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月蝕  作者: 檸檬
3章 加護と加護
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虚構の世界に立つ夢幻12

 周囲から膨れ上がる様な殺意を向けられている中、スオウは達成感と幸福感に包まれていた。

 言うなればそれはポーカーで最高の手札で上がったときの様な、いや、そんな即物的な物とはまた違うモノだ。


 スオウはその感覚を嫌悪しつつも受け入れていた、達成感と幸福感を嫌悪するという行為はまるで修行僧の様な考え方とも言える。

 スオウが嫌悪したのはこの行為は決して褒められた事ではなく、その褒められた事ではない事を成した事で己が満足している現実を認めたく無かったからなのかもしれない。


 加護持ち、フィーア・ルージュを手に入れるという事は、間違いなく争乱と混乱を呼ぶべき行為だ。

 ヒトは己の立ち位置を逸脱する力を持つ者を排斥する傾向に有る。そうでなくても嫉妬し、恨み、羨み、蔑むそれがヒトだ。ただの商人の息子が加護持ちなどという戦略級兵器を所有するなど冗談にも程が有る。暗殺は勿論の事、回りに居る者まで被害に及ぶ事は明白であろう。


 銀の髪がさらりと揺れる。

 手に触れたその温度は加護持ちというバケモノである存在だとしても、ヒトとしての温度を持っていた。


 苦痛か、それとも葛藤か、全身に刻まれた刻印は禍々しくもどこか美しさを感じさせられスオウは息をのんだ。

 ルナリアと違い、一部を鎧に包まれているとはいえど、露出している肌には痛々しくも黒く刻印が刻まれている。それをスオウは愛おしそうに撫で、周囲を覆う殺意の先へと振り返った。


「動くなッ! 貴様……、何を、いや、何者だ!」


 僅かに見える兜の隙間、自身の力量以上の魔術を行使した代償、疲労の色は明白だ。そんな状態にも関わらずスオウと、そしてフィーアを取り囲んだ宮廷魔術師の一団は一斉に剣を向けた。事が終わってから自分達の標的が違う事を理解した彼らは混乱の中にあったが、それでいても精鋭部隊である。己の職務を忘れた訳ではない。


 明らかに怪し気な人物が目の前に居て確保しない方がおかしい、周囲を囲む彼らをスオウは一通り一瞥して、フードの下で笑い、呟いた。


「Σθ§‐£」


 声にならぬ声、それに驚愕したのは囲っていた者だ。


「それは、師長の……!」


 呟いた声はスオウの周囲を覆う魔方陣が起動する振動音によってかき消された。


「馬鹿な! 伍重奏クインティプルだとッ! あ、ありえん! 全力で防御しろぉぉぉッ!」


 スオウの周囲に現れた魔方陣その数五つ、そしてその術式は火炎系極地爆撃魔術。一瞬にしてその様式を識別した彼らは一斉に防御術式を展開する。

 閃光と轟音、熱閃が周囲を焼き付くし、防御術式が軋み、悲鳴を上げる。焦げた地面が音を鳴らし、焼けた空気が喉を傷つけ魔素消費量が激しかった者から吹き飛ばされて行く。そして光が収まると同時に起る暴風の後、一拍の静寂の中でスオウは呟いた。


「三分の一か、結構残ったな。使い慣れない技術はやはり練習が必要か」


 その衝撃の中央地点、盛り上がった大地、いや、抉られた大地の中央でスオウは手をぷらぷらと振りながら呟いた。片腕にいくつも付けている腕輪がぼんやりと光り己の欠乏した魔素を補給する。


「(これ以上は酩酊では済まないか――)」


 使用した魔素量を予測しスオウはそうごちた。

 己が売り主であると極力バレない様にしてはいるが、それを作っている場所もそこで何かを作っている事もリリスやブランシュは知っている。それがそうであると現在知っている訳ではないが、そのアクセサリーを付けているヒトのみが体調不良に落ち入っているとなればそこから辿られる可能性は十分にあるだろう。


 後1発か2発、スオウはそう予測して周囲を見渡した。

 残った半分、とはいえどあくまで吹き飛ばされなかっただけ、というだけに過ぎず、両腕を火傷しているものや、魔素を枯渇しその場で気絶している者も多い。動けるのは精々10人と少しと言った所だ。


