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月蝕  作者: 檸檬
3章 加護と加護
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虚構の世界に立つ夢幻8

 鉄の温度は心を凍てつかせる。

 それはアリイアの記憶いしなのか、それともスオウ・フォールスとしての根底に有った物なのかはわからない。

 そもそも自分が“スオウ・フォールス”であるという保証は何処にも無いのだけれど。


「ルナリア王女にご報告の必要は?」


 ブロンドの髪が揺れる、感情の起伏が然程感じられない点はスゥイと良く似ているが、彼女、アリイアの場合は自分で殺しているというよりは、知らないという方が正しいのだろう。


 肉体年齢としては年上の彼女ではあるが、精神年齢としては年下の彼女。そんな一人の幼い女性がそのようなヒトとして成ってしまった理由を知っているがために、何も告げる事無くスオウはアリイアの頬を撫でた。

 僅かに怪訝な色を滲ましたアリイアだが、特に抵抗する事なくソレを受け入れ、スオウは少し苦笑する。


「必要が有るか無いか、で言えば有るのだろうけれど。ルナリア王女がゴドラウ魔術師長に味方しないとは言えない」

 

 それは己を刻む魔術刻印を恐れてという意味。

 それは自国の優秀な魔術師を失うという意味。


「ルナリア王女は必須だ、しかしゴドラウ魔術師長は必須ではない。特に、後ろ盾の意思が握られているのは非情に困る」


 代替えの効く人物としての評価。

 確かに魔術師長に何か有ればカナディル連合王国としては大きな問題だ、だがルナリア王女が居なくなるよりは万倍マシである。


「それに、ニールロッドは信用していない」


 そう言ってスオウは目を細めた。アリイアの頬から手を離し、自分の目を隠す様に手を翳しため息を付く。

 相手も信用していないであろう事は明白だ、逆の立場に立てばわかる事であり、言うまでもなくスオウは不審人物だ。

 むしろ、信用していると見受けられるルナリアが異常と言える。魑魅魍魎が跋扈する宮廷で生きている彼女の内心までスオウははかる事が出来る訳ではないが、少なくとも肌を晒し、あの刻印を見せたルナリアをその程度は信用していた。


「生徒に“紹介”してもらった宮廷魔術師、幸運にも役職付きだ貰えた記憶は十二分に役に立つ」


 当日のゴドラウの立ち位置、役割、他者の位置、貴族の面子、護衛兵の場所等々……。

 そして、ルナリアへと刻まれた刻印の意味。


「アルフロッドに刻む、か。妥当ではある、が……」

「帝国から何らかのアクションがあると知っていながらその行動は腑に落ちません。折角敵意を抱かせる機会を放棄する必要性がありませんので、ブラフであると知っているか、それとも」

「そうだな……。ブラフは無いだろう、ゴドラウ師長とガウェイン辺境伯は対立している。おそらく……、なにか個人的な理由があるのか、それとも政治的な理由があるのか、まぁ……。そんなのは直接本人から奪えばわかるだろう」


