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月蝕  作者: 檸檬
2章 魔術学院編
42/67

儚き幻想血に染まりて地に伏せる21

2話投稿

 At the end of the game, The king and the pawn go back in the same box.

 ゲームの終わりには、王も道化師も、同じ箱にもどる。


「き、貴様らどこの者だッ! こんな事をしてただで済むと思っているのか! ここがどこか解っているのか、貴様ら生きてこの国から――」


 唐突にその声は途切れる。

 ト、と一つ音が鳴る。その音源は一つ、叫ぶ男の目を突き抜け脳を裂き、頭蓋を突き破り止まる矢だ。

 叫んでいた声は直ぐに納まり、ただそこには静寂が戻る。いや、既に静寂ではない、耳を澄ませば聞こえてくる悲鳴と怒声、命の消え行く瞬間のざわめきが耳を打つ。

 構えていた弓、近距離だというのにも関わらず流れる様に打ち放ったその自身の獲物を一瞥したエーヴェログは次の獲物へと向かう。


 懺悔等いらない。

 贖罪等いらない。


 ここからはただ個人的な鬱憤を晴らす為だけの狩り。


「狩りを始めよう」


 この場に居る者に生きる価値等この僕が与えない。

 これは正義か?

 いいや、正義なんてものは無い。

 そこに有るのはただの自己満足と自己陶酔に過ぎず、だがそうだとしてもエーヴェログがやる事は変わらない。

 頭蓋に突き刺さった矢をずるり、と抜き、同時に持ち上がった頭を片方の足で地面へと叩き付ける。


 飛び散る脳髄と血液、混ざり合ったそのどろどろとした赤いナニカを踏みしめてエーヴェログは次の獲物を探す。

 血に染まる矢は次の血を吸わんとばかりに怪しくぬらり、と光っていた。


「守れないならば殺す、助けられないならば殺す。その可能性を奪う可能性を持つ者を」


 エーヴェログは思う。この惨状を認めないと。認めたくは無いと。しかしけれどこれはこの世界に起っている現実で、自分が助けられるヒトなど片手で数えれる程しか無くて。

 

 だから彼は守りたい者を壊す者を殺す。

 殺した者ならば両手の指ですら足りず、足の指を足した所で焼け石に水に過ぎず。

 つがえた矢の数だけヒトの命を吸って来た。


 だから今日もそれと同じ。

 ただ同じ事を繰り返す。

 そう、今この瞬間誓うのだ――


 ――今この時のうちに殺し尽くせ。と――


 翠の髪は闇に沈み、翠の目はただ機械的な殺意のみを宿し、そしてエーヴェログは矢を番える。内に秘めて煮えたぎる怒りの元に、次の贄を食らう為に。


 ギチギチと鉄の柵が折り曲げられる。押さえつけていたであろう拘束具は弾け飛び、本来鎮静剤等を打っていたであろう研究者は既にエーヴェログによって肉の塊へと果てている。

 不快な匂いを撒き散らし、色の篭らぬ目は虚空を照らし、異形の体は癒しを求めて空をつかむ。

 矢が番えられる。細まる目、その表情の中にある嫌悪と怒りの感情はこの目の前の相手に対してのものではなく、この場に居ない者に対してのもの。


「……」


 キリキリと引き絞られる矢はその目の前に立つ“子供であったモノ”を射貫かんと、一撃のときを待つ。


「い”だ、い”……、だずげ――」


 体の形を保ってすら居ないその異形が言葉を発した時、エーヴェログは目を瞑り、そして矢を放った。“助けたかった者”を殺す為に。

 矢は寸分狂いなく、異形の脳天へと突き刺さる。

 ずりずりと体を引きずり、まるで意も介さぬ様に矢を刺して来たエーヴェログを見る異形、が、次の瞬間には次の矢がその目へと刺さる。

 一拍の後の射撃、動く度に突き刺さる矢、両目が潰され、喉が潰され、脳があるであろう場所には数本の矢が既に突き刺さり、命の灯火が消えるまで後少し。


「……懺悔は、無いよ」

 

