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月蝕  作者: 檸檬
2章 魔術学院編
39/67

儚き幻想血に染まりて地に伏せる18

鬱展開ですご注意を

 The real question of life after death isn't whether or not it exists, but even if it does, what problems this really solves.

 死後の世界があるかどうかは、問題ではない。仮に存在したとしても、それがどんな問題を解決するというのか。


 世界には闇が存在する。

 それは絶対に。

 確実に。

 それがなければ世界ではないとでも言いたい程に。


 世界には闇が存在する。


 コンフェデルス連盟。

 表向きにはとても平和な国、されど、世界はそれだけでは許さないのだ。

 これはきっとこの国の事だけではなく、他の国でも十分にあり得る話。

 ただ、それが表に出て来ていないというだけの話で。


 ○


 ぽたぽたとナニカが滴る音がする。

 中央に鎮座する長方形のベット、いやベットなどという表現は適切ではない。あれは拘束具、だ。


 数人の男達がその周囲を囲み、手元に有る書類にナニカを書き込みながらぶつぶつと喋る。


 掛け布団はおろか、敷き布団等も無い。ただの鉄の塊、長方形の物体。 

 革製のベルトで縛り付けられたその小さなナニカ、いや、少年であったモノは無惨にも形を残さず奇怪な形状を持ち、うぞうぞと蠢いている。


「どうだ?」

「駄目だな、自意識は完全に消えているし。魔獣となんら変わらん。魔素容量を増やせば良いという物ではないのか」

「植え込み型も成果はイマイチだしな、仕方が無い、必要なデータが揃ったら処分しとけよ」

「あぁ、解ってる」


 そう言って男のうちの一人はその場所、部屋から出て行く。

 盛り上がった筋肉、爛れた皮膚、奇怪な方向へ曲がった腕を持つ少年は、かろうじて残っている片目、それも半分閉じているその目で出て行く男の後ろ姿を朦朧と見、そしてぐちゃり、と自分の体がナニカに潰されるのを感じると同時に意識を失った。


