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月蝕  作者: 檸檬
2章 魔術学院編
23/67

儚き幻想血に染まりて地に伏せる2

 There isn't a person anywhere that isn't capable of doing more than he thinks he can.

 自分で思っている以上の事を出来ない人間などどこにも存在しない。

 

 新月の夜は辛い。

 全身を覆う倦怠感と焼け付く様な喉の乾きがガリガリと自身の精神力を削り取って行く様な錯覚に捕われる。

 もはや慣れてしまったいつもの事であり、いつもと同じ様にギリギリと自分の腕を掴み布団に包まり、夜が開けるのを待つだけ。

 吸血族の血が最大に影響するのは魔素の配給が極端に少なくなる新月の日だ。

 体に流れる吸血族の血が吸血を訴え、他者からの搾取を伝えてくるのだ。

 半吸血族である彼女、スゥイ・エルメロイはその衝動が純粋種よりは少ないながらも無い訳ではない。


 吸血族は吸血行為こそあるものの、流水に弱い、日光に弱い、十字架に弱い等と言った特性は特になく、ただ吸血行為を行うという点だけ持つ種族である。だがどちらにせよ、その吸血衝動という症状が起る事だけは間違いなく、彼ら吸血族の家系に産まれた者はその吸血症状を抑える為として、幼いうちは両親あるいは兄弟から血を貰い、大人になれば耐える事も出来る為そのまま耐えるか、あるいは恋人、同種族、偏見の持たぬ者から得る事が多い。


 しかしスゥイは生まれながら血を得る事が出来る相手が居なかった。

 故に、長い時を吸血をしていない彼女のその体を蝕む吸血衝動は、もはや純血種に匹敵する。いや、超える程のものになっていた。

 だがそれでもスゥイは耐える。そも純血種の吸血衝動と言うものを知らないというのも有るが、それ以上に血を吸う事に忌避感を覚えていたからだ。 


 本来であれば血を与えてくれたであろう家に居る母の事を思い出して頭を振る。


 そしてギリギリと手を握りしめ、歯を噛み締め、目を強くつぶり今日も耐える。

 明日になれば、この時間も終わる、と。


 ふぅ、ふぅ、と断続的に漏れる息。頬を流れる汗は顎から下へと落ち、布団へと染み込んで行く。

 ガチガチとなる歯、自分の歯の音でありながらもその音に苛立を感じ、自分の指を噛みその音を抑える。

 ぶち、と指の肉を噛み切る音がこめかみを通じて聞こえる。いつものことだ、自分の血であるがために魔素の配給としては認められず、ただ鉄臭い血の匂いが口内に広がる。


 今日は特に辛い、いつものに比べて。


 当然だ、原因は分かっている。数日前に行ったスオウの行為だ。

 目の前で殺されたヒトヒトヒト、そして散らばる血。

 あの時スゥイはヒトを殺すという行為自体に青ざめていたが、それと同様に自身を襲う吸血衝動を抑えようと必死だったのだ。


「はぁー、はぁー……、はぁー……」


 あの時はライラとアルフロッドが来てくれた為に意識を逸らし耐える事が出来た。だが――


 意識が朦朧としてくる。このまま意識を失えればこの苦しみからも逃れられるだろうかと一瞬思うが、下手を打って暴走などしたら笑えない。意識を覚醒させる為に再度強く自分の指を噛み、その痛みで意識を浮上させる。


 まったくもってやってられない。


 だが悪い事ばかりではない。

 いつもなら傍に居たライラが今日は居ない、というよりここ暫くはアルフロッドと共に行動しているのだ。

 今日も恐らくアルフロッドと共に居るのだろう。

 彼女が傍に居れば襲いかからないという自信が無かったし、彼女にこんな姿を見られたくも無かった。

 彼女は自身が半吸血族だと知っているし、その性質に付いても理解している筈だ。だがしかしその実際の吸血症状を吸血行為を見た事が有る訳ではない。


 それを見せて怖がられてしまう可能性が無いとは言えない。


 彼女を利用しておきながら、彼女に嫌われる事を嫌がるとは愚かにも程が有る。

 