 そう言ってスオウは笑みを浮かべた。

 スオウが帝国へと動く、数日前の話である。


 ○


 ――ヒトが殺されたらしい。


 その言葉一つ、噂である、しかしそれが噂で済む程度の物かどうか、生徒達は何となくではあるが察していた。

 騒然となる教室の中でライラはぎゅう、と締め付けられる様な感覚を覚えていた。


「ライラ! 取り敢えず先生の指示に従って講堂館に集まるらしいよ!」

「う、うん」

「大丈夫だって、リリス王女様もお互い自国の加護持ちなんだから大きな怪我をする様な事は無いよ」

「それは、そうだけど……、その事じゃなくて……。あ、でもそっちも心配だけど、アル君がリリス様に怪我させちゃったら……」

「あぁー、確かにそれはヤバいね」

「大丈夫かな……」


 模擬戦が行なわれている事は表向きには誰にも教えられていない。

 だがしかし、離れているとはいえど、うねる様な魔素の動き、アルフロッドとリリスが居ない状況、多少頭が回る者であれば想像するに容易い。


 やや離れた場所で指示を出す教師の声に従いライラはロッテとカーヴァイン、そしてシュシュと共に動く。


「何があったんだろう」

「わっかんねぇけどただ事じゃねぇな……」


 返事を求めた訳ではなかったが、返事を返したカーヴァインにライラは向き直る。


「スゥちゃんが見当たらないけど……、大丈夫かな」

「そういや朝から見てないな……。スオウの奴もいねぇし、一体何が起ってんだ……?」


 チ、と舌打ちをしたカーヴァイン。ロッテは不安げな表情を浮かべ、シュシュは無関心を貫いた。


「おい、お前達も早く移動しろ、あまり手間をかけさせるな」

「あ、す、すいません。直ぐに行きます」


 ぱたぱたと走り出す4人、ふとロッテはライラの腕に嵌っていた腕輪に目をやった。


「あれ……? そんな腕輪付けていた……?」

「え、これ? えっと、先生から渡されて……。ほら、アル君の事があるから、場所が分かる様にって……」


 その意味が分からない程愚かではない、問いかけたロッテは眉を顰めたが咎める程のものではないだろう。

 だがしかし、場所が分かる程度の物の割には、妙に精巧に作られており、その刻印は強制転移に近い物を感じた。しかしロッテはそちらに詳しい訳ではない。スオウなら一発でわかるのかもしれないが。


 不安気になる心を押し殺し、ロッテは講道館へと向かった。


 ○


 帝国特務強襲部隊、通称”黒狼”。そこにガスパーという男が一人所属している。

 鍛え上げられた屈強な体、肉食獣の様な獰猛な顔、その手に持つ剣で幾多の血を吸い、そして食らっていた。

 

 彼は元々帝国で指名手配されていた死刑囚である。

 殺し方は残虐そのもので、彼は素手でヒトを引き裂き、臓物を抉り出し、ただ自分が楽しむ為だけに殺していた。

 だがその殺人も長く続く事は無い、彼を捕まえたのは銀だった。闇夜に映える銀をガスパーが始めてみた時、極上の肉であると感じた。

 今までした様に嬲り、傷つけ、そして味わい、殺すつもりだった。だがそんな事は夢物語よりも甘い幻想に過ぎず、まるで赤子の手を捻るかの様に、そして無感情を表したかの様なその無機質な表情で骨を折って行った。


 ぼきり、ぼきり、と。

 

 そこに快楽もなければ後悔も無い。罪悪もなければ達成感すら無い。

 まるでそれが仕事であると言わんばかりに、ただ黙々と骨を折られた。


 悲鳴をあげても。


 泣き叫んでも。


 暴れても。


 何も変わらず、何も止まらず、そしてガスパーの半分の骨が折られた所で漸くそれは終わった。

 厳密に言えばガスパーの意識は既に失っていたため、半分の骨が折れた所で止まったのは後で聞いた話に過ぎないのだが。

 

 そしてガスパーは死刑を待つ身となった。

 首吊りか、それとも首切りか、ガスパーにとってそれはどちらでも良かった。ただあの恐ろしい銀から逃げる事が出来るのならば直ぐにでも死の国に逃げ出したかった。


 ガスパーにとって誰かを殺し、それを自分のおもちゃの様に使い遊ぶのは自分の快楽の為だ。

 だがあの銀には何も無かった、何も、そう、何も無かったのだ。まるで殺す事が壊す事が仕事だと言わんばかりに、何も無かったのだ。


 ガスパーの幼き頃、彼の親は母のみであり、物心ついた頃には父親が居ないと言うのが当たり前であった。

 いや、父親は毎日の様に家には来ていた、それは日替わりで違う父親であった。

 下層階級の女一人で子供を育てるには春を売るのが一番安易な方法であり、しかしながら幼いガスパーにそれを理解しろというのは酷であっただろう。


 美しければあるいは……、選ぶ事が出来る技能があればあるいは……。だがガスパーの母はどちらもそれなり、であった。

 

 客層はどんどんと質が低下し、母の価値はどんどんと下がって行く。

 ついには碌な行為とも呼べる様な手ではなく、ただただ悲鳴だけが聞こえる様な状況、母の、いや女の悲鳴が響く家の中でガスパーは育った。

 それが子守唄であった。


 そしてガスパーが9つの時、母の上に跨がる男を殺した。

 あっさりと、背中に突き刺した古ぼけて錆び付いたナイフはその切れ味とは裏腹に抵抗無く刺さり、何が起ったのかわからないまま驚愕の表情を浮かべ男は死んだ。

 