 コンフェデルス連盟、魔科学研究所。


 その中でも影の中、闇の中の闇、6家のメンバーですら殆ど内容までは知られていない暗部の中の暗部の一部。

 ここで行われている研究は人道等という言葉等、既に何処かに置いて来て、外道すら当然で、ソレ以下の行為を持ってして力を得ようとした者達の集まり。


 加護が一人しか居ないコンフェデルス連盟にとって加護持ちを増やす、あるいはソレ相応の力を欲するのは当然であった。

 同盟国がいるとて所詮国と国の同盟、そんな物に一体どれだけの価値があるというのか。


 ナンナ王女を娶ったとは言えど、連盟の立ち位置というのは微妙だ。

 故に、力を欲した。ソレ相応の力を。


 そして彼らは加護持ちが扱う膨大な魔素に着目し、それを研究した。


 魔獣に総じて言える事だが、魔素溜まり等で突然変異を起こす彼らは力を持つ。同等の種族であったであろうモノよりもだ。

 だからそれを単純にヒトに適応すればどうなるか、最初の原点はそこ。


 結果はヒトの形状をした魔獣、あるいはやや形状を残した魔獣が産まれた。

 魔獣は自意識が乏しく、本能に従いやすい。故に使い物にはならない。本来連盟が欲している力とはそれとは違う為に。


 5年前、一人の少女は自分の知恵と知識を、その溢れんばかりの魔科学に対する才能を誇っていた。

 自分に出来ない事は無い、自分こそが天才で、自分こそが選ばれた者だと。


 現に彼女が開発した技術は連盟にとってとても有用な物だった。

 だが、有用な技術が絶対的に流用されるのは戦争に置いて、他者を殺す為の技術として使われる事だ。


 スイル国の混乱、帝国に対する矛、彼女が研究室で黙々と作業をしている間周りの者はその活用方法を彼女には伝えず流用した。


 気が付いたときは、生体実験の結果だった……。


 魔獣を素体とした実験。彼女は多少嫌悪を感じたが、それでもヒトの命を延ばす為の技術、魔術に乏しいヒトを救う為の技術を、と彼女はそれを決行した。

 拘束具の中で暴れるナニカ、見せない為に、と包まれた黒い布袋を破って出て来たのは、小さな、小さな女の子の手だった。


 ○


「ぁっ……!」


 がばり、と布団から体を起こし、周囲を見渡す。

 いつも通りの殺風景な部屋。申し訳程度に置かれた小さな観葉植物が一つだけあり、ソレ以外は研究書物で埋もれたとても年頃の女性の部屋とは思えない場所。

 そんな部屋のベットの上で頭を抱え、眉間に皺を寄せて悪態をつく女性が一人居た。


「久しぶりに見たわね……」


 ふぅ、と一つため息を付く。


 数年前の記憶、自分の愚かさを知らぬ愚か者であったときの愚かな記憶だった。

 愚かである事は今でも変わらないが、何が始まりかと言えばアレが始まりで、何が罪かと言えばそれが“自分が見る最初の罪”。


 べっとりと背中を覆う嫌悪感に気が付く。


 自分の流した汗に辟易し、もう寝れないだろう、と考えてベットから起き上がる。着ていた寝間着を乱暴に脱いで放るとこれまた乱暴に服を着た。

 絶世の美人とは言わないが、それなりに整った顔をした彼女。しかし服装には無頓着で、お洒落などする気配もなく、それゆえその見た目は数ランクダウンしてしまっている。あげくに不摂生な生活の為か、あるいはストレスの為か、がりがりに痩せたその姿は見るに耐えない。が、本人にとってはそんな事はどうでも良く、今日一日が始まった事に憂鬱を感じながら生気の篭らぬ目で部屋を出た。


 歯も磨かず、顔も洗わず。ただ寝て、起きて、そして“殺して”、の繰り返しの一日。


 彼女、アイリーン・レイトラの一日が始まる。


「レイトラさん、今日は随分早いですね?」


 ぼぅ、とした顔で廊下を歩いていた所で声をかけられた方を見ると、30手前くらいの男が居た。

 果たして誰だったか、と思い出している間に相手の男が喋りだす。


「昨日から僕夜通しですよ、もー処理に疲れてやってられないっての。ゲッテ先輩が20個ほど使い切っちまってやってられないって話。仕入れも最近は国境の連中が五月蝿いですし勘弁して欲しいもんですよ」


 はぁ、と肩を竦めて呟くその声にやや眉を顰め、それと同時にそれだけで済ませている自分に内心で笑う。

 20個じゃない、20人だ。

 犠牲になった死者の数、研究に犠牲は付きもの? ならばお前が最初に犠牲になれば良いのに。


 軽く頭を振って先を進む、結局あの男の名前を思い出せなかったが正直どうでも良かった。


「あれ? レイトラさんー? レイトラさーん? なんだぁ? 相変わらず一人だから声かけてやったってのに、天才様は俺らみたいな凡人にゃ興味ねーってかねー?」


 背中に掛かる声を理解せず、ただ先へと進む。

 

 食堂、まばらにヒトが居る中、自分が入ってくると同時に目線がこちらへと一瞬向き、そしてすぐに興味無さげに視線は戻る。

 ここの研究者は殆どがそうだ、研究内容にしか興味が無く、他者に興味等無い。

 そこに他者に対する配慮等無く、他者等全て塵芥、邪魔をすれば敵としか見れない狂ったヒト達。その中に居る自分も結局狂っているのだろう。


 味のしない泥水の様なスープをよそい、それだけ飲む。

 朝から食べれば吐くだろうから、朝はこれしか飲まない。昼くらいになれば血の匂いも悲鳴の声も慣れてくるので昼は食べる。

 毎日ソレの繰り返し、手に持ったカップを両手で持ち、その横線、横に走ったミミズ腫れの大量に見える腕を眺めながらそしてスープを飲んだ。


「まずい」


 死ねない、そして殺されない、そして殺してくれない。

 軟禁か、いや、もはや監禁状態のソレに慣れた。


 半ばまでスープを飲み、そして捨てた。体を動かす為のカロリーには到底足りない。そんな暮らしを繰り返せば体がその少ないカロリーで生きて行こうと頑張るのだろう、不思議と自分の体は動いていた。


