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月蝕  作者: 檸檬
3章 加護と加護
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虚構の世界に立つ夢幻6

 純白のシーツ、パン、と音を鳴らし皺を伸ばした後に物干し竿へと掛けた。背の高さが足りず、爪先で立ったせいかバランスが危うい。

 ふらふらとする手元をなんとかかんとか抑えながら、シーツを無事干せた少女はほっ、と息を一つ吐き、籠に残る次の干し物へと手を伸ばした。


 燦々と照りつける太陽はじりじりと気温を上げて行き、絶好の洗濯日和になる事は間違いない。洗濯は終わっているので物干日和だろうか。

 自然と頬が緩むのを感じ、パンッ、と次はシャツを1枚皺を伸ばした。


 少女の名はメル、コンフェデルス連盟より救助という名の拉致をされ、今はカナディル連合王国クラウシュベルグ、メディチ家系列の孤児院へと住まう子供であった。


「メルー、そっちが終わったらお昼ご飯のお手伝いをして頂戴ー」

「はーい!」


 既に絶望に濡れた顔は無く、ただ年相応の笑顔がそこに有った。

 

 今日は久しぶりに先生と食事が取れる時間、最近になってまた忙しくしている先生だけれど、ここに来てからは随分ゆっくりと時間が流れている様な気がしていた。


 子供は敏感だ、大人の些細な変化にも気が付いて様子を窺うように身の置き場を考える。特に異質な空間に居たメル、そして片割れのセオ、両者ともその感覚は人一倍高かった。来たばかりの頃等、先生、つまりアイリーン・レイトラ以外の大人に近づこうともしなかった程だ。


 だが今の彼女達にその面影は無い、いや、無い様に見せているというべきなのだろうか。

 目の前で犠牲になった友を忘れた訳ではない、現にセオはやや狂ったかの様に訓練に打ち込み、先生とメルは自分が守る、と一心不乱に剣を振っている。メルとて同様だ、本来であれば手に入る筈も無い高価な魔術書を毎日の様に読んでいる。先生はそれに眉を顰めるが、メルにとって必要な事だった。


 平和な世界、平穏な時間、自分の命が自分のものであると実感出来る時間。けれどもふとした瞬間に思うのだ、もっと早くにこうなっていれば、と。そして同時に、もう二度と離す訳には行かないのだ、と。


 孤児院の中に入るとシチューの匂いが鼻に届き、きゅるきゅるという小さな音が自分のお腹から鳴ってメルは少し顔を赤らめた。

 孤児院は木と一部にレンガを使用した大きな建物だ、メルが世話になっているこの孤児院はクラウシュベルグの中心街からやや離れた位置に存在しているが、その敷地面積は広い。建物自体もかなり立派である、流石に貴族の建物と比べるとアレだが、孤児院としては破格だろう。


 メルが知る事は無いが、この孤児院、実は他領土からの子供も世話を見ている。押し付けられているとも言うが、そこはカリヴァ、当然対価はもらっている。子供を買う、人身売買はカナディル連合王国では認められていないため、食料や調味料、衣類などで孤児院に寄付という形になっているのだが。


 当然暗い部分も有る、住み良い場所へ移動する領民に対して、クラウシュベルグ領は不当な方法で拉致していると発言する貴族が居ない訳ではないのだ、故に、領地に入る前に強制的に還されるか、……その場で殺されている者も居た。


 絶対的な平等等無い、世界は不平等の上に成り立っている。そう言う意味ではメルとセオは運が良かったと言えよう。

 たとえ仲間がセオ彼女メル二人だけ残して全て死に絶えていたとしても。

 

「メル、そこのシチューをよそって机に並べたらセオを呼んで来て」

「はぁーい」


 孤児院には毎日手伝いにくる母代わりのお手伝いさんと、数日代わりで来る料理人が居る。前者は管理者として長期滞在出来る者が、後者は見習いの料理人がバイト感覚で来ている。両方当然クラウシュベルグ領から金は出ていた。

