表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月蝕  作者: 檸檬
2章 魔術学院編
38/67

儚き幻想血に染まりて地に伏せる17

4話更新

 Conformity is the jailer of freedom and the enemy of growth.

 服従とは自由の看守であり、成長の敵である。 


 舐める様に走るその火に古ぼけた倉庫は燃え崩れ落ち、その外装はまるで塵の様に留まる事も無く、そして辺りを火の海へと変える。

 悠然と揺らめくそのバケモノの様相と相まってまさにそこは地獄の一角とも言える程。


 黒い鎌は火に照らされ、その伽藍堂の骸骨と黒いローブはまるで重力等無いかの様にゆらゆらと動いて迫る。


「はぁっ、はぁっ」


 2度、攻撃があった。


 魔術による牽制だけでよく耐えたとも言える。

 武器になる様な物等持っていなかったライラは、崩れ落ちた倉庫の瓦礫から拾い上げた木の棒を手に、魔術を放ち、牽制を掛けて逃げ惑っていた。

 背中は見せられなかった、見せた瞬間切られるというイメージしか湧かなかった為だ。

 時間にして恐らく1分も経っていない攻防、一撃目は火魔術による牽制によって開いた距離で鎌が届かなかった。

 二撃目は自慢の翼で舞い上がり難を逃れた。


 しかし、相手はリッチ、足を持たずふわりと浮かぶその姿、空とてそのバケモノの領域である事に違いは無い。

 空にとけ込む様な奇怪な動きとともに一瞬リッチの姿がぶれる様にゆらめいて、気が付いたら目の前に居る様な感覚。

 故にライラは常に飛び回る必要が有った。


「くっ」


 目と鼻の先を鎌が走る。ぞわり、と怖気立つ様な感覚と同時に、更に翼へと力を込めて速度を上げる。

 心臓がまるで爆発しているかの様に脈動し、口は震える事をやめず、無理矢理抑える為に噛み締めた歯は血で染まっている。

 自慢の翼は千切れんばかりに激痛を訴えその限界を示し、そして振られる死の誘いは今直ぐ目の前まで来ていた。


 思えば何が悪かったのか。

 彼女達の誘いに乗ったのが悪かったのか。

 キルフェと名乗った男が出て来た時点で直ぐに去らなかった自分が悪かったのだろうか。

 

「なんでっ」


 この学院に来た事自体が間違いだったのだろうか。

 なんでこんな怖い目にあわなければならないのか、なんで、なんで、どうして。


「いやだ」


 なんで私がこんな目にあわなければならないの?


「死にたく、ないっ」


 ぎゅん、と空へと舞い上がる。旋回する様に一周し、そしてまた地面へと後ろから迫るリッチを引き離す様に飛ぶ。

 しかし、疲れが出て来たのだろうか、その速度は最初程の速度はもはや無く、その鎌の切っ先がライラへと突き刺さるまでもはや残された時間はない様に感じられた。


 ――あぁ、まだ、一杯やりたい事有ったのに、なぁ……。


 走馬灯、振り返ったその目の前には青白く灯された感情のこもらぬ火の目。そして振り上げられた鎌の線上には自分の頭が有る事を理解し、ライラは目を瞑る。


「(ごめん、アル君、逃げ切れなかった、よ)」


 振り下ろされる死、だがしかしその時は訪れる事は無かった。


『〜〜〜〜!』


 悲鳴、いや絶叫。それ自体にも嫌悪感を誘う様な色は残っていたが、未だ来ない死とその悲鳴によって閉じていた目を開いたライラの目の前には、鉄杭がその側頭へと突き刺さり、悲鳴を上げるリッチがそこに居た。


「な、え?」


 疑問、だがしかし直に意識を切り替えそのバケモノから距離を取る。

 側頭へと突き刺さった鉄杭は壮絶な勢いだったのだろう、頭蓋を半場まで突抜けその骨を一部吹き飛ばし、さらにバケモノを溶解せんばかりに、ぶすぶすと煙を上げて酸を撒き散らしている。