 部屋部屋から聞こえる話し声、うめき声、泣き声、悲鳴を他所に自分の研究室へと向かう。

 

 アイリーンは自分の部屋と自分の研究室を与えられていた。

 天才故の特権か、何より彼女は結果を出していた。重要視される程度の結果を。


 その為に犠牲にした子供は数知れないが、それでも必要な事だった。


「あ、せんせー! おはようございます!」


 がちゃり、と開けたその先。

 そこには数人の子供達が居た、全部で9人、彼女の“実験材料”だ。


「あぁ……」


 くしゃり、と癖毛の男の子の髪を撫でて返事を返す。

 彼女の研究室はおよそ20畳もあるであろうそれなりに大きな部屋だ。


 端には牢があるが、その鍵は常に開けてあり子供達は自由に出入りできる様にされている。

 彼女のくだらない最後の良心なのだろう、自分自身でもそう思いながらそれを行っていた。


 当然周りの研究者からは良い顔をされない、故に彼女はこの部屋からは出ない事を絶対条件にしていた。

 この部屋は彼女の国であり、彼女の王国であり、他の研究者は絶対的に手を出せない領域であるがために。


「朝は食べたの?」

「ん? うん! ココナが用意してくれたー」

「そう、ココナありがとうね」

「ううん、せんせーもちゃんと食べた?」


 ボブカットの少女、栗色の髪と栗色の目、ここに来たばかりのときは痩せこけており、売られたであろう事を示す手に錠が付いていた程だったが、今はソレも見る影も無く、血色の良い顔と精気の宿る目を持ち、アイリーンを見上げていた。


 それにやや笑みを浮かべ、アイリーンは答える。


「えぇ、大丈夫よ」

「えー、ほんとかよー、せんせーがりがりじゃんー」

「体質だからしかたないのよ」

「ちゃんと食べてねーんじゃねぇのー?」


 足下に群がり次々に告げてくる言葉、血に濡れた手でまるで保母の様な真似をしている自分が面白くておかしくて、思わず笑った。

 馬鹿にされたと思ったのだろうか、子供達からブーイングの声が聞こえるが、はいはい、と返事を返し自分の机へと向かう。


「せんせー、今日は何を飲むの?」

「昨日のはやだなー、あれめっちゃ苦かったしよー」

「子供だなーロイは。あれが大人の味っつーんだぜ?」

「じゃー今日はお前が飲めよ!」

「そ、それはやだよ!」


 机に向かったアイリーンの周りにわらわらと集まる子供達。

 何を飲まされているかすら知らず、なのに子供達はアイリーンを信じる。

 子供達も理解しているのだろう、自分達の命は彼女のお陰で助かっているのだと。


 部屋に隔離されているとはいえ、声は微かに聞こえるのだ。

 通風口を通じて、その微かに聞こえる、風の通り声の様な怨念の篭ったうめき声が。


「そうね、今日はそこの宝石を飲んでもらうわ」

「えぇー! あんなでっかいの飲めないよー」

「そうだよー! あれ前に貰った飴玉よりでっけーじゃん!」


 指差した方向、そこにあった宝石は赤く怪しく光り、その大きさは直径で2センチは有りそうな物だった。

 子供達の言う言葉にそれも当然だろうと思う。


 だがそれを砕いては意味が無い、蓄積した魔素が拡散してしまい結果が得られない。

 大人であれば飲める。何より、“自分で実験済み”である故に。


「大丈夫よ、飲めた子には前にあげた飴玉をプレゼントするわ。頑張ってね」

「うぇー、まじかよー」

「苦く無いだけいいじゃん、私飲むー」


 次々と並べられていた宝石が子供達の手の中へと納まり、直ぐに飲むもの、ややためらった後勢いよく飲むもの、口の中で転がしてうんうん唸った後に何とか飲み込んだもの。時間はそれなりにかかったが全員その宝石を体内へとおさめた事を確認した。