 

 貧困層が限りなく少ないクラウシュベルグならではの方法だ。これで孤児の方が裕福な生活をしているとなれば不満が出る部分もあっただろう。当然他領土で比較された場合その限りではないのだが、当然カリヴァも善意だけではない、“使える”人材を育成する為に先行投資しているのは言うまでもないだろう。


「先生と何話そうかなー……」


 とてとてと危なげにシチューをよそった皿を机の上に並べて行く。現在この孤児院に居る子供は総勢で50名を超える。

 その中には死霊の森でアルフロッドに親を殺された者も居る、が、それを知る者はここには居ない。

 同様にオロソルの屋敷に忍び込んだ際にスオウが始末した護衛達の子供も居る、同様にそれを知る者はここには居ない。


 綺麗に並べられた皿を見てメルは微笑んだ、暖かな食事、最初にそれを食べた時涙が流れた。知らぬ大人達、血の匂いが漂う馬車の中、自分達を抱きしめて殆ど眠らず周囲を警戒していた先生。地獄を知らぬ者は地獄であると理解する事は出来ない、だが天国を知れば地獄を知る事が出来る。後に地獄から地獄へと行くのだろうとあの時思っていたのだとすれば、それは大きな勘違いであったと今では思う。


 先生は何か思う所がある様だが、メルにとってはここは天国であった。友が居なくなった、隣で笑っていた仲間が居なくなってしまった、それは確かに喜ぶべき事ではない。メルは知らないが、彼女はたまに泣きながら寝ている、それをアイリーンが泣き止むまで撫でている。

 深く残る傷跡は時間が解決するしかないのだ、長い長い時間をかけてゆっくりと癒して行くしか無い、幸運にもここにはそれを協力してくれる者が居るのだから。


 皿を全て並べ終わったら二階で騒いでる子供達に声をかけ、そして庭に行く、庭では数人の男の子がかけっこをしており、そしてその隅では一心不乱に剣を振るうセオが居た。


「セオー! ご飯だよ!」


 声と同時に振り返るセオ、が、メルは声をかけておいてなんだが既にセオから視線を外していた。

 セオの奥、孤児院の入り口側に緑の髪を揺らした優し気な顔をしたエルフの男性が一人、そして彼が手に押すのは簡易的な車椅子。見慣れた疲れ切った顔ではないがそれを見間違える事は無い、目線が合う、微笑みを浮かべた白髪の女性、アイリーン・レイトラにメルは駆け寄った。


「先生! それにログさん! おかえりなさい!」

「えぇ、ただいまメル。それにセオも」


 先生に抱きついて声をかけたメル、いつの間にかセオも傍に来ていた様だ。エーヴェログに警戒の色を見せているが、それに対してエーヴェログは軽く笑う。


「それでは私はこれで、いつもの時間にまた迎えにあがります」

「……いつも申し訳ありません。ですが私一人でも問題ありません、さして距離もありませんし」

「申し訳ありませんが主人のご命令ですので、貴方もご自身の立場を良く理解して頂かなければ。我々とて立場がありますし、善意だけではない事は良く理解しているかと思いますが」

「……えぇ、そうでした。わかりました、宜しくお願い致します」


 では、と軽く頭を下げたエーヴェログはその場を去って行った。

 残された三人、アイリーンは寂しく笑い、メルは不思議そうに眺め、セオは変わらず不機嫌顔だ。


「……なんだよアイツ、先生に向かってさ!」

「セオ、そう言う言い方はやめなさい。お世話になっている方よ」

「そーだよセオ、それとも先生がとられそうで嫉妬してるのー?」

「ち、ちげーよ! 俺はだな、先生の事を思って!」

「はいはーい、先生、今日はシチューなんだよー」


 キィ、と小さな音を鳴らしてメルが車椅子の取っ手を掴み前へと押し出す。そこには暖かな団欒があった。


「ねぇそういえばログさんって言えば、先生、あのおにーさんはまた来るかなー?」


 びくり、と先生が震えたのをメルは気が付かなかった。


「えぇ、そうね……。また冬になったら来ると思う、わ」


 ――メルは思う。

 

