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月蝕  作者: 檸檬
3章 加護と加護
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虚構の世界に立つ夢幻4

 リリスに刻まれる事の無かった呪刻印、その原因でありその変化をもたらせた張本人はルナリアである。

 故に、リリスの面倒を見るのもまたルナリアとなっていたのは半場必然であった。

 ルナリア自身が望んだという事もあったが、無駄に消費される力を抑える為の呪符とて無料では無いし、怪我を負う使用人も有限だ。

 当然右も左も知らぬ赤子であればやむを得ぬ事では有るが、有る程度の分別がつく状況になった時責任を取るものが必要となる。


 それにルナリアを当てたのは果たして幼い子供が音を上げて泣きつくのを期待したか、それとも他の思惑があったのか。

 幸運と取るべきなのはルナリアはそれを死ぬ事無く全うし、他者に取っての不幸としてリリスが王家の人形とならなかった事があげられる。


 奇跡の上に奇跡が起った様な出来事とも言えようか。弊害としてルナリアの人格形成に多大なる影響を与えたであろう事は想像するに容易いのだが。


 にこにこと笑みを浮かべ、後ろをついて回るリリス。

 姉上と呼びながら近寄って来るリリス。

 嫌いな物を食べなさいと叱りつけるとふて腐れて拗ねるリリス。


 ルナリアは微笑みながらその都度その都度リリスを導いていった。ただ、その目はけして笑っていなかった。


 時間は恨みを薄れさせる。

 時間は憎しみを衰退させる。


 それはルナリアとて例外ではなかった。少しずつ薄れていく憎しみはルナリアにとって恐怖でもあった。

 母を殺したリリスを恨む事が出来なくなり、愛おしさが産まれ、そして朝、自分に刻まれた刻印を見て振り出しに戻る。


 ルナリアにとってそれは一つの儀式でもあった。薄れていく憎しみを消さない為の一つの儀式。

 ゆっくりと撫で付ける様にその刻印を心の奥底に植え付ける様にゆっくりとゆっくりと撫でていった。


 リリスがそれを知ったのは、9歳の時。癇癪を起こしてルナリアの腕を焼いた時だった。

 焼けただれた皮膚、千切れた服、いつも肌を隠す様な服装のその下。まるで呪われているかの様なその刻印を目にしたときリリスは悲鳴をあげたのだ。


 ○


 ストムブリート魔術学院 深夜 中庭


 しとしとと降り続ける雨、星の見えぬ曇天の空は憂鬱な気持ちをさらに上昇させ不快感だけを与えてくる。

 湿気によってやや重みの増したような錯覚に捕われていた黒い髪をやや乱暴に後ろへとかきあげたスゥイは目の前に立つ男に胡乱気な視線を向け、そしてため息を一つ吐いた。


「あの餓鬼は居ないのかねぇ?」

「さぁ? 誰の事ですか」

「スオウだよスオウ、何処行きやがった、このクソ忙しい時に単独行動かぁ? 立場ってモノを考えて欲しいもんだがね」

「特に何も聞いていません。そもそも彼の立場は一般生徒ですが。スオウに用件だったんですかニールロッドさん」


 一般生徒だぁ? と文句の一つでも言いたげな顔をしている男。視線はそのままにガリガリと乱暴に頭を掻いたニールロッドへとスゥイは問うた。答えは舌打ちだった。

 スオウへと貼付けていた監視者からの報告があったのかどうかは知らないが、突然消えたスオウを探してニールロッドが直接来たというのが妥当だろう。


「あの程度の練度でスオウを捕捉しておけると思っている時点でどうかと思いますが、人数を倍にするか練度を倍にするかするべきですね」

「今後の参考にさせて貰うさ……。どこに行ったかは、聞いてなさそうだな」


 それなりのレベルである事は言うまでもないが、そもそものスオウの能力は鮮血、アリイアをベースとした殺し屋と傭兵で肉付けされたモノ。

 それなりのレベルで捕捉し続ける事等出来る筈も無い。さらに言うなれば泳がしていた事が功を奏したのだろう。その後も増強される事は無く相手側に対する油断を誘う事が出来たのだと思われた。