 後ろではぐったりと力なく踞り、ぜぇぜぇと息を切らすフィーア。使い物になるまではもう少し時間が必要な様だ。

 この状況でフィーアを奪われるのは愚の骨頂だ。スオウとしてはフィーアを保持するつもりは無いが、確保する必要はあった。


「σ⁂§」


 即詠短縮魔術、ゴドラウ魔術師長が得意としていた魔術。3つ以上の詠唱を重ね合わせ同時に詠唱する脅威の技術。

 奪い取ったそれをスオウは使い、再度魔方陣を空中へと投影する。

 今度は攻撃魔術ではなく、防御術式による結界であった。スオウとそしてフィーアを守る様に半円状の球体が現れる。

 まるでシャボン玉の様に表面は薄い虹色がかかり、ゆらゆらと揺らめいている。脆弱に見えるそれではあるが、その強度は並大抵のものではなかった。


「まぁ、来るとは思ってたよ」


 スオウは思わず呟くと同時に苦笑を浮かべた。同時に響いたのは轟音だ、上級魔術の集中爆撃ですら一定時間ならば耐えられるであろう結界がその一撃で撓んだのだ。相手は言うまでもなく、リリス・アルナス・リ・カナディル。金の髪を振り乱し、烈火の如く怒りを表す少女だった。


「き、さ、まぁぁああぁぁぁぁぁッ!」


 宮廷魔術師を蹴散らされた事か、あるいはゴドラウ魔術師長が目の前で殺された事か、兎も角その怒りを全身で表したリリスは腕を振りかぶる。

 バチバチと閃光が走り、結界を覆う様に紫電がはしった。うねる様に暴走する魔素は結界に守られているとはいえどそれがまるで紙か、あるいは存在している意味すらないかの様に頼りないものにしか見えて来ない。


「一応これでも三重奏トリプルだから、まぁ数十秒くらいは持つだろう。衝撃を吸収し易い様に円形にもした訳だし、さて……」


 顎に手を当て、びしびしと亀裂が入る結界を一瞥したスオウは然程猶予が残されていない事を理解しつつもゆったりとした仕草で後ろを振り向く。そこには未だ息を切らすフィーアがいた。

 目深かに被ったフードの下スオウは僅かに眉を顰め、そしてフィーアへと近づき、強引に腕を持ち上げ立たせた。


「悪いなフィーア、仕事の時間だ」

「……ぐ……、了……解……」


 ぜぇぜぇと息切れの音が耳の近くで聞こえる。ギョロリ、と睨み上げる視線は変わらないが思考誘導が効いているのだろう。殺意は向けて来ない。

 元々が自分の意志という物が薄かったフィーアだ、その効果は顕著であり、強力に効き目を示していた。


 ふらふらと立つフィーアの腕を離し、転がり地面へと落ちていた剣を拾い彼女へと持たせる。

 

「さて、最初の命令だフィーア」


 震えるフィーアの頭に手を置きまるで愛おしい者を扱うかの様に優しく銀の髪をさらりと撫でる。さらさらときらめくその髪は恐らく手入れなどしていないであろうにも関わらず燻まずとても美しい。

 指の先からはらり、と落ちて重力に従う様に地面へと垂れた。

 ぎしり、と結界が揺れる。罅が全体へと渡り、くだけ散る。

 紫電を纏うリリスが迫り、スオウが腕で標的を指し示した。


「目の前の加護持ちを無力化しろ」

「御、意」


 ぽたり、とフィーアの顎から汗が滴り、それが地面へと落ちる前に彼女はリリスへと切り掛かった。


「下衆がぁぁぁッ! 臆したかぁッッ!」


 紫電の音と絶叫が耳に届くがスオウにとってはどうでも良い事だ。

 バチバチと空気を焼く音が聞こえ、点滅する両者が視界に映る。一足飛びでスオウに攻撃を加え、殺す事が出来ればそれで終わる話ではあるのだが、生憎と先ほど見せた魔術行使によってそんなに簡単に済む相手ではないと理解しているのだろう。スオウもそれを予測して行なったのだから予定通りと言える。


 だが、いくらゴドラウの技術を奪ったといえど加護持ち相手に正面から立ち向かって勝てる筈も無い。にもかかわらずスオウは平然としていた。


「(死が怖く無い、のか?)」


 いや、違う、とスオウは思った。別にフィーアを信じている訳ではない。ついさっきあったばかりのしかも殺戮人形であった相手を信用する方がどうかしている。スオウが信じているとすればフィーアへと刻み込んだ呪いの方だ。呪刻印とルナリアに呼ばれていたカナディル連合王国の業とも呼ぶべき技術の結晶だ。スオウが信じているのはその効力と力に過ぎない。