 誰もが信用出来なくて、誰もが敵に見えて、全てを恨んで部屋の隅で踞っていた時、助けてくれた黒髪のおにーさん。

 くしゃり、と撫でられた温もり、それを覚えている。先生の次に大好きなおにーさん。


 笑顔を浮かべているメルにアイリーンは知らずに顔が引き攣っていたのを感じていた。


『少々改竄をしておいた、心的外傷後ストレス障害における最良の治癒方法はフルオキセチンとパロキセチン、いや、ここではそういう物は無いからな。言ってもわからないと思うが、セロトニンの再吸収を抑制させた、暫く通えば多少の効果がある。ついでに酷い物は抜いておいた、改善が早まるだろう』

『――ッ! 貴方何を!』

『押しつけに過ぎないのだろうが、どうかな、所詮は感傷か。善意か、あるいは君の効率を求めたのか、最近は自分の意志が明確ではなくてね。まぁ、いいさ失礼するよ。働きに期待している』

『ま、まて!』


 思い出すのはあの少年の言葉、得体の知れぬ少年。だがしかし確かに彼が来てからセオとメルは元気を取り戻した。

 まるで魔法を使ったかの様に、洗脳かとも思ったが、その様子は無い。だが得体の知れぬ事をされた事には変わらない、ギリ、と奥歯を噛み締めた。これでは人質の様なものではないか……。目を瞑る、そして開くアイリーンは軽く頭を振って意識を切り替えた。


 ○


 ストムブリート魔術学院


 コトリ、とグラスがテーブルの上に置かれた。窓からさす光を僅かに反射しながら中に入る果実水を透過しテーブルの上にゆらゆらと揺れる朧げな光を落とす。つ、とグラスの縁を指先でなぞったルナリアは視線をずらし周囲を見渡した。


 ストムブリート魔術学院の一角に設けられた会場の中、“準備”が整うまでの時間つぶしとばかりに料理と飲み物が置かれた広場だ。

 時間つぶしとは所詮ただの適当な言葉に過ぎず、実際は他国から来ている、この場合はコンフェデルス側の使者との交流を計り、普段は会話する事の出来ない宮廷魔術師と学生が歓談する場とも言えよう。名目は査察だ、体裁を保つ必要もあるという事だ。


 とはいえ、ルナリアに直接話しをしてくる様な剛胆な生徒は居る筈も無く、同様に周りの者も話させる筈も無く、定型と化したコンフェデルス側の使者と簡易的なやり取りを済ませたルナリアは現在、王の代理として来ているゴドラウと話しをしていた。


「どうですか姫様、妹君の晴れ舞台ですよ」


 少なくとも楽しい会話ではなかった、が。


「……ゴドラウ魔術師長、ご無沙汰しております。随分と大仰な人数と装備ですね、今から戦争でも始めるおつもりですか?」

「それはもう、何か有ってからでは遅いので、姫様の身の安全を守るのも私の仕事です。出来れば近衛も付けて欲しかったのですが」

「御心配ありがとう御座います、ですがそれなりの腕利きを揃えておりますので、表も、“裏”も」

「その様ですね。しかし言い得て妙ですなぁ。戦争、戦争、確かに彼らは一人で戦争を起こせる存在だ。そんなのが野放しになっているのは恐ろしいと思いませんか」


 60近い初老の男性、しかしながらその佇まいは老いを感じさせる事は無い。

 未だ黒い髪を後ろへと撫で付け、温和な笑みを浮かべつつもその目は冷徹な色を宿す。

 宮廷魔術師長ゴドラウ・オードリヒ・エルツィア、現在のカナディル連合王国における魔術のトップである。ストムブリート魔術学院におけるゼノ学院長が学問での長だとするのならば、彼は武力としての魔術組織を束ねる者、当然、所属は国である。