「何度も言いますが聞いていません。ですが彼が不在の場合連絡は私が受ける事になっています、殿下からの命令でしょうか?」

「そんな話は聞いてねぇーぞ?」

「ここに代理アインツヴァルさんを呼ぶ訳にも行かないでしょう。一応カナディルでも相当上位の独立管理区域機関です。まぁ、一度潜入されていますが」

「こっちも立場があるんで報告はして欲しいんだがねぇ……。コンフェデルス産まれのアンタに言えと? 情報漏洩の可能性を今一番嫌がってるんだぜ」

「今更そんな話をしますか? 殿下の狗に相応しいとは思えませんが、そもそも貴方がここに来た時点で情報が漏れている可能性があるからこそのバックアップを欲したのでしょう?」


 チ、という舌打ちだけが聞こえ僅かな沈黙が広がる。ややあってニールロッドが口を開いた。


「模擬戦の件は?」

「既に報告を受けています。アリイア、シュバリス、フィリスは中央都市に潜伏済み。アインツヴァルは来月合流予定です」


 その答えにニールロッドは僅かに目を開いた。巷で“蠍”と呼ばれ裏で名を広めつつある連中の現在の潜伏先を話してくれるとは思っていなかったからだ。

 ここでただの諜報員であれば子供であるからと甘く見たであろうが、目の前に立つ少女は少なくともあの餓鬼、スオウが代理として寄越している少女だ。

 そのままの意味で受け取るには短絡過ぎて足を掬われる可能性が高い。


「……神弓エーヴェログはどうした」

「よくご存知ですね。クラウシュベルグにて待機です、“身内”の護衛も必要ですから」

「成る程、ね。素直に答えてくれるとは思っていなかったが……、ねぇ」

「不満ですか? そちらの諜報部に情報を流しても構いませんが行方不明者が出ない事を祈ります」

「そんなつもりはねぇよ。生憎と俺らも正規という訳でもねぇしなぁ。それに軍の連中も関わるつもりは無いだろうしな。国の諜報部は拘束したがっているが、……特に鮮血は大人気だぜぇ?」

「それはそれは御愁傷様です」


 普段の行いが悪いとどうやらこういう事になる様だ。スゥイは僅かに眉を顰め、ニールロッドは軽く笑った。


「それで、本題は?」

「あぁ、別に大した事じゃねぇーさ。当日はルナリア王女も来るからな、護衛の依頼だ」

「殿下ですか? 国から派遣されるのでは?」

「そりゃ当然表立ってはそっちがメインだ。アンタらは裏で動くんだよ、得意だろそういうの」

「諜報部では不安が残る、と言う事ですか。それに、そうですか、見つかれば不審人物として貴方にとっての不安材料を除く事が出来、見つからなければそもそもが居ない存在なので無駄な費用も発生しないという事ですか。こちらは人数は少ないとは言えど実力はそこらの護衛兵を上回りますしね」