 そして最後の矢を番えた。


 ○


「っちい」


 ほぼ同時刻、アリイアと分かれたシュバリスはフィリスが居るであろう場所へと走っていた。

 フィリスは標的の拿捕及び奪取、片腕とはいえど彼女とてそれなりの経験を積んでいる。だが片腕である事が彼女のハンデで有る事には変わらなく、戦闘に直結するであろう立場では無かった。だがそれとて危険が無い訳ではない。自分の中で産まれる嫌な予感、所謂勘と呼ばれる物が警戒をならしていた。


 一際高い振動が建物を襲う。

 

 思わず口から付いて出た悪態、恐らく嫌な予感が当たったか、それとも。

 いくつか目の曲がり角を走り抜た先、その場所には壁際へと追いつめられている片腕、黒髪の女性が一人、その背にはぼろぼろの服を着て、髪と顔はひどくやつれ酷い有様の女性が一人。 


 囲うのは恐らく警備兵であろう、アリイア達側へと行かなかった分だと予想するのは簡単。

 一瞬だけ目が合うシュバリスとフィリス、それだけで互いのやるべき事を認識した二人は駆ける。


 まずは一撃、背後から走って来たその勢いのまま斬りつけ、そのまま回転する様に二人目へと振り上げる。

 悲鳴とともに怒声が響くがそのシュバリスが切って捨てた二人分の隙間をフィリスが駆け抜ける。


「追え! 逃がすな!」


 声を張り上げた一人の男の前へと、フィリスの後ろを守る様に立ち、告げる。


「逃がすな? ハッ、それはこっちの台詞だ、なんせ」


 ――皆殺しっていう命令なんでね。


 剣が走る。多対一、アリイアではないのだ、シュバリスでは少々荷が重い。

 だが、直ぐに援護が入った。剣と剣を打ち合わせ、にらみ合ったその瞬間に地面へと鉄杭が刺さる。

 放ったのはフィリス。抱えていた女性を床へ降ろし、そしてシュバリスへと告げ、そして直に女性、アイリーンを担いで後ろへと飛ぶ。


「シュバ!」

「おうよ」


 鍔競合いをしていた相手にシュバリスは蹴りを入れ、そして同時に離れる。

 突き刺さった鉄杭は6本、キン、という音と淡く光る鉄杭。数秒遅れでその6本を起点とした魔方陣が組み上がる。

 その凶悪で綿密な魔方陣に警備兵は一瞬で顔を青ざめ――


「――! 退避ッ」


 しかし遅い。

 ゴ、という音と同時に火柱が立ち上がり、天井を舐める様に走ると石造の壁表面を溶かしヒトを焼く。

 その火の勢いは放ったで有ろうフィリスとシュバリスの方まで走り、慌てて二人は距離を取る。


「あっちちちぃっ! あの野郎なんてモノ持たせやがる!」

「文句言ってないで一旦下がる! 標的は確保したから私とアインは一旦A地点にて待機!」


 じりじりと皮膚が焦げそうな熱気に晒されてシュバリスは悪態をつくがあのままではこちらが危なかったのは明白。

 やや火傷した腕を恨みがましげに見つめ、フィリスの後を追う。


「“それ”がそうか?」

「ええ、外に居た研究者からも聞いたし、警備兵も言っていたから間違いないわ。本人の手記も見つけたし」

「その割にはなんつーか、言われていた年齢と大分違う気がするが」

「……手記を読めば解るわ」


 研究所の中を走り抜けるさなかフィリスへとシュバリスは問うた。

 襲撃に備える為シュバリスは動きやすい様にといまだアイリーンはフィリスの背の上。

 昏倒し続けるその彼女に対しての問い、その返答はまるで汚物にでも触れたかの様な嫌悪感を全身で表す物だった。その様相にシュバリスは口を噤む。


「あまり、読みたくねぇな」

「……そうね」


 沈黙。

 彼女の姿、健を切られ、髪は白髪が混じり、顔には皺が寄り、とてもではないがシュバリスやフィリスと殆ど同年代だとは思えないし、研究所で真っ当な扱いをされていたとは思えない。

 つまり、それ相応の事が有ったという事。

 彼女に同情するつもりは無い、だがそれでも思う所が無い訳ではない。


 故にやや、沈黙が続いた。


 ややあってフィリスは思い出した様にシュバリスへと声をかける。

 

