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月蝕  作者: 檸檬
2章 魔術学院編
44/67

儚き幻想血に染まりて地に伏せる23

2話投稿

 The reverse side also has a reverse side.

 ものごとの裏には、いつも裏がある。


 一人の少年が地面へと転がっていた。

 目は塞がれ、耳も塞がれ、手を後ろ手に縛られでいるその少年は時折うめき声が聞こえる事から生きている事は間違いないだろう。


 襲撃を受けた際、然程意識を割いていなかった為、庇う事も無かった故にあちらこちらに打撲や裂傷が見て取れるが、すぐさま命に関わる事は無いと思われる。攫われた事は不運であったが、その結果は幸運だったかもしれない。


 そもそも本当に幸運であればこんな事に巻き込まれていないだろうが。


「ロイクッ!」


 転がされた少年を見て叫ぶ少年。睨みつける様にその傍に立つ二人の男女を見る。

 少年の名はジルベール・バルトン。“学院側”への報告を行った後、その二人の男女の片割れ、スオウ・フォールスへと呼ばれてここに来た。


「……貴様、わかっているんだろうなッ。もはや終わりだぞ、この様な小細工した所で直ぐにバレる! ロイクの無事さえ確認できればもはや取り繕う必要などッ」

「あぁ……」


 どうでも良いとばかりに手を振ってジルベールの発言を切ったスオウはその掌をひらり、と自身の顔の前に出し、だらり、と上半身を弛緩させた。

 その不可思議な行動にやや怪訝な表情を浮かべたジルベール、身構えるその仕草は怯えが混じっていた。スオウに対する苦手意識が既に植え付けられているのだろう、何をされるのかという恐怖がジルベールを覆う。


 身構えたその対応は結果として間違っては居なかった。しかし、何分その力量差は明白で、ジルベールの把握するまでもなくそのスオウの掌によって彼は地面へと叩き付けられていた。


「がはッ」


 顔面を押さえつけられて地面へと叩き付けられたジルベールは一瞬意識を失いかける。スオウへの抗議の言葉すら出て来ず、激痛を訴える後頭部に意識を裂いた瞬間、声が聞こえた、ぼそり、と這い出てくる様な冷徹な声が。

 ぞわり、と背筋が泡立つのをジルベールは感じた。


「奪え、クラウシュラ」


 その声と同時に意識が、記憶が流れ出す。悲鳴にならぬ悲鳴が喉から出る。びくびくと震える体はその状況から逃げようと拒絶しているのか、一瞬のその記憶の奔流の後、カタカタと歯を鳴らして地面へと縫い付けられるかの様に倒れたままのジルベールは、涙を流しながら現状の把握へと勤める。しかし理解等出来ようも無い。カタカタと鳴る歯の音を感じながらジルベールは再度近づいて来る掌を無抵抗で受け入れた。


 ーー消せ、クラウシュラ。


 後に残ったのはうつろな目をして呆然とその場に留まるジルベールだった。


 ○


 幻星歴1040年 初冬。クラウシュベルグ領、カリヴァ・メディチ・クラウシュベルグ男爵が挙兵。後にハイム子爵領を制圧。

 

 加護持ち及び貴族子息、子女に対する暗殺行為を行ったとしたキルフェ・ハイムの件にて首都への出頭を命じたが、ハイム子爵はその命令を不服としこれに従わず、拒否。逆に学院側の管理不行き届きを訴えた。当初は味方する者も多かったが、バルトン伯爵による証言によって離反。