 母は怒った、そして嘆いた。

 自分のせいだと、自分を守る為にきっとやってくれたのだと。

 けれど、それは違った。ガスパーは母を守るつもり等無かった、その男の”出させた”母の悲鳴がイマイチであったから殺したに過ぎない。


 そしてガスパーは告げたのだ。僕が手本を見せてあげるよ、と。


 怪訝な表情を浮かべた母は、いや、もはやガスパーにとってそれは他人の女に過ぎず、そしてガスパーが満足するまで悲鳴をあげ、そしてその女は息絶えた。


 血の海の中でガスパーは恍惚な笑みを浮かべていた。


 狂った世界、狂った人生、そして最後は美しい死神にまるで路端の石のごとく扱われ、そして死を待つ身となった。

 ぼぅ、と見上げた鉄格子の外にある空は変わらずそこにあり、自分が死んだ所で何一つ変わる事が無いだろうことが予想される。


 そんな時だった、国から取引が持ちかけられたのは。 


 生存率が著しく低い特殊部隊、それに組み込み働きによっては解放してやろう、と。

 く、とガスパーは人知れず笑みを浮かべた。

 理解したのだ、全てはこの為に自分は捕らえられ、そして心を折られたのだと。


 ガスパーは恐ろしかった、故に銀から逃げられるならばどこでもよかった。

 ガスパーにはまだ薄らと欲望が残っていた、徹底的にへし折られたと思った意思がまだ残っていた。


 そして彼は帝国特務強襲部隊、通称”黒狼”へと編入され、そして――


 ――今、血だまりの上で息絶えようとしていた。


「ざ、まぁ……ねえ、な……」


 足は片足が既に無く、焼かれたかの様な後があり、目には鉄杭が打ち込まれ、そして心の臓には数秒前に自分の剣が突き刺された。

 ご丁寧に確りととどめを刺して行った訳だ、抜け目が無くて素晴らしい、とガスパーは思う。


「ごふ……」


 ガスパーを殺したのは少年だった、そろそろ青年と言うくらいの年齢だろうか。

 顔はよく見ていない、暗殺者のごとく一方的に無慈悲に、躊躇いも無くただ必要作業だと言わんばかりに殺された。


 抵抗出来なかった事に悔いが無いとは言わない。だが今のこの状況は、まるで自分にあつらえたかの様に相応しい死に方ではないか。誰にも見送られず、誰にも知られず、ただひっそりと異国の地で死に行く。

 唯一気がかりがあるとすれば一つ、少年は、黒狼の鎧を着込んでいた。


「隊長……、どうやら、俺達の死神が来た様ですぜ……、がふっ、が、がはっ、は、ははは、がふっ……」


 何をするかわからない、何をしたいのかわからない、ただ、何をされたかはわかった。

 記憶を抜かれたのだ、見られたのだ、がくがくと記憶を奪われている際、激痛と同時に痙攣する体を無慈悲に見つめる目は、いつぞやの銀を思い出す。そして放っておけば死ぬであろう存在についでとばかりに心臓へと剣を突き刺したのだから徹底している。


 少年の足音が遠ざかる、それは死に行く為に聴力が落ちているからかもしれないが。


 目から色が消える、力がするすると抜けて行き、目蓋が重く、意思が明滅を繰り返す。

 空が見えた、変わらぬ空が、帝国でも、王国でも、何も変わらぬ空が。


「……」


 そしてガスパーは死んだ。


 ○


 銀が、フィーア・ルージュが戦場へと舞い降りる数刻前。

 帝国が誇る特殊部隊、黒狼は戦場となる草原のやや離れた場所、雑木林の中でひっそりと息を潜めていた。

 人数は50も居ない程度だ、全員が黒い漆黒の鎧を纏い、統率された姿勢で待機の指示を受けていた


 犯罪者等の集まりではあったが、故に彼らは力には律儀に従う。

 強いものを見分ける能力が高いというべきか、あるいは強いものに付く事の意を知っているというべきか。


「半分は反対に回れ、もう半分は俺と一緒だ」


 そして指示を出すのは一人の男だ、人数が少ない状態で隊を分けるのは愚の骨頂ではあるが、剣の一本でも届けばこちらの勝ちなのだ。

 セレスタン辺境伯の兵士を掻き分けてあの巨漢に一撃を? 選りすぐりの傭兵で固めている護衛を掻き分けてルナリア王女に一撃を? 

