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月蝕  作者: 檸檬
2章 魔術学院編
41/67

儚き幻想血に染まりて地に伏せる20

 Four things come not back -- the spoken word, the sped arrow, the past life, and the neglected opportunity.

 4つのものは、帰ってこない。口から出た言葉、放たれた矢、過去の生活、そして、失った機会。

 

 ガリガリと音がする。

 それは金属と金属が擦れ合う音、そして石の地面と金属が擦れ合う音。


 薄暗い石造りの建物の中。地下であるそこは一部土が剥き出しになっており、そこに生命が存在していた時までは魔術の光で照らされていたため、そこまでの不気味さは無かった。しかしながら今現在そこに有るのは血と肉の塊。悲鳴が部屋の中を反響し、逃遅れたヒトは一人一人と血と肉の塊へと果てる。


 血と肉の塊を量産していた者が血と肉の塊となって行く様はなんと滑稽な事か。

 そんな異質な世界を歩くのは裸足の子供、一人の子供。 


 ――子供は少女だった。


 美しかったその髪はいつぞやの過去の姿の様に枯れ葉のごとく成り代わり、生気に満ちていた目はなんの感情も浮かばないかの様に漆黒で染まり、焦点の合わぬままずりずりと鉄の腕を引きずりながら歩く。ぶちゅり、と音がする。ヒトが潰される音、ヒトが引きちぎられる音。

 まるでただの水袋かの様に、ただその場所に居ただけでただただ邪魔な者を押しのけるかの様に殺して行く。


 それは彼女の、ココナの奥底に有ったモノなのだろうか。逃げ行く者であろうとなんであろうと、この場所に居た者全てを殺さんと、殺したいと思っていたのだろうか。逃げ惑う者も、逃げぬ者も、そこに存在している事、それ事態を許さないとばかりに殺して行く。

