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月蝕  作者: 檸檬
2章 魔術学院編
43/67

儚き幻想血に染まりて地に伏せる22

 First they ignore you, then they laugh at you, then they fight you, then you win.

 最初は彼らがあなたを無視する。つぎに、あざ笑い、それからあなたに戦いをいどんでくる。そのとき、あなたは勝つ。


 40を少しだけ過ぎた男、髪を後ろへ撫で付け、冷酷な瞳は変わらずそこに有りながらその顔は焦燥感が僅かに漂う。

 ぐったりとソファーへと腰掛けているその男は時偶溜め息を吐き、片手でこめかみを揉み解していた。

 何分、いや、何時間その仕草をしていたのだろうか、本人すら解らぬ時間が立った後、がちゃり、とその男が居る部屋の扉が開けられた。


「やぁ、ノーマン殿。無事で何よりだよ」


 入って来たのは30過ぎ程の一人の男。

 その男は独特の装飾をしていた。深い青の髪にゆったりと着ている細やかな装飾のされた黒のローブ。そのローブは見る者が見れば上質である事が解るだろう。

 そしてその手首に付いている銀の宝飾類には魔術刻印がされており、よく見れば手首だけでは無く片腕にいくつもつけられている。動く度にシャラン、シャランと宝飾同士がぶつかり音を鳴らしながら近づくその男は、笑みを浮かべてノーマンへと声をかける。


「無事、とは良く言ったものですね。私の研究所が襲撃を受けたのですよ? 何故その事前情報が入って来ていないのですか」

「まぁ、そう怒らないで下さい。こちらとしても想定外だったのですよ」

「想定外、ですか。困りますね、連盟へ渡すべき研究成果をそちらにも渡しているのですから、その辺りはキチンとしてもらわないと。それがどれだけ価値のある事か解っているのですか?」


 下等国に過ぎない分際で、と喉まで出かかったノーマンだが、流石にソレは飲み込む。

 予定外の状況へと陥ったノーマンにとって目の前に居る男が有る意味命綱でもある。自身の頭脳に絶対の自信を持っているが、かといって無闇矢鱈に毒を吐く程愚かでもない。

 そんなノーマンの内心に気が付いたかは不明では有るが、対面に立つ男は僅かに肩を竦め答えた。


「その分の資金援助はしているでしょう?」


 ふん、とノーマンは鼻を鳴らす。

 目の前の男から膨大な資金援助を受けている事は間違いなく、それに助けられていた事も間違いは無い。

 そうでなければ何故こんな未発展国相手に貴重な研究成果をやる物か。

 だからといって今回の襲撃を予測できないのは別問題だとノーマンは考える。

 とはいえこの場で詰め寄った所で状況は改善しない、ふぅ、と一つ深いため息を付いて研究所から持ち出した資料を一つ、ノーマンは目の前の男に差し出した。


「ほう、これが。成る程成る程……」

「研究途中では有りますが十分でしょう。それで、次の私の研究先は何処でしょうか?」


 肩を竦めて資料を渡し、満足だろう? と言いたげな表情で告げるノーマン。対する男はその資料を数枚めくり、そして満足げに頷いて資料を手持ちの鞄へと仕舞った。

 革製の薄茶色の鞄。特徴等何も無い質素な鞄では有るが、見るヒトが見れば開封防止の刻印が薄らと刻まれているのが解るだろう。

 その鞄を男は脇に抱え、そしてふと思い出しかの様に話しだした。


「どうにも我が主人は不安定でして、色々部下が動かないといけないので大変です」


 芝居がかったかの様に告げるその言葉の後に、く、と青い髪の男は笑う。震えた体と同時に装飾品がシャランと鳴って部屋に響く。

 その仕草にやや怪訝な表情を浮かべるノーマンではあったが、取り敢えず話を合わせ、男を見た。


「それはそれは、連合の3大貴族の一人が不安定とは先行き不安ですね」

「まぁ、仕方が有りません。その分周りが仕事をしていますので」

「なるほど、連盟も6家の時代がそろそろ終わりを迎えそうですのでお互い様かもしれませんね」


 そして互いに笑う。一人はその滑稽さに、一人はその現状に。


「では、ノーマンどの、次の場所へ案内しましょう」

「……えぇ、ありがとう御座います。……それで、行き先の方は?」


 首をひねって告げるノーマン、対する男は笑うだけ。シャラン、と音がする。シャランシャランと音がする。

 いくつもの銀の宝飾が淡く光り、男の笑みは深くなる。


「……どういうつもりでしょうか?」

「そうですねぇ。私どもとしては“まだ”ルナリア王女と敵対するつもりは無いのですよ。あの女もなかなかに狡猾でして、グリュエル辺境伯もさすがは、と言った所。ですが、そうですねあまり優秀なヒトがトップに立ちますと私たちの様な者は大変でして、ねぇ?」


