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月蝕  作者: 檸檬
2章 魔術学院編
47/67

幕間 温もりを求める道化は今日も薄氷の上で踊る③

これにて2部終了

 To be ignorant of one's ignorance is the malady of the ignorant.

 自分の無知に無知なのは、無知な人の病気だ。


 おかあさん……。


 ぼんやりと霞む世界のナカで一人の女性が座っている。ベットの上で外をぼう、と見つめながら座っている。


 おかあさん……。


 女性がこちらを向いた。同時に浮かぶその表情は醜悪に染まる物でその口から漏れ出た言葉は冷たく鋭利な牙の様。


「私は貴方の母じゃないわッ! 気持ち悪いッ。吸血種なんて滅んでしまえばいいのに!」


 びくり、と震える。感情が冷え込んでいくのを叫ばれた一人の少女は感じた。

 じわじわと足下から這い上がってくる様な絶望感、まるで自分自身が無くなってしまう様な恐怖の一時。

 感情が死んでいく。指先が冷えて、呼吸もままならない。青ざめた顔で自分の母であるはずの女性を見る。


 ――顔は、まるで汚物を見るかの様な冷徹な表情だった。


「そうよ、私は貴方なんて産んでない、貴方の親なんかじゃない、違う、違う、違う」


 がりがりと頭を掻き、ぼさぼさになったその髪を振り乱し悪鬼の如くその少女、スゥイを睨みつけ、そして手元に合った置物を乱暴に投げつける。

 逃げる事すら出来なかったスゥイはそれを顔面に受け、衝撃で切れた額からは赤い赤い血が垂れた。


 父がそれに気が付いて助けてくれなければおそらくスゥイは死んでいただろう。


「こっちに来なさい! あの部屋に行くなと何度言えば解る!」

「お、お母さんが……」


 パン、と叩かれる。じんじんと痛む頬を驚きの表情で感じ、そして叩かれた事で自分が悪い事をしたのだろうと子供心に感じる。

 見上げた父の目は冷えきっており、そしてどこか殺意すら感じる程。


「あの淫売を母だと? 笑わせるな。あの様なゴミ! 浮気した相手が吸血種でなければ俺との子だと騙せたのだろうがな? ふんッ、下衆が、何度言っても解らないとは淫売の子は淫売か、程度のレベルもたかが知れてるッ」


 ギチ、と首を絞められた。


「か、は……」


 ぎちぎちと締められていく首、意識が朦朧として世界が闇に染まる。


「スイル国の元名家だかしらんが入り婿だからと舐めてるのかッ、どいつもこいつも馬鹿にしやがってッ!」


 意識が消えていく、死を感じる。殺されると思ったのだがもはや抵抗する気力も無くて……。だが力は直ぐに緩んだ、だが意識は朦朧としたまま。

 見上げた父の顔は悲しみに濡れていて。


「哀れだ……、……、……………、いつか……、殺……」


 消えた意識の中、呟かれた父の言葉は聞き取る事が出来なかった。


 ――暗転。世界が戻る


「最……悪……」


 ずるり、と自分にかかっていた掛け布団をずらし、体をベットから出す。全身にびっしりと掻いていた汗をうっとおしそうに感じながらスゥイは自室に当てられていた部屋のなかで一つ溜め息を吐いた。

 重たい頭をゆっくりと振り払いながら彼女は自分に言い聞かせる様に呟く。


「大丈夫、大丈夫、母も吸血種、母も、母も、そう吸血種。そうじゃなければ、私は誰から、産まれたと言うの……?」


 ぼぅ、と部屋の何処でもない所を見つめる様にして色を失っていく瞳。僅かな時、彼女は夢から覚めて、そして悪夢をその“記憶を消した”。

 ゆっくりと閉じられる瞳、そして数秒開けられた瞳には色が戻り。


「……スオウは?」


 最後に残された唯一すがれるその存在を求めていた。


 ○


 じりじりと小麦色に焼け上がっていくクッキーを見ながら薪を調整して火力を合わせる。砂糖をまぶしたその菓子は表面がてらりと輝き甘い香りを調理場に漂わせる。ふんふんと鼻歌でも歌いそうなほどご機嫌なスオウは次の作業へと取りかかる。――部屋の隅で椅子に座りながら本を読んでいるスゥイを視界に入れながら。


