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月蝕  作者: 檸檬
3章 加護と加護
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虚構の世界に立つ夢幻10

 ゴドラウが宮廷魔術師になったのは20年程前だ。当時40代であった彼は異例の大出世とも言えよう。

 元々の才能も群を抜いており、ストムブリート魔術学院の学院長へと収まったゼノに対して一部の分野では後塵に座していたが、全体的に見れば上であり、何より政治的な取引が上手かった。

 

 ストムブリート魔術学院の長とてカナディル連合王国の中では成功者の中の一人とも言えるが、やはり宮廷魔術師長ともなれば王国でも上から数えた方が早いくらいの権力所持者である。直接政に関わる事は無いが、陛下の相談役として、そして国の戦力の一つでもある宮廷魔術師を指示する立場に有る為その発言力は低くは無い。


 ゴドラウは就任した際、連合王国で最大の問題となっていたのは加護持ちの保有数であった。


 20年前と言えばカナディル連合王国は一人も所有しておらず、スイル国に1名、精霊国ニアルに1名、帝国に2名(内1名は帝王となっていた)。誰もがまだ幼い年齢であったが、油断出来る状況ではなかった。そして更に同盟国コンフェデルスでも産まれたのでは、という話も出たのだからより一層危機的状況にあったと言える。


 連合王国三強とも呼ばれる辺境伯。


 彼らのうち当時のセレスタン辺境伯当主はさして疑問視などしていなかった。一騎当万、であるならば我ら1万の精鋭を持ってして倒してみせようと息巻いていた。

 現在も当主として存在しているグリュエル辺境伯は相当留意しており、スイル国と精霊国ニアルとの同盟を強く押し進めていた。

 ガウェイン辺境伯はコンフェデルス派の連合国内での権威を高めようとコンフェデルスの加護持ちの件を流布して回り、自陣へと貴族を抱き込もうと躍起になっていた。


 問題はいくつもあった。


 まずセレスタン辺境伯の意見は問題外として、グリュエル辺境伯の案は非常に難しい物であった。

 それは宮廷魔術師として就任し、この国がどうやって加護持ちを制御していたかを知ったからでもあった。


 精霊国ニアル、そしてスイル国は両国とも加護持ちを力ある者ではあるが、同様にヒトであり、その様に接するべきだという考えを持っていたからだ。それは神と崇めるリメルカと絶対的に相容れぬ価値観であり、加護持ちこそが国を治めるべきであると考える帝国とも相容れぬ考えであった。

 故に、精霊国ニアルとスイル国は帝国との小競り合いを繰り返していた訳であるが、兎も角その考えがカナディル連合王国と一致はしなかった。


 コンフェデルス連盟もカナディル連合王国も加護持ちは兵器であり、ヒトが流用し、活用する物だと考えているからだ。

 当然国民は別だ、世界を救った英雄である彼らを道具として使うのはまずい、対面的な対応はまた別であった。


 加護持ちの産まれぬカナディル連合王国、幸か不幸かコンフェデルス連盟の加護持ちの取り扱いがバレていたため、精霊国ニアルとスイル国との関係強化は遅々として進む事は無かったが、それとて二国の状況次第と言えよう。

 連盟との関係もまた、自国が不利な状況で結ばれる可能性とて無い訳ではない、いや、既にその兆候は出ていたのだ。

 地理的問題からしてもカナディル連合王国はスイル国が落ちた次、コンフェデルス連盟としての盾として存在している。自国がスイル国をそう扱っているのだから、そう取られるのも予想出来る事だ。


 外交官は連日その不利的条約の締結を先延ばしにし、自国に加護持ちが産まれる事を、まさに神に祈っていた。


「ゴドラウ師長、こんな所にいらっしゃったのね」


 ある日の午後、日々の仕事に追われていたゴドラウに声をかけたのは一人の女性だった。

 美しい金の髪は地面に届く程長く、それを一つに纏め、さまざまな装飾品で飾っていた。朗らかな表情で笑みを浮かべゴドラウへと話しかけた女性はアン=ソフィー・アルナス。今の名はアン=ソフィー・アルナス・リ・カナディル。カナディル連合王国の王妃であった。


 後のルナリアとリリスの母親である。


「これは、王妃様。この様な所まで……」


 この様な所まで、その言葉も当然だ。ゴドラウがいる場所は文官が詰める宿舎、ゴドラウが休むべき場所は別にあるが、ちょっとした用件があってこちらまで出て来たのだ。


「ふふ、ウィリアムス君が探してたわよ。今日の稽古を付けてもらうんだーって」

「これは、申し訳ありません……。私の方からもキツく言っておきますので」


 剣術の領域で目を見張る物を見せるウィリアムスは少々発言に危うい所が有る。目の前のアン王妃は気軽に言っているが、おそらく本当にそのまま言った通りに言ったのだろう。ゴドラウはやや冷や汗をかきながら、頭を下げた。その様な事で怒る様な女性ではないが、だからといってやって良い事と悪い事があるのだ。