 恐らくそういった刻印が刻まれている武器なのだろう、よがり、悲鳴をあげて蠢く黒いローブ、ややあってその鉄杭はリッチの頭蓋の半分までを溶かし崩れ落ちそこで漸く納まった。


『〜〜〜〜!!』


 ボゥ、とその双眼、いやもはや片眼に灯る火がその痛みによる怒りを表さんが如く強く燃え上がる。頭部の半分が腐食し中が見えている状況でありながら、そもそもが中身を持たないリッチには即死という訳には行かなかった様だ。だがそれでも怯ませるには十分すぎる程のダメージ。状況がつかめないライラだったが、恐らく助けが来たのだろうと理解する。そしてその答えはやや遅れて返って来た。


「ライラッ、てめぇっー! うちのチームメンバーに何してくれやがる!」

「リッチッ! なんでこんな所にッ!」


 聞こえた声はライラが望んでいたものとは少々違う物だった。だがしかしそれでも十分なくらいライラを安心させるのに一役買っていた。


「ロッテ! カーヴァイン!」


 叫ぶ声は安堵の色が見え、僅かながら顔がほころぶ、しかし直に彼女は顔を強張らせて告げる。


「駄目、逃げてッ!」


 ライラはその状況下で居て他者を思いやる。


 しかし、だ。死にものぐるいで逃げ回る彼女、いつ撃墜されてもおかしく無い状況を見てカーヴァインもそしてロッテもそこで逃げ出す様な選択肢を持ってはいなかった。


「アンデット系には腐食か火か光だったわね」

「取り敢えず注意をこちらに向けるぞ」


 詠唱、そして浮かぶ魔方陣。飛び回るリッチへと目掛けて魔術を練る。

 二人分の中級火炎攻撃魔術、2メートルは有るだろう火の玉が一つ、空中に出現。


「ライラッ!」


 カーヴァインが叫ぶと同時にライラはその意味を理解し、空中から急降下してリッチとの距離を離す。

 轟音、射撃された魔術がリッチに直撃して、炎を撒き散らす。ローブに燃え移ったその火は魂すら燃やさんとばかりに燃え盛るが、所詮は学生、しかも初年度、未熟なレベルの魔術。それでも一般的なレベルからみればストムブリート魔術学院の生徒が放つ魔術だ。その威力は年齢と比例しているとは言えない。


 しかし、相手は死霊系でも上から数えた方が圧倒的に早いリッチ。空間を揺らさんばかりの絶叫と衝撃によって一瞬空間がたわみ、そして鎮火。


 が、“予定通り”そのリッチの視線はカーヴァインとロッテへと向けられる。


「計画通りってな……」

「無傷な事まで計画通りなの……?」


 たらり、と冷や汗が額に流れたのをカーヴァインは理解する。

 ライラからこちらへと注意を向ける事は出来たが、まさか無傷だとは思っていなかった。これは本格的にヤバい。


「どうしてっ」

「シュシュが嫌な予感がするってな。今アルフロッドを呼びに言ってる、それまで耐えれば勝ちだ」


 直ぐ傍へ降り立ったライラの問いに答えたのはカーヴァイン。

 双翼をはためかせながら何かを言いよどんだライラだが、それに感謝しない訳でもない。

 軽く頭を振って気持ちを切り替えたライラ、ややあって思いついたかの様に希望に縋り問い正す。


「教師は……!?」

「まさかリッチが居るとは思わなかったから後回しにしちまった」


 ギチリ、と手に持つのは剣、睨み上げる様にリッチを見るカーヴァインは問うて来たライラへと答える。

 カーヴァインとロッテがその場に留まっている時点で、その答えを予測していたのだろう。苦悶の表情を浮かべたライラは唇を噛み締め、そして再度宙へと舞い上がりそして決意の篭った目で告げた。