 魔素が溢れる、空間が歪んでいく。ノーマンはじりじりと後ずさりしながら、懐へと忍ばせていた宝石の一つへと手を伸ばす。


「操りがいが有って可愛げの有る上司の方がやりやすいのですよ。と、言う訳で今回の件我々が関わっていると知られるのは非常にまずい、そう、非常に、ね」


 ゆっくりと腕が上がり、淡く光る銀の腕輪がノーマンの視界へと納まる。

 指に触れる宝石、それを掴み、更に一歩距離を取る。


「関連性のあるモノは全て処分したつもりですがね?」

「勿論疑っていません、ですが、最近あの王女に訳の解らないモノが付きまして、念には念を、と」

「残念です、良い関係を築けるかと思っていたのですが」

「ええ、本当に残念です」


 銀の腕輪が光る、同時にノーマンは手に持っていた宝石を飲み込む。

 ぎちぎちと視界が揺れて、度数の高いアルコールを一気に飲んだ様な灼熱感が喉を通り過ぎ、そして胃が沸騰したかの様な熱をノーマンは感じた。

 じゃらじゃらと大量につけている腕輪を鳴らしながら目の前の男はその流れを黙って見ている。そして数十秒、ノーマンの後ろに一瞬で魔方陣が浮かぶ。


「ほぉ、それがアイリーン・レイトラ殿の研究成果ですか」


 感心の声、それにノーマンも笑みを浮かべる。

 愚かな下等国のゴミを処理する為だけに、この技術を用いてやった事に対する感謝を述べろとばかりに。

 嘲笑が浮かぶ、ノーマンの顔に嘲笑の笑みが。


「ふふふ、基礎は確かにあの女ですが速効性が無かったので、ね。私が少々改良させて頂いたのです、よッ」

 

 声、そしてぶれるノーマンの体。

 ミチリ、と筋肉が膨張し一瞬で蒼髪の男の傍へと近寄ると同時に掌底、さらに唱えていた中級火炎魔術が魔方陣より放たれ、男を吹き――飛ばさなかった。


「な」

「では、次は誰にも邪魔されぬ場所でゆっくりとお楽しみください」


 振り下ろされる銀の腕輪、その腕。払う様に振り下ろされる。


 あっさりと。

 まるで全てが無かったかの様に。

 命の火が消える。


 ぎゅるり、と空間が歪み、ノーマンの体が捻り千切られる。まるで強大な腕を持ってして強引に引きちぎったかの様に体は両断され、血を撒き散らした。

 一撃で絶命した男の死体を一瞥した後、それを成した男は初めて憂鬱げな顔をして呟いた。


「さて、よくもまぁ色々台無しにしてくれたものです。あの研究所にいくら金を使ったと思っているのやら」


 僅かに手に飛んで来た血を払い、男は忌々しげに唸る。


「スオウ・フォールスですか。いい加減始末する必要が有りそうですねぇ、とはいえあの子供は得体の知れない部分が有りますし。さてはて、どうした物か」


 ノーマンによって放たれた魔術によって燃え盛る部屋の中、男は一人楽しげに笑っていた。

 

 ○


 カナディル連合王国 首都 ヘーゲル


 水晶のシャンデリアが天井からつり下げられ、魔術の光にて淡く光り乱反射してきらきらと輝くその姿は美しく、そして幻想的。

 並べられた長テーブルには所狭しと料理が並べられ、その隙間隙間には考えられたかの様に美しい花や調度品が置かれている。

 

 広く純白のテーブルクロス、赤く染まるワインのグラス。喧噪と音楽が鳴り響くその城のホールの一角、そこにルナリア王女は立っていた。


「だるいわニールロッド」


 やや蒼の入った生地を使った基本は白のドレス、そして胸元には赤いコサージュ。体に刻まれた刻印のため肌の露出をとことん抑えた衣装ではあるが、その顔立ちも有って一際目を引く。だが、その愛しいまでの顔立ちを保ったまま口から出た言葉はソレ。もしその声が聞こえる範囲に別の貴族が居れば驚いて固まった事は間違いない。

