儚き幻想血に染まりて地に伏せる7
The more we study, the more we discover our ignorance.
われわれは学べば学ぶ程、己の無知を知る。
魔素とは結局の所なんでもできる便利素材である。
スオウは最初そう位置づけた。というよりそう仮定したという方が正しいか。
この世界に来た時に教えてもらった魔法、魔術と呼ばれる物はおおよそ自分の想像できる範囲の物ではなかったからだ。
しかしながらクラウシュラに教えてもらう事によって魔素、そして魔法、魔術にも一定の法則がある事を知った。
以前スオウが魔法とは電子回路に似ていると言った事があるが、あながち間違いではない。
魔素は電気、回路は施行者、途中に挟むコンデンサや抵抗は魔方陣である。どんなに立派な魔法を使用しても回路が切断されていれば現象は発生しないし、そも、それを発生させるだけの魔素が無ければ発生、起動すらしない。そしてコンデンサと抵抗の値を間違えれば発生しないか、予想外の現象が起きる。つまり魔方陣が壊れる。
スオウが電子回路と称したのには他にも理由がある。
所謂回路が太い、それらが加護持ち。
しかし彼らは回路が太いだけであって、コンデンサや抵抗値は特注品ではないという事だ。
膨大な魔素を回路が太いからといって無理矢理流せばコンデンサや抵抗値はショートして使いものにならなくなる。
不思議に思ったのはそこだ、ではなぜ、アルフロッドは馬鹿みたいな身体強化が使えるのか? そしてスオウはまだ見ていないが、リリスのあり得ない程の電撃魔法はどう説明がつくのだろうか、と。
そこでもう一つ仮説を立てた。
加護持ちには二つ名がある。アルフロッドであれば守護、そしてリリスであれば迅雷。
つまりそれは、その名称における概念に相当すると思われる専用のコンデンサと抵抗値を積んでいるという左証ではないだろうか、と。
故に、その分野においては圧倒的な力を誇る。だがしかしそれ以外の分野では一般と同等、あるいは少々上程度なのではないか、と。
とはいえど驚異的な魔素、膨大な量の魔素を用いた戦闘方法が馬鹿げたレベルである事には全く以て変わらない。しかしながら、彼ら彼女らはヒトという枠組みを逸脱しているが、ヒトという基本機構は失っていないのではないだろうか、と推測した。
クラウシュラは答えた、その通りだ、と。
○
ノックを2回それを2回繰り返し。木製の扉を拳の甲で叩きながら返事を待つ。
場所は学院長室の前、先日会えなかった学院長との面会である。
残念ながら教室まで教師が呼びにきて、茶菓子でもてなされながら学院長自らが御出でになってくれるというVIP待遇ではなく、基礎講義の終わりに伝言だ、とばかりに言われた言葉に従い来たまでに過ぎない。
幸か不幸か先日会ったゴーザという教師に会う事は無かったので助かった反面、嫌みの一つでも言えなかったのは悲しいな、と一人ごちるスオウ。そんな事を考えていた所で部屋の中から返事が返り、一言告げて扉を開けた。
思ったよりも軽かったその扉を開けた先には20畳も無い程度の部屋が広がっており、カナディル連合王国学院長の部屋としては狭いのではないだろうかと思わないでも無い。その部屋は両脇におかれた天井まで届く棚に並べられた書物と中央におかれた簡素なテーブルがおかれているだけで、他には何も無い。よく見ればその下に敷かれている絨毯にびっしりと侵入者防止用の魔術刻印が刻まれていたりするのだが、生憎とスオウはそこまで気が付かなかった。とはいえ侵入者防止用の何らかの仕掛けはあるんだろうな、程度には予想を付けていたが。
部屋へと一歩、そして正面に座る白髪白髭の初老の男性と目が合うと同時に深々と頭を下げて名乗る。
「初年度Aクラス、スオウ・フォールスです。お呼びとお聞きしまして参りました」
「同じく、スゥイ・エルメロイです。失礼致します」
僅かに横に逸れてスゥイを入室させ挨拶が終わると同時に、初老のその男性、学院長がゆっくりと立ち上がり、目の前にあった質素なテーブルを指す。