 会えなかった。

 会いたかった。

 最後に会いたかったヒトを探して。

 それが誰かも解らぬまま、ただ目の前に居るナニカを殺して。


「せんせ……?」


 呪文の様に呟くその言葉。

 血しぶきが舞う、小さなその子にかかる血しぶきは枯れていた髪を一瞬だけ潤すかの様に顔全体に掛かり、そして笑みを浮かべる。恍惚の笑みを。

 それは最後に殺した友と同じ感触だったからか、それが嫌悪である事だったのにも関わらず、少女にとっては失ってしまった記憶の欠片。

 嫌悪すべき記憶であろうと失ってしまった記憶の欠片に繋がりそうなその行為を彼女は求める。


 それでナニカを掴めそうな気がして。

 無くしたナニカを取り戻せそうな気がして。


 ずるり、と頬に付いた血を手で触れる。

 暖かさは彼女を覆う冷気によって直ぐに消えて、ただ冷たい鉄の匂いだけが辺りに漂う。


「もっと」


 暖かさを下さい。


 逃げ惑う研究者、それらを片っ端から殺したココナ。周りにはもう死体しか無く、それでもなお彼女は記憶の残骸を求めた。


「ぁ……」


 次に映ったのは子供。

 怯える様に片隅によって、カタカタと震える子供達。

 恐らく彼女と同様に連れて来られて、買われて来たのだろう子供達。

 ココナは知らぬ間に別の部屋へと来てそれを見つけた。……残念ながらも。


 彼女が彼女である時に出会えばまた違う道があったのだろう。しかし、不幸にも彼女は既に彼女ではなかった。

 笑みが浮かぶ、壮絶な笑みが。

 アレを●せば思い出せるような気がして。ナニカが思い出せる様な気がして。


 爪が振るわれる。氷の爪が、パキパキと音を立てて、肌を刺す様な冷気が辺りを覆い、子供達はガタガタと震え、涙を流す。

 声はもう聞こえない、思い出すナニカが叫んだ所でなにも関係のない話。


 ――一閃


「さむいよ」


 鉄の檻が切り裂かれる。

 子供達を閉じ込めていたその檻、……有る意味子供達を守っていたその檻。一瞬だけ子供達に産まれる希望の光。助けてくれるのではないかという淡い希望。

 キリキリと鳴る機械仕掛けの腕はその淡い希望をあっさりと捨て去る。


 ――ニ撃目


「さむいよ」


 最初に飛んだのは一番前に居た子供の頭。

 血しぶきが舞う。びくびくと体を痙攣させて崩れ落ちると同時に空気が固まった。誰もが理解できないと、意味が分からないと。――助けてくれるのではないのかと。

 悲鳴が上がる、しかし、


 ――三撃目


「さむい、よ」


 固まっていた塊を、肉の塊を切り裂く様にザクザクと切り刻むココナ。

 全身に掛かる血を恍惚とした顔で見る。

 瞬く間に彼女の全身を覆う冷気で冷えきってしまうソレだが一瞬のソレを、暖かさを求めて彼女はまた動く。


「どこ、せんせ」


 発している言葉すら自分自身で理解せず、彼女はガリガリと音を立てて歩いて行く。


 ○


 アイリーンは子供達を目の前で殺された後、独房へと監禁されていた。

 拘束から解放されたその翌日に脱走を企てたからである。


 その顔こそ無事では有ったが、腕や足、そして腹を含めあらゆる部分に青い痣が見える。

 顔には涙の後が残っており、口は切れてかさぶたが見える。げほ、と一つ音が聞こえた。

 内蔵が傷ついていたのだろう、口内に広がる血の味を感じ、そして吐き出した。


「ココナ……、ココナココナ……、うぅっ……。皆、ごめん、ごめんね……」


 全身の痛みは相も変わらず彼女を襲う、けれど彼女はそれよりも全身を襲う倦怠感が酷かった。

 唯一助かった二人の子供すら既に行方が知れず。

 ココナを見捨てて逃げようとした自分に反吐がでる。


 謝罪の言葉なのか、それとも懺悔の言葉なのか。もう誰も失いたく無い、ただそれだけの理由でココナを見捨てた。

 葛藤は有った、しかし彼女を責められるだろうか。せめて二人だけでもと考えた彼女を責められるだろうか。

 ずるり、と体を起こす。既に乾いた血の後は全身のあちらこちらに見える、その中でも一番酷い足。


 アイリーンの足、その足は二度と逃げられぬ様に、とその足の腱は切られ、血が流れていた。


 痛みはまだ続く。けれども彼女はそんな事はどうでもよかった。

 もういやだと、全てが世界がもういやだ、と。


 ボロ雑巾の様に独房の中へと捨てられたまま、じくじくと痛む足を感じながらうつろな目で独房の壁を見つめる。


「セオ……、メル……、ごめんね、ごめんね……」


 枯れたと思っていた涙がまた出てくる。

 脱走した際に引き離された二人、あの男、所長は命の保証はしてくれたが果たしてソレにどれだけ信用できる価値があるかは不明だ。

 

 なんで、どうして、と。

 彼女はそうして数日間この独房で過ごしていた。


 少しずつ少しずつ絶望が彼女を覆う。

 世界とはこんなものだと、所詮はこんなものに過ぎないのだと。

 

 他の子供達を救おうとしなかった罰なのだろう。

 見て見ぬ振りをして、ただ黙って何もしなかった自分の罪なのだろう、と。


 やろうと思えば食事に毒でも盛れば良かったのだ。研究者全員を殺す方法を考えれば良かったのだ。

 あるいは、自分自身を生体兵器にでも変えて全て殺して回れば良かったのだ。


 逃げただけだ。


 己の保身故に逃げただけなのだ。


 自分に課した研究は果たして本当に効率を求めていたか?

 死にたく無いと思っていなかったか?

 自分が研究できなくなる、完全に行動不能に成る様な方法をとらない様にしていなかったか?

 どこかで、心のどこかで自分の研究成果を認められる事に歓びを感じていなかったか?