「……そういえば、アリイアは?」

「アリイアとは別行動になった、フィリスへは俺が付く」

「……了解、早急にアインに連絡を。ログと合流する予定を変更しないと」

「あぁ」


 やや焦燥感を募らせて告げるフィリスに対してシュバリスは思考を巡らせた。

 義憤に強いエーヴェログの事だ、恐らくこの現状、手当たり次第殺して回っている可能性が高い。

 同様にアリイアは殺す事が生き甲斐の様な女性だ、故にこちらも殺して回っている可能性が高い。

 しかし前者は恐らく“無事”な子供を守ろうとするだろうし、後者はその“無事”を疑い始末しようとするだろう。


 故に二人がかち合わない様にシュバリスがアリイアの方に付いていたのだが……。


「大丈夫だ」

 

 根拠の無い言葉。

 現にフィリスはシュバリスを睨み上げる様に見ている。


「俺がここに居るのが証拠だ」

「……だと、いいけれど」


 シュバリスは思う、アリイアは少しずつだが変わって来ている。

 殺し屋ではない彼女へと変わって来ている。

 仲間を信じる事、甘い考えだと言う事は理解している。けれどそれを出来ないのならば、結局あのローエンと変わらないのではないか、と。


「最悪でも殺しまではしないだろ。スオウの不利益になるし」

「……それが一番説得力が有るわ」


 はぁ、とフィリスは一つ深いため息を付く。その一瞬の隙、いや、隙がなくても彼女は避けれたかどうか定かではない。

 通路両脇の壁が一瞬で崩壊する、地下であったその場所は天井が抜け、隙間から暗い空が見える。

 崩れ落ちる瓦礫を呆然と見つめるフィリス。


「フィリスッ!」


 シュバリスの声で我に返ったフィリスはその場から飛び退くが一瞬遅い、彼女を潰さんとばかりに落ちてくる瓦礫。目を瞑る、ここで終わりか、と思うが自分の体が引っ張られる感覚と同時に宙に浮く浮遊感が全身を覆う。


「ぐっ」


 襟首、それを掴み全力で引っ張ったのはシュバリスだった。

 間一髪、流石に二人とも掴んでいられるほど余裕が有った訳ではなく。殆ど乱暴に引っ張り上げた為、フィリスが背に背負っていたアイリーンは直ぐ傍では有るが地面へと転がってしまった、しかし彼女も遠目で見るに胸が上下しており、目に見える怪我が無い事から命に別状は無いと思われる。


「あ、ありがと」

「あぁ……」


 やや自分の状況がつかめなかったフィリスが遅れて礼を告げるとシュバリスは何とも歯切れの悪い答え。

 見上げるとその目線はそっぽを向いていた。


「?」

「悪気は無かったんだ……」


 崩れ落ちた瓦礫があちらこちらへと落ち、明らかに緊迫した状況下にも関わらずシュバリスは苦虫をかみつぶした様な顔で告げた。


「すまん」


 身体強化を用いて強引に引っ張ったツケか、フィリスの襟首は完全に破れており、片腕しかないフィリスにとって襟首部分が千切れればその無い方の片腕側へと服がすとんと落ちて……。


「……」

「すまん……」


 下を見て、そしてシュバリスを見て、そしてもう一度下を見て。

 完全に露出している自分の肌着、着ていた軽装の鎧の留め金が弾けており、下へと落ちていた。そして更に言うならシュバリスが距離を取るため引きずったせいで、肌着もほとんど脱げている現状を見てフィリスはため息を付いた。


「……まぁいいわ、こんな事戦場じゃ日常茶飯事だったし」


 よいしょ、とずり落ちていた肩紐を戻し、破れている部分を片腕が無いため垂れていた普段使われていない部分を使い胸部を縛り上げ、鎧をつけ直したフィリスはそう告げた。

 ため息を一つ、視線の先も一つ。瓦礫の崩れ落ちたその先、血潮と死臭が漂うその先。温度が下がって行く様な感覚の中シュバリスは剣を構え、フィリスは鉄杭を持つ。


 キリキリと音が聞こえる。


「んじゃぁ眼福と言う事で」


 ギチギチと音が聞こえる。


「あとで徴収するに決まってるでしょう」


 小さな小さな女の子。


「巫山戯んな助けた分でチャラだろ」


 鉄の腕と氷の爪。


「それじゃあこっからも助けてくれたら考慮するわ」


 血の涙が一筋流れ、全身を覆う氷の体は冷えきって現実感すら伴わず、まるで幽鬼の如くその場に立つ。


「そうかい、そりゃありがとよ」


 その小さな口が開く。


「せんせ、どこ?」


 鉄の腕が振るわれた。

 