 だから、それを刻んだフィーアが裏切る可能性は極力低いであろうとは考えている。しかし、あそこまで消耗しているフィーアが勝てるかどうかは信用していない、と言うべきだろうか。


 しかしそうなると今現在信頼出来る相手が居ない状況で死の危険性が迫る中、平然としている自分自身に疑問が浮かぶ。

 発汗作用や高揚作用、ヒトとして必然として起る緊張感は脳内物質の分泌液を調整すれば有る程度はどうとでもなる、それがスオウの平静を保たせている事に一役買っている事は間違いないが、それ以上のナニカがあるのではないか、と思ったのだ。


「(まぁ、今考える事ではないか)」


 そう内心でごちたスオウは当初に予定していた最後の一撃を放つ事にした。

 ヴン、と腕輪が起動し淡く光る。


「∇δγθ」


 ズ、と世界が歪んだ。


「ッ、……リリス、……王女、様ッ 空間、転移……です、お急ぎ、くだ、さ……いッ」

「馬鹿な! 本当か! 詠唱速度が速すぎるッ!」

「わかりません、が……。ごふッ……、はぁ、はぁ……、師長より、展開が早いですッ、……考えたくは、ありませんが、あの男の力量は……」

「ちぃっ、そこを、どけぇぇぇえぇッ!」


 ぶん、と振るわれた拳は紫電を纏い空間を焼尽すが、返す様にフィーアから振り上げられた剣によって転移し距離を取る。ぜぇぜぇと目の前で息を切らす相手、銀の髪の少女は誰が見ても顔色が良いとは言えない。白い肌が真っ青に染まり、ぼたぼたと落ちる汗は疲労より脂汗に近いのではないだろうか。目は充血し、意識を保つ為だろう、噛みちぎられた唇からは血が滴っているのが見えた。


 先ほどまで敵対していた相手にも関わらず、その風貌にリリスはギリギリと全身に渡る怒りを押さえ込むのに必死だった。

 今直ぐにでもあそこで詠唱をしている男を縊り殺してやりたい、と。押さえ込まなければ恐らく一瞬にして飛んで行った事は間違いないだろう。だがしかし、そこで一撃で相手を殺せれば良いが、殺せなかった場合その一瞬の間にフィーアに切られる可能性が非常に高いのだ。


 故に、リリスは目の前のフィーアを無力化するか、遠ざける必要が有った。

 ギリ、と奥歯を噛み締めた。ちらり、と視線を外した先にはアルフロッドが居たが、フィーアに切り裂かれた傷が酷く、未だ出血が止まっていない。腕ごと切り落とされなかっただけ幸運と見るべきだろうが、あれではもう暫く使い物にならないだろう。


 バチリ、と閃光が走る。ふわり、とリリスの毛先が僅かに浮き上がり、その毛先一本一本から放電が始まる。


 近づけないのならば――


 遠距離から全て焼尽してしまえば良い――


 フィーアの目が開かれ、初めて焦ったかの様な表情を浮かべた。

 対するリリスが浮かべたのは笑みだ。枯渇しつつある魔素をかき集め、最大級の一撃を放たんと力を貯める。

 その威力は後方で詠唱を始めた男ごと焼き尽くしても御釣が来る程のものだ。フィーアに下された命令はリリスを無力化しろ、との事であったためスオウを守る事は無い、が、驚異的な一撃を放つリリスを放置する事は無力化しろという命令に反する事になる。


 恐らくは全身を覆う疲労感と鈍痛と、いや、そもそも痛覚が残っているかすら不明瞭な銀の少女は、数十分前まではまるで羽の様に扱っていた剣を、ずりずりと引きずりながらリリスの前へと立ちふさがる。

 それを見てリリスは僅かに眉を顰めた。


「そこをどけ!」

「……拒否、命令……、実行」

「どけと言っている!」

「実行、命令、実行」


 ギ、とフィーアの目が細まった。地面へと付いていた切っ先が引き上げられリリスへと向けられる。

 一瞬の迷い、リリスは唇を強く噛み締めた。そして決断した、彼女フィーアごと打ち抜く事を。


 もはや時間はない、フィーアに割いている時間はなく、この場で帝国の加護持ちが減るのであれば連合王国にとって利益となる。

 現状から判断して何者か不明瞭なあの男の物になっているであろう現状を、カナディル連合王国の王女として見逃すわけにはいかない。


「……許せ」


 呟いた言葉はリリスにだけ聞こえた。それは姉と同じ存在となってしまったと思われるフィーアを殺す事に対する罪悪感から来る懺悔だったのか。リリスはそれに気が付く事は無かった。