 表面上はにこにこと笑みを浮かべているルナリアだが、その内心は、このホールごと爆発して皆死なないかなーとかそんな事だった。そんな事になればカナディル連合王国の政治は全て麻痺し、笑え無いどころの騒ぎではないのだが。


 ――兎も角。


 隣に立つニールロッドも珍しく正装であり、普段の巫山戯た態度は鳴りを潜め、まさに一流の付き人の様相では有るが、口から出る言葉はいつも通りで。


「大丈夫でさぁ、こっちもだるいですからねぇ」

「貴方死刑よ死刑、不敬罪で死刑よ」

「そんときゃあのクソ餓鬼の所に逃げ込んで雇ってもらいますわ」

「そう? 鮮血と交換してくれるかしら」

「あんな美人が来るなら残りまさぁ、多少の無理難題も飲みましょう」

「失礼ね私も美人でしょう」

「……まぁ、見た目はそうですねぇ」


 ピキ、とルナリアのこめかみに青筋が走った所で一人の男が話しかけてきた。


「ご無沙汰しておりますルナリア王女様、フェルトでございます」


 深々と頭を下げて告げる男に青筋を一瞬で隠して温和な笑みを浮かべて応対するルナリア。

 そう、今この場所は年に数回行われるパーティー、もとい社交界である。実際はもっと仰々しい名前が付くのだが、ルナリアにしてみればその程度のモノだ。

 今回は首都にて行い、王が主催のためほぼ全ての有力所の貴族を呼んでいるだろう。


 生憎とガウェイン辺境伯は欠席であり、代わりにルナリアの背よりも高い贈り物の山を送ってはきた。正直そんな物より来た方が互いにとって良いと思うのだが、どうやら相手は汲み取ってくれなかった様である。


 腐り落ちる程の美辞麗句を述べたフェルトと名乗った男が去って行く。

 ニコリ、と笑みを浮かべてその後ろ姿を見つめた後また呟く。


「時間の無駄よニールロッド」

「ですからこっちに当たらんでくだせぇ」


 先ほどからこの繰り返し。

 彼らはどいつもこいつもどうしようもないな、とルナリアは思っていた。

 いや、流石に全員とは言わないが、殆どがそうだ。ルナリアが開発、もとい献上した蒸気機関、それの取り入れを打診して来た連中が片手で数える程しか居なかったのだ。

 ソレ以外は完全な御機嫌取りであり、まぁそれが悪い事とまでは言わないが、自分の領土を活性化させようと頭を巡らせ、動く者のなんと少ない事か。


 この場はそういう情報交換と連携を計り、国を向上させる為の場では無かったのか、とルナリアは言いたかった。

 しかしながら元々昔からこうなのだ、無駄に金を使い、権力を見せつけ、国の豊かさを表す。

 それもそれで間違っている訳ではない、だがそれだけでは意味が無いだろう。


「(歯がゆいとはこう言う事を言うのかしらね、帝国が攻めて来ていない“からこそ”の平和だと言うのに。こちらから強行して取り入れさせるのでは意味が無いわ。けどまぁ、仕方が無いのかしら)」


 表面上はニコニコと笑みを浮かべ、貴族の相手をし続けるルナリア。

 いい加減体調不良とでも言って事務処理に戻ろうかしら、と思っていた所で一人の赤黒髪の男が視界に入った。


 相手もこちらと視線が合ったのに気が付いたのだろう、深々と頭を下げ、そして笑みを浮かべた。

 その笑みはいつぞやのスオウと同じ様で、やや嘘くさいその仕草にルナリアは自然と顔がほころんだ。


「こんばんわ、クラウシュベルグ男爵。貴方が来られるとは珍しい事も有るわ」

「ご機嫌麗しゅうルナリア王女様、何分若輩者でして、自領の運営で手一杯……」


 互いに話し始めるその瞬間、声が聞こえた。


「おい、田舎者が王女様と喋れるのか? 言葉が通じてないんじゃないのかぁ?」


 態と声を大きくしたのだろう。ホール全体に聞こえる様な声。ざわめきが一瞬静まり、それにルナリアは目を細める。

 対面に立つカリヴァは笑みを浮かべたままだ。


「おや、我が国の大切な貴族を田舎者扱いのあげく言葉が通じないとまで言うとは何処の誰でしょうか? 是非この場で名を教えて下さいませんか、それはそれは素晴らしい領土を持つ者なのでしょう?」