「そんなに畏まらないでゴドラウ師長。貴方の方が私よりずっと優秀で、陛下の役に立っているのだもの」

「いえ、その様な事は……」


 ゴドラウはその言葉に少しだけ目を伏せた。


「それで王妃様、この場所にはどのようなご用件で?」

「あ、そうなの、リベリアに料理を教わりに来たのよ! あの子ったら王妃の私を呼びつけるのよ? 酷いでしょ」


 手の甲を口元に当ててくすくすと笑うアンはその年齢よりも若く幼気に見える。屈託の無い笑顔を見せる彼女はゴドラウにも笑みを誘うが、生憎と言われた内容は笑える内容ではなかった。

 あの馬鹿女ッ、と内心で毒づきながらもゴドラウは引き攣った顔で、深く頭を下げた。


「も、申し訳ございませんッ!」

「あ、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったのよ、教わるのは私なんだし、いいのいいの」

「で、ですが。一国の王妃様に対して……。いえ、そもそもアン様が料理などする必要は」

「いーの、それに私聞いたのよ? 夫の気持ちを掴むにはまず胃袋からってね?」


 パチリ、とウインクをして微笑むアン。ゴドラウは深いため息を付いた。


「アン様……、それは……」

「ふふっ、それじゃね」


 何かを言い淀んだゴドラウに対してアンは笑って、その場を後にした。


 景色が変わる。


「ゴドラウ師長、子供が漸く出来たわ。これであのヒトも私を見てくれるかしら……」

「陛下はいつも王妃様の事を案じておられます」

「ふふ、ありがとう……。でも、側室を取ってから私の部屋に来る事は殆ど無くなったわ、いえ、良いのよ。子を多く作るのも王族の勤め、それはわかっているの。これは私のただの我が侭」


 ベットの上で横になりながら、愛おしそうにお腹を撫で告げるアンの表情には諦めが見えていた。

 彼女はいまだ16歳、その年で母となり、その年でもはや達観しているとも言える。


「王妃様……」

「最近は陛下にお菓子もあまり作ってあげられなくて。つわりがこんなに辛いとは思ってなかったのよ?」


 そう言って儚気に笑うアン。食べてくれもしない料理ならば作らなくても良いではないか、とゴドラウは思った。

 けれどそれを口にする事は出来なかった。子を産む事だけを求められた王妃である、それを薄らと感じているアンにとってそれすらも取り上げるのは酷であると思ったからだ。


「リベリアも最近会えなくなっちゃったし……、あ、そうそう彼女なんか最近付き合ってるヒトが居るんだって?」

「そ、そうなのですか……? 生憎と私はとんとそう言う方面では……」

「そう言えば師長は独身だって言ってたかしら。結婚はされないの?」

「はぁ……、生憎と私は研究と魔術に人生を捧げる覚悟ですので……」

「つまらないわねぇ……。恋をしなさい恋を!」


 自身の半分も生きていない子供に何を言われているのか、と頭を抱えそうになるゴドラウであったが、出そうになったため息を何とか堪えた。


「兎も角お体ご自愛ください、もう王妃様一人の体ではないのですから」

「……うん、ありがと」


 そう言ってゴドラウは席を立った。自分の仕事もまだまだ残っている、いい加減戻らなくては五月蝿い部下が騒ぐ事だろう。

 年齢的にはまだ若いゴドラウ、その様な所で付け入られる隙を作る訳にも行かない。


「ゴドラウ師長……、産まれる子が男児なら、陛下は私を……、いえ、ごめんなさい」


 振り返るゴドラウ、アンは窓から外を見ていた。ゴドラウはその問いに答えず部屋を出た。


 また、景色が変わる。


 不幸にも……、いや、子供が産まれた事に不幸などという言葉を使うのは不適切だろう。

 アン王妃が産んだ子供は女児であった。あえて、幸運だと言うならば、陛下は女児でも特に何も言わなかった。

 罵倒する訳でもなく、非難する訳でもなく、ただ一言ご苦労だった、とアンに告げて部屋を出て行った。


 アン王妃はその言葉だけで嬉しそうにしていたが、ゴドラウとしては釈然としない物を感じていた。

 産まれた子はルナリアと名付けられた、月の名を含んだその名は美しく、そして気高く生きて欲しいというアンの思いからだった。

 本来であれば王妃に名付けの許可を与えられる事はまず無いのだが、陛下はそれを許可した、ゴドラウは不器用な愛情なのだろうかとも思ったが、生憎と男女の機微に疎いゴドラウ、それがわかる事は無かった。


