儚き幻想血に染まりて地に伏せる5
The pessimist sees difficulty in every opportunity.
悲観主義者はあらゆる好機に困難を見つけ出す。
「あの女も役に立ったか。最後に加護持ちを産んでくれるとはな」
冷たくなって行く母の傍で泣きながら、そんな言葉を吐く父の声が耳に届く。その言葉の意味を理解できなかったのは果たして自己防衛だったのか、それとも理解できる様な年齢ではなかったのだろうか。だがしかしその言葉を発せられた瞬間も、その光景も、その様相も、その時の父の表情もはっきりと覚えている。
母の亡骸に泣き縋り、冷たくなった母の名を何度も呼びながら決して目を覚まさぬ事を幼い身が理解したのは僥倖とも言えよう。
同時にそれを理解できるだけの聡明さを持っていなければまた違った人生があったのかもしれないとも思う。
母は優しき母だった。後宮に殆ど訪れない父ではあったが、そんな父を母は愛していた。
厳密に言うとそれは愛とは違ったのかもしれない。
花よ蝶よと育てられ、将来は子を生すのが貴族の勤めだと教えられ、そしてこの国で最高の名誉である国王の妻となったのならばそれだけで満足するべきなのだ、と、そういう考えをする女性だった。
一人目を産んだ時に女であったことに父は落胆したそうだが、その時は然程たいした問題とはならなかった。
酷くなったのはナンナの母親を側室として入れた後であった。
今までただでさえ通う頻度が少なかったというのにそれがもっと、より酷くなった。
久しぶりに来た父を母は最大限に歓迎し、手慣れぬ料理や、珍しい話、それこそきっと夜も頑張ったのだろう。だがしかし、父は母の元へ通う頻度が変わる事は無かった。
愛の無い、側室とされるよりは側室の女は良かったのかもしれないが。全く見向きもされぬ母は母で哀れだった。
けれど母は側室の女性に何も言わなかった。それどころか、きっと私に悪い所があったのだ、と、本気でそう考える様な女性だった。
哀れな女。
そして、娘にもそう思われる母は、本当に哀れだと思う。
「刻印を刻む、早急に準備せよ」
「はっ、直ちに」
産まれたばかりの赤ん坊。まだ名も付けられぬうちに、へその緒すらも切られてない内に告げる父の言葉。
母の亡骸になにも言わない父、一瞥しただけで、役に立った、と告げただけで、一体、母は何だったというのか。
ただ子供を産み、死んで行った母。
父には見向きもされず、娘には哀れと思われ、けれどもこの国を愛し、この国のためになればと、父の役に立てればと懸命に生きていた母。
冷たくなった手、頭を撫でてくれたその手はもう温もりを宿す事は無い。
その手、指先は小さな傷が多く付いており、慣れない料理を頑張ったが為のその傷。けれど報われる事の無かったその傷は何かを訴える様にそこに有った。
「国王陛下、奥様になにか、最後に……」
沈痛な表情を浮かべる侍女が父にそう告げる。
もはや最後などとうに過ぎたというのに、それでも最後にと願い出る侍女は全身を振るわせ、泣いているのか、それとも怒りに身を震わせているのか。
だがしかしそれに対する父の言葉は冷たく冷えきっていた。いや、その願い出た侍女に向き直り、答えただけでもマシだったのか。
「言ったであろう。役に立った、と。それで十分であろう、この娘はそうであれと産まれて育てられてきた、それ以外に何を言う必要が有る」
「陛下ッ! 奥様は、奥様は!」
追いすがる侍女を手で払い、父は出て行った。
もう母には興味が無く、そして産まれた加護持ちにだけ興味が有るとばかりに。
そうして私は、その遠のく背中へと叫んだのだ――
○
しゅるり、と肌着を着込み、髪を整えているルナリアを見ながらスオウは額に手を当てながら眉間に皺を寄せ、ため息をつきそうになるのと必死で堪えていた。ため息一つでも付けば、何か余計な事を言いそうだったからだ。
「スオウ」
「何でしょうルナリア王女」
声にそれがでなかったのは僥倖か。
先ほどの冷たい目は鳴りを潜め、最初の様な微笑みを浮かべてドレスを片手に持ち、こちらへ向くルナリア。