 ルナリアはゴドラウの表情をちらりと見て、泡立つ肌を必死で押さえつけていた。同時に沸き立つ殺意も含めて。

 トラウマ、彼女とてヒトである。幼き頃に受けた虐待に等しい刻印を刻み付ける行為は今も鮮明に記憶に残っている。故に彼女はゴドラウを苦手としていた。それは恐怖ではない、今の瞬間にでも殺してしまいそうになる自分の感情を抑制する為に労する労力の事が原因でだ。更に言えば、王の、父の手足であるという意味も含めて何を考えているのか常に探る必要が有る。当然顔に出す事はないのだが。


 ルナリアが沈黙を貫くのを見てゴドラウは僅かに笑い、話を変えた。


「しかし、中々楽しみですな、加護持ち同士の争い等十年と少し前のスイル国の国境で見たきりですから。私の部下も少々浮き足立っておりますよ」

「随分と余裕があるようですねゴドラウ、まるでサーカスの見せ物を見に来ているかの様です」

「何を仰られます姫様。見せ物である事に相違等無いでしょう? 彼らは強く、そして従順であれば尚良い、それを知らしめる為のモノでしょう?」

「……コンフェデルス側の賓客は彼らで全てですか? 思ったより少ないのですね」


 意識的に話をそらしたルナリアはテーブルに置いていたグラスを持ち、一口、口に含みながらゴドラウを見る。

 ライラ・ノートランドを礎とするならば、コンフェデルス側も噛みたいと考えるのが妥当、しかしながらコンフェデルス側の使者は予想していたよりも少なかった。これから予想されるのはその行為がコンフェデルス側の総意では無いという事か、あるいはカナディル連合王国の、父の独断という事か。


 しかし前者も後者も決め手に欠ける、僅かに寄った眉、口の中の果実水を飲み込んだ。


「自国の戦力を無闇矢鱈と見せても意味が無いでしょう、むしろコンフェデルス側の加護持ちを見せて欲しいくらいだと思いませんか姫様」

「そうですね」


 コンフェデルスの加護持ち、8階級イミステインの所持者、クルト・ヴィンス。制定の力を持つ彼はその力、制定ルールを制御する。彼の力は加護持ちの子ともいえる存在を作る事だ、一点の力を加護持ちと同等とする代わりにどこか一点を欠点とする、制定ルールだ。まるで道具の様に作り続ける日々なのだろう。数年前に会った時は母代わりでもある女性にべったりだった、大量の刻印が刻まれた直径数十センチもある鉄棒に囲われた鉄籠の中ではあったが。


『ママ、ママ、褒めて褒めて、僕、今日もちゃんとやったよ!』

『ええ、良い子ねクルト、本当にいい子。明日も頑張るのよ』

『うん! 僕頑張る!』


 目を閉じた、彼は“20と少し”であろう青年だった。幸福を知らなければ不幸を知らず、不幸を知らなければ幸福を知らぬ、閉ざされた世界であれば閉ざされた世界しか知らぬ。それが幸福か不幸かは他者が決める事であろうか? 本人がその世界で完結し、そしてそれが幸福だと言うのなれば、それは幸福であるのだろう、と。

 どちらにせよ他国の事情、自分の関与する所ではない。相も変わらず薄らと笑みを浮かべるゴドラウにルナリアは笑みを返した。


 ○


 剣の重さがずしり、と両手に伝わる。使い慣れた両手剣、所謂バスタードソードと呼ばれるそれはその持ち主の身長よりやや長く、その重さは普通の子供にはとてもではないが持てる者ではなく、大人でも鍛えた者が漸く一端に使えるといった所だろう。