 口内に広がる鉄の味を感じながら自嘲の笑みを浮かべる。

 つぅ、と口端から垂れる血、それが布団へと染みをつくっていく。

 あぁ、明日洗わないとな、と頭のどこかでそんな事を考えていた所で声をかけられた。


「まったく、書物では知っていたが……。アリイアが気が付かなかったら俺も気付けなかったな。いやはや隠すのが上手いというか。その歳でよくもまぁ……」


 部屋の扉を開けて入ってきたのは黒髪の少年。

 僅かに混じったくせ毛は僅かに目にかかる程度の長さ、部屋の暗がりと相まってその表情は良く見えない。どうやらいつもの貼付けた様な笑みは無く、気怠げな表情でこちらを見ている様だ。


 ――鍵を掛けていた筈なのに……。


 一瞬にして沸騰する頭、それを意思の力で押さえつける。

 ぎちぎちと鳴る自分の咥えていた指、ぼたぼたと血が布団へと落ちる。


「ス、オウ……。な、ぜ……」


 見られたく無かった、どうして、こんな姿を見られたく無かったのに……。

 折角、目的が出来たのに、望まれなかった私がようやく望まれた場所だったのに。

 いや、だ。嫌われる、また、また捨てられる。どうして、どうしてこんな……。


 じわり、と目端に涙の雫が浮かびそうになる瞬間、目の前のスオウが短剣を腰から抜き、そして――自分の腕を斬りつけた。


 ぽたぽたと血が垂れる。

 目が自然とその箇所へと凝視される。

 血が、血が血が血血血血ちちちチチチチ――。


「あんまり弱みに付け込むのは好きじゃないんだが。不確定要素を孕んだままだと、な……。まともな精神状態の時に説明はしてやるから、とりあえず吸え」


 何を言っているか分からない。

 自制が聞かない。けれど、吸えと告げられたその意味だけは理解できて。


「ふ、ざけない、で、くださ、い……。私は、その様な真似、だけ、は……っ」


 最後の理性か、ふらふらと幽鬼のごとくスオウの傍へと寄って行きながらも口ではそう告げる。

 いまならば、まだ間に合うと。直ぐに部屋を出て、鍵を閉めて、閉じ込めてくれればきっとなんとか耐えられる、と。


 知らぬ男の血を吸う? いや、2年間で良く知っている筈だ。それこそ自分の家族以上に。

 いままで吸わなかった血を吸う? 両親は与えてくれなかったではないか。まるでバケモノの様に見ていたではないか。

 そうだ、バケモノの様だから嫌だったのではないか? それならば、自分の母もバケモノなのか。違う、母だけは、母だけは。

 

 赤く染まる、世界が赤く染まる。

 

 いやだ、吸いたく無い、吸いたくなんて無い、私は絶対に血を吸わない、それだけは絶対にしない。


「はぁー……、はぁー……」

「とんでもない精神力だな。男性の性衝動を笑い飛ばせる程の欲求だと認識していたが……。いや、すまん。女性に対して言う事ではなかった。といっても聞いてない、か? まぁ、後でいくらでも苦情も苦言も聞くので、とりあえず――吸え」


 がちり、と頭を抑えられた様な感覚。

 気が付いた時にはスオウが目の前に居て、そして口へとその流れ出る血を押し付けていた。


「あ、あぁぁ、い、いや、や、めっ……」

「大丈夫、俺は別にこんな程度で嫌う事は無いし、むしろ美少女に吸われて結構役得とか思って……。アレ、これやばいな、年齢的にロリコン……」


 もはや我慢できない、と口腔内へと流れる血。ごくごくと嚥下すると同時に血が喉へと通り、全身を覆う全能感と絶頂感に身を震わせる。

 初めて飲んだ血、それはまるで何よりも勝る飲料、全身の倦怠感が抜けて行き、全身を覆う欲求は鳴りを顰め、喉の渇きは嘘の様に消えて行く。


「んく、んぁっ、ごく、ごく、ふぁっ……、んぁ……、――はぁ、ごくっ、ごくっ」

「……これは、やばいな。エロい。いや、まて俺はノーマルだ、まだ12歳、12歳、そうだ12歳。よしそうだ呑まれるな。あ、いや俺も12歳だから大丈夫なのか? いやいやいやいや、違う、よく考えろ、それは違うぞ。正気を保て、よし、よーし、大丈夫、落ち着いた」


