虚構の世界に立つ夢幻11
ちょっと粗い。修正するやも知れませぬ。
風が頬を叩いた。
流れる様に景色が後ろへと飛んで行き、目的の場所へとワイバーンが運んで行く。
羽ばたきの音が耳に届き、腰に手を回し、ワイバーンから落ちない様に抱きかかえてくれているアリイアの顔が直ぐ傍にあり、そして自分の手の中にはゴドラウが居た。
片手は頭に添えており、もう片方は腕を掴みこれもまた落ちない様に支えている。
両手を使っている為にアリイアに支えてもらっている形だ。
一つ、ため息を付いた。
すれ違い、と言ってしまえば簡単な話だ。だがしかし、やりようがあったのではないかと思う話しでもあった。
所詮は過去の話、そして過去の話に他者の勝手な価値観の上で何かを言うのはただの自己満足に過ぎない。
それでも、スオウは言いたかった。
「哀れだな……」
一番無念であったのは誰だろうか、王か、王妃か、それともゴドラウか。
虚ろな目をして意識が混濁しているだろうゴドラウを見て、そしてスオウは前を見た。
あまり見すぎていると同情してしまいそうだからだ。
ルナリアが王位継承権を所持しているだけではなく、王からもその地位を確約されているというのであればこちらにとっても都合が良い。
今回の件はルナリアに事前に話す事も無く進めているが、成功すれば文句を言う事も出来ないだろう。
ルナリアの部下を殺傷したであろう事だけが怪しいが、得た者と比較すれば不満はあれど飲み込むだろう。
そう考えてスオウは笑った。
ヒトの命を数字で考え、対等かどうかで考え、冷徹な数字の計算が出来る様になっている。
そう、まるで空気を吸うかの様に。それが当たり前かの様に。
「毒されているな、諦めていると言えるのか?」
思わず付いた言葉にアリイアが怪訝な表情を向けて来たが、苦笑を浮かべ答えとした。
果たしていつからそうだった? 果たしていつからこうなった?
真実を知りたかったのはいつだ? それは恐怖からではなかったか。
その恐怖は幼き頃からあった、気が付けば直ぐに膨らみ、逃げる事が出来なかった。
最初は犠牲者は無かった、だがコンフェデルスで、いやもっと前、クラウシュベルグで初めてヒトを殺した時、俺はそれを楽しんでいなかったか?
自分の力を示す時、鍛え上げた力を試す時、ヒトは快感を得るという。
他者を屈服させ、自分が上位であると示す事に悦を得るのがヒトなのだ。
だが、スオウは自分が自分で鍛え上げた能力以上に、ヒトから”奪った”力が大半を占めている事を知っている。
苦笑も浮かぶというものだ。度し難い愚かな存在、ここまで堕ちて墮ちて、この体の両親になんと言うのか?
何か言える資格があるというのか? そもそも何をそこまで拘っているというのだ?
自問自答、答えは直ぐに出た。
「それが原初であり、”自分”であった保証の為に、か……」
「スオウ様?」
自分を抱えていたアリイアがワイバーンの手綱を引き寄せながらこちらを見た。
「そろそろか?」
問いかけ他であろう理由とは別の答えをスオウは返した。アリイアは特に表情を変える事なく話しを逸らしたであろうスオウに返事を返す。
「もう数分です。高速で遠ざかっているのを感じます、恐らく被害を減らすためリリス王女様か、アルフロッド少年が先ほどの場所から距離を取る事にしたのでしょう」
「成る程、予定通りという事だな」
「き、さま……。何、者だ……」
アリイアに答えを返した所で腕の中のゴドラウが漸く焦点のあった目でこちらを見て来た。
何者、それは先ほどゴドラウへと行なったクラウシュラの能力を含めての疑問であろう。
首に刺さっていた杭は既に抜けているが、中途半端な治癒の為、言葉はとぎれとぎれ、喋る度に激痛が走っている事だろう。詠唱を阻止する為の手段、無詠唱で魔術を発動出来るゴドラウであるため所詮は気休めに過ぎないが、しないよりは良い。