 それでも無実を訴えたハイム子爵ではあったが、それが真実であれ嘘であれ、最早誰も耳を貸さなかった。


「ふぅ、参りましたね。お金が掛かる事ばかりこちらに振ってくるとは」


 こめかみを揉み解しながら目の前に連なる帳簿の金額を見ながらため息を付くカリヴァ。

 戦争とは基本的に金ばっかりかかる金食い虫である。やらないで済むならやらないに越した事が無い行為だ。

 今回のは戦争と言える程のものであったかは微妙だが、ハイム子爵の私設軍もゼロではなかった。故にそれなりに金は掛かる。


 そも、ヒトを動かす事で金は掛かるのだ、ゼロでも金は掛かったのだろうが。


 そんな事を思いながらカリヴァは窓の外を見る、いつも見慣れたクラウシュベルグの町並みではなく、ここはハイム子爵いや、元ハイム子爵の領地であるハイム領。海沿いのクラウシュベルグと違い、内陸であるこの領地は鉱山資源が豊富だ。鉄鉱石が取れる鉱山が無ければカリヴァとて文句の一つでも言ったかもしれない。いや、既に内心では何度も言っているのだが。


 将来的には国に返上する領土だが、国からの使者が来るまでの3ヶ月はカリヴァに全裁量を渡されていた。

 これに対する他貴族の不満は高まったが、ハイム子爵に対するカリヴァの圧倒的勝利にその声は一気に静まる事になった。


 ーー電撃戦。


 ハイム子爵は腐っても貴族だ、その堅牢な城が木と草で作られている訳でもないし、兵士は藁で作られた人形だと言う訳でもない。

 だがしかし、カリヴァ男爵はたったの7日でハイム領を制圧した。


 それを可能とさせたのは火薬だ。既に大砲程度ならば存在していたこの世界だが、魔術の方が圧倒的に利便性が高かったのであまり発展していなかった。

 そこに目を付けたのは当然ながらスオウであり、カリヴァだった。そしてスオウの知識によって作り出した無煙火薬により連射も可能となった大砲は圧倒的な制圧力を持つことになる。結果等言うまでもない。


 それに加えて作り出したのが銃だ、ライフリング等という概念が無かった所で用いたのはミニエー銃。またその先に銃剣を取り付ける事により接近戦でも圧倒的な力を齎した。轟音と悲鳴が響く戦場で一方的に虐殺されて行くハイム子爵の私設軍。とはいえ魔術によってその弾を防ぎ、反撃を行う者もいたが――空爆によって一気に城が落ちた。


 ワイバーンを大量に用いて空から火薬を詰めた弾を落とす。爆発と同時に大量に同封された鉄片が弾け飛びまさに地獄絵図と化した。

 金に物を言わせた戦い方でもあったが、その電撃戦という概念と、銃を用いた戦闘方法をその場に居た兵士達には恐れ、戦意は見る間に落ちて行った。


 故に、7日という短期間でハイム子爵領の制圧を完了し、他貴族の介入すら許さぬままその戦いは幕を閉じた。

 そしてその戦いが終わって3日、領土の処理を行っている所に他の貴族が助力を、と顔を出したのが今の状況とも言える。


「えぇ、ですから既に終わっておりますので、助力は必要有りませんとお伝え願えますか? お気持ちだけ頂いておきますので」

「……ですが男爵、我が主もハイム子爵の行為には憤りを感じておりまして、資金援助も考えておりますが」


 この後のハイム子爵領がどうなるかは不透明だ、何らかの成果が欲しいのだろう。あるいは今回使われた銃についての情報を何としても仕入れようと考えている事は間違いない。現に武器保管庫に侵入者が数名居たと報告があがっている。当然、皆殺しにしたが。

 その件でも苦情があがっているのだが全てカリヴァは黙殺していた。武器保管庫に入り込んでおいて道を間違えた等茶番にも劣る。そんな事を思い出しながら目の前の男,使者へと意識を戻す。