「スゥイ……、別に態々ここで読まなくても良いと思うんだが」

「ご迷惑ですか?」

「いや、迷惑じゃないが。なんかあったのか?」


 僅かにあげた視線、スオウと絡まり、そして数秒また本へと戻るスゥイの視線。

 なんかあったんだな、とスオウは思うが思い当たる所は無い。いや、無い訳ではないが様子がおかしかったのは朝食の時からだ。それとなく家の使用人にも聞いたが昨日は夜、外に出ていないという。となれば夕飯後に何か有ったとは考えにくい。やや杜撰ではあるが簡易的な推測を頭の中で巡らせたスオウだが軽く溜め息を吐いて意識を切り替えた。

 手に持っているボウルの中、卵白を丁寧に撹拌しメレンゲを作る。大体いい具合に角が立って来た所で、焼き上がったクッキーをオーブンから出して常温で熱を冷ます。焼いている間に作っていた卵黄とクリームチーズを混ぜ合わせた物を保冷室から出して来てメレンゲと混ぜる。クリームチーズの香りと甘いクッキーの香りが調理室に漂う。


 今の時間は昼食のやや前であり、使用人も掃除をしている者は別だが休憩に入っている所だ。技術を盗め! と先ほど出て行った料理長から命令された若い料理人は戦々恐々としながら何度も頭を下げて先ほどから横で作業の流れを見ている。時折質問するのだがそれも申し訳ない表情で言ってくるので逆にこっちが困る。


 雇われている相手の息子に自分達の仕事を教わる様な物なので当然とも言えるのだが、それを言うのならばそれを指示した料理長を詰問すべきだろう。

 彼とは知らない仲でもないし、何より彼らの仕事場を強引に使っているとも言えなくも無い。まぁ、フォールス家の私物なのだと言えばそれまでなのだが。仕事に対するプライドという観点から見ればまぁ解らないでも無い、か?


 料理を教える、とまではいかないが、流れを見せる代わりに片付けと使用許可を貰ったと考えばさして苦でもないし、なにより彼ら使用人と接点を持つ事に意味が無い訳ではない。


「あ、あのスオウ様。コーヒーが出来上がりました」

「あぁ、ありがとう。それにクッキーをしっかり浸してくれ」


 コーヒーはカナディル連合王国傘下の島の一つにあった。正確にはコーヒーという名前ではないが、カナディル連合王国ではその名で通した。配給販売元はメディチ家だ。

 未だ普及されていない飲み物であり、まぁ紅茶が主流であった以上あの黒々しい毒みたいな飲み物を好んで飲みたいと思う奴はいないだろう。

 だからこうやってデザートに含める事で普及させる事にした。あの苦みが良いというのに……。


 コーヒーの香りが部屋に漂いスゥイが僅かに顔を上げた。彼女はこの香りは好きらしいのだが味は駄目らしい。甘い物好きなのは女性共通なのかもしれないがそのコーヒーを使う事にやや怪訝な表情を向けて来る。手伝いもしないでただ横にいて本を読んでいる奴が何様のつもりだというのか。


「……」

「……なんだ文句があるのか?」

「あ、あのスオウ様……?」


 にらみ合う様な形になってしまった二人。使用人が心配そうに聞いて来る声、それを流しスオウはスゥイに口角を吊り上げ笑った。


 ――料理も出来ない奴が文句を言うな。お前が朝からおかしいから作ってやってるというのに。


 自分自身でも思う子供みたいな悪戯。それを感じたのだろうか、スゥイは僅かに片眉を上げそして不敵に微笑む。


「……スオウ」

「……なんだ?」

「昼食後街へ出かけませんか?」

「何か用でもあるのか?」


 首をひねる。アイリーンとの合流の時間を考えても昼食後では早すぎる。怪訝な表情を向けると今度はスゥイが口角を吊り上げ――


「将来の夫とデートをしたいと思うのはおかしな事でしょうか?」

「……あぁ、いいぞ」

 

 微妙な表情をしている使用人の手前スオウは断れない。


 ――女心を少しは知れ。ただ傍に居るだけで良いときもあるでしょう。


 互いに互い本当に内心まで通じていたのかは果たして不明ではあるが、互いに理不尽な欲求をしていた事を理解したのかお互いにダメージを受けたかの様な顔を一瞬浮かべたが直ぐに気持ちを切り替えて作業に戻る。