「良く来てくれたの、すまんがそこに座って貰えるかね?」
自慢の髭なのだろうか、その見事な白髭を撫で付けながら座り込む学院長を確認し、その対面へと座る。
座ると同時に学院長の秘書だろうか、40近い女性が一人、スオウとそしてスゥイの前に飲み物を置いていく。僅かに香る匂いから柑橘系の果実を使ったジュースだろう。表面に付いた水滴から恐らく十分に冷やされていた物であろう事が予想できる。
その飲み物に礼を告げながら前を見る。目が合うのはストムブリート魔術学院代21代目ゼノ学院長。時空間干渉を可能とする魔法を使えるとされるカナディル連合王国でも有数の魔術師。しかしながら年齢による体力の問題も含め、実践で考えれば随分とそのレベルは下がるだろうが、その英知は本物。
恐らく、魔法、魔術に関して、表面化している知識“だけ”見ればカナディル連合王国で“2番目”に知識を有しているヒトだろう。
目の前の学院長は同じ様に出された飲み物を少しだけ口に含んで、そして話しだした。
「昨日はすまなかったの、どうにも血気盛んな教師でのぅ。規則を逸脱する事を嫌うんじゃよ、すまんがあまり気にせんでくれんかの」
「こちらとしましては先日の件で学院長に無駄な時間を使わせてしまったのではと思っていましたので。むしろこちらがお詫びする立場かと思っていましたが、そうであると言う事でしたら構いません」
「ほっほ、すまんの。それと、じゃの? 確かスオウ君、君だけ先に一人で、と伝えておいたはずじゃったのだが」
「? いえ、学院長室に来てくれと言われましたのでその通りに来たのですが。スゥイも同席ではまずいでしょうか? 何か問題でも?」
「いや、そうじゃな。特に問題はないかの」
ふむ、と一つ頷いて問題ないと判断したのだろう、ゼノはスゥイを一瞥しただけで特に同席する事に対して文句を言う事は無かった。
それ自体に然程問題が無かったか、あるいはここで揉める必要性を感じなかったかはその表情からは読み取れない。
ゆっくりと髭を撫で付けたゼノ学院長はまずは、とばかりに世間話を始めた。
入学の祝辞、学院の様子、生徒達との関係、今後の希望、将来の夢、どれもがどれも典型的な世間話に過ぎず、それに対してスオウは薄らと笑みを浮かべながら無難に返事を返して行く。
15分か、あるいはそれよりもう少しか、大凡の話を終えた学院長は本題、とばかりに口火を切った。
「では、の。スオウ・フォールス君、入学試験主席まずはおめでとう、と。本来であれば入学式当日に壇上で祝辞とその証であるこの銀の腕輪を渡すはずじゃったが……、不在の件は、まぁ、よい不問としよう。遅れてしまったが、今渡そう」
「ありがとう御座います。ありがたく」
話の途中で秘書が学院長の机の上にあった一つの包みを持ってきており、学院長の横へと置かれていたそれを手渡しでスオウは受け取る。さして将来に大きな影響を与える程の物ではないが、こういった物も箔の一つになる。ストムブリート魔術学院の紋章が刻まれた銀の腕輪、周囲には細かく意匠の凝らされた刻印が刻まれているが、それほど有用な物ではない。当然戦闘に使える様な代物ではないのだが、その出来映えと刻印の美しさは流石はストムブリート魔術学院だと思わせる程。
「(これはこれで、貴族の一部から嫉妬を受けそうだな)」
ちらり、とその銀の腕輪を一瞥しながらスオウはそう思う。
社交界の自慢の一つ、親が使う自慢の一つ。それをどこぞの誰とも知らない商人の息子が掠め取ったのだから予想するに容易い。
とはいえ、スオウにとってはそんな事はどうでも良く、形だけではあるが、謝意を延べた。
「ふむ……、それで、じゃのスオウ君」
「何か?」
「加護持ちのチーム編成をお主が決めたと聞いたのじゃが、本当かの?」
「えぇ、それが何か問題でも?」
「何も問題は無いのじゃが、アルフロッド・ロイル君とは同郷じゃったの? 友人かのう?」
僅かに細まる学院長の目。それに対してスオウは首を傾げる。
「それがなにか?」