 ○


「せんせーこれなーに?」


 いつぞやの日。

 暖かな団らんの日。

 研究に続く研究、子供達を薬付けにしておいて暖かな団らん等、巫山戯た言い様だと思うが、それでも暖かい思い出の一つ。


「ケーキよ」


 白く塗られたその円形の食べ物は、上にはいくつもの果物が置いてあり、とても高価な品だった。甘く、そしてとろける様なその味。匂いからして食欲をそそり、それぞれ好きな事をしていた子供達は我先にとそのケーキの傍へと近寄って行く。


「すっげーうまそー!」

「なになに、これなーに?」

「しらねーのかよ、ケーキって言うんだぜ」

「それせんせーがさっき言ってただろー」

「ロイはすぐそうやって言うー」

「シーナうるせー」


 わいわいガヤガヤと集まりだした子供達、放っておけばケーキに直接手を出して食べかねないその状況にアイリーンは笑みを浮かべて子供達へと告げる。


「ちゃんと皆の分あるから大丈夫」


 人数分の皿、包丁でケーキを切り分けて行く姿を子供達はじっと見ている。

 わくわくが抑えられない様にやや紅潮した顔で、皆みんな笑みを浮かべてそれを見ている。


「せんせ、なんか良い事有ったの?」


 自分が自然と笑みを浮かべていたのだろう。ココナがそうやって聞いて来た。


「ふふ、そうねー、今日は皆と出会えた日だから、かな?」

 

