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月蝕  作者: 檸檬
1章 幼年期編
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月の導きと加護の宿命5

 All life is an experiment

 人生とはすなわち一つの試みである


 異端者、恐るべき力を持ち、恐るべき存在であり、ヒトの命など容易く手折れるだけの力を持つ加護持ち。

 母を殺し産まれて来たその意味は果たしてなんなのだろうか。


「君が君で居る間は俺は君の友であり続けようと思う」


 友とは何か、友人とは何か、血塗れの道しか残されていないこの人生に友が果たして必要なのだろうか。


「友とは罪を共に背負う相手だ、友とは間違いを正す相手だ、友とは支えとなり、支えられる存在だ」


 では、産まれる事が間違っていた俺に友として何を言うんだ。


「そうだな……」


 ――では、いかに生きるかを伝えよう。


 他人の為に生きる人生だけが、価値のある人生だ。そう言った者がいる。


 だが、その価値を決めるのは自分自身だ。

 それに価値があると決めるのは自分自身だ。

 揺らぐ決意など意味は無い、最後に何を成したいのかを決めるんだ。

 そう、そうやって俺はこの世界で自分が崩れないでいられるのだから。


 間違いだらけのこの世界でその場所へたどり着く為に。


 ○


 カナディル連合王国 首都ヘーゲル


 白く堅牢である城の中の一室、高級な調度品が並ぶ部屋。ぼんやりと魔法の力によって僅かばかりに照らされたその部屋は明かりを足す為にロウソクがいくつか立てかけられている。

 魔術刻印の刻まれた魔石を数多く置けば不必要ではあるが、魔石は高級品である、さすがに首都、それも王の住まう城とて全ての部屋に備える事はあまり現実的ではないだろう。なにより財務大臣のヘンデル伯爵が何を言うかわかった物ではない。


 そんな僅かに薄暗い部屋の中で二人の男が顔を突き合わせて話をしていた。


「つまりウィリアムス卿は傍観に徹すると……?」

「はい、そのように申し付けられました」


 怪訝な表情で正面に座る男に問いかけたのはクラウシュベルグの南に位置する領土を持つガウェイン辺境伯である。そしてその問いかけた相手はジューダス、諜報部隊の一人であり、クラウシュベルグより加護持ちの情報を持ち帰って来た男だ。


「温いな、そんな暢気なことを言って周りの連中に取られたらどうするというのだ、そもそも10年間も隠していたなど自治都市権限の範囲を超えている。早急に国軍を動かし拘束するべきだ」

「は、まさにその通りかと思いますが……。ウィリアムス様は事を慎重に当たるとお考えのようでして」

「ふん、あの男は武人というより文官に鞍替えした方が良いのではないか? しばらく争いから遠のいてひよったか。嘆かわしい! 構わん、私の指示のもと動け国王にも後ほど報告する」

「は、はぁ……。ですが元老の指示は仰いだ方が良いのでは?」

「あの腰の重い老人共に何を聞くというのだ、10年間も隠し続けていたという事実を貴様も甘く見すぎている、叛乱の意思があるのやもしれんぞ!」


 みしり、と作られた握りこぶしから鈍い音がする。

 最西端であるクラウシュベルグで離反したところで早急に問題がある訳ではない、だが他国に対しての隙を見せる事になる。それも加護持ちを所持しているとなれば捨て置く事など出来るはずが無い。


「し、しかし国軍を動かすとなるとウィリアムス元師の命令書か指示が必要です。あるいは……国王のご命令でしょうか……」


 より可能性が低い方を追加で継げた後苦い顔をするジューダス。自分でも無理な事はわかっているのだ。

 その言葉により嫌悪感を隠そうともせずにガウェインは顔をしかめる。


 元々ガウェインは腕っ節だけで上り詰めて来た男だ、父であるグロレスも同様に腕っ節で伸し上がって来た豪傑だ。

 だがしかしウィリアムスと、そしてグランには勝てなかった。

 別にそれは構わない、それが実力であり、当然そのまま腐ってるつもりもなかったからだ。

 だがしかし、自分より強いウィリアムスがそんな腰の引けた様な対応を取っている事が気に入らなかった。

 