 そんな大剣をまるで片手剣を振り回すかの様に乱雑に振り回すのは一人の少年、アルフロッド・ロイルだ。模擬戦の為刃は潰しているが、それでも重さは変わらない。そんな大剣を持ち、直径にして3キロはあると思われる大きな草原の中央でアルフロッドは立っていた。小粒ではあるが、遠目には煌びやかな近衛部隊の装備が太陽の光を反射してキラキラと光っている。簡易的な天幕、並べられた椅子とテーブル、中央に座るのはおそらく宮廷魔術師長のゴドラウ、周囲には恐らく宮廷魔術師と思われる者が数名並び、それ以外にも服装から予想するに数名の貴族が居た。


 そこからやや外れた場所にまた別の部隊が陳列している、近衛とはまた違っているがその武具は質実剛健、まさに実戦を主とした装備形態、セレスタン辺境伯の私兵が鎮座し、その中央には筋骨隆々な男がどん、と腕を組んで座っている。あれがセレスタン家の当主なのだろう、とアルフロッドは予想を付け、軽く溜め息を吐いた。


 セレスタン家、カナディル連合王国を設立するにあたって併合した国家の一つセレスタン王国の血筋を受け継ぐ家であり、連合王国の魔獣討伐の一任者。徹底的な実践力と個々人の武技を至高とした武家。そしてアルフロッドが学院を卒業後に行くであろう就職先であった。


 ちらり、と目線を戻すとそこには金髪の美少女が立っていた。風と同時に靡く金の髪は美しく、一瞬ではあるがアルフロッドはそれに目をとられた。遠くではあるが、その真後ろに優雅に座る美女と同じ顔をした少女だ。しかし、恐らく傭兵であろう部隊を周りに並べたルナリア王女が浮かべていた様な儚気と優雅が合い混ざった様な表情とは違い、目の前に立つリリス・アルナス・リ・カナディルは忌々し気にこちらを睨んでいた。


 一体何をしたというのか、今回ばかりは怒られる様な発言もしていないはずだし、行動も特には問題なかった筈だ。

 むしろ、望み通りに模擬戦に付き合う事にしたのだから、怒られるのは流石に理不尽だろうと思う。


「なぁ……」

「なんだ?」


 問いかけた言葉に返事は返って来たが、その声は低く、不機嫌さが丸出しであった。

 返事が返って来た事に感謝するべきだろうか。


 数日前にスゥイによって説得されたアルフロッドではあったが、不満が無い訳ではない。む、とする気持ちを抑えながら気になっていた事をリリスへと聞いてみた。


「なんでそんなに不機嫌なんだよ」

「……チッ」


 舌打ちは無いだろう舌打ちは……。

 これ見よがしに不機嫌な表情で舌を打ったリリスにアルフロッドは嫌悪感をあらわにリリスを見た。


「お前はこの状況に何も思わないのか?」

「何って……、そりゃそっちの都合で勝手に模擬戦させられんのは文句があるけど、しゃーねぇだろ。今後ライラの学院での立場とか、他のチームメンバーに関する事もあるし、やるだけやるさ」


 アルフロッドがスゥイから聞いた話は簡潔であった。別に小難しい事をした訳ではない、事情を説明しただけだ。これがスオウからであればアルフロッドも反発したであろうが、スゥイから言われたという事が多少効果があった。

 セレスタン辺境伯は深遠の森から這い出る魔獣討伐を主とする貴族、今後アルフロッドはそこへ行く事になるだろう。誰かを守る為にというアルフロッドにとってそれは歓迎すべき提案であった。心の奥底でヒトを殺さなくても良い、という思い、と、戦いからは決して逃れられないのだろう、という思いがあったのは間違いないだろうが。


 話しを受けたのは教室だった。

 珍しく一人で居たスゥイから声をかけられたのだ。スオウの場所すら聞く間も持たされず、面倒くさそうにとっとと用件だけ聞けとばかりにスゥイはアルフロッドと、そしてライラに話した。


『ライラが一度嫌がらせを受けたのを、知っているのでしょう?』


 言われた言葉、嫌がらせで済む話しではない。だがしかしあったのは事実だ。

 

 何故それを知っている? スオウから教えてもらいまして。

 何故止めようとしなかったんだ! 止める? 一生徒に何を望んでいるのですか。一番傍に居た貴方が気が付かないで何を言っているのですか。

 ッ、怪我をしなかったのが奇跡なんだぞ! 文句を言うべきは機材を管理している学院に対してでここで声を荒げられても困ります。

 巫山戯るなッ、俺はッ! 