 ぶつぶつと何か言っているスオウを無視。

 顔を紅潮させ、スオウの腕から流れる血を舐め取り、そして嚥下していく。

 息をとぎらせながら、小さな舌でぺろぺろと腕を舐め上げ、最後の一雫すら飲み干さんとばかりに傷口も舐めとる。

 腕に垂れていた血は全てスゥイの胃へと納まり、そして今度は傷口を覆う様に吸い付き、じゅるじゅると血を吸う。が――


「すごいなこれは」


 同時にスオウの傷つけた傷が癒えて行く。

 吸血族の特性の一つ、血を相手へと送る事でブーストさせる特性。

 自分の指から流れ出た血とスオウの血が混ざり、それを傷口へと流し込んだのだ。

 治癒能力の強化、傷を負っていたスオウの腕は直に癒え、その後は僅かにうっすらと線が見える程度になっている。


「はぁ――……、ふぅ――……、んっ、はぁ……」


 はぁはぁ、と胸を抑え、顔を赤らめ、口の端からは僅かに血の雫。

 艶やかな表情でスオウを見上げ――


「あは……」


 視界が赤く染まる。

 赤く紅く赤く、世界が紅く染まって行く。

 溢れ出る魔素を、湧き出る力を、この憎しみを――


「……」


 僅かに眉を顰め無言で見下ろすスオウの表情などもはや視界に入っていなかった。

 もっと力を、この甘美なまでの陶酔せんほどの血を。

 私に、寄越せ――!


 血が騒ぐ、血がざわめく、嫌悪しながらもそして嫌悪し切れぬこの血が騒ぐ。

 血を、と――


「ぐっ――、うるさいっ!」


 ガン、と額を壁に打ち付ける音が部屋に響く。

 じんわりと響いてくるその痛みが意識を覚醒させ、吸血衝動を抑えて行く。

 もはや必要な量は摂取したのだ。それ以上求めるのは単に力を求めていたと同義。


 そんなものはいらない。


 スオウは何も言わずこちらを見ているだけだ。

 恨みがましい視線を送るが、肩を竦めて返すだけ。と思ったらゆっくりと近づいてきて額へと手を当ててきた。


「何を……」

「そのまま放っておけば痣になるだろう」


 額に暖かいぬくもりを感じる。

 治癒魔法を発動させたのだろう。

 芯が溶けてくる様な感覚とともに額の鈍痛が引いて行く。


「……元はと言えば貴方が、巫山戯た事をっ」

「何故」

「……」

「いや、なんでもない」


 軽く頭を振って話を切る。

 何故、何故? 何故血を吸う事を嫌ったのか、だろうか。

 いや、そもそも血を吸う吸血族に対しての忌避感は無いのか?

 何とも思っていないのか?

 血を吸われたというのにその対応はなんなのだ?

 そもそもヒトが嫌がる事を……。


 彼は、彼の考えている事は未だに分からない。

 何を考えているのか、何を求めているのか。

 真実を求めていると言った、だがその真実とは一体何か。

 何の真実なのか、それは一体どこに有るのか。


「聞きたいのは俺の筈だったんだが」


 苦笑を浮かべるスオウが視界に入った。

 そういえばこの部屋に来てからはスオウはずっといつもの貼付けた様な笑みをしていなかった。


「目が訴えているぞ、何か聞きたいってな」

「……、血の件は礼は言いません。むしろ余計な事をしてくれた。これで私はもう……」


 血の味を知ってしまった吸血族、おそらく成年するまで耐える事等出来ない。

 後何年、5年か、6年か……。

 先の事を考えると憂鬱になる、次の新月、恐らく私は……。


「責任は取るさ」

「……貴方の様なヒトの血など」


 ギリ、と唇を噛む。

 冗談ではない。弱みに付け込み、嫌悪する事を押し付け、それが相手の為になるとでも思っているのだろうか。

 余計なお世話なのだ、私は私としてこうやって生きてきた、それに干渉する資格など誰にも有りはしない。確かに私はこの男の仲間になった、だが全てを差し出した訳ではない。


「君が……」

「……?」

「君が吸血族だと知った時仲間に引き入れようと思った。吸血族の力は特異では有るがとても有用性が高い。俺は自分の魔素を高める事を諦めた訳ではないが、それでも他に方法があるならばそれも手にしておきたかった。だから君が傍に居てくれると言った時は結構嬉しかった」