「私が囮をする、カーヴァインとロッテは牽制をして……!」

「なッ、ふざけんな、そんな危ない真似!」

「言い争ってる暇は無いわよ! 来るッ!」


 黒いローブが霞んで消える、死を呼ぶ鎌が振り下ろされると同時に3人は同時に弾ける。


「アルフロッドが来るまで耐えるよ!」

「クソッ、住宅地には出せねぇ、ここで抑えるぞ!」

「うんッ」


 ばさり、と広げられた翼は先ほどの悲壮感はもはや無い、仲間が居る、それだけでライラは負ける気がしなかった。


 ○


 シュシュが慌てた様に呼びに来た時、アルフロッドは町中を歩いていた。

 リッチが出現するやや前、珍しくシュシュが慌てて走って来ている光景をアルフロッドは視界におさめた。

 いつも通りのもみあげだけを長く伸ばした独特の髪型と、そのピンク色の髪は凄く目立つ。普段もの静かで口数の少ない彼女が走っているという光景が珍しく、ものすごい違和感を覚える訳だが。


 特に目的があって散策していた訳でもなく、先ほどの同級生から置いてけぼりを食らっていただけのアルフロッドは立ち止まり、近づいて来たシュシュへと声をかけた。


「どうしたシュシュ?」

「……アルフロッド、ここに居た。急ぐ」


 がし、と腕を掴み、見上げてくるシュシュ。

 いきなり腕を掴まれて急ぐと言われても訳がわからない。


「なんだ? なんかあったのか?」

「嫌な予感がする。……まるで、おぞましい何かが産まれる前の様な……」

「はぁ?」


 要領を得ない言葉にアルフロッドは眉間に皺を寄せる。

 が、しかしシュシュの勘が鋭いという事は理解している。

 星読みは占いに近い、当たるも八卦当たらぬも八卦、だがその確率はシュシュの場合極めて高い。

 短い付き合いであったが為、いまだ半信半疑のアルフロッドではあるが、その切羽詰まった表情から意識を切り替えた。


「んで、どこに行きゃぁいいんだ?」


 がりがりと頭を掻いて聞く。

 対するシュシュはもどかしそうに腕を引き、そして告げる。


「町外れの倉庫、ライラが危ない」

「それを先に言えッ!」


 掴まれていた腕、それを逆に掴み、シュシュを抱きかかえる。

 両手に抱きかかえたシュシュは僅かに目を見開くが、身じろぎする事も無くそれに身を任せ、体を寄せる。


「飛ばすぞ」


 全身を覆う淡い光、身体強化を一瞬にして巡らせて宙へと舞うアルフロッド。

 周りでその一連の流れを見ていた者達は慌てて距離をとる。加護持ちの跳躍だ、その衝撃は洒落では無い。

 粉塵が舞い、地面に罅が走ったその状況を残し、アルフロッドはシュシュが指す方向へと疾走する。


『〜〜〜〜!』


 声。

 ビリビリと感じるその声、同時にアルフロッドの神経は研ぎすまされて行く。

 ヒトの枠組みに納まる事の無いその身体能力を持ってして、数キロメル先に有る場所、それをその声だけで探し出す。

 シュシュが指差すより早く、アルフロッドはその方向へと顔を向け、そして跳躍。


「んっ」


 胸の中にいるシュシュが服を強く掴む。普段であれば感じる事も無いであろうその速度に僅かに恐怖したか。

 腕に抱えられているというやや不安定な状況であれば仕方が無いかもしれないが、その姿にアルフロッドは速度を落とす事は無かったが、強く抱きしめる。


「わるぃ、ちょっと我慢してくれ」


 いつぞやも同じ事があったな、と思いながら再度飛ぼうとした、が――


「……アルフロッド、降ろして」


 やんわりと腕が押しのけられ、シュシュが腕の中から降りる。


「一人で走った方が早い、後から追い付く」


 淡々と喋るその言葉には有無を言わさぬ迫力があった。

 そも連れて行く事に深い意味は無い、アルフロッドが自然と彼女を伴っただけに過ぎない。そこには誰かを一人で置いていくという事に対して忌避感があったのだが、アルフロッドはそれに気が付かない。