一糸まとわぬ姿から肌着だけの姿となったルナリアだが、それだけでも十分に刺激的だ。
「ドレスの着付けを手伝って頂戴。一人じゃ着れないのよこれ」
「……わかりました」
軽く首を振ってスオウは立ち上がる。ドレスの着付けは妹のリーテラにしてやった事が有るし、何よりナカのクラウシュラが知っている。
片手に持ったドレスを受け取ろうと近づくが、僅かにルナリア王女の視線が下へと下がり、同時に顔に驚き、と怪訝と、不満が見て取れ、首を傾げる。
「何か?」
眉間に皺が寄る。文句でもあるのだろうかと問いただすスオウだったが、その答えは予想外の物だった。
「……スオウ貴方精通はまだだったかしら? いえ、14歳だから起っていてもおかしく無い筈だけれど」
頬が引きつるのをスオウは自覚した。
この女何言ってやがる、と。
「おかしいわ、殿方が私の裸を見て何も反応しないなんて、それはおかしいわよ。貴方もしかして男色なのかしら? 貴族にもそういう者が稀に居るけれど」
「ご心配しなくても私はきちんと女性が好きです。さっさとドレスの着付けをしても宜しいでしょうか?」
ぴくぴくとこめかみが僅かに痙攣する様な錯覚に捕われながらスオウは乱暴にルナリアの持つドレスを奪い、彼女へ被せる。
いくつもある紐を丁寧に絡まない様に締め上げ、結んで行く。
「ぐっ、スオウ、もうちょっと優しく」
「もう少しくびれがご必要かと思いまして」
「十分にくびれてるっ、わっ、くっ、裸を見たのだから知っているでしょうっ、スオウ、きついわよっ」
ぐぐぐ、と腰の紐を締め上げてあとは首元の紐を結って完成とする。
最初の結び目まではあいにくと覚えていなかったが、生憎とこちらには完全記憶能力者がいるので問題ない。
これで侍女に何か言われる事は無いだろう。くびれが最初より若干細くなっている事以外は。
「見たのでは有りません、見せられたのです」
「一国の王女の裸を見ておいて酷い言い草ね。場合によっては斬首よ? ぐっ、苦しい……。まぁ、いいわ……。兎に角、加護持ちを縛る方法が無い訳ではない、それだけ覚えておいて。あと下手を打てば私が死ぬってこともね」
つまりは強力な後ろ盾が無くなると同義。
「外す方法は?」
「少なくとも私が知っている知識の中ではないわね。なので期待しているわよスオウ。西の賢者さん」
告げるルナリア、それはこちらの学院での目的もある程度予想しているという事だろう。
「愚者、です。お間違え無く」
全く以て余計な仕事を抱え込んでしまった。
そんな事を考えながら席を立ち上がり、最初と同じく冷えきってしまった紅茶を優雅に飲みながら座るルナリアに対しこれで用は済んだだろう、と部屋を出て行くスオウ。
出ると同時に控えていたのであろう侍女が一斉にこちらを向き、同時に兵士もこちらを向き、押しのける様にして部屋へと入って行く。
やや奥、前室の扉の横にスゥイが立っており、それに気が付き手をあげた所で部屋の中からなんやかんやと声が聞こえて来た。
どうやら侍女から色々と言われている様だ。自業自得である。
「お話は終わりましたか?」
「あぁ、全く以て面倒な事を抱えてしまった。いやはや、本当に俺の使い方をよくわかっていると褒めるべきか悩み所だな」
情に訴えるという手法は必ずしも正しい方法とは言えない。むしろ反感を覚える場合もある。しかし、こちらにも何らかのメリットが有り、それでいて感情に訴えるというのは正しいやり方だ。それこそ、スオウ・フォールスである事を願う俺に対しては素晴らしいくらいに的確だ。
「仕事が増えるのはいつもの事か」
御陰様で感情抜きでの利用はもう出来そうに無い。
憂鬱になりそうな気分を振り払い前室を出て目的の場所へと向かう。
恐らくそろそろ入学式も終わる、となると次は教室分けだが、その前にスオウと、そしてスゥイには仕事が有る。
この学院の長、ゼノ学院長との面談である。
○
「何を考えているんだ君たちは!」
初っぱなに怒鳴られたのは仕方が無いとも言えよう。