「貴方の……、貴方の傍に居ると言った覚えは有りません」

「くくっ、同義だと思うがな? まぁいいけれども……。そうだな、だが同時に、君を巻き込む事に嫌悪感を感じたよ。自分自身にだけれどね。俺はヒトを殺してる、それも何人も。なのに俺は何も感じない、そりゃぁ苦悩や葛藤はあるさ、けれどきっと普通のヒトの比では無い。きっともうまともじゃないんだろうさ。そんな奴の傍に置く事が果たして良い事か、とね」

「謝罪ですか? 許して欲しいのですか? 笑わせないで下さい、私は私の意思で選んだのです」


 くだらない。

 そう言った私に対して僅かに目を見開き、驚きの表情を作るスオウ。

 そして数秒後、堪えられないとばかりに笑いそして、


「……そうだな、そうか、これは懺悔になるのか。我ながら女々しい話だ。まったく、本当に」


 そうしてスオウは目を瞑り、手で顔を隠す。

 いつも余裕を隠さず、柳の様に本心を掴ませず、貼付けた様な笑みを浮かべて世界を鑑賞しているかの様な男が。ただ、一人の少年の様に見えて。


 それはまるでこの世界にひとりぼっちの幼い少年の様に……。


 ――だが。


「俺の血を吸えスゥイ。お前の吸血族としての力が必要だ。俺の目的の為に、貴様の意思は関係ない。俺の為にお前の力を貸せ、いいな」


 既に選択の時は与えていたのだから。

 

 するり、と外れる手の平。見開いた目、そこにはいつも通りの貼付けた様な笑みと、確固たる意思があった。

 苦悩も葛藤も、その本心すらもその笑みが覆い隠す。


「……いいでしょう、貴方が貴方で居る限りいつか夢倒れ腐り落ちるまで、傍に居ましょう」


 ここに契約は成る。

 そう、最初の契約通り、私は貴方を利用し、貴方が私を利用する。ただそれだけの話。

 ただ、それだけの……。


 ○


 幻星歴1040年、ストムブリート魔術学院代540期入学式。

 広い講堂で行われたその式は例年と同じ様に見えて著しく違う式となっていた。


 各教師がピリピリと気を張り、神経を尖らせている。

 更に言うなれば見えない場所での警備、そして一部は武装までした教職員が入学式の講道館周りで警備に当たって居た。


 その物々しい雰囲気の中、この魔術学院の長、ゼノ学院長は深いため息をついた。

 真っ白な長い髪と同様に白い見事な髭は壮年の魔術師然としており、カナディル連合王国最大の魔術学院のトップとして相応しい威厳を持っている。がしかし、その顔には目出度い入学式だというのに笑みが浮かんでいる訳ではなかった。


 理由は一つ、この日より始まる面倒事の件だ。


 この魔術学院が存在するカナディル連合王国からの通達。

 それは、加護持ちを“二人”魔術学院に4年間預ける、というもの。


 魔術学院はあらゆる外交権力、内政干渉

から逸脱しているという名目上、表立っての通達ではなかったが、結局の所、最高峰といえど所詮は一魔術学院、抵抗できるにも限度が有る。


 さらに両名とも真っ当に試験を通過したのならば断る理由は無い。


「他の生徒達に悪影響を与えなければよいのじゃがの」


 手に持たされた書面に記されるはその加護持ちの名前。

 一人はあの豪腕のグランの息子、アルフロッド・ロイル。

 そしてもう一人はこの国の第三王女、リリス・アルナス・リ・カナディルである。

 

「(まさか本当にリリス王女を入学させるとはの……。ルナリア王女も相当本気のようじゃな……)」


 国の手の内にある加護持ちを他者に預ける等愚かにも程が有る。

 だがそれを強行した。

 この魔術学院でなければ決して不可能であった行為。いや、この魔術学院であったとしても相当な無茶。


「(難儀な事じゃ)」


 頭を振って額に手を当てる。

 完全に国の問題に巻き込まれてしまった形だ。

 これに対して職員は両極端、加護持ちを受け入れる事に対してのその名誉に歓喜する者。

 手に負えぬ厄介事を抱え込んでしまったのではないか、と憂鬱に暮れるもの。

 