 そうではない、と思っていても繰り返し出てくるその問いは彼女をゆっくりと蝕んで行く。

 

 カリカリと音がする。


「うるさい、うるさいよ……」


 ぼそり、と叫んだ。かすれた様なその声は独房の中で響き、自分の耳だけに戻ってくる。


 カリカリと音がする。


 爪が二枚剥がれていた。

 ずりずりと体を引きずり傍に寄っていた独房の壁を自分の爪で削っている音だ。

 それにアイリーンは気が付かない。

 ただ、うるさい、と時偶思い出した様に呟き、そしてまた泣く。


 助けに行こうと掘れる訳も無い石の壁を手で削り、その爪が剥がれても行い続ける彼女のその仕草はまるで狂気に捕われているかの様。


「殺してよ、誰か殺してよ」


 自分で死ぬ覚悟も無い彼女はただそうやって呟いた。

 だが、その空間に違う音が混ざる。ガリガリという一際大きな音が耳に届く。独房の中に居るにもかかわらずその外の騒ぎが扉越しに聞こえ、彼女は少しだけ眉を顰めた。


「……ココ、ナ?」


 確信等何も無い。

 ただ、言うなればなんとなく思っただけ。でもアイリーンはそう感じた。

 ずるり、と体を起こす。足はもう歩けない、ずりずりと引きずる様にして扉の傍へと行く。

 微かに聞こえる怒声と悲鳴。


「あぁ……」


 アイリーンはこの時漠然と感じた。来てくれる、ココナがあの子が来てくれる。

 “私を殺しに来てくれる”、と。


 そして同時にガン、と音がして独房の扉が開かれた。喜色の笑みを浮かべたアイリーンだったがその相手は残念ながらココナではなかった。

 扉を開けたのは一人の女性、黒髪で片腕のその女性はその独房の惨状と匂いで一瞬眉を顰めたが、その中央に横たわる一人の女性を見つけ、血相を変えて駆け寄る。


 抱き起こされるのをまるで他人事の様に感じたアイリーンは、焦点の合わぬ目でその女性を睨み。


「さわ、るなッ! 私は出ないの、出ないの……。出たら、出たら死んじゃう、みんな死んじゃう。また、また、いやだ、いやよ、もういやだ、やめてッ。……私は、私は、ココナに殺されるの、ここで待ってるのッ! ココナが私、をッ」

 

 かすれて声にもならない様な声、一瞬たじろいだ様に見えた相手だったが軽く頭を振って声の届く距離まで顔を近づけて来た。口が小さく動くのを見た。

 けれど抵抗できる程の力も無かったアイリーンは睨みつけるだけで精一杯で、彼女が呟いた言葉は耳に届かない。


「ごめんなさい。残念だけど貴方の意見は考慮されていないの……。対象確保、直ぐに脱出を……」


 ギリ、と噛み締めた唇。フィリスの顔は苦渋に満ちる。

 その言葉を理解せず、理解できず、ただギリギリと狂った様にフィリスを睨む。同時に後頭部への一撃、声にならぬ悲鳴。そしてアイリーンは意識を失った。


 ○


 その悲鳴に異質な物を最初に感じたのはシュバリスだった。

 アリイアが少し前を歩いている時に聞こえた悲鳴、それはエーヴェログかアインツヴァルか、どちらかの襲撃によるものだろうと最初は思った。

 一瞬何か下手を打ったか、と。警戒されると仕事がやりにくくなる、等という考えが頭をよぎるがそのシュバリスの経験が、歴戦の勘がそれは違うと訴えた。


 シュバリスはアリイアの様に超人的な技能は持っていないし、エーヴェログの様に一芸に秀でている訳ではない。

 フィリスの様に器用に何でもこなせる訳でもないし、アインツヴァルの様な統率力も部隊運用能力も無い。しかし彼には経験が有った。いつぞやのローエン程の経験を積んでいる訳ではないが、その嗅覚は目の前を歩くアリイアに匹敵する物が有った。


