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月蝕  作者: 檸檬
2章 魔術学院編
37/67

儚き幻想血に染まりて地に伏せる16

 I hear thy welcome voice.

 十字架の血に。

 

 血。


 床を覆う血が最初に視界に入った光景だった。


 ライラ・ノートランドは同じクラスの女性に連れられ、気が付いた時には人気が無い場所まで連れてこられていた。

 漸くココに来て自分の今の状況がまずい状況だと気が付いたのだが、生憎とそれに気が付くのが僅かながら、いや、圧倒的に遅かった。


 出て来たのは一人の男だった。同時に連れて来た少女達は散る様に去って行く。

 その男は襟に付いている紋章から上級生と理解、名をキルフェ・ハイムと言った。


「君の様な存在が加護持ちの傍に居るのは相応しく無い、即刻国に帰ってくれたまえ」


 見下す様な視線で告げられた言葉、反論すら許さずに詰め寄るその男にライラは恐怖した。

 ヒトの悪意はアルフロッドの傍に居る事で今までどれだけ和らいでいたのかを理解したライラ、ここに来て初めて直接向けられた悪意に体は硬直し、頭は混乱し、何を返せば良いのか、それすらもわからず。


「何とか言ったらどうなんだッ! いいか、消えないというのなら残念だがこちらにも考えが有る。

 まぁ、心配いらない、加護持ちの傍に君の様な存在が居る事自体が間違っているのだ、あとは上手くやるから心配はいらない、さぁ、さっさと死ねッ!」


 嫌がるライラを無理矢理引きずり、そしてその後ろのおそらくは数年使われていないであろうボロい倉庫の扉を開け、蹴り飛ばされて中へと押し込まされたライラ。


 ――その中は赤だった。


 赤く、赤く染まっていた。


 中央には大きな円、それが淡く光っており、明滅を繰り返す。


「……な? は? お、おい! な、なんだこれはッ。どうした!? どこに行った! 高い金払ったんだぞ、何をしてるッ!」


 後ろでうろたえるキルフェの声はもはやライラには届かない。

 扉を開けた事が起動となったのか、あるいは時間的な物で起動したのか、中央にある魔方陣が一際大きく輝く。


 ずるり、と魔方陣の中央からナニカが這い出てくる。

 遠目には血に濡れた大男が一人、物陰に足が見える事からおそらく最低でも二人、死体がここにある。


 ぞわ、とライラは背筋が泡立つのを感じた。


「(……生贄召還)」


 頭をよぎったそれは禁忌に触れる魔術。

 ヒトの魔素イノチを用いて魔素が変質したバケモノを呼び起こす魔方陣。


「ひいっ……!」


 キルフェの悲鳴がどこか遠くで聞こえている様な錯覚に捕われる。


 這い出て来たのは白い骸骨の頭、それをやや大きめの黒いボロボロのローブで覆い、そして手に持つのは大きな鎌。

 背は3メートルは有るだろうか、伽藍堂の体はそのぼろい布切れの様な黒いローブで覆われて足は無く宙に浮かんでいる。

 鎌の先端が地面へ擦る、ギリギリと耳障りな音が鳴ると同時にその白い骸骨の頭、その空洞の目に青白い火が灯る。


『〜〜〜〜〜!』


 生理的嫌悪感を此処ぞとばかりに叩き付ける声と言うべきだろうか。

 その金切り声の様な声を張り上げたそのバケモノは目の前に居る標的を視認し、そして鎌を振り上げる。


「リッチ……」


 ぽつり、と呟かれたライラの声。


 それは死霊系の魔獣の一つ。ヒトの魂を刈り、ヒトの死肉を啜る夜の闇の狩人。

 素材となった生け贄が良かった為か、それとも運が悪かったのか、その狩人の中でも上位に位置する魔獣の一つがリッチ。

 死が近づく、今のライラでは敵わない圧倒的な力の差。おぞましいその様相と死の威圧感による体の硬直、震えるどころか悲鳴も出ない。

 どこか他人事の様に見上げるその先には振り上げられた鎌。命を吸い取るその鎌、禍々しく黒く怪しく光るその鎌。

 