 ひく、とカリヴァの口が攣る。

 同時にシン、とホールが静まった。ピリピリとした空気が漂い、隣に立つニールロッドは視線を外し我関せずとばかりにそっぽを向く。


「……王女様のお手を煩わせる必要も御座いません。何分未熟なこの身、諸先輩方の激励でございましょう。ご容赦を」


 その変わった雲行きに勘弁して頂きたい、とカリヴァは唸る。適当に流しておけば良いのだ、やっかみはもはや日常茶飯事であり、態々荒立てる必要も無い。だと言うのに目の前のこの王女様は揉め事を起こして面倒な貴族の一人や二人を潰させようとしている。こんな所で敵と仕事を作るつもりは無い。

 少しだけ眉に皺がよるカリヴァ、ルナリアは笑みを浮かべている。完全に遊んでいる状況だ。


「そうかしら? 発言した男の税収が貴方の領土に満たなかったらこの場で税収を貴方と同額にしてやろうかと思ったのだけれど」


 塩の専売、そして万年筆から始まる特産品、そして砂糖や香辛料を大量に生産し販売しているクラウシュベルグの収益は他の領土の比ではない。故に、国に収める税も相当額である。その為クラウシュベルグ領と同等額の税収を納める事になればそこらの貴族では瞬く間に干上がる事になるだろう。更に言えば近郊の諸侯と連携を取り、蒸気機関車による流通も完備されて来ているのだ。

 案の定言ったで有ろう貴族の男は、するり、と人影に隠れて行ったのをカリヴァは視界の端に収めた。同時に内心でため息を付く。どうやら、“そういう事”だったらしい。


「ご冗談を、お戯れが過ぎますルナリア王女様……」

「ふふ、そうね。冗談よ」


 くすくすと笑うルナリア、当然でもあろう、ルナリアにその様な権限は厳密には無い。しかしながら今までの実績がそれに現実感を持たせる。やる、と言えばやるのだと。

 その様な状況はカリヴァは望んでいない、故に地面に片膝を付き深々と頭を下げ機嫌を取る、そこで漸くざわめきが戻って来た。


 目は笑わず、それでいて微笑みを浮かべるという薄ら寒い笑顔を浮かべたルナリアは、頭を下げるカリヴァへ頭を上げる様に告げると隣に立つニールロッドへと目配せする。

 つぃ、と出された手の先には持っていたワイングラス。それを恭しく受け取るニールロッドはヒトに見られない様に器用にため息を付いてそれを持つ。

 そして次に手を差し伸べたのはカリヴァにだ。その手に笑みを浮かべたカリヴァは恭しく添え再度謝意を述べ、立ち上がる。その瞬間、ルナリア王女がカリヴァの耳元で呟いた。


「ストムブリート魔術学院にて“少々”問題が起ったのは聞き及んでいるかしら?」


 その言葉にカリヴァは目を伏せる。

 是を示したその反応にルナリアは笑みを深めた。


「“反逆者”を処理しないといけないのよ。武功、欲しいでしょう?」


 それは自国の加護持ちに対しての不利益行為を行った事に対する罰則。

 それだけであれば降格か、あるいは戒告であろうか。だがしかしそれに加えて犯罪行為を行ったというのならば話は変わる。

 しかし、それだけで攻め込むには弱い、だがルナリアはそれを強引に押し込む事にした。


「……反逆と見るには厳しい物があるのでは無いでしょうか」

 