 その2年後に側室として娶ったコンフェデルスから迎えた娘、その子が身ごもった。


 そこから、少しづつ、宮廷に不穏な空気が流れていた。


「ねぇ、知ってる? ポートフォリア家の事」

「知らない訳無いじゃない、あんな露骨なやり方馬鹿にしてるわよ。コンフェデルスから嫁いで来たからって……。確かに今連盟との関係を強化する為に側室として迎えるのもわからなくは無いけど……。アン王妃様がかわいそう……」

「いくらアン様のご実家より階級が上だからって言っても横暴じゃない、アン様に一言も無かったそうよ」

「仕方ないわよ、陛下も側室の方に行かれている様だし、アン様も男児を産めなかったんだし」

「でも……。それに私あのヒトどうしても好きになれないわ、側室なのにまるで正室のアン様を馬鹿にした様に喋るんだもの」

「お前ら、何を話している!」


 使用人達の話、僅かに漏れた声にゴドラウは怒鳴り散らした。


「ゴ、ゴドラウ師長! こ、これは、その……」

「馬鹿者がッ! この様な場所でそのような事、王妃様の耳に入ったらどうするのだ! 貴様らの首が物理的に飛ぶぞ!」

「も、申し訳ございませんッ!」

 

 不思議ではあった、宮殿には異常とも言える戒厳令がしかれ、ポートフォリア家の件と正室であるアン王妃の関係は喋っては行けない事になっていた。別に明確に誰かが言った訳ではない、だがアン王妃は使用人にも人気があったし、それを気に入らないとしていた側室のアグネッタとの関係を悪化させるのを嫌った誰かが裏で動いたのかもしれなかった。

 

 兎に角、アン王妃と側室のアグネッタが宮殿で顔を合わせるのは陛下が居る時か、あるいはやむを得ず道すがらすれ違う程度であった。

 出会う度にアンは物腰柔らかく対応し、そしてアグネッタは陛下の寵愛を受けている事による余裕もあってか表面上は上手く行っていた。


 そしてアグネッタの子が産まれ、ナンナと名付けられた。名は陛下が決めたという。不幸にも女児であったが、陛下が名を決めたという事で宮殿でまた不穏な空気が流れる。やはり、陛下が愛しているのはアグネッタ王妃なのではないか、と……。


 そしてまた景色が変わる。


「ねぇ、ゴドラウ。あのヒトは今何をしているかしら……」

「陛下は執務室にて書類整理をしているかと……」

「そう……」


 俯いた顔からは何の表情も見えない、何の感情も読み取れない。

 ただ、儚気に微笑むだけ。そろそろ20歳となる彼女はまさに蕾から咲き誇るまでの大輪となったが、その薄幸さはより強くなっていると言えよう。


「ずっと、私思っていたんだけど。ゴドラウってお父さんみたいね。あら、でもこれ失礼だったかしら」

「そんな事は御座いません、光栄でございます。が、やはり王妃様のお父上など……、私などではもったいのう御座います」

「そうかしら? 私、父の顔をほとんど知らないで育ったから、陛下もなんで私を選んでくれたのかわからなかった。舞踏会で何回かあった程度よ? 貴族家としては落ち目だし、母も四番目の側室だし、父の顔も幼い頃に数回見た程度、たんに顔の作りが良かったから見初めてくれたのかな、って思ってたけど。あら、これじゃ自慢みたいね」


 ふふ、とアンは笑う。


「でも、陛下は、何となくだけど顔で選ぶヒトじゃないって思ったの。ちゃんと私を見てくれているんじゃないかなって……、だから、色々してみたんだけど、私どうも駄目で。自分でもこんなに上手く行かない物だとは思ってなかったんだけど、ルナリアのご飯とかお乳とか自分でやりたかったんだけど、それも出来なくて、しょうがないんだけどね」


 くすり、とアンはまた笑った。

 ゴドラウは眉間に皺が寄るのを感じていた。カナディル連合王国の第一子だ、継承権としては第三位にあたるルナリア王女、その子育てはプロに任せるべきであり、それをアン王妃が出来るというのは現実的ではないだろう。それはアンも理解している、故にこれはただの愚痴に過ぎない。


