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月蝕  作者: 檸檬
2章 魔術学院編
36/67

儚き幻想血に染まりて地に伏せる15

 Trust men and they will be true to you; treat greatly and they will show themselves great.

 信頼せよ、そうすれば彼らは貴方に正直になる。素晴らしき人物として接しろ、そうすれば素晴らしさを示してくれる。


 自身の中に流れる血がおぞましいと考えた事は有るだろうか。

 吸血族の血が流れているその自分の血に嫌悪感を感じた事は有るだろうか。


 母と同じであると言う事と、吸血族であるという事が相反する様に彼女の心を蝕む。

 嫌悪しつつ嫌悪し切れないという矛盾、揺れ動く天秤の様に時に傾き、吐き気を催す程の嫌悪感を伴う。


 経血という症状は彼女にとって初めての事であったが、頭の片隅でそれを理解していたのだろう。消した筈の記憶の残骸、女であると意識される、女であるのだと言う意味を理解させられるその症状。いや、はたしてそうであれと心で望んだからこそそうなったのではないのだろうかという葛藤。


 記憶から消したとしてもその心は蝕まれる。


 吐く。


 何も食べていないため出てくるのは胃液のみ、喉を焼く様な痛みとツンと鼻を通る胃酸の匂い。涙が僅かに出て来て自分自身酷い顔なのだろうなと思う。


「あぁ……」


 血が流れて行く、流れて流れて、いっその事全て流れてしまえば良いのに。


 自分の体から流れ出る血を一瞥して、そして嫌悪感に眉を顰めて悪態をつく。

 最悪の気分だ。

 全身を覆う倦怠感と下腹部の苦痛感がさらに過敏になっている精神状態を刺激し、苛立ちが募るのを理解した。

 

 ゆらゆらとトイレからでて目指すのは一つ。目的の物を見つけて感情のこもらぬ目でそれを見つめ――


 ざくり、と腕を刺した。


 台所に有った包丁で、その細い腕の一部を刺し、だらだらと血が流れているのを呆然と見つめる。

 血を欲していながら、血を抜いて、それでいてまた血を吸う。


「あは」


 笑った。馬鹿馬鹿しくて、自分の事だというのにこうまで不安定になるとは思っていなかった。

 痛みがやや遅れて頭へと届き、ずぶり、と刺さっていた包丁を抜くと同時に傷から更に血が流れ出てくる。


 ――お前は俺のものだ。


 声が聞こえた。無意識にもう片方の手で腕を治癒していたのだろう。次第に止まり行く血を眺めながらぼんやりと思い出される様に言われた言葉を反芻し、そして苦笑を浮かべる。


「年頃の女性に言う言葉ではないですよスオウ」


 はぁ、と一つため息を付く。くだらない事をした、それでも自分にとってはとても大事な事。

 全く以て面倒な話。


 治癒していた片手を離す、先ほど程の出血は無くなったが、それでも完全に塞がった訳ではないその傷口からぽたぽたと血を垂らしならが幽鬼のごとく、リビングへと戻る。恐らく予想以上に時間が経っていたのだろう。


 がちゃり、と音を立てて誰かが部屋に入って来たのを理解した。

 焦る、慌てて血に染まった片手を背へと隠し、物陰へと潜む。が、


「……え?」


 入って来たのはスオウだった、片手には布袋、そこには色々な食材が詰まっていた。だがしかし問題はそこではなかった。そのもう片方の腕、いや肩に担ぐ様にして簀巻きにされた少年を担いでいたのだから。


「な、なにをしているのですかスオウ?」

「ん? 拉致」


 返って来た言葉はまさに正鵠を得ている回答では有ったが、求めていた答えとはやや離れていた。

 脱力しかかる体に鞭打ち、スオウを睨む。だが逆に睨み返された。


「何してる」

「あ」


 床は血まみれ、手には怪我、憔悴し切った顔でさらに格好は寝起きのまま、ややおくれてそれを理解した。


「これは、すみません」


 明らかに自分が悪いだろう、やや葛藤は有ったが素直に謝る事にした。

 何らかの追究が来るかもしれないが、沈黙を貫けばスオウの事だ、深くは聞いて来ない。自己嫌悪とともに眉間に皺がよる。

 どさり、と音が聞こえた。肩に担いでいた拉致された人物を床へと降ろし、もとい落としたのだろう。机の上には食材が入った布袋が置かれる。こちらは丁寧に置かれたが。


 そして懐から小刀が出て来た。


 何を、と問いかける前にその小刀はスオウの腕を切る。ピ、という音と同時に腕の半場が薄く切れ、肘に向かって血が垂れる。


「スオウ、何を」

「飲め」

「は?」

「仕事だ、強化できるだけ血を補給しとけ」


 そして強引に肩をつかまれ、口に腕が押し付けられる。

 