 ――死ぬ。


 漠然と思うその感情は、その青白く双眼に灯る火を見て再度そう確信する。


「ひ、ひぁぁぁぁっ!」


 腰を抜かしたのか、キルフェはずりずりと這いずる様に出口から外へと逃げる。声を出したのが不運だったのだろう、ライラを狙っていたその鎌の切っ先と、リッチのその視線は外へと出ようとするもう一つの贄、キルフェへと向く。

 ライラはその時そのバケモノが笑った様に見えた。一瞬霞んだかの様に見えた黒いローブ、そのぼろぼろの端が地面を擦る様に滑り、その手に持つ鎌を横へと構えそして一閃。瞬きの後に這いずるキルフェへと近づいたリッチはその体をあっさりと両断した。


 血しぶきが舞う、鮮血が辺りを散らし、どろり、とした目は色が消えて両断された体だったモノからはピンク色の何かがはみ出ている。


 ――この光景は一度見た。


 フラッシュバックの様に映る死体の映像。路地裏の死体、微笑むあの男。

 こみ上げる嘔吐感、そしてライラは地面へと吐瀉物を撒き散らす。震える手は空をつかみ、視界は涙に滲む。


 ――大丈夫だ。


 けれど、


 ――俺が守ってやるから。


 思い出す声は先日の彼の声。

 力強く撫でられた頭の温もり、感触、この思いは、この心に根付いた感情は嘘ではない。

 

『〜〜〜〜!』

 

 勝利の雄叫びか、あるいは吸い取った命に対する歓喜か、伽藍堂の体を震わせて叫ぶその声はまたもや生理的な嫌悪感を最大限に催す程の物。ここで抵抗の弱い者は昏倒し、あるいは吐き気に襲われ戻していた事は間違いない。しかしながらライラは曲がりなりにも学院に入学できる程の力を持つ者だった。そのどちらの症状も出さず、しかしながら全身を覆う恐怖感だけは持ちながら、震える両足を自分自身で叱責しながらライラは立ち上がる。


 胸に秘めるは一つの思い。


 目の前には揺れる漆黒のローブと鎌、その鎌は先ほどとは違い血に染まり、更に妖婉さを増し死の香りを濃厚に醸し出している。


「……じょうぶ」


 言い聞かせる様に呟く言葉。


「大……丈夫……ッ」


 鎌が限界まで振りかぶられ、


「アル君が、来てくれるッ!」


 ばさり、と大きく広げられた白い翼はまるで威嚇するかの様に羽ばたき、同時に展開するのは火の玉、その数は“6個”。出来なかった壁をここに来てライラは乗り越える。同時に射出。


 そして鎌は振り下ろされた。


 ○


 やや少し前、スオウの寮室にて。


「まいったッス……」


 うへぇ、と言いたげな顔で女性は一つため息を付いた。

 部屋の壁一面に張り巡らされた刻印は明滅を繰り返し、中央に座る黒髪の少女はこちらを一瞥したと同時に直に手に持っていた本へと視線を戻す。


「あー、自己紹介でもする所ッスか?」

「ご自由にどうぞ」


 帰ってくる答えは冷たく切り捨てられるもの。いつもはふわふわとしている彼女、ツェツィーアの髪も今ばかりはしなだれている様にも見える。


「おい、ツェツィ、取り敢えずこの女取っ捕まえて吐かせれば良いんじゃねぇのか?」

「あー、んー、それはまずいって勘が言ってるッス、というか最悪ッス、現状最悪ッス」


 はぁ、とツェツィーアは溜め息を吐いた。

 目の前に座る少女、情報からすると恐らくスゥイ・エルメロイであろうと思われる彼女はその言葉に僅かに同情の視線をこちらへと向ける。


「取り押さえるのでしたらどうぞご自由に、怪我の一つでもあれば真実味が増しますので」

「そうッスよねぇー、完全にうちらが誘拐犯で監禁犯でって訳ッスね……」

「……まさか、そういう流れ」


 漸く状況がつかめたフランクは慌てて後ろのドアノブをたたき壊さんばかりに捻り上げ外へと脱出しようとするが、見えない壁に阻まれてバチンという音と同時に弾かれる。それを予想していたツェツィーアは弾かれた際に痺れたであろう手を振っているフランクを横目に視点を移す。