「月に1回だけど陛下は来てくれる、私はそれを大事にしようと思うの、だって恋じゃなくて愛なら、一回だけでも育む事が出来るでしょう?」

「それは、なんとも。私にはわかりませんが……」

「もう、相変わらずねゴドラウも。いい加減結婚したら如何なの」

「生憎ともう40をこえましたので、諦めております」

「何言ってるのよ、私に貴方を紹介してくれっていう子もいるのよ? まぁ、立場を狙っているって可能性も有るけれど」

「……まぁ、私のとこは私で何とかしますからご心配せずとも。王妃様はあまり無理をなされませんよう」

「そうね、ありがとうゴドラウ」


 そして朗らかに笑ったアンを見て、ゴドラウは胸が痛むのを感じた。


 また、景色が変わる。


 時が経つ、夏が来て、秋が来て、冬が来て、ポートフォリア家から側室を入れた事によって小康状態を保つ事が出来たコンフェデルス連盟との関係。しかしながらスイル国と帝国の関係は既に確定であり、精霊国ニアルからも矢継ぎ早に支援の催促が来ていた。


 日に日に悩みの種が増える最中、アン王妃が懐妊したと宮殿に情報が走った。

 そして同時に、黒い噂も広がった。


 陛下とアン王妃の関係があまり良く無いのは知られている事実である。

 知るヒトが知れば、アン王妃がどれほど陛下を愛しているかわかる、だがしかし、そうで無い物に取ってはわからない。

 つまり、それが本当に陛下の子供なのか、と疑われたのだ。


 そして最初に疑われたのはゴドラウであった。


「陛下……、お呼びでしょうか」

「来たか、貴様、最近宮殿で噂になっている話しを聞いたか?」

「いえ……、特には……?」


 陛下は自分より若かった。若き王、当初は誰もが侮っていた、だが数年も経てば誰もがその采配と判断に敬服していた。

 たしかに若さによる経験不足、宮殿の政務ではない、貴族との駆け引きなどまだまだ劣っている所はあった。だが、ゴドラウが、そしてグリュエル辺境伯が上手く補助し、国は回っていた。


 その王が眉間に皺を寄せ、そして数回こめかみを手でほぐした後、一つため息を付いて告げて来た。


「ゴドラウよ、貴様があやつ、アンと通じていると噂が立っている」


 は? と、思ったのがゴドラウの紛う事無い心情と言えよう。

 思わず陛下の前にあるにも関わらず声に出しそうになった程だ。そしてややして、ここ暫くアン王妃の所に通い詰めであった事を思い出し、一瞬で青ざめた。

 王とアン王妃の関係が冷えきっているのは周知の事実、その状況下でそのような事をして勘繰る者が出て来てもおかしくは無い。

 

 そして王妃と関係を持ったとなれば命は無い、そしてアン王妃の命も下手したら無い。

 ゴドラウは必死に弁明をはかり、陛下の誤解を解こうと喋ろうとした所で、陛下が口を開いた。


「よい、噂の出所はわかっている。その様な噂が立っている故、聞かれた際適当な言い訳を作っておけ。それだけだ、下がって良い」

「は……、ははッ」


 と、頭を下げ、そして退室しようとしたところで、その意味を理解した。ゴドラウは思わず陛下を凝視し、下がれと言われたにもかかわらずそこから動けなかった。


「陛下……? それだけ、でしょうか?」


 厳しいくらいの詰問か、あるいは恫喝か、予想していたものとはどれとも違い、ゴドラウは思わず陛下へと問いかけた。

 いや、それだけではなかった、ゴドラウには少しながらの困惑と怒りがあった。曲がりなりにも自分の妻と出来ているのではないか、という噂を立てられ怒らない夫はいない。それがまるで無関心かの様につげるその様相は、なにより、アン王妃が哀れであった。


「……存外、お主も頭が回らんのだな」

「……」

「下がって良いと言った。下がれ」

「……はッ」


 ギリ、とゴドラウは陛下に見られない様下を向き、唇を噛み締めた。

 そして数秒、いつも通りの顔へと戻ったゴドラウは再度深く頭を下げ、扉へと向かう。


「アンを……、支えてやってくれ」

「……陛下?」


 その言葉は良く聞こえなかった。ただ、今思えば、そう言っていたのではないだろうかと思うのだ。


 そして、決定的な決別の時が来た。

 国に取っては最大の幸運、だが、個人にとっては最大の不幸となるその時が。

 

 アン王妃が、加護持ちを懐妊した――


 ○


 城が、宮殿が沸き上がった。対外的な問題、暗殺の対応を考え国外には徹底的に伏せられたが、今までコンフェデルスとの外交に関しても加護持ちの有る無しで優位に立たれていた状況も改善する。帝国の脅威に対するカウンターもまた準備出来た事となる。誰もが笑みを浮かべていた、だれもがその状況を喝采していた。ただ、二人だけ、いや三人を除いて。


