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月蝕  作者: 檸檬
2章 魔術学院編
35/67

儚き幻想血に染まりて地に伏せる14

4話投稿

 If you obey all the rules, you miss all the fun.

 全ての規則に従えば全ての楽しみを奪われるだろう。


 十数年前。

 木漏れ日の射す中、新緑の庭園で一人の少年がもう一人の少年へと告げる。


「お前は今日から僕の子分だ」

「はい。ジルベール様」

「ふふん、第一の子分だ光栄に思うが良いぞ」

「ありがとうございます」


 ブロンドの髪、仕立ての良い服を着込んだ少年は胸を張り、自慢げに語る。

 彼は伯爵家の長男であり、国内でも上から数えた方が早い程の地位に父親が居るため自ずと自分の立ち位置という物を理解していた。

 頭を下げて丁寧に答えるのは先日から伯爵家に仕える事になったロイクという少年だ。

 幸運にも同い年であった為か、ジルベールは彼とよく遊んでいた。同時にロイクもそれに良く付き合っていたと言える。

 傲慢ちきとまでは言わないが、貴族特有の特権階級であるという意識を強く持っていたジルベールはそれなりに無茶な事を言っていた。

 しかしながらこの時代の平民、仕える物はそれに答えるのが当然であり、義務だと考えていた為ロイクも然程苦ではなかったのかもしれない。

 

 そうして数年、彼らは共に育ち共に生きて来た。

 いつの間にか二人で居る時はロイクはジルベールの事をジルと呼び、そしてジルベールもそれを許していた。

 ジルベールの両親はそれをあまり良しとはしていなかったため、本当に二人きりの時だけだったのだが。


「ロイク、これは友情の証だ」

「いいのかジル? バルトン伯爵が黙ってないと思うが」

「ふんっ、僕が良いと言っているんだ文句が有るのか?」

「いや、無いけども……」


 渡されたそれは意匠の施された腕輪だった。魔術刻印の刻まれたソレは中央にバルトン家の紋章が刻まれており、それだけでかなりの価値がある。流石のロイクもおずおずとそれを受け取り、腕に嵌めた。


「似合っているなロイク、さすが僕の下僕だ」

「まぁ、貰えるなら……。大事にするよジル」


 結局の所それを嵌めたのはその時だけでその後ロイクは肌身離さず大切に保管しているだけだったのだが、学院に来てからはジルベールの父親の目が無い事からたまにそれを付けていた様だ。魔術刻印の効果は強化、実技講義に使うにしてもそれなりに意味が有る為ロイクは活用していた。本来であればズルとも言えるが、Aクラスの実力が無い彼はやむを得ずそれを使用していた。