 相も変わらず同じ様な事を壊れたレコーダーの如く、何度も何度も引きつった笑みを浮かべながらその使者は話すが、対するカリヴァは素っ気ない。


「いえいえ、その様なご心配は不要です。そちらの方も問題有りませんので」

「で、でしたらこちらの兵の滞在だけでもお許し頂けないでしょうか」


 自軍も参加したのだ、という態が欲しいのだろう。

 まさか7日で終わると思っていなかった者達は必ずそう言ってくる。それに対してカリヴァは温和な笑みを浮かべ、


「別に構いませんが、既に結果は報告済みですのでして頂くのは治安維持程度ですね。当然、命令系統は我が兵の下となりますが」


 それに憤るのは使者だ。男爵より上位の爵位を持つ者がそのような事が認められる筈も無く、怒りをあらわにする。

 しかし、カリヴァとて当然の配慮だ。略奪行為などされては折角安定して来た領土が不安定に成る上に、この3ヶ月間の裁量は全てカリヴァに任されている。そこでミスがあればカリヴァのミスとなると同義だ。目の前で権力を傘に脅してくる使者に対する答え等決まっていた。


「つまり、この領土の裁量を全て任せて頂いた決断に不満が有る、という事で宜しいですか?」

「そ、そういう訳では」

「でしたらどう言う意味なのですか? 指揮系統が二つも三つもあっては問題でしょう。その程度の事も解らないのですか?」

「……ッ」


 不満げな顔を僅かに覗かせた使者にカリヴァは内心ため息を付く。本人が来ない事はまだ許せるが、それにしても程度が低い。

 最後まで笑みを浮かべて対談するくらいの表情操作を得てから来て欲しい物だ、と。


「これ以上言われるのでしたら当家に対する撹乱行為と見なします。含めてハイム子爵領、いえ既に子爵ではありませんか。元ハイム領に対する利敵行為とし国に報告させて頂きます」

「な、横暴だ! 我が主にもその言葉通り言わせてもらうぞ! 良いのか男爵殿!」

「どうぞご自由に」


 ふん、と鼻息荒く部屋を出て行く男の後ろ姿を目を細めて見たカリヴァはペンを一つ取り、直ぐに部下を呼ぶ。


「お呼びでしょうかカリヴァ様」

「あぁ、忙しい所済まないね。今出て行った男の連れて来た兵士達に目を光らせておいてくれないか。下手な真似をしたらその場で殺していい」

「は、直ちに」


 命令書を受け取り頭を下げて部屋を出て行く部下。

 ぎしり、とハイム子爵が座っていたであろう椅子に体重を預け、朝から引っ切りなしに来ていた使者の対応に疲れていたカリヴァはため息を一つ付いた。


「まったく」


 ズ、と淹れてくれていた紅茶を一口飲む。これもまた子爵が集めていた高級品の一つなのだろう。カリヴァの記憶が正しければコンフェデルスで有名な陶器の一つだった筈。クラウシュベルグ領に戻れば一つか二つは所持していた筈だ。

 それ以外にもその部屋の中には色々な調度品が置いてあった。まるで自分の権力を示すかの様に無駄に金が掛かっている。挙げ句にこの屋敷のエントランスホールのド真ん前には自分の肖像画が飾られているときた物だ。この時代では然程不思議でもない光景だったが、カリヴァにとっては苦笑しか浮かばなかった。