 辺境伯は独自の軍を所持している、故に自身の私兵を出そうかとも頭をよぎるが、それも元師が現状維持を指示している状況で動けば暴走と見られる可能性は高い。

 感情は許せないとはいえど家の、辺境伯の地位を捨ててまで行うには不確定な部分が多すぎた。


 だからこそ――


「ならば傭兵を雇うか、金は私が出す。それと同時に自治都市の領主に圧力をかけろ、自分から差し出すのであればそれに越した事はあるまい」


 笑みを浮かべてそう告げる。


「襲撃するのですか……? さすがにそれはやり過ぎでは……?」

「襲撃するフリで十分だ、加護持ちを所持している事によるデメリットを住民に知らせてやれば良い。

 力には責任があるのだ、それを持つならばそれなりの対価を支払ってもらおうじゃないか、同時に管理体制の不完全さを露呈させてやれ」


 当然ガウェインはスオウの話を聞いてはいた、だが彼はさほど重要視しなかった。

 そういう子供は“稀”に居る。

 たしかに得難いヒトではある、あるいはリリス王女の友人となってくれるのならば文句もないだろう。

 だがそれはあくまで自身の、カナディル連合王国の手の中での話だ。

 自分の考える範囲での話だ。知らぬ所で動かれるならば必要ない。むしろ、邪魔だ。


「身元はバレないようにしておけよ。あくまでも加護持ちの力を欲した愚か者が襲撃したという体裁で構わん」

「では奴隷も混ぜ込みましょう、多少死人が出ないと不自然すぎるかと思います」

「ふむ、わかったその辺りは任せる」


 尻馬に乗る形で進言するジューダス。彼としても加護持ちをあのままクラウシュベルグへ置いとく事には不満があった。

 故にガウェインの話に乗った。当然ジューダスの権限を越えた所にあるが、辺境伯の指示であるという事が彼にとって逃げ道として取れてしまった。


「ウィリアムスめ、現状を理解せぬ愚か者が、私が目を覚まさせてやる」


 50に近いその皺の多い顔、白い混ざり物が増えて来たブロンドの髪。それをゆっくりと撫で付けながらゆらゆらと揺れるロウソクの火を睨むように見つめていた。その火の中には果たして誰が映っていたのだろうか。


 ○


 カナディル連合王国 クラウシュベルグ フォールス邸食堂


 所狭しと並んでいく料理、メインは肉料理だがそれ以外にも取れ立ての果物からミートパイにチーズを使用した料理、スープも種類が3種類と並んでいる。立食パーティーの様な形にしたそれは本日だけは構わない、と使用人も好きに食べられるようにしている。


 原因はグランが持って来た肉なのだが、取れ立てが一番うまいんだと全部使うように言ったのだ。

 肉によっては熟成する事によってうまみが出る物もあるのだがどうやらそんな事はどうでもいい、とばかりに話を進めてしまった様。コレに困ったのはフォールス邸の料理人達である。僅か2名で切り盛りしている調理場はてんやわんやの大戦争。そこに苦笑を浮かべたサラとスオウがはいってようやく形になった。最後まで頭を下げていた料理長と何か言いたげなルナは視界の端に置いといたが。


「スオウ様……、それぞれに仕事の分担という物があり、その責任の中でそれぞれが労働をし対価を得るのではないですか? 確かに今回の件は助かりましたが、それが当たり前だと思われるようでは互いに良くありません。いえ、そもそもサラ様にも苦言を申し上げたいのですが」

「わかってるわかってる、というか俺に取っては料理は息抜きなんだよ、こういう時くらいやらせてくれ」


 ルナの説教が始まった所で長くなる前に無理矢理割り込んで止めた。

 スオウが言う通りスオウにとっては料理は息抜きなのだ。自分で望んだ事とはいえ、謀略某術が跋扈する世界で生きているのは疲れる。そもそもカリヴァの相手をしているだけで疲れる。とはいえそれも割と好きなので手に負えないのだが。