「悪く思うな、ルナリア王女の支援を受けたいんだろ? こっちもアンタらが如何動くか心配なのさ、縛り付けておきたい理由も理解してもらいたい所だね」


 肩を竦めてそう告げたニールロッドに対してスゥイはため息を付きたくなるのを堪えた。

 恐らくこの件はニールロッドの独断に近いのだろう、だがしかしそれを否定する程でもない内容の為ルナリアは黙認しているという事だ。

 逆を言えばこの程度でスオウが離れるとも思っていないし、そもそもこの程度の事利用してこそのスオウだろうとも思っているのかもしれない。

 無駄な意味での高い信頼感ではあるが、対応するスゥイとしてはやってられない事この上ない話しでもある。


「まぁ、構いませんよ。こちらから代理アインツヴァルさんに伝えておきます」


 ――そのかわりそちらの指示を聞くつもりはありませんが、とスゥイは内心で呟いた。

 居ない存在はそもそもが居ないのだから指示を聞く事も出来なければ、指示を全うする事も出来ない。何故ならば居ないのだから。


 怪訝な表情を浮かべたニールロッドに対しスゥイは薄く笑った。


「ルナリア王女“は”確実に護衛させて頂きます。裏方に徹してではありますが」

「……まぁいい、スオウも戻ったら伝えておけよ」

「えぇ、勿論です」


 ――戻って来たら、ですが。


 呟いた言葉はニールロッドには聞こえなかった。


「おい、あの餓鬼を見失ったのはいつだ」


 スゥイが中庭から居なくなってから数分。ニールロッドは傍に来ていた部下へと告げた。やや怒りが見えるその声に冷や汗をかきながらも学院へと潜入していた部下は答える。


「わかりません。気が付いたら消えていたというのが現状です。最後に確認できたのは二日前、リリス王女と同席していたのが最後です。他のメンバーに確認した所同様の回答です。報告が遅れた事、申し訳ございません」

「構わん、こちらに向かっている途中だったしな、学院から外へ出るのも手間だ、下手に足が付いても困る。行き先の予想は付くか?」

「不明です。中央都市ヴァンデルファール、クラウシュベルグ両方に斥候は出しました。念の為首都にも連絡員を走らせました」

「付けていた目の情報は?」

「そちらも同様です」


 チ、とニールロッドは舌打ちした。

 クラウシュベルグへと帰省した時も行動を把握できていたスオウだが、今まさに完全に消えてしまった。

 コンフェデルスの時と同様に近い。嫌な予感がニールロッドを襲う。


「(ルナリア王女に損のある事はしないと思うが、ねぇ……)」


 だが考えようによっては将来的に損が無ければ短期的な損のある事はしかねない、という可能性は有る。

 そしてそれを行うにあたって邪魔な物を問答無用で排除するだけの力と意思があるのだ。

 面倒な事この上無い、後始末する者にとっては。


「お前らはあのスゥイを引き続き監視しろ。メンバーから数名スオウの足取りを追う為に使え、交代の要因は俺が用意する」

「彼女は糸が付いているのでは?」

「ふん、とっくにそんなモノあの餓鬼に切られちまってるよ」


 目を見開く部下に軽く頭を振ってニールロッドは答えた。


「あまり過剰な事はするなよ。突いて獅子が出て来たら手間だ、学院と国の関係も今は微妙な時だからな」

「了解しました」


 ○


 中央都市ヴァンデルファール


「模擬戦、ねぇ……」


 宿屋の一室、ふむぅ、と顎に手を当てて渡された書類を眺めながらシュバリスは呟いた。

 シュバリス個人としての考えとしては無駄この上無いと思っているからだ、加護持ち同士の争い、天災に近いとも言えるソレを国内の加護持ち同士、所謂身内同士でやるなんて不毛な事この上無い。


「力を知りたいというのは誰だって同じなんでしょうね。貴方だって新しい剣を手に入れたら使ってみたいと思うでしょう? 新しい魔術を覚えたら実戦で活用したいと考えるでしょう? 似た様なモノよ」


 女性の声と同時にカチャリ、と目の前に置かれたカップの中には紅茶が入っていた。


「そうは言うがなフィリス、規模が違うと思うぜ?」

「それは同意するけども」

「大体俺達がそれに関わる事も不明瞭だ、首輪を付けておきたいのはわかるが、肝心のスオウが居ないんじゃ片手落ちだろ」

「しょーがないでしょ。スオウが勝手に動くのは今に始まった事じゃないんだし」

「勤め先間違えたかねぇ」


 急な用件が出来た、と残し失踪したスオウ。アリイアとアインツヴァルはどうやら理由を知っている様だが生憎とこちらまで情報は落ちて来ていない。どうやら急ぎの用件であったことは間違いない様なのだが。