 部屋に入ると同時に狼狽し、喚き散らしていた男、ハイム子爵を思い出し目を瞑る。

 コンコン、とノックの音が聞こえた。


「入れ」

「し、失礼します」


 入って来たのは一人の女だ。おどおどとした態度で手には軽食とお代わりであろう次の紅茶が乗せられている。

 ハイム子爵を取り押さえた時に部屋に居た女で恐らく秘書らしき立場に居たのだろう。その世話は事務処理の手伝いだけでは無く、夜の手伝いまで含まれていたのだろうが。


「毒でも入れて来たかな?」

「そ、そんな、め、滅相も御座いません。な、なんでしたら私が最初に毒味をさせて頂いてもッ!」


 顔面を蒼白にして告げる女にカリヴァは苦笑を浮かべた。

 引っ切りなしに来る馬鹿共を相手するのに疲れて女性に当たるとはまだまだだなと思いながら、手を振って必死に頭を下げて機嫌を伺う行為をやめさせた。


「いや、すまないね。冗談だ」


 見てるこっちが気の毒に成る程震えた手でその食器を執務机の上に置いていく女性をぼぅ、と見ながらカリヴァは呟いた。


「そういえば、忙しくて聞いていませんでしたが。別にこのような事をしなくても良いのですよ? 既に領主は投獄されていますし、親族も全て牢屋です。家に帰っても構いません。金が無いというのでしたら落ち着くまでは資金を出しますし」


 こう言ってはなんだが、カリヴァは彼女を信用していない。

 と、言うよりこの領土に居た者全てを信用していない。故に現在この領土を動かしているのはカリヴァが連れて来た者と、やむを得ず使っている者に限られる。

 その為人数不足は当然の事で、茶を淹れるのも飯を作るのもカリヴァ自身がやろうと考えていたのだが、なぜかこの目の前に居る女性が気が付いたら自然とやっていた。身に染み付いた行動だからか、それとも裏が有ったのか、暫く眺めていたカリヴァだったがどうやら両者の色が強そうだった。


 その為そう告げた、しかし言われた女性は一瞬目を揺らし、


「いえ、帰る家もありませんので……」

「そうですか。それは残念ですね」


 ふむ、と一つ呟きそれで彼女の事を考えるのをやめた。

 聞けば面倒な事になるのは間違いないし、ハイム子爵の傍に居た女性だ、策謀の片棒を担いだとして同様に処罰される可能性も高い。故に余計な感情移入を避ける為にそれ以上話を聞くのをやめた、しかし……


「母も、父も殺されましたので、婚約者も当時居ましたが、ハイム子爵に……」


 その言葉にカリヴァは眉を顰めた。それは彼女の事情に同情した訳ではない。その事をこの場で言う彼女に眉を顰めたのだ。

 悲しげな瞳で宙をさまよい、手に持っていた盆は僅かに震えている。泣きたいのだろうか、それとも懐かしかった記憶を思い出しているのだろうか、そこまで考えたカリヴァは顰めていた眉を戻し、口角を釣り上げ笑みを浮かべた。


「それで、それがどうかしたのですか?」

「あ、いえ、な、なんでもございません」


 びくっと震えたと思えば頭を下げて慌てた様に離れる。だが部屋を出る様子は見えない。その仕草にカリヴァはくつくつと笑いが零れるのを抑えられなかった。


「いやいや、まぁ、なんとも」


 捨てたモノじゃない、と考えるべきなのでしょうかねぇ。と内心で呟く。

 彼女が片棒を担いでいたかどうかなど本当の所は解らないが、そう考えられるだろう事を彼女は理解したのだろう。帰る家が無い事も父も母も殺された事も、婚約者がどうにかされた事も事実なのかもしれない。それでいて今それをカリヴァに話すという事はつまり、同情を誘っているのだ。そして同情を誘い、ハイム子爵と一緒に殺されてしまう可能性を少しでも減らそうとしているのだろう。恐らく彼女はカリヴァが望みさえすれば体も許す可能性が高い。体を許せば情が出る。死を恐れる者として特に不思議な行動ではない。


 その強かさにカリヴァはこの領土の民も捨てたものではないかもしれないな、と評したのだ。

 笑みは変わらず浮かべたまま、見上げる様に隅へ立つ女性へと問う。


「貴方は何が出来るんでしたか?」

「はっ、はい?」

「ですから事務能力を問うているのです、何が出来ますか?」

「か、簡単な計算と整理でしたらッ。そ、それと料理も可能です!」


 ふぅむと唸る。正直その程度の能力なら別に態々リスクを負う必要も無い。残念ながら彼女には縁がなかったと言うべきだろう、と思い至った所でその流れを読んだか、がばり、と彼女が平伏し、カリヴァへと申し出た。