 普通であれば絶望的な状況だ、ただの捨て駒だ、だがしかしそれが捨て駒とならない可能性を持った者がそろそろ来ることを黒狼の隊長、カール・ブラルハムは知っていた。


 ちらり、と上空を見る。予定の時刻まではまだ時間がある、だが上空に見えた黒い点が急速に大きくなっているのを確認してカールは眉を顰めた。


「――ッチ」


 舌打ち、同時に土埃が舞う、粉塵が辺りを覆い視界を埋め尽くした。ヒトが落ちたとは思えない様な音が辺りに響き、遠目に舞うのは銀の髪。

 嘶きの様なワイバーンの泣き声が僅かに響く、それは戦の始まりの咆哮の様にも聞こえ、漆黒の鎧を着た仕方が無いとでも言いたげに男は薄く笑う。


「おいおい、予定より早いんじゃねぇのか? 張り切り過ぎだぜ4階級」


 遠視の魔術によって視界を広げたカールは戦場の中心に立つ銀、フィーア・ルージュを見た。

 まるで機械の様なその顔にぞくり、と体を震わせたが、幸運にもアレは敵ではない。


「おい、準備しろ、別働隊は急げ、走れ走れ走れ! 同時に仕掛けるぞ。標的は二つ、ルナリア・アルナス・リ・カナディル、そしてセレスタン・ブラムハルト・ボドヴィッドだ。他の連中は死滅に投げろ、いいな」

「た、隊長、そんな無茶です、あんな所に行けま――」


 実際にその状況を認めた為だろうか、必死に耐えていた緊張が切れたというべきか、あるいは、4階級が来たのならば少しでも遅く出れば安全でないか、と考えたのだろうか。その考え、その提案は当然とも言える。だがしかしこの場ではそれは正論ではなかった。

 ドン、と剣が突き刺さる。剣を抜いたのはカールだ。その剣は声を発した男の鎧を突き破り血肉をかき分け背へと突き出た。剣は吹き出した血に濡れて、その血はぽたり、と地面へと滴り落ちて濡らした。


「うるせぇよ、てめぇらは兵士だろう? 兵士は了解ヤーしか言えねぇんだよボケ」


 ぶん、と振り払い死んだ部下を地面へと放る。


「ガタガタ抜かしてんじゃねぇ。お前らは取引をしたんだろう? 死神と取引をしたんだろう? その取引は死に場所を決めるだけで死ねないって選択肢はねぇんだよ。生きたいんならぶち殺せ、世界中から敵が居なくなればあるいは死神も自由をくれるかもしれないぜ?」


 そして血糊を払い、再度告げる。


「行け! 作戦を遂行しろ!」

了解ヤー


 漆黒が駆ける、草原へと向けて走る、それはただ死にに行く為の様にも見えた。

 しかしカール達にとってこの程度の戦場は慣れたものだ、これは宣戦布告なのだ、帝国からの宣戦布告、戦線を拡大する意味など知らない、だがしかし兵士はそこに意味など必要としないのだ。ただ剣を持ち、そして敵に振り下ろす、それだけできれば十分なのだから。


 剣を抜く、二双のカール、その名に相応しい様相で剣を構え、獰猛に笑う。

 戦場だ、血と、魔術によって焼けた肉と脂、絶望の悲鳴と嘲笑の喝采、地獄の蓋がゆっくりと空いて、力が全ての世界が始まる。

 単純で簡潔でとてもわかりやすい構図だ。強い者が生き、弱い者が死ぬ、迷う者は死に、貫く者だけが生き残る。

 