 剣の柄を強く握る。ワンテンポ遅れてアリイアもその異質な空気に気が付いたか、目を細めうっすらと笑みを浮かべている。


「アリイア」


 声は一言。問う訳でもなくただ告げた一言。それだけでアリイアは少しだけこちらを見て、手に持っているシャムシールをゆらゆらと揺らす。

 ギン、と揺れる剣は銀の線を描き隣接していた壁を切り裂き、道を造る。その先は予定通りに事が進んでいるのならばフィリスが居るであろう場所。


 それが答えだと理解したシュバリスはこの場をアリイアに任せて颯爽と走り出す。


 現在侵入しているメンバーの中で最弱なのはフィリスだ。

 それゆえに彼女が現在居る場所は一番逃げやすく安全な場所にした。だがしかしそれは予定調和の中での話だ。

 異常事態とも言える現状ではそれが絶対ではない事を意味している。

 だからこそシュバリスは走った。スオウから誰一人欠ける事を許されていない事もまた理由の一つではあったが、シュバリスはあの事件で生き残ったフィリスを、片腕を失ってまで自分と戦ったフィリスを見捨てるつもりも、危機に落とすつもりも無かった。


 作戦遂行に置いて命令に沿わない行動は何よりも忌避すべき行為であり、無能な味方程危険なものは無い。それを理解していながらシュバリスは動いたし、アリイアはそれを認めた。


 走り去って行くシュバリスを横目で見ながらアリイアは不思議な感覚になる自分自身に気が付いていた。

 元より単独行動しかして来なかったアリイア、殺し屋としか生きて来なかったアリイア。

 その前はただの性処理道具に過ぎなかった彼女がシュバリスの気持ちを理解する事は不可能だ。


 このまま連れて行けばよそ事に気を取られ効率が悪いと感じた為にシュバリスを行かせたに過ぎない。

 だがどこかで彼女は満足感を得ていた。今でも彼女はスオウが殺せと言えばシュバリスとてフィリスとて無表情に淡々と殺すだろう。

 しかしこの時だけそれを命じられたら剣が鈍るだろうか、と思った。


 ゆらゆらと揺れる剣、剣を振るう。


 ちりちりと頭の片隅で浮かぶ感情が彼女の笑みを強くする。


「うふふ、ふふふふ」


 葛藤、とでも言うべき感情だろうか。彼女に何らかの感情が芽生えている証拠だろうか。

 普通のヒトならばそうであっただろう。けれど、不幸にも彼女は壊れていた。既に、もう修復不可能な程に。


「あははははは」


 切り崩した壁の先にアリイアを認めて悲鳴を上げる男が一人。逃げる間もなく細切れになる。

 血の海、あまりにも早すぎる剣線、剣には一滴の血も付かず、体だけがバラバラに刻まれ地面へと散らばる。


「あぁ……、あぁあぁ生命の消える瞬間だけが私を癒してくれる。これだけが私の生きている意味だと示してくれる。スオウ様、スオウ様、私は貴方の為に殺します、私の為に殺します。そしていつかは――」


 貴方を殺させて下さい。貴方が殺して下さい。


 いつぞやに浴びた彼の血を思い出し恍惚の笑みを浮かべる。

 それは彼女にとって最大級の愛情表現であった。

 

 性的欲求を求めてくるのならばそれは簡単な話だったのかもしれない。

 けれどアリイアは自分の体に価値を感じていなかった。まるでゴミと同様だと思っていた。

 その美しいブロンドの髪も、整った小麦色の肌を持つ顔も、きめの細かい年齢相応の肌も、彼女にとっては汚されて汚れ切ったゴミだった。

 故にスオウは興味を持たないのも当然だと思っていた。


 だがもう一つ別の解釈も持っていた。性的欲求をぶつけて来ない事は彼が言っていた娘であるという事の意味を裏付けしている行為だとアリイアは感じていた。

 けれど彼女は親子の関係と言うものが解らなかった。理解できなかった。


 そこでスオウが彼女を抱けばあるいは彼女は、アリイアはスオウに認められていると感じただろうか。

 それともこれは同様な肉の塊だ、と解釈してその場で殺しただろうか。

 それはただの推測に過ぎないが、もしかしたら彼女は喜んだかもしれない。汚された自分を清めてくれているかの様に感じたかもしれない。所詮仮説に過ぎないその予想では有るが、彼女は無意識にそんな事を思っていた。