「何卒、何卒、何でもします! 何でも、何でも致しますので、どうかお傍にッ!」


 涙を流し、床に額をすりつけて懇願するその姿にカリヴァは辟易とした感情が浮かぶのを感じていた。


「(あぁ、スオウ様が権力の有る立場に立ちたがらない理由が少し解った気がします)」


 貴族連中の相手をした後は女性からの泣き落としときたモノだ。はぁ、と一つため息を付いたカリヴァは「誰か」と叫び部下を呼ぶ。

 呼ばれて部屋に入って来た部下は平伏する女性に僅かに目を見開くが、直ぐにカリヴァへと向き直り指示を待つ。


「それ、連れて行って下さい。牢にでも入れておいて後に調書を取ります。あぁ、ハイム元子爵とは離しておいて下さいね」


 ひらひらと手を振って告げるカリヴァに平伏していた女性は目を限界まで見開いてぽろぽろと涙をこぼす。


「あ、あぁッ、カリヴァ様、何卒、何卒、どうか、何でも致しますからッ!」


 カリヴァの部下に強引に立ち上がらせられ、その手から逃れ懇願する女性。既にカリヴァの興味は無くなっており、残っている事務処理を処理しようと机へと向かう。


「(そんなに必死に成る時点で何か関わっている事は明白。さて、ルナリア王女に恩が売れる情報を持っていれば良いのですが、ね)」


 ぴらり、と次の資料を取り目を通す。部屋から引きずられて行く女性の声が聞こえる。


「カリヴァ様、何卒、何卒ッ、いや、まってお願いッ。う、裏帳簿の場所もお話しします、金額も、あぁッ、待って下さい、お願いします!」


 次の資料は死体処理の問題。疫病が起きては問題なので早急に纏めて火葬する必要が有る。また、死者の多かった場所はアンデット系の魔獣が発生しない様に浄化する必要があるだろう。


「ひ、必要でしたらハイム子爵の話していた内容も、覚えている限りでしたら、お願いします、何卒ッ」


 次は食料の問題だ、同様にこの領土に蒸気機関車のレールを引く必要が有る。バルトン伯爵の領土は使えなかったが、この領土は使える。多少遠回りにはなるがそれでも目を瞑れる程度だ。欲を言えばきりがない、恐らくスオウとしてはどっちでも良かったのだろう。

 ふ、と笑い次の資料へと手を伸ばした所で最早叫び声に近い女性の声がカリヴァの鼓膜を叩いた。


「し、子爵が隠蔽していた岩塩の事もッ!」

「おい、いい加減に」

「ーー待って下さい」


 僅かに気がとがめたのだろう、とはいえ流石にこれ以上は、と声を発した部下。困った顔をしながらその女性の腕を掴んでいた所にカリヴァが待ったをかけた。

 

