月の導きと加護の宿命4
The joys of parents are secret and so are their griefs and fears.
両親の喜びは表に現れない。その悲しみや不安もまたしかり。
「スオウ? スオウー」
声が聞こえる、母の声だ。この体の、スオウ・フォールスの母の声だ。
優しく溺れてしまいそうな暖かさを持った母の声だ。
「母上、こちらです」
山積みになっていた本の中からひょこりと顔を出して母を見る。
黒色の髪、バストトップ程度に伸ばしたストレートの髪に温和な顔、パチリと開かれた黒目はその黒髪と相まってまるで日本人の様だ。鼻の高さ、その造形から少々アジア系ではなくどちらかと言えば欧米系ではあるのだが、それでも昔を、過去を、前世を思い出す様な気がして望郷の念を母を見るたびに感じていた。
「もう、また本ばかり読んでいたの? もうそろそろ夕餉の時間ですよ」
「う、ごめんなさい。つい集中してしまって」
「まったくもう、ダールトンさんも本を読んでいるとすぐ時間を忘れてしまうのよね。そう言う所は本当にそっくり」
ふふ、と頬に手を当てて微笑む母に罪悪感が沸く。
この癖は本当に父であるダールトンの癖なのだろうか、俺の癖が偶々似ていただけではないのか?
スオウ・フォールスとして振る舞うのは何が正しいのか、何が正しく無いのか、もはやよくわからなくなっていた。
とりあえず手間のかからない優秀な息子であれば不満は無いだろう、と勝手に決めつけてそう演じていた。
弟と妹が産まれた時はどこか安心していたのもある、これでこの家を継ぐのは弟に任せれば良い、ちゃんとした父と母の息子である、娘である彼ら、彼女らにこそ、このフォールス家の財産の相続権はあるだろう、と。
故にフォールス家をある程度大きくすることも目的の一つになった。
別に金が全てだというつもりは無いし、それがせめてもの罪滅ぼしだと言うつもりも無かったが、それでも無いよりは良いだろう。と、カリヴァ・メディチへとアプローチをかけた。
それと同時に不安が急激に沸き上がった、そも、俺という存在がこの世界に居るのならば、俺と同様の条件を持つ人間が居たとしてもおかしく無いのではないだろうか、と。
そしてその条件に限りなく近い弟は、はたしてきちんと両親から産まれた子供としてこの世界に生を受けるのだろうか、と。
だがその不安は直ぐに打ち消される。
(それは“ありえない”)
クラウシュラの、その言葉だけで、打ち消された。疑問だけを増やしたままで。
○
「んー、んっー、んんんー、んんー」
フォールス邸のキッチンで鼻歌が流れている。
この世界では知るヒトの居ない歌だ、一部のフレーズが好きで何度も何度もその箇所だけ歌うスオウだったが、妙に耳に残るそのフレーズは気がついたら使用人の中にも口ずさむ者が居る程らしい、当の本人は気がついていなかったりするのだが。
その当の本人はボウルに入った生クリームを魔法で高速回転させながら、別のボウルを持ちながら生地を練り込んでいる。
キッチンの机の上には色とりどりの果実が置いてあり、おそらく今作っているであろうモノのトッピングで使うことが予想できる。
「スオウ様……、またですか、奥様といい、スオウ様といい、調理は我々使用人に言ってくだされば……」
そんな中、一人の使用人が声をかける。20を少し超えたくらいの女性だ。緑色の髪をアップに纏めており、やや垂れ下がった目をしながらもシャープな顔立ちはどこか利発な感じを受ける。ゆったりとした使用人用の服装を着てはいるが着やせしているのがわかる程プロポーションが整っている。そういえば母がうらやんでいたな、と失礼な事を考えているスオウだったりするが、とにかく最近は彼女がスオウのお目付役になっている為、注意しに来たのだろう。
キッチンの主である料理長ではないのだが、それなりにフォールス家に仕えて長い女性だ。
ちなみに主である料理長は苦笑を浮かべながら奥の方で夕食の仕込みをしている、もう慣れた物なのだ。
「お? ルナじゃないか。どうかしたのか?」
そんな事を“理解”しながらも、それがどうした、とばかりに返事を返すスオウ。
空中に浮くボウルを器用に動かしながら中の様子を確認して、そしてまた回転する。
「どうかした、ではありませんスオウ様……。ニーナが慌てて報告に来たから何かと思いましたら……」
はぁ、とため息をついて、じぃと、とスオウを見つめるルナ。
最近フォールス家に仕えたニーナ、正確に言えば、食い詰めて売るしか無かった時に売られたのを買い戻した女性だ。
年は自分の二つ上だったか、他にも数名買い戻したが大体はメディチ家か、別の仕事を紹介している。
真っ当な両親であれば、家に戻すのがベストではあるのだが、如何せん彼女は産の両親は既に離婚しており、両方とも行方知れずだった。
割とそう言った人も多く、残念ながら全てに手が回る訳でもない。そして12歳の女性が“使える”仕事にも限りがあった。
――故に、使用人として雇う事にしたのだが。
偽善に過ぎなくても、やらぬ偽善よりはやる偽善だろう、と思いながら。
(貴族の奴隷として暫く生活していたのだろう? 主人の息子であるお前が調理場に入って調理しだしたら驚くのも無理は無いじゃろうて?)