 カリヴァの不信も当然。むしろ過剰な行為だと他者から恨まれる事間違いない。

 だがそのカリヴァの言葉にもルナリアは笑みを浮かべて答える。


「ふふふ、大丈夫よ。裏帳簿から汚職の繋がり、“色々”と貰えたわ。一部麻薬も扱っていた様だし」

「……ではバルトン伯爵を?」


 誰とは言わない、互いに誰かは解っているのだから。

 どうやって情報を仕入れたのかは不明だが、ソレであるならば信憑性は高い。

 カリヴァは思考を巡らせる。


「駄目よ、猿山の大将にはまだ頑張ってもらわないと。いざという時に切る為の悪役は必要でしょう?」

「となりますと、ハイム子爵を?」


 つ、と視線を逸らす。周囲を警戒しながらカリヴァは給仕が持って来たワインを手に隣に立つルナリア王女へと話を続ける。


「えぇ。息子も死んだみたいだし、その辺りを使って適当に暴発させなさい。貴方の軍、いい加減示して欲しいのよ、ね?」


 く、と笑うルナリア。美しいまでに整った唇。ルージュを入れたその唇にニールロッドから取り戻したワイングラスが当り、そしてくい、と飲み干した。

 これによってカリヴァがルナリア側であるという事を明確に示す事になり、そしてその戦力も計られる。

 使えるのであれば更なる支援を、ならないのであれば、と言った所か。

 強ければより自陣の強化へと繋げる為に。そしてカリヴァにとっても損ではない、商人上がりというレッテルを多少は覆せるだろう。

 侮ってくれる事によってその隙を突くという方法が今まではメリットではあったが、そろそろ立場や権力が必要な時期でもあった。


「バルトン伯爵から横槍は入らないので……?」


 先の“暴言騒ぎも”含め最早逃げ様が無い事を理解したカリヴァは懸念の一つを聞く。


「あぁ、大丈夫よ。あの伯爵も自分の息子は可愛いみたいだから」


 トン、と空になったワインが置かれる。

 その答えにカリヴァは笑みを浮かべた。


「……解りました、では」


 深々と頭を下げるカリヴァ。

 ちらりと見上げたその先、王の座るべき王座はいまだ空席だった。


 ○


 踊らされるものが踊らされていると理解していて踊るのと、理解しないで踊るのでは雲泥の差がある。

 カリヴァ・メディチ・クラウシュベルグ男爵は間違いなく前者だ。それでいてアドリブも効かせられる有能な貴族。


 “態と”侮辱させてクラウシュベルグ男爵とルナリア王女の親密さを前面に出し、クラウシュベルグ男爵に対して直接縁を結ぼうとする連中に牽制をかけた。

 見事に踊り切ったクラウシュベルグ男爵に賛辞を述べてやりたい所だったルナリアだが、残念ながら彼女の気分は一気に急転直下する。自室に戻って来て最初に見た目の前の積もり積もった書類の束、彼女は乱暴につけていたコサージュを投げ捨てた。

 慌てて後ろに付いて来ていた侍女がそれを拾いに行き、何か怒らせる様な事をしてしまったかと戦々恐々としている。八つ当たりに過ぎない行動であった為ルナリアは軽く頭を振ってその侍女に何でも無い事を告げて退室を促した。


「どうしようもないわね本当に」


 チッ、と乱暴に舌をうち、積み上げられた書類の前、執務机に添えられている革製の椅子へとドレスのままどかりと座り込んだルナリアは倦怠感の漂う体を伸ばし、靴を脱いだ。


「あぁー、癒されるわー」


 無駄に多い紐でがんじがらめにされて蒸されていた靴が脱げ、爽快感が覆う。

 ぐでり、と頭を椅子の後ろへと投げ放ち脱力しているその姿はとても一国の王女ではない。

 そんな状況下のルナリアが居る執務室へ一人の男が入って来た。言うまでもない、ニールロッドである。

 ニールロッドが入って来た所でその姿勢を正そうともしないルナリア、ひらひらと手を振って何か用かと訴えている。その仕草にニールロッドは僅かに苦笑を浮かべ、報告を続けた。


「ストムブリート魔術学院に帝国の間者、それも魔弦が入り込んだのは間違いない様で。学院側も確認したと連絡が有りました」

「そ、まぁスオウの報告だから疑っていなかったけど、良く逃げられなかったわね」

「スゥイ嬢が宝石の針を片割れに打ち込んでいた様で、まぁ〜ギリギリで気が付かれた様ですが」

「なるほど、あの子も中々やるのね。いいわねぇースオウは綺麗所が一杯で。私はむさいおじさん一人よ?」

「俺も出来ればおしとやかで優しい主人がよかったですがねぇ」


 くっく、と笑いながら答えるニールロッド。

 あ、そ、とルナリアが適当に返事を返す。


「侵入者は?」

「そっちも裏で確認済みですわ、慚愧のブラッド。B級賞金首でもありまさぁ、首を照らし合わしたので間違いないでしょうよ。ま、吸われ吸われて大分ぼろぼろって聞いていますがね」