「先ほど言った内容は本当ですか?」

「え、は、はいッ。本当です!」


 先ほどの事がどれかは解っていないのだろうが、取り敢えず話を聞いてくれる状況になったのだろうと理解した女性は安堵の笑みを浮かべ、カリヴァに答える。

 岩塩、カリヴァの気を引いたのはその言葉だ。塩の専売をしているクラウシュベルグ領にとって大量の岩塩が発見されたとなると少々面倒事になる。


「場所は?」

「へ、あ、あの」

「岩塩が取れる場所です」

「は、はいっ、直ぐにでもご案内できます!」

「量はどのくらいですか?」

「え、ええと、その」

「どのくらいですか?」

「わ、わかりません。申し訳有りませんッ。で、ですが子爵はこれでクラウシュベルグ男爵に目にもの見せてくれる、と、いえ、あ、あのすみません」

「……そうですか」


 目配せ。後ろに控えていた部下に指示を出す。


「彼に場所を案内して下さい。君は総量を概算で良いので出して下さい。3ヶ月後に統治する相手を考慮する必要が出てくる可能性があります」


 告げた言葉に部下は頭を下げ、涙でぐしゃぐしゃになっている女性を立たせる。

 安堵のため息、自分の命が助かったと思っているのだろう。だが、カリヴァはそんなに甘くは無かった。


「その岩塩の価値が貴方を庇う程度あれば、そうですね正式に雇ってあげましょう」


 びく、と震える女性を冷たい目で見つめるカリヴァ。

 元とはいえど、主人を自分の命の為に簡単に売る様な女性を信用するつもり等無い、それを示す様な目。


「(ま、彼女のこの場所での扱われ方や、“本当の”理由があるのであれば、考慮くらいはしますか)」

 

 そのカリヴァの様相に恐れを成したか、カタカタと震える女性を冷たく見下ろすカリヴァは内心でそう呟く。

 そして、ふと思い出したかの様に彼女に聞き出した。


「あぁ、そう言えば聞いていませんでしたね。貴方名前は?」

「は、はいッ。エル、エルダと申しますっ。よ、宜しくお願い致します!」


 またがばり、と頭を下げ、告げる彼女。

 後ろで気まずげな顔をしている部下に手を振って再度指示、そして彼女と部下は部屋を退室して行く。


「全く、難儀なものですねぇ……」

 

 一人呟いたカリヴァは残っている事務処理へと戻って行った。


 ○


 やや時は遡り……。

 

 カナディル連合王国 ストムブリート魔術学院 学生寮一室


 スオウ・フォールスは謹慎中である。

 スゥイ・エルメロイは謹慎中ではないが、スオウが講義にでないので学校に行っていない。

 

 つまり何が言いたいかというと。

 謹慎期間凡そ3週間、殆どスオウとスゥイは四六時中一緒だったという事である。


 そんな3週間の間の一日。

 

 スゥイは満面の笑みを浮かべていた。とは言え薄らと目尻を下げ、僅かに口角が釣り上がっているだけなのだが。


「スオウこれは何ですか?」


 満面の笑みで指差すのは一つのデザート。当然それ以外にもいくつか料理が並んでいるがどうやらスゥイの目に留まったのはその一つの様だ。

 指差したその先にはクッキーを砕き、その粉末を固めた下地の上に白いレアチーズを元に作ったチーズケーキが置いてあった。さらにその上には色とりどりの果物が乗せられており、乗せられている果物、ベリー類は薄い透明の膜で覆われており艶やかに輝いている。


「レアチーズケーキだ」

「ではこちらは?」


 もう一つの方、指し示した先には薄茶色のスポンジの様なケーキが存在していた。言うまでもなくシフォンケーキ、甘い香りが部屋に漂い、脇に添えられた生クリームと砂糖で作られた砂糖菓子が花を添えている。無駄に手間がかかっているのはスオウの性格だろう。


「ふふふ、ご苦労です」

「……まぁ、満足してくれればそれで良いが」


 罰ゲーム、という訳ではないが、体調不良の中無理矢理働かせられたスゥイは謹慎中の料理を全てスオウに任せていた。さらにデザートも1品から2品つける事を条件に。そんな訳でここ数日スゥイはご満悦なのであった。


「あぁ、幸せです。このままずっと謹慎が続けば良いのですが」

「……太るぞ」

「大丈夫です、その時はスオウに協力してもらいますから」

「格闘訓練か? まぁ、それは構わんが」


 一緒に入れた紅茶を一口飲みながら返事を返すスオウ。ちなみにスオウの前にもケーキは有る。前世、というべきかは解らないが前のときも甘い物は嫌いじゃなかった。特に煮詰まると甘いものを食べるのが癖になっていた様な気もする。