 ちりちりと目の奥が熱い、脳髄が溶ける様に沸騰し、神経が過敏に成り、剣が、舞が、銀線が世界を覆う。


 親子とは何か。

 肉体関係の持たない愛情関係だけの関係。

 それはアリイアにとって意味の分からないモノでしかない。

 ただの不気味な意味不明の塊に過ぎない。


 しかし、彼女が一つ理解するべきだと考えたのは、何を持ってしても愛情を注ぐ相手なのだという事。

 調べた知識の一つ。

 聞いた知識の一つ。

 それを答えたのはフィリスだったが、アリイアはその言葉通りにとった。


 アリイアにとっての愛情表現は殺す事だ。曲がり曲がってもはや修復不可能までねじれた愛情表現。

 愛情表現であり、憎しみをぶつける方法であり、それで自分の意味を、価値観を示す方法であった。


 それが異常だと言うのは認識している。けれどアリイアはそれ以外の手段を知らなかったし、それ以外の手段を知ったとしても彼女にとってそれが大切だとは思えなかった。


 彼女はスオウに心酔している。いつか殺し、殺される為に。

 彼女はスオウに全てを捧げている。殺してくれる相手だと思っているから。殺す相手だと思っているから。

 

 彼女を認めたのはスオウだけだった。

 名前をくれたのはスオウだけだった。

 記憶を全て覗かれ、それでいて、彼は傍に居て自分に自分である意味を与えてくれている。


 結局の所、彼女は自分が異常だと認識し、そして平穏な生活を与えられて尚。

 それを理解できず、そして誰かを殺す時にだけ自分が異常だと認識しながらも恍惚の笑みを浮かべるしか無いのだ。


 スゥイをスオウの傍へとやったのも彼女がスオウの傍に立てないからだと考えたから。

 きっと私ではスオウ様をいつか殺してしまうから、と。いつか殺してもらうのだから、と。

 汚れた私では彼の傍に立つ事は出来ないから、と。綺麗な物なら傍に立てるだろうから、と。


 ――それは無意識下での選択。


 そしてそして彼女は今日もまた舞う。血を浴びて、ヒトを殺して、その意味を示して。


「はぁ……、ぁっ、んっ」


 顔に赤みが差す。

 色の有る息が口から漏れる。スオウを思い殺してるときだけが彼女の至福の時で、発情の時で、ぺろり、と舌が唇を湿らし、軽い絶頂と共に香り立つ女の匂いが辺りへと広がる。血の匂いと混ざり合いそれは妖婉さを超え、もはや異境とも言える。シュバリスが居ないからこそ、傍に誰もいないからこそ本心の彼女が顔を覗かせる。


「んっ、ふぅ……。手応えの有る獲物である事を祈ります、よ」


 はぁ……、と女の吐息。

 子宮がうずく、アリイアは下腹部を撫で上げ、そして笑みを浮かべる。

 血肉湧き踊る闘争を。

 血肉湧き踊る献上を。

 この身の意味を、この身の価値を、理由を、意思を、結果を。


「全てはスオウ様の為に」


 いずれ殺すときの為に極上のスパイスと、極上の調理法を捧げ続ける為に。


 ギチギチと音が聞こえる。異質な音が、異変の中心が。

 壁が崩れ、狂気が二人、この場に立ち合う。

 剣が舞う、銀線が走る。同時に響くは鉄と鉄が打ち合う甲高い音。女の悲鳴の様な甲高い音が辺りに響き、アリイアはその手に伝わる感覚にさらに興奮を覚える。


「せんせ?」


 目の前に居たのは小さな女の子だった。しかしその姿は異質。片腕はなんらかのギミック、鉄の腕ともいえる異常な物質。所々にある魔石と思われるものが明滅を繰り返し、モーター音だろうか? きゅるきゅるという音がその腕から聞こえ、ギチギチと言う音と一緒に不協和音を奏でている。

 その鉄の腕の先は湯気が立っているかの様に見える氷の爪。その爪は赤い氷、アリイアだからこそ解るそれは血の色だと。見慣れた血の色だと。


「せんせ、どこ」


 小さな口が動く。問わず、止まらず、問いかけもせず、アリイアはその首筋へと剣を走らせる。

 敵は殺す。

 障害物は殺す。

 