 スオウはデザート、ティラミスの作製へと。スゥイは読みかけの本を読む為に。

 ただ、スオウの手伝いをしていた使用人は後に語る。


「いやほんと、気まずいったらありゃしないですよ。何なんですかねアレ? 好いてるんですか? 嫌ってるんですか?」


 その日の夜同僚と飲んでいたその使用人は最後の最後まで愚痴を続けた。


 ○


 昼食後のデザート、ティラミスで舌鼓をうち、リーテラの追究を逃れたスオウとスゥイはクラウシュベルグの街へと繰り出していた。

 未だ寒さは変わらず、肌を刺すその冷気が町中に溢れている。

 互いにコートを着込み、今度はスゥイもマフラーを掛けている。それが先ほど店に寄って買ったスオウからのプレゼントである事は言うまでもないが、やや複雑な心境でスゥイはそのマフラーで首を包みスオウの隣を歩いていた。


 街の散策とは言えどクラウシュベルグは広い。いや、広くなった。故に一日で全てを回りきれる筈も無く、またコンフェデルスへ行った後は直ぐに魔術学院へと入学したスオウもそれほど詳しく知っている訳ではない。とはいえスオウである、当然情報収集は滞り無く行っており、メイン所は抑えている。

 スゥイとしては適当に外を歩ければそれで良かったのだが、スオウは変わりゆくクラウシュベルグに興味があったのだろう、コレ幸いとスゥイを連れ回し街を散策していた。


(私が連れ出したのですが……)


 これが普通の女性でデートに誘ったという状況だとすれば女性側は不満に思っても仕方が無いだろう。

 なんせスオウの行く所は蒸気機関の技術流用をしている鍛冶屋だったり、なじみの魔術刻印の細工屋(これはまぁアクセサリー関係があったので有りと言えば有り)だったり、魔獣の出没情報を確認したり、以前の死霊の森であったところの進捗状況をそれとなく探っていたり。そしてしまいには……。


(メディチ系列に手紙、ですか。デートではなくてスオウの情報収集兼伝達事項の確認ですね)


 本当にデートを望んでいたのかと言われれば疑問では有るが、複雑な心境である事程度は許されるだろう。

 スオウに気が付かれない様に溜め息を吐き、首に巻かれているマフラーに触れる。


(度し難い)


 僅かに浮かぶ感傷に軽く頭を振った。

 彼女は既に忘れているが、朝見た夢のせいか、スゥイはやや思考に落ち入り易くなっていた。

 昨日スオウは家を継がないと言った、それ自体は一晩経ってみればさして問題ではないのではないだろうかと考える様になった。あくまでスゥイの立場としては、だ。しかし実家はどう思うか解らない。スゥイは自分がフォールス家へと捧げられた貢ぎ物に過ぎないと知っている。その中でスオウがスゥイへと選択肢を与えてくれた事も知っている。だがしかしそれが実家からの呪縛から逃れているとイコールでは無い。


 操り人形では無くなった。だがしかし彼女に巣食うナニカが消えた訳ではないのだ。


(実家を継がないとなるとエルメロイ家としてフォールス家と縁を結ぶ必要性が無くなる。それが知られれば何をしてくるのか……)


 何をした所で落ち目であるエルメロイ家に出来る事はたかが知れている。問題は――


(スオウは、私の両親であっても障害となれば消すのでしょうか……)


 母さん……。口の中で僅かに漏れたその声は誰にも聞こえなかった。スゥイの中では父に決められここに来ているのだとなっている。彼女の母がスゥイにした事はスゥイに取って耐えられる事ではなく、記憶が改竄されていた。しかし違和感は残る。ぶるり、と肌を振るわせ、僅かにこみ上げて来た吐き気を抑える。