入学初日、学院の最初の日最初の行事をさぼったのである。怒られるのも当然だろうな、と頭の片隅で思いながら目の前に立つ教師の怒鳴り声を聞き流しながらあくびを噛み殺す。
隣のスゥイも同様だ、面倒くさそうに眉を顰めている。
それが更に教師の反感を呼び、とループ状態である。学院長との面会の為、と入学式終了時に呼び出したのだが反応無し、返答無し、そして入学式に出席していなかった事が発覚したそうで。もともと把握してない教師が悪いとも言えるのだが、ルナリア王女含め、加護持ちの件でごたごたしてて一般生徒まで手が回らなかったのだろうと予想できる。
「先生」
「ッ、何だっ! 反省しているのかスオウ・フォールス!」
「学院長を待たせている形になっているかと思うのですが宜しいのですか?」
「〜〜ッ、巫山戯るな! 君は自分がやった事が解っているのか! 入学試験で成績優秀だからといって調子に乗っていいと思っているのか、どこぞの商家の息子かしらんが、あまり調子に乗るなよッ」
ギリ、と手を握りしめ睨みつける教師。
言っている事はある程度まともだが、どうにも選民意識が浮き出ている。商家の息子が入学試験トップなのが気に入らないのだろうか。とはいえこちらも文句を言える立場ではない。ルナリア王女に会っていたと言えば済む話だがどうやら彼はルナリア王女が来ていた事を知らされていない様だ、となると知らされない程度の人物であるか、あるいは知らせない方が良い人物か、だ。
会っていた事、繋がりが有る事を吹聴するつもりも無いのでどちらにせよ大人しく話を聞くのだが――
(うーん、思い出せない。誰だったか覚えているかクラウシュラ?)
(魔術刻印のゴード教師じゃの、子爵家の次男坊でこの学院の卒業生でもあった筈じゃ。というかスオウ、事前に調べたのはお主じゃなかったかの?)
(使えそうに無いヒトはうろ覚えだ。俺個人が覚えていなくても別に問題ないだろう?)
(まぁ、そうじゃがの。とはいえ何度も言う様じゃが、お主が行使する魔法と魔術に関してはお主が覚えなければ意味が無いのじゃからな)
(あぁ、解ってるさ)
まだ怒鳴り声が続いている。
どうやら本題がすり替わってきている様だ。
「大体貴様らの様な下賎の者を学院に入れること自体が私としては不本意だったのだ、この学院始まって以来の失点だ、学院長との面会も無しだ! さっさと教室へ戻れ!」
おいおい、と思いながらもその言葉にスオウはため息をつく。
果たして朝の上級生とこの教師と、学院のレベルは一体どうなっているのか、と。
確かにこちらの行動にも問題が有ったとは思うが、学院長の、むしろ学院の定例行事をこの教師の独断で決定して良いのだろうか。
「何だッ、まだ何か文句でもあるのか!」
「いえ、特には何も有りません。ご指導ありがとう御座いました、では失礼致します」
そのまま立っていた事に苛立ったか、手で押しのける様に出て行けと告げる教師にスオウは頭を下げてスゥイと連れ立って職員の居る部屋を出て行く。入学式の件は兎も角として学院長に呼ばれているが帰るこの行為はこちらに落ち度は無いだろう。なんせ教師からそう言う指示を貰ったのだから。
後ろ手に扉を閉めて数歩、先ほどの部屋から離れた所でスゥイがスオウへと問いかける。
「宜しかったのですかスオウ。学院長に会って取引をする予定では?」
「まぁそのつもりだったが。あそこで揉めても面倒事が増えそうだったからな。感情で言ってくる奴に理路整然と言った所で反感を買うだけだし、この場で潰しても良いけど、後4年も在籍する事を考えたら手間が増える」
「そうですか、ではどうされますか? 時間をずらして直接会いに行くのも手かと思いますが」
「それも有りだが、心配しなくても問題は無いさ。この学院で満点なんてあり得ない点数をたたき出してるんだ。そのうち向こうから接触してくるだろう」
くぁ、と先ほどまで噛み殺していたあくびをしてスゥイへと答えるスオウ。
目尻には僅かに涙が浮いている。
「そういえば教室の割り振りは?」
「Aクラスですね。後はチーム制を取っている筈ですから5名で一チーム作る必要が有ります」