どちらにせよこれほど密着している状態。スオウは片腕離せばこの空から落ちるだろう、飛行系の魔術が無い訳ではないが、非常に高度な姿勢制御術式に風系魔術の強力な一定維持が必要なのだ。この状況のゴドラウにそれが出来るとは思えない、いくら優秀とはいえど、だ。それを理解しているのだろう、問いかけて来たゴドラウの瞳は忙しなく動き状況を把握していた。
「通りすがりの略奪者かな?」
「ふざ、けるな……ッ。貴様、何をした……、何を、する、つもりだ!」
ギロリと睨み上げて来たゴドラウの瞳に笑みが浮かんでくるのを感じた。
それはゴドラウを馬鹿にしたものではない、どちらかといえばゴドラウを応援したいくらいである。だがしかし、自分には自分の都合があり、その為に準備し、その為にルナリアの部下を殺した。もはや後戻りは出来ない、その為に自分自身のその甘すぎる考えを嘲笑する為に笑ったのだ。
「アルフロッドに刻印を刻むと言っていたが、わからないのが何故アルフロッドに刻むのかだった。だが漸く合点がいった、半分は恨みか、アルフロッドが居れば、ルナリアに刻む必要が無かったかもしれないし、アン王妃に陛下も会いに行けたかもしれない。連合王国でただ一人、というのが微妙だった。二人であればコンフェデルスも今後の関係を考慮し、帝国と対抗する為に穏健派も有る程度発言を確保出来たかもしれない。いや、ガウェイン辺境伯のせいでそうでもない、か」
ゴドラウは目を見開いた。ギリ、と噛み締めた唇から血か垂れる。それは自覚していなかった、とでも言いたげなもので、哀れだと感じた。
グラン・ロイルが逃げ出さなければ、リリスは特別ではあったが、絶対的では無かった。今より缶詰状況は多少は緩かっただろうし、ルナリアに刻まれる事は無かったかもしれない。所詮はたら、れば、の話。先にも思ったが、過去の事に難癖をつけるのは愚かだ、それだけ告げた後やや逡巡し、何も言う事無く口を閉じた。
口を開いたのはゴドラウであった。
「貴様、記憶を抜いたな。畜生の、所業だ、ヒトの記憶を塗り替え、奪い、陵辱する……! ヒト殺しよりも下劣、な、下衆がッ!」
「ハッ……」
スオウは笑った、その言葉に。正論と正鵠を付いているが、それがそのまま自分に返るであろう事に気が付いていないのだろうか。
責める権利はスオウに無い、享受する権利も果たしてあるのかどうか。だが、スオウにとってはそんな事はどうでも良かった。
「まぁ……、望んだ力では無かったという所で”彼ら”の気持ちもよくわかるが、今は感謝している。それが状況によってそうだと思うのか、それともそうだと自覚したからそう思うのか、それはわからないが。そうだな、下劣なのは理解しているよ、アンタがルナリアに対して劣情を抱いているのと同様にな?」
見当違いの言葉にゴドラウは顔を真っ赤にして黙った。
記憶を見るという事は感情を理解するという事と同義ではない、だがしかし、ゴドラウのルナリアに対しての態度はアン王妃との関係を考慮するとどうにも拙い。言い換えればもっと協力的でも良いのではないか、という話しだ。
だが、現実はゴドラウが右翼の先方という形であり、ルナリアもそれに近いにも関わらずグリュエル辺境伯と足並みを揃え、中立派の様な位置づけに居る様だ。
それもまた、”予想”は付いた。ゴドラウがアン王妃に恋慕を抱いていたのは間違いは無いだろう、年齢差からゴドラウ自身それが娘に対する愛情であると思っていた様だが。最後の最後、ゴドラウはアンに裏切られた気分であったのだろう、いつも穏やかなアンが最後に吐いた毒はそれほどまでに強力であった。同時にゴドラウはそれを認めたく無かった、理解出来たからだ、そう思う気持ちも、そう言いたくなる感情も、最後にゴドラウ、ではなく”師長”と呼ばれた事にゴドラウはその複雑な感情に着地点を見つける事が出来なかった。
日に日にアン王妃へと近づいて行くルナリアを見てゴドラウはその感情が浮かんで来たのだろう。
愛情と裏切られた憎しみと、自身への後悔と、打開出来なかった無力さが、ルナリアと会う度に刺激され、強くなって行く。