「母さんも料理好きだしな、そもそも昔は自分で作ってたんだろ? 父さんに嫁ぐまでは普通の一般家庭の女性だと聞いたけど」

「普通の……、いえ、それはなんとも言えませんが。まぁそうですね、サラ様は昔から料理はお好きでした」

「その間が気になるけど、まぁいいや。というかルナってそんな前から母さんと知り合いだったのか」

「ええ、そうですね。私が10歳の頃からですからもう11年になるでしょうか」


 昔を思い出すかのように目を細めて遠くを見るルナ。


「そう言われてみれば俺が産まれたときってルナはニーナと同じ年くらいだったのか。そういえば初恋もルナだったか」

「……顔がにやけている時点で嘘ですね。大人をからかうのは良くありませんよ」

「そういえばいつだったか怪談をしたとき布団に潜り込んで来たよね。5歳児のしかも主人の息子のベットに潜り込むってどうなの?」

「スオウ様?」

「……なんでもない」


 ミチリ、と腕が捕まれた時点で話をやめた。


「ニーナも馴染めたようで良かった。リーテラとロイドの良き友になってくれるといいのだけど」

「普通はスオウ様と、ではないでしょうか? いえ、使用人の枠組みを逸脱してると言えば同様ですが」


 じと目で見下ろしてくるルナにそっぽを向く。

 先ほどまで元気に動いていた妹のリーテラと弟のロイド。なんとこの世界では珍しい双子である。

 3個下の彼らは甘えん坊のリーテラとお兄さんぶりたがるロイドである。一応ロイドの方が先に生まれてきたそうなので間違っては居ないのだが。


「兄さぁぁぁん」


 と、考えていた所で半泣きのリーテラが走り寄って来た。

 ひし、と抱きついて背の関係もあって腹に顔を埋めて泣き出す。

 腰まで伸ばしたその長い髪は俺に似て黒に近いが若干茶がはいっている。茶色の髪はおそらく父ゆずりだろう。


「どうかしたのか?」

「ふぇっ、ロイドが、ひぐっ、私の、お菓子、とったのっ、うぇぇ」

「違うよ! 僕のをリーテが取ったんだよ!」


 まったく、と思いながらもリーテラの頭を撫でる。右手で頭を撫でながら背中をゆっくりと叩いて落ち着いた所で体から離す。


「心配しないでもお菓子は一杯あるから。でも先にちゃんと料理を食べないと駄目だよ」


 そう言ってリーテラとどこかふて腐れた表情のロイドの手を引っ張って所狭しと並べられている料理の中へと連れて行く。

 後ろでルナが逃げましたね、とぼそりと言っていたが気にしない。


「このお肉はグランさんが取って来てくれたビックピグの肉だよ、あまり食べられない物だから折角だし食べておこうか」


 皿に奇麗に並べられているビックピグの肉、これはたしかもも肉だったはずだ。特製のソースをかけられており、リーテラとロイドが食べやすいように小さく切って皿に盛る。


「僕知ってるよ! ビックピグっておっきなイノシシなんでしょ? 僕大人になったら倒すんだ!」


 そう言って手に持ったフォークを武器のように振るうロイド。だらしが無いぞ、と動いてる手を掴んで皿に向かわせる。

 後ろに引っ付いていたリーテラがそれを見て此処ぞとばかりに茶化す、そうするといつものパターンだ。喧嘩が始まってしまう前にリーテラとロイドを離して落ち着くのを待つ。


「兄さん兄さん、これはなぁに?」

「兄ちゃん、これうまーい! なんなのこれ?」

「兄さん兄さん、これ兄さんがつくったの? 私も料理習いたいなぁ」

「兄ちゃんアル兄は? アル兄はどこ? 今日きてるんだろ?」


 永遠と続く質問攻め、回答が出る前に次の質問が出る辺りが凄い。子供が元気が良いのはよい事だ、と思いつつも少しぐったりとしていた所で母から助け舟が出て来た。


「ほら、あまり兄を困らせては行けませんよ。アルフロッド君ならほらそこでニーナと話しているわ。料理は今度私と一緒にやってみましょう?」


 それぞれにうまく答えた後ロイドをアルフロッドの方へと促す。勿論邪魔をしたら駄目よ、と注意も忘れずに。

 リーテラはひっしと腰にしがみ付いたままだが。うーむ、口に付いていたソースが服についているのだが、まぁいいか。


「すみません母さん、さすがですね」

「ふふ、貴方の時は全く手がかからなかった物ですから、むしろあのくらいの方がやり甲斐があっていいわ。それとこれ、ありがとうね」


 くすくすと笑って答えるサラ、そして手首に飾られている小さな飾りを見せて微笑む。