 指先が冷たく、口を抑える様に持ち上げたその手の感覚はうっすらとしており意識がやや不鮮明になる。不安定だ――


 フォールス家に来てから急激に不安定になっている自分自身に気が付いた。


「――ゥイ、スゥイ!」


 声が聞こえた。霞の中でそれを散らすかの様な声が。


「……あ」

「……迷子になると困る」


 昨日も聞いた言葉の一つ。

 冷え込んでいた手が包まれ、温もりが伝わる。なぜかスゥイは泣きたくなった。だがしかし泣くつもり等無かった。


「スオウ……」


 やめてください、と言いたかった。

 中途半端に優しくするのはやめて下さい、と。

 利用するなら利用して下さい。道具として使うならそうして下さい。中途半端に優しくされると、私は貴方に縋ってしまいそうになるから、と。

 それがただの逃避である事にスゥイは気が付いていた。それをしたくないとスゥイは思っていた。

 だがスオウは時偶理不尽に優しかった、それに甘えそうになる自分が居た。そんな自分が何より嫌だった。


 抱くならさっさと抱いて欲しかった。そうすればスゥイは区切りがつけられた。諦められた。

 

 スオウに利用される道具として諦められた。自覚できた。そうして生きていく事を決められた。


 しかしスオウはそれを嫌っているようだった。妾も嫌だと言った、スゥイだけを愛するのだと言っているかの様に聞こえた。

 自分自身を利用するのだと、自分の物だと言ったのに、スゥイには自己選択と自意識を強いられる。

 誰かに決められるのは楽だ、誰かに指示されるのは楽だ。まるで人形の用ではあるが、スゥイはそこに逃げ込みたかった。


 選択肢の無い様な選択を強いて来たくせに……。


 ギリ、と下唇を噛み締めた。僅かに切れたか血の味が口内に広がる。


 手の温もりが頭に残る。


 俺の物だと言ったのに。スオウはそれをしない。優柔不断だ、理解不能だ、決めつけておいて決め切れない。

 甘いのだ、それは甘さなのだ。スオウの心の片隅に僅かに残る甘さなのだ。


 スゥイはスオウを愛して等居ない。好いて等居ない。ただ縋る相手として欲しているのだと。

 自分自身のその感情を知ってスゥイは死にたくなった。


 手を離したく無い、と思った。


「どうした?」

「……いえ、何でも有りません」


 だがしかし、自分にはもはやスオウしか居なくて……。


 そしてスゥイはスオウに全てを捧げても良いと改めて思った。それはまるで贖罪のようだった。


 ○


 街の散策から数時間、アリイアとアインツヴァルが手配していた一つの宿屋の一室にスオウとスゥイの二人は居た。

 アリイアはここには居ない、今から会う相手、アイリーン・レイトラにとっての鬼門であるとも言えるからだ。

 激昂させた上での交渉という手法も無い訳ではないが、それが下策である事はスオウも自覚している。そもそも武力行使による拉致という時点で下策中の下策ではあるのだが、生憎と政治基盤の弱いスオウでは現状それしか無かったとも言えよう。


「帝国の方は?」

「そちらの情報はまだ……。しかし、過度な干渉はしてきていないようだ。例の実験も含め帝国が関わっていた可能性も高い」

「証拠は見つかったのか?」

「いや、残念ながら。予想の内とも言えるがね。アイリーン・レイトラも表層しか知らなかった様だ。時間的制約も大きかったからな、仕方がない」


 仕方が無い、で済む問題でもないんだがな。とこめかみを揉み解しながらスオウは呟いた。

 部屋には椅子が4脚、そしてその中央に丸いテーブルが一つ。宿屋の一室の為ベットもあるが、今晩ここに泊まる事は無いためそのベットは椅子として使われるだろう。現在スゥイがそこに座っている様に。


 対面に座るアインツヴァルの報告を受けながらスオウは思案に沈む。既に書面での報告は受けてはいるが確認は必要だ。


「……カナディル連合王国が関与してる可能性は?」


 呟いたスオウの言葉に怪訝な表情を浮かべたのはアインツヴァルだ。


「何故そう思う?」

「……カナディル連合王国の国王が蒸気機関をコンフェデルスへと譲り渡したのは言ったな?」

「対価に金銭を貰ったと聞いたが」

「確かにな、だが同盟国とは言えどやり過ぎな気はする。同盟強化を含めて手法として無いとは言えないが……。あるいは、“その”技術の見返りも含めたか?」


 そう言いつつもスオウは可能性として低いだろうと感じていた。王家が関わるには黒すぎる、ルナリアも流石に眉を顰めるだろう。絶対的に必要であるとなった場合は別では有るが、蒸気機関というカードを手に入れた場合アイリーンを使ってする程の事ではない。何より年数的にも合わない。が……。