出来上がったのは、最後の一つだけだ。王妃が愛したこの国を守り、そして手段を選ばず国のためを行なう自分をルナリアに断罪してもらう為に、それだけの為にゴドラウは生きて来たのだ。
それを告げる事は無かった。ただの予想だ、だがおそらくあっていたから。
そしてスオウはそれを成させるつもりもなかった。今ルナリアに揺らぎが出ても困る、しかし同時に自分の中で囁く声が聞こえる、いいのではないか? と。ルナリアとの誤解を解消させ、彼の中の感情に決着をつけ、円満な終焉を求める。それの何が悪いのだ、と。
眉間に皺が寄った、不確定な事が多い選択だが、ヒトとしてそれは間違っては居ないだろう、決して間違っては居ない。だが……。
「……なんだ?」
何かを言いたげな視線のアリイアに声をかけた。笑みが浮かんだ、こんな状況で不謹慎ながら美しいと感じてしまった。
「やるべきことを」
告げられた言葉は簡潔だった。軽く頭を振った。
「あぁ、やるだけだ」
ご、と音がした。腕の中に居たゴドラウを一瞬だけ離し、鞍へとずり落ちたその鳩尾へと強化した片腕を叩き込んだ音だ。
一瞬何が起ったかわらか無かっただろう、目を見開いたと同時に混濁していたであろう意識に決着をつけ、再度の昏睡へと落ちた。
「宮廷魔術師の部隊が確認出来ました」
「よし、構えは?」
「されています、ゴドラウからの指示は私が潰しましたので当初の予定通りアルフロッドに刻印を刻もうと隙を伺っている事でしょう」
「あぁ、銀色の髪をしたアルフロッドにな」
そう言って懐から銀細工を取り出した。片腕につけるそれは腕輪のようであったが細かい刻印がびっしりと刻まれ、よくよく見ればヴァンデルファールで流行っているアクセサリーと同様の刻印がいくつか入っていた。
それを五つ、右腕に取り付けた。ヴィン、と空気を振動させる様な起動音と同時に体中に魔素が流れ込んでくる。
元々自分の加護は膨大な魔素は無い、一般のヒトから比べればその量は膨大かもしれないが、他者の加護持ちにくらべれば所詮はどんぐりの背比べ程度に過ぎない。そして今回は”死滅のフィーア・ルージュ”が対象だ。いくら加護持ち二人相手にしているとはいえど、その膨大な魔素は現在もこれでもかと主張を示し、びりびりと肌で感じる程のうねりがあった。
ゴドラウはアイリーンの宝石と、自身の部下でアルフロッドに刻む事を考えた。だが、そもそもが、刻めるならば他国の加護持ちに刻んでしまえば良いだろう、という話ではないかと考えたのだ。
ゴドラウの中にその考えもあったようだった、だがしかし四階級であるという事、付近で確認出来ず、成功するか確証が得られなかった事、そして、これを行なえば帝国との関係が決定的になる事を恐れた為だ。だが、ゴドラウも自覚していなかったが、先程も述べた様にその天秤が傾いた理由にグラン・ロイルに対する恨みが大きく作用した事は間違いないだろう。
昏睡するゴドラウに一瞬だけ視線をやった。表情は憤怒と苦悶で固まっていた。
誰もが不幸だ、誰もが幸福になりたがっていながら、不幸へと流れて行く。
果たしてそれは誰のせいだ? 誰が原因だ? 思うのだ、それは力が無かったからだと、カナディル連合王国が他国に負けぬ程の軍事力と権力を持っていればあの様な不幸は起きなかったであろう。帝国の様に唯我独尊、侵略者であることを自覚しながら突き進む者であれば良いという訳ではないが、自身を守る為に力が必要だ、それは立場によって力の程度は決まるであろうが、事、自分が求める者に必要な力に上限は無いと考えた。
「いかんな、引きずられている」
軽く頭を振った。ゴドラウの記憶に影響されたか、随分と即物的な価値観と考えに偏ってしまっていた。
鉄杭を取り出し、その冷たさを感じた。儀式の様なものだった、剣でもよかったが、手軽な鉄杭を選んだ。