 それを付けているロイクを見てまんざらでもないジルベールが居たため、双方に取ってはまぁ良かったのかもしれないが。


 ○


 ブラッドは基本事が始まる今日の夕刻まで動くつもりは無かった。

 ただ、流石に食事を全くとらないで待機しているつもりもなく、連れて来た二人の内一人に任せ朝市で適当に見繕い買ってこさせていた。

 元々持参で持って来ても良かったのだが、所詮は学院の生徒が相手であり、尚かつ数千人と住む学院の中、少々の変装で十分に誤魔化せる。

 潜入するのには一苦労だが、潜入してしまえば然程大変ではないというのがブラッドの認識だった。


 そしてそれは間違っては居ない、現に同様に潜伏しているツェツィーアとフランクもそれなりに堂々と外を回っているが気付かれた様子は無かった。


 しかしながらブラッドとツェツィーアの違いは油断しているか、していないか、という点で明確な差があった。


 血の匂いと言うべきなのだろうか、すん、と嗅ぎ慣れた戦場の気配。

 部下の一人が潜伏先に使っていた倉庫の扉を開け、その腕の一部を腐食させて転がり込んで来た時点でブラッドは状況を瞬時に把握した。


「す、まねぇ……、ドジうった……」

「ヴェルドッ、どうした!」


 ずるり、と崩れ落ちる男へと駆け寄るもう一人の男、だがブラッドは一足飛びでその場所から飛び去る。


「ちぃ、離れろ!」


 叫ぶ声は既に遅く、倒れた男を抱え上げた男がブラッドの方を見た瞬間、その腕の中に居た男の背、そのローブに隠された様に差し込まれていた金盤が視界に映り。


「ぎゃぁぁぁッ」


 バリバリ、と音を鳴らして雷撃が走る。時限製魔術刻印、そして同時に放電によって硬直した男の両足へと鉄杭が刺さる。悲鳴、そしてジュワ、という異質な音と匂い。腐食の刻印が刻まれた鉄杭だ、もはや足は使い物にならないだろう。放電によってほぼ半死半生になった男と、足を潰された男。ブラッドの部下二人は一瞬にして無力化されていた。


「(ち、学院の教師か!? どうなってやがる、あのクソ貴族裏切りやがったか!?)」


 腰に吊るしていた剣を抜き構え、半開きのドアの入り口を睨む。身体強化は既に済んでおり、その体は淡く光る。

 曲がりなりにも歴戦の殺し屋の一角。神経を尖らせ、姿を見せぬ襲撃者へと意識を傾けていく。瞬間、バンと開かれる扉と同時に倉庫の中に閃光が走る。

 研ぎすまされて行く感覚、そしてチリ、と首筋に違和感を感じたと同時に後ろへと振りかぶり剣を振り抜いた。


 ギン、という一際甲高い音と同時に現れたのは剣。空中から切下ろす様に振り下ろされた剣をブラッドは自身の剣で受ける。


「甘めぇッ! その程度で俺様を切れるかよっ!」


 この瞬間まで僅か数秒、ブラッドは襲撃者を視認する。


「(餓鬼、だと?)」


 少年から青年の中間というべきだろうか。その背の高さからして大人とは言えないその様相にブラッドは目を剥く。


「へぇ」


 だが、姿形が少年だとしても、この目の前に居る存在が襲撃者であるという事は違いは無い。

 相手が漏らした声に隙を見つけ、その体格を利用した一撃を相手へと放つ。


「らぁッ」


 が、そこに有ったのは雲を掴むかの様な軽い手応え。繰り出した肩による一撃はくるりと宙を飛ぶ様に後ろへと下がる事によって衝撃を逃がした様だ。

 トン、とまるで猫の様な身のこなしにブラッドは目を細め、どこかで見たかの様なデジャブを感じる。

 ゆらゆらとその片手に持たされた剣は不気味に揺れて視界の端に映る。


 薄暗かった倉庫ではあるが、開け放たれた扉によって入って来た光でその襲撃者の様相を明確に表す。

 だが、その襲撃者は黒いローブを羽織っており、その顔までは見えない。だが所々見えている場所からして男であること、そして学院の生徒達と同じくらいの年齢である事が解る。


「へっへ、餓鬼が一人紛れ込む、とはねぇ。命知らずか? あぁ”? 何もんだ」

「今から死ぬ相手に語る必要も無いだろう?」


 同時に疾走、掻き消える様に少年は視界から消え失せるが、ブラッドとて伊達ではない。

 長年の勘で振り下ろす剣の先にはその少年、同時に一際激しい金属と金属の打ち合う音が響き、火花が散る。

 そしてそのまま振り下ろし両断しようとするが、その前に少年は後ろへと下がり、そして――


 銀閃が走った。


「な――」


 ピ、と切り裂かれる皮膚。放たれた銀閃は3つ、やや離れていた事が功を奏したか深手にはならなかったもののその腕には浅く赤い線が刻まれ、一拍遅れて鮮血が舞う。


「餓鬼、てめぇ、その技……」

「くくく、いや、本当についている。“記憶”に有ればその動きを予測するのは容易い。自分の組織を半壊させた者と同じ技で死ぬんだ、光栄だろう?」


 ギチリ、とブラッドは歯を噛み締めた。

 見間違えようも無い、スイルの内乱で暗躍していた時期に襲撃を受けた相手と同じ技。そう、あの鮮血と同じ技だ。


「餓鬼ぃ、てめぇ、そいつ何処で教わった?」


 返答は一撃。

 