 カチン、と来た。切られた傷口、そこに態と歯を立て、ぶち、と傷を広げる。血の量は増えたが生憎とスオウはやや眉を顰めただけで何も言わない。

 喉を通り、胃へとたまるその血。朝何も食べていなかった為か、それとも。その味は甘美で、頭が痺れて何も考えられなくなる。


 ぼう、と腕が暖かい。

 喉を通る血の味、スオウへとしがみ付く様に体を寄せて血を飲む。吸血行為に過ぎないその行動が嫌悪感と同時に幸福感を与える。


「(死ねば良いのに)」


 それは自分に対してか、それともスオウに対してか。

 気が付いた時には怪我をしていた腕もしっかりと治癒されており、何も言わずに朝食の準備をしながら床の掃除まで始められている。

 

 苛立ちを感じたか、それとも疎外感を感じたか。

 何処となくいたたまれない気持ちを持つ。まるで粗相をした後に怒られるのを待つかの様な子供の気持ち。


「スゥイ」


 聞こえた声。

 びくり、と肩が震える。


「掃除が面倒だ、血は中々落ちないんだから服にはつけるな」


 そしてがくり、と肩が落ちた。


「……普通、他に言う事が有ると思いますが」


 見上げる様に見たスオウの表情はやや困った様な顔でいて、どこか遠くを見ているかの様な目で。


「特には無いな」


 そう言った。


「そうですか」


 慰めが欲しかった訳ではない、心配して欲しかった訳ではない。

 そもそもが私は彼の物なのだから、そんな感情を持つ事自体おこがましい。

 何も考えなければ良い、ただ、従っていれば良い、それのなんと甘美な事か。


 頭に手を当てて、そして目を瞑る。

 内に巣食う苛立ちは消えない、その苛立ちの意味を理解したくも無い。


 つ、とスオウの腕から血が流れ出る様な幻視を覚え、


「(気持ち悪い)」


 今度の吐き気は、噛み殺した。傷の癒えた腕を愛おしそうに撫で上げながら。


 ○


 そして話は戻る。


 ジルベールが店から飛び出した後の事。


 彼は雑踏の中へと消えた男を捜していた。遠目では有ったが見間違う筈の無いその様相は、先ほどまでジルベールがアルフロッドとの会話にあげていた人物だった。


 なぜあの男があの腕輪を持っているのか。

 なぜその腕輪が赤く――血に濡れているのか。


 わからない事はたくさん有る。どちらにせよジルベールはあの男、スオウ・フォールスを取り押さえて聞き出す事しか頭に無かった。


 誘い込まれるかの様にどんどんと人気の無い場所へと連れ込まれるジルベールは怒りでその状況がつかめていない。

 そして数分に渡る疾走の末、漸く行き止まりへとたどり着いた。目の前には背を向けるスオウ、ギリギリと拳を握りしめながらジルベールは学院敷地内にも関わらず周囲に魔素を巡らし、いつでも魔術行使が可能な状況へとして話しかけた。


「貴様ッ、その腕輪何処で手に入れた!」


 怒声、同時に我慢できなかったのだろう。周囲には下級火炎魔術が展開され、スオウを狙う。

 狙われたスオウはやや間を置いた後ゆっくりと振り返り、目を細める。


 そして貼付けた様な笑みを浮かべて告げてきた。


「一人で追跡はするべきではない、あるいは二重尾行という手を使うという方法も有るが、怒りに捕われて一人で追いかける等愚の骨頂だと思わないか、ジルベール・バルトン。先ほどの状況でベストの選択はアルフロッドに協力を申し出る事だったな、まぁそうなればそれはそれでこちらも行動を変更したが……」