 それは銀で作ったアクセサリーだ。

 本当はキーホルダーのつもりだったのだが、こんなに奇麗なのに財布や鞄に付けたら見えなくなってしまうでしょう? と手首に付けたのだ。


 正直色合いや傷を考えると悩みどころではあるのだが、まぁそれを言うのも野暮だろう。

 アクセサリーの形状はただの長方形の四角い塊だ、しかしその表面には簡素な魔術刻印と奇麗な細工がされている。

 魔術刻印の方は媒体が宝石ではないのでたかが知れているが、細工の方は凝っている。

 書かれているのはダリアの花。こちらには無い花、そしてこちらには無い花言葉。

 

 ダリアの花言葉は、華麗・優雅・威厳、そして……、感謝である。


「できればもう少し意匠を凝らした物をご用意したかったのですが。それはまたの機会にします」

「あら、私これとても好きよ。柔らかくて落ち着きがあって、そして共に時間が動いている気がするもの。勿論銀細工も嫌いじゃないけれどね?」

「ではご期待に応えるよう努力いたします」

「あらあら、催促してしまったかしら?」


 そういってくすりと互いに笑う。


「兄さん兄さん、私にはー?」

「んー? そうだなぁ、リーテはもう少し大人になったらだな」

「えぇー、私もう大人だもん! しゅくじょだよ!」

「じゃあ今日から一人で寝ようか」

「ええぇー! やだっ! 兄さんずるいー!」

「リーテ、まさかまた兄の布団に潜り込んでいるの……?」

「あっ、母様……、その、あの、えっと……」


 く、と笑いかけるのを必死に堪えてうろたえるリーテをさりげなく自分の後ろへと庇う。

 その仕草に母もしょうがないと言った様な感じでため息を吐いた。


「あまり甘やかさないでねスオウ、もう7歳なんだから一人で寝るくらいはしてくれないと」

「ええ、まぁ大丈夫ですよ。毎日という訳ではありませんし、それに俺も家にいる時間が少ないですから多少は」

「そう、わかったわ。ねぇ、スオウ貴方も無理をしないでね、貴方は私の大切な“息子”なんだから」


 何気ないその言葉、それに心臓がはねる、どきり、と。

 理解して言ったのか、感づいて言ったのか、ゆっくりと世界から音が消える様な感覚を感じながら目の前の母に笑みを浮かべ礼を述べる。


 息子、それは果たして適切な言葉なのだろうか。

 俺は果たして誰の息子なのだろうか。


「……はい」

 

 そして伸ばす、救いの手を。


(……クラウ、クラウシュラッ)

(案ずるな、儂はここに居る)


 揺れそうになる気持ちが落ち着いていく、細い高い声、10年間共に居続けていた声、おそらく女性であろうその声に平衡感覚が狂いそうになっていた世界が元に戻っていく。罪を知る相手が傍に居る事によって立ち位置を確かめられる。


(あぁ、あぁ、溺れそうになる。溺れてしまいそうになる、だけど、俺は許されてはいけない、息子を“殺した”俺は許されてはいけない)


 ぎゅぅ、と握りしめる手の平が、その痛みが己をここに縛り付ける。


(……まぁ、よいがな)


 浮き上がる視界、と、同時に腰にまわされていた腕が強く締まる様な感覚を感じる。

 おや、と下を見るとリーテラが不思議そうな顔をしてこちらを見上げていた。


「兄さん……?」


 くすりと笑う、あぁ、大丈夫。俺は大丈夫だ。


「なんでもないよ」


 くしゃり、と茶色がかった黒髪を一撫でし、そしてテーブルに並ぶ料理を食べるため足を動かした。

 悲しそうな目で見ている母の視線に最後まで気がつかぬまま。


 ○


(きっと君に体があれば無様にもクラウ、君を抱きしめて泣いたのかもしれないな)


 ただの愚痴、本心ですら無い愚痴を呟くその言葉。

 そして欲望のままに抱いただろうか、それとも強く強く抱きしめるだけで終わるだろうか。

 生憎とこの体ではそういった行為は出来ないが……。


 触れる事が出来るか、触れる事が出来ないか、それだけで違いがあるものだ。

 ぬくもりというのは何よりも尊くて切なくて、大切な物だ。

 

(これすらも君の計画の中に含まれているのなら、きっと俺は君に逆らう事すら出来ないのだろうな)


 おいつめておいつめてそして優しげに微笑んで差し伸べられる手はまさに天より垂らされたクモの糸のごとく高尚な存在と見るのだろうか。騙されないぞ、と意気込む者こそ騙しやすいというが、はたして俺もそうだろうか。


(信じる? なにを信じる? 俺を? 君を?)