 そしてリリスの半身が右手から溶ける様に融解し、雷となって放たれる。

 白い閃光、城壁すら抉り、消し飛ばすだけの力が放射され、――そして同時にリリスは目を見開いた。


 転移の光だ、淡く光ったその光は転移魔術が完成した事を表していた。それでも完全に発動が終わる前であれば術式ごと消し飛ばせるのだからその転移魔術が男が逃げる為に放った物であれば問題は無かった。


 その魔術は確かに転移していた、ただ標的は周囲に吹き飛ばされていた宮廷魔術師であり、リリスの放った閃光上に居たフィーアの前へと肉の壁として形成されるかの様にその場へと出現したのだ。


「な――!」


 閃光は止まらない。肉を焼き、命を消し飛ばし、自国の民を殺し尽くさんと閃光が走る。

 止まれと言った所で最早止まる事など無い。


 ――止まれ!


 ――いやだ、やめてくれ、止まってくれ!


 皮膚が焦げ、肉が焼け、骨が溶け出すその光景をリリスはその一瞬の間に幻視した。

 吐き気がこみ上げる。閃光が辺りを包み、地面を揺らす轟音だけが耳に届きリリスが放った一撃が直撃した事を示した。


「う……、ぉぇッ……」


 殺した、民を殺した、守るべき部下を殺した、守るべき物を、守りたい者を。

 宮廷魔術師が憎かったか? ゴドラウ魔術師長が憎かったか? 姉にあの悍ましい物を刻んだ彼らが憎かったのか?

 だから撃ったんじゃないのか? だから止めなかったんじゃないのか?

 

 姉だけに留まらず、味方すら傷つけ、殺すのか、私は……。


 思わずリリスは口元に手を当てた。蒼白になる顔を必死に繕い、現実を直視したく無いが為に目を逸らす。


 良いじゃないか、酬いではないか。彼らは姉を苦しめたのだ、ちょうどいいじゃないか、これならば名目が立つ。

 自分の責任じゃないだろう?


 ――私が産まれたから姉が苦しんだのではないのだ。


 あいつらが原因だろう? 奴らが刻んだんだとお前は考えていたのだろう? それ以外考えられないじゃないか。見たじゃないかお前は、彼女に、フィーア・ルージュに刻まれてたモノを。


 ――これは姉上の為に、敵を討ったんだ。


 そうだ、お前は悪く無い、何も悪くは無い。そう、お前はただ姉の敵を討っただけなんだから。犯人を、討つべき敵を今この場で見つけたじゃないか。


 敵とは何だ、敵とは何だ? 


 ――私は今、何を考えている? 私は、国を守るべき姉上を守る為に、姉上を……。


「う……」


 頭痛がする。国を守るならば、彼らを殺しては行けない。姉上を守るならば彼らを殺さなければならない。

 リリスは眉を顰め、ゆっくりと息を吐いた。動悸が酷く、心臓の音がまるで耳の中でなっているかの様にがなり立てる。


 砂埃が晴れる、覚悟した光景、死肉が撒き散らされ、焦げた肉の匂いが鼻腔を付くであろう瞬間を待った、しかし、幸運にもその光景は訪れる事は無かった。


「まに、あった……、グッ……」


 ぼたぼたと肩口から血を滴らせ、片目を瞑り、ぜぇぜぇと息を切らす少年の声。言葉と同時に口から血を吐く、ずるり、と地面へと倒れ込んでしまったが、出血量は明らかに減っており、恐らく死地は乗り越えたのだろう。後は魔素が回復し切るまで安静にする必要はあるだろうが。

 そしてそんなアルフロッドを一瞥したリリスが見た光景、自身が放った閃光の先には淡い光に包まれた膜が存在していた。


 アルフロッドの加護、守護がそこに発動していた。


 ぺたん、と腰が抜けた様に座り込んだリリスは、耳の中でなっていた心臓の音が遠のくのを感じていた。

 殺していないで良かった、と。心底思ったのだ。

 甘いのだろうか、それとも理想家と言うべきなのだろうか、姉の敵であるのではないか、と心のどこかで思っていながらも、彼らを殺していない事に安堵する。それはヒトとしては美徳であり美点だ。しかし、加護持ちとしては、”兵器”としては欠陥とも言えるだろう。

 