 自己満足の一つ、せめてもの幸福をと偽善に溢れていたときの一駒。

 これが地獄の始まりだというのに、何を言っていたのか。


「えへへ、私もせんせーと会えて嬉しい」


 殺したのは私だというのになにが嬉しいのか。


「あー、ココナなにやってんだよ!」

「私も私もー」

「せんせー、こっちきてよー」


 皆、殺したじゃないか。皆死んだじゃないか。


「だーめ」


 ほら、


「だって貴方達」


 ココナが、


「死んじゃったじゃない」


 そう言ってるじゃないか。


「ねぇ、せんせ?」


 ぐるり、と見上げたココナのその目は伽藍堂で。

 アイリーンは悲鳴をあげた。


 暗転。世界が戻り、現実を知らしめる。

 最初に感じたのは床の冷たさと全身を覆う激痛だ。

 激痛とはいえ、堪え切れない程ではなく、朦朧とする頭の中、状況をつかまんとばかりに周囲を確認する。

 周囲は酷い有様だった、いや、元々居た独房も酷い有様では有ったが、この場所はこの場所で酷い有様。

 至る所の壁は崩れ落ち、地下であった筈の場所だが空には夜空と星が見え、そして血とヒトが焼けた脂の匂いが漂う。


 寒い、と思った。


 カタカタと鳴る音、それは自分の歯から鳴っている事に遅れながら気が付き、のろのろと伸ばした指を口に入れてその音を止める。

 土の味と血の味がした。涙がこぼれる、訳も解らず、そして未だ生きている自分に涙がこぼれた。


「みんな……、どこ」


 口の中で呟かれた言葉、ひゅうひゅうと口から風が漏れ、それが呼吸だと気が付いてまた涙が流れる。

 世界が戻り、苦痛が戻り、命が戻り、息を継いで、そしてその“今”を知る。


 剣戟と怒声と、そして良く知る誰かの声。


「せんせ、せんせ……」


 剣戟の中に聞こえるその小さな声をアイリーンが間違える訳も無い。

 目が見開かれ、既に無くなっていたと思われた力が溢れる、がばり、と体を起こし周りを見る。

 足はいまだ癒えぬ傷口の為、さらにその傷が広がる。全身を覆う鈍痛は意思を折ろうと懸命に働きかけるがすでにアイリーンは精神が肉体を凌駕していた。

 最早ここで死んでも良いと思っていたアイリーンにとって後の事等どうでも良く、その声の元を探り、必死に目を動かす。


 目的の者は直ぐに見つかった。


 ただ、その現実は直ぐに認められなかった。


「あぁ……、いやぁ……、なんで……、いや、いやぁ……」


 目に映った少女、優しい少女、ココナの姿は最早ココナではなかった。

 片腕は冷たい鉄の腕と化し、顔の半分は氷で覆われ一部の髪ははげ落ち、唇は真紫で肌はまるで陶器の様に白い。

 残った腕の指は数本既に無く、足は度重なる負荷によって皮膚が弾け、一部は筋肉が剥き出しになっている。


 あれはもう、どうしようも……。


 研究者としての、天才としての知識が、意思がそれを知らせ、それを認めたく無いが故にアイリーンは吐いた。

 吐いたのは血、すでに胃には何も無く自分が出した血と傷ついて出来ていた血だけが出て来た。


 腕を振るうココナの前に立つのは二人の男女、一人は見覚えが有った。独房に居た自分を連れ出した相手だろう。

 剣を振るいココナへと相対する二人は明らかに敵対関係に有る事が理解できる。

 

「やめて、もうやめて、ココナを、ココナを傷つけないで」

 

 なんでこんな事になっているのか、アイリーンにとって解らない事だらけだがそれでも一つだけ認められない事を叫ぶ。

 けれどもその殺戮の時は止まらない。命のやり取りは止まらない。


 ずるり、とアイリーンは両腕で進んだ。

 恐らく罅が入っているであろう片腕、その激痛にすら気が付かずアイリーンは必死に体を動かす。その死地へ、ココナの居る場所へと。


 彼女が呼んでいたから、ココナが呼んでいたから、せんせ、とその言葉を聞いていたアイリーンにとってはそれだけで十分で。


「いま、いくよココナ」


 ずりずりと体を引きずって進む。瓦礫の山の中を必死に数百メートルの距離、歩けば直ぐの距離だが彼女に取っては遠く遠くまるで今の現状を表しているかの様な距離。けれど、その腕が止まる事もその体が止まる事も無かった。