 それが子供でも、赤ん坊でも、生まれたての乳幼児でも。


 ただ薄らと笑みを浮かべ目の前の少女の首を刎ねようとしたアリイアだが、その恐るべき速度の剣戟にも少女は対応した。

 ギン、と一際甲高い音。ここで初めてアリイアは目を見開いた。とは言えやや少しだけ見開いただけに過ぎないのだが、それでも彼女はその結果に驚いていた。

 少女の首、そこには分厚い氷の盾が展開されていた。自分の首を覆う様に分厚い氷が。


 ――高密度の氷は鉄すら上回る硬度を持つ。


「じゃ、ま」


 鉄の腕が振るわれる。氷の爪が振るわれる。狭い場所であったが、それでもアリイアにとっては十分すぎる程のスペース。

 くるり、と空中を舞う様にその氷の爪を避け、避けると同時に剣を振るう。しかしその体の小ささを利用したかの様な動きはアリイアの剣線の範囲から避け、そして再度氷の爪が振るわれる。


 壊されて行く壁、広がって行くエリア。

 今までそこに居たイキモノを殺すときは簡単だった、ただ振るうだけで死んで行った。なのにこの目の前のモノはいつまでたっても死んでくれない、潰れてくれない。感情すら希薄となった少女、ココナであったが、僅かに苛立ちを感じ爪を振るっていた。


 対するアリイアは久々の獲物に感謝していた。久しぶりに骨の有る相手。

 先ほど話したシュバリスとの問い、“危険性の高い物”に該当する相手、憂いなく殺せるその少女に感謝する。


「ふふふ、スオウ様以来ですか、ね? ですが――」


 振り下ろされる鉄の爪をひらり、と交わし剣を振り上げる。

 身体強化に加え、その精錬された体の動きを持ってして振るわれる剣の威力。

 パッ、と血しぶきが舞った。


 僅かに遅れて展開された氷の盾によって剣の威力は落ち致命傷にはならなかったがそれでもその少女の肌に傷を付けた。

 傷ついたその切り傷はすぐさま凍り付き傷を塞ぐ。如何考えても後の事を考えていないその方法。けれどアリイアにとってはそんな事はどうでも良かった。

 どうせ肉の塊へと果てさせる相手に過ぎないが為に。


「さむいよ、せんせ、さむいよ」


 パキパキと氷が少女の傷を覆うと同時に少女がぶつぶつと呟く。

 つぅ、と涙が一雫少女の頬を伝う。その涙も直ぐに凍ってしまったが。


 剣が舞う。


 少女が涙を流そうがアリイアにとってはどうでも良い事に過ぎず。隙の一つ程度にしか感じない。

 振るわれる剣、振り下ろされる爪、走る銀線、走る鉄塊。


 滑る様に切られる少女、しかし先ほどのダメージは与えられない。

 凍傷になってもおかしく無い程の氷の盾、寒さによってその少女の唇は紫色に変色し、その指先は凍傷によって腐りかかっている。

 それでもその痛みを感じないかの様に周りを舞うアリイアを氷の爪で追いかける。


「埒があきませんね」


 トン、と狭い中、天井へと張り付いたアリイアは一瞬の間の後、剣を振るう。

 いや、今度は振るうとは少し違った。剣を地面から垂直に天井から地面へと一線に突き刺す様に。


 ――刺突。


 全体重とその研ぎ澄まされた動きを持ってして一撃必殺の攻撃を繰り出す。脳天へと一撃で仕留めんかごとく。

 閃光の様にその一瞬だけが引き延ばされて、その少女の小さな頭だけがアリイアの視界に納まる。

 振り下ろされる剣、突き進む剣。ブレて霞んで見えるその腕と剣、瞬きの後に繰り出されたその一撃は少女、ココナの脳天を寸分狂いなく直撃する、と思われたが。


「せんせ?」


 ギュルリ、と少女が首を異常なまでにひねり上を見た。黒い瞳は瞳孔が開いており、上から迫るアリイアを見ている様で見ていない。

 びくり、とアリイアは僅かに震えた。その感情が無い瞳に、曇り切った瞳孔に、その命を感じられないその顔に。


 フィリスならば悲鳴をあげただろう。

 シュバリスならば眉を顰め、唇を噛んだか。

 エーヴェログならば目を伏せ、怒りに震え。

 アインツヴァルならばその命を救わんと使命に燃えたか。


 そしてアリイアは僅かに震えただけだった。けれど、その震えは確かに手へと伝わる。

 