 その内の一人は、言うまでもなくゴドラウであった。


 表面上は笑みを浮かべ、部下へと箝口令を敷き、そして徹底的な情報封鎖を指示しながら夜寝る前にアン王妃の前へと顔を出し、様子を窺っていた。穏やかな表情でお腹を撫で、微笑みながら会話をするアン王妃は自分が死ぬ事も理解していながら誰にも恨み言一つ言う事無く、そして毎日言っていた。


「これで、陛下の役に立てるかしら」

「……えぇ、勿論でございます」

「そう、そうよねゴドラウ。でも陛下はいつ来てくれるのかしら」

「加護持ちが産まれるという事でお忙しいのでしょう……、近日中には必ず」

「そう、そうよね……」

 

 そう言ってアン王妃は儚気に笑った。

 ぎりぎりと握りしめられた手、陛下は数回しかアン王妃の前に姿を現さなかった。そして二言三言話しただけで、部屋を出て行った。

 その後ろ姿を寂し気に見つめるアン王妃の表情が頭にこびり付いて取れなかった。


「……名前、今度は陛下がつけてくださるかしら」

「……勿論でございますとも」


 アグネッタ王妃が自分の子に陛下が名をつけてくれた、そういって言い回っている話しがアン王妃の耳に入らない訳が無い。

 どういう風に解釈したのか、今度は、と言っている時点で想像に容易いが、果たしてそうなるかどうかはゴドラウにはわからなかった。

 だが、それでも付けてくれる筈だ、と告げるしかゴドラウには出来なかった。


「出来れば、早く付けてくれると嬉しいわ……。産まれてからは呼んであげられないから」

「……王妃様」


 沈黙が辺りを包む。傍付きの侍女が部屋を出て行った。恐らく耐えられなかったのだろう。嗚咽の声が僅かに聞こえて来た。

 その声にアンは軽く頭を振り、話を変えて来た。


「そういえば、ゴドラウ。リベリアを最近見ないのだけれど、どうかしたのかしら?」

「リベリア君ですか……? さて、管轄が違うのでどうにもわかりません……。結婚したというのは聞きましたが」

「そうなのよ、相手は竜人族のグランさんって聞いてるわ。すごいお強いそうね」

「えぇ、彼は連合国でも随一の使い手ですな。あの年であの実力は素晴らしいものがあります。その分風当たりも強い様ですが……。ウィリアムスも負ける者かと頑張っておりますが、やはり一歩及ばんようで、種族差もありますから。しかしそれを考慮すればウィリアムスの実力も相当な者です。まぁ如何せん性格なのか慎重すぎる嫌いがある様でしてな」

「ふふ、そう……、あの子もそんなになったのね。貴方の後ろを付いて回っていたときが懐かしいわ」

「いえ……、私は然程でも。簡単な術式を教えたくらいですから」


 実際剣術を教えたのはゴドラウではない。当然アンもそれを理解して言っている。

 懐かしい思い出だ、過去に浸るのは年を取ったからと言えるが、アンは先が無いから過去を語るのか、それとも……。


 ゴドラウは目を瞑った、だが直ぐ開いた。思い出の中に浸りそうであったからだ。

 国を支える重鎮の一人として思ってはいけない感情だ、何故、加護持ちなど産まれるのだ……、などと思ってはいけないのだ。

 名誉な事なのだ、歴史に名を残す、名誉な事なのだから。


 ゴドラウはそう自身に言い聞かせ、アンとの話しに没頭して行った。話しの内容は全て、過去の話だった。


 また、景色が変わる。


「なに? グラン・ロイルが行方不明だと?」

「は……、申し訳ありません。除隊届けが置いてありまして……」

「……それを私に言われても困るのだがな、軍司令は別だろう」

「し、しかしゴドラウ師長」

「どうせ軍司令長官から話を振られたのだろう? 生憎と私に知っている事は無い、文句があるなら貴様が直接来いと言って構わん」

「りょ、了解致しました」


 深々と頭を下げて退室して行った陸軍将校の一人を忌々し気に追い払ったゴドラウは自分の感情がピリピリとしたものになっているのを自覚していた。数ヶ月前に発覚していた事を今更告げて来て、原因究明、探索に当てるなど巫山戯ているとしか思えない。当初自分達で処理し、隠蔽しようとした気が満々なのがそれだけで理解出来る。