「みんな頑張ったわね」


 近くに居た子供の頭を撫でて、そしてポケットから飴玉を出して渡して行く。


「今日はこれでおしまい、でもこのあとちょっと熱が出て頭が痛くなるかもしれないから皆横になっててね。苦しかったら先生に直ぐ言うのよ」

「まじかよー、昨日の奴より辛いー?」

「昨日のよりは楽よ」

「はぁーい」


 昨日の薬は馴染ませる為の物、魔素を混ざりやすくする為の下地。そして今回の宝石こそが本命のブースト。

 宝石に込められた魔素を用いて魔術を使う事が出来るドーピング。それは宝石に込められた魔素が無くなるまで可能となるが、あれだけの大きさでは精々が数回魔術を使えば枯渇するだろう。それでも研究結果としては上出来である。


「(これで……、数ヶ月は持つかしら)」


 報告書をまとめて資料を作る。

 結果を出せば自分の立場も自分の研究室も揺るがない、彼女が出来る事は今目の前に居る少年少女、その9人を守る事だけだった。


 薬漬けにして果たして守っているのかは疑問では有る、だがしかし他の研究者の所へ行けば彼らは、彼女達はただの消耗品、使い捨ての雑品以下の扱いだろう。

 そして彼女が、アイリーンが死んでも同様の事、故に彼女は死ねなく、それでいて子供達をそして自分自身も実験材料として成果を出さざるを得なかった。


 ぱさり、とナニカが落ちる。


 報告書の上に落ちた長い髪。自分の髪、灰色のその髪はやや色素が抜けて白の様な髪になってきている。

 副作用、何らかの症状が体に出ているのだろう。抜け毛もそうだが、皮膚の荒れも酷く常に熱っぽい症状に悩まされている。

 魔素が軽く暴走しているのだろうと当りをつけていた彼女は資料の上に落ちた髪を乱暴に払い、そして続きを書き記す。


「(私は良い、でも、せめてこの子達だけでも)」


 鬼気迫る様相で書き記すその姿、それが子供達に見られている事に彼女は気が付いていなかった。


 ○


 検体番号−557。


 だからココナ、アイリーンがつけた訳ではなく、同じく売られた男の子によってつけられた名前。

 ココナはその名前を気に入っていた。検体番号からとられた名前であったが、アイリーンが良い名前だと言ってくれたから。

 その後アイリーンがその名前の由来を知った後、名前を変えようと何度も言って来たが彼女は変えなかった。


 捨てられた自分が初めて褒められた事だったから。


「いた、い……」


 ズキズキと痛む頭を抑え、懸命に耐える。

 痛いのは頭だけではなく、お腹も中から燃える様に痛く、先ほどから引っ切りなしに先生が皆の看病をしている。

 熱を持った額に冷たい布を置き、腹が痛いと言えばさすってやり、吐き気がすると言えば桶を用意して背中をさする。

 昨日の夕方からずっと、もうそろそろ夜も開けるというのに先生はずっと傍について9人全てを看病していた。


 ココナの激痛の波はもう過ぎており、耐えられない程ではなかった。

 いや、この年齢の子供からすれば耐えられない痛みかもしれない。

 けれど寝ないでずっと傍に居て、他の子供達の面倒も見ている先生に迷惑をかけたくは無かったというのが彼女の本心だろう。


 溢れ出る様な力、魔素が暴走を起こし、そしてじんわりと指先の毛細血管が切れて彼女の指先は赤黒く染まっていた。

 他の子供達も同様だ、苦痛に耐える声、先生の励ます声と、そしてココナは薄らと意識が薄れて行くのを感じた。


 痛みがやや落ち着き、そして一晩寝れなかった為に睡魔がやってきたのだ。


 そして数秒、彼女は眠りに落ちた。


 彼女が起きたのは昼過ぎだった、昨晩、いや早朝も含めた昨日の痛みは嘘の様に引いており、やや寝過ぎた為か体が若干重たかったが彼女はむくりと起き上がった。雑魚寝の様に皆が寝ており、恐らく先生が片付けたのであろう、吐瀉物や排出物は視界に映る場所には無かった。