 

 数秒の逡巡。胸の内にあるわだかまり、それが何か解らない。

 早く行け、とばかりに告げてくるシュシュの目を見てアルフロッドは迷う。


「(何してんだ、俺はッ)」


 そんな事をしている場合ではないのだ、何が起っているかは解らない。けれど何かが起っている事は間違いない。

 おぞましい程の何かが産まれた事、生理的嫌悪感を叩き付ける声はアルフロッドの耳に届いている。

 睨む、視線の先には声の元。


「わるい、先に行く」


 未だ一人で置いていくという事に葛藤があったのか、少しだけシュシュを見た後、アルフロッドは飛ぶ。

 疾走。


 屋根の上を蹴り、空間を蹴り、空を舞い、宙を走る。


 加護持ちならではの出鱈目な速度、一直線に目的の場所まで疾走する。

 流れる様な景色の中、目的の場所を視認する。


 ぼろぼろの黒いローブをはためかせ、赤く染まった鎌を持つ異形。

 その頭部は半壊しており、裾はちりちりと火の残骸が残り、そしておそらくあったであろう倉庫はもはや瓦礫の山と化していた。


 それに対していたのは3人の少年少女、カーヴァイン、ロッテ、そしてライラ。

 白い翼を大きく開き羽ばたかせ、宙を舞いながら危なげに異形、リッチの攻撃を躱しているライラを確認してギチリ、と歯を噛み締めた。


 一瞬にして沸騰する頭。

 

 それは異形に対しての怒りか、それとも守ると言ったのにそれが出来ず、ライラを危険に晒している自分自身に対してか。

 暢気に街を散策していて一体自分は何をやっていたのか、と。


 鎌が振り下ろされる、ライラの目前へと、そして彼女が切り裂かれる幻視をアルフロッドは見た。

 飛び散る血、舞う腕、片目は潰され、腕は捥がれ、されど抱きしめてくれた父の姿が一瞬にして脳裏に蘇る。


「う、あ、ぁぁぁぁぁッ」

 

 間に合わない、この加護持ちの力を持ってしても、瞬間で移動する事は出来ない。

 あの時葛藤していた時間の為か、逡巡していた事がまずかったのか、ゆっくりと流れる時間の中で守りたいと願った。

 それだけがアルフロッドの目的で、それこそがアルフロッドの本懐で、手を伸ばしても届かぬ場所にいるからとて、彼女を守ると誓ったのだ。

 絶大な力を持つ加護持ち、守護の名を冠する加護持ちが、その程度守れなくてなにが守護か。


 ――力が欲しいか。


 むせ返る程の魔素、濃密な力の気配。

 突き刺さる筈だった鎌はライラのやや手前で止まる。ギン、という甲高い音と共に。そのライラの体を覆う青く輝く光の球体に阻まれて。


 ――誰かを守る力が欲しいか。


 そして折れた、黒い鎌が、死神の鎌が、それも体の一部だったのか、伽藍堂の体を震わせて悲鳴を上げるリッチ。

 灯された目の火が異常な力を溢れ出すアルフロッドへと向く。


 そしてアルフロッドを認めたリッチは、その火に初めて恐怖が宿った。


 ――殺すのか? 守るのに殺すのか? バケモノであれば殺していいのか? 殺す事に異論は無いのか? 誰かを守る為に何かを殺す覚悟は有るか?


「そんな事――」


 ――魔獣ならば大量に殺した、数え切れぬ程殺した。ヒトを殺す事は駄目で、魔獣を殺す事は良い。それはヒトに危害を与えるからか? ではヒトに危害を与えるヒトは? それは殺しても良いのか?