 目を移した場所。そこにはぐるぐると簀巻きにされて目と耳を塞がれ、おそらく昏睡していると思われるブロンドの髪の少年が横たわっていた。

 

「ちなみに逃亡するにはこの壁一面の刻印を破壊してからお願いします。スオウが言うには力作だそうなのでどのくらい時間が必要かわかりませんが」

「その間に教師陣を呼んで囚われのお姫様役ッスか?」

「どうでしょうか、しかし……。本当に体調が悪いというのに帰って来たと同時に同級生を拉致って来てて、挙げ句一芝居打てと言うんです。こればかりは文句の一つも言っても良いと思うのですがどうでしょうか?」

「どうッスかね? その犯人役をいきなりアドリブで振られたうちらも困り者なんスけど……」

「おいッ、ツェツィ! どうにかしろ!」

「どうにか出来ない事も無いッスけど――」


 やるとしたら部屋ごと弦で粉砕して、となるので騒ぎになるし侵入バレるッスよ、と続けるツェツィーアにフランクは黙る。

 やはりそれは最終手段であり、目的を達する為には現状ではまだ打つ手ではない。というよりそれをやれば更に誘拐犯らしくなるとも言える。


「というよりスゥイちゃんが平然としているのが理解不能ッス、殺されるかもしれなかったッスよ?」

「……私の名前を何故知っているのかは置いておきます。そしてそんな事はスオウに聞いて下さい、と言いたい所ですが答えて差し上げるとしましょう。一つはこれです」


 ピッ、と机の上に置いてあった手紙を指して告げるスゥイ。

 その指した指で手紙を取り、ひらひらとツェツィーア達に見える様にしながら続ける。


「とある男爵様より速急便で連絡が有りまして、どこぞの帝国の間者様がこられるとか。それも有名な魔弦様です。そんな有名人が学院内での殺人となればそのリスクは非常に高く、挙げ句に帝国の者が犯人と断定できる場合、戦争の引き金になりかねません。現在スイルの内乱の平定と、精霊国ニアルとの小競り合いが続いている状態でカナディルおよびコンフェデルスが参戦する事を望むとは思えません」


 その言葉にツェツィーアはありゃぁ、と肩を竦め、フランクは苦い顔をする。

 それを認めたスゥイはピン、と手紙を放り机の上へと戻す。


「次に折角手間暇掛けて学院に潜入までして私一人を殺しただけで、はい終わりでは採算が取れません。無駄が多すぎます、帝国が戦争を求めているというのであればそれも無いとは言えませんが、先に述べた理由も含め3人もいる加護持ちを前面に出して来ていない現状でそれは低いと考えます。それにあなた方にしてみれば私はコンフェデルスのヒトですから」


 そもそもリリス王女が幼いとき、アルフロッドが発見されたとき、帝国の加護持ちは動かなかった。それが何よりの証拠である。

 その理由は不明ではあるのだが。


「そして、これらの事から接触して来た場合その目的は蒸気機関という技術を生み出したカリヴァ男爵及び、蒸気船を作っているフォールス家の長男、スオウ・フォールスという人物の為人の調査、あるいは勧誘、最悪のパターンとしては交渉材料の人質と言った所。だからそのスオウに近い人物である私に交渉を行えない程の危害を加える可能性は極めて低いと考えました」