 丁度良い具合に淹れられた紅茶の香りが鼻を通り、その香りに満足しながら飲み干そうとした所でスゥイがとんでもない事を言い出した。


「いえ、子作りを」

「ぶふぅーーー!」


 ケーキに掛からなかったのは奇跡と言えよう。しかしながら新しく移り変わった部屋、折角新調した家具が紅茶で濡れる。

 掃除がッ、と思う反面、暴言を吐くスゥイを睨むのを忘れない。しかし気管に入った紅茶はこれでもかと存在感を訴え、


「あれも中々体力を使う様ですし」

「げほげほっ、ごほっ」


 ケーキをフォークで切り分け、咳き込むスオウをこれでもかという程見事にスルーして口に含み、満足げな表情を浮かべるスゥイ。

 喉を押さえ、文句の一つでも言おうとしたスオウだが、言う前にスゥイに封殺された。


「冗談です」


 ピッとフォークを立てて満足げに笑うスゥイ。スオウはため息を付くしか無い。


「お前……、げほっ、げほっ、――ふぅ……」

「汚いですよスオウ」

「……雑巾を持って来る」

「いってらっしゃいませ」


 にっこりと微笑んで手を振るスゥイに僅かに殺意が芽生えたスオウだったが、全てを飲み込んでキッチンへと向かった。


(手玉に取られとるのぅ)

(うるさい黙れ)

(仲が良いのは良い事だと思うがの、学院側は沈黙を貫くだろうが、バルトン伯爵の息子は如何出るか解らん)

(……まぁな)


 この謹慎は所詮体裁に過ぎず、カリヴァが挙兵し、結果を出せば直ぐに解除される事になるだろう。

 どちらかというと貴族連中から身を守る意味も含まれている。

 ロイクも、それを餌にあの後に釣ったジルベール・バルトンも、両者とも“何も覚えていなかった”。その結果に笑みを浮かべる。

 正確には一部の記憶だけが、無くなっていたというべきか。


(条件が厳しいが、十分に使える。流石は“記憶”のクラウシュラ)

(ふん)


 急に不機嫌に成るクラウシュラに眉を顰めながらスオウは雑巾を持ち、ダイニングへと戻る。

 既にスゥイはチーズケーキを完食し、シフォンケーキへとフォークを伸ばしていた。

 戻って来たスオウをちらりと見て、そして直ぐにシフォンケーキへと視線を落とす。


「(こうして見ると年相応の女の子なんだがな)」


 そんな事を思いながら自分で吹いた紅茶の後始末をし、片付けが終わり席へと戻る。

 フォークを手に、自分の分のケーキに手を出す。

 一口、自画自賛ではないがかなりの出来だ。ケーキに限らず菓子類は実験に良く似ている。必要な分量を順当な手順で行う、そしてそれを行えば必ず同様の結果が表われる。それがスオウは何よりも楽しかった。


「スオウ」


 チーズケーキの最後の一切れを口に入れた所でスゥイから声をかけられた。


「何だ?」

「――血を」

「唐突だな」


 シフォンケーキにフォークを突き刺した所で胡乱気な表情をスゥイへ向けるスオウ。

 最近のスゥイは、といってもあのツェツィーアとの一戦以降だが、血を吸う事に対する忌避感を和らげたのか稀にこうやって願い出る。

 とは言っても大量に飲む訳でもなく、多少舐める程度なのだが。


 シフォンケーキを平らげて、ほら、と腕を差し出す。が、その腕に興味を示さず椅子に座ったスオウの上にまたがる様に座ったスゥイは首筋へと噛み付いた。


「ッツ」

「ん……」

 

 ちく、と首筋に痛みが走る。首に腕が絡み付き、首筋が舌で舐めあげられてぞわり、と背筋が泡立つ。


「お前……」

「こちらの方が美味しいのです」


 眉間に皺が寄るのをスオウは自覚した。味なんて今まで気にしなかった癖に何を今更、と思わないでも無いが。

 取り敢えず本人が満足するまで大人しくしている事にした。ため息は吐いたが。

 腕の中に居るスゥイの温もり、同時に少しだけ思う、一歩間違えていれば彼女が無事で居たか定かではない。過剰な程の保険はかけたとはいえ、13歳の、いやもう14歳である子供を死地にやった事には変わりない。


 後悔しているのだろうか?