「いや、そんな事は無いんじゃが、友人であればお主と同じチームにするんではないかの、と思っただけじゃよ」
そしてほっほ、と笑う学院長。それに対してスオウはく、と笑った。
情報を引き出したいのはわかる、が少々強引すぎる。子供相手だと高を括っているのか、あるいは、そう思われたい、かだが。
僅かに思案するスオウ、そしてスオウは相手の手に乗ってやる事にした。
「問題ないのではないですか? そちらの予想した通りのチーム編成になったかと思われますが。あえて言うなればリリス王女が入らなかった事ですが、情報は入っているのでしょう? アルフロッドとリリス王女を一緒の班にするよりは、無難な結果かと」
学院長の目が更に細く、そして僅かに残っていた笑みが消える。
「あのカーヴァインという少年はAクラスには少々厳しい物がある。シュシュと呼ばれる少女は不明だが、妥当な所でBクラスでしょう。しかし、あの二人は後ろ盾が無い、カーヴァイン、シュシュ、ライラ、アルフロッド、リリス、あたりが予想でしたか? 多少なら無理を言ってBクラスのロッテを含めて6人編成で許可をしても良い訳ですしね。なんせ例外の加護持ちですから」
「どうしてそう思うのかね?」
「さぁ? どうしてでしょうか、学院も色々と調整が大変そうなので手伝っただけに過ぎませんよ。それ以上他意はありません」
「ふむ……」
仲違い、いや、もはや災害とも言えるレベルの加護持ち同士の諍いは学院としては極力排除したい懸念事項だろう。
その為今回の班分けには文句は無い筈だ。貴族連中には同じクラスにしてやり、チャンスは渡した。しかしながら、といった所だろう。
そんな事を思っていたスオウ、それに対して思案顔で髭を撫でていた学院長が呟く。
「あの3人に矛先がいくかもしれんのぅ」
「おや、一人足りない様な気がしますが」
「元よりその懸念が有るものを含めても仕方有るまい。じゃろう?」
「その辺りの調整を取るのが学院の仕事かと思いますが……」
「当然じゃの、しかし、儂らでも手の届かぬ所もあるのでの」
言外に協力、あるいは監視しろという学院長に対して僅かに眉を顰めるスオウ。
ゆらり、と風が揺れる。隣へ座るスゥイへと風のラインを繋げる。
「(ルナリアから情報が渡っている、と思うか?)」
「(……可能性としては高いですが、単純に成績優秀者に協力を申し出ているという可能性も無いとは言えません。腐っても学院の長ですから、これまでの話し合いで為人くらいは掴んでいるでしょう)」
スゥイの懸念も理解できる。さて、どちらがメリットが大きいだろうか。
僅かに唇を舌で舐めとったスオウは学院長の目を見、そして僅かに細めた後、
「心配は要らないでしょう、この様な最高峰の学院に入学出来る方々です。そんな心配される様な事をされるヒトは“居ません”」
「……そうかの? で、あれば良いがの」
「それよりも、加護持ちが入学したせいで外野に心配した方が良いのではないですか?」
「何の事かの?」
「さて、思い当たる節が無いのであれば問題は有りませんが」
スオウの目が細くなり、対する学院長は笑みを浮かべるだけだ。
表情の操作に関しては自分の倍以上生きている長、絶対的に敵う筈も無く、それを頼りにするつもりも無い。
持っている情報も相手の方が多く、そして搦め手も生半可な物では意味が無く、故にこちらにしか持っていないと思われる情報を用いて交渉するしか無い。
ルナリア王女より懸念されている国内、国外からの干渉は絶対に有る。それは学院長も理解している筈。
そしてそれは間違いなく表立ってではない、ルナリア王女の子飼による方法か、学院の教師による方法かは不明だが、それを理由に学院内を混乱に陥れるのは本意では無いだろうし、何より面子がある。
となれば――
「もし、思い当たる節があるのでしたら、学生としてご協力できる事が有るかと思いまして」
放る手札。しかし、
「ほっほ、学生は学業が本業じゃよ。何を心配しているかはわからんがの、お主の本分を全うするとよい」
「……そうですか、であれば学生として本分を全うさせて頂きます」