「けどよ、本当に俺らが護衛任務に就くのか? 裏方とは言えどいくらなんでも無茶じゃねぇか? 裏がありそうな気がするがなぁ」

「正規の軍が動くとは言えど公に出来る行事じゃないし、利用できる者は利用するって事じゃないの?」

「そこだよそこ、なんで公にできねぇんだ? 確かに帝国や精霊国に戦力把握されるというのは危険と考えるのはわかるが、外交手段の一つとして軍事力を示すというのも一つだろう?」

「加護持ちは特殊だからじゃないの? 一人死ねばその分の大幅な戦力低下は否めない。アルフロッド君が国にとって不確定要素である事も原因の一つでしょうし、消耗した所を襲撃でもされたら意味が無いでしょうし」

「だったら最初から模擬戦なんかやるなっつー話だがなぁ」


 更に言うならば不確定要素に対して良い感情を与えるとは思えない模擬戦を行う事自体どうかと思う訳だが。

 どちらにせよアルフロッド・ロイルはグラン・ロイルを抑えられているため大きくは出れないだろうし、国外逃亡するにしても行く所は帝国か、あるいは宗教国家でもあるリメルカか……。ハーフである事を考えれば精霊国ニアルでも受け入れてもらえる可能性は無いとは言えない。

 加護持ちであるから絶対的に受け入れてくれるかどうかは微妙だ、同盟関係を考慮すると心情的に悪感情しか抱かないだろう。特にとられた側は。


「(そして帝国に行く場合は亡命ととられ、まず確実に消される。それを行うのは軍か、それともリリス王女か。13歳の女の子に同年代の子を殺させる。やってられねぇな)」


 ズ、とフィリスが淹れてくれた紅茶を飲みながらシュバリスはため息を付いた。


「仕方が無い、か。所詮雇われの身ですからねぇ〜」

「そうそう、精々頑張りましょう」

「へいよー。そういやアリイアはどうした?」

「街の散策に出てるわよ。というより現地の下見と逃走経路と襲撃予想位置の確認でしょうけど」

「あぁ、まぁそーだろねぇ」

「暫くしたら私も出るわ、シュバはどうする?」

「わかった、俺もいくよ」 


 ひらひらと手を振って返事を返すシュバリス、同時に窓の外を見た。そこには憎たらしい程に晴れた青空が広がっていた。


 ○


 褐色の肌、シャギーに切られたブロンドの髪。その髪は陽光を反射して小さな光の粒を散らしながら肩甲骨の下辺りで左右に揺れている。

 服装はやや厚手のズボン、深いブルーで染上げられたそのズボンは彼女の肌を見せる事は無いが、服の上から見てもそのスタイルの良さが想像できる。上半身は薄手のシャツにやや黒に近い灰色のジャケット。シャツの首元からやや見えている谷間はとてつもなく大きい訳ではないが、その整った美しさでヒトの目を引きつけていた。

 極めつけはその整った顔だ、やや吊り上がった目と冷たさを感じる表情ではあるが、それを補ってもあまり有る美、道行くヒトはその女性が三桁を超えるヒトを殺し尽くした伝説の殺し屋等と予想する事は出来ないだろう。


 周りから来る不躾な視線に少しだけ眉を顰めた褐色の美女、鮮血のアリイアはその視線を振り切るかの様に足を進めた。


 活気に溢れている街の中、市場の近くまで来ていたアリイア。世界的にも有名なストムブリート魔術学院が近くに有る為だろう、魔術に使用される品も多く見受けられた。怪し気な薬品から、用途不明の粉末、そして奇妙な形状をした杖、ごろごろと無造作に置かれている魔石。そして自身の主が得意としている刻印が刻まれた宝飾品もまた並べられていた。