クラス分けは単純、入学試験の成績優秀者順である。
これは固定のものではなく、常に変動する。3ヶ月に1回ある試験によってそれが決められるのだ。
それは筆記試験、実技試験両方の合計点数で決めるのだが、それ以外にもこの魔術学院はチーム制を用いている。
5人からなるチーム、それは別に同じクラスと組む必要性は無いのだが、実際は同じクラス同士で組む事が殆どだ。
それはそうだろう、上のクラスのヒトと組みたいと思うヒトは居るかもしれないが、わざわざ自分の足を引っ張る可能性がある生徒と手を組むとは思えない。あるいは友人、知人であれば可能性はなきにしもあらずだが。
「(あとは治癒系など専門が被らない場合か、ねぇ)」
ふぅむ、と唸りながら内心で呟くスオウ。
チームでの成績は個人成績とは別の加算点が加わる。むしろ個人成績より重要視される場合が多い。
将来的に集団行動をする可能性の高い騎士や宮廷魔術師になるのであれば必要不可欠とも言える要素だからだろうか。
「スオウ、チームはどうしますか? 後3人集める必要が有りますが」
「正直5人揃える必要は無いと思うが。そも、5人チーム制は5人まで、という制限は有るけれど5人でなければいけないという決まりは無かった筈だ」
「……本気ですか? 単純に対抗戦で5対2になると言う事ですよ」
「まぁそうだが。誰も二人で行くとは言ってないさ、端数が出る所は必ず出てくるだろうし、知り合い同士で組みたいという連中は端数で固まって5人にならない所も多い。であれば中途半端に一人、二人見つけるよりは3人チームの所に紛れれば良い気もするな」
それに今年は加護持ちが居る、真っ当な対抗戦になるとは限らない。
「成る程……。という事はAクラスで探すつもりは無い、と?」
「場合によりけりだな」
そう言いながらスオウは別に二人でも良いだろうと考えていた。
彼にとっての目的は禁書閲覧に過ぎず、別に学院を好成績で卒業する必要は無いのだ。
禁書閲覧の為に学業レベルが必要だ、あるいは成績優秀者でなければいけない、等の理由が付けば別だが、それに関しては学院長に会わない事にはどうしようもない。
しかし正直な所、禁書閲覧にそんなものは必要ないだろうと考える。
禁書は閲覧を禁止されているから禁書なのだ。この魔術学院の防衛設備が高レベルであるからこそここに秘蔵されているのだ。
成績優秀だろうとなんだろうと、真っ当な方法で見る事が出来るとは思えない。
故に、そんな事をした所で無駄である可能性が高い、というのがスオウの予想だった。
「まぁとにかく教室へ行こうか、出遅れ組は仲間外れにされる可能性が高いからな」
「……そうですね」
僅かに顔を硬直させたスゥイに眉を顰める。吸血族である彼女が果たして真っ当に組めるのか、朝の件もあり僅かにそれが頭によぎったのだろう。
そこに思い至りくすりと笑うスオウ。
「心配するな、お前と二人で良いさ、むしろそっちの方が気楽で良い」
「……生憎と私はお断りします。最悪貴方を見捨てて他と組みますので」
「そりゃ厳しいな」
「あぁ、ですが血だけは提供して下さい」
「なんだ俺は燃料タンクか」
「あながち間違いではないですね」
口に手を当てて笑う。酷い扱いもあったものだとスオウは笑う。
そしてその口に当てていた手で顔を覆い、そして剥がす。いつも通りの貼付けた様な笑みがそこにあり、そして目的の教室の前に到着した。
○
Aクラスは言うまでもなくこの学院での最高成績のクラスだ。
入学試験での優秀者を上位から50名、勿論筆記試験だけではなく実技試験も含めての形での上位から50名。
そう、優秀な者を上位から50名。そこには優秀すぎる、とも言える二人の少年と少女が居た。
言うまでもなく、加護持ちの二人、アルフロッド・ロイルとリリス・アルナス・リ・カナディルの両名である。
伝説、とまでは言わないが、世界に数人しか居ないとされる加護持ち。