 わからない、何が起っているのかわからない。自分の知らない所で何かが進んでいる。


『アル君待って! ……スゥちゃん、この模擬戦ってなんなの? 私でもいくらなんでもおかしいってわかるよ、ねぇ、一体何が起ってるの?』

『アルフロッド君がどれだけ強いか知りたいのでしょう? そしてそれがリリス王女に押さえ込めるかどうかを知りたいのですよ。恐ろしい力を持っている者が誰の管理も受けずに一人で歩いているのが皆怖いのです』

『ま、待てよ! 俺はそんな事!』

『それは誰が証明してくれるのですか? 貴方の事を何も知らない相手にどうやってわかってもらうのですか? ……たとえば、貴方が今日始めてあった相手がライラの喉元に剣を突きつけながら殺しません、と言って信用出来るのですか? 貴方の不満はわかります、が、当日はセレスタン辺境伯も来られるのです、実力を示す良い機会ととれば良いでしょう、良い印象を与えられればもしかしたら傍付きで誰か連れて行けるかもしれませんよ?』


 ぐ、と手が握りしめられた。


『別に、そんな事……』

『おや、良いのですか? 貴方が傍に居なければライラがどうなるかわかっていない様ですね。貴方がいるからこそライラは守られている様なものなのですよ。まぁ、貴方がいるからこそ被害に遭っているとも言えますが? 理解していないとは思えないですが、理解したく無いのでしょうかね? 自己犠牲でも気取って自分一人だけで、とでも思っているのでしたら残されたライラは学院には残れませんよ?』

『な』

『スオウに何度も口を酸っぱくして言われていませんでしたか? 自分の影響力を考えろ、と。貴方一人で一万人の軍隊を手に入れると同義です。つまりそれだけの価値がある、それだけの価値が有る存在の傍に居た者、それも他国の、貴族でもない者がどれだけ嫉妬を受けるか、ライラが嫌がらせを受けた時点で気が付いていてもおかしく無いのですが』


 俯いたライラ、青ざめるアルフロッド。それでも、それでもライラが傍に居るのは果たして愛情か、それとも守られる存在として無意識下での依存か。女は強かだ、それは年齢に限らず子供を育てなければならないという本能から頼れる相手を、種を残し易い相手を本能的に選ぶ。学院という閉塞空間で絶対的な守りであり、そして味方になっているアルフロッドの傍に居るというのは正しい判断だ。

 

 スゥイは流石にそれは口に出さなかった。それは自分にも言える事であったからだ、それを理解しているかどうかは別として。


『こんな所でどうですかね、スオウ。及第点は貰えますでしょうか』


 スゥイの言葉は二人には届かない。


 ○


 ――目の前には加護持ちどうるい


 本能が知っている、自分より強いのだと。階級はそれそのものが力の格付けである。それはその階級が持つ能力が下の階層に比べ圧倒的だからだ。勿論絶対勝てない訳ではない、だがしかし、それは限りなく難しい事だけは言える。