 先生は、と探せば彼女はよれよれの服装のまま机の上に突っ伏す様に寝ていた。

 痩せこけた体、隈の取れぬ目、痩けた頬、そして先生が隠しているその両腕に刻まれた傷。彼女は知っていた、それの意味を。

 

 自分の体に掛かっていた布団を持ち上げ、そして先生の傍へ持って行く。

 残念ながら背丈の問題も有り、持ち上げたのだが裾は地面を引きずっており、途中子供達の顔を撫でる、もとい押しのける様にずりずりと動いていたのだがそれは割愛するとして、漸く先生の傍にたどり着いたココナは手に持っていた布団を先生の上へとかけた。


「えへへ」


 そしてひしり、と抱きつく。

 布団をかけるとココナは布団の中に居る先生の懐の中に入り、幸せそうに笑みを浮かべそしてまた寝た。


 その後起きて来た子供達でココナに対する顰蹙が始まり、その騒ぎでアイリーンが目を覚ますまで、あと10分。


 狂った世界の中に有る平穏、壊れた世界の中に有る安寧、果たしてソレは本当の平穏か、本当の安寧か。

 そもそも、この世界に本当の平穏と本当の安寧などあるモノなのか。


 始まりはまだ来ない、終わりもまだ、来ない。


 ○


 翌日、研究結果披露。


 アイリーンより提出された資料を元に彼女の研究材料が広場へと放たれる。

 対するは一つの魔獣、その辺りで捕まえて来たのだろう拘束されているそれが子供達の前に出され、威嚇を始める。


 正面に立つ子供達はそれぞれだ、怯えるもの、泣き出すもの、果敢に挑まんとする者、そしてその子供達を遠目で見ているアイリーンは、


 ――地面へと組み伏せられていた。


「どう言う事ですか所長! 彼らに実戦経験等有りませんッ! 即刻やめさせて下さい!」


 ぎりぎりと肩を地面に押し込ませる様に押さえつける屈強な男達に眉を顰めながら怒鳴る。喉が枯れる程に。潰れる程に。

 先ほどから何度もやり返していた行為、押さえつける時に暴れた為だろう、アイリーンの顔は一部が大きく腫れており、片目は青く痣が出来ている。

 血も吐いたか、口の端からはやや血が出ており、だがその血を吹き飛ばさんが如く彼女は吠える。


「私の、私の実験だッ! 手を出すな! 彼らに何か有って見ろ、二度と貴様らには手をかさんッ」


 ギリギリと食いしばった歯、唇からは血が垂れて地面へと落ちる。

 吸い込まれる様に染み込んで行く血、睨み上げる先の男が漸くこちらに振り向いて、そして笑みを浮かべた。


「勘違いしている様ですがアイリーン殿、貴方の実験結果が本当にそうであればあの程度の魔獣などいとも容易く倒せるでしょう? 実戦経験なんて物が必要な兵器など必要がないのですよ。そもそももしそれが万一必要だとしてもそれを準備していなかった貴方の落ち度でしょう。まぁ、御心配なく、一人か二人くらいは残して差し上げますよ」


 笑みを浮かべて告げる言葉、視界が白く染まる、白く、白く、怒りで白く染まる。

 殺す、殺してやる、絶対に、ころしてころして、この世に細胞の一欠片も残さないで殺してやる。


「う”う”うぁぁぁ”ぁぁぁ”ッ」

「品性が無いですねぇ、女性がソレではいけませんよ。まぁ、今の貴方の姿を見て女性と見るかどうかは別ですが。よかったですね、研究所で性処理道具兼研究者みたいな立場にならなくて」