「せんせ、どこ?」


 だって、ココナが呼んでいるのだから。


 だって、子供達が呼んでいるじゃないか。

 私を求めて呼んでいるじゃないか。


 ほら、シーナが、ロイが、リュッドが、ルサが、アーリが、ジルアが、セオが、メルが、……ココナが。

 ずりずりと体を引きずり、進む。声が聞こえる、ココナの声が直ぐ傍で聞こえる子供達の声が。


 ごつ、と額にナニカがぶつかった。ぬるり、と血が顔を覆い視界の半分を殺す。

 意識が朦朧として視界が揺れる、けれどまだまだ先は有る。

 もうちょっとで会えるから。もうちょっとで行けるから。


 音が大きくなってきた。

 もうちょっとで会えるから。


「ココ、ナ?」

「ッ! おい、フィリスどうしてあの女!」

「駄目、逃げて!」


 朦朧とする中で見上げるその先、小さな体は変わらない。抱きしめた足の細さも変わらない。

 パキパキと凍って行く頬、それでも彼女を抱きしめる。


「ココナ、ごめんね」

「……せん、せ?」


 キリキリと音が鳴るその鉄の腕。凶器であるそれが持ち上げられてそして空中で止まる。


「せん、せ……、せんせ、せん、せせせせ」


 ギチギチと音が鳴る。それは体からか心からか、彼女を覆う氷がパキパキを音を成し罅が走る。


「フィリス! 急げ彼女を」

「わかってるッ」


 ぶん、と鉄の腕が振るわれる。ごめんね皆、ごめんね、ごめんね。死んで楽に成ろうとしている私を許して。

 ごめんねココナ助けられなくて。

 ごめんねセオ、メル逃がしてあげられなくて。

 ごめんね皆私のせいで。


 振るわれた腕はフィリスとシュバリスを払うもの。

 距離を取られた二人は臍を噛み、隙を狙う。


「いたいよ、せんせ」

「大丈夫、大丈夫よ。私が一緒に居るから、ちゃんと一緒に居るから。大丈夫、大丈夫だから」


 零れる涙は凍り付き、流れる血は停滞し、視界は歪み、意識は虚ろに。

 目と耳を失ったココナの顔、顔半分が凍り付いているココナの顔、綺麗だったボブカットの髪は一部が抜け落ち皮膚が露出しているココナの顔。

 それでもアイリーンにとっては愛おしいココナの顔だ。


 彼女に縋り付く様に立ち上がったアイリーンはココナの口に口づけをして微笑んだ。


「せ、ん……せ? せんせ、せんせだ、せんせ、せんせせんせ、いたいよ、わたし、いたいよ、頑張ったよ。せんせ、頑張ったよ。――だから、だから死んで」


 消された筈の記憶、消した筈の記憶。ココナ自身記憶を取り戻した訳ではない、けれどその暖かさとその温もりと。覚えていた体が自然と口へと続き声となる。

 けれど最後はただ邪魔な者として識別されて。


 そのココナの声にアイリーンはゆっくりと目を閉じた。

 思い出される過去の記憶をゆっくりとゆっくりと、幸せだったその時をゆっくりとゆっくりと噛み締めて。くるであろう死の瞬間を待つ。

 彼女と供に死のうと、そう誓って。


「そこの二方」


 聞こえているかどうかは解らない。それでも告げた。


「これは私の懺悔、私が助けられなかった最後の二人、おねがいします。セオとメル、とってもいい子。とっても、とってもいい子だから。お願いします。ごめんなさい、ごめんなさい、お願いします。私はここでココナと供に居ます。供に逝きます。だからお願いします」