静々と座りながら頭を下げ、礼を述べるスオウ。
「ところで、学生としての本分を全うするにあたって知識の習得を願い出たいのですが、魔術図書館の利用は可能でしょうか?」
「ふむ、まぁ良いじゃろう。本来であれば基礎講義を修めてからじゃが、お主は主席じゃしな、問題ないじゃろうて。詳しい説明は図書館にいる上級生に聞くと聞くとよいじゃろ」
「それは“全域”が可能ですか?」
「……何の事じゃ?」
「ですから、禁書エリアも可能ですか、と聞いているのです」
ほぅ、と空気が変わるのを感じた。特に何をした訳でもなく、今までの穏やかな様相は鳴りを潜め、より探る様な視線をスオウへと向ける学院長。
禁書エリアの事を新入生が知る筈も無く、かといって予想が出来ない訳ではないためそういう物もあるかもしれない、と考える者はいるだろう。だがしかし、目の前の学生はそれが間違いなく有る、と確信して言ってきている。入学試験での満点に加え……、今までのやり取りも含め、目の前に居る学生の警戒レベルを一つ、そしてもう一つあげる学院長。
濁すのは簡単だ、だがしかし、禁書エリアが無い、と言ってはたして目の前の少年は諦めるだろうか。
いいや、ありえない。それは学院長の勘が告げていた。そしておそらく、無い、と明言すれば無許可でそこに入ってそこも“通常の”図書館と言い切るだろう。なにせ、“無い”のだから。
故に学院長はその存在に対して明言し、その上で断るしか無かった。
「……駄目に決まっておろう。何を考えておる」
「ですから、学生の本分を全うしようと学院長のご指示通りに勉学に励もうと思ったのですが」
「物事には限度があるじゃろ、お主らには必要の無い知識じゃ。必要の有る知識は儂らが教える、それで満足するが良い」
「必要の有る知識とはどの範囲までですかね? 果たしてあなた方が提供してくれる知識が私の知識より優れているのでしょうか? 正直、私の知識より知識レベルの低いヒトに教えてもらう物等有りません」
「奢るなよスオウ・フォールス、お主の知識がたとえ優れていようとそれを用いる判断力、そして他者との協力を行う上で必要不可欠な人間性、道徳観、それらも学ぶのがこの魔術学院じゃ、何も全てが知識で成り立っている訳ではないぞ」
その言葉に、スオウは思わず笑った。確かにご高説ごもっともであり、何も反論する事が出来ない内容だ。そう、この学院長だけであれば、そうだったかもしれない、が、
「初日に個人的な感情と個人的な都合で学院長との面談を個人的な判断でされたような教師が居る学院の言葉とは思えませんね」
スオウが告げると同時に学院長は初めて眉を顰めた。
「更に言うなれば、入学式の当日、種族問題で揉め事を起こしてきた相手に対する道徳観も確り教えた方が良いのではないですか? 正直、あなた方にそれを教えれるレベルが有るとは思えませんね、“経験上”は、ですが?」
魔術刻印の教師であるゴーザに入学初日で絡んできた学生。前者は学院長がそれがあった、と最初に認め、そして後者は目撃者が数名居る。前者も後者もスオウ側に全く問題がない訳ではないが、前者に対して詰め寄れば、ルナリア王女との会談を知らない事になるし、既に不問とすると言っている。学院長ともあろうものが、それを知らない、という事は問題であり、前言を覆すのもまた何か言われる隙になる。そして後者に対して詰め寄れば、スオウが何をしたのかを解明する必要が有る。どちらもこの場では出来ない以上、学院長は唸るしか無かった。
そして退学にする事も出来ない、なんせ、満点合格者なのだから。
「ふぅ、もうちょっと老人を労ってくれんかの。頭痛の種が増えそうじゃわい」
「私としては禁書エリアの閲覧さえ許してくれれば、頭痛の種は直ぐに消えるかと思いますが」
怪訝な表情でスオウを見る学院長。その先のスオウは僅かに笑みを浮かべているだけだ。隣のスゥイは無表情を貫いており、そこから何かを読み取る事は出来ない。14歳、とてもではないが、14歳ではない。