(あぁー、まぁ、慣れてもらうしか無いな。そもそも俺貴族じゃないし、商家ならそれほど珍しい光景でもないと思うんだがな)
(雇い主という意味では一緒じゃろ、それにメディチ家ほどではなくてもフォールス家もそれなりに名は売れておる。とくにクラウシュベルグではの。更に言うなら彼女は7歳より前で売られ、それからその世界しかしらないとすれば予想できる事じゃ)
(それは、まぁわかるが……)
にしても、ルナに報告して、それなりに話をする事から多少は打ち解けたのだろう。
ここに来たばかりの時は借りてきた猫の様に硬直していたのが懐かしい。
クラウとの話し合いもそこそこに先ほどから睨む様に見ているルナに返事を返す事にする。
「今日は孤児院にいく予定だからね、折角だからケーキでも作ってやろうかと」
「砂糖は高級品なのですが……。いえ、メディチ家から安く手に入るとはいえ、それが簡単に手に入るものだと思わせては孤児院の子供にも良く無いのではないですか?」
「そりゃな、だが子供はそう言う事を考える必要は無いさ。それに今日は誕生日会らしいからな、多少振る舞っても問題ないだろう?」
「過剰な施しは嫉妬や恨み、劣等感を産みます、そう話したのはスオウ様ではないですか?」
こちらが善意だとしても相手にはそう伝わらない場合も当然にある。そんな事は“当たり前”だ。
なのに勝手に善意を押し付けて受け入れられないと渡した側は激昂する、勝手に落ち込む、たちの悪い話だ。
だがそれでも子供達が笑顔になる程度には何かをしても良いとは思う。
当然毎回やれる様な事ではない、そしてそれが当たり前の事だと相手に取られる訳にもいかないというのは分かる。
「後10年、いや5年以内にはクラウシュベルグはさらに変わる。その時には“それなり”の環境になるだろうさ。そして10年、15年後、彼らが大人になった時さらにクラウシュベルグは先へと進む。彼らが腐っていく様な町では意味が無いんだよルナ」
目立たないように、そして国にとって不利益にならない程度に、そして自身の手駒を増やす為にも言い方は悪いが“使える”人材は必要だ。孤児院の子供は後ろ盾が無い、後ろ盾が無いという事は考えようによってはその子の意思が全てに反映されるという事だ。
貴族連中の権力闘争で実家の影響など考慮するまでもなく、ただその個人の能力だけ見るだけで良い。
そして、刷り込みの様に恩を売れるならそれに越した事は無い。
嫌らしい大人の考えを隅に置きながら、完全な善意などは無いのだと言い聞かせる。
「料理長、オーブンを借りるよ」
まだ何か言いたげなルナを横目に料理長へと許可を取りオーブンへと出来上がった生地を放り込む。
「心配しなくてもあそこはメディチ商会が経営している所だし、身の程は弁えているさ」
肩を竦めてルナへと伝える。
問題ない、裏で何を考えていようと渡すのは善意だけで見返りを取り立てするつもりも無い。所詮は種まきに過ぎないのだ、目が出ればいい、その程度の話。
「おぉーい! スオーウ、いないのかー?」
そんな所で玄関の方向から声が聞こえる、アルフロッドの声だ。
パタパタと誰かが走る音が聞こえる所から近くに居た使用人が対応しにいったのだろう。
「む、早いな。予定ではもう暫く後だと思ったが」
「こちらで客間にお通ししておきましょうか?」
「いいや、そんな所でアルフロッドが大人しくできる訳が無いだろ、中庭にでも通しておいてくれ。出来上がったら直ぐにいく」
「わかりました、それと今回の件はお話が終わっておりませんので、お帰りになりましたらお時間頂きます」