「コンフェデルス連盟単独、とするには少々、な」

「帝国から奴隷を連れてくるにせよスイル国あるいはカナディル連合王国を経由する必要が有る、か。深遠の森を経由するとは考えにくい」

「関わっていたのがただの下っ端であればいいが、大物が釣れると面倒だ。ルナリア王女も地が盤石という訳ではない」

「クラウシュベルグ男爵との繋がりが状況を悪化させたようだな」


 アインツヴァルの言葉にスオウはく、と笑う。


「焦った貴族共が何をやらかすか想像したくも無いが、学院の件で釘は指した。結末も示した、が……」


 故に、クラウシュベルグ男爵の持つ力を恐れすぎたとも言える。


「暗殺が頻発しそうだな。クラウシュベルグの警邏隊は並じゃないから他領土よりはマシだろうが」

「メディチ家に関連する商家にも通知した方が良いだろうな」

「それは既に行った。話半分の連中も居たが、まぁあまり神経質になるよりはいいだろうさ」


 軽く手を振ったスオウは面倒くさそうにアインツヴァルへと告げる。返答は無い。


「ルナリア王女もカリヴァを上手く使おうと思っているんだろうが、劇薬になりかねない。国王に一番近い力を持つ辺境伯に近づいているのも問題となるかもしれない」


 ルナリア王女を筆頭として、クラウシュベルグ男爵はもとい、グリュエル辺境伯を中心とした派閥が出来上がる。

 そうすると面白く無いのは残されたガウェイン辺境伯とセレスタン辺境伯だ。ガウェイン辺境伯に関してはクラウシュベルグでの一件もありあまり大きく言えない。だがセレスタン辺境伯はコンフェデルス連盟へとアルフロッドを“貸し出す”事にも強く言わなかった。それを貸しと考えている可能性も有る。となれば……。


「アルフロッドはセレスタン辺境伯預かりになる可能性が有ると?」


 アインツヴァルの言葉に目を伏せて答えとした。


「ルナリア王女とリリス王女の結束は固い。それを崩す手間を考えればアルフロッドを手に入れた方が早い。深遠の森相手であれば面目も立つ」


 ルナリア王女の体に刻まれた刻印の事を辺境伯が知っているかは別として、知っていなかったとしても知っていたとしてもそのリスクは高い。

 同時にアルフロッドの保護者としてクラウシュベルグ男爵とグリュエル辺境伯を立てるのも厳しくなった。


「少々強くなりすぎた。この状況でアルフロッドまで手札に加えれば不満は爆発するだろうな。まぁ、強いに越した事は無いんだろうが……」


 ルナリア王女との関係を強化できた事を良しとするべきなのだろう。国政にまで手を出すつもりは無いがあまりクラウシュベルグにリスクを負わせるのもスオウとしては好ましく無い。


(幼き頃に誓った誓いなど……。所詮戯れ言だったという事か)


 アルフロッドを守る。子供を守る。それが押しつけでしかなかったと言えど、スオウとして思う所が無い訳ではない。

 だが、ただの殺戮兵器として生きるよりは深遠の森に対するヒトを守る盾として生きるのはアルフロッドにとって良い事なのかもしれない。それがスオウ自身、自分を納得させる為の戯れ言に過ぎないと理解していながらそう思う事にした。


「学院が荒れる、か」


 アインツヴァルの言葉にスオウは目を伏せた。


「アルフロッドがセレスタン辺境伯へと渡される場合、どちらに力が有るかを示す必要が有る。余計な事を考える連中を潰すのと、セレスタン辺境伯に対する忠告も含め――リリスとアルフロッドの模擬戦が行われるだろう」


 戦力確認も含めてな、と、ふん、と鼻を鳴らし自嘲するかの様にスオウは笑った。スゥイは僅かに眉をひそめ、アインツヴァルは変わらぬ表情でスオウを見る。


ニールロッド(王女の駒)も動くだろうが帝国からの間者の閉め出しを行う必要が有る。どうせルナリア王女からこちらにも協力願いが来るだろう」

「それが次の仕事、か」

「悪いな、コンフェデルス連盟の件、もう少し調べたかっただろうに」


 やや不満げな表情で呟いたアインツヴァルにスオウは告げる。アインツヴァルの部隊を全滅させた黒幕が関わっていそうなアイリーン・レイトラの件。アインツヴァルの心境としてそれを調べたいと思うのは不思議な事ではない。


