幕間 温もりを求める道化は今日も薄氷の上で踊る②
That the birds of worry and care fly above your head, this you cannot change, but that they build nests in your hair, this you can prevent.
悩みごとのある鳥は、あなたの頭の上を飛ぶ。それをあなたは変えることはできない。しかし、あなたの髪の毛の中で巣をつくったとき、あなたはそれを防ぐことができる。
使用人が居る、という時点でその家庭の立ち位置が推測できるだろう。少なくとも一般的、では無い。裕福な家庭の子供であるという事を今更ながらスゥイは実感させられていた。そこらの家なら数軒は入るであろう敷地に使用人どころか専任の料理人まで雇っているときたモノだ。
クラウシュベルグのその発展に恩恵を受けた商家は多い。その内の一つがフォールス家であろうことはクラウシュベルグに住む人間であれば誰しもが知っている事だ。出る杭は打たれる、目立つ事によるリスクは当然発生しており、されど突出したのがフォールス家だけではない、と言う事。そして更に上メディチ家が居るがために抑えられているのが現状だろう。
綺麗に敷かれたシーツを一瞥し、スオウに持たせていた荷物を部屋の隅へと置いたスゥイはため息を付いた。
「恵まれているのに……。相変わらず苛立つ……」
そう呟いてスゥイはこめかみを軽く揉んだ。
のこのことついて来た自分にも苛立ちが募るが現状を再認識した事でそれに拍車をかける。
顔合わせは既に済んでおり、スオウの妹であるリーテラとも先ほど会った。随分敵意の有る目で見られたのだが、大好きな兄を取られたく無いと必死なのだろうとスゥイは予想する。
スゥイから見れば、の話ではあるが、薄ら寒い笑みを浮かべ、気味の悪い優しげな表情を浮かべたスオウはまるで仮面を被っているようだった。スオウ・フォールスであるという仮面を。
こん、というノックが聞こえた。返事を返すと先ほどまで考えていた相手。スオウの声が聞こえて来た。
夕飯の声かけか、返事を返してドアを開ける。
「そろそろ飯の時間だが、食堂まで案内するぞ」
「……本当にそうでしたか」
「うん?」
「いえ、こちらの話です」
どうやら思っていた以上にぼんやりと思考に沈んでいたのだとスゥイは理解した。
怪訝な表情を浮かべるスオウの横をすり抜けて廊下へと出る。いくつもある客室の一つ、下手な貴族よりは立派な邸宅だろう。貴族と言えどピンキリだ、上を見れば城の様な家に住んでいる者も居るし、騎士や宮廷魔術師などの領地を持たぬ貴族階級はそれなりの立場でなければこれほどの邸宅は建てられないだろう。とはいえ一般市民からみればどっちも大差無い話なのかもしれないが。
「父親も今日は帰って来れるらしいからな。そこで紹介するよ」
「……まぁ、構いませんが」
「母さんも言わなかったが、まぁそれなりに見合いの話も来ているみたいでな。一気に力を付けたフォールス家だ関係を結ぼうとするか、あるいは関係を結んで頭を抑えようとするか、考える事は皆同じだな」
「それは言い訳ですか?」
「いや、ただの現状通達だ」
頬を掻きながら気まずそうな顔をして返事を返すスオウに少しだけ胸がすいた。
その掻いていた手をゆっくりと降ろしたスオウは気まずそうな顔を一転させ、冷たい色を宿した瞳でスゥイを見る。
一瞬で変わった空気にスゥイはめんどくさ気な顔を隠そうともせずにスオウを見る。
「アイリーンとの合流は明日の夕方を予定してる。……来るか?」
「行きますよ。共犯者であると言ったのは私です」
「相当酷い様だが」
「構いません、今更です」
血に濡れるのは今更で、ヒト殺しも今更で。飼い殺しにされていた研究者一人に会う程度であればさほど問題等無い。
――むしろ、枷としていく必要が有るのだ。
冷えていく心の温度を感じながらスオウを見る。暖かな家族が傍に居るこの屋敷でそんな顔が出来るスオウに辟易する。その冷たい目を見ていられなくなり目を逸らした。
「話題を逸らす事としては十分でしたか?」
逸らしたまま問いかけた言葉に、スオウは困った様な顔をして返事は返さなかった。
○
夕飯は豪勢だった。クラウシュベルグ特産と言える魚介類に留まらず、流通手段が格段に向上したからこそできる内陸の食材、そして豊富な香辛料。これでまずいなど言ったらバチが当たるだろう。
昼食を軽めにしていた事を感謝すると同時に、騙している、という事に気まずさを覚える。そしてそんな感情がまだ残っている事に同時に驚いた。
暖かな食事、暖かな団欒、家族が家族としてこの場所に居る。眩しいばかりのその光景にスゥイは目を細めて見た。
「スゥイさん。お口に合えば良かったんだけど、大丈夫?」
スオウと同じ黒髪の女性、スオウの母親であるサラ・フォールスが声をかけて来た。年相応の皺がやや見えるがそれでもそれすら美しさの一つとして活用しているかの様な姿。