「勘弁してくれ……」
はぁ、とため息をついたスオウ。
それを微笑ましげに見たルナは玄関先にいるであろうアルフロッドの対応をする為にキッチンを出て行った。
「スー坊も大変だな」
「料理長、助けてくれたって良いでしょうに」
「はっはっは、ルナ嬢になんか言えるのは使用人長か奥様くらいだろ、諦めるんだな」
「へー、料理長は味方だと思っていたんですがね。そう言う事でしたらニーナに料理長が鼻の下伸ばして見ていたよって言っておきましょうか? さすがに年齢差がありすぎじゃないですか?」
「なぁっ、ちょっとまて! 何でそうなる!」
「いや、良く目で追ってるじゃないですか」
「ち、ちがうあれは娘が出来た様な気持ちでな……!」
「そうですねー」
「ちがうっていってるだろスー坊! こら、聞いてるのか!」
くっくっく、と笑いながらオーブンの中を見る。
料理長の娘さんは5年程前に流行病で亡くしたと聞いている、その事はもう吹っ切れたと言っていたが、おそらくその娘と年の近いニーナに面影を見ているのだろう。
「養子にするなら母に言ってくださいね?」
「ぬ、ぐ、そりゃぁ、スー坊、ニーナの気持ちもあるんだろうが……」
「あのくらいの年頃はそう言うのも大事ですけど、それ以上に愛情があるかどうかだと思いますけどね」
「……10歳のスー坊が言う言葉じゃないと思うんだが」
ふと思う。そりゃそうだな、と。
(やつあたりじゃのぅ)
(ほっとけ)
○
クラウシュベルグ近郊 死霊の森近辺
ブン、と振るわれる大剣、吹き飛ばされるのは黒い狼に似た様な生物。
だが違いは歴然、その口は獰猛に尖り、そして背から生えた突起状の角らしきものは時偶スパークしているように見える。
「うらぁっ! ぬるい! てめぇら仕事する気あんのかっ!」
激が飛ぶ、場所はクラウシュベルグ郊外の森の近く。近隣の住民からは死霊の森と呼ばれる程不気味な森だ。
魔素が停滞しやすい場所というのは何処にでもある、ここもそういった場所の一つだ。
そして魔素が長く滞留していると変質を起こす、そしてその変質した魔素を巧く処理できず、そして蓄積しすぎると動植物も変質を起こす。これを“魔獣”と呼ぶ。
魔獣と化した動植物は凶暴性で知られ、定期的な討伐隊が組まれ“駆除”される。
魔素による浸食が強すぎ、そしてその素体となった動植物が危険な生物の場合、その脅威は国軍を出さなければならない程になる事もあり、故に定期的に行う必要が有るのだ。
だが魔獣は別に完全な害と言う訳でもない、誰が最初に試みたかは不明だが魔獣の肉は栄養価が高く美味である。また、角は高級な薬に、毛皮や牙は高級な武器へと変わる。まれに体内に特殊な鉱石を生み出す魔獣もいる。
これは蓄積されている魔素に関係があるのかもしれないが、それだけとは言われていない。
それは食べられる魔獣や使える魔獣が限られている事からそれも理解できるだろう。
むしろ毒をもっている魔獣もいるため全部がそうだと考えるのも問題である。
クラウシュベルグ近郊であれば、海で取れるグライドフィッシュやサンドウィガー、そしてダンシングフィッシュ。草原や森で考えるのならばビッグピグとライジングホーンだろう。
まぁ、その辺の一般人では倒す事も捕獲する事も出来ないのである意味高級食材だったり、高級素材だったりする。
そう言ったのを相手にする傭兵や冒険者といった連中も存在するのだがこの場では置いておく。
「うるぁぁぁぁっ」
バキャン、という派手な音と共に黒い狼に似た生物、サンダーウルフは頭部をぐちゃぐちゃに潰されて吹き飛ばされ絶命する。