アリイアの支えてくれる手の温もり、柔らかな感覚、一瞬だけそれに身を委ねた、そして鉄の冷たさに意識を鋭く、鋭くさせていく。
「そろそろです」
「あぁ」
魔素のうねりが身近に迫る。ざわざわとした感覚と、もう少しで手に入るという子供の様な抑え切れない感情。
それを鉄の冷たさで押さえつけ、そしてゴドラウを掴み、アリイアの腕の中から抜けた。
温もりが無くなる、柔らかな暖かさが消える。誰もが悲鳴をあげて、誰もが恐れる暗殺者である鮮血のアリイア、そんな彼女にそんな事を思う自分が少し滑稽だった。
加護持ち達が見えた。
「ゴドラウ、確かに一人では無理だ、どうやってもな。馬鹿げた魔素量だ、本当に、馬鹿げている。だがなゴドラウ、一人で無理なら皆でやれば良いという言葉を知っているか? この腕輪は皆から少しずつだけ魔素を貰う装置だ、最近ヴァンデルファールで流行っているアクセサリーがあってな、それを安値で売ってもらった訳だが、これは安値の対価だよ。皆から少しずつだけ貰うそれだけだ。まぁ、ちょっとした酩酊感くらいは感じるかもしれないが」
答えは無い。腕輪をゆっくりと撫でた。
ヴァンデルファールの人口は200万程度、その2割が買ったとしても40万、40万人の魔素だ、一騎当万である加護持ち、ならば少しずつで20万も用意すれば十分と言える。
それに、念の為に一度リリスで検証をしていた。リリスがスオウを見失う訳が無いのだ、常識的に考えて。
その力量も加護持ちとしての性能も、だから記憶を操作した、一部だけ抜いた、リリスが不機嫌なのはその不自然さと不可解さもあったのだ。
「さて、今確認されている二番目に強い加護持ちをーー」
貰い受けるとするか。
ワイバーンから一歩外へ、眼下は戦場、圧倒的な暴力が蠢く死地、だが自分で思っていた以上に、その一歩はとても軽かった。
○
数十分前。
振り下ろされる剣がゆっくりと流れる中、リリスはまるで走馬灯の様なものを見ていた。
殆どの記憶が姉との記憶であった。
食事の風景、穏やかな表情を浮かべ、薄らと笑みを浮かべる姉上。
烈火の如く怒り、厳しく叱責する姉上。
夜の闇が怖く、共に寝てくれと強請った時に困った顔をしながらベットの半分を開けてくれた姉上。
自分の力が特別で、誰もが自分に文句を言えない、自分だけが選ばれた存在だ。
そう考えた事が無い訳ではない。
自分の力は素晴らしいのに、なんで姉上は私に辛く当たるのだ。
そう癇癪を起こした事が無い訳ではない。
早めの反抗期であった、それを取り返しのつかない状況であるという事を理解してリリスは全てわからなくなっていた。
初めてヒトの腕を焼いた時、自身の力でヒトを痛めつけた時、感じた事は快感でもなければ、優越感でもなく、ただ後悔であった。
最初に焼いたのは姉であった、皮膚が焼ける匂いと、血臭、脂の焦げた様ないやな匂いが部屋に満ちて、一拍遅れて自分が何をしたか理解した。
逃げたかった、恐怖が全身を覆い、今直ぐにでも逃げ出したかった。
だが、リリスは一点を見て体が硬直した。
そう言えばと思う、姉はいつもリリスの面倒を見てくれていたがお風呂だけは侍女に指示していた。
だからリリスは一度も姉の肌を見た事は無かった、いつも長袖を着込み、首だけは出していたがそれ以外は手の平くらいなもので、王族の女性であればドレスとてそれなりに肌を見せる物が多い。それが一つの武器であるからだ。
それに姉は美人であった、にもかかわらずその武器を用いないのはよくよく考えればおかしな事だった。
その答えは焼けた腕にあった。
弾けた服の中、びっしりと刻まれるように書かれている黒い刻印。何かはわからない、なんの意味をなすのかもわからない。だがリリスはそれが悍ましい物だと本能で感じた。ヒッ、と声が聞こえた、それは自分の声だった。
「リリス……、大丈夫、私は大丈夫だから。いつものウズロ先生を呼んで来て頂戴」
その言葉にリリスは動けなかった。
わなわなと震え、何も出来なかった。
痛みに耐える姉をただ呆然と見ているだけだった。