 だが少なくとも、ルナリアとしても、カナディル連合王国としても、優秀な彼らを失う事無く済んだ事は僥倖だ。

 リリスとしては……、“本当”に僥倖であったかは……、わからないが。


 そして、見事な盾となって仕事を果たしてくれた宮廷魔術師にくのかべに一番感謝したのはその肉の壁の奥に居た男、スオウであった。


「残念。長距離転移を使う程の魔素は流石にまずそうだったんでね。有効活用させてもらった。まぁ、口封じも兼ねて死んでくれても良かったんだが」


 温度を感じさせない言葉は誰にも届かない。ルナリア王女を操る可能性を持っている彼らには死んでもらった方が間違いないのだ。だがスオウはそれを避けた、というよりそんな暇もなかった。

 ぜぇぜぇと未だ肩で息をして、今にも倒れてしまいそうなフィーアの腕を掴み、次の指示を出した。


「このまま63°北北西に800mほど飛び上がってくれ。そこに迎えが来る」

「御……意……」


 ふらふらと揺れる体、必須である臓器のみに血液を送る為だろう、末端の指先などは冷たくまるで氷の様になってしまっているフィーアの腕を掴みスオウは指示を出した。震える手からゆっくりと剣をはぎ取る。硬直してしまったかの様にがっしりと掴まれた手の指を一本一本丁寧に剥がしたスオウはその剣を代わりに持つ。


 ぐ、と地面を踏みしめるフィーア。同時にスオウは全身に身体強化を施す。加護持ちの力で強引に引き上げてもらうのだ、そのままでは腕が外れたとておかしくは無い。

 ちらり、とスオウはリリスの方を見た。重ねられた肉の壁のせいで一部風に揺れてる髪と顔の半分しか見えないが、惚けた様にこちらを見ていた。


「甘いが……、好ましい、な」


 その言葉と同時にフィーアはその場から飛び上がった。

 ギシギシという自身の右腕、千切れそうになる痛みを耐えてスオウは空を舞う。

 そして到達予定地点に来た所で高速接近するワイバーンを視認した。


 悲鳴を上げる右腕の痛覚を遮断し、強引に折り曲げフィーアへと近づく。

 開いた左腕でフィーアの腰を抱き上げて、自分の体に密着させ、一つの塊となった。


 フィーアを掴んでいた右腕を離す。同時にその離された右腕がワイバーンに乗っていたアリイアへと掴まれ、そして高速でその場から飛去って行った。


 ○


「あぁー、完全に肩が外れてるし、肘の腱が伸び切っているな」


 ぎしぎしと違和感の有る右腕を左腕で掴みながら呟いた。

 痛覚を遮断しているため痛みは無いが、見た目が酷い、ぶらん、と垂れ下がった腕、明らかに左腕より長い右腕。

 肘関節も外れかかり、肩は完全に外れている。腱も痛めているだろうし、下手をすれば骨に罅が入っているだろう。

 慣性の法則を完全に無視して、その負荷を右腕だけに渡した代償とも言える。


「アリイア」

「はい」

 

 声をかけると同時にアリイアが右手を持ってくれた。肩から押し付ける様に彼女へと力をかける。

 ごき、と鈍い音がして肩が嵌った事を知らせてくれた。

 漸く腕が持ち上がる様になった、が、指はぷるぷると震えるだけで動きそうも無い。こちらは治癒魔術をかけながら様子を見るしか無い。


「スオウ様、頬の傷はどうされますか?」


 アリイアにそう言われて漸く思い出したかの様にスオウは頬に触れた。

 べったりと血に濡れた襟と胸元、フィーアに骨まで切り裂かれた頬の傷は治癒した所で間違いなく跡が残るだろう。


 ぼぅ、と淡い光が頬を撫でる。

 さすがにコレはごまかしようがないだろう。顔は見られていないが、怪我をしていた事は見られていた可能性が高い、というより雨で視界が悪いとはいえどここまで血塗れなのだ、何処を怪我したかまでわからなくても、疑うには十分に過ぎる。