 僅かにぶれる剣。心に少しだけ芽生えたヒトとしての感情か。

 ぐるり、と捻られた首、上に向けられた顔、脳天を狙っていた切っ先がぶれる。ぶれた先、剣がその少女の目を抉り、耳を千切り落とし下へと抜ける。

 ぶちゅり、と柔らかいナニカが潰れる音がしてその小さな黒い瞳が一つ潰れた。


「あ”ぁぁ”ぁぁぁ”あ”あぁ”ッ!」


 初めて聞く大きな声、悲鳴だ。ガチガチと鉄の腕が氷の爪が無造作に振るわれて辺りを蹂躙する。

 破片が舞い、壁が崩れ、建物が揺れる。溢れ出て止まらぬその血は少女の片目からだくだくと溢れ出て溢れると同時に氷がそれを覆い、一瞬にして凍結して赤い花が咲く。


 とん、と大きく距離をとったアリイアはくるり、と手の中で曲刀を回す。その切っ先に付いた血が飛び、地面へと落ちて染みとなる。それは少女が其所に居た証の様に、生きていた証の様に色濃く残る。


「仕留め損ないましたか……」


 声を発するがその声等聞こえようも無い程の轟音が辺りへと響く。少女が壊し、暴れ、崩壊して行くその世界の音が辺りを埋め尽くし、そしてその小さな世界が終わって行く。駄々をこねる子供の様に、敵い様も無い世界の理不尽に抗う事が出来るのは小さな子供の特権か。何も知らぬ世間の厳しさを知らぬ事による無謀な挑戦。


 少女は助けを求める、痛みから逃げる様に。

 少女は助けを求める、助けてくれる誰かに。暖かい温もりをくれた誰かに。守ってくれていた誰かに。


「たすけて、せんせ」


 呟かれた言葉。振るう腕、一際、そう、ここに来て一際その鋭さを得た一撃。


「――ッ」


 その一撃に対して超人的な反射神経と経験則からもってして間一髪構えた剣。それはアリイアの技、培った技術によって出来た神業とも言える技能。

 氷の爪が剥がれ、まるで鋼鉄の弾丸の様に氷の爪が飛来し、アリイアはその爪を剣の腹で受ける。防げたのは致命的なモノだけ。避け切れなかった残りの爪はアリイアの太ももを抉り、肩を切り裂き、脇腹の表面をはぎ取っていく。


「ふぅ……」


 体を覆う灼熱の痛み、冷たい氷でありながら身を蝕むのは熱い痛み。その痛みに以前スオウによって与えられた痛みを思い出しアリイアは笑みを浮かべる。

 パキパキと次の爪が生えて行くのをアリイアは視界の端で収めた。そして少女が暴れた事によって開かれたこの場所では不利であると決断、直に瓦礫の物影へと体を隠す。


 仕留められなかった事に対してか、少女はぼさぼさの髪を振り乱し、涙をぼろぼろと零しながら叫ぶ。


「あ”ぁぁぁあ”、邪魔っ、じゃまじゃまじゃまぁぁぁぁッ、どうして、どうしてじゃまをする! せんせい、せんせいはどこ! どこぉぉぉぉッ! あ”ぁぁッ、……せんせい、せんせい? せんせ……? いたいよせんせ……、いたいよ……、目がいたいよ……」