 ふむ、と顎に手を当てて告げるスオウ。自分が問いかけた事に対しての答えではなく、まるで諭すかの様な言葉にジルベールはギロリ、と殺意の篭った目でスオウを見る。


「礼儀を弁えぬ下郎がッ、僕の質問に答えろ、何様のつもりだ貴様! この僕がッ、質問をしているんだッ!」


 手を振り下ろし、周囲に展開する魔術がゆらゆらと蠢く。まるで今直ぐにでも射出せんばかりに。

 脅しだ、だがその状況にも関わらずスオウは涼しい顔でジルベールを見る。


「答えないというのならこれを打つ、死なない様に祈っているんだな」


 ゆっくりとあげられる手、それはカウントダウン。まずは足を焼く、そして逃げられなくしてから手の指を折る。

 そう考えながらジルベールは周囲に展開する魔術へと意識を向ける、が。


「――!」


 一瞬で展開された魔方陣がスオウの周囲へと浮かび、同時に雷撃。リリス程の威力は無いが、ジルベール相手であれば十分な程のソレは閃光を放つ。

 その衝撃にジルベールは手で顔を覆うがどうやら自分に怪我は無い様子、と、自分の周囲に展開していた魔術が蹴散らされた事に気が付いた。


「き、貴様……ッ! 伯爵家と敵対する気か! 貴様が誰に攻撃したのかわかっているのかッ!」


 力量の差、それを目の辺りにしたジルベールはまさか攻撃してくる訳が無いと高をくくっていた為、狼狽する。

 たかが商人の息子が伯爵家に喧嘩を売る訳が無い、と。だが現実はそんな事は無く、


「五月蝿いぞジルベール・バルトン、この腕輪の持ち主が五体満足で帰って来て欲しくは無いのか?」


 くるり、とスオウの指を軸に回転する腕輪。近くで見ればより良くわかる。それはまさに血で濡れていて、その持ち主の状況が否応に理解される。


「きさまッ。外道が……! ロイクに何をした!」


 だがその返事は貼付けた様な笑み。


「き、さまぁ……ッ」


 怒りに震えるジルベールに我慢できないとばかりにスオウは笑った。


「外道、外道か? ハイム子爵を焚き付けた君が言える言葉とは思えないな。彼を焚き付ければどうなるかは予想が付いていたんじゃないのか?」

「ハッ、何の事だ? ハイム子爵の事等知った事かッ! さっさとロイクの居場所を吐け!」


 鼻で笑うジルベール。証拠等何も無い、そして何よりジルベールにとって他国の平民が一人死のうが知った事ではなかった。

 そんなジルベールに対して告げるのは勧告。


「資金援助までしておいて冷たい事だ。金貨にて20枚、随分と安く見積もられた物だライラも」

「……ッ」


 目を見開く、確かにその金額はキルフェへと貸し付けた金だ。偶然という可能性が無い訳ではない、だが動揺を与えるには十分。

 そしてスオウは続ける。


「色々喋ってくれたよ、本当に、なぁ? ジルベール・バルトン」


 誰が、とは言わない。誰も喋ってはいないのだから、スオウはただ“殺した”殺し屋の記憶を奪っただけの話。

 手に入れた情報はそこだけの物、だがそれだけで十分であった。


 しかしジルベールにとってはそうではなかった、ロイクが、あるいはキルフェのどちらかが喋ったのだと理解した。


「随分と言ってくれるじゃないか、それで? その妄想癖の続きはなんだ」


 腐っても伯爵家の息子、取引だという事くらいは理解した。

 煮えたぎる様な怒りを抑え、スオウを睨む。睨まれたスオウは再度深い笑みを浮かべた。


「これは酷い言い草だな、お願いだよジルベール・バルトン。ハイム子爵はどうにも直情的で抑えられなかった、故に暴走し、とても危険な真似をしてライラを殺そうとした。違うか?」

「……なにを?」


 くるり、と腕輪が回る。


「だが残念ながらその方法は彼では制御できず、暴走した挙げ句に死んでしまった。誠に残念ながら、ね」

「……酷い話だ」


 嫌な予感がジルベールを覆う。


「さて、その策謀に資金援助していたバルトン家は学院の転覆、帝国との繋がり、反逆者、裏切り者、国賊のレッテルが張られる訳だ」

「妄想もそこまで来ると笑えるな……」

 