やや数秒して駆けつけた侍女の悲鳴でリリスは我に返り、姉に駆け寄った。治癒師を呼ぶ事も出来ず、姉を助ける事も出来ず、ただ何も出来ずにそこに居ただけ。ウズロ先生は侍女が呼び、もしもの為と直ぐ傍に居た為に治癒は直に始まり、後遺症は残らないだろうと言われ、腰が抜けるかの様な安堵感に包まれた。
そして同時に絶望感に包まれた。
その日と、次の日とリリスは姉の顔を見ていなかった。それが幸か不幸かはわからない。冷たい目をしたルナリアを見なかった事は間違いなく幸運であろう。
あの刻印は何なのか、リリスはまだ知らない。
けれど、今、情勢を読み取る事が、一般的な価値観と常識を身につけたリリスは、その刻印の意味を薄らと理解していた。
国に取って何よりも重要な加護持ちが自由に振る舞える、多少の宮殿での拘束はあるが、話しに聞いたコンフェデルスと比較すれば雲泥の差だ。帝国と比較すればその教育方法も雲泥の差だ。その理由は少し考えればわかる筈だ。
最初はあの刻印は自分を制御し、拘束する為のものであるかと思った。
だが、そうであるならば女性の身であの様な事を態々するだろうか、少し考えればわかる結論だ。
リリスは探した、リリスは求めた、答えを。誰もが教えてくれない答えを。
そうしてリリスはたどり着いた、認めたく無い現実を、知りたく無い真実を、悍ましい国の裏側を、愚かな自分を。
教えてくれたのは、自分の母、アン王妃に付いていた傍付きの侍女であった。
彼女は既に宮殿を出ていたが、教えてくれた。その裏にウズロの手引きがあったか、ゴドラウの手引きがあったか、それは誰も知らない。
ーー剣が迫る。
ゆっくりと、そして着実に死が迫る。
漆黒の塊、あれはまずい。
あれでなければ、あるいは概念を殺す方であればリリスは多少触れても問題は無いだろうと感じていた。
リリスの雷化を殺すだけなのであとは致命傷にならない程度に避ければ、その後再度治癒すれば良い、あるいは雷化すれば回復するかもしれない。
リリスは今まで怪我を追う程のダメージを負った事が無い、その為どの程度までなら回復出来るかは不明瞭だ。
勿論国としてその研究は行われた、有る程度の実績もあるし、当然実戦経験も積んで来た。
アルフロッドに比べれば雲泥の差であることは間違いないが、ルナリアの妹であり、王女であり、そしてその指揮権もまた、ルナリアに有る事によってそれほど無茶な実験はされていなかった。
その事は幸運であるが、今現状実証が無いというのは不幸であった。
バチリ、と閃光が走る。雷化が始まる、一か八かの試しだ、どちらにせよ何もしなければ切られる事は間違いない。
そして剣が走った。全身を覆う激痛、舞い上がる血しぶき、体を捻ったため両断される事は防げたが、肩口から脇腹まで切り裂かれた。体を覆う灼熱でそれを理解し、そしてその状況を直ぐに認識出来た事に驚いた。
まず最初に驚いたのは予想以上にダメージが少ない事。恐らく皮1枚よりもう少し切られた程度。
そして次に驚いたのは死んでいない事だ、恐るべき切れ味であり、自分の雷化すら問答無用で切ったというのに死は訪れない。
後者はとりあえず置いておいた、そしてリリスは怒鳴った。
自分の傷が浅かった理由が目の前にあったから。
「なにを、している!」
そこにはアルフロッドが立っていた。
持っていた剣は無惨にも両断され、恐らく速度で遅れたが為に強引に割り込んだのだろう、無理矢理捻って入れられた体は肩口からばっさりと切り裂かれ、血が吹き出ていた。
「くっ」
リリスは血を流し、蒼白な顔をしているアルフロッドをかかえ、転移した。
バチリ、と音が鳴る。”アルフロッド”も”フィーア”も雷化し、一瞬で転移した、いや転移させたリリスは自分の怪我の痛みなど忘れてしまっていた。
自分の怪我は治らなかった、アルフロッドの怪我も治らなかった、そしてフィーア・ルージュはちゃんと付いて来た。