 一撃、空間が歪む程の濃密な魔素を用いた一撃。

 隕石が落ちたかの様な轟音と吹き飛ばされる残骸。

 いつの間にか抜かれた剣は振り下ろされ、その切っ先に居たであろうリッチはもはや塵すらも残らぬ程に粉砕されて、


 ――魔獣を殺すのは感謝されるからか? 誰かに認めてもらいたいからか? その力を使い、誰かに褒めてもらいたいからか? 魔獣であれば感謝される、ヒトであれば嫌悪される。そうではないのか?


「知るかッ!」


 残心、血も残さず消し飛ばしたリッチその舞い上がる塵を振り払う様に。内心に巣食う声を拒絶するかの様にアルフロッドは剣を薙いで叫ぶ。


「守る為の剣だ、殺す為の剣じゃない。それが答えだ、答えなんだ」


 では、誰かを殺さなければ守れないとしたら、その時お前はどうするのか。


 その問いは答えない、頭を振って、そして聞き慣れたいつもの声で現実へと引き戻された。


「アル君!」

「ふぅ、助かったぜ。おせーよアルフロッド」

「つ、つかれたぁ〜」


 三者三様。

 がくり、と腰を下ろしてため息を付くロッテ。剣を支えに項垂れるカーヴァイン、そして。


「私、頑張ったよ。アル君が来てくれるって、信じてたから」


 覆われていた青い球体はもうそこには無かった、だがアルフロッドはその力を何となく理解していた。それこそが加護持ちの神髄なのだと。

 沸き上がる様に出てくる力の本流、それにやや流されながらも涙を浮かべ微笑むライラに、頭を振る。

 守った、守れた、最初の一歩。けれど、


「悪い……。ギリギリになっちまって」

「でも、守ってくれたよ」


 手が添えられる、そこには温もりがあった。自分が成し得た事の結果がそこにはあった。

 間に合ったのだ、手に握る剣の重さが消えて行く。

 心の中で叫ぶ声はもう聞こえない。

 

「あぁ。……ありがとう」

「? なんでそこでアル君がお礼を言うの?」

「いや、なんとなく、かな?」

「??」


 首を傾げるライラに苦笑が浮かぶ。同時にへばっていたカーヴァインとロッテから声がかかる。


「あー、やだやだ、こんなに苦労した友人に一言も無く二人だけの空間を作ってますよロッテさん」

「同じ女性としてこの扱いの差、酷い話ですよカーヴァインさん」


 声と同時に瞬時に離れるライラとアルフロッド。

 初々しい二人を見てカーヴァインとロッテは意地悪い笑みを浮かべ、そして笑う。


「全く……」


 がりがり、と頭を掻いて溜め息を吐いた。

 そのアルフロッドの顔には漸く笑みが浮かんでいた。


 ○


 くるくると金の縁取りが取られた一つの筒、望遠鏡を血に濡れた手の中で回しながら屋根の上で男は目を細めて遠くを見ていた。

 その視線の先には相も変わらず黒いローブに身を包み、伽藍堂の体を動かし死を撒き散らすバケモノとそれに相対する3人の少年少女。

 状況は拮抗している、リッチ相手によく健闘していると言えよう。コンフェデルスでの経験は無駄にはなっていなかった様だな、と空を舞う一人の少女を見て男、スオウは思った。


(アルフロッドの気配が近づいて来ておる、もう少し距離を取った方が良かろう)


 中で喋るクラウシュラの声に返事を返し、トン、と屋根から屋根へと飛び移る。

 先ほどから居た場所から更に離れた場所、もはや完全に自分の目だけでは見れない距離まで来たスオウは遠見の魔術と望遠鏡を重ね合わせ、現場を見る。

 そこには淡く光る青い輝きに覆われたライラ、そしてカーヴァインとロッテ、最後に一撃でリッチを粉砕したアルフロッドが見えた。


(覚醒したか?)

(守護の加護じゃな、漸く使えたかの。加護と向き合う覚悟が出来たかの? これでリリス王女と同じ土台という訳じゃ。とはいえ階級が下じゃから勝つのは難しいと思うがのぅ)

(構わない、加護持ちとして自分の二つ名の力を使えないのでは意味が無いからな。一回で覚醒してくれるとは思っていなかったが助かった)

(……助かった、かの?)