 まるでソレすら全て予測済みだとでも言いたげなその言葉に。


「君の行動は加護持ちアルフロッド・ロイルに対しての敵対行為とも取れる。それは国の不利益に繋がる行動だ、それを行った君を果たしてバルトン伯爵はどうするだろうか?」


 敵対行為を取ったのはあくまでもキルフェであり、ジルベールは関係ない。

 が、しかしキルフェがジルベールを売ったとすれば話が変わる。であれば、キルフェには不幸な事故に遭って貰った方が良い。

 父が自分を庇ってくれるかは微妙であり、そしてなによりロイクまでは守ってくれないだろう。あるいはロイクを犯人に仕立て上げる可能性が高い。


 どちらにせよキルフェには不幸な事故に遭ってもらう予定ではあった。その為の“殺し屋”でもあったが為。

 学院に殺し屋が入り込んだ等と学院が認める訳も無く、もみ消される可能性が高い。そしてそれを雇ったのはキルフェであり、ジルベールには何も問題は起らない。はずだった。


「(キルフェは本当に裏切ったのかッ? どうする、どうする、くそ、くそッ。商人風情がぁぁぁッ)」


 ギチギチと握りしめられた手、爪が掌に突き刺さり、血が滲む。

 ロイクの生存の確認、キルフェが裏切ったかどうかの確認。ジルベールは既に状況が自分の手に収まらない事を未だ理解できていない。


 目の前のスオウを取り押さえて聞き出す。

 先ほどの攻防で不可能だと確定している。


 この場から逃げて教師を呼ぶ。

 ロイクの生存が確保できない。


 場を濁してキルフェを確保する。

 これもロイクの生存が確保できない。何より、キルフェの発言を信用できない。


 巡る思考、しかしジルベールは大事な事に気が付いていなかった。

 目の前に居るスオウは、ロイクの命は兎も角として、キルフェを始末するのを待つ必要がないのだという事を。

 そしてそれは、キルフェが裏切ったかどうかを確認する為の手段をなくす事でもあった。


『~~~~!』


 声が聞こえた、精神的嫌悪感を叩き付ける様な声。ぞわり、と肌が泡立ち、体が硬直する。


「ほぅ、中々のが……」


 呟いた声をかすかに拾ったジルベールは愕然とした、先ほどの笑みは消え去り能面の様な顔で声の出ていた方角を見つめるスオウは、まるで幽鬼の如く存在が希薄で不気味であった。そして同時にその意味を知る、ここまで誘い込まれた意味と、そして場所の位置を。


 キルフェが雇った殺し屋が居た場所の近くかッ!


 内で叫ぶジルベール。

 同時にキルフェが何らかの方法によって始末された事を理解した。


「さて、答えは出たか?」


 そこまで思い至るのを待っていたかの様にスオウが問いかけてくる。

 もはや時間的な余裕は無く、ジルベールの答えは決まっていた。


「貴様、正気か……ッ、あそこには、あそこにはあの女も居るのだろう! 何を呼び出したッ」

「女? さて、誰が居るんだ?」

「……ッ」

「それに呼び出したのはキルフェ・ハイム子爵だろう? 何をわけのわからない事を」


 首をひねるスオウへ殺意を募らせると同時にジルベールは関わってはいけないモノに関わってしまったのだと思う。

 交渉とは、どれだけイカレているのかを示す方が勝つなどと言った者がいたそうだが、現状がまさにソレだった。

 証言者としての価値等無く、もはやこの目の前の男の中ではキルフェが事の犯人であることが決定しているのだ。


「……外道が、貴様はッ!」

「アンタが言った所で説得力は無いな」


 肩を竦めて返すその仕草。

 殺したい、とジルベールはこの時思った。だが同時に関わりたく無いとも思った。

 理解できない存在であり、理解したくも無い存在だった。


 スオウからすれば平民の命の価値等無いとも言える様な考え方をしているジルベールの方が理解できないのだが、ジルベールにしてみれば高貴たる貴族を贄にバケモノを呼び、挙げ句にその切っ先に知人を当てる等狂っているとしか思えなかった。正直どちらも狂ってる。


「ジルベール・バルトン。元々これは乗り気では無かったんだろう? 問題は無いさ、父親に恩を売れると思えば良いだろう? この状況下で動けばバルトン伯爵は君を庇うだろうか? ここまでの大事で、事件を起こしたキルフェとの繋がりを認めるだろうか。これはもはや“アルフロッドの不祥事”では無い」