 パタン、と本が閉じられる。質問は、と続けたスゥイは相変わらず無表情でやや眠そうな顔をしている。

 しかしスオウが見れば不機嫌な顔だと一発でわかった事だろう。こちらとら初めてのアレで朝方貧血気味だったんだから寝かせてろ、という気分で一杯なのだろう。

 生憎とツェツィーアもフランクもそんな内情は知る由もない。ややあってツェツィーアが温和な笑みを浮かべて問いただした。


「どれも仮定と予想ばっかりッスねー、それだけで命を掛けるとは思えないッス。帝国と連合は敵国同士ッスよ? 拉致されて拷問されてという可能性が無い訳じゃ無いッス」


 問いかけながらツェツィーアはこれだけでスオウ・フォールスと、スゥイ・エルメロイの聡明さに舌を巻いていた。

 14歳の子供が辿る思考回路ではない、あるいは王族であれば無いとは言えないが。だが、それですら認識はまだ甘かった。いや、認識が違っていた。


 ツェツィーアの問いかけ。それに対してここまで来て漸く不機嫌な顔は鳴りを顰め、初めてスゥイは笑った。微笑みを浮かべる様に、まるで愛しいヒトに出会えたかの様に。

 

「問題有りません、私の全てはスオウのモノですから」


 ――あぁ、もう、それだけでいい。


 スオウの利になるのでしたら問題有りません。

 淡々と告げられたその言葉にツェツィーア、そしてフランクも背中に嫌な汗が流れるのを感じていた。


 ○


 そしてやや時間が過ぎる、硬直時間。スゥイの持つ本の紙と紙が擦れる音だけが部屋に響き、気を使ってスゥイが出した紅茶には二人とも手を触れずただじっと、スゥイを睨みつけていた。


 トン、と踵を地面へと叩いた音が部屋に響いた。

 本を読んでいたスゥイが僅かに視線をずらし、先ほどからこちらを見つめていたツェツィーアへと向ける。

 地面を叩いたのはツェツィーアだったようだ。本来なら靴の位置を調整したとでも思うのだろうが、スゥイは生憎とそんな能天気な考えはしていなかった。直に隣に立つフランクへと顔を動かさず目線だけで追うと、僅かに動いた目蓋。


「(何らかの合図ですか、まぁ、当然大人しく待って頂ける訳も有りませんね)」


 パタン、と本を閉じる。フランクがやや身じろぎをしたのを横目に席から立ち上がり、ツェツィーアに問うた。


「動かれますか?」

「……そうッスねー」


 やや間が有って答えたその言葉はどこか弾んでいる様にも聞こえ、スゥイは僅かに眉を顰めた。


「一つはこのまま待機してスオウ君と取引するッス。けれどこれは帝国の者としては受け入れられないッス、リスクが高すぎるッスー」


 スオウが教師陣あるいは、ソレ相応の戦力でこられ捕縛されれば目も当てられない。

 ツェツィーアは逃げられるだろうがフランクは別だ。訓練している手練と言えど禁制の自白剤等使われればどうなるかわかった物ではない。その場合は横に居るフランクを殺し、目の前に居るスゥイを殺して逃げる必要が有る。ツェツィーアにとっては不利益だらけの選択だ。


「そして次は犯人役としてこの場から逃げる選択ッス。その場合はその少年がスゥイちゃんに殺されちゃうので外交問題的に私らの範疇を超えるッス」


 冷たい視線を向けるスゥイに告げた次の策、それはロイクの死を意味していた。そして帝国の者の発言をカナディルが信用するかは微妙だ。学院としても魔弦が相手ならば貴族連中にそれなりに言い訳が付く。そしてこれはツェツィーアは知らないがその少年は貴族ではない、故にその可能性が更に高まる。


「んで、最後の選択ッス。このままスゥイちゃんを攫ってスオウ君との取引に使うッス。スオウ君が応じるかは微妙ッスけどそれならそれで捨て置けば良いッス」


 すらり、と横に立つフランクが剣を抜く。同時にツェツィーアの両手から魔素によって作られた特殊な糸が地面へと垂れる。

 その様子をスゥイは淡々と眺めていた。そして、その座っていた椅子をゆっくりと机へと入れる。と、同時にその椅子の座と床に魔方陣が光り、罠が作動する。瞬間身構えたツェツィーアの足下が青白く光った。