 叫んだかと思えば、ぽつり、と呟く。とだらり、と腕を垂らしぼぅ、と天井を見つめる少女。消えてしまいそうなその姿。精神が安定していないのがそれだけで解る。

 ギチギチと音が鳴る。きしきしと音が鳴る。それははたして鉄の腕の音だけだろうか。それはまるで心の軋みの様にも聞こえた。

 その姿を視界に収めアリイアは剣を構える。ゆらりと、ゆらゆらと切っ先を揺らす。それはいつもの動作の一つ。彼女の技を放つ為の一つの儀式。

 全身に覆う治癒魔術は止血だけに収め、直に身体強化へと戻した。


 カン、と剣を地面へと軽く突き刺した。

 剣の柄と、その刀身。まるで十字架の様なそれに頭を垂れる様にアリイアは体を沈める。

 ギチギチ、ギリギリと体がしなり、全身の筋肉が膨張する。

 だた必殺の一撃を、彼女が編み出したヒト殺しの極地を。

 赤い閃光が目前へと迫る。ぼぅ、と天井を見つめているだけの少女はもはやただの的。その心の臓を、その脳髄を、その命を刈らんとばかりにアリイアは体を沈ませ、神経を研ぎ澄ませ、ただその一撃を放たんと力を込める。


 ――朱殺。


 いつぞやスオウと相打った一撃。彼女の持つ最強の技。ヒトを殺す為にだけに特化したヒト殺しの技。彼女の生み出した彼女の極地。


「名も知らない少女さん、さようなら」


 ギアが入る。放たれる一撃。

 うつろな目はそのぽつりと呟いたアリイアの言葉に気が付いたかゆっくりと顔を傾け、感情の伴わない目でアリイアを見る。

 刹那の瞬間、限界に達したアリイアの技が放たれるその刹那の瞬間。


 アリイアはその場から一瞬で飛び退いた。

 それは彼女の本能から来る行動。彼女の殺し屋として生きて来た経験から産まれた咄嗟の行動。何故そうしたのかその時その瞬間は決して解らなかった行動。

 けれどその行動は彼女の命を救った。命を刈り取らんと準備を進めていた彼女の命を刈り取る一撃から命を拾った。


 それは巨大な氷の剣の様に見えた。

 ぼぅ、と天井を見つめていた少女。その片腕、機械の腕。爪が飛ばされぬ限り届かないと思っていたその場所に突き刺さっていたのは巨大な氷の剣だった。

 爪を一体化し、腕自体を剣として、ただ乱暴に振り払ったその一撃。少女の体の何倍も有るであろうその巨大な剣はアリイアの居た場所を薙ぎ払い、周りの壁を切り裂き、そして建物を崩壊させる止めの一撃とした。


「ふっ」


 崩れ落ちる瓦礫を足場にアリイアはその場所から逃げる。トントン、と舞う様に。

 そんなアリイアを狙い澄ましたかの様に氷の爪が飛ぶ。周りを落ちる瓦礫を吹き飛ばし、突き刺さり、アリイアの命を刈らんと爪が飛び、その一拍後に巨大な剣が空間を薙ぐ。舌打ち、アリイアは予想以上に相手が手強い事を理解する。下手をすればあの時のスオウ以上、油断していた訳ではないが、油断できる相手ではないとアリイアは思う。


 死ぬわけにはいかない、あの時とは違い目的が有るアリイアはスオウ以外に殺されるつもりも無く、その思考から来る行動は自ずと安全策を取る方向へと傾く。


「一旦身を隠しますか」


 シュバリスとフィリスが合流するまでの時間は稼げただろうし、エーヴェログやアインツヴァルが逃げられない程ではないだろう。

 アリイアは懐から一つの黒い筒を出すとその少女へと向けて投げる。それは地面へと転がると同時に弾け、辺りを白い霧が覆う。ただの煙幕に過ぎないそれだが少女の視界を殺すには十分すぎる程の意味を成し、暴れ回る少女からアリイアが自分の体を隠すだけの時間を稼ぐには十分な効果を示した。


 獲物にまんまと逃げられた少女は一つ大きな咆哮を吐き、そして直ぐ無感情な顔へと戻り――呟いた。


「いたいよ、せんせ。せんせ、どこ……?」


 目があった場所はすでに氷で覆われていた。全身を覆う氷、そしてぼとり、と指が落ちた。凍傷によって腐って落ちた指はぐちゃり、と彼女が引きずる鉄の腕ですりつぶされた。

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