 ゆらり、と剣が揺れる。ふらふらと揺れる剣は一寸の後に消えて銀の閃光のみを放つ。

 肩が切り裂かれる感覚を感じながらブラッドは壮絶に笑った。


「餓鬼ぃッ! その四肢刻んで、嫌でも喋らせてやるッ、仲間の恨みを思い知れ! 死ねやぁぁぁぁッ!」


 一際大きく輝く全身の光。身体強化の重ねがけ、後を考えぬ暴挙。だがその増減幅は無視できる物ではない。

 ミチミチと音を鳴らして筋肉が膨張し、それはもはや傍目からでも解る程の状況、それに対する少年は薄く笑う。


「中々に良い素材だ、これは期待できそうだな」


 トン、と宙を舞う。同時に放たれるのは雷撃。バチリ、と鳴るがブラッドはそれを片手だけで振り払う。


「効くかぁぁぁぁッ!」


 ぶすぶすと片腕から僅かに煙を出しながらブラッドは疾走する。狭い倉庫の中、その巨大な体格も相まってほぼ2歩でその少年の元までたどり着いたブラッドは渾身の力を込めて振りかぶる。剣で抑えようともその剣ごと両断する程の力。


「死ねッ!」


 ミチリ、と両腕に力が篭る、後は振り下ろすだけ、と言う所でその少年の口から何かが飛び出す。

 ぶすり、と見開いた目に突き刺さるのは小さな針。口から吹き出す様に出て来たその針は寸分狂いなくブラッドの両目を潰す。


「がぁッ」


 振り払う様に剣を振るう。しかしそれは当たらない。開いた片腕で両目に治癒魔法を行うがざくり、と今度は足に何かが刺さる感覚が全身を巡る。


「ぐぉぉッ」


 振り払う様に剣を薙ぐ。だがまたそれも当たらない。血に濡れた目、やや回復して来た視界はぼやけており、少年の姿は映らない。

 だが、声は聞こえた。


「人間の抵抗値は体表1キロΩとされているが、その外皮を取り除いた場合の抵抗値は極端に落ちる。まぁ直接ぶっさした鉄杭に電撃を加えた方が良く効くという話だ」


 バチバチと音が鳴る。


「さらにいうなれば雷撃という物は空気中に放つというのは極端に効率が悪い。空気抵抗値を考慮した上でアレだけの威力を出せるリリス王女は流石は加護持ちだと感心できる所では有るが、ね」


 ぐず、と足に刺さった鉄杭がさらに深く刺さり。


「電撃ってのはこうやって放つのが一番効率的だ」


 バチン、と足が弾ける様な感覚と同時に全身を覆う激痛。一瞬にしてブラッドは意識を飛ばした。

 そして少年はその倒れた男の頭をつかみあげて――


「さぁ、奪え、クラウシュラ」


 二ィ、と笑いそう告げた。


 ○ 


 朝、一仕事終えたスオウが部屋へと戻り違和感に気が付いたのは、朝食の準備をしようと思った所だった。

 血に濡れた鉄杭を水で洗い流し、綺麗にした所で漸くとも言えるのだが。その違和感は一つ、未だ起きてこないスゥイに対してだ。

 

 流石に年頃の女性の部屋に無断で入るつもりも無いスオウは取り敢えず朝食を準備して椅子に座り待っていた。

 だがしかし、講義の時間も考えると流石にそろそろ起きないわけにはいかないだろう、とスゥイの部屋をノックしようとした所でのそり、とスゥイが顔を覗かせた。腹を軽く抑え、眉間に皺を寄せたスゥイは明らかに不機嫌であり、その姿を見たスオウは一つため息を付いてスゥイをベットへと押し戻した。 