(……)

(君が俺の幻覚や幻想や妄想、そうだと言えない証拠は何処にある?)

(……)

(そこにいるのだ、という証拠はいったいどこにあるっていうんだ?)

(……)


 溢れ出てくる不安が無理矢理に閉じていた蓋から溢れかえってくる。

 原因はわかっている、母に、サラ・フォールスに言われた言葉が原因だろう。


 ――私の息子だ、と。


(笑ってしまう、貴方の息子は私が殺してしまいました。そして私は貴方の息子のフリをして入れ替わっている偽物です)

(……)

(くく、あはは、あははははははははは。傑作だ、傑作じゃないか、なぁ! クラウシュラ! 傑作だ、こんなにも傑作な事は無い!)

(……スオウ)

(スオウ? スオウだって? いいか俺はスオウじゃない、スオウじゃないんだっ!)

(……)

(……あぁ……すまん、駄目だな、どうも。大丈夫、明日には、明日にはいつも通りに戻るさ、だから……)

(……あぁ、わかった)


 つぅ、と涙が出てくる。

 目端からこぼれ、重力にしたがって下に落ちていくのを感じながら天を睨む。


(まったく、30にもなってなにを文句を言っているのやら、まったく自分で自分が情けなくなる。本当に嫌になるな)


 ぐい、と溢れ出た涙を拭う。

 静かになった邸宅を抜け出して二つの月が浮かぶ夜の空の下へと出て行く。


 頭上に浮かぶのは黄色く美しく見える、変わらぬ月。そしてもう一つは青く光る月。

 青い月は輪郭がぼやけていることから幻月と言うらしい。


 月は魔素の配給源の一つである。

 地上へと降り注ぐ魔素は大気中で停滞し、そして世界を循環する。怪しく光る二つの月から溢れ出てくるように感じる魔素を全身で感じる。ぎちり、と手に持った“剣”を抜く。


 月明かりに照らされた刀身が妖艶に輝き、暗い中でも僅かに映る自分の顔を見て苦笑する。


(酷い顔だ)


 ギチリ、と更に力を込めて剣の柄を握りしめる。

 護身用として、鍛錬用として、グランにお願いして手に入れた武器だ。

 カリヴァに依頼して手に入れる事も可能だったが、その場合どうやって手に入れたのかを説明するのが面倒だったため、説明がつく方にお願いしたに過ぎない。


 全身を光が覆う、そして剣を振ろうとした所で――


(スオウ、誰か居るぞ)


 一瞬で警戒体制へと移る。クラウの言う方向に目を細め、睨むように向ける。

 何がきても、誰がきても問題ないように体重を落とし、剣を構える。

 こんな時間に来る様な人間に碌な人間が居るとは思えない。


 数秒か、数分か、僅かな時間が引き延ばされたかのように長く感じていたその時、暗闇が揺れた。


 出て来たのは一人の女性だった、アンナと同い年くらいの少女10代後半に差し掛かった程。ブロンドの髪をシャギーに切り、そして後ろ髪は肩より僅かに長くまで伸ばしている。

 そして僅かに見える小麦色の肌、闇に映る茶色の目は父を思い出す。

 

 だが、その表情は氷の様に無表情、そして何より――


(逃げろスオウ、こいつ、“やばい”ぞ)

 

 珍しく切羽詰まった声でナカで騒ぐクラウシュラ。

 あぁ、わかってる。出来る物ならな、と内心で毒づいて剣を構える。

 じわり、と背に伝う汗が気持ち悪い。頭の中ではガンガンと警報が鳴っている。アルフロッドと立ち向かった時とは別の警報音。


 おそらく、死の警告音。


「すまないが、迷い子かな? ここはフォールス邸の敷地内なんだが、迷子なら案内するよ?」


 極力柔らかな声で自分でも返事が返ってくる訳が無いと思いながらも問いかける。

 その問いにまた表情を変えずスオウを見つめる女、そしてすらり、と動く右手。一瞬の後その手には曲刀が持たれていた。


(交渉の余地無しか……)

(だから逃げろとっ! 屋敷内にはまだグランがおるじゃろうてっ、アルフロッドだっておる! 急げスオウ、死ぬぞっ!)