(何度も友人を危険に晒すのは心苦しいからな)

(……ふん)


 機嫌の悪そうな声を返すクラウシュラにスオウは笑った。お前にそんな資格が有るのか、と。

 それは同時に自分に対する物でもあったのだが。


「教師も本格的に動いたか。くくく、リッチが学院で出現する等、大不祥事だな。火消しを頑張って貰うとしよう」


 さて、とスオウは意識を切り替える。もはやこの場に居る意味は無い、後はスゥイの安全の確認、そして交渉が上手く行くまでロイクを保護、もとい監禁する事だ。

 バン、と屋根を蹴り上げて疾走する。

 

(全く以て今日は大忙しだ、よりによって今日動くとは思っていなかったから随分と穴があるが、取り敢えずは納まったな)

(ジルベールとの交渉をしなければ良かったと思うがのぅ)

(ルナリア“陛下”の為ならなんとやら、とね。いきなり頭をもぎ取ると手足が暴れて困るだろう?)


 くすり、と笑いスオウは駆ける。同時にこの後の事を考えて憂鬱になりながらも。

 スゥイがあの部屋で魔弦に負けるとは思わない、正面からぶつかれば別だが、それなりに罠は仕掛けたし、細工部屋にはそれ相応の武器がある。

 血を飲ませた後の態度では意地でも使わなそうな感じはしたが、それでもやむを得ずとなれば使うだろう。


 だが問題はそこではない、スゥイが負ける等思っても居ない。それよりもこれが一段落した後にスゥイに何を言われる事やら。


(一発くらいは殴られておこうか)

(随分と謙虚じゃの)

(ほら、なんだ? 良心を残しておく所が欲しいんだろ?)


 まるで他人事の様に自分の事を評価するスオウにクラウシュラは口を噤んだ。

 アリイアを取り込んでからどんどんとスオウは偏って来ていた。そしてそれは本人も理解していた。

 だからこそ、スゥイを傍に置いたのだろう、だからこそアリイアはスゥイこそが傍に居るべきだと考えたのだろう。


 しかし、スゥイはスオウへと依存している。それはスオウが止まる事無く突き進む事を意味していた。

 キルフェが死んだ事も、殺し屋を始末した事も、スオウに取ってはただの些事にしか過ぎず、必要な犠牲だと割り切っていた。

 それがどれだけ異質で、異端であるのかを理解していながら。

 踏みつぶす、その言葉通りの事。それを躊躇なく行う事に迷いは無かった。


 トン、と数回目の跳躍と同時にやや遠目に見えて来た自分の部屋を見る。案の定というべきだろうか、その寮の一部は半壊し、野次馬だろう数人のヒトが周辺に集まって来ている。恐らく数分後には自警団や教師も来る事だろう。


「調味料とか大量に有ったんだがなぁ」


 まぁ、スゥイの命には変えられない。

 “最後”のトラップが発動していない事を確認したスオウはスゥイとの合流地点へと急いだ。


 ○


 合流地点、その場所は学院から外れた林の中。何らかの不測の事態が起った際に使う為の場所でもあり、緊急避難場所でもあるその場所は、スオウやスゥイにしか知らない様に隠された罠や武器が所狭しと隠されている。その中でも一際太い木の根元にスゥイはしゃがみ佇んでいた。