 ヒトの欲の全てが戦場に有る。


「……いくぞ、遅れるなよ”ガスパー”」


 そうしてカールはやや後ろに立っていたフードを被った”青年”に声をかけた。

 声をかけられた青年は、そのフードからやや覗いた黒い髪を揺らし、


「あぁ、勿論だ隊長」


 そう言って口角を吊り上げた。


 ○


「――何故誰も気が付かなかった」


 苛立ちとともに発した言葉、ゴドラウは自分が気が付けなかった事を他所においてそう部下に告げた。

 しかしながら、哨戒任務に当たっている訳でもないゴドラウ、いくら最高峰の技術を持つとはいえどゴドラウに気付けというのは厳しいものがあるかもしれない。


 だが加護持ちの魔素を逃すのは致命的だ、その速度が故に気が付くのが遅れたとも言えるのだが。

 一応報告は来ていた、あり得ない速度で近づいている巨大な魔素がある、と。

 報告されてから1分と経たずに轟音が草原へと響いた訳だが。 


「この状況では刻印は刻めん、隊を編制し直せ。防衛陣営、参列一斉射出儀式魔術を用意しろ」


 ゴドラウは直ぐに指示を出した、指示を受けた部下は深々と頭を下げて指示に従う。


「(姫様の安全を確保する必要が有るな、これではリリス王女にまで刻む余力が出るかわからん。ならばルナリア王女に死なれては困る)」


 加護持ち二人に宮廷魔術師が一級装備で揃っている。故に負ける事は無いだろうとゴドラウは考えていた。

 そして念の為に”アルフロッド”が本気を出す為に餌も出してやる事にした。


「餌を出せ、アルフロッド・ロイルに宮廷魔術師100人に加護を与える様に告げろ」

「は、了解しました」


 同時に、ヴンと低い音がゴドラウの掌の上に響くと半透明の円形の術式が起動する。魔方陣だ。


「私は姫様の護衛に当たる。お前らはここを死守せよ、セレスタン辺境伯には別で通知を与えろ。辺境伯の事だ、わかっているとは思うが同時に襲撃が有る可能性がある」

「コンフェデルス側の賓客はどうされますか?」

「無視しろ、数名死んだ方がコンフェデルスも本腰を入れるだろう」

「し、しかし賓客に犠牲者が出たとなればこちらの責任問題に……」

「ならんよ。コンフェデルスにもガウェイン辺境伯と手を切りたがっている連中も居るという事だ」


 その言葉に目を見開く部下を横目に、ゴドラウが片手に展開していた魔方陣は地へと降り、体を覆う程の大きさへと展開した。

 発光、そして陣が回転、それは転移系の魔術だ。短距離転移とはいえど、無詠唱でそれを行なうゴドラウの技術は流石というべきであろう。


「(予定よりも早い、いや、アルフロッド・ロイルが粘ったというべきか。まぁこれはこれで良い、帝国の加護持ちを退けた後ゆっくり刻むとしよう)」


 ゴドラウは負ける、という考えを全く持っていなかった。

 フィーア・ルージュの脅威はゴドラウも理解している。加護持ちなのだ、その脅威は誰よりも理解している。

 それでも負けないと自負しているのはその為に準備をして来たからこそであり、そしてここでフィーア・ルージュを退けられれば、あるいは殺せれば加護持ちは互いに同数となり、勝ち目が見えてくる。故に決意という意味合いにおいて負けない、では無く、負けられない、という意思が現れていた。

 もしここで帝国の加護持ちを落とせれば精霊国ニアルとの不可侵条約など締結しておく必要等無くなるのだ。

 そうすれば加護持ちに直接刻印を刻むという行為を態々隠す必要も無くなるだろう。当然市民に説明する理由は別に必要となるだろうが。


「兎も角、ここで負ける訳にも行かんのでな」


 ぼそり、とそう告げてゴドラウは数名の部下を引き連れ転移した。

 歪む様に揺れて変わる風景、一瞬にして数百メートルの距離を移動したと同時に周囲から向けられた視線を軽く手を挙げて抑える。

 

 転移した場所はルナリア王女の真横だった。


「ご無事で何よりです姫様」

「御心配なくゴドラウ師長、優秀な部下を持っていますので、そちらの部下の指示は宜しいのですか?」

「構いません、彼らも自身の役割を理解していますから。差出がましいかとは思いますが、姫様の護衛に付きますのでご容赦を」

「……そう、ではお願いします。丁度こちらもヒトを学院にやった所で困っていたものですから」


 その言葉にゴドラウは僅かに眉を顰めた。


「学院、ですか」

「えぇ、ちょっと問題が起きまして」


 僅かに顔を曇らせたルナリア。それも当然だ、部下が死に、生徒が死に、そしてそれをやった者に予想が付くとくれば眉の一つでも顰めたくなる。

 その様相にゴドラウは傍に居た部下へとルナリアに聞こえない様に声をかけた。


「(どう言う事だ)」

「(申し訳ございません、臨時講師として動いている者から報告がある筈なのですが、どうやら生徒に捕まっており把握出来ていない様です)」

「(何をしている、貴様らは仕事もまともにできないのか?)」

「(直ぐに確認致します、大変申し訳ありません)」


 ふん、とゴドラウは鼻を鳴らし、そしてルナリアの視線に気が付き直に温和な笑みを浮かべた。

 その演技にルナリアは内心で嘲笑を送るが互いに表情に出す事は無い。


「なんでしたらお教え致しましょうか、師長?」


 ルナリアは微笑みながらそう告げた。そこに裏は無い、ただの親切心だ。


「おや、それは有り難いですな姫様。申し訳ありませんが教えて頂けますでしょうか」

「学院で私の部下と生徒が一人死亡したのですよ。丁度この状況での事件ですから念の為生徒達は全て講堂館に集めるそうです。外部からの魔術的干渉を避ける為に教師達が結界を張るので取り敢えずは大丈夫でしょう。こちらからも数名送りましたし」