(出来ないよ、もし屋敷内に逃げたとしてリーテラとロイドが危険に晒される可能性がある。母さんもそうだ。さすがに屋敷内にまで侵入すればグランさんも気がつくだろうし)

(何を訳の分からない事を言っておる! そんなものここで戦った所で一緒だろうてっ、屋敷内にはいればグランが気づくとわかっていて何故ここに留まる、お主が殺されるだけでメリットなどないであろう!)


 叫び続けるクラウ、しかし答えは変わらない。

 わかってる、わかってるさ。でも、これは俺がやらなければならない仕事なんだ。


「目的は、俺かな?」


 返事は無言、だが、ぴくりと僅かに動いた片眉がその本意を表していた。


(やっぱり、な。歪みが現れた訳だ)

(何を言っておる!)


 絶叫にほど近い、悲鳴の様にも聞こえるクラウの声を黙殺して目の前の少女へと再度目を向ける。

 こちらに逃げる気がないからか、それとも他に考えがあるのかは知らないがこちらの様子を窺ったまま動かない。


「もし、俺が死んだら家族には手を出さないでくれるかな?」


 懇願、答えてはくれないであろう無茶な願い。だが、幸か不幸か、この質問の答えは得る事が出来た。


「任務に含まれていません」


 凛と通る声、透き通る美しい声だった。

 その姿形に相応しい美しい声、まるで美しい死神の様だ。

 前世はあるいは死んだのかもしれない、その時に会えなかった死神が今になって現れてくれたのだろうか。

 どちらにせよ最大の問題点は解決した、とはいえ、口約束に過ぎないそれを全面的に信じるつもりも無いし、そしてなにより死ぬつもりも無い。


「よかった」


 剣を水平に、体を巡る魔素が増えていく。

 おそらくクラウが反応しない事から伏兵はいないのだろう。未だに騒ぎ続ける彼女の声。それを無視して思考を巡らす。

 伏兵が居ない、それは彼女の実力がずば抜けているのか、それともこちらを取るに足らない相手と見たか、おそらく前者の様な気はするが兎にも角にも覚悟を決める時が来た様だ。


「俺は、天邪鬼かもしれないな、と思った事があってな」


 今から生死のやり取りをするというのに頭は冷えて体は緊張とはほど遠い程にリラックスしている。


「両親を愛している、そして守り抜きたいと考えている」


 目を細める、息子だと言ってくれた母、息子だと言ってくれる父。それが偽物だとわかっていたとしても、わかっていなかったとしても、それは、その愛情は、俺にとって一つの希望でもあった。


「だってきっと、スオウ・フォールスという少年はそうであったと思うから」


 けれどその愛情を受ける相手は俺じゃ無い、決して俺じゃない。

 理不尽にもこのわけのわからぬ世界に連れて来て、自分も被害者だと嘆く事はもう終わり。

 クラウシュラには長い間付き合ってくれたのだ、文句一つ言わないで付き合ってくれたのだ。


「だから、俺は負けないよ」


 じわり、と手に握る柄の温度が、鉄の冷たい温度がまるで体の中に存在している様な錯覚と同時に、剣と一体化したかのような全能感に捕われる。


 守るべき物がある、果たすべき約束がある、たどり着く目的がある、欲しい真実がある。


「偽物を愛してると言ってくれたんだ」


 ならば、その愛に報いなければならないじゃないか。

 己の都合で歪めた世界、本来であればきっと現れなかった暗殺者、グランに頼るか? アルフロッドに頼るか?

 いいや、だめだ。このくらい、俺がなんとかしないといけない。

 そうでなければ、守るべき物も守れない、果たすべき約束も果たせない、たどり着く目的にもたどり着けず、欲しい真実は手のひらから溢れて落ちる。

 

 ――そんな事は認めない、認めてやらない。


「そう、だから俺はこんな所では死なない。死んでやらない」


 ドン、と地面が炸裂した。


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