情報が出ていない事から逆算して当時10歳から12歳と言った所。性別の判断が付きにくくても仕方が無いだろうな?」


 沈黙が部屋に広がる、後ろを向いたままのカリヴァがそのままで動かない。


「俺はこう考える訳だ、カリヴァ。お前は既に“始めから”鮮血である彼女が領主に雇われた事をある程度知っていた。だが、わざとそれを黙っていた。襲撃する相手が俺である可能性が高いという事もあったのだろうが、誰でも良かったというのもあるんだろうな。

 都合のいい事に俺はグラン・ロイルとアルフロッド・ロイルが傍に居る。余程の事が無い限り死ぬ事は無いだろうし、更に言えばフォールス邸の警護も増やしていた、あの警護は俺を守る為というより俺を救う為に存在していたと考えるのが無難か?

 そして案の定俺は襲撃を受けた、だがカリヴァ、お前が予想外だったのが鮮血を撃退する程に俺が強かった事、そして予想以上に粘ったせいで俺が重体になってしまった事だ。お前からすれば俺は金の成る木だ、本当に焦っただろうな。部下の息子の見舞い? 笑わせるな、そんなもの“不自然”すぎる、リスクが高すぎるんだよ普段のお前から考えたらな」


 カリヴァの背を見つめる、だがカリヴァはまだ何も言わない。


「目的はアルフロッドの所有か? 危険性を訴えて俺の両親に言うつもりだったか? 危険すぎます、私の方で面倒を見ましょう。何、私もそれなりに名の知れた名家、守れる方法も増えますから、とでも? グランは俺が怪我した事に対して負い目を感じているだろうからあまり強く言えないだろうし、な?」


 数秒、首を軽く振ったカリヴァがようやく口を開く。


「ふぅ……、スオウ様、確かにそう“考える事も出来ます”が、生憎とそんな事は考えていませんよ」


 くるり、と振り返り貼付けた様な笑みで困った様に肩をすくめるカリヴァ。


(表情を見られない様にこちらを振り向かなかった時点でかなり黒だと思うがな)


 はぁ、と内心でため息をつきながらこちらを見るカリヴァを睨む。

 だが沈黙が続くだけで何も変わらない、時間の無駄だと考え目を逸らした所で――


「では、私も業務がありますのでこれで失礼いたします」


 そう言って深々と頭を下げたカリヴァは部屋から出て行った。


(良いのかスオウ、あの男他にも色々と考えていそうじゃぞ、手を打つなら早い方が良いと思うがの)

(一応いくつか手は打ってるさ。あのくらいじゃないと上に食い込むならやっていけないだろう。不利を有利に逆転させる為に誰かを利用するのはごく自然な行為だ、まぁ感情を度外視すればの話だが)

(優秀であるが故に切れないというのは難儀じゃの)

(おいおい、人事の様に言うなよ、クラウ、お前も知恵を貸してくれ)

(いやじゃ、そもそも最初に儂はあの男と手を組む事を反対したではないか)

(仕方がないだろ、アイツ以外自分の身の丈を勘違いしている馬鹿か、自分の能力を把握出来ていない阿呆しかいなかったんだから)

(ふん、そんなものは所詮言い訳に過ぎんわ)


 ぎゃぁぎゃぁとナカで喚く二人の声、それは夕餉を母が持って来てくれるまで延々と続いた。

 ちなみにこれが回復の支障にはならなかったのが唯一の救いだろうか?

 

(あぁ、いてぇ……)


 ただその言葉だけは暫く無くなる事は無かった。


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