「――ッ」

「……どうされましたかゴドラウ師長、顔色が悪い様ですが?」

「いえ、まさか神聖な学び舎で殺人が起るなどと思いまして……」


 ゆっくりとゴドラウは顎を撫でた。ルナリアの目が細まり、ニールロッドが片目を僅かに歪ませる。


「(まずい、結界が成れば転移が発動しない可能性があるな……)」


 ちらり、と遠目で動く3人の加護持ち、現在状況は拮抗している。波打つ様に揺れる魔素の揺らぎはこれだけ離れているというのに居るだけで恐怖感が沸き上がる程だ。次元の違う存在が3名ここにいる。命の危機を感じない訳は無い。


 現に数名の貴族は慌てふためき狼狽し、みっともなく喚き散らして我先にと逃げ出そうとしている。それを抑えているのは宮廷魔術師であり、近衞であった。流石というべきなのはセレスタン辺境伯か、獰猛な笑みを浮かべ、連れて来ていた配下へと指示を出し、臨戦態勢をとっている。同様に目の前に立つルナリア王女も流石というべきであろう、狼狽もせず、慌てもせず、焦りもせず、ただゆったりと椅子に座り、楽し気とでも言える程の表情で加護持ちが争う戦場を眺めていた。


 だがそれでは少々都合が悪い、ゴドラウは手をかざし、一言告げた。


「姫様、ライラ・ノートランドを連れて来て頂けますでしょうか?」

「……そう、わかりました」


 意味は理解した、とばかりにルナリアは微笑んで答えた。後ろに立つニールロッドは目を見開き、ゴドラウとルナリアを交互に見るが、命令に従わないという選択肢は無い。ルナリアがニールロッドへと指示を出そうとした所で、別の部下がルナリアの傍へと駆け寄り、告げた。


「姫様! 早急にこの場を離れて下さい! 帝国の特殊部隊が現れました!」


 その言葉に反応したのはルナリアだけではない。だが一番行動が早かったのはルナリアであった。来たか、という思いと同時に彼女はニールロッドへと指示を出す。


「ニールロッド、3番右翼の陣! アルヴィンとエミールを寄越しなさい!」

「了解でさぁッ!」

「申し訳ありませんがゴドラウ師長、私はこれより愚かな侵略者と無法者に鉄槌を与えねばなりません。ライラ・ノートランドを使って何をするか予想は付きますが「姫様! お急ぎください!」――まぁ、お任せ致します」


 そう言ってルナリアはゴドラウに背を向けて、歩き出し、


「(小娘が……、仕方が無い、”無理矢理”聞いてもらうと……む?)」


 フードがひらり、とゴドラウの視界の端で揺らいだ。


 ○


 空が青いのは誰もが知っている事である。

 だが、その青というのは一体何を基準とした色なのだろうか?


 白は? 黒は? 黄は? 赤は? 一番最初に教えてもらった時、この色が白である、この色が黒である、この色が黄である、この色が赤である、と教えられたからそれがその色だと判断しているのではないだろうか?


 けれど、それは本当に同じ色を見ているのだろうか?


 リンゴは赤い、その赤は本当に赤なのだろうか?

 隣人と同じ色を自分は見ているのだろうか? 産まれたときからその色はその色であるとしか認識出来ていないのであればそれは赤で変わりはなく、赤なのだろう。


 詳細に説明すればどうだろうか? 赤は黄色を薄くして、青をややいれた色、けれど全てが最初からその認識であったのであればその説明に意味はあるのか?


 要するに、ヒトとヒトの認識力の違いというのはもしかしたら根本的に違うかもしれないのだ。

 ヒトの脳はとても有能でありながら無能でもある、多少の違いの補正を行い、認識を改善させる。脳とは絶対的な記憶装置ではないのだ。


 デジャブという言葉を知っているだろうか? 実際は一度も経験していないのにも関わらず、どこかで経験したかの様な感覚に捕われる事だ。

 そこに違和感は存在するが、思い出せない、というレベルの物でそもそもがその記憶が間違っているという物ではない。


 するり、と入り込んだ違和感と言う名の異質の記憶。

 スオウの力は記憶を植え付ける事は出来ない、だが記憶をすり替える事は出来る。

 

 ガスパーは金髪であり、30程の男であり、悪癖があり、女性を嬉々として殺す。

 スオウは黒髪であり、10代の少年であり、知的探究心が高く、平気でヒトを殺す残虐性も持つらしい。


 黒狼の認識だ、そう、認識であった。

 スオウはそれを入れ替えた、最初は一人、次はその紹介を受けて二人、三人、四人、気が付いた時にはスオウはガスパーとなっていた。


 だがしかし違和感は付きまとう。

 ガスパーはこんな顔だったか? こんな仕草をしていたか? こんな戦い方をしていたか?