微笑まれるとスゥイは内心で気まずい感情を感じながらも「美味しいです」と慣れない笑みを返す。
本来であればスゥイは排斥されるべき存在だ。
フォールス家としてスゥイと縁を組むメリットは無い。むしろデメリットしか無いだろう。
スゥイがここに居られるのは一重に彼らの温情に過ぎない。スオウが選んだから、という理由もあるだろう。しかし普通14歳程度の子供の言う事と商家としての今後の発展を考えれば選ぶのは自ずと後者になる。若い年での恋など一過性の物に過ぎずそれを正すのも親であるがために。
「(むしろ針の筵の方が助かった……)」
僅かに眉間に皺が寄った。と、同時に斜め前に座るリーテラと目が合った。いや、睨まれた。
隣に座るスオウがそれに気付き、自然と視線を誘導させる。先ほどからそれの繰り返しだ、流石にスオウの両親も気が付いた様で苦笑を浮かべている。
「くっく、リーテラはスオウが取られる様な気がして気に入らないのかな?」
カチャリと食器を置き。ナプキンで口を拭い、茶髪の優し気な表情を浮かべた男、ダールトン・フォールスが口を開く。
「だって……」
ぶす、と明らかに頬を膨らませたリーテラが不満を全身で表す。既にスプーンもフォークも食器の上に放り投げられており食欲すらなさそうな感じだ。
「兄さんは、私と結婚するんだもん……」
ぼそり、と呟かれた言葉にスゥイはスオウを見た。その目の温度は氷点下まで下がっていた事だろう。
やや引き攣った顔でスオウは視線で返事を返す。
「うぅん……リーテラ、兄弟で結婚は出来ないんだよ」
「兄さん、してくれるって言ったのに……」
スオウを見る目が更に冷え込んだ。この男は一体何をしているんだ。
「いや、それは嫁の貰い手が無かったらの話で」
「結婚しないもんッ! 貰い手無いもん!」
「いや、それはだな……」
トン、とスオウが困惑している所で後ろから次の料理が入れられ、目の前に置かれた。
緑色の髪が視界に映り、先ほど紹介を受けたルナさんである事を理解する。リーテラに詰め寄られているスオウを面白気に見ている彼女は見られている事に気が付いたか、こちらに向き直り、くすり、と笑い身を引く。
その仕草に思う所が無い訳ではなかったが、目の前に置かれた料理に集中する事にする。スオウの事はスオウに任せる事にした。助ける必要は無いだろう。
「兄さんの嘘つき、結婚してくれるって言ったのに……」
「うぅーん、そうだなぁ……」
本日のメインディッシュはセロン牛のヒレステーキ。コクの有るソースに分厚いその肉が絡まり口の中で芳醇な香りを広げる。この香りは香辛料だろう、スオウほど詳しく無いが恐らく何点かは予想が付く。綺麗に切り分けて次を口へと運ぶ。うん、美味しい。
「きっとリーテラもいつか好きなヒトが出来るって」
「そんなの居ないもん、兄さんだけだもんッ!」
ソースには肉汁を使っているのだろうか。スオウがよく作ってくれるステーキはそうしていたが。更に言えばそこにワインも加えていた。ヒレステーキはレアが一番好きだとスオウは言っていたがこれはミディアムと言った所。これはこれで美味しいと思う。付け合わせの野菜も柔らかくなるまで煮込まれているのかフォークだけでさくりと切れる。
「あと5年もすれば解るよリーテラ」
「いつもそうやって後回しにする。兄さんの馬鹿ッ!」
最後に残っていたソースを最後の欠片で綺麗に掬って口に含む。
これは太る、後で運動しなくてはならないだろう。甘い物を食べても太らないとほざいていたライラの事を思い出す。この瞬間だけは利用した事を忘れられる。食べても太らないって何だ。あの胸にいってるのか、あの無駄にデカい胸にいっていると言うのか。
むぎぎ、とフォークを曲げんばかりに力んだスゥイ。
同時に隣のやりとりも終着が見えて来た様だ。
「スゥイを愛してるんだ。だからごめんなリーテラ」
いや、どうやらスオウの両親の目の前でとんでもない晒し者にされていた様だ。
「(……スオウ)」
「(良いから話を合わせろ、このままじゃ泣く!)」
「(流石の貴方も家族には弱いんですねぇ。というかどちらにせよ泣きそうですが)」
「(お前、この野郎。楽しんでるだろ)」
「(貴方の狼狽した姿なんで始めて見たかもしれません。これはなかなかに貴重ですね)」
それだけで数日掛けてここまで来た甲斐があったと言う物だとスゥイは一人ごちる。
「(別に私は妾の一人くらい許容しますが?)」
「(……喧嘩売ってるのか?)」
「(ふぅ、貴方がそう言う意味で純情だと言うのは今更ですが、昨今別に珍しくも無いでしょう。貴族は当然の事ながら名の有る商家の主は殆どそうですよ)」
「(……。他がそうでも俺が嫌だ、くだらない価値観だが。それに……、俺はこの家を継ぐつもりは無い)」
「(……は?)」
フォークが止まってしまった。この男今何を言った?