 下手をすれば排斥行為にでも出かねない者も出ないとは限らない。

 一人は兎も角、一人は王女、加護持ちという存在もそうだが、その立ち位置からしてもそう下手な事は打てない。


 取り敢えずはこの魔術学院内部ではあくまでも一生徒であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 だがしかし――、そのままその通り行くとは限らないだろう。


「学院長、挨拶の時間です」


 意匠の凝らした特殊な扉、学院長室の扉が開かれると同時に軽い会釈をし、挨拶の時間を告げてくる教師へと頷き返し、ゼノは学院長室を退室する。


「ご挨拶の後は成績優秀者に対しての対面です。今年度は素晴らしいですよ、何と満点が一人いますから。もう一人も満点では有りませんが相当な点数です、正直今年度の入学者でこの二人はずば抜けています」

「ほっほ、それは良い事じゃの。しかし、満点とはの……」

「どうかしましたか学院長?」


 疑問顔で問いかけてくる部下へ軽く手を振って返事とするゼノ。

 特にこの場で話す事ではないと考えたからだ。恐らくこの事実に不信感を感じているのはゼノ以外では恐らく入学試験の問題集を作った教師と、あとは上層部の数名。本来学院の入学試験で満点などあり得ないのだ。それこそあらゆる魔術書や魔法書を“暗記”しているというのならば話は別だが。


「(大凡10万冊以上ある魔術書、魔法書を暗記等、ヒトの技ではない。不正かの?)」


 悩むが答えは出ない。

 もし不正を働いていたとしても、それは認める事は出来ない。

 不正を働く事が出来るレベルであると認める様な事だからだ。

 ストムブリート魔術学院はその入学のレベルを維持する為に相応の時間と技術とヒトを使っている。

 それを覆される様な事があっては成らないのだ。

 不正である、という明確な証拠があるのであれば別だが、無いとなれば中途半端な事は出来ない。


「(どちらにせよ優秀者と面会の時間はあるしの……。その時に探りを入れるしかないじゃろうて)」


 一生徒を疑わなければならない、教職に就く者としてあまり喜ばしい事ではない。

 だがしかし、それをしなくては学院としての面目が立たず、そしてそれが立たぬという事はこれまで卒業して行った生徒は当然、今現在所属している生徒に対しての裏切りにも繋がる。


「(難儀なものじゃ)」


 本日何度めにか分からない呟き。

 その呟きはその悩みの種である優秀者に会う事によって更に増える事にまだこの時は思ってもいなかった。


 ○


「アルくーん、こっちじゃない?」

「お? おぉ、ここだここだ。つーかなんで俺だけ場所が違うんだ?」

「うーん、というか私も違うんだけどね?」


 こてん、と頭を傾け自慢の青色のサイドテールを揺らし返事を返したのはライラ。

 場所は入学式の会場の一角。

 前方には百人くらいは立てそうな壇上、その中央には漆喰で塗られた背の高い机がおいてあり、恐らく魔法によるものと考えられる明かりで照らされている。机の前面には大きくストームブリート魔術学院の紋章が付けられており、おそらくあの場所に誰かが立って入学式を取り仕切る、あるいは挨拶するであろう事が予想できる。


 そしてその壇上から半円状に広がる椅子、それは2階まで広がっており、さらにその2階は柱が無く宙に浮いているというのだから飽きれる話である。下から見れば僅かに淡い光を放つ幾何学模様の魔方陣。その事から浮遊系の魔法か、あるいは空間固定の魔法か、少なくともその淡く光る魔方陣からはなんであるか読み取る事が出来ないが、兎にも角にも幻想的とも言える風景が入学式会場一つとっても見る事が出来た。