びくびくとまだ胴体が痙攣している事からその生命力の強さが伺えるが、さすがに頭を潰されては生きてはいけない。僅か数秒後にぴたりと動かなくなった。
剣を振り下ろしサンダーウルフを片手で捻り潰した男の名はグラン、アルフロッドの父親であるグラン・ロイルだ。
アルフロッドと同様に金の髪をしているがこちらは若干伸ばしており、僅かに目にかかる程度の前髪と無精髭がある。
鍛えられた体格は周りに立つ傭兵達とは格が違うようにも見え、そして実際に動きから格が違う事がわかる。
――伊達に元カナディル連合王国国軍最強の名を冠していた訳ではない。
とはいえグランもそろそろ40、肉体の衰えが無い訳ではないのだが。
「グラン! やべぇのがきたぜぇ!」
“釣り”に行っていた連中が大声を上げながらこちらへと走ってくる。
後ろを見ると数匹のサンダーウルフと、そして久々の臨時報酬になりそうなビックピグが土煙を上げながら突進して来ていた。
「お、こいつぁ臨時報酬だぜ! 野郎共気合いいれろやっ! 今日の酒はタダで飲ましてやるぞ!」
その声と同時に周りからあがる雄叫び、ビックピグが鳴らす地響きを腹に感じながら獰猛に笑うグラン。
全身が淡く光る、身体強化の魔法だ。だがグランはそれだけでは終わらない。
むき出しの二の腕その外側にはうっすらと“鱗”が見える。鱗と言っても1個、1個のサイズは10cm程の大きさではあるが、肘から肩にかけて、そして今は鎧によって隠れているが上半身の胸から上と首の後ろまでその鱗が浮かび上がっているだろう。
“竜人族”
大陸最大の人口を誇る人間族と見た目は然程変わらないが、絶大な耐久力と防御力を誇る種族だ。
最大の違いはその上半身に浮かび上がる鱗状の皮膚、それは身体強化魔法を使うと同時に起る竜人族特有の特徴だ。
体外の魔素を常時その鱗に蓄積し続ける事が出来る特性を持ち、蓄積量によってはその部分で鉄の剣すら叩き折る事が出来る。
蓄積できる量は個人差がある様だが、それでも十分な脅威であり力である。
「――っらぁっ!」
周りの数匹のサンダーウルフは周りの仲間に任せてグランはビックピグへと突撃する。
砂埃を上げてものすごい勢いで突撃してくるそれは、イノシシ系の動物が変質した姿と思われる。
しかしその角は数倍に巨大化し炎を纏っているし、その全身は小さな家程もあり、覆う毛は鉄よりも硬くなっていたりするのだが。
地面がめり込む程に足を踏み込む、そして振り抜く大剣。
腰に力を蓄え、丹田に魔素をためるような感覚と同時に全身で振り抜くように剣を振るう。
ただ愚っ直に突っ込んでくるビックピグのど真ん中、鼻っ面へと剣を叩き込む。鼓膜にびりびりと響く程の轟音があたりへと伝わり――
「――ーぬぉぉぉっ」
グランは吹き飛ばされ宙を舞っていた。
「グラァァァンッあほかぁぁっ! 正面から突っ込んでどうするっ! えぇい、魔法師の連中は何やってる。氷属性魔法をさっさと打て! あの直進馬鹿の仕留め方くらいギルドで聞いてんだろうがっ!」
おそらく副隊長として指揮を執っていたであろう男が怒声と共に後ろに居る数名の魔法師に指示を出す。
さすがはプロと言った所か、その指示が出終わる瞬間に氷属性魔法がビックピグへと襲いかかる。
氷の槍、頑丈な毛皮へとぶつかり盛大な音を奏でるがビックピグは首を振るだけで物ともしていない、だが狙いは其所ではなかった。
そのビックピグが持つ強大な角が氷によって攻撃を受けた事に対して苛立を感じたのか一際大きく燃え上がる。
体に付いた氷は一瞬で溶けて蒸気となり、毛皮へと纏わり付いた所で別の魔法師からの魔法が放たれる。