 その宝飾品の一つにアリイアは目をつけた。


「……これは?」


 手に取ったその細工は美しく、精確で、刻印そのものが一つの芸術品とでも言える程の品質を記していた。


「お! お客さんお目が高い。その魔術刻印綺麗でしょう、まぁ、装飾品の側面が強いんで簡易的な魔術の補佐的にしかつかえねぇんですが、結構人気なんですぜ」


 今なら銀貨三枚で! と進めてくる店員にアリイアは目を移した。


「これを作ったのは誰ですか?」

「へ? おぉ、いやぁ、姉さんすんません俺も詳しくはしらねぇんで。仕入れさせてもらってるに過ぎねぇんでさ、その技術レベルでその価格なんで最近ヴァンデルファールで持ってないヒトは居ないってくれぇ流行ってるんですが、作者不明なもんで幽玄の宝飾品と一時騒がれてたんですわ。配給数もそんなにあるわけじゃねぇんですが、魔術の側面が弱いんで中級から下級市民向けで配給も間に合ってる感じでさぁ。とはいっても月に数点高級品って事で貴族様向けのもんも出るらしいんですがね」


 そいつは扱った事がねぇでさぁ、と商人は続けた。


「そう」

 

 ふ、とアリイアは笑った。見間違える筈も無くこの刻印の見栄えはスオウが作ったモノであると理解したからだ。

 コト、と元あった場所へとその装飾品を戻したアリイアは名残惜しそうに声をかけてくる店員から視線を外し、店から離れた。


「(模擬戦が近いというのに街の様子は変わらない。一種のお祭り騒ぎにでもするかと思ったけれど、国は本格的に裏での行動に徹底すると言う事。万が一アルフロッドが“死んで”も隠蔽し易い様にする為、というのは穿ち過ぎか。まぁ、考えていない訳ではないだろうが)」


 本筋としては帝国側の目を逸らし、総人口を変動させず侵入者を判別し易くする為であろうが。

 以前の塩山の件で国もさして金には困っていない筈だ。表向きの金としては、だが。

 あえて言うなれば中央都市ヴァンデルファールの利益という観点から見た場合少々不満があるだろうが、所詮ヴァンデルファールは王家直轄地、利益が二の次でもおかしくは無い。


「(スオウ様も“帝国”へ潜入成功。さて、後は当日を待つばかり)」


 ク、とアリイアは口角が釣り上がるのを自覚していた。

 また血の匂いが近づいて来ている。命のやり取り、死と死が舞い踊り殺戮が地へと降り立ち正当化される狂った日常。

 

 普段と違いさすがに街のど真ん中で彼女の愛剣でもあるシャムシールを持ち歩いている訳ではないが、腰に取り付けている短剣をアリイアは軽く撫でる。流石に武器を持っていないなんてコトは無い、素手でも相当強いアリイアではあるのだが。

 冷たい鉄の温度を指先で感じ、やや興奮していた気持ちを落ち着かせたアリイア。その耳に悲鳴にも近い女性の声が聞こえたのは偶然でもあった。


「あ、や、やめてください〜。それは大切な物で、こ、こまります〜」


 どこか間延びした声。困っている様にも聞こえるのだがその話し方のせいで緊張感が伴っていない。

 視線を動かすと少し先の路地で三人の男が一人の女性を取り囲み、何かを取り上げているかの様に見えた。

 服装からして恐らくヴァンデルファールの自警団だろう。警察組織に近いソレだがクラウシュベルグの警邏隊と違い、その組織力は比べる事すらおこがましい程低く、その品性も決して高いとは言えない。


 そもそもが警察という組織が無いこの世界では街の平和を守っているのは傭兵か市民だ。中央都市ヴァンデルファールは王家直轄のため軍も駐留しているが、市民同士のいざこざに手を出すかと言われるとそうでもない。むしろ魔獣討伐や盗賊、山賊等の武装集団に対する対応が基本だ。

 となると市民同士のいざこざや軽い喧嘩等は市民が独自で作り上げた自警団が対応する事になる。彼らは別段特別な資格を有している訳ではないが、一応はそれなりに役には立っていた。