「スオウが言うには」

「ッ! 直ぐ戻る――」


 ッス、という言葉を言い切らないうちに。バシュン、という音と同時にツェツィーアが消え失せ、その魔術の残光だけがそこに残る。

 速効性の強制転移魔方陣だ。


「罠とは二段構えが基本だそうです」


 スゥイがその言葉を言い切ると同時にフランクはスゥイへと向かって切り掛かった。


 ○

 

 フランクがスゥイへと切り掛かるとほぼ同時にスゥイは横に有った机をなぎ倒し、もう片方の手で背に有る皮の包みを掴んだ。

 倒れて来た机を袈裟切りに叩き切ったフランクから身体強化をかけたスゥイは後ろへと飛び退き、続いて切下ろして来た剣を避ける。


「攫うのではなかったのですか?」

「心配すんな、ツェツィはあぁ見えて治癒魔術も得意だッ!」


 殺さんばかりに剣を振るフランクへの問いは聞きたく無かった解答と彼の渾身の一撃。ドン、とフランクの踏み込みで床が炸裂する。

 もう一歩、いや、後半歩、その距離だけでスゥイを切る事が出来たであろうフランクであったが、部屋の中であるという事が失敗だった。障害物に足を取られ僅かに届かなかったフランクの剣。くるり、と曲芸の様に後ろへと回転しながら飛んだスゥイはソファーの後ろへと飛び退き、そして片手をソファーの後ろへと当てる。


「げっ」


 浮かぶ刻印、バン、と炸裂するソファー。飛び散るのは鉄の釘。

 前方に居たフランクは慌てて飛び退き先ほど倒された机の半分を盾に間一髪逃れる。


「スオウの部屋ですよ? まさか罠が二つだけだと思っていたのですか?」

「学生の部屋にそんな殺戮兵器があると思うかッ!」


 木製の分厚い机に突き刺さる大量の釘を見て叫ぶフランク。君は間違っていない。だが生憎とこの場では残念ながら間違っていた。


「ちなみにその机にも細工がありますのでご注意ください」


 声、同時にフランクは血相を変えて机から飛び退く。

 同時にスゥイの方へと視線を向けると、丸く巻いて纏められていたであろう革製の帯が開かれていた。

 片手から流れる様に外へと巻いていた帯がくるくると開かれて、そこにはいくつもの短剣が納まっている。いや、短剣というには薄すぎて短すぎるそれは柄は10センチも無い上に、その刀身は3センチ程しか無かった。あれではヒトを刺しても致命傷になるか怪しい。


 だが、それを出して来た以上何らかの武器である可能性は高い。


「嘘です」


 声と共にピン、と布に納まっていたその短剣らしきものがスゥイの指の間に挟まる。

 右手に3本、指と指の間に挟まれたそれは一瞬光る。柄に刻まれた魔術刻印だ。そしてぐるり、と全身をバネの様に引き絞り、右手を後ろへと回すスゥイ。その右手に挟んだ短剣は既に短剣ではなく、


「っの、野郎ッ!」


 それは氷の剣。鋭く、鋭利にまるで太い針の様にその指の間に挟まっていた武器がスゥイの指の間に挟まれていた。

 そして振り投げられる氷の剣は寸分狂いなくフランクへと突き進む。


「なっ、めんなッ!」


 振るわれる剣。伊達に帝国の間者をやっていない。何とかギリギリで間に合った剣はスゥイの放った氷の剣を砕く。その破片で細かい傷を作りながらも、更に一歩後ろへと下がり、フランクは体勢を整える。

 間者の適正として極端に強い事は必須ではないのだが、それなりに強い事は必須である。ツェツィーアは別枠であろうが。だが、カナディル最高峰の魔術学院、その第2位、スオウが居なければ1位であったであろう本物の天才を相手にするにはフランクでは荷が重かった。たとえ相手が14歳の少女であろうと。