 吸われたのは魔素、生まれでたリッチの為に使われたその体は大部分が劣化し、酷い有様だったと言う。


「スオウはどうしてるのかしら?」

「一応は謹慎扱いですねぇ、ま、学院も下手に手を出せないんでそのうち解除されるでしょうが」


 あらあらかわいそうね。とルナリアは呟きながらもそれすら想定の範囲内だろうと解釈する。

 キルフェ・ハイムが殺し屋を雇ったのは既に裏が取れており、その目的はスオウが女生徒から聞き出した。まぁ、脅したとも言うが。

 それを学院側へ報告、証言として使用した。リッチの出現も殺し屋で始末できなかった際の保険として用意し、“しかし制御できず”失敗したと報告された。

 疑うのは当然、だが学院は飲み込んだようだ。


 帝国の間者が入り込み、問題を起こしたとなれば抗議も当然だが、一部の熱り立った貴族が何をするか解らない。

 加護持ちが一人増えて戦力が高まったのはつい最近の事なのだ。勘違いする者が出ても可笑しくは無い。


 だがしかし、それが貴族側の失態となればそれを抑える理由になる。加えて学院に対する発言を押さえ込めるのにも使えるのであれば沈黙を貫くだろう。


 たとえ、一人の女生徒の命が危機に晒されたという事実があったとしても、だ。

 どうやらスオウの予想通りの方へ学院の天秤は傾いた様だ。


「(証言者の一覧にジルベール・バルトンの名も有るし、まっとうな手段じゃないでしょうね。敵ばっかり作って大丈夫かしら。しかし、ハイム子爵もかわいそうに、トカゲの尻尾切りも良い所。まぁこちらも戦力を削るのが主目的だったから感謝すべきよねぇ。バルトン伯爵にはまだまだ頑張って貰わないと、ね。ふふっ)」


 そこまで考えたルナリアは未だルージュの残る唇を指でぬぐい、赤く染まった指先を眺めながらふと思いついた事で「そういえば」、とニールロッドへと問いかけた。


禁忌魔術タブーマジック、それも生贄召還サクリファスブラッド、貴方出来る?」

「無理ですわ、そもそも失伝魔術ロストマジックですからねぇ」

「ライラ・ノートランドの証言の、一撃でリッチの頭部を半壊させる技、貴方出来る?」

「……条件さえ整えば」

「ふーん、つまり、禁忌魔術に精通し、B級の暗殺者をあっさりと殺して生贄に使い、リッチを遠距離から半壊させる程の技を持ち、更にバルトン伯爵の子息を証言台に立たせる力を持つ14歳の子供、総合的に見ても貴方よりずっと上ね。どう思うかしら?」


 くすくすと楽しげに笑うルナリア、対するニールロッドは苦虫をかみつぶした様な顔。はぁ、と一つため息を付いたニールロッドはぼやく様に言い放つ。


「得体の知れなさは随一ですねぇ、本当に大丈夫なんですかい?」


 それは自分達の不利益とならないか、と言う事だ。

 それに対してルナリアは薄く笑う。


「それで滅ぶならその程度の国って事よ」


 私も含めてね、と。

 ぐでり、と倒れていた体を起し、今度は執務机の上で手を組むルナリア。


 ーーあの男は私に“陛下”と言った。


 内心でその意味を反芻しながらその白魚の様な指を絡ませて、ニールロッドを見上げる。蠱惑的な笑みは色香を漂わせるが、対するニールロッドはそれすら自分で理解して作り出している物だと解っている為、めんどくさそうな顔でルナリアを見下ろした。


「……貴方本当に失礼ね」


 色は一瞬で鳴りを潜め、じろり、と睨み上げる様に見上げる、それにニールロッドは肩を竦めて返した。


「性分でして」


 その言葉にルナリアは鼻で笑う。

 そして積もった書類の1枚目へと手を伸ばし、処理作業へと移った。その仕草に話は終わったのだとニールロッドは理解し、そして部屋を出る時ルナリアがぽつりと呟いた。


「殺しちゃ駄目よ」

「分の悪い賭けは生憎としない方なんですわ」

「そ、じゃあいいわ」


 トン、と書類に判を押す。パタンと扉が閉まる。


「次はいつ遊びに行こうかしら、スオウの手料理も楽しみね」


 スオウにしても、周りの者にしても傍迷惑極まり無いその行動を呟く。生憎と聞いた者が居なかったのが唯一の救いだろうか。

 ぴらり、と次の書類へと手を伸ばし一通り目を通した後判を押す。その横顔、ルナリアは自分が僅かに笑みを浮かべている事に気が付いていなかった。

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