 違和感は入れ替えた記憶を修復して行く、治して行く、そして決定的な何かを自覚した時、その幻覚とも言える現象は終わりを迎える。


 トン、と地面へと降り立ち、剣を構えた時にカール・ブラルハムはその違和感に気が付いた。

 いや、最初から何かおかしいと理解していたが為、自分の傍にガスパーを置いていたのだ。


 いつからおかしかったのかは覚えていない、だが途中から違和感は酷くなり、そしてついに今隣に立つ男が、いや少年が、ガスパーではないと明確に意識出来たのだ。


「てめぇ……、誰だ?」

「なんだ、割と頭が回るのか、馬鹿だらけかと思ったが優秀な奴もいるんだな」


 そして剣が舞った。迷う事無く一撃必殺、首元に振り下ろされた剣は捻った体と同時に切り上げた剣でその勢いを殺した。


「あまりここで時間をとられたくは無い、さっさと死んでくれ」

「おいおい、巫山戯た真似しておきながらその言い草たぁ、舐めてんのか? ……ガスパーはどうした?」

「直ぐに会えるさ。それに、兵士に質問は不要だろう?」


 そうして目の前の少年は滑る様な速度でぬるり、と動き、掬い上げるかの様に剣を振り上げる。

 強い、カールは目を見張る様な剣戟にそう思い至る。この年でこの練度は異常としか言い様が無い。そもそもの異常、なにをして、どうやって潜り込んだのかは不明だ。しかし、この相手は敵である。であるならば、切るだけだ。


 ギン、と鉄と鉄がぶつかり火花が散る。


「二双は……、いらんな。アリイアの技と干渉されても困るし、時間も無い」

「あ"ぁ?」


 少年の言葉に苛立ちを隠そうともせず、二つ名の通り、もう一本の剣を少年からの剣戟を避けて抜き放つ。子供に負ける程耄碌したつもりは無い。

 構えをとり、そして振りかぶろうとした所で、銀線が舞った。ぶれた剣先、一瞬の後で引かれる銀の線。そしてゆっくりと流れる時間の中でミチミチと聞こえるこの異質な音は身体強化の重ねがけ、ゆっくりとゆっくりと剣が迫る、子供の腕とは思えないほど盛り上がった腕は暴虐とも言える程の威力を明確に示し、死を明示していた。


 暴風、まさにその名に相応しい程の一撃をカールは今までに無い程の集中力を持ってして、その一撃を防いだ。だがその衝撃は収まらず、支えた剣の腹ごと叩き上げ片腕が完全にあがってしまった。


「(冗談、じゃねぇぞッ。餓鬼の腕力じゃねぇ)」


 ミチミチと鳴る腕を無視し、慣性を強引に自身の力でのみ無視したカールは上げられた腕とは別の手、もう片方の左手で迫り来る連撃に対するべく剣を剣閃の前へと出す。二双とは両腕を持ってして自在に剣を操る事を指す。

 剣をただ二本持つのとは意味が違う、それぞれが意志を持ったかの様に自在に動き迫るからこその二つ名。そして両腕が利き腕であるカールにとってその翳した剣に込めた力は”それなり”、であった。しかし――


「ぐぅッ」


 ギンと音が3回鳴った。火花が目の前で散って防げた事を示した。一瞬で三撃、衝撃は腕へと伝わり、痺れによって剣が思う様に動かない。


「ふっ」


 目の前の少年が僅かに息を付いた、一瞬の間でもあり、一撃を繰り出す為の前動作。それをカールは隙と見て痺れた腕を強引に引き寄せ、足を動かし回り込む様にして蹴りを放つ。剣戟の最中、疎かになるであろう足への襲撃は通常であれば状況を打開する一撃となったであろう。だがしかし、その一撃は予想されていたかの様に躱され、そしてその襲撃によって伸び切った足へと剣が振り下ろされた。


「ぐッ――、らぁッ!」


 ミシ、と脇から嫌な音がした。強引に捻った体はその行動に悲鳴をあげて異常をかき鳴らす。だがそうでもしなければ自分の足は二つに分かれていた事だろう。ギリギリで通過して行く剣閃はカールの足甲の表面をかすめ地面へと落ち、そして跳ね上がる様にして上へと切り込まれた。


 目を見開く、もはや躱す余裕も無くカールのふくらはぎがざっくりと切られた。激痛よりも驚きが大きい、2手、いや3手先、4手先まで読んだ一撃。明らかに”戦い慣れ”している。自分の半分も生きていないであろう子供が、だ。