「殺す、殺す殺す殺す、殺してやる、貴様だけは、貴様だけは絶対殺してやる、絶対、絶対に殺してやる」

「はいはい、おや、始まる様ですよ。そんな事ばかり言ってないで子供達を応援しては如何ですか? 意外に簡単に勝ってしまうかもしれませんねぇ」


 魔獣が拘束していた革製のベルトを引きちぎり唸る。

 虎の様な様相、だが背中からは骨の様な材質の角が何本も突き出ており、尻尾は無くそこにあるのは燃える様な火の柱。


 ――ホーンタイガー。


 鋭く口に納まらない程の牙が地面を擦り、滴り落ちる涎は酸となり地面を溶かす。

 そこらの傭兵では敵わない程の魔獣、それを9人とはいえ子供相手にけしかけた、結果等言わなくても解る。


「逃げてッ! 皆、逃げて!」

「あー、叫んでも無駄ですよ、逃げるようならほら、周りの兵が子供達を射抜きますので。あぁ、いや周りの兵も殺して逃走できる程の実力ならそれはそれで結構なんですがね」


 爪が振るわれる、粉塵を撒き散らして振り払われたその腕は9人の中の一人をあっけなく引き裂き肉片へと変える。


「う、うぁぁぁっ。シーナ、シーナ、いやぁぁぁぁッ」

「材料に名前をつけているというのは本当でしたか、理解できませんね。おや、あの子、557番でしたか? 反撃に出る様ですよ」


 空中に浮かぶのは氷の牙、全身に身体強化を施して広場を全速力で走り回りながら牽制を仕掛ける。

 煩わしそうに頭を振ったホーンタイガーは攻撃を加えて来た557番、ココナへと標的を変え、地面を蹴る。


「ほぅ、上昇効果はそれなりにありそうです。子供が放つにしては威力が高い。しかし上昇幅が中途半端ですね、これでは投資したコストに見合わない」


 ふぅむ、と唸りながら目の前で広げられる惨劇に思う所を述べる男。

 アイリーンにはその声は届いていない、目の前に広がる惨劇を涙を流し、唇を噛みちぎり、怒鳴り、泣く。


 振るわれる爪、間一髪で避けたココナは転がる様に地面を滑り、距離をとる。

 ココナの行動に釣られる様に他の子供達も魔獣に向かって攻撃を加える。


 アイリーンの実験によってその魔素容量だけはそこらの傭兵を上回る程度のレベルである子供達の力。

 さすがに煩わしい、では済まなくなったのだろう。やや傷のついた体を一瞥したホーンタイガーは吠える。


 遊びは終わりだとでも言いたげに、そして本当の虐殺劇が始まった。


 ○


 疾走。


 いや、爆走か?