「……スオウは、……」


 ぼそり、と言って直ぐに口を噤むアルフロッド。

 入学したという事までは知っている、だがここに着いたかどうかまでは知らない。

 どこか苛立を感じながらもとなりに立つライラへと問いかけるがライラは僅かに顔を硬直させ、そして目を逸らし答える。


「……スオウ君は多分、どっかにいるんじゃないかな。たぶんスゥちゃんと一緒だよ」

「そうか……」

「スゥちゃん……、なんで……」


 ぼそり、と呟かれた言葉に僅かな苛立を感じる。

 何故、ライラは何故、あんな不気味な男にスゥイが着いて行ったのかが理解できなかったのだ。

 ヒトを平気で殺し、そして笑みを浮かべている様な男。

 確かに、確かに話せば会話は出来る、そして明確な悪人という訳ではないだろう事も理解できる。

 だがしかし、ただ淡々と作業するかの様にヒトを殺した後、何事も無かったかの様に笑うその少年、スオウ・フォールスという男は理解できる範疇に居なかった。


 怖い。


 ヒトは理解できない相手を拒絶し、怖がる。

 それが幼い女の子であれば尚更だ。なのにスゥイは彼に付いて行った。それをライラは裏切りの様に感じたし、それと同時にスオウに騙されているのではないか、と考えもした。


「ねぇ、アル君。スオウ君って……、何なの? 変だよ、気持ち悪いよ……」


 それは何度も問いかけた問い。

 わからぬものを、理解できぬものを知ろうとする行為。

 しかしアルフロッドにその答えは無い。

 言うならば幼馴染み、言うならばどこか達観している年齢にそぐわぬ少年。そして、誰よりも恩のある親友。


「ライラ、あんまりスオウの事を悪く言わないでくれ。アイツだって俺達の事を思って」


 スオウのやり方があっているとは思えないし思いたく無い。

 だから自分なりのやり方でスオウに対して認めて貰うという意思でスオウと離別したアルフロッドではあるが、だからといってスオウの事を嫌っている訳ではない。むしろ今でも唯一無二の親友だと信じている。だからライラにも同様に思って欲しかった、だが――


「わかってるよっ、わかってるけどっ! でも、おかしいよ、あんな簡単にヒトを殺して、笑ってるんだよ? 何事も無かったかの様に、おかしいよ、そんなのおかしいよ……」

「ライラ……」


 あんなに簡単にヒトを殺して……。

 簡単にヒトを殺したのは俺も一緒だ。そう言いそうになるのを喉元で堪え、アルフロッドは目を瞑る。

 僅かに震えた手をライラに気が付かれない様に押さえつけた。

 結局俺も一緒なのだ、と思いそうになるのを必死で騙しながら。 


「うん、わかってるよ。スオウ君の前ではそんな事言わない。言わないけど、でも苦手なのは変わらないし、きっと変えられないと思う。……おかしいな、なんでかな……。良いヒトだと思ってたのに……、なんで、こうなっちゃったかな……」


 後悔、だがしかし身に染み込んでしまった恐怖はそう簡単には抜けない。

 今でもたまに夢にでるのだ、あの路地裏の惨劇を。

 飛び散った血肉、色の篭らぬ目はまるで訴えてくるかの様に怨念の声を漏らし、血の引いた白い肌はまるでずるずると地獄の底から這い出てくる死神の手の様にも見えて。


 ライラとて嫌いたい訳じゃない、けれどスオウを見るとそれを思い出す。そして理解できなくなる。だから怖い、そして傍に居たく無い。ただ、スオウから貰ったあの人形だけは、捨てられずに今だ持っている。


 それはスオウから貰ったものだからだろうか、それともスゥイも同じものを持っているからだろうか。

 それがどちらかなのかは今のライラにはわからなかった。


「加護持ちのアルフロッド・ロイルとその従者のライラ・ノートランドだな?」


 思案に沈むライラの意識を覚醒させたのは一人の教師の声だった。

 首を傾げ、声をかけてきた教師へと顔を向ける。30代半場程の男の教師はこちらを振り向いたライラとアルフロッドを認め、再度確認を告げる。


「あぁ、あってるけど。なんだ従者って?」

「私従者なんですか?」


 互いに見合い、そして互いに教師を見る。

 従者、その様なものになった覚えも無いし、意味が分からない。頭の上にはてなマークでも浮いてそうな表情を浮かべる二人に対して同様に教師もまた不思議そうな顔をして問う。