「しぶとい」


 告げられた言葉に暖かみなどある筈も無く。カールは僅かに笑った。

 舐めていた、侮っていた、この目の前に立つ少年は自分と”同類”であるのだと、今気が付いた。


「く、くはは。同族殺しか、久しぶりじゃねぇか、楽しくなって来たぜ」


 流れ出る血は地面を濡らし、激痛が漸く頭へと届く。だがそれ以上に高揚が全身を包み、肉体が活性化して行く。

 眉を顰め、こちらを見た少年にカールは再度笑った。


「同族、だと?」


 声には困惑が混じっていた。


「この数週間”仲間”であったであろう奴らを何の躊躇いも無くぶち殺せるんだからよぉ、同族じゃなくて何だってんだ? 生粋の殺し好きだよてめぇは。それとも下衆だらけだから殺せるってか? そいつはチゲェな。下衆かどうかなんて価値観なんざ”ソレ”を決定づけるモノじゃねぇ。所詮自分を正当化させる為だけの自慰行為だ、誰かを殺し、そこに後悔も躊躇いも無く、作業として行なえるお前は俺達と同じくヒトを殺して生きる人で無しに過ぎねぇのさ」


 ひらり、とカールは両手に持った剣を振って肩を竦めてそう告げた。

 少年は、スオウはその言葉に僅かに笑った。カールはそれに眉を顰めた。そしてスオウが放った言葉は何処までも平坦だった。


「で? 辞世の句はそれでいいのか?」


 カールは僅かに目を見開き、そして口角をコレでもかと吊り上げ、そして笑った。


「ハッ、餓鬼にやられるほど落ちぶれてねぇよ!」


 簡易的な治癒魔術を発動しているとはいえど、所詮は傭兵が仕方が無く身につけた様な粗い技術。未だ流れ続け、痛みを発する怪我を物ともせず、カールはスオウへと踏み込んだ。そして剣がうねる、まるで両腕が二匹の蛇と化したかの様に自在に動き、スオウへと迫る。


 2対1と言うべきか、その状況でスオウは後ろへと飛んだ。


「逃げるか!」


 一歩先へ、スオウへと追いすがるカール。そしてカールは踏んだ、スオウの居た場所を、スオウが立っていた中心を。


「あ?」


 鉄杭が刺さっていた、カールが立った場所を中心に6点、それが陣を描いていた。

 陣が発動する、魔方陣が、淡い光が光ると同時にカールは全身に走る衝撃に身を硬め、自身の失策と迫る剣閃と来るであろう激痛に覚悟した。


 腕が飛んだ。


 問答無用で腕ごと切り落とされた。


「くそ……、が……」


 宙を舞う腕を一瞬眺め、その一拍の隙に少年はもう片方の腕を軽く振り、カールは腹に灼熱を感じた。

 そこに油断も隙もなく、ただ淡々と作業を行う殺し屋がいた。


 ぐり、と内蔵をかき回される様な感覚、ごふ、と口から漏れ出る血は致命傷である事を示した。


「さて、一本借りて行くぞ」


 そして地面へと崩れ落ちたカールに目もくれず、既に力が抜け手から転がり落ちていたカールの剣を拾い少年はその場を後にした。

 ゆっくりと目蓋が落ちて行く、遠くに部下の声が聞こえる、ぎちぎちとカールは自分の歯が鳴っているのに気が付いた。

 それは恐怖ではない、憤怒だ、まるで相手にされなかった事が、通過点の一つに過ぎなかった事が、カールのプライドを酷く傷つけた。


 ごふ、と血が口から零れる。確実な致命傷、だがしかしカールは死ぬつもりは無かった、血に濡れた口元でカールは壮絶に笑った。


 ○


「さて、予定通りゴドラウはルナリア王女の近くに居るかな? 他だと探すのが面倒なんだが」


 トン、と宙を蹴り上げる様に疾走したスオウは血に濡れていた剣を振り払い、鞘へと収め先を急ぐ。


「”副師長”! 戻られましたか!」


 声がした。その声にスオウは零れる様な笑みを浮かべ、そして告げた。


「あぁ、直にゴドラウ師長の所に案内してくれ、何分緊急を要する状況だ、頼んだよ」

「……? 副師長? 剣など使われたのですか……?」

「あぁ、これは自分が使う物ではないよ、ルナリア王女の傭兵に渡そうと思ってね」

「そ、そうですか。失礼致しました!」


 しきりに首をひねる宮廷魔術師にスオウは再度笑みを浮かべた。今度の笑みは嘲笑だった。

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