「度し難い、馬鹿共が」


 ぼそり、と告げた言葉に部屋に居た他の部下が一斉に机へと視線を落とした。

 最近はいつもこうである、誰もが目を合わせようとしない、それもそうだろう誰も虎の尾を率先して踏みたいとは思わない。

 

 話題を変えようとしたのだろう、部下の一人が良い話題は無いか、と話しを考えた。


「そ、そういえば加護持ちのご誕生がそろそろでしたね。あまり派手には出来ませんが、我々だけで内々に祝杯でも如何でしょうか? 師長も是ひっ!」

「無駄口を叩く暇があれば手を動かせ、貴様は職務中に無駄口を叩ける程偉かったのか?」


 ギロ、と睨みつけた部下はそれだけで硬直し、そして直に椅子に座り仕事へと戻った。

 ふん、と鼻を鳴らしたゴドラウはこめかみを揉み解し、次の書類へと目を通す。


 アン王妃の出産までもう後数日であろう、と宮廷魔術師であるゴドラウ師長は判断していた。

 同様に副師長であるウズロもまた、そう判断していたため間違いは無い。

 つまり、アン王妃の命日まで数日という事だ。


 ぎり、と羽ペンに力が入り、ボキリ、と先が折れた。その折れたペン先を呆然と見ながらゴドラウは時間が巻き戻れば良いのに、と願った。

 愚かな願いであると知りながら。


 そしてその願いは敵う事は無く、アン王妃の出産の時が来た。

 アン王妃の寝室には王妃の希望もあって、陛下とそしてゴドラウ、数名の侍女、助産に付いた者の数名であった。

 陛下はそれを許した、情報を隠蔽する為には知る者が少ない方が良い、理由としては十分であった。


 だが、その出産の時陛下は不在だった。


「陛下……、陛下は……」

「直にいらっしゃいますアン様」

「嘘、嘘よ、どうせあの人はまた来ない、来ないんでしょうゴドラウ」

「そんな事はございません、必ずいらっしゃいます」


 ゴドラウはアンの手を握っていた。汗ばんで、そして驚く程華奢で小さな手は震えていた。そしてこれでもかと強く強く握りしめられていた。


「ゴドラウ、陛下は名前をつけてくれたかしら、ねぇ、私名前を呼んであげたいの、名前を、名前を」


 陛下は名を付けてはくれなかった、ゴドラウはそれを誤魔化し、誤魔化しここまで来た。


「それは……、来られた時に仰られるかと」

「……嘘よ、嘘でしょうゴドラウ。わかるわ、私、わかるもの」


 朦朧としているだろう意識の中でアンは呻いた、そして初めて見る様な恨みの篭った声で叫んだ。


「もう、もう嘘は沢山よゴドラウ! 嫌よ、嫌! 死にたく無い! どうして、なんで! あの人が、陛下が来てくれるのなら死んでも良かった、あの人のためになるなら、国のためになるならその覚悟もあった、なのに何で! なんであの人は来てくれないの! 巫山戯ないで、こんな子、こんな子産みたく無い、産みたくなんか無い!」

「アン様、落ち着いて下さい。直ぐに、直ぐ、直ぐに参られますから!」


 ゴドラウはもはや願う様にそう言った。

 焦点が定まらぬ目でアンは視線をさまよわせ、ゴドラウを見て止まった。そして笑った。薄らと。


「そう、そう、そうね」


 いつもの言葉だった。ゴドラウは初めてここで理解した、それは自分を誤魔化す為の言葉であったのだと、哀れな言葉であったのだと。


「ねぇ、ゴドラウ。陛下は名を付けてくれたかしら」


 二度目の問いだった。だが、今度は睨みつける様にゴドラウを見て聞いていた。

 ぞくりとする程の目であった。20になったばかりの女性がする目では無かった。ゴドラウは僅かに目を伏せ、”嘘”を付いた。


「……リリス、と」


 それはいつぞや、ルナリアの名を考えていた時、ゴドラウがアン王妃に提案した一つの名前であった。思わず出て来た名がそれとは自分でも笑える程短慮であった。だがアンは何も言わなかった。