さらに片方はこの国の王女、誰もが話しかけたい、友人になりたい、出来る事なら同じチームをと考えてる者は多く居たが、だがしかし、その教室の雰囲気のお陰で誰一人声をかける事が出来なかった。理由は簡単、壮絶なまでに険悪なムードがリリスとアルフロッドの両者の間から発生していたからだ。
そも話の発端はアルフロッドだったとも言える。
アルフロッドが教室に入ったと同時に視界に入った金の髪、その持ち主リリスが数名の学生を相手に歓談をしていた。
だがしかしどうにも困っている様に見えた、そしてそれは間違ってはいなかった、リリスは結局の所王女である事からは逃げられず、そして彼女自身逃げるつもりも無かったのだが、完全に一生徒に対してではなく、王女に対しての対応、さらには加護持ちであると言う事で内心で自分達のチームに入って欲しいと思い、現に入ってくれるのならば私は何が出来る、という事を熟々と述べていたのだ。
リリスとて彼ら、彼女らの気持ちがわからない訳ではないが、自己紹介もそこそこにそういった態度を取られるのは流石に辟易していたのだ。そこにアルフロッドが介入した。
「おい、嫌がってんだろ? やめてやれよ」
その言葉に最初はカチン、と来たリリスの周りに居た生徒達だったが、彼がアルフロッドであると知ると手の平を返したかの様な態度を取った。はぁ、とリリスは思わずため息をついた。理解していた、理解していたがここまでとは思っていなかったのだ。
止めてくれた事に対して僅かながらの感謝を感じながらも、感情としてはアルフロッドを受け入れられない。故に礼も言わず、鼻を鳴らして視線を合わせない様に逸らすリリス。その仕草にリリスとアルフロッドの仲を邪推したか、どう思ったかはわからないが、リリスの傍に居た者も自然とアルフロッドの傍へと近づく、が――
「え、いや、ありがてぇけど。悪いけど、お前らとは組まねぇよ」
それは拒絶の言葉。
アルフロッドにしてみれば、加護持ちである、という色眼鏡でしか見てこない彼らと組もう等と思う訳も無かったし、気に入らない相手とはいえど、女の子相手に囲んで相手の顔色もうかがえずに自分のことだけを言う奴らと一緒にいるなどと考える筈も無かった。
そしてアルフロッドは続ける、俺は彼女と組むから、と。
となれば後は3人、その駆け引きが始まると同時に、彼女、蒼髪の少女に対して悪意ある視線がある事にリリスは気が付いていた。
馬鹿、か、言い方があるだろうが。私はこんな奴の夫にならなければならないのか、と思うのはそう時間がかかる事ではなかった。
恐らくアルフロッドは善意で彼らの要望に対して答えを示したのだろうし、そして自分にはまず彼女が一緒に居るから、という事を明確にしたかったのだろう。だがしかし、そんな事は問題ではないのだ。
困った様な顔をしながら、そしてその悪意ある視線に晒されてアルフロッドと彼らを交互に見て、そして涙を浮かべて場を収めようとしている彼女を見て、リリスはキレた。
本来であればそんな事で怒る様なリリスではない。だがしかし、先の会合で自分を馬鹿にされた事、そして姉上の覚悟を蔑ろにされた事、そしてその彼の、アルフロッドの加護持ちとしての考え方が、全て全て気に入らなく。
――閃光。
「あっぶねぇな! 何しやがる!」
「自分の影響を理解しろ、と言ったであろうッ! ゴミが、捻り潰してくれる」
バチバチと雷光が室内に弾け、壁が焼き付く匂いが充満する。
告げる言葉は攻撃の合図、殲滅の第一歩。
数千度にも及ぶその雷撃が地面へと落ちて丸い小さなクレーターを作る。
焼けこげるだけで済まず、もはや蒸散させているその雷撃はアルフロッドといえど食らえば唯事では済まない。
一気に静まり返る教室、その二人に集っていたヒトはまるで蜘蛛の子を散らすかの様に全員が壁際へと寄り、身構えている。
当然だろう、一騎当万、国家戦力級が二人、狭い教室の中で揉め事を起こしたのだ。巻き込まれれば確実に死ぬ。
ゆっくりと手があがり、指先に雷光が集まると同時にリリスは告げる。
「蒼髪の女、どいているがいい。そこの愚か者を今から捻り潰す」
「はぁ!? 意味解んねぇよお前っ! 何なんだよ一体っ、俺が何したってんだ!」