「リーテラ五月蝿い。いい加減にしろよ」
一瞬惚けたスゥイ。涙目になっていたリーテラ、その状況を覆したのはスオウの弟、ロイドだった。
先ほどから黙りと、黙々と食事をしていた彼だったがついに現状が我慢できなくなったのか苛立たし気にリーテラを睨み、そしてスオウをも睨んで告げた。
「父さんも母さんもなにを黙ってるんだ。食事中に好きだの嫌いだのそんな事をする場なのか? 兄さんも婚約者を連れて来て有頂天なのか知らないけれどそう言うのは後でやってくれないかな」
「……すまんなロイド」
「ロイドそんな言い方は無いだろう。スオウは遠い所態々帰って来たと言うのに」
「……ふん」
ダールトンからの嗜め、しかしそれに対してロイドは鼻を鳴らして黙る。
スオウと違い父似であるロイドはどうやら内面も違う様だ。僅かに驚いた顔を見せたスオウに呆れた視線を向けたスゥイは次にロイドを見る。
視線が合った、だが直ぐに逸らされた。どうやら嫌われているらしい。
「(これが普通の対応)」
事前に予め連絡しておいた事、そして入学前に顔見せ程度はして置いたとは言えどロイドの態度は別段おかしい物ではない。それを表に出すという時点で幼さを表しているとも言えるが、10やそこらの子供にそれを求めるのは酷だろう。スオウであれば可能であったかもしれないが、そもそもスオウはおかしいので勘定に入らない。あるいは、そういう比較される、という事に対して反感を覚えているのかもしれない。年齢を考えれば妥当ともいえる。そんな事を客観的に考えられる自分自身に内心で僅かに苦笑し、スゥイはやや目を伏せた。それにスオウが気が付いていない訳も無い為に。
やや微妙な雰囲気となった食卓ではあったが、ダールトンそしてサラの話し上手もあり、場は直ぐに和んだ。
スオウの両親という事だけあって話術も十分に堪能の様だ。あるいはそうで無ければならない立場となってしまったか、だが。
クラウシュベルグ領でも有数の一家、この10年程で成り上がったとも言えるフォールス家。その変動は凄まじい物であっただろう。彼らに取ってそれが幸か不幸かは解らないが、それを全う出来るだけの能力があったという事は間違いない。
それを“した”であろうスオウを横目で流し見つつ最後のデザートに舌鼓を打つ。砂糖の価格が安いクラウシュベルグならではのケーキ。スオウが作ってくれるそれとはまた違う味だがこれはこれで上手い。
フォールス家の躍進、それはメディチ家との繋がりが大きいと言われているが果たしてそれはどうか、スゥイは市場の噂とスオウの発言に対して信は置いていなかった。それはスオウを信じていないという訳ではない、ただ盲目的に信じるアリイアとはベクトルが違うとは言えど同様にスゥイもスオウを有る意味信用している。しかし、それはスオウのメリットが有るという意味でだ。スオウは継がないと言った、であればその事に関わる発言に疑いの余地が産まれたという事。
「(またどうせ碌でもない事を考えているのでしょう)」
甘くとろける様な生クリームに少しだけ酸味の利いた苺。ふわりと弾力を持ち甘く柔らかな食感のスポンジ、口の中の至福の時を感じながらスゥイは頭の中であらゆるケースでの対応を検討し、そして咀嚼していった。
○
「3日、ですか。長いと感じるべきでしょうか」
割り当てられた自室へと戻ったスゥイは自然と呟いていた。今日をいれれば4日である滞在期間。出立日を含めれば5日か。だが5日目は早朝に出る事になる為実際の滞在期間は3日だ。いくら蒸気機関車が発達したとは言えどストムブリート魔術学院は遠い。移動時間を考えれば魔獣の襲撃に夜遅延を計算すると妥当な所。スゥイにとっては異国の地、知らないヒト、知らない土地、そして知らない家族の元で暮らす3日間。特に何も感じず、ただ淡々と職務を果たすつもりであったスゥイだったが、若干の苛立ちと、そして安らぎを感じながら目蓋を閉じた。