「風邪、か?」

「……すみません、体調管理を怠りまして」


 横たわるスゥイは珍しく弱々しく、そして額に当てた掌は体温が僅かに高い事を示している。

 とは言え毎日スゥイの体温を計っている訳ではないので自分の体温と比較しての話なのだが。ただ単に平熱が若干高いという可能性も有る。


「微熱、か……? 喉は痛いか?」

「いえ、ですが軽い頭痛と腹痛が……。動けない程では有りませんが」


 気怠げな表情でスゥイは答える。頭痛と微熱、風邪だと思うのだが、腹痛、か。いや、風邪も腹痛は十分にあり得る訳で……。

 どちらにせよ滋養が付く様な物を今日は作ってやるかと思い、席を立つ。と、同時にスゥイから声をかけられた。


「スオウ、講義は……?」

「今日は休みだ、別に出る必要性を感じていないしな」


 正確に言えばやる事がたくさん有るので出ている余裕は無いとも言えるのだが。


「すみません」

「なんだ、今日はやけに素直だな」


 思わず苦笑してスゥイを見下ろす、すると憮然とした表情が目に映った。自分でもそう思ったのかは知らないが、昨日今日とて感情の揺れ幅が大きい。年頃の女性とは皆このようなモノなのだろうかと思いながら部屋を出る。


 スゥイの為にいつも通りの朝食ではなく、食べやすい物でもないだろうか、と魔術刻印が刻まれた金盤を張られている冷蔵庫を見ると思ったより無かった。

 不幸にもうちには二人余分に食い扶持が居るため、食料の消費が激しいのだが……。


「チッ、ブランめ作っておいたプリンを勝手に食ってやがる」


 冷蔵庫の隅に数個置いてあったプリンが2個減っているのを確認し、悪態をつきながら冷蔵庫を閉めた。


「俺はお前らの寮母か、ってな」


 はぁ、と溜め息を吐き、しかしながら同時に前の人生でこの長さの生を謳歌していたのならば35歳程度、であるならば子供の一人や二人居てもおかしくは無い。女の子供が三人、そこまで予想して手間がかかる事を理解した。


(随分とデカい子供だな)

(……スオウ)

(なんだクラウシュラ)

(いや、なんじゃ、そうじゃの、スゥイの事じゃが……。もしかしたらアレじゃないかの?)

(む?)


 久しぶりに自分から声をかけて来たクラウシュラに疑問符を投げかけたがどうにも煮え切らない。

 顔は見えないというのに眉を顰めて悩む表情が予想できる程だ。

 訳の分からない行動は今に始まった事ではないので、思案するのもそこそこに放り出し、部屋に居るスゥイへと声をかけた。


「スゥイ、少し出かけてくる。なんか精のつく物を買って来てやる。希望は有るか?」


 僅かにドアを開けて横たわるスゥイへと声をかけたつもりが、その本人はベットから起き上がり頭を抱えてため息を付いていた。


「どうした?」

「いえ、そうですね。出来れば小一時間程出ていてくれると大変助かります。食材は任せますので」

「……まぁ、構わないが」

「私とした事が迂闊でした、初めてだったのでこれがそうでしたか。ライラから聞いてはいましたが……」


 顎に手を当ててぶつぶつと何事か唸るスゥイを怪訝に思うも出て行けと言わているので出て行く事にする。


(俺の部屋なんだが……)


 僅かに思う疑問も今更の事でもあり、僅かなため息とともに頭の隅へと追いやる。


(恐らく予想通りかと思うのぅ、年齢的にも今までこなかったのが不思議だったしの)

(うん?)