アルフロッドにしがみ付き、泣きそうな目でこちらを見ているライラへと告げるリリスだが答えたのはアルフロッド。
アルフロッドにしてみればいきなり攻撃された様なものだ。文句の一つも言いたい気持ちは解るが、今のリリスには逆効果だった。ただでさえ細まっていた目が更に細まり――
「やめてぇぇぇえっ!」
絶叫、アルフロッドを庇う様に前に出て、叫ぶ少女。その仕草に、面を食らったリリス。
一瞬で自分がしていた事の愚かさを理解し、集めていた魔素を霧散させる。折角姉上に動いてもらったのに、初日で全てを駄目にする所だった、と。自己嫌悪に暮れる。
だが、彼とはアルフロッドとはやはり相容れない事は理解できた。僅かに互いの間に流れる沈黙。そしてギロリ、と睨みつけ鼻を鳴らし、席へと戻るリリス。そうして教室には不穏な空気が流れる事になったのだ。
アルフロッドは突然攻撃された事に対しての不満。それと同時に守るべきライラを危険に晒した事による不甲斐無さと彼女に対して危険な事をしたリリスに対しての拒絶感。
リリスはアルフロッドの考え無しの行動と、加護持ちとしての自覚の無さに対しての苛立ち。そして自身が行った行為がどれほど愚かだったのかを認めての自粛。
取り敢えず、まともに話しかけれるヒトは誰もいなくなった。
そんな状況、がらり、と教室の入り口にある引き戸が開けられる。
立っていたのは一人の少年。少年はその猛烈に面倒くさそうな雰囲気に貼付けた笑みは速攻で消え、塗り変わる様にめんどくさそうな顔になる。
その少年を認めたライラは僅かに怯えた顔をしながらも救われたかの様に視線で追い、アルフロッドは不機嫌な所を更に不機嫌にする。そしてその両者を認めた少年、スオウは、
「教室を間違えた様だ、スゥイ戻ろうか」
「いえ、誠に残念ながらここがAクラスです」
はぁ、とため息をついた。
○
入室した教室、まず最初に感じたのは鼻を突く焦げた匂いだ。半円を書く様に置かれている曲線を描いた長机は部分部分焦げている所が見受けられ壇上の一部は丸く焼け付いている箇所が見える。
空中に浮かぶ数個の魔法照明の一つは膨大な魔素の揺らぎに影響を受けたのだろうか、不自然に明滅を繰り返し、所々の椅子は倒れ、置かれていたであろう書物は雪崩を起こしたかの様に棚から落ちている。
軽い乱闘騒ぎの後の状況である。果たして軽い、と言っていいのかは不明だが。
「あぁ、すまない。教師は?」
「え? あ、あぁ、いや、さっきチーム制の説明をして出て行ったんだ。というかアンタ誰だ? Aクラスなのか?」
「いや、通りすがりの野次馬だ」
「スオウ……」
取り敢えず場を収めるべき教師はどこだ、スオウは思い、たまたま一番近くに居た男子生徒へと問いかけるがどうやらもう退室してしまったようだ。これだけの魔素の揺らぎなら直ぐに来そうな者だが、と思ったが教室そのものに魔術授業の為の簡易結界が張られている事に気が付いた。どうやらそれを突き破る程の出力をリリスは出していなかった様で、幸か不幸か外には漏れていない様子。
というより漏れていたら来る途中にクラウシュラが言っただろし、自分も気が付いていた筈だとスオウは思う。
取り敢えず面倒事に巻き込まれるのは真っ平御免とAクラスからの移籍を真剣に考えるがスゥイから胡乱気な視線で睨まれる。
「スゥちゃん……」
「ライラですか、これは一体どう言う事ですか?」
傍に立っていたスゥイを認めたか、ライラが助けを求める様に声をかける。
それに対してスゥイもライラを認め、ゆっくりと傍に寄り、問いかける。
僅かに逡巡したライラだが、内容を告げようとした所でアルフロッドが怒鳴った。
「ッ、いきなり突っかかってきやがったんだ! 一体俺が何したってんだ!」
「ちょ、ちょっとアル君、落ち着いて」
「……アルフロッド、お願いですから今はライラに事情を聞いているのです。貴方には後で話を聞きますから。それと、いえ、これは良いでしょう」
視線からするに相手はリリス、怒鳴られたリリスは僅かに眉を顰めるだけで何も言わない。