雷属性魔法の一撃だ。
ビックピグの最大の弱点はその毛皮である。いや、毛皮自体はものすごく固く、防具にも用いられる場合もある程なのだが問題はその毛皮が鉄に限りなく近い所にある。そのため雷属性魔法に非常に弱いという特徴を持つのだ。
だが何故先に氷属性の魔法を使ったのか。コレは別に水属性でも構わないしのだが蒸気による視界のかく乱と伝導性の上昇を求める物だ。別にこの時代の人間が其所まで理解している訳ではないのだが所詮経験的に、な話である。
バチバチという音が辺りに広がり、僅かに肉が焼ける様な匂いがする。
およそ4人がかりの雷属性魔法の攻撃だ、ビックピグ相手のため増幅効果を持つ魔術刻印の刻まれた宝石も使ったため相当なダメージを与えた事だろう。
蒸気が晴れた所で全身から煙を立ち上げてる巨大なイノシシが視界に映る。これで終わりか、と思ったがしかしその目にはまだ意思が残っていた。
「ちぃ、二発目はなっ――」
慌てて次の指示を送る寸前、脳に直接衝撃を与える程の咆哮があたりを震わせる。その咆哮はビックピグを中心とした地面の隆起すら促す程であり重装備をしていなかった魔法師は耳から血を流して地面へと倒れる。三半規管を盛大に揺らされたのだ、もはや平衡感覚など無く、地面に押し付けられる様な錯覚に陥っている事だろう。
まさかこのタイミングで咆哮を放つとは思わなかった。
現にぐにゃぐにゃと揺れる視界の先では口から大量の血を吐くビックピグが目に映る。
咆哮は当然ながら自身の肺から大量の空気を吐き出し音として出すが、その量は生半可な物ではない。
傷だらけの体では下手をしたら死ぬ、いや、間違いなく見える出血量から声帯機能は全てずたずただろう。
だがそんな状況でビックピグはにやり、と笑ったかのように見えた。
――己が死ぬなら、貴様らも。
そんな声が聞こえそうになる状況、だがそのビックピグのすぐ傍に映る小さな黒い影を認めてふぅ、と副隊長はため息をついた。
「あばよイノシシの出来損ない」
重力に加えて自身の身体強化による胆力、まさに豪腕のグランの名にふさわしい一撃が空からその魔獣の頭上へと突き刺さる。
ふらふらの四つ足で立っていたビックピグは前足ごと地面へと叩き潰され、グランが持っていた剣はその頭部に柄まで見事に突き刺さり、そしてその一撃で絶命した。
「咆哮にやられるなんてだらしねぇぞお前ら、さっさと治癒魔法をかけちまえ」
「て、め。一人ぶっ飛ばされておいて偉そうに、言ってんじゃねぇ、ぞ。今回はマジで、危なかったぞ!」
ふらふらとしたまま必死に立ち上がる副長に肩を竦めて返事を返すグラン。
治癒魔法を受けている連中を見るに致命的な重傷者は居ない様だ。周りを駆けていたであろうサンダーウルフはビックピグの咆哮で脳を揺らされてまだ転がっている。おそらく近くの連中がとどめを刺す事だろう。それを確認した後またグランは副長へと向き直り告げる。
「ま、たしかにこの近辺でビックピグが出てくる確率は低いからな。臨時報酬はその分弾むだろうから期待しておけよ。
だいたいお前、コレ相手にするのは初めてじゃないだろ? 咆哮の注意は口酸っぱく言われてただろうが」
「うるせぇ! 元はと言えばお前が真っ先に吹っ飛ばされたのが問題だろうが!」
「若い頃はあれで止められたんだがな……」
「嘘を付け!」
顔を真っ赤にして怒る副長に遠くを見るグラン。
草原に怒鳴り声が暫く響いた。
○
草原での騒動が終わり、その日の夕方。
「よーう」
バタン、とかけ声と共に無造作にあけられた扉、そしてその先には眼鏡をかけて書類仕事に従ずる一人の男が居た。