 アルフロッドは息を一つ深く吐いた。

 バチ、と紫電が地面を焼いて煙が上がる。同時にヴン、とアルフロッドの耳に音が届く、半透明の淡い青い膜がアルフロッドの周囲を覆う。


 リリスが僅かに目を見開き、そして口角を吊り上げた。


「まぁ、よい。あの男が何を企もうと、まずは姉上の為に貴様を叩きのめしてやろう」


 空間が揺らぐ、膨大な魔素がリリスの右腕へと集まり掌の周囲が歪んで見えた。紫電、放電、スパークが目を焼いて、一瞬。


 ギリギリと後ろへとやった手、まるで弓の弦を、いや、片手でボールを投げるかの様な姿勢。引き延ばされた手からは変わらずスパークが地面へと落ちて土を焼く。そして一言。


「耐えてみせろ、――雷神の鉄槌トールハンマー


 そして右手を乱雑に振り抜いた後には直径2メートルはあるであろう太い閃光が走った、抉れた地面、焼け焦げた土と空気、遠くに見えていた木々を焼き尽くしたその一撃はまさに加護持ち、絶対的脅威者の力の片鱗。ただのヒトであればそれで焼け尽くされて骨も残らなかっただろう。最高位の防具で身を守っていればあるいは死にはしないかもしれないが、それでも満身創痍には違いは無い。


 ――が、


 そこには丸く綺麗に地面が残っていた。

 正確に言えばアルフロッドが周囲を覆った膜と同じ位置にリリスが閃光を放つ前と何ら変わりのない地面がそこに有った。

 綺麗な円を描く様に周囲の地面は焼けて、じゅうじゅうと音を鳴らすが膜の内側は何も変わる事の無い平穏そのもの。


 ギチ、とアルフロッドは剣を握った。そして不敵に笑うリリスを見た。


「女を殴るのは趣味じゃねぇ、けど、やるだけやらせてもらうぜ」


 ダン、と踏みならされた足と同時に疾走。

 リリスに向かって切り込んだ。


 ○


「準備はできているかね?」

「はい、儀式剣持ちの精鋭が100名、既に配置についております。後はリリス王女様がアルフロッド・ロイルの魔素を2割程度でも減らしてくれれば問題ありません」

「そうかそうか、では抜かり無い様にな」


 ふ、とゴドラウは笑みを浮かべた。


 暗殺を警戒したルナリア王女、ガウェイン辺境伯がやらかしてくれたお陰で目が他所にズレた。どうせ帝国から暗殺部隊でも送ってくる事だろう。だが、それがどうしたと言うのだ、模擬戦など茶番に過ぎない、もう少しでアルフロッド・ロイルが手に入る。そうすればアルフロッド・ロイルとリリス王女、そして我ら部隊にて殲滅し、華々しい門出としてやろうではないか。


「愚かよな、まさかコンフェデルスの小娘一人に関わる訳が無かろう。刻印を刻むならば加護持ち本人に刻まんでどうとする。力が足りない? ならばそれを他所から持ってくれば良い。その為によき品が手に入った事だしな」


 ゴドラウの口角が釣り上がる。掌の中では一つの宝石がころころと遊ばれていた。

 赤く、赤く怪しく光るその石は、アイリーン・レイトラが開発した石と酷似、いや、それ其の物であった。


「ルナリア王女も勘違いをしている。加護持ちを殺す為の刻印だと? く、くくく、ははっはは、加護持ちを殺してどうする? 国の左右を決めかねない力の持ち主を殺す可能性がある刻印等、無駄が多すぎる。あの刻印は、加護持ちを意のままに操るもの、王がルナリア王女でも良いと決めたのは単純にルナリア王女を操る事が出来ればそれはそれで良かったからなのだよ。思惑通りにリリス王女はルナリア王女に逆らえない、ここでアルフロッド・ロイルも手に入ればカナディル連合王国は安泰であろう」

 

 ころり、と掌の宝石が転がる。圧倒的な戦力はすべて国の手の元に、グリュエル辺境伯はルナリア王女を使えば問題なく、セレスタン辺境伯はアルフロッド・ロイルがこちらの手に有る為、貸し出した所で問題は無い。


「全てはカナディル連合王国の為ですよ姫様、貴方のやり方はまだ温い。国はそれでは動かないのですよ、帝国の暗殺部隊を処理した後であればリリス王女も消耗するでしょう、そこで次はリリス王女に刻めば、終わり。あぁ、ついでに帝国の加護持ちを一人くらい殺せるといいですなぁ」


 そしてゴドラウは赤い宝石を飲み込んだ。

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