(女性特有の月一のモノじゃよ)

(……あぁ、成る程)


 道理で血の匂いが僅かにすると思った。

 吸血族である彼女、昨晩飲んだ自分の血かとも思ったのだがどうやら違った様だ。


(うぅん、となると困ったな。どう対処すればいいのやら)

(腰を暖めて暫く安静にしておるしかなかろう、スゥイ嬢のは中々辛い様じゃからの)

(14歳だろ? あまり触れられたく無い可能性もあるだろうし。まぁ、取り敢えず精の付く物を食べさせる程度でいいか)


 余計なお世話とやぶ蛇になっても困る訳で、こんな事を理由に部屋に気まずい雰囲気が流れても笑えない。

 リリスもブランシュもそれなりに鋭いのだ、気が付かない振りをして体調が戻る事に期待するとしよう。

 何より、風邪であるという可能性も無くなった訳ではない為に。

 

 そう自分で完結したスオウは一つ手を振り、壁全ての魔術刻印を起動させた後、玄関の扉を開けて外へと出る。


(後片付けと用事もあるしな)

 

 奪った記憶とその行動の先、動く相手を思う場所へと。


 キィ、と音を立てて木製の扉は閉じられ、そして同時にスゥイはゆっくりと扉を開き、リビングへと出てくる。そして呟いた。


「血の匂いをさせ過ぎです、スオウ……」


 頭痛を堪える様に頭に手を置き、トイレへと駆け込み吐いた。

 

 ○


 夕刻、講義が終わりそれぞれが寮へと帰って行く時間。ジルベールは悪態をついていた。


「ロイクの奴どこへ行った、僕を置いて勝手に動くとは」


 チッ、と舌打ちをする。

 やや閑散とした教室にはもう数名しか生徒が残っていない。今日のタイミングを逃せば後はまたどうなるかわからないというのにロイクは一体何をやっているのか、と。

 先ほどトイレへと出かけたまま戻らないロイクに苛立ちを隠せないジルベールは、帰る支度をしていたライラへと声をかける女生徒数名を確認して更に再度舌打ちをした。


「(チ、もう動いたか。まぁ、いい、あれだけ金を出してやったんだ失敗してもらっては困る)」


 ライラ・ノートランドは友人が少ない。それは近くにアルフロッド・ロイルが居る事による嫉妬心が大きいだろう。

 また、他国のヒトであり、翼人、そして貴族ではないのだ、割と孤立しやすい環境に有るとも言える。

 だから、友人になりたい、なれるかもしれない、という可能性を孕む誘いを断れるとは思っていなかった。

 案の定目の前のライラは怪訝な顔をしているアルフロッドを他所にその女生徒達へと付いて行った。更に都合がいい事に、シュシュ・エル、そしてカーヴァイン・イーエルも教室から出て行く。恐らくBクラスの女に会いに行くのだろう。


「(馬鹿な女だ、まぁこちらにとっては都合がいい。後はキルフェに任せれば良いとして)」


 こちらはこちらでアルフロッドへと接触をするか、とジルベールは席を立った。


 スオウ・フォールスとアルフロッド・ロイルの仲が不仲なのはほぼ周知の事実だ。

 厳密に言えばアルフロッドが一方的に避けているという印象を受けるが、正直な話殆どの貴族にとって好都合であり、ソレに対して特に誰も言わなかった。そして当然、ジルベールにとっても都合が良かった。


「こんにちはアルフロッド君」

「おう? あ、あぁ」


 腕を組んで思案していた所に声をかけた為か、やや間があって返事を返したアルフロッドはどうにも要領を得ない返事であり、ジルベールは僅かに苛立ちを感じた。


「(ちっ、これだから田舎育ちは。礼儀がなってない、加護持ちだから声をかけてやっているというのに伯爵家を舐めてるのか)」


 当のアルフロッドは目の前に居る男が誰かすらうろ覚えなのだが、ジルベールにとっては伯爵家の男を覚えていない事等あり得ない、という認識で声をかけていた。その齟齬が後ほどジルベールに更なる屈辱を産むのだがこの場では置いておく。


「話に聞く加護持ちと是非友好を結べれば、と思って、な。伯爵家と関係が結べるのは君にとっても大いに有用だろう? 時間を作りたまえ、僕の勧めの店に連れて行ってやろう」