 抱きしめる様に、愛おしくココナを包む。

 腕が冷たく冷えきって行く、鉄の腕がきしきしと鳴り、そして振り上げられて行く。

 死の瞬間、命の灯火が消える瞬間。


「ココナ……」


 呟いた言葉、その返事は――


「がふっ――」


 吐血。ぼたぼたとココナの口から血がこぼれ、漆黒の瞳は限界まで開かれて虚空をさまよう。

 崩れ落ちる様にたたらを踏むココナ、ギリギリで堪え立ち続けるが、一人で立てないアイリーンはその動きに合わせられず支えを失い倒れ込む。


 何が起ったのか理解できない。

 慌てて見上げたそのココナの体には剣が生えていた。

 曲刀、シャムシール。胸の中央から生えているその剣はココナを寸分狂いなく突き刺し、突き抜けていた。


「あ……」


 認められない、認めたく無い。けれど現実は厳しくて。


 パキパキと凍り付く体、傷を止めようと曲刀ごと凍り付かせるその瞬間、その曲刀の持ち主は呟いた。


「“解放ヴァヴリール”」


 曲刀の刀身が淡く光る。細かに刻まれた刻印が姿を現しその意味を示す。

 スオウがメディチへと依頼していた試作型の一つ。限界を超えた力を内包した刻印の成果、スオウが戯れに作った技術の結晶。

 火柱が立った。


 ココナを覆う火柱が一つ。その骨まで溶かさんとばかりにそびえ立つ炎は突き刺さった剣から発生し辺りを熱で覆う。

 その熱量のため剣は溶け、その持ち主は無手となるがもはや一番脅威な存在は消したとばかりに興味無さげな顔でその結果を見る。


「いや、いやぁぁぁぁぁッ!」


 追いすがろうと燃え盛るココナの傍へ行こうとするが、それは直ぐに抑えられた。

 ブロンドの髪、褐色の肌、美しい顔立ちにも関わらずその目は背筋が凍る程冷徹で、体からは血の匂いしかして来ない。

 ココナを殺したその手でアイリーンを押さえつけ、告げる。


「アイリーン・レイトラですね。我が主が貴方をご所望です」

「いや、いやぁぁぁ、お前、お前ぇぇえッ! どうして、どうして殺した、どうしてココナを、ココナが、ココナ、ココナ、いやぁぁぁぁッ」


 叫ぶアイリーンを褐色の襲撃者、アリイアは冷めた目で見下ろす。

 ごとり、と鉄の腕が落ちる音。溶けた表面は爛れた様に見えて、焼けた体は炭と成す。


「貴方の意見等どうでもいいのです。では行きましょうか」


 五月蝿いから少し黙らせるかとばかりに腕を振り下ろすアリイア、しかしその腕は後ろから止められた。


「アリイア……、よせ」

「シュバリスですか、感傷だとでも言うつもりですか?」

「……解ってるなら何故ッ!」

「あの場でアイリーン・レイトラが死んでいたらどうするつもりだったのですか? それはスオウ様の不利益に繋がります」

「協力的じゃない方が不利益だろうがッ!」

「良く言いますね、あの様な状況に陥らせない様にあなた達がいたのでしょう?」


 冷徹な視線に二人は目を伏せる。もはや灰となったココナへと縋るアイリーンの泣き声だけが辺りを包む。


「……エーヴェログから彼女が言っていた二人は既に確保済みとの事です。どうしますか?」

「わかってるさ、直に彼女を連れてここからは離れる。あとは残党狩りだ」

「そう、ね……」


 天井が崩壊し、空が見えた事からアインツヴァルの伝達が使える様に成りアリイアとそしてシュバリス、フィリスにも連絡が入る。

 納得が行かない顔をするシュバリスとフィリスだが、それでもやるべき事は理解している。


「殺すという結果は変わらないというのに、それに意味を求めるからヒトなのでしょうかね」

『ただ殺すだけでは犬畜生と変わらぬ、それに意味を見いだすからこそヒトなのだアリイア』

「結果は変わらないと思いますが?」

『それでも品性を持つべきだ、それでも、な』

「所詮はヒト殺しの建前に過ぎないと思いますが」


 告げるアインツヴァルの言葉。解らない訳ではない、けれどアリイアは思うのだ。そんなモノは殺される側にしてみれば関係のない話で、殺す側からすればただの逃げ口上に過ぎないだろう、と。けれどきっと、自分の主は、スオウはそれを思うのだろう。


 そんな滑稽な主人が愛おしく、そしてそんな主人に惚れ込んでいる自分がどこか可笑しくて、アイリーンの泣き声が響く中アリイアは少しだけ笑った。


 ○


 この後、暴れるアイリーンを拘束し、馬車へと押し込んだ。そこに居た二人の子供を認めたアイリーンは泣き崩れ漸く大人しくなる。

 アイリーンのみ優先とし、残り二人の子供はおまけ、もといアイリーンの首輪だ。それを理解していたアイリーンはもはや憔悴し切り、抵抗する気力もでないと馬車の隅でぐったりとしていた。時偶アリイアを見かけると呪い殺さんばかりに睨んでいたが当の本人はどこ吹く風。


 そして襲撃した研究所から離れる際、少しだけ問題が起った。


「お前ら、余計な事をしてくれたな!」


 それは村人の一人から発せられた声だ。流石に襲撃時間が長引いた為か、それに気が付いた連中が詰め寄り言って来た。


「ヒトの所業とは思えぬほどの卑劣な実験施設を一つ潰しただけだ」

「五月蝿い! お前らのせいでこの村は終わりだ! さっさと出て行け!」


 答えたシュバリスの言葉、そんな事は理解しているとばかりに表情に表し、そして憤慨する。

 だが、その男の首は直ぐに飛んだ。悲鳴が上がる、怒声が上がる。


 逃げる男の頭に突き刺さったのは矢だ、腰が抜けた老婆を裂いたのは風魔法だ。


「何をしているのですかシュバリス、皆殺しですよ?」


 予備に置いてあった剣を持ち、首を刎ねながら告げるアリイア。


「……あぁ」


 村は国から金をもらっていた、いや、あの研究施設の上層部からと言うべきなのだろう。

 だから村は研究所を隠していた、自分の子供達と同じくらいの子供達が連れて行かれても黙っていた。

 物資に少ない遠方の村、金もなく、食べ物も無く、つまり彼らに取って研究所自体が収入源だった。だから、見て見ぬ振りをしていた。


 彼らに罪は有るのだろうか、無いのだろうか。


 どちらにせよ、顔を見られ目撃された以上、やる事は一つだった。

 その日、コンフェデルス連盟から村が一つ――消えた。

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