 座り膝を立て、その膝の上に額を当てて踞る様にしていたスゥイ。

 遠目に見る限りには怪我をしていない様なのだが、その様子からスオウは眉をひそめる。


「スゥイ、無事か?」


 近づきながら問いかけた言葉、しかし返事は無い。

 肩に手を置く、同時に衝撃。バシンッ、という音が林の中に響きスオウはやや呆れた目でスゥイを見る。


「いきなり殴り掛からなくても良いと思うが」


 その片手にはスゥイの握りこぶしがあり、確りと脇を締めて打ち込まれた一撃はスオウの掌をやや痺らせる。

 とはいえ、身体強化まではしていなかった様で酷い事にはならなかったのだが。


「体調の悪い14歳の美少女を命のやり取りに使ったクソ外道を殴りたかっただけです、お気になさらず」

「自分で美少女と言うかね」

「えぇ、美少女ですから」

「まぁ、否定はしないが……」


 かりかり、と頬を掻く。スゥイの様相から怪我が無い事を理解したスオウはその隣へと腰を下ろす。


「首尾は?」

「滞り無く、ですが魔弦が傍に居ますので早めが良いかと」

「わかった」

「そちらは?」

「全員無事だ、キルフェは死亡。あとジルベールとの取引は上出来だ」

「……よくわかりませんが、弱みを握れた、と? ロイクという少年にそこまでの価値が有るとは思いませんでしたが」


 何も喋っていないロイク、故にスオウの言葉に疑問を持つ。

 交渉材料はロイクを人質に取っただけなのだ、それだけであれば伯爵家を敵に回すだけに過ぎないと言うのに。

 だがスオウは不敵に笑う。


「問題ない、あの少年ジルベールと一緒に行動していたお陰で色々と“知って”いた。ルナリア王女への土産も出来た」

「そうですか、反勢力の頭が操り人形というのも哀れですね」

「下手な連中が出て来ても困るからな。取り敢えず学院もこれで暫くは沈静化するだろうよ。まぁ、一時的には騒々しいだろうが」


 鼻で笑う。

 後始末を全て放り投げたスオウは貼付けた様な笑みを浮かべ、苦労を背負い込むであろう学院の教師に黙祷を捧げる。


「部屋はどうしますか?」

「一応目処はついている。まぁ、適当でもいいが、金はあるしな」

「金持ちの言う事は違いますね」

「俺の金じゃないけどな」


 口角をつり上げ、そして立ち上がる。

 パン、と座った際に付いた汚れを払い、スゥイへと手を差し伸べる。


「さて、いくぞ」

「……」

「どうした?」

「……そうですね」


 手を握る、勢い良く引き上げ彼女は立ち上がる。


「話して下さい」

「……何をだ?」

「貴方が隠している事を、です」


 手はいまだ握られたまま、睨み上げる様に見てくる目を正面から見つめ、そしてスオウはもう片方の手で彼女の頬に手を当てる。

 なぞる様に撫で上げる様に頬を撫で、そして首をやんわりと掴む。ただじっと、その行為を受けるスゥイは真っすぐとスオウを見つめる。


「殺しますか?」


 告げた言葉、そこに温度は無い。

 びくり、と手が震えた。初めてスオウの目が揺らぎ、恐怖の色を帯びたのをスゥイは見る。


「犯しますか?」


 次は怒りが灯る、睨むスオウの目がどこか心地良くスゥイは感じる。


「貴方の物ですよ?」


 やや首を傾げて告げる言葉。

 手が首から離れる、覆う様に目を手で覆ったスオウは、やや遅れて溜め息を吐き。


「いずれ話すさ、気が向いたらな」

「……そうですか」


 落胆の色、それに気が付かない様にスオウはスゥイに背を向ける。

 そして、――背中を蹴られた。


 がふっ、と吹き飛ばされるスオウ。受け身をとり、直に体勢を立て直す。

 僅かに沈黙。


「……お前、この流れで背中を蹴るか?」

「スオウこそこの流れであの答えですか? ありえません最低です」

「お前の質問の方がぶっとんでるだろう、どんだけだよお前は」

「美少女に許される特権です」

「そんな特権は聞いた事が無いぞ」

「当然です今作りました」

「そうかい」


 ちっ、と舌を打つ音。ギロ、とスオウはスゥイを睨むが、対するスゥイはどこ吹く風とそっぽを向く。

 頭が痛いな、とスオウは思った。

 どうやら最後の仕事はへそを曲げたお姫様の御機嫌取りで終始しそうだ、スオウは再度ため息を付いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