万年筆、と呼ばれるメディチ家が作成しているペン、もといスオウの発明品、もとい21世紀の地球からパクった商品で次々に書類を書いている男。スオウの父親であるダールトン・フォールスだ。
ちなみに余談ではあるが、この万年筆はまだ売りに出していない。あまりにも急激な発展と目立ちすぎる事に危惧を覚えたスオウとカリヴァの方針だ。今使用している万年筆は父への誕生日プレゼントである。試作品をカリヴァ経由で渡した、まぁダールトンはスオウからの口添えがあったとは知りもしない訳だが。それ以外にも羅針盤やペニシリン等々スオウの頭の中に、いやクラウの中にあるのだが、カリヴァに渡しすぎる事を嫌い、まだスオウの中で納めている。
「なんだ、グランか? どうかしたのか?」
「おうよ、今日ビックピグが出てな、その肉が手に入ったんでお前の家で食おうと思ってな」
世間一般的な価値観であれば村一つ無くなってもおかしく無い災害を、けろりと言い放つグランに頭が痛くなる様な錯覚を感じながらダールトンは目を片手で覆った。
「カリヴァ殿に報告は?」
「ああ、一応しといたぜ副長が」
お前じゃないのかよ、と思わず突っ込みそうになったが突っ込んだら負けだろうと自粛するダールトン。
というか致命的にカリヴァとグランは性格が合わない。故に副長に任せたのだろうが、自慢げに言う事ではないだろう。
「大事なかったのか? 領主邸から兵を出したという話は聞いていないが」
「ちぃと怪我人は出たな。まぁそれでも不満はねぇだろう、ビックピグを仕留めたのもあるが結構な金額の臨時報酬が出たぜ。あの糞野郎は気にイラネェが金の約束は守るからな」
ちっ、と舌打ちをして眉をしかめるグラン。
いいかげん良い年なのだから仲良くしてほしいものだが彼の気持ちがわからない訳ではない。
カリヴァ・メディチはアルフロッド・ロイルを“加護持ち(兵器)”としてしか見ない。
それは有効に利用できる駒、として扱っているという事だ。
――スオウも多少その気はあるのかもしれないが、基本的にはアルフロッドの意思を優先するし、一応彼の為を思っているからか特に不満を買っては居ない。
それでもグランがカリヴァの指示に従うのは彼は約束は守る男だからだ。
金払いがしっかりしている雇い主は傭兵としては喜ぶべき職場条件だ。
「ま、ともかく肉は手に入ってるし酒も十分に買えるだけの金はある、たまには俺がおごるぜ?」
「調理するのはうちの使用人なんだが……」
「ははっ、細かい事は気にしちゃいけねぇぜダールトン。ついでにスオウの坊主にも用があるからよ」
「む? 息子になんか用か?」
「あーん? なんだ知らネェのか? ロレンツァのとこの嬢ちゃんを颯爽と助け出したって話だぜ? まぁちと年は離れてるがこれは気があると見たね」
ふふん、と顎に手を当てて無精髭をなぞりながら笑みを浮かべて告げるが、それにあきれた顔をして胡乱気な目を送るダールトン。
まだ10歳に過ぎないのに色恋沙汰など、と言いかけて、あのどこか大人びた我が子を考えるとあり得なくも無いなとも思う。
だが……。
「アンナ嬢の事を恋人ではなく、妹のリーテラと同じ様な目で見ているような気がするんだがな私は」
「……まぁ、俺もそう思ってはいるんだがな。あいつもまだ10歳だしな」
「……そうだな、そういえばまだ10歳だった」
沈黙が辺りを包む。それにしても3つ下のリーテラと5つ上のアンナを同じ目で見るというのは問題があるのではないだろうか……。
今この瞬間、グランとダールトンの心の中では全く同じ事を考えていた。