「(なるほどの、ルナリア王女が動いたのはこやつらが理由かの? 厄介な者を抱え込んだ様じゃが、自身も食われなければよいが……)」
幼き頃から見てきたルナリア王女、彼女の決断に一抹の不安を感じながら、学院長が頭を横に振った。
「駄目じゃ、あそこを閲覧する事は認められん。たとえ学業が最高であろうと認められん。教職階層の書物なら許可できる、それでは駄目かの?」
教職階層の書物、それだけでも巷に出回っている魔術書よりは相当な高レベルであり、十分すぎる程の知識レベルだ。実際の所その場所に有る書物でさえ外、ストムブリート魔術学院外では禁書とされてもおかしく無い内容の物も有る。
僅かに逡巡するスオウ、とはいえこれは現状望める内で最高の待遇とも言える。
頑に断り、撥ね除けられる可能性も無い事も無かったのだ、それならそれでこちらもそれなりに手を打つ予定だったが、余計な手間が減る分には全く以て問題ない。僅かに口元を隠し、思案するフリをしながら数秒。
「わかりました、ありがとう御座います。ご無理申し上げて大変申し訳有りませんでした。学院長の寛大なご配慮有り難くお受け致します」
そう言ってスオウは静々と頭を下げた。
礼と、そしてこれからも迷惑をかける、という旨を告げるかの様に。
そして数秒の後、コキコキと首をならして立ち上がる。これで話は終わり、とばかりに。
案の定、学院長も何も言わない、礼を述べて退室する。が――
「そうじゃ、これからは学院長室での魔術行使は禁止じゃ。気をつけるんじゃぞ」
扉に手をかけ、開けると同時にかけられた言葉。振り返るとしてやったり、と笑みを浮かべた学院長の顔がそこにあった。
どうやらあれほどのかすかな揺らぎですら感じ取った様だ。揺らぎだけでは行使したかどうかまではわからない筈だが。さすがは学院長と言った所、だがしかし、この場で言うとは以外に茶目っ気のある老人の様だ。
あまり疑い裏を読みすぎるのは良く無い、まっとうなヒトと判断するべきだろう。何を真っ当とするかによるかもしれないが。
学院長の言葉に苦笑を返事としたスオウはそのまま学院長室から退室し、スゥイと並んで教室へと戻る。
時間としては1時間よりもう少し長く居た様で、思ったよりも時間が経っていた。
次の講義はもう既に始まっており、途中から参加するのも気怠い為適当に中庭辺りで時間をつぶそうかと思うスオウ。
もうすぐ昼に差し掛かる時間だ、太陽は真上へと上り、夏の終わりがそろそろ近づいてくる。
照らされる明かり、そして翻る金。日の光を反射させてその存在感をより増している美少女。
金髪碧眼、英国人に近いその顔立ち、立ち振る舞いは威風堂々、その目に篭る意思の強さは姉譲りだろうか。
「私に御用でしょうか? リリス王女様」
学院長室から出て曲がり角一つと僅か数メートル、そこにはリリス王女が立っていた。
○
学友からの情報によってスオウ・フォールスが学院長に呼ばれたという事を知ったリリスは直にその場所へと向かった。
とはいえど、自分達も同行すると言って聞かなかった学友を宥め賺し、説得し、何とか一人になってから来たのでそれなりに時間は経っていたのだが。
学院長に呼ばれた内容は不明だが、予想するのは容易い。入学式で入学試験主席者の発表で不在だった男だ、恐らくそれに関する事であるのは想像するに容易い。
実際はその対応に関しては当日に行う予定であり、それが一教師の独断で変更され、この日になったのだがリリスは生憎とそこまでの事情は知らない。だがしかしその予想はあっていた。
「(姉上が来ていた日に入学式に居ない。時間も合う、姉上の言葉との帳尻もあう。恐らく、姉上の客というのがスオウ・フォールス。いや、もう一人スゥイ・エルメロイも不在だった。両者と考えるのが適当か)」
思案しながら廊下を闊歩する。途中ですれ違う上級生から視線を向けられるが全く以て彼女の視界には入ってなかった。
颯爽と闊歩するその姿は姉であるルナリアを思い浮かべるが、どちらにせよ近づきにくい、という雰囲気を醸し出しているのは両者共同様で間違いは無い。