 アルフロッドの不祥事、その言葉に目を見開く。

 あり得ない、何を知っているのか、何処まで知っているのか、ギチリ、と噛み締めた歯。


 父は庇うだろうか? そんな事はあり得ない、父は此処ぞとばかりに憤慨し、責め立てるだろう。

 役立たず、と、使えない、と。それはジルベールには認められない、認める事等できやしない。


「温いと思わないか? 楔が必要だとは思わないか? 一人くらい犠牲者が出る程度の事が起きないとどいつもこいつも目を覚まさないとは思わないか?」


 だから丁度良い人物が出て来て感謝したいと言いたげなその態度。

 交渉の余地等無い、すでに決定した事を通達に来ただけという事を理解する。


「バルトン伯爵を焚き付けた人物が居る、怪しい人物だ。足を引っ張ろうとしている身内が居るのかもしれないぞ?」


 何を白々しい、とギリギリと歯を食いしばり睨み上げると同時に疑問が渦巻いて、ジルベールの中に溜まって行く。


「アルフロッドから手を引くといい、君の手に負える範疇を超えている、伯爵の方に問題が有るというのならばそれも直に納まる事だろう。事はバルトン伯爵の立ち位置にも関わる問題だから」


 そう告げてスオウはその場から飛び上がる。


「ま、待てッ! ロイクは何処だ!」

「今回はキルフェ先輩の暴走、それで話を付けた方が君の為だ」


 それは命令、断りを許さない決定事項。

 残した言葉はそれだけで、スオウは颯爽と去っていった。


 ○


 くるり、と腕輪が回る。

 “自分”の血で色づけしたその魔術刻印がされた腕輪。

 

 く、と笑う。


 まさか本当に釣れるとは思っていなかった。ジルベールが何かを企んでいたので、ロイクの記憶を覗いたが案の定と言った所。

 その付き合い方からほぼ確実に釣れるだろうとは思っていたが。


「本当に助けたいなら取引なんてしないで、同等の価値ある物を差し出すべきだったな」


 これがスゥイを攫われたとなればスオウはロイクの首を持って交渉に出るだろう。

 それこそ時間で目の一つでも抉り出すと逆に脅して。


「まぁ、殺す気は無いが」


 この時点で伯爵家に睨まれるのは良く無い。既に睨まれたとも言えるが、釘を刺したとも言える。

 最終的な手段としては他にも手が有る。


 胸元でゆれる紋章を片手で触れて笑みを浮かべる。

 使ってこその権力とは良く言った物である。が、しかし、あまりルナリア王女の力を前面に出しては互いに不幸になるだけだ。

 “女王”とてまだ立ち上がれる程の力が有る訳ではない。


 トン、と一際高い塔の上で止まる。

 遠見の魔術、学院の教師が忙しなく動いているのが見える。


「予想通りか」


 中心点、異常のあった場所を中心に円を描く様に防衛、いや逃げ出し、抜け出しが無い様に対処している。

 この事実を学院は隠蔽するつもりなのだ。


 一部には知られるだろうが、それはもはややむを得ない事。


「学院長も“貴族側の失態”で誰か死ぬ程度は飲む、か。まぁ、そのくらいじゃないと学院の長なんてやってられないよな」


 後は正義の加護持ち様に処理を任せて全て終わり。だが……、


「流石にここで放り投げる訳にも行かないし、自己満足の為の良心を満たしに行くとするか」


 チャリ、と音が鳴る。

 

 腰に回したベルトに刺したいくつもの鉄杭、その中の一つを持つ。

 黒い鉄の杭。表面にはびっしりと刻印が刻まれており、怪しく光る。


「そう簡単に死ぬなよライラ」


 バン、と屋根が弾け飛ぶ。

 ライラが死ねばアルフロッドが如何出るかは不明だ。それが事故であると処理されたとしても彼の怒りが納まるかは不明瞭であろう。

 挙げ句に主犯はキルフェ・ハイム子爵と済まされた場合、アルフロッドがカナディル連合王国の貴族に対してどう思うか予想だにしたく無い。

 そうなればリリス王女がアルフロッドを殺して終わりだろう。だが、親友が確実に死ぬ未来を見たいとは思わない。


 そして自国の加護持ちが減るのを見たい訳でもない。


 所詮は自己満足に過ぎなかったとしても。


(クラウシュラ)

(ふん、重ねがけか? あの男の体格だからこそ持ったのだぞ)