 そして更にフランクにとって最悪であったのは、スオウがスゥイを危険に晒す可能性が有る状況で、過剰とも言える支援を行っていた事だった。


「あぁ、まったく。最悪です、最悪のパターンです。最後まで使わないでやろうと思っていましたが最悪です。スオウとか地獄に堕ちれば良いと思います。まぁ、その時は一緒に地獄に行きますけれども、けれどあの男は一度死ぬべきです。畜生です、外道です、カスです、まったくもってやってられません、色々な葛藤があるのです、なので」


 ――八つ当たりさせてもらいます。


 ふわり、とスゥイの髪が僅かにあがる。

 それは溢れ出した魔素による影響、その魔素を近くで感じフランクは戦慄する。ありえねぇ、と。


「魔弦相手は流石に厳しいですのでさっさと終わらせましょう。先ほどの様子でしたら貴方も取引に使えそうですし」

「そいつぁ光栄だ……、ちなみにツェツィは何処にいったんだ?」

「空です」


 ギュン、と先ほどの速度とは明らかに違うスピードでスゥイがフランクへと接近する。

 いつの間にか持たれていた氷の剣は3つの線を作り、フランクへと迫る。


「吸血かッ!」

「決めました、やはり一度はっきりとあの男には言うべきなのでしょう。彼の物になる事に一遍たりとも不満は有りません。この髪の毛一本、血の一滴まで彼に捧げてあげましょう。ですが、その代わりあの男は私の物です、私だけの物です、誰にも渡しません。その血の一滴まで私の物です。そうです、私の物であるならば、それは私だけの物であるのならば問題等有り様も有りません。そして私が彼だけの物であるのならば何も問題は有りません。彼だけの為に生きるのであれば問題ありません。

 そう、ただ一人だけのモノであるのならば、それは●●とは違う。そう、そうです。まずは最初に殴りましょう、そうしましょう。今までの恨み辛みも含めて全て。えぇ、えぇ、そう言う訳で、あのクソ男をぶちのめす余力を残したいので、あまり疲れさせないでくれると助かります」


 ギン、と音が鳴り、鍔競合いが始まる。

 14歳の少女であるというのにその力はフランクと拮抗する程。それも指の間に挟まれた氷の剣で、だ。

 言い方を変えれば戦闘の本職ではないフランクと吸血したスゥイが同等レベルとも言えるのだが、そもそもスゥイは体格からして超近接戦闘には向いていない。しかしスゥイにはそれが必要だった。


 拮抗していた力、それを一瞬だけ抜いたスゥイはこちらへと倒れ込むフランクの胸へと掌底を叩き込む。


「ぐぅッ」


 ゴキ、と鈍い音が部屋に響く。肋骨が折れた感触を掌に感じたスゥイ。しかし流石の相手も素人では無い、衝撃と同時に後ろへ飛んだ事が功を奏したか致命的と言える程のダメージを与えられなかった。

 舌打ち、しかし状況が改善する訳ではない。フランクは折れた肋骨に苦悶の表情を浮かべながらも、やや後ろへ吹き飛ばされたその勢いを利用して後方へ飛び退きながら風系下級攻撃魔術を発動させる。風の牙、スゥイを切り裂くべく空間を引き裂いて放たれたその魔術は床板を削り、スゥイへと迫る。しかしながら対するスゥイは既に対策を済ませていた。


 掌底を打ち込むと同時に床へと突き刺していた氷の剣、その数6本、床へ突き刺したそれは剣の刀身と刀身が解け合う様に一つになり、氷の壁を形成する。


 ――衝撃。


 弾けとんだ氷の破片、盾は割れたが牙も途絶えた。支えを無くして落ちて行く“柄”が床へと触れる前にスゥイは拾い、同時に再度刀身を作製、そして射出。


 部屋の中という狭い空間でありながら振りかぶる様に放たれるその一撃はまさに放たれたと同時に着弾する様な物だ。

 だがその距離の近さは逆を言えば腕の動きだけで避けやすいとも言える。

 二度目のその攻撃をフランクは体の動きから推測し、避ける。ミシミシと胸の中で悲鳴を上げるその激痛を歯を食いしばって耐え、そして振りかぶった後の硬直の隙を狙い攻撃をしようとしたフランク、しかし崩れる様に足が縺れ――