「スオウの妻としてこの地で生きる、商人として商人の妻として……。それも悪くは無いのかもしれませんね」
起こり得る筈も無いただの妄想をふと思い、そして直ぐに顔は無表情へと変わる。そんな事が許される筈も無く、そしてそんな事に納得する筈も無い。ただの泡沫の夢。何より、愛していない同士が結婚した所で果たしてそこに幸せはあるのか。愛していた筈の二人ですら、その結末は腐り切った腐海の態を示したというのに。
コンフェデルスに居るであろう両親の事を脳裏に掠めたスゥイは吐き気を覚える。幸せと温もりに浸ったが為にその温度差を改めて理解させられてその全身を覆う不快感に競り上がる胃液を根性で押さえ込んだ。食事をした後のこの状況で吐けば碌でもない事になる事は間違いなく、そしてその最悪だけは回避できた。以前の自分であれば吐いていたのだろう、とどこかよそ事の様に考えるスゥイ。先ほどまでの感情は既に鳴りを潜め、部屋の隅に置かれているベットへと視線を向けたスゥイは悪夢から逃げるかの様にそこへ潜り込んだ。踞る様にして膝を抱え目蓋を閉じる、さらり、と頭を撫でられる様な錯覚を覚えた。やはりそれは錯覚だった。
○
銀の閃が走る。フォールス邸の中庭にてその剣を振るうのは一人の少年。いや、そろそろ少年から青年へと移り変わる時期に来ている男、スオウ・フォールスであった。流れる様な剣舞、美しいまでの舞。それは命を刈り取る行為でありながらそこに美を求めているかの様な一つの芸術。静音の魔術を用いながらその舞を踊る。誰かに見られたらどうするのかという事は今のスオウの頭には無かった。ただ淡々と何も考えず剣を振りたかったのだ。
言い訳ならいくらでもつく。ストムブリート魔術学院は騎士も排出している。であればそこで学んだのだと。当然その剣舞は騎士が用いる長剣を念頭に置いた動きではなく、また頑強な鎧を着込んで出来る様な動きではないため知っている物が見れば嘘だと気が付くのだが生憎とそのような知識を持っているのは今現在家に居る者だけで見ればスゥイくらいだろう。
「ふっ」
くるり、と回る。ワンテンポ遅れて剣が後を追う。僅かに空から覗く月明かりが剣を照らし、その湾曲した刀身に反射して銀に光る。
深夜まではやや遠く、そして夕方からは多くのときが過ぎたその時間。肌を刺す様なその冬の寒さすら撥ね除ける様な熱気がスオウの全身から齎されて来たそのタイミングでスオウは誰かがこの中庭に近づいて来ている事に気が付いた。
舞をやめ、静音の魔術を解除したスオウは剣を近くの木へと立てかけてその来訪者へと視線を向ける。
魔術の光と単純なランプで照らされた中庭、そこに現れたのはロイドだった。スオウを認めるとやや表情を強張らせ、そして直ぐに視線を逸らす。
僅かな沈黙、それを破ったのはロイドの舌打ちだった。
「(どうやら随分とご機嫌斜めな様だ)」
若干だがかいていた汗を置いておいたタオルで拭ったスオウはロイドを見る。去ろうとしないロイドは恐らく何か言いたい事があるのだろう。
それとなく促すのが年長者の役目だろうか、と考えていた所でロイドが口を開いた。
「……家を継がないって本当かよ」
「あぁ、父さんと母さんに聞いたのか?」
返答は沈黙だった。ロイドはそれを父と母から聞いた訳ではなかった。食後、父と母を書室へと呼んだスオウ、それを盗み聞きしていたに過ぎない。
そんな事は知らないスオウ、だが問いかけによって僅かに目蓋が動いたロイドを認めてスオウはそうであったのだろう、と予測する。少し考えれば10と少しのロイドにそんな事を話す筈も無い。少し抜けていたか、と思うと同時に無意識下でロイドには知っていた方が良いのだろう、という感情も後押ししたのだろうと考える。
「なん、でだよ。意味わかんね。アンタはいつもそうだ、自分で勝手に決めて勝手に動いて勝手にどっかいってッ!」