 地面が爆発するかの様に砂と土が舞い上がり、虎の魔獣、バケモノ、ホーンタイガーが走って来た。

 走って来たと思ったら傍に居る様な、避けようと頭では思っていても体が動かない。


「あ」


 僅かに出た声、振りかぶられる爪が彼の最後の見た光景。

 顔半分どころか首から上を撒き散らされて栗毛の少年、ロイが死んだ。


「ロイィィィィィ!」


 声、叫びながら魔術を放つ。あんな大きなの飲める訳が無いと愚痴っていた少年、リュッド。

 友であり、家族であるロイが横で吹き飛ぶのを見て全身から溢れ出んばかりの魔素を集め、魔術を放つ。

 これで死んでも良いと思える程の力を注いで、放つ。


 ――爆発。


 地面がえぐれる程の威力、魔素が欠乏し足に力が入らず崩れ落ちる様にして地面に倒れる瞬間、ぐちゃり、とその長い牙で胸から下を失った。


『グルルルルル……』


 地面に擦る程の牙にリュッドを突き刺したまま、やや顔の半分を焼けただらせたホーンタイガーが唸る。

 一瞬の隙、止まったホーンタイガーを逃さないとばかりに二人の少年と少女が攻撃を加える。


「リュッド、恨むなよ!」

「うぁぁぁぁッ!」


 風の衝撃。空気を圧縮しただけという単純な事では有るがその威力は十分。

 バン、と弾ける様にホーンタイガーの腹部がへこみ吹き飛ぶ、が。飛ばされるさなか空中で体勢を整えてやや離れた場所へと着地する。

 牙からずるり、と落ちるリュッドの体その体が地面へと落ちるか落ちないかくらいでホーンタイガーが走る。


「いやだ、しにたくないよ、先生、助けて、先生、先生どこ? どこにいるの?」

「ルサ! だめッ、立って! お願いだから」

「やだッ、いやだ、先生はどこ、先生助けて、助けてッ」


 泣きじゃくる少女、それを立ち上がらせようと腕を掴む少女。

 

「逃げろ!」


 振り向いた先にはホーンタイガーの牙。


「いやッ!」

「先せ――」


 ぐちゃ、と音がする。


 弱い所から責めるのは基本、魔獣であれどその程度の知恵は有ったか攻撃を加えて来た二人を避けて動かない二人を殺す。

 

「ルサッ、アーリ! いや、いやぁぁぁぁッ」


 物静かな子だった、よく先生の読んでいる本を読もうとして解らなくて先生に泣きついていたルサ。

 活発な子だった、皆を引っ張るリーダーの様な子だった。泣いてる子が居たら直ぐにそばに行って話を聞いていた子だった。先生が居ないときの先生の様な子だったアーリ。


「畜生、ちくしょぉぉぉッ」


 血に染まる牙、色の消えた瞳。友の、家族の体はもはや暖かみも無く、ただ、ただ肉の塊と化して。

 

「まって、ジルッ!」


 銀の髪を持つ少年、人一番正義感が強かった少年。

 先ほどの風の魔術を放った少年は全身に身体強化をかけた上、自分自身を風の魔術で叩き付け、ホーンタイガーへと迫る。


「死ねぇぇぇえッ!」


 風の牙、首筋へと叩き付ける様に振り下ろすその腕。

 放たれる魔術は対象の首を切り裂き、そして――、分厚い筋肉をやや切り付けて止まった。


『グルァァッ』


 鮮血が舞う、反撃とばかりに振り上げた爪でジルアの腕が飛ぶ。

 追撃を加えようとしたホーンタイガーに迫るのは火の玉。ココナより放たれたそれは寸分狂いなくホーンタイガーの目へと当たり、辺りに絶叫が響く。


「メル、ジルアの治療をお願い! セオ、私と一緒に来て!」

「ジル、ジル、いやぁぁ、ジルジルジル」

「メルッ! しっかりしてッ、ジルはまだ生きてる!」

「いや、いやぁぁぁッ」

「セオ、メルとジルをお願い」

「わ、わかった」


 青ざめた顔、震える手、カタカタとなる歯、それら全てを押し殺してココナは叫んだ。

 呆然と見つめていた、最初に攻撃した後に死んで行く皆を呆然と見つめていたココナ、それを払拭するかの様に、何も出来なかった自分を叱責するかの様にココナは叫ぶ。


 パキパキと周囲が凍る。魔素が集まり幻想を成す。

 魔術の発動、ヒトの身に余る力。


 彼女の周囲には氷の槍、出来上がると同時に射出。その小さな体には見合わない程のその大きな槍は寸分狂いなくホーンタイガーへと迫る。

 流石に耐えられないと思ったか、その射線上から避け、横へと飛び退く。それを予測していたかの様にココナが出した氷の槍はその逃げた先を追うかの様に次々と避ける先へと突き刺さる。


 ギリギリ、ではあるがそれを避け続けたホーンタイガーはココナの周囲の槍が無くなったのを見計らい、また疾走する。

 その巨体と速度、そのプレッシャーは生半可な物ではない。

 数秒の間、ココナは次の魔術を唱え、放つ。


 悠長に唱える暇はなく、放たれた魔術の威力は知れたもの。

 だがしかしその地面を疾走するホーンタイガーにとっては忌々しいその一撃、土属性の下級魔術に過ぎないソレはココナのやや前、ホーンタイガーの疾走先の地面を崩壊させ、それに片足を突き入れたホーンタイガーはバランスを崩し、その勢いのまま前方へ吹き飛ばされた。