 とりあえずの止血を終えた傷口を撫でたスオウはワイバーンの背の上で小さく踞り、ぜぇぜぇと息を切らすフィーアへと視線を向けた。

 蒼白さは更に酷くなり、額に浮かんでいる汗は異常とも言える。


「まずいな」

「……加護持ちですのでこの程度でしたら大丈夫でしょう」

「安心は出来ない……。こっちの治癒魔術を弾くとは思わなかったな、あるいは殺されたか?」

「いくつかの秘薬を持ってきましたので取り敢えずそれを飲ませました」

「それで様子を見るしか無いか、人体構造の基本はヒトと一緒だから、効かない筈は無いんだが」


 思わず眉を顰めた。だが暫くしてフィーアの呼吸が少し落ち着いて来たのが確認出来た。どうやら効いて来た様だ。


「それで、どうでしたか?」


 同様にフィーアを見ていたアリイアから問いが来た。

 問いの意味は言うまでもなく、フィーアについて、であろう。

 記憶を奪える事を唯一知っているのはアリイアだけだ、だからこその問いとも言える。


「……予想通り、でもあるな。帝国の皇帝サマはフィーアが死んでも死ななくてもどっちでも良かった様だ。どうやら最悪の最悪で既にフィーアの2倍程度の魔素は既に確保している」

「それは何とも聞きたく無かった事実ですね」

「カナディル連合王国の呪刻印も知っていそうだな、こちらの手に落ちたとしても、フィーアが殺した相手は加護の契約通り皇帝サマに送られる。フィーアが死のうが、無事に帰ろうが、連合王国の先兵となろうが、殺せば殺す程強くなるってことだな」


 そこまで言って溜め息を吐いた。

 となればフィーアが誰かを殺すのもまずいし、かといって殺されるのもまずい。


「その加護を外す事は出来ないのでしょうか?」

「さて、ね。加護は加護でしか干渉出来ない、位相が違うんだろう。リリスの加護を殺せたが、リリスを殺す事が出来なかった所からして、あるいは加護持ち、という存在もまた別の位相に居るのかもしれんがな」


 そうアリイアへと告げ、簡易的な氷結魔術を唱え、感覚のない右手へと集約させる。

 息苦しそうに横たわり、頭痛に耐える様に目をぎしり、と閉じているフィーアの額へと右手を乗せた。

 冷やされた右手は発熱しているであろう頭を冷やし、僅かだがフィーアの眉間に寄せられた皺を緩和させたかの様に見えた。


「……彼女はどうやら先祖に加護持ちを産んだ家系に産まれた様だな。験担ぎかしらんが、近親相姦を繰り返して産まれたのだろう。そして――」

「献上品として捧げられた、ですか」

「あぁ、そうだ」


 アルフロッドにも、リリスにも十二分にあり得た未来だ。

 近親相姦では奇形児が産まれ易い、だがこの時代では科学的に証明されている訳ではない。加護持ちを産む為にやったところでおかしくも何ともない。加護の血を引いているというだけで喜んで胯を開く女など腐る程居るだろう。


「品のない考えだな……」

「スオウ様?」


 アリイアの疑惑の視線に首を振って返事とした。

 フィーアは幸運だったとも言えるだろうか? 色素の薄い肌、銀の髪、薄く透けた血管の色は美しくもあり幻想的であるが、それは体が丈夫である事を示していない。アルビノ、先天性色素欠乏症。加護持ちとして産まれなければ彼女は恐らく皮膚病と、そして失明との戦いとなり、恐らく欠陥品として捨てられていただろう。


「加護持ちとして兵器として生きるか……、欠陥品として産まれて直ぐ捨てられるか。どちらが幸せかなど選びたくも無いだろうがな」


 そう言って自嘲した。

 恵まれた家族、恵まれた環境、それでいてここに居る自分が彼女を哀れむ資格など有るのだろうか。

 そもそも、その資格とは一体何の事なのだろうか、誰が認め、誰が提示出来る資格なのだろうか。

 それを考えるのは自分ではなく、この少女、フィーア・ルージュなのではないだろうか。


 そこまで考えて目を細めた。

 考えすぎるのは悪い癖だ。手の平に凝結させた氷が溶け切ってしまったのを確認し、再度詠唱して額へと当てる。


「あまりやり過ぎると凍傷になります。こちらを」


 それを見かねたアリイアが布切れを出して来た。包帯として使うつもりだったのだろう。細く切れているがこれでも十分だ。


「助かる」


 言葉と同時に布切れを空中に出した水で濡らし、そして軽く凍結させる。

 その速度は数時間前のスオウとは段違いだ。こんな所で僅かだがゴドラウへと感謝を述べた。

 殺しておいて感謝するなど鬼畜以下とも思えるのだが。


 額へと冷やした布切れを置く。こんな所で死んでもらっては困るのだから。

 銀の髪を撫でる、さらさらと指の間を通る髪。自分の頬が僅かに緩んでいるのを自覚した。


「さぁ、今はゆっくり休んでくれ。そして俺の為に働いてくれる時を待っているよ」


 そしてもう一度銀の髪を撫でた。

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