「――がはッ」


 吐血。

 恐らく内蔵に傷がついたか、ぜぇぜぇと息を吐きながら歩み寄ってくる少女、スゥイをフランクは睨み上げた。


「焼きが回ったかね俺も」


 後は取り押さえられるのを待つだけのフランクはそう告げる。その目には諦めの色は無いが、現実を認められない程夢想家という訳ではない。

 だが帰って来た答えは予想だにしない物だった。


「いえ、残念ながら私の負けの様です」


 視線の先のスゥイの答え、僅かな逡巡をフランクがしたと同時に轟音。

 近づいていたスゥイは壁際へと飛び退く、その先を通ったのは糸の嵐。


 壁を覆っていた刻印を引き裂く様に蹂躙し、まさに数の暴力とばかりに削り取るその攻撃は見間違う事無いツェツィーアの一撃。

 それは魔弦のツェツィーア・ハルトベルが戻って来た事を意味していた。


「成る程、ね」


 げほげほ、と血を吐きながら、それを手で拭い状況が改善した事を理解したフランクはもつれる足を叱責し無理矢理に立ち上がる。

 対するスゥイは忌々しげな表情をやや浮かべ、そして溜め息を吐いていた。


「目的は1段階が精一杯でしたか。確保くらいは出来ると思ったのですが、ね」


 手に持っていた氷の剣を床へと落とし、敵対意思が無くなった事をツェツィーアとフランクは確認する。

 そして漸く周囲に漂っていた緊張感が霧散した。

 

「いやー、固いッス、固いッス、ぱねぇッス。久々に本気で削ったッスよー」


 ぷらぷらと手を振りながらトン、と部屋へと戻って来たツェツィに胡乱気な視線を送り、さて、あとは拘束するだけか、とフランクは思う。ポーチに入っていた痛み止めの麻薬を飲み、一息つこうとした所で声が聞こえた。僅かに、微かに聞こえた声、それはどこか嫌悪感を催す物。


 楽観的な態度を取っていたツェツィーアは、一瞬顔を硬直させ、そしてスゥイを見て、そして窓の外を見て、再度スゥイを見て呟いた。


「……まじッスか」


 それはありえない、という意味を含めた発言だった。

 ふぅ、と一つ息を吐き腰に手を当てたスゥイは告げる、憮然とした表情を浮かべながらもその仕草は様になっている。


「今が丁度逃げ時とも言えますが? どうされますか魔弦様」

「は? 何言ってやがる。お前取っ捕まえて取引つってんだろ?」

「黙るッスフランク、この気配リッチッス」

「……はぁ?」

「丁度教師陣が対応に追われていると思いますので無事逃げられると思いますよ。今でしたら、ですが」


 言い放つと同時に、床に手を置くスゥイ。その仕草に眉を顰めるツェツィーアとフランク。

 何も起きない、だが何かが起きるかもしれない。罠だらけだったスオウの部屋を理解している二人は嫌な予感を覚えた。


「(リッチが出たとなると時間をかけると脱出の監視が厳しくなるッスね。逃亡も一手間どころじゃなくなるッス。目の前もまだ奥の手を持っている可能性を考えると……)」

 

 足手纏いも居る事だし、と横目でフランクを見たツェツィーア。

 数秒、思考に沈み出した答えは逃亡だった。


「逃げるッスよフランク」

「はぁ? ちょっとまてや、上司命令だわばッ」


 ゴス、とフランクの後頭部に踵落としを食らわせ昏倒させたツェツィーアは憮然とするスゥイに向けて手を振り、


「それじゃまたッスー」


 ぴょん、と軽く出かけるが如くのノリで飛び上がりスゥイの視界から消えて行った。

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