 地面が揺れる。


 数回バウンドを繰り返しココナの後方へと吹き飛んだホーンタイガーはやや体をよろめかせながら立ち上がる。


「はぁっ、はぁっ、先生、私、頑張る」


 先生が頑張っているのを知ってるから。

 先生が私たちの為にしてくれている事を知っているから。

 先生が私たちを殺さない為に、どれだけリスクを背負っているのかを知っているから。


 売られた私に、ただ人形の様に生きて行くしかなかった私に、その意味を、名をくれた先生の為に。


 そして、今、この場で死んで行った友の為に、家族の為に、ここで負ける訳に行かない。

 温もりを思い出す、昨日抱きしめてくれた事を、一緒に寝られた事を。

 それだけで、私は十分だったのだと。


 だらり、と腕を垂らす。

 結果を出せれば先生は大丈夫、大丈夫だから。


「(ごめんねみんな、でも、みんなだって先生が無事なら、それでいいでしょ?)」


 ギリ、と目の前で頭を振るホーンタイガーを睨む。


 狙うはジルアが刻んだ首の傷。

 度重なる攻撃によって疲労し、さらに先ほどの転倒で足を痛めている事は間違いない。

 速度が落ちたなら、狙える。


 パキパキと自分の手の中に氷の剣が出来上がる。

 狙うは一瞬、たとえこの身が食われようとも、その首筋に一撃だけを加えれれば。

 

 だが、


『グルルォォォォ』


 ゴゥ、とホーンタイガーの尻尾の部分に有った火が燃え上がる。

 火柱の様に燃え上がったソレはホーンタイガーの全身を覆い、まるで火の車の様な姿へと変わる。


 あれでは氷の剣では、思う瞬間、ホーンタイガーが疾走する。

 その速度は明らかに落ちていた、だがしかしココナは動かない、動けない。

 経験の少ない彼女にとって予想外の事に対応できるだけの猶予はない。先ほど目の前で友人が殺されていた事に対してパニックになっていたという経験を経ても尚、同じことが起る。それを責めるのは酷だろう、まだ女性としての特徴も得ていない少女、むしろ立ち上がれた事だけで褒めるべき結果。


 死が迫る、ゆっくりと景色が流れ、そして今までの記憶が蘇る。


 貧しい農家の子供として産まれた。

 “不幸”にも見目麗しい母だった。

 偶々訪れた貴族の子息に犯され、私が出来た。


 金を置いていく訳でもなく、ただ捨て置かれた母に私を養うだけの金は無かった。

 父も、本当の父では無かった父も母の夫として私を育てる事には抵抗が有った。

 自分の愛する妻を犯され、捨て置かれ、そんな男の子供を愛情を持って育てる事が出来るだろうか。


 そして売られた、私は売られた。


 母は父に捨てられるのが嫌われるのが怖かったのか、それとも本当に私が嫌いだったのか判らない。

 けれど、私を見る度に嫌な事を思い出すと、そう言っていた。きっとそれに間違いは無いのだろう。


 産まれた事が間違っていた私、存在自体が間違っていた私。


 売られた先の場所はヒトではなく、道具として、実験の材料として使われるだけの素材。

 そしてそこで――


 牙が迫る。

 眼前に、それでも手は握りしめ、剣を持つ。


 刹那、風が吹いた。

 片腕の少年がホーンタイガーの口の中へと自分の手を突入れていた。

 自分自身を風の魔術で吹き飛ばし、その無くなった肩から血を噴き出しながら、青ざめた顔で、震える体で、そして笑った。


「ココ、ナ、今、だ。せんせ、を、たの――」


 ぐちゃ、と音がした。

 ジルアを貫通し、ホーンタイガーの口から脳天を突き刺し、その氷の剣はそこに有った。

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