その歩く速度とその美しい容貌で一瞬躊躇う者達は直ぐに後ろへと過ぎ去ってく。
そして段々とヒトの目が少なくなっていく辺り、学院長室へと繋がる廊下へと出た。今度は教師の色が濃くなり、怪訝な表情でこちらを見ている。簡易的な会釈をするリリスに教師の数名は顔を赤くして会釈を返し、散っていく。いくら一学生とはいえど、彼女は王族だ。要職についている教師や、それなりに裏事情を推測できるか知っている者ならば兎も角、一般教師であればその反応もやむを得ないだろう。
そして学院長の部屋へと続く廊下へと視線を向けるリリス。
このまま歩いていって学院長室の中へと入る程馬鹿ではない、取り敢えずスオウ・フォールスが出てくるまで待つか、と思った所で廊下の奥、その角から黒髪の少年が出てくるのに気が付いた。
黒髪の2人組、スオウ・フォールスとスゥイ・エルメロイである。
教室で話したときの様な面倒気な顔ではなく、どこか釈然としない顔を浮かべながら隣に歩く黒髪の少女と何かを話している。
対する黒髪の少女、スゥイは無表情の顔のまま返事を返し、そして頷いている。
そしてふ、と何かに気が付いたかの様にスオウがこちらへと目線を向ける。
同時に浮かべるその笑みはまるで貼付けた様な物。目尻を僅かにおろし、こちらの内面を見透かすかの様に口角が僅かに釣り上がっている。その僅かに釣り上がった口から漏れ出るのは問いの言葉。
「私に御用でしょうか? リリス王女様」
言葉には敬語、しかしその色は敬う気持ち等一遍たりとも無い事を理解した。その様相に眉を顰めたリリスだが、そんな物は宮廷でいくらでも聞いてきた声であり、今更文句をつけるつもりも無い。
しかしながら、自分を敬うか、崇めるか、恐れるか、利用しようとする連中の中で、まるで興味が無い、とも言える態度のスオウに僅かながら興味を示した。
「いや、先の件、礼を言っていなかったと思ってな。助かった、礼を言う」
スオウの問いに対する返し。
いきなり姉上との関係を尋ねる訳にもいかず、先の教室内でのトラブルの件について礼を述べたリリス。
やり方は兎も角、大きな問題にならなかったのは目の前のスオウという少年のお陰でもある。
未だにアルフロッドの態度に納得がいった訳ではないが、それでもそれが礼を言わない理由にはならない。
王族から礼を述べるという行為そのものはけして良い事ではない、それもこの様な場所で、だ。
しかしながら重ねて言う様に彼女は一学生に過ぎない。
「そうですか、ではありがたく。出来る事なら今後あのような事が無い様にお願いしたい所です」
「……善処しよう」
リリスが答えた言葉に僅かながら笑ったスオウ。
それに気が付かないリリスではなかった。
ピクリと眉が動き、スオウを睨む。
「なんだ?」
「いえ、特には。失礼しました」
口元を隠し、頭を下げるスオウに更に苛立ちを募らせたリリスだが、一般人相手に暴力を振るう程リリスは愚かではなく。
自分の苛立ちを腹の底へと押しこみ、本題へ入る事にした。
「スオウ・フォールス、貴様、姉上と何らかの関係があるのか?」
唐突な問いとも言える行為。対するスオウはパチパチと目をしばたたかせてリリスを見る。
「何故その様に?」
「貴様、入学式に不在であっただろう? 姉上が私と会っていた後誰かと会うと聞いていた。時間的には合う。それにクラウシュベルグ出身者でアルフロッド・ロイルと同郷、そして貴様の名を姉上から聞いた事があった」
「ルナリア王女様から私の名が出てくるとは光栄の至りでございます。ですが残念ながら私は当日体調不良で中庭で休んでおりました。スゥイに看病してもらっていたので彼女も一緒に不在だったのです。残念ながらリリス王女が思われている様な事は有りません」
「……ッ」
内心で舌をうつリリス。
その貼付けた様な笑みを浮かべたスオウの表情はリリスの機嫌を取ろうとして近づいてくる貴族連中の顔に良く似ていた。
故にさらに苛立ちを募らせるリリスだが、そのスオウの態度は媚び諂う彼らとは違うように見受けられた。