リリスに対して指を指して怒鳴るという行為は少々まずいのではないか、と思ったスゥイだが、同じ学生として扱うのならばあまり特別扱いするのもそれはそれで問題だろう、と考え直しとくに注意せず、ライラから事情を聞き出す事にする。
内容を一通り聞いたスゥイ、そして後ろで聞いていたスオウだが、大凡の事情は理解した。
だがそれを注意するのはココでするべきではないし、そもそも自分達が注意するべきかどうかは疑問だし、何よりどっちもどっちとも言える。頭が痛くなるのを感じたスオウ、初日からこの様とは、一体この後どれだけ大変だというのか、軽く頭を振って、近づこうとしたらアルフロッドから睨まれた。
スゥイと目を合わせる。そして肩を竦めたスオウは今度はリリスの傍へといく。
アルフロッドの傍に行けば逆効果だろうとスオウは考えたからだ、とはいえリリスの相手も勤まるかは不明だが。
「あー、なんだ?」
「……何か用か」
「いや、まぁ聞いてくれ。初日から教師からの呼び出しを食らってだな? そしてようやくそれが終わって教室にきてだな? そしたらこの雰囲気だろう? 勘弁してくれと言いたいんだがどう思う?」
「……知った事か」
確かにそうだな、とスオウは思った。
そもそももうちょっとドロドロとした、というか政治利用とか、内政干渉とか、そう言う問題に対しての対策はするが、こんな子供同士の喧嘩を何故仲裁しないといけないのか。頭を抱えて眠りたい、こいつら子供か、あぁ、子供だった。
そんな事を思いながらスオウは深く深くため息を吐く。
その仕草に正面に座るリリスは更に怪訝な表情を作るが、正直スオウにはどうでも良かった。
さて、どうしたものかな、と考えていた所で後ろから声をかけられた。
「な、なぁ? アンタ朝のスオウ、だったか?」
「うん?」
「俺、俺、俺だよ、俺」
「……? オレという知り合いは居なかった筈だが」
声をした方に振り返るとそこには茶色の長い髪を後ろに一つに纏めた軽薄そうな男が立っていた。
はて、と思うスオウだが朝、という言葉からふと、思いつく。
「あ、そうか自己紹介も何もしてなかったな……、えーっと」
そういえば、と頭の後ろに手をあてて、恐らく自分の名を名乗ろうとした所でスオウ先んじて告げる。
「あぁ、カーヴァインさんでしたか。朝はどうも、きちんと挨拶も出来ずに。スオウ・フォールスと言います。今日だけだとは思いますが宜しくお願いします」
「え、は? いや、今日だけ?」
あ、やべ、とスオウは内心で呟いた。
正直こんなめんどくさそうなクラスは遠慮したいので早急に教師に掛け合ってクラス替えをお願いしようと思っていたんです、と思っていたとは言えないだろう。
だが考えてみればルナリアとの約束を含めればリリスとアルフロッドのクラスと同じである方がやりやすい。
ので、疑問顔で首を傾げるカーヴァイン、と思われる少年を適当に誤魔化す。
「いえ、初日から1週間程は全員集まりますが、それからはチーム行動になるので会えるかどうかわからないので」
「あ、あぁ、確かにそうだな。いや、そうか? そんな事も無いと思うけれど……。基礎単位の授業なんかは合同だろう? いや、まぁそれよりもアンタ、入学式の時に呼ばれてたみたいだけど、居なかったよな? 何処行ってたんだ?」
「ああ、さぼってた」
「……えぇぇ」
繕っていた敬語が思わずはがれ答えるスオウの言葉に周囲の温度が下がるのを感じた。
先ほど不機嫌だったリリスも呆れた表情をしてこちらを見ている。
成績優秀者の集まりであるAクラスのヒトが初日からさぼっていたと明言したのだ。仕方が無いだろう。
正直本当はさぼっていた訳ではないのだが、教師からもそう言われていた事だしそう言う事で通してしまえ、とスオウは決めたのだ。
「そっちの彼女もか?」
「うん? あぁ、そうだ」
「ええと、もしかして恋人?」