 僅かに笑みを浮かべてアルフロッドへと問いかけるジルベールに対してアルフロッドは僅かに逡巡した後、


「いや、すまねぇ。ライラを待ってなければならねぇから。また今度な」

「き、君ッ……。いや……、何でも無い」


 ピキリ、とこめかみに青筋が浮かぶジルベール。伯爵家の長男からの誘いを断るなんてありえない、という思いと同時に相手は加護持ちであるという葛藤、普段であれば罵声を浴びせかけ、ロイクが抑えるべき場面であったが幸運にもこの時はジルベールが一人でそれを抑える事が出来た。


 一つ、そして二つ、息を吐く。

 

 ややあってジルベールは相手が田舎者である事を再度思い出し、そして其の為この場で切るつもりは無かった予定のカードを切る事にした。

 顔を寄せてジルベールはアルフロッドへと囁く。


「そうか、それは残念だ。その、だね。そのライラ君の暴発事件に付いてすこし知らせておきたい事が、犯人の予想がついて――」

「何だってッ!」


 ガン、と音を立てて席を立つアルフロッド。同時に発したその声に僅かに残っていた生徒達がこちらへと視線を向ける。

 その状況に慌てたジルベールはアルフロッドの前で手を振り、


「静かにッ、あまり騒がれたく無いだろう……。だから内密に話をしたいんだ」

「……わかった、頼む、何でも良いんだ教えてくれ。明らかに細工されてたんだ、どこのどいつがッ」


 ミシリ、と空間が僅かに揺らぎ、加護持ち特有の膨大な魔素が揺らめいた事にジルベールは僅かに鼻白むが、同時に内心で微笑んだ。

 ライラの事件で行き詰まっていた事など直ぐにわかった。そもそもがあの破片を倉庫へと入れたのはジルベールもといロイクだった。

 明らかに細工された杖の破片を学院がそのまま大人しく倉庫へ戻す訳が無い。

 貴族連中から睨まれるのを懸念して無かった事にするか、あるいは借りとして学院側で厳重に保管するかのどちらか。

 無造作に置いている訳が無い。


 そしてアルフロッドの様子から既に破片を確認している事を確信したジルベールは次の段階へと進む。


「その辺も含めて話が有る、付いて来てくれ」


 そして背を向けて歩いて行くジルベール。アルフロッドはやや迷いを見せていたが、数秒後その後に付いて行った。


 ○


 所謂カフェと呼ばれる存在はカフェ、cafe、つまりはコーヒーを出す所をさす訳だが生憎とこの世界ではまだコーヒー豆は見つかっておらず、出てくるのは紅茶、果実水ジュース、あとは酒類である。(コーヒー豆に関しては実際には見つかっており、スオウが認識していないだけかもしれないが)

 しかしながら、洒落たテラスを造り、軽食を出すその店はなぜかカフェ、と呼ばれていた。最初の命名の時にカリヴァの隣でスオウが呟いたのが始まりだとかそうじゃ無いとか諸説は諸々有ったり無かったりするのだが、兎も角その店はカフェと呼ばれる場所だった。


 緑とオレンジを基本としたやや明るめの外装と、日を上手く取り入れて尚かつ夏が暑いカナディルにとって風通りが良い様に設計されたその場所は、学院の生徒のみならず、貴族も稀に利用する場所であった。大抵は庶民と同じ場所で食事等、と言う物も多く、別に高級な場所を作ったのだが。ちなみに今ジルベールが座るその場所はその別に作られた高級店であった。


「どうかね? この様な場所来た事は無いんじゃないか?」

「あ、あぁ、いや……。スオウと何度か来た事有るが」

「……な。そ、そうか」


 自慢気に語ったジルベールを叩き潰さんが如く返したアルフロッド。アルフロッド本人は特にそんなつもりもなく、ただ事実を述べただけに過ぎず。


「中央都市に来てからかね? まぁ、物珍しさに多少無理するのはわかるが、ね」

「いや、クラウシュベルグで何度か」 


 続けられたジルベールの言葉にもアルフロッドは素でそう返す。

 そもそもこの店の走りはクラウシュベルグであり、正直な所彼にとって別に珍しくも何ともなかった。

 ただ、案内されたこの場所は無駄に意匠が凝らされており、内装もなんだかごてごてしており、流石のアルフロッドも無駄に金が使われているなぁ、くらいには思っていたのだが。