(あのお粗末な制御能力で、の話だろう。折角手に入れた技だ、実戦経験に勝る物は無いだろう)

(愚か者が、無茶をするなと何度言えば)

(無茶の一つや二つ、出来なくてそこに存在意義はあるのか)


 風を切って疾走する。

 クラウシュラの苛立ちを心地よく感じながら、罵声の声を聞いて宙を舞う。


(やれ)

(貴様を選んだのは儂の最大の汚点じゃ、筋断裂で死ぬ様な目にあっても知らんぞ)


 ――ダブル、発動。


 ぐん、と全身の筋肉が膨張する感覚。同時にその速度は一気にあがる。

 それは一瞬に過ぎない事だったかもしれないが、アルフロッドの踏み込みに達する程の物だった。


「ははっ」


 戦闘機のコックピットに乗ったかの様な錯覚に捕われる。

 景色がまるで飛ぶ様に後ろへと流れて、空気抵抗を抑える為に展開していた前方の盾が悲鳴を上げて、同時にギシギシと足から嫌な音が聞こえて関節が限界を訴える。


(ノルアドレナリン、ドーパミン放出。エンケファリン、βエンドルフィン抽出)


 ミチ、と皮膚が弾けた。

 鮮血が舞う。


「ちっ……、5秒か、これは使いどころが難しいな」


 βエンドルフィンとエンケファリン、脳内麻薬によって痛みを散らしているがそれが無くなれば激痛だろう。

 痛みがやってくる前に全身に治癒魔術をかけて目的の場所を見る。


 およそ500メートルの距離をほぼ5秒で疾走したスオウ、その速度は加護持ちに匹敵する程の力。

 アリイアの身体操作技術とクラウシュラの魔術制御能力、そして今日手に入れたブラッドの倍加身体強化魔術によって成し得たつぎはぎだらけの欠陥品。


 自分で作り上げた物等何も無い、まるで虚構の存在。偽物の作り物の生き物。奪い取った物で出来上がった異物。


(だからこそ、俺に相応しいじゃないか)


 ピン、と鉄杭を持って構える。

 既に痛みは大分納まっており、治癒魔術に使う魔素を打ち切り、再度クラウシュラへと指示を出す。


(クラウ)

(……今度は一瞬で良いのじゃな)

(射出の瞬間だけで良い、むしろそういう使い方をするべきなんだろうな)

(基礎の身体強化と電気信号による射出補正は)

(そっちは俺がやる、ダブル程度なら、な)


 懐から出すのは一つの望遠鏡、金に縁取られたそれを含めて遠見の魔術で目的の場所を見る。

 遠目に見えるのはゆらゆらと揺れる黒いローブと骸骨の顔。そして蒼髪の少女、ライラ・ノートランド。

 やや離れた場所に両断されたキルフェ・ハイムらしきモノを確認。


「上出来だ、褒めてやろう」


 二ィ、と笑いバケモノへの賛辞を述べる。

 そしてキリキリと引き絞られる体、張りつめる空気、そして――


「だが、そっちは駄目だ。生憎な」


 踏み込みと同時に屋根の一部が弾けて飛ぶ。

 音速の壁に達さんばかりの速度で放たれる鉄杭。指先の毛細血管はそれに耐え切れず弾け飛び、爪は数枚はがれて飛ぶ。

 だがしかし、その一撃はまさに必殺の勢いを持ち、目標地点へと寸分狂いなく突き刺さる。


『〜〜〜〜!』


 ここまで聞こえる悲鳴に眉を顰め、そしてもう一本次のを取り出す。

 鈍い痛みが手に広がるがスオウの表情は変わらない、2撃目の体勢へと体を動かそうとした所で、


「ライラッ、てめぇっー! うちのチームメンバーに何してくれやがる!」

「リッチッ! なんでこんな所にッ!」


 微かに聞こえるその怒鳴り声。


 その声に笑みを浮かべ、

 くるん、と手の中で鉄杭を回してベルトへと戻した。同時に行うのは治癒魔術。千切れた毛細血管が癒えて行き、剥がれた爪がゆっくりと再生する。

 

 そして再度取り出すのは望遠鏡、


「さて、と。頑張れお二人さん、アルフロッドが来るまでの時間稼ぎくらいは出来るだろう?」


 そうスオウは呟いた。

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