 そしてアンは笑った、美しく、そして儚気に。


「そう、そう」

「えぇ、そうでございます」


 ゆっくりときつく握られていた手がゴドラウから離れて行った。

 断続的に早くなる息、その中でアンはゴドラウに一つお願いをした。


「ゴドラウ、誰かにルナリアを連れてくる様に言って頂戴」

「……わかりました」


 断る事は出来なかった。許される事ではなかったが、責任は全てゴドラウが取るつもりだった。

 そして傍に居た侍女も誰も反対しなかった、恐らく、ゴドラウと同じ気持ちであっただろう。


 ややあってルナリア王女がやってきた。既に泣いていた、ぼろぼろと泣きながらアンへと抱きつき、懸命に何かを話していた。

 暫くして、アンはもはや蒼白となってきた顔でゆっくりと、ゴドラウを見た。


 壮絶なものであった。この世の全てを恨んでいるかの様な顔であった。


 ゴドラウは慌ててルナリアの耳を覆った。目は、ベットへと縋り付き、泣いているため防げなかった。

 呪いが放たれた。


「師長、このリリスが陛下が付けた名ならば陛下の力となりましょう。けれどそうでなければ、この国を滅ぼす力となるでしょう。貴方はどうしますか? 逃げますか? リリスを操り人形としますか? それとも敵となるべく育てますか? ルナリア、聞きなさいルナリア、貴方が滅ぼすのです、この国を、貴方が滅ぼすのです!」


 耳を塞いでいる事に気が付かず、ルナリアへと怨嗟のごとく告げる。その様相にゴドラウは何も言えなかった。

 そしてふっ、とまるで憑き物が落ちたかの様にアンは意識を失い、ルナリアの泣き声が部屋に響き、そしてリリス王女が産まれた。


 陛下はそれからして漸く、部屋を訪れた。

 ルナリア王女の絶叫は今もまだ耳に残っている。


 そしてそれを認めた陛下の顔もまだ、目蓋に焼き付いている。


 ○


「陛下、陛下ッ!」

「何の用だゴドラウ、貴様は早急にルナリアに刻印を刻む準備を始めろ」

「陛下ッ! 正気でございますか! それよりもアン様に、アン様に何か一言、いえ、それより何故もっと早く来てくれなかったのですか!」

「準備を始めろと言ったゴドラウ」

「陛下ァッ!」


 自分がここまで声が出るものだと知らなかった。絶叫とも言える声だった、足早に先を歩いていた陛下はその声で漸く足を止め、こちらを見た。

 その目は無感情で、無表情で、何も映していなかった。先ほどまで激昂していた自分が急激に冷めて行くのを感じる。


「……、あやつは恨んで逝ったか」

「……それは」

「恨んで逝ったであろうよ、それで構わん。最後だけ良い顔など出来るものか」

「何をッ!」


 都合の良い事を、冷えきった感情が再度熱される。片足を付け、握りしめていた手が血が出てもおかしく無い程握りしめられ、これが陛下でなければ殴り掛かっていた事は間違いない。いや、陛下であっても殴り掛かっていてもおかしくは無かった。


 だが、次の言葉でゴドラウは眉を顰めた。


「いつぞや……、お主にアンと通じているという噂があったな……」

「は……?」

「あれはな、アグネッタの奴が流したのだ。私を独り占めしたかったのだろうよ」

「なに、を……?」

「ゴドラウ……、アンが今まで何度暗殺されかかったか知っているか?」

「は?」


 今度は、驚愕であった。そしてそれから自分の推察の先を呪いたくなった。


「6度よ……、6度、それ全て脅しであったが、な。愚かな女だ、コンフェデルス連盟との関係を結ぶ為だけだと思われるのが嫌だったのか、それとも本当に私を好いていたのかは知らんが、な……。いや、それはないだろうよ。それゆえアンとは距離を置く必要が有った、あの女がその虚栄心を満足させる為に……。加護持ちさえ産まれれば全ては対等に交渉出来た。だが、アンが……、アンが身ごもってしまったッ! それでは駄目であったのだ、あの女の何の価値もない虚栄心を刺激するだけだった、挙げ句の果てには、コンフェデルス連盟の優位さを確保する為に、産まれる前に殺すなどという暴論すら出た程だ!」


 初めてだった、怒った姿を見たのは。ぎりぎりと歯ぎしりの音が聞こえる。


「あの女のちっぽけな虚栄心はアンを蔑ろにすれば満足すると言ったモノだった。ふ、ふふ、ゴドラウよ、ここまで私はコケにされるとは思わなかったぞ。だが黙っていた、国のため、帝国の脅威が高まる今、コンフェデルス連盟との関係が悪化するのはまずい。そして、今産まれたばかりのリリスが殺されるのもまずい」