「いや、数日で調べ上げられる事ではない事は理解している」

「ルナリア王女から正式に通達が来るまでフィリスとシュバリスを使っても構わん。アリイアは暫く護衛についてもらうし、ログはアイリーン・レイトラの護衛として必要だからな」

「感謝する」

「資金が必要であれば適宜連絡してくれ、後あまり無理はするな、目は何処に有るかわからないからな」

「わかっている」


 目を伏せて答えるアインツヴァルには隠し切れない意思が見え隠れしていた。

 多少、であれば無茶をしそうだな、とスオウは感じたが本人に告げるのは控えた。後でフィリスに対して注意と、最悪止めるときの手札を渡すと決めた。


 やや沈黙、そしてノックが部屋へと響く。


「フィリスか?」


 ノックへ返したのはアインツヴァルだった。さすがは風の先駆者。恐らく足音か、あるいは結界魔法に属する何か、視線を逸らし部屋の隅に刻まれていた刻印を確認してその魔術を推測する。アインツヴァルの魔術はコンフェデルス連盟の物も含まれており、カナディル連合王国と若干色が変わっている。その独特の文様はスオウの研究心を刺激するが、生憎と今この場でする事でもない事くらいは理解していた。


 失礼します、と入って来たのはアインツヴァルの予想通りフィリスだった。そしてそのフィリスが押している車椅子、現代社会の様にアルミで作られ、ゴムのタイヤで衝撃を吸収してくれる様な物ではなく、木と僅かな金属で作られている物ではあった。押す方にも相当力が居るだろうが、魔術によって強化しているのか、あるいは本人の基礎筋力であるのかは不明だがそれを感じさせない形でフィリスは車椅子を部屋へと滑り込ませた。


 車椅子に座っている女性は言うまでもなくアイリーン・レイトラであろう。フードをかぶされ顔を見る事は出来ない。足は大き目の布で覆われており手には僅かに包帯が見える。僅かに見えるその肌の色、当初に聞いていた状況よりは多少回復したのだろう、若干ではあるが健康的な血色が見え、今にも死にそうな老婆の肌では無かった。


 フードが取られる。白い髪は薬物による副作用か、銀の輝く髪ではなく、色素が抜け落ちた白髪。だがしかしその表情は聞いていたより随分とまともだった。

 年齢は27歳、しかし見た目で言えば30代だろう。それは心労か、それとも肉体的な疲労かはわからないが、その皺の一つ一つが彼女の人生を語っているかのようだった。当初の話では40代くらいと聞いていたので多少マシになったのか、子供が二人もいる現状にいぶかし気な視線を隠そうともしないアイリーンにスオウは僅かに苦笑を浮かべ後ろに控えるフィリスへと告げる。


「追跡は?」

「シュバと二重尾行しましたが特にありませんでした」

「そうか、まぁ、こっちでは顔は知られていないからな。だが気をつけるに越した事は無い、髪を切ったとは言えど、な」


 アイリーン・レイトラの髪は短く切られていた。変装とまでは言わないが多少誤魔化す程度やらないよりはマシという奴だ。

 後は髪を黒く染めるつもりだったが本人が嫌がったらしい。罪の象徴として忘れない様に取っておくつもりなのかは知らないが、お前の都合等知った事かとスオウは喉元まで出かかって、しかしそれを告げる事は無かった。


「……貴方が……?」


 怪訝な表情は変わらず、そして射貫く様な視線がスオウへと刺さる。子供である事に対しての葛藤は無くなったのだろうか。あるいはアリイアに殺す事を命じた本人に会ってその憎しみがぶり返したか。その視線に臆する事も無く、スオウは真っ向から彼女に対して睨み返したら彼女は視線を逸らした。