しかしながらそれで苛立ちが消える訳でもなく、
「ふん……」
ギ、とスオウを睨みつけるリリス。
僅かにその仕草だけで魔素が揺らいだのだろう、隣に立つスゥイが若干身構えたのが目に入るリリスだがそれでその揺らぎを止めるつもりも無く、半場脅しとも言える行為をスオウへとぶつける。ゆらり、と動く手、
「おやおや、これはこれは、天下の加護持ちとも呼べる存在がただの一般人相手に暴力でも振るわれるのですか? これは恐ろしい」
「……暴力? 笑わせるな、この程度私にしてみれば撫でているに過ぎん。それとも何か? この学院は学友と親交を深める事すら許されていないのか?」
ゆらゆらと揺れる魔素、その膨大な魔素の揺らぎに景色が僅かに歪む。
その異質な状況を察したか、遠くから教師が数名走ってきて、そしてリリスの姿を認めて足を止める。
対するスオウはその言葉に貼付けた笑みは鳴りを潜め、思案気な表情を浮かべ、
「なるほど確かに、これは失礼しました。そういえばご挨拶もまだでしたね、スオウ・フォールスと申します。隣がスゥイ・エルメロイ、宜しくお願いします」
そう言って手を差し出してきた。
「何だこれは?」
「握手ですが? 何か問題でも?」
「いや……」
別にリリスは怯える表情を見たかった訳ではない。
しかしながら強大な力を持つ加護持ちが苛立ちを前面に出し、魔素を揺らがしている。先ほど走ってきた教師は顔を引きつらせている程だというのに目の前の男は手を差し出してきた。
「(一体何を考えているこの男)」
とはいえ、差し出された手を振り払うのも癪である。
じ、とその手を見た後、リリスも手を出し握手をする。
「よろしく」
「……ふん」
握ると同時にふ、と笑ったスオウの笑み、数回振られたその手、満足したかとばかりに乱暴に手を振り払ったリリスはもう一つの可能性に思い至る。
「(あぁ、成る程。こやつも私を利用しようとする連中か? 好印象を植え付けようと?)」
それが矛盾している事をリリスは理解していた。
そうであるならば最初の対応はおかしい、だがしかし今の対応も説明がつかない。
矛盾した行動、リリスからしてみればそう見れるその行動がより一層スオウの考えが読めなくなっていく。
あるいはこの後好印象を植え付ける様な言葉か、あるいは交渉か、何を言ってくる、と身構えたリリスだったが――
「では失礼します」
手を軽く挙げて頭を下げてリリスの横を通り過ぎるスオウ。
交渉すら好印象を植え付ける言葉すら無く、これで終わりとばかりに過ぎ去るスオウにリリスは僅かに硬直する。
「ま、まて。私の用件はまだ終わっていないぞ」
そも、姉上との関係に関してもまだ納得していないというのに。
完全にペースを握られてしまっていたリリスであるが、それに気が付いてはいない。
「すみませんが私も用事がありまして」
「ッ、私と話すより重要な用事があるというのか。講義は既に始まっているだろう」
「いえ、講義ではなく。学院長との話が長くて疲れたので昼寝でもしようかと」
「〜〜ッ」
リリスはこの瞬間、馬鹿にされていると思った。
魔素が更に揺らぐ、気を抜けば雷光が走るであろう状況、しかしリリスは深く深く深呼吸してそれを落ち着かせた。
二度目の失敗は許されない、さらに教師も居る状況で力を使えばどうなるか想像するは容易い。
そう簡単に退学させられる事は絶対無いが、自分が望んでいた学院生活が送れるかはわからなくなる。
何より、姉上に迷惑がかかる。
苛立ち、不満、疑問、色々な感情がリリスの中を駆け巡り、そして目の前の男をどうにかしてやり込めないかと思案する。
そして出てきた言葉は、
「スオウ・フォールス、貴様私のチームに入れ!」
自分の容姿くらい理解している。自分の力くらい理解している。
これで靡かない訳も無く、これで一本取っただろう、くらいに思っていたリリス。
喜んで食いついてくると間違いなく思われたその言葉の返答は、
「いえ、済みませんがお断り致します。お誘い頂きありがとう御座いました」
頭を下げてその場を去っていくスオウだった。