 しかし、アリイアの目に映る様子では少なくとも役に立っているどころか迷惑をかけているとしか思えない。

 眉を顰め、同時に自分には関係のない話しであるのでそのまま通り過ぎようとした所でその囲まれている女性の顔を見て足を止めた。


「こ、こまります〜。盗んだ物じゃありませんよぉ〜」

「巫山戯るな。お前が盗ったと店の者が言っているんだ。良いから来い!」

「うぅ〜。やっぱりスオウ君が言った所で買っておけばよかったよぉ……。安いからって甘くみてたぁ〜」

「何をぶつくさ言ってるっ! 良いから来い!」


 ウェーブがかった紫色のショートカット。くり、っとした目は保護欲をかき立てられる事間違いないが、その立ち振る舞いからして“普通”では無い事がよくわかる。


「ん? おい、お前もしかして学院の生徒か?」

「あぁ? げ、まじかよ。おい、学院の生徒捕まえたってなったら面倒だぞ」

「うー……。そうですけどぉ……」

「何言ってる、犯罪は犯罪だ! 俺達がしっかりしないでどうする! 良いから来い!」


 くすり、とアリイアは笑った。どう贔屓目に見ても三人の男に囲まれている少女はその気になれば簡単に三人を伸す事が出来るだろう。それが出来ないという事は出来ないなりの理由があるか、目立ちたく無いという辺りか。


「困ったよぅ……。うぅー、スオウ君も居なくなっちゃうし、でもなんか教師は皆気が付いてないし……。リリス王女はピリピリしてるしぃ〜、息抜きで買い出しに来たらこんな事になるし……」


 うぅ、と地面にのの字を書き出さんばかりに落ち込んだ少女。そう、ブランシュ・エリンディレッドは溜め息を吐いた。


 ○


 秘薬と呼ばれる薬剤がある。特殊な調合法を用いて魔素を流しながら物質と物質を混ぜ合わせて作り出す技術だ。錬金術などと呼ばれている地域もある様だが、ストムブリート魔術学院でも一応その分野が有る。その為ストムブリート魔術学院内に素材を売っている店がいくつかあるのだが、生憎とブランシュが求めていた物が無くブランシュは中央都市まで出て来ていたのだ。


 勿論、スオウとリリス王女に関する報告も兼ねていたのだが。


 問題はその目的の素材を購入して帰ろうとしてた所で事は起った。

 きちんと支払いをして店を出た筈だったブランシュだが、なぜかタイミング良く自警団に捕まったのだ。内容は完全な言い掛かりであり、突っぱねる事も可能であったが、現在学院と国の関係が微妙である事、そしてブランシュ自体あまり目立ちたく無い、というより目立つ事が出来る立場でないという事もあり、何とか穏便に事を済ませようとしていた。


「ですから〜、私はきちんとお金は支払いましたし……」


 しかしながら店の者は貰っていないといっていると言うのだ。どうやらブランシュの事をかもれる相手だと見たのだろう。

 自警団の小遣い稼ぎとも言える行為だ。少々の金を渡して穏便に済ませてしまえば良いのだが、さらに話しがややこしくなったのは小遣い稼ぎ目当てであった二人の自警団に、もう一人が偶々近くに居てその一人は正義感に溢れるタイプであった事だろう。


 その為二人の男はこのまま全てを店側の責任にしてしまうか、この女性一人に擦り付けるかで決めてしまった。

 学院の生徒であると判明した事によって前者の方向で確定した様だが。


 はぁ、とブランシュは内心で再度ため息を付いた。ブランシュとしてもあまり良い話しではない。リリス王女についている者が軽いとは言えど、揉め事を起こしたとなれば学院側の見る目が変わる。ただでさえスオウのお陰で波風が立っているのに悪化させてどうするのかという話しだ。


「(どうしようかなぁ……。スオウ君ならどうするだろう……。問答無用でぶちのめして、金の力で問題の店を閉店に追い込んで、此処ぞとばかりに責任問題の追及を徹底的に行って自警団を半壊させるイメージしか付かないよ……。どうしよう参考にならない)」