 僅かに嘲笑が浮かぶ。


「アイリーン・レイトラ本人で間違いないな」

「……ええ、そうよ」

「概要は聞いているな?」

「……」


 返事は無い。フィリスへと視線を向けると肯定が返って来た。


「無言ではわからないな……。協力してくれるのかしてくれないのかどっちだ?」


 事前のアインツヴァルとの会話で苛立ちが溜まっていたのだろうか、問いかける言葉には刺が有った。

 告げてから気が付いたその事にスオウは自分自身に眉をひそめた。


 恨みの篭った視線がアイリーンから向けられる。それにスオウは目を逸らさず、正面から向き合った。


「ふざけ、ないでッ! もう、嫌、研究なんて、嫌……。私を巻き込まないでよっ!」


 それは悲鳴の様にも聞こえた。後ろに控えるフィリスがやや眉を伏せたが対するアインツヴァルも、スゥイも、そしてスオウもその声に表情を変える事は無かった。

 叫んだアイリーンから視線を外し、スゥイに入れてもらっていた紅茶へと手を伸ばす。紅茶は温くなってしまっていてそこではじめてスオウは眉を顰めた。


「淹れ直しますか?」

「あぁ、そうしてくれ。アイリーン嬢の分もな」


 年下の子供に嬢と呼ばれた事に対してどう思ったか、苛立ちを隠そうともせず、だが同時に得体の知れないものを見るかの様な恐怖の感情も見える。


「フィリス、ログは?」

「え……、あ、うん。外で警戒に入ってるよ?」

「そうか、まぁ必要か。残念だ、今日は折角手作りのデザートを持って来たというのに」


 くすり、と笑うスオウ。その笑みにフィリスは呆れた目を向け、アインツヴァルはやや溜め息を吐き、そしてアイリーンはより懐疑的な表情を浮かべる。


「まぁ、話くらい聞いてもらえませんか、アイリーン嬢。貴方の力が必要なんです」


 そう言うスオウにアイリーンはデジャブを感じる。それはアイリーンが初めて研究で成果を出した時、あの研究所へと連れて行かれる時と同じ言い回しだった。

 嫌悪感が表情に浮かぶ、その表情を見たスオウは失敗したかな、と思うが直ぐにどうでもいいか、と思いアイリーンへと席に着く様に指示した。

 だが……。


「嫌よっ! もう、もう、嫌なのよ! 帰らしてッ、私は何も協力しない!」


 トン、と音が聞こえた。反発からか、あるいは過去の記憶からか、アイリーンの拒絶感は最大に達していた。

 トン、と音を出したのはスオウだった。アイリーンはやや怪訝な表情でその音源の少年、スオウを見た。そして同時に声にならない悲鳴をあげた。


「金貨にして500枚程度、これが何を意味するかわかりますか?」


 告げられた言葉にアイリーンは答えられない。


「貴方方を助ける為に使われた金額です」

「そ、それが何を……」

「まぁ、安いと見るか高いと見るかは別として、その金額が今の貴方の価値、という訳です。つまりその金額分の働きをしてくれないのであれば不要とも言えますね。むしろ赤字でしょうか」


 ごくり、と誰かがつばを飲む音が聞こえた。


「それに加え子供達の養育費も掛かります。孤児院とて金が掛からない訳ではない。まぁ、貴方が養育権を放棄して二度と関わらないと言うならば別ですが?」

「脅しのつもり……! 誰が、誰が助けてって言ったのよッ」


 は、とスオウは笑った。


「事実確認ですよ。貴方は何か勘違いしている様だ。貴方には限られた選択肢しか無い。大体助けてと言ったと言われても、でしたら今直ぐ戻られますか、子供達と一緒に」


 ま、こちらも助けたつもりは無くて正確には拉致、ですがね。とスオウは笑う。

 アイリーンはギリギリと不快な音が耳に聞こえるのを感じた。それが自分の歯ぎしりであるとやや遅れて気が付き、車椅子の手すりを手が白くなるまで強く握りしめている事に気が付いた。


「力ある者は責務が有る、義務が有る。それを使った瞬間からそれは発生する。もしその責務から逃げたいと、義務を負いたく無いというのならば最初からその力を使うべきではなかった。力なき者として生きれば良かった。だが貴方はその力を使った、自分の知識を使った。褒められたかったのですか? 自分は凄いのだと自慢したかったのですか? 優越感に浸り、世界の中心に自分が居ると錯覚したかったのですか?」

「い、いや……。ち、ちがう、私は、私は」

「まぁ、否定はしないさ。私もそう言う立場になればそうするでしょうし、その欲求を抑えられるかわかりません。現在も似た様な事をしていますし」


 苦笑が浮かぶ、嘲笑が浮かぶ。


「貴方は現状が認識できていない。貴方が断れば目の前で子供達の指を一つずつ切り落としても良い。泣き叫ぶ子供を理由に屈服させても良い。私たちが真っ当であるなど誰も保証はしていない」