「(ふん、背伸びしたい年頃か……、まぁ、いい)」


 一方ジルベールはクラウシュベルグで行った事が有るという言葉でこの男は嘘をついていると思った。

 クラウシュベルグと言えばど田舎もど田舎、最西端に位置しており、数年前までは自治都市として存在していた街だ。

 そんな所にこの様な物が有る筈が無い、と考えた。確かに塩の件、蒸気船の件、様々な点で有名になったとはいえど、流石に中央都市程栄えている筈が無いと考えていたのだ。その齟齬に彼がこの場で気が付く事は無いだろう。


 兎も角、そんな事でいちいち時間を取られていては本来の目的を果たせないため、やや乱暴に椅子へ座り店員に注文を告げた後ジルベールは早速とばかりに本題へと入った。


「あの杖、明らかにおかしかったのは気付いていたか?」


 神妙な顔をして告げるその言葉、アルフロッドはやや胡散臭いものを見る様な目でありながらも、僅かながらの情報でも得ようとその話を聞く。


「杖に細工できる者は限られている。一番可能性があるのは教師だが、恐らくこれは無い。何故ならば利点が無いからな、折角チームがまとまっている状況で態々問題を起こす必要性が無い」


 むしろ学院の管理不行き届きで大問題になる可能性が高いのでこれは無い。


「では次に考えられるのは部外者、だがしかしこれも可能性としては限りなく低い」


 学院に潜入するのは大変な労力を伴う。伊達に最高峰と謳っている訳ではないのだ。ツェツィーアでさえ、内部協力者が居て何とか潜入出来た程なのだから。


「となると、残りは」

「生徒だってんだろ、そのくらいわかってる」


 順序だてて喋るジルベールに苛立ちを隠せずにさっさと答えを出せとばかりに告げるアルフロッド。

 その態度にジルベールはまたもや苛立ちを募らせる。


「ではその生徒であれほどの刻印を刻める物は居るかね?」

「……さぁな」

「気が付いているんじゃないか? あれほどの技術を持つ者を、同郷ならば良く知ってる筈だ、学年主席の彼だよ」


 大仰に手を広げて告げるジルベールは笑みを浮かべていた。

 そして更に続ける。


「元々仲が悪かったんだろう? その為に多少嫌がらせをしてもおかしく無いんじゃないか? 怪我をしない程度の事なら問題ないと踏んだんじゃないか?」


 本来は怪我をさせる予定だったその件も、結果的に怪我をしなかった。しかしジルベールにとってはどちらでもよかった、むしろ怪我をしなかった方がより真実味が出るのではと思った程だ。


「利点は?」

「は?」


 不信感を植え付けようとして告げたその言葉に対してアルフロッドから帰って来た答えはそれだった。

 そしてソレを発したアルフロッドの顔はやや呆れた目。やや間を置き、何を問われているかを理解したジルベールは更に言募る。


「利点だって? ははっ、何を言ってるんだ、気に入らないからじゃないのか? さらにあの男はリリス王女と同班! 対抗馬とも言える同じ加護持ちである君たちに何らかの行動をしてもおかしく無いだろう!? 学年主席にしがみ付いていたいのだよあの男は! がめつい商人の家の出らしいじゃないか」