 ブランシュは頭を抱えた。


「(さっきのお店の前に同じ内容の店を建てて赤字覚悟で徹底的に叩くのかなぁ、それとも市民に対しての情報流布と操作で廃業に追い込むのかなぁ……)」


 ブランシュは現実逃避をしだした。


「おい! 聞いているのか、付いてこい!」

「お、おい。どうする……?」

「知るかよ、アイツがやる気になってるんだ。俺達には関係ない。さっさと戻ろうぜ、後はアイツに任せておけばいいだろ」


 どうやら最初の二人は責任問題を全て擦り付ける方向にした様だ。国直轄でもこれなのだからクラウシュベルグがどれだけ厳格か理解できる。

 ルナリア王女はそのうち警邏隊を導入する予定ではあるが、実権を持っている訳ではない。そしてその必要性を感じている者もまたさほど多い訳ではない。一般市民と貴族との意識の差がここにも出ていた。


「(仕方が無いかぁ……。取り敢えず話をしにいくかなぁ、はぁ、困ったなぁ)」


 がっくし、と頭を落としたブランシュは視線を上に上げ、同時にずるり、と“三人”の男が崩れ落ちるのを目にした。


「――ッ!」


 ぞわり、と肌が泡立つのを感じた。ずるり、と崩れ落ちたその先。そこには褐色の美女が立っていた。ブロンドの髪を揺らし、やや笑みを浮かべたその女性。ブランシュは冷や汗が出るのを止める事が出来なかった。敵わない、と感じたのだ。逆立ちしても勝てないバケモノ。なんでこんな所に居るのか理解できない様な存在。それが自分の目の前に居ると理解した。


「女性の一人歩きは危険ですよ。特にこのような路地裏は」


 凛とする声だった。敵意の無い声、それでも肌が泡立つのを止める事は出来なかったが。


「……お昼でしたので、油断していました。ありがとうございます」


 震える足を意思で押さえつけ、そしてやや冷静になった頭で思考する。目の前の女性は敵対するつもりは無い様だ、それでいて恐らく状況証拠ではあるが救ってくれたのだろう。だというのに今の自分の態度はあまり良いとは言えない。

 

 冷静になった頭、それによってやや引っかかりを覚えた。目の前の女性の顔、それをどこかで見た様な気がしたのだ。

 どこで、と思案に沈みそうになった所で目の前の女性が口を開いた。


「ブランシュ・エリンディレッド、没落貴族の長女。魔素の揺らぎが大きく、練度が低いですね。そこらの兵士よりは上等ですが、まぁ40点と言った所でしょう。素材は悪く無いので今後次第ですかね。スオウ様がそれなりに気にかける理由はイマイチ不明瞭ですが」


 ブランシュは目を見開いた。


「……ッ、何者ですか」


 ズ、と右手に魔素が集まる。自警団相手の温い状況ではない。勝てるとは思えない、逃げられるとは思えない、けれど仕事は全うしなければならない。震える足を叱咤して決意の証の様に目の前の女性を睨む。冷たい表情がやや解け、ク、と口角が釣り上がったのを視界におさめた。


「成る程、その意志の強さはスオウ様が好みそうです」


 その言葉と同時くるり、と背を向けてその女性は雑踏の中へと姿を消していった。

 ブランシュは追う事すら出来なかった。圧倒的な実力差を肌で感じたと言うべきだろうか、姿が消えるまで構えをとく事が出来ず、そして視界から消えて漸くブランシュはゆっくりとため息を付いてその場に座り込んでしまった。


「うぅ……。スオウ君の知り合いだよねぇ……。如何考えても碌なヒトじゃないよ。あの顔どっかで見た様な気が、何処だっけ……」


 額を流れる汗を拭い、いつの間にか落としていた購入した材料がはいった袋を持ち上げ、そしてこれでもかとブランシュは目を見開いた。


「あ、あ、あぁぁぁぁあああああ! せ、鮮血だッ!」


 ぶわり、と全身を覆う鳥肌。

 先日上司ニールロッドから見せられた資料の一つに書かれていた顔。自分の命がどれだけ危険だったか再度認識し、殺される事のなかった自警団達に勝手ながら安堵のため息を付いたブランシュだった。

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