きょろきょろと回りを見渡すフィーア、そしていまだ生きているアルフロッドとリリスに首を傾げる。
「疑問、不可思議、謎、理解不能、現象説明要求」
ぶつぶつと呟かれる言葉、腕の中のアルフロッドはどんどんと力が抜けて行き、早急に治癒が必要だ。
リリスの治癒魔術は拙いものだ、しかしその魔素量で強引に使う、流れ出た血を補う事は出来ないが、とりあえず傷は塞がった。
乱暴な方法であった為傷跡は間違いなく残るだろうが、そんなことを言っている場合ではない、それよりもリリスにはしなくてはならない事があった。
アルフロッドに対する言いたい事もある。
庇ってくれた事の感謝も、愚かさも、そして先ほどの漆黒で死ななかった現象も、全て思う所が無い訳ではない。
が、リリスはまず一番最初の事を片付ける事にした。空間が歪んだ、同時に雷光、閃光、紫電が走り、地面が焼ける。空間を殺し移動したフィーアを追いかける様に閃光が辺りを満たし、木々を焼き、空気を焼き、雲を切り裂き、地を抉る。
そして吠えた。
「姉上を、殺そうとしたなッ!」
バチリ、とリリスは雷化した。そしてそのまま縦横無尽に駆け出した。まるで暴走した車の様に、リリスが走り去った後には焼けた草と抉れた地面だけが残る。高速移動時リリスは対象を補足出来ない、だからリリスは全て焼き付くさんとばかりに移動を繰り返す。
だがフィーアもまた負けては居ない、空間を殺し、高速で移動する。はたから見れば互いに点滅を繰り返しながら地面が崩壊し、木々が倒れ、まるで星が少しずつ削れて行くかの様な感覚を覚えたかもしれない。
10分か、あるいはもっと長い時間か。
動きはフィーアの方にあった。
よくよく考えてみれば相手の方から来てくれるのだから、避けて切るなどという手間のかかる事をする必要がなかったのだ。
フィーアは移動をやめ、足を止め、しっかりと地面へと立ち。そして全身に加護の力を廻した。
フィーアの力は死滅だ、触れたものを殺す力だ。5階級を殺せなかったのは不可思議であるが、少なくとも加護の力は殺せていた。
であるならば、向こうからくる一撃が自分に触れればただ高速で突撃してくるヒトになる。それとて十分に脅威であるが、端から見た所5階級は完全な遠距離型、であるならば身体強化を全力で行なえば壊れるのはあちらであろう。魔素の量もこちらが圧倒的に有利。
取り敢えず見えないであろう後方に剣を構え、フィーアは攻撃が来るのを待った。
そして、その攻撃は数秒後に来た。
一瞬、刹那の時。目を閃光が焼きフィーアの目が細まる。
全身に行き渡る加護の力と身体強化。ぎしり、と足を踏みしめ、衝撃を耐えるべく力を入れた所でバチリ、と視界の端でリリスが実体化したのが見えた。
振りかぶられる手、閃光化した一撃はフィーアの加護に阻まれ、その衝撃がリリスへと返り腕が弾けて折れる。血が吹き出てーー
「貴様の力は一つの概念を殺すのだろう? ”私”を敵として見たのであれば、次の攻撃は耐えられまい」
一緒に移動して来た、アルフロッドの一撃が脇腹へと突き刺さった。
ミシリ、という音。膨大な魔素を込めた身体強化、それは半場折れているとはいえどその剣の一撃すら耐える。
だが、”殺せた”訳ではない。僅かな間、数センチ吹き飛ばされると同時にフィーアはその衝撃を”殺し”、標準を変えた。
そして、全身を覆う異質な倦怠感に気が付いた。
「……?」
ぎしり、と体が軋む。地面が淡く光り、フィーアを中心に円を描く。
パチリ、と音が鳴った。
リリスが距離を取ったのだ、最後の力を振り絞ったのだろう、ぐったりと倒れ込んだアルフロッドも安堵するかの様な顔でこちらを見ている。
そして地面から黒い帯が出て来た。
「!」
絡み付く様に這い出て来た帯が全身を掴む、ギシギシと鳴る音は自分の体から出ている音。
「ーーーー!」
怒声がフィーアから聞こえた。そしてその帯をぶちぶちと破りながら周囲を見渡した。
そこにはおよそ100人近い宮廷魔術師が居た、一心不乱に儀式剣を抱え、何かを唱えている。