睨みつけられる事に慣れていたスオウだが、肉親から睨まれる事に対して動揺しなかったといえば嘘になるだろう。表情に出す事は無い、だが内心は穏やかな物ではなかった。2度目の人生と言えば良いのか、今のこの状況、温もりをくれたのは間違いなくこの家族だった。だが、この家族は偽りの物で、自分は本当の息子ではない、であるならば本当の息子であるロイドこそが継ぐ相手として相応しいとスオウが考えそれを実行したに過ぎない。
ロイドに何も返さず僅かに目を伏せる。“ソレ”を話した時父にも似た様な言葉をもらった、勝手にお前が引き継ぎ相手を選ぶな、と。ごもっともだ、そしてまだまだ現役な相手になにを言う、と笑われた。それもごもっともだ。揺らぐつもりは無いスオウ、だが感謝はした。そして深く頭を下げ謝罪したスオウは再度決意を固めた。やはり自分には相応しく無いのだと。
何も返さないスオウに余計な苛立ちを感じたロイド、手は握りしめられ目には、恨みに近い色が見える。だがそれを表に出さないのはそれがただの自己満足と八つ当たりに過ぎないと言う事をどこかで感じているからなのだろう。ただ見つめるだけのスオウの視線、その視線から逃げる様にロイドは目を逸らした。
「勝手だよアンタ、自分勝手に決めて、俺達はアンタの道具じゃない! 好き勝手やって、好き勝手決めて、帰ってきたい時に帰って来て婚約者だ? 父さんと母さんが縁談を持ち込んで来た相手に断りにいく苦労を考えた事があるのかよ! 商家としての付き合いもあるんだ! その辺り長男として考えた事があるのかよ!」
「ロイド」
「メディチ家との繋がりがあるといってもフォールス家は分家という訳じゃないんだ、“そう言う意味”ではフォールス家の立場は盤石じゃない、そして同様の家は他にもいくつか有る、アンタは、それが解っていってるのかよ!」
振り払う様に右手を払い、スオウへと訴えるロイドの目には僅かに涙が浮かんでいた。幼いが故に抑えられない感情が涙となって出て来たか。そんなロイドを見てスオウは微笑んだ。その年で、そこまで情勢を読んで物事を見る事が出来る事に感謝して、そしてやはり彼こそが跡継ぎとして相応しいと感じて。
微笑んだスオウにより苛立ちを感じたロイドはスオウへと詰め寄る。が、ロイドは自然と足を止めた、ぞわり、と肌が泡立つ感覚を覚え指先から血の気が引き、自分自身の直感が今ここに居てはいけないと全力を持って訴えていた。目の前に立つ兄の様相は変わらない、いや僅かに苦虫をかみつぶした様な顔になっており、スオウがちらり、と横を見ると同時にその全身を覆っていた寒気は霧散した。
それの理由に兄が関係している事は明白であったが、ロイドはそれを聞ける様な精神状態では無くなっていた。僅かに後ずさるロイド、尻餅をつかなかっただけ褒めてあげるべきだろうとスオウはどこかヒトごとの様に感じながら、そんな様に感じてしまった自分に嫌悪し頭を振りその考えを追い払う。そして告げた。
「俺はなロイド、俺が俺である為の確証が欲しいんだ。だからそこには留まれない」
「何、言ってんだよ」
「お前はお前の道を行け。俺は俺で目指す物が有る」
「何だよそれ、ふざけんな。勝手に決めてッ、誰が望んだって言うんだ、家を継ぎたいって誰がいった! アンタが作った道なんて歩いてやるものか!」
ギリ、と再度睨みつけたロイドは逃げる様に中庭から走り去り屋敷の中へと戻っていった。
スオウは完璧過ぎた、内心は兎も角として、外面としては完璧過ぎた。その為フォールス家の次の当主はスオウである。と他の家は決めつけていた、跡継ぎが盤石であればこそ取引が続くという関係も世の中には有る。それがロイドになると話が変わる。ロイドが優秀でないという訳ではない、むしろ優秀だ。そして彼自身もそれに胡座をかかず常に努力している、しかし、スオウの、クラウシュラと年不相応の精神年齢を持つ立場と比べてしまえばその差は明白であり、それは圧迫感として伝わる。