指を指しながら問いかける言葉、指し示した先はスゥイが居る。彼女が一緒に教室に来た事は見られている事だし、一緒にさぼっていたと想像するのは容易い。が、しかし恋人という事に繋がるのは甚だ疑問だ。だがしかし直にスオウは思いついた、そういえば彼らは中学2年生と言ったところ、丁度色恋沙汰に興味がある時期だ。はて、如何答えようか、と思った所で。
「そうですが何か問題でも?」
「え……? スゥちゃん……!?」
「え、おい、まじかよスオウ!?」
それが何か? と言いたげなスゥイにスオウは思わず目を瞑って手で覆いそうになる。
が、ここで否定するのも、反応するのも癪である。背伸びしたい子供に付き合ってやるのも年長者の役目だろう。
「確かにそうだが、今はそこが問題ではないだろう? 別に皆仲良くしろとは言わないが、取り敢えずさっさとチームを決めてしまった方が良いんじゃないか? 成績に差し障ればAクラスから落ちる事になるぞ?」
肯定し、そして肩を竦めて周りを囲う生徒へと告げるスオウ。
肯定した事でライラが僅かに怪訝な表情でスゥイを見たり、アルフロッドが口を開いてスオウとスゥイを交互に見る。先ほどの怒りはどこかへ行ってしまった様だ。何よりである。
そんな状況だったが、今度は周りに居た他生徒から声が上がってきた。そんな事お前に言われなくてもわかっている、とそう言う者や、いきなり出てきて何様だ、と色々言う奴が数名居るが、取り敢えず問題となっていたアルフロッドとリリスが表面上落ち着いた様で、仕事は終わったとスオウはスゥイと視線を合わせる。
「アルフロッド、宜しいですか」
「……ッチ、わーってるよ」
「リリス王女、宜しいですか?」
「……好きにするが良い」
がりがりと頭を掻いて片手をあげて返事を返すアルフロッド。
ふん、と鼻を鳴らしそっぽを向きながらも答えるリリス。
それを認めたスオウは肩を竦め、スゥイはライラへと向き直り、
「ライラ、お願いね」
「うぅー……、スゥちゃんも一緒にいてよー」
「すみませんが私はスオウの傍に居るので、それは難しいですね」
「……そう、うん、そうだよね……」
「ライラ?」
「ううん、何でも無い、ごめんねスゥちゃん」
願い出た言葉、取り敢えず受け入れられたのだろうとスゥイは解釈した。
途中何か言いたげではあったが、この場で特に聞き出す事でもないだろう、と話を切り上げ、スオウの傍へと戻る。
「あーんで、どうすんだチーム分け? 皆どうする?」
話が一段落したのだろう、そう解釈したカーヴァインが中央に立って周りを見渡しながら告げる。
しかし、数刻前まであれ程の騒ぎがあったのだ、無理に手を上げて加護持ちと組もうとする者は居ない。互いに牽制している、というのもあるかもしれないが。困ったな、とカーヴァインが思っている所でスオウが口を開く。
「カーヴァインさん、君の所はもうチームは決まっているのか?」
「お? ああ、つってもまだ3人だけれどな。てか、さん付けはやめてくれよ、背中がむず痒い。んで、一人はBクラスにいっちまったんだ。もう一人はそこに居るシュシュなんだけど、あれ? シュシュ、おーい」
カーヴァインが視線を向けた先、そこには独特の髪型をした女性が一人立っていた。
もみあげを長く伸ばし、後ろ髪を短く切りそろえた子。シュシュ・エルである。
カーヴァインに声をかけられたにもかかわらず、視線も向けず、そっぽを向いている。
「んぁ? なんだよアイツ、まぁ、いいか。まぁそんな訳だ。なんだい? スオウの所が二人なら混ざるか?」
「嫌」
ぼそり、と声が聞こえる。
そんなに大きな声でなかったというのに耳に届いたその声は明確な拒絶の意志が見て取れる。
その言葉にスオウは僅かに目を開き、そして面白いものを見たかの様にシュシュへと視線を向けた。
「どうやら君の相方は望んでいない様だな」
「あー……、すまんスオウ。いつもはあんな感じじゃないんだけどなぁ」
「まぁ俺としても君たちと組むつもりは無かったからな」
「は? それはどう言う」
アホみたいに口を半開きにして問うカーヴァイン。それに意地悪げな笑みを浮かべ、
「君らはアルフロッドとライラの二人と組め」
「……は? え、は、えぇぇぇっ!?」
そう告げた。