「……ルナリア王女に刻印を刻む事により、ルナリア王女も守るおつもりですか」

「そうだ、ルナリアに刻印が刻まれれば、宮殿から出す事は出来ん。加護持ちと共に育てさせる、全てはルナリアに力を持たせるのだ」

「……ルナリア様にそれが良き事とは思えませんが」

「構わん、そんなものもはやどうでも良い。アンが居ないこの国など、私はもはや……。いや、そうではない、そうではない……」


 ぶつぶつと呟きだした陛下にゴドラウは心が冷えきって行った。

 愚策だ、と考えると同時に王妃が最後に告げた言葉が実現するかもしれないと思った。


「そうだ、あの女の子供はコンフェデルスへと嫁がせ、継承権を剥奪し、ルナリアを第一とすれば良い」

「……アグネッタ王妃が反対されるのでは」

「その頃にはルナリアもリリスもそれなりの年になっているだろう。もはやでかい顔はさせん」

「……」


 何故最初から話さなかったのか。話しておけばアン様であれば納得してくれたであろうに。

 いや、そうではないか、隠し事が苦手なアン様はおそらく表情に出るだろう。であればアグネッタ王妃に悟られる可能性が無いとは言えない。


 ……果たして、そうだろうか。


「陛下……、陛下は何故それをアン様にお話しされなかったのですか?」

「黙れ」

「アン様でしたらご理解頂けました。何もせず、ただ黙っていたのが良き事なのですか! 最後、最後くらいは傍に居てあげても良かったではないですか!」

「黙れと言っている! 貴様に何がわかる! 産まれたばかりのリリスが殺されればまた連盟との関係は逆戻りだ、立場が弱いのだ、今の連合王国は!」

「陛下が一度でも、一度でも来て頂ければアン様は満足して逝かれたことは間違いありません、アグネッタ王妃が何だというのですかッ! 外交に干渉してくるというのなれば我らが動きましたッ! アン様の為ならば他にも動く者は大勢居たでしょう!」

「黙れ! 状況すら掴めていないでなにをほざくかッ! 貴様にそのような権限などないわッ。これ以上、これ以上ルナリアとリリスまで失う訳にはいかん……ッ。ルナリアが死ねばナンナが次の王位継承権を継ぐ、それまでは加護持ちの傍に置いて、育てさせるという体裁を保たさねばならん!」

「ッッ!」


 ぶち、と下唇が噛みちぎれるのを感じた。じんわりと血の味が口の中に広がり、わなわなと怒りだけが沸き上がる。


「刻め、それが貴様の仕事だッ!」

「……御意」


 これが、国か。これが政治か、何が悪かったのか、外交官が悪かったのか? 陛下が弱かったから悪かったのか。

 女一人手綱を握れない陛下が全て悪いのか? アン様の気持ちより国益なのか? それが全てなのか。

 王族であるから、そうなのか。


 ガン、とゴドラウは壁へ手を叩き付けた。

 じわり、と手の甲から血が滲む。痛みは全くと言っていい程感じなかった。


 そして滲んだ血を見てからゆっくりと目を瞑り、そして歩き出した。ルナリア王女へと刻印を刻む為に。

 刻印を刻みながら思った、自分が壊れたのを感じた。


 ゴドラウはルナリア王女に刻印を刻みながら思った。彼女はきっと全てを呪って生きるのだろう、と。

 全てを恨んで生きるのだろうと。加護持ちを意のままに操る刻印、それは無意識下の洗脳に近いものだ。


 ゴドラウは最初にリリスへの愛情を植え込んだ、そして国への恨みを植え込んだ。

 それが如何育つかはわからない、だがゴドラウにとってはどうでもよかった。もはや、どうでもよかった。


 アン王妃が愛したであろうこの国が残るか、アン王妃が恨んだであろうこの国が滅ぶか。

 流される様にゴドラウは前者を選んだ。後者を選ぶ程、ゴドラウは強く無かった。

 

 ゴドラウはルナリア王女にこの時だけ願った。いつか殺してくれと、そして笑った、自分の滑稽さに。

どーでもいい加護持ち能力第二弾


ヴェルトライ

2階級 再生

驚異的な再生能力を持つ。それは自身だけではなく自分が認識している全ての動植物を青月の記憶から引っ張りだし、破壊される前の状態へと戻す。再生は全てオートで行なわれるため、本人の意思は関係ない。


ロルヴェ

5階級 迅雷

現保有者:カナディル連合王国 リリス・アルナス・カナディル

疾風迅雷の名の如く、加護持ちの中で最速を誇る。自身を雷と化し、光速移動、また物理的攻撃の無効化を可能とする。

再構築に関しては青月の記憶から引き出すため、服からアクセサリーまで復元した時に全て元に戻る。干渉出来る攻撃、最上級の刻印系武器や、強力な対軍魔術などでは負傷する。

電撃は魔素が尽きない限り放つ事が出来るが、魔術扱いであるため、阻害方法が無い訳ではない。とはいえ軽く撃った一撃が対人級ではなく対軍級の魔術ではあるが。


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