「……ッ、や、いや、どうして……。どうして私がこんな目に」


 頭を振るい、現実を見ようとしないアイリーン。彼女の現状は、彼女の過去は同情に値する。救いたいと思う、救ってあげたいと思う。けれど、自分に出来る事なんてたかが知れている。


 彼女の白い髪を掴んだ、乱暴に、そして叩き付ける様に車椅子の背もたれへと押し付ける。フィリスが批難めいた目を向けるが意図的に無視した。

 彼女の目を見る。必死に逸らそうとしている目を見る。その目は悲しみと、絶望と、諦めの感情が見えていた。


「アイリーン、俺は君を助けたいと思う。救ってあげたいと思う。普通の、当たり前の温もりを与えてあげたいと思う。君の過去は同情する、十分すぎる程君は地獄を味わった、後の余生が全て幸福で満たされていても良いと思う程度には。だがな、アイリーン、それは不安定な地盤で築かれる物ではない、ここに居れば安全か? ここに居れば幸せか? それは誰が保証してくれる?」


 目を逸らされる。髪から手を離し、今度は両手でその顔を掴み、強引にこちらを向かせた。


「俺を見ろアイリーン、俺の目を見ろ! お前の大切な子供を殺す様に指示をした男だ。お前のささやかな幸せを奪った男の顔だ、それについて謝るつもりなど無い! だがよく考えろ何故それが起きた、どうしてそうなった、なぜ子供達が連れて来られた。力を欲したからだ、その為の研究だったんだろう? 国が力を欲するのは当然だ、自国民を守るため他国民を糧とするのは当然だ。民主主義等と平和主義等と言うぬるま湯の世界などこの世界には無い、無いんだアイリーンッ」


 叫んだ言葉、最後の意味は今この場に居るものにはわからなかった。だがスオウが何かに葛藤しているのではないかというのは理解できた。


「圧倒的な力を持つ加護持ち、彼らが居るからこそ紛争が起るのではないか? それに追い付き追い越そうと恋い焦がれて犠牲を産むのではないか? 加護を産むんじゃない、加護を消すんだアイリーン。全てが平等で、極端な力を持つ者を無くし、狂気の研究をやめさせるんだアイリーン。それが死んだ子供達に対するせめてもの手向けじゃないのか」

「い……、や……」

「そうすればお前の幸せは俺が保証してやる、俺が用意してやる。子供達と幸せに暮らせる環境を用意してやる。当然お前が嫌う研究等させやしない、お前が望む形で成果を出してみろ、これは契約だアイリーン世界平和の第一歩だ」

「う……、あ……」


 その言葉に胡乱気な表情を向けていたのはスゥイと、そしてアインツヴァルだった。

 ややあってアイリーンはその言葉に、頷いた。


 ○


「茶番ですね」


 夕刻、夕日が宿の窓から差し込み、部屋を照らす。

 オレンジ色の明かりがスゥイの横顔を照らし、その姿がまるで1枚の絵画の様に美しく映えていた。


「当たり前だ」


 答えは決まっていた。鼻を鳴らして告げた言葉にスゥイはやや目を細めてスオウを睨む。


「加護持ちが居なくなったからと言えど紛争は無くならない、血で血を洗う戦争は無くならない。狂気の研究も無くならないし、世界平和などあり得ない」

「……最低ですね」

「あぁ、知ってる。だが加護持ちに対するカウンターは必要だ、それが実を結ぶかどうかは別としてな」

「……実る可能性は?」

「さぁね、まぁ期待して待つさ」

「……甘いですね」

「どうだかな」


 成功するかどうかわからない研究をさせる。それを理由にアイリーンは罪悪感を薄れさせた。

 金を無駄に賭けて、成功するかどうかわからない研究を。


「(本当に非協力的ならば記憶を奪い、自分でやった)」


 声にならぬ声はスオウの中で響く。答えるのはクラウシュラだけ。だがしかしクラウシュラもまたどこか皮肉気な声を返す。


(それは小悪党であろうとする為の良い訳かの?)

(黙れ)

(それとも懺悔かの?)

(黙れ)

(……死しても共におるぞ)

(……黙ってろ)


 久しく聞いたクラウシュラの声は僅かに哀愁が漂っていた。

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