ロイドが女であればその葛藤は無かったかもしれない。
ロイドがもう少し年齢が離れていればその葛藤は無かったかもしれない。
あるいは、ロイドがスオウの兄でなかったという事を不幸中の幸いとして見るべきであろうか……。
「1から10まで上手く行く筈も無い、か。それがヒトの感情が絡めば当然でもあるが」
そこまで読んで動けるのならばそれはすでにヒトでは無い。
僅かに浮かんだ自嘲を直ぐに消し、スオウは先ほど向けた視線の先へと声をかけた。
「アリイア、あまり感心できないな」
腰に手を当て、呆れた様に告げた後に出て来たのはブロンドの髪と褐色の肌を持つ美女だった。
ゆらり、と影から浮き出てくる様な形で姿を現したアリイア。先ほど軽い殺気をロイドへとぶつけていた彼女は僅かに温和な笑みを浮かべスオウへと会釈する。
「お久しぶりです。お変わりない様で何よりです」
まるで何事も無かったかの様に会話をするアリイアに胡乱気な表情でスオウは彼女を見、そして告げた。
「あまりロイドを苛めるな」
「殺気くらいは覚えておいた方が良いでしょう。そしてそれを察する感覚もあるのです、スオウ様程ではありませんが中々の素養をお持ちの様ですね」
「……はぁ」
ため息を吐いたスオウを誰が責められるだろうか。
とんとん、と軽くこめかみを人差し指で叩き、気持ちを切り替えるスオウ。落ち込む暇もありはしない、と内心で毒付き、ナカでクラウシュラが溜め息を吐くが後でストレス発散に付き合ってもらう事を決め、そしてアリイアを見る。
「彼女の様子は?」
言うまでもなく、アイリーン・レイトラの事。
「一応は無事と聞いています。ログの報告では子供の事もありますから、それで従順の様です」
「? アリイアは見てないのか?」
「私は嫌われている様でして」
「ふぅん」
言葉の節々に感じる違和感にスオウは取り敢えず納得し、アリイアを見る。
報告は既に受けていた、だいたいの概要も知っている。アリイアが目の前で彼女の子供を殺した事も、知っている。
アリイアが嘘をつくメリットが無い、という事もそうだがアリイアに対してスオウはおそらく現在最大の信を置いている。それはアリイアの記憶を知っているという事と、アリイアもそれを知られている、という互いの認識がそれをより強固にしている。
誘拐と言う名の保護をしてからもうそれなりに日数はたっている。にもかかわらずアリイアに対して未だ敵意を持つというのは現状認識力が不足しているとしか思えない。表面上は繕う程度の力量を持っているべきだとスオウは思うが、同時にそうであるならばむしろやり易く、使い易い相手だと感謝するべきだと考えた。
「交渉は明日だな、予定通り行う。カリヴァには知られていないな?」
「はい、ですがルナリア王女には難しいかと。密入国の際少々始末しましたので」
「それは構わない。カリヴァにも知られて問題が有る訳ではないが……。やはり現状では王女に恩を売った方が良いからな」
カリヴァ男爵との関係を蔑ろにするつもりは無いが、彼との関係をこれ以上高めてもさほどメリットは無い。であるならばルナリア王女との関係を高めた方がメリットが大きい。黙っていた、という時点で彼女はこちら側を向いている。それを利用しない手は無い。
「向こうでは手配も回りませんでしたので、助かりました」
「当然だ、現在加護持ちをコンフェデルスへと貸し出すという程の恩を売ったんだ。関係を悪化させる様な手を取る筈も無いし、事の後はそれを発覚させる訳もいかない為に沈黙を貫くさ。あり得るとしたら暗殺だが――」
「そちらは既に撒きました」
「ギルドには金も渡した、金で動くヒトは金で買える。もしそれでもちょっかいを出すようなら後は有名所を一人か二人見せしめに殺しておけ。それで黙る」
「御意」
深々と頭を下げたアリイアにスオウは手を振って中庭を後にした。
クラウシュラはその後一時間程スオウの愚痴に付き合ったとか。