 がめつい商人の出の連中であれば、自分達の利益の為ならば他者を蹴落とし、引き摺り下ろすのは当然。

 そんなことを言わなければわからないのか、とジルベールは憤慨し、それをアルフロッドへと告げる。

 だが、その言葉にアルフロッドはもはや話す意味が無いのだと知った。


「無いな……」


 ため息とも取れる言葉。それは、幼少からスオウと共に居たからこそわかるその価値観。


「お前はスオウを知らない、正直、その“程度”の事であんな事はしない」


 軽く頭を振って告げる。それに激昂したのはジルベールだ。


「その程度……? 何がその程度だと言うのだ!」

「だから学年主席とかそんなのだよ。アイツにとってそんな事些事にしか過ぎないだろうさ、そんな事でアイツが動くとは思えない」


 それに、とアルフロッドは続けて内心で思う。

 スオウなら、きっとこんなわかりやすい手を使うとは思えない、と。


「……なん、だと……!」


 一方それを告げられたジルベールは怒りに震えていた。

 ガン、と叩き付けられた手は白くなる程に握りしめられており、その目には怒りと、そして嫉妬が見え隠れしている。


「(巫山戯るな、ストムブリート魔術学院の主席がその程度? この伯爵家の僕がどれだけ努力してここに入学したと思っている、その最高峰をその程度? その程度だと!)」


 目の前に居るのが加護持ちでなければジルベールはその内情をとどめる事無く吐き出していただろう。

 だが相手が加護持ちであるという事でなんとかそこは思いとどまっていた。

 しかしながら同時にスオウ・フォールスという男に対しての敵愾心が更に高まっていた、商人の息子の分際で学院の主席になり、挙げ句にその程度と考えているという。もはやジルベールにとって許される事ではなかった。

 

 だが……、


「(落ち着け、今動いた所でたかが知れている。今はまだこの男にスオウ・フォールスに対する不信感を少しづつ植え付けて行けば良い。そうだ、僕は伯爵家の者だ、言ってわからない筈が無い。田舎育ちだから多少理解が遅いだけだ)」


 だから何度も話せば良いのだ、とゆっくり、ゆっくりと怒りをおさめて行く。

 その様相をアルフロッドは僅かに困惑しながら見ていたが、ややあってジルベールへと口を開く。


「なぁ、話はそれだけか? すまねぇがライラを待ってなければならねぇんだ、他にも情報があるなら教えてくれ」


 がりがりと頭を掻きながら告げて来たその言葉に、取り敢えず落ち着いたジルベールは思考を巡らせ、取り敢えず今は疑心を植え付ける事に専念する事にした。


「先ほども言ったが……。君がその学年主席の彼をどれだけ知っているか知らないが、疑う事を覚えた方が良いと思うよ。誰だっていつまでも同じとは限らない、何が切っ掛けでヒトが変わるかわからない、違うかね?」

「……ッ」

 

 その言葉に今度はアルフロッドが眉を顰めた。

 コンフェデルス連盟での件は未だ記憶に新しい。あの時スオウがよくわからなくなっていた、だからこそ仲違いしたのだから。

 まさか、もしかしたら、あるいは、そういう思いが出て来ても不思議ではない。

 疑心を植え付ける、という意味ではジルベールの手法は間違ってはいなかった。

 ただ、あえて言うならば、彼には時間が足りなかった、そして相手が悪かった。あとは、経験が足りなかったとも言えるだろうか。

 眉を顰めたアルフロッドに思い当たる所が有るのだと確信したジルベールは此処ぞとばかりに詰め寄ろうとした瞬間、アルフロッドの後ろ、その窓の外に居る人物を認めて目を見開いた。


 くるり、と突き立てられた男の指を軸に回転するのは刻印の刻まれた腕輪、遠目で明確に確認は出来なかったがその腕輪は間違いなく数年前にロイクに渡した物。それが、赤く塗れていた。


 直ぐに雑踏へと消えて行くその男、ガタン、と音を立ててジルベールは席を立った。


「? どうかしたのか?」

「……いや、急用を思い出した、続きは後日また話そう」

「は? いや、まてよお前が呼び出したんだろ? そりゃねーだろ」

「うるさいっ! いい加減にしてもらいたいッ。加護持ちだからと言えど僕は伯爵家の者だぞ! 先ほどから何度となくッ。……まぁいい、兎に角僕は急いでいる、失礼するッ!」


 バン、と乱暴に銀貨を数枚机の上へと叩き付けたジルベールは焦りを隠そうともせずに出口へと走り、外へと出て行く。

 残ったのは唖然とした表情のアルフロッドのみ。


「何だってんだ、一体」


 呟かれた言葉に応える者は居ない。

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