だがフィーアは”まだ”然程脅威に感じていなかった。いつでも殺せる雑兵、カナディル連合王国での最精鋭をそう評したフィーアであった。
リリスも所詮は足止めであり、決定的な止めになるとは思っていなかった。故に、次の準備をしていた、最大級の一撃を、隙さえ出来ればそれで良い、と、リリスは一撃を放たんと準備をし、そして次に入って来た声で硬直した。
「銀髪はアルフロッド、銀髪はアルフロッド、銀の髪のアルフロッドに刻印を、刻印を刻め、銀の髪がアルフロッド」
ぶつぶつと呟く声にリリスは辺りを見渡す。何かがおかしい、得体の知れない何かが、動いている。
ーー足下に大きな黒い影が流れた。
見上げたそこにはワイバーン。
「なーー!」
何かが落ちて来た、ひらり、と、ゆっくりと。
「ゴドラウ、師長!?」
おかしかった、落ちてくるのは明らかにヒトであった。だが、魔術の行使は見られない、転移系の魔術も見られない、あのままでは落下して死ぬだけだ。近づいて来た所でその異常さに気が付いた、ゴドラウは意識が無い様に見えた、致命的な状況だ、これでは死ぬしか無い。
とはいえど、リリスは最大級の一撃を放たんとばかりに魔素を溜め込んでいる所だった、このままでは目の前で師長が死ぬ、周囲の宮廷魔術師は狂ったかの様に一心不乱にフィーア・ルージュへと何かをしている。時間がない、選択が無い。
「ッ……!」
だが、リリスの視界に黒いローブが映った。
「な……?」
フードで顔が覆われていて誰かはわからない。だがその雰囲気はどこかで見覚えのある物であった。そこに居る筈も無い人物であるか故に、リリスはその考えを直ぐに消した、だが疑惑は残る。僅かに見える黒髪が風に揺れ恐ろしいくらいの正確さで一瞬にして風魔術を展開し、ゴドラウの襟首を掴み下へと落ちて来た。
こんな戦場に現れるのは異常だ、しかし、リリスは感謝した。ゴドラウ魔術師長に良い感情を抱いている訳ではない、だがしかし、幼い頃から知っている人物が目の前で死ぬ光景を見るよりはマシだろう。リリスはルナリアに刻まれている刻印を知っている。しかしそれを刻んだ相手が誰か知っている訳ではない。だが、予想は出来る、推測は出来る、故に、ゴドラウに対しての印象が良い訳ではない。けれどリリスは死を望まなかった、それは甘いと賞するべきか、慈愛があるというべきか、だがどちらにせよ助かったのだ、と考えたそれは大きな間違いだった。
スオウは、滑空していた。フィーアの視界から自身を隠すため、ゴドラウの体は丁度良かった。
最初はワイバーンの予定だった、けれどワイバーンでは離脱回収時に足が無くなるため困る。
故に、証拠隠滅も兼ねた方法だった、そして手段を選べる程相手は弱く無かった。ゴドラウの装飾はその辺で買える安い品ではない。カナディル連合王国の魔術のトップとして君臨するに相応しいだけの装飾と装備をしている。簡単に言えば、そこらの傭兵が簡単に切れるような代物ではないという事だ。
其れにも拘わらずあっさりと切り捨てたスオウに驚いたのはそう言った理由もあった。
舞落ちる、黒い帯がまるで呪いの様にフィーアへと張り付き、そして蠢くその頭上に舞落ちる。
そしてフィーアの真上に差し掛かった所でゴドラウが切り裂かれた。あっさりと、何の抵抗も無く、全身を襲う黒い帯ごと切り裂かんと振り抜いたフィーアの剣によってゴドラウは半分に切れた。悲鳴が上がる、リリスの悲鳴が。
切り裂かれたゴドラウの血潮が舞い、体がばらけ、その先にもう一人居る事にフィーアは気付き目を見開く。
音速すら超えた速度で剣が戻され、今度はスオウを切り裂かんと襲いかかる。
同時にその両断されたゴドラウの隙間からスオウの手が伸びた。刹那の瞬間、振り払われる剣、一瞬の間、ざくり、と裂かれた頬骨。その剣が骨に届き、顔を両断する寸前。フィーアの額にスオウの指先が触れ、腕輪が光りーー
「刻め」
声が響いた。