 懺悔しているのだろうか?


 くだらない、と思う。そんなモノはとうの昔に決断したのだと言うのに。

 だがこうやって温もりを感じ、生きている事を感じさせられるとふとした拍子に思い出すのだ。自身の罪を、自身の愚かさを。

 そう言うときは僅かに目を伏せて告げる、自分に、自分の中に向けて、黙れ、と。

 

 首筋に絡み付くスゥイの背に手を回し、狡猾な笑みを浮かべる。

 ヒト殺しの目を、殺戮者の顔を、俺はこの女を利用しているのだと自覚する為に。


「スオウ」

「なんだ」

「私は、貴方の役に立っていますか?」


 耳元で聞こえた声、その声に反応する様にスゥイを抱きしめて呟く。


「あぁ、勿論だ」


 もう、血は吸われていなかった。

 力が抜けたかの様にこちらへもたれ掛かるスゥイの体重を感じながら、伏せていた目を開く。

 

 目を開けば目の前にスゥイの顔があった。近くで見れば見るほど整ったその顔、愛しく黒く長い睫毛は緩やかに上向きにカーブを描き、その艶の有る濡れ鴉の様な黒髪は肩口で窓から差す光を反射し光り輝く。整った鼻はツン、と上を向き、ルージュを塗っている訳でもない唇はスオウの血で僅かに赤く塗れている。

 黒い瞳がスオウを射貫く、スオウを見ている様で見ていない目をスオウはじっと見つめる。ややあってスゥイはスオウを見た。

 何処も見ていなかったスゥイの目がスオウを見て、僅かに時が止まる。


 10秒か、それともたったの1秒か、時が止まったその時間。

 がちゃり、という音と同時に時が動いた。


「スーオウー、お腹へったよぉ〜、おっひるー、おっひるー……、る?」

「ブラン、ノックくらいするべきだ……と……」


 固まる二人、胡乱気な視線を玄関口へと送る二人。

 

「あ、あははー、えーと、うーん、と、ご、ごゆっくりぃ〜」

「し、失礼したな。いや、違う、なんだ、……あぁ、うむ、また後で来る」


 がちゃり、と扉が閉められた。


「盛大に勘違いされたか?」

「別に構わないのではないですか? 恋人同士という設定ですので」

「そう言えばそうだったな」

「そう言えばそうですよ」


 言葉が切れる、そして数秒、僅かに近づいて来たスゥイの顔を手で押さえ、膝の上に乗っていた彼女を押しのけて立ち上がった。不満げな顔をしてこちらを睨んでいるが知った事ではない。


「言っておくが、お前の体が欲しくて“あんなこと”を言った訳ではない」


 払う様に言った言葉、肉欲を求めてスゥイを傍に置いている訳ではないのだ。

 僅かに苛立ちを感じる。ふぅ、と僅かにため息を付いたスオウだったが、後ろからかぶされる様に降り掛かる怒気に振り返る。


「……巫山戯ないで下さい。いい加減、貴方は……、中途半端です」


 ギ、と睨み上げたその目。突き放す様なその言葉、売り言葉に買い言葉スオウは睨み返して告げる。


「そうであってもそれが俺だ、俺が俺である為にそれを譲るつもりは無い」


 そう、スオウ・フォールスであり、●●●●であり続ける為に。


「えぇ……。そうでしょうね、貴方はそういうヒトです」

 

 諦めた様に吐き捨てたスゥイのその言葉。僅かに瞳に走る悲しみの色。

 そしてスゥイは自室へ戻って行った、その日彼女は部屋から出てくる事は無かった。

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