「む? おかしいな。加護持ちであるアルフロッド・ロイルの傍付き従者として加護持ちの身の辺りの世話と護衛を兼任しているって聞いてるが。違うのか?」

「――あ」


 思わず呟いたのはライラ。

 それはここに来る前、クラウシュベルグでスゥイと、そしてスオウから聞かされた内容。

 殆どスオウは前に出ないでスゥイが喋っていたのだが。


『ストムブリート魔術学院ではあらゆる貴族の子息、子女が入学してきます。それに伴って何らかの干渉をアルフロッドに掛けてくる可能性が大きくあります。

 当然かの学院は内政干渉を受け付けないという名目を持っていますが、個人間での“お願い”を拒絶できる程では有りません。気が付いたらアルフロッドにとって都合の悪い立場に立たせられる可能性もあります。あまりにも強引なものは後でどうにでも出来ますが、細かい事は難しいでしょう。その辺りを警戒し、排除するヒトが必要です。ですからライラ、貴方はアルフロッドの傍に居て下さい』


 余計なお世話、とまでは行かないが、そんな訳の分からない事を言われても、と思っていたライラだったがここに来てその意味が何となくわかった。恐らく、傍に居るというのは言葉通りの意味だけではなく、立場も役職上でも、そう言う立場にさせる、という事だったのだ。


「ええと、あってます。大丈夫です」

「ん? そうか? ならいいが。それじゃ悪いが加護持ち二人は後で学院長から直接学生に紹介する事になってる。そしてその前に会わなければいけないお方が居る急いで着いてきてくれ」


 そう言って返事も待たずすたすたと歩いて行く教師の後を慌てて追う。

 と、同時に言っていた事を反芻してアレ、と首をまた傾げる二人。


「あ、あの」


 おずおずと小走りで後を追いながら問いかけるライラ。その声に気が付いたか、前を歩いていた教師は何か? と疑問顔で足を止め、ライラへと振り返り問いかける。


「あの、加護持ちが二人って……?」

「んん? え、知らないのか? おかしいな……。となると、まずいな。ちょっとまて、君たち最低限の礼儀作法くらいは知っているな?」

「え、礼儀作法ですか?」


 困惑気味で問いかけた教師、礼儀作法、その辺り曖昧なものくらいなら知っているが、完璧なものとなると微妙だ、と思うライラ。そして直にアルフロッドへと視線を向け……。


「(アル君は絶対に駄目だよね……)」


 そう失礼な事を考えていた。


「困ったな、いや、まぁ、同じ生徒だからいいのか? だが入学前、難癖付けられて問題を起こされても困る。入学後ならいくらでも言えるが……」


 ううむ、と顎に手を当て悩む教師。

 対する二人は何の事やら、と怪訝顔だ。


「あぁ、すまないね。実は――」


 困惑気味の二人に気が付いたのだろう、まずは説明を、と思い立った教師はアルフロッドとライラの方へと向き直り、そして事情を説明しようとした所で、やや前方にある扉が開かれた。


 そこからゆっくりと出てきたのは金の髪。さらさらと流れるその美しい髪は肩口よりやや長めで、半分を意匠の凝らした髪留めで止めており、もう片方は自然と下に垂らしている。年齢は17、8歳か、その辺り。幼さはほぼ抜けて、成人女性としてのその美しさが際立たされている。その場に居るだけで目が移り、記憶に残る美貌と存在感。


 ルナリア・アルナス・リ・カナディルが其所に居た。


「こ、これはルナリア王女様!」


 その姿を認めた瞬間に教師の男性は一気に青ざめ、足早に彼女の傍へと近づき、同時に跪いて頭を足れる。

 僅かに後ろを見て、視線でお前らも頭を下げろ、とばかりに睨んでいる。

 先ほど教師が言った名前を数秒遅れで理解したアルフロッドとライラは慌ててその場で跪く。


「おや、こちらに居ましたか。あまりにも遅いのでこちらから出向きました。何か不都合でもあったかと思いまして」


 凛とした声、跪く教師へ嫁げるその言葉に叱咤の色は無く。ただ心配したのだ、という旨を伝えるだけの言葉。

 だがしかし、この場で彼女の事を良く知る者が顔を見ていれば別の事を考えただろう。

 品定めをしている、と。


「大変申し訳ございません。完全にこちらの不手際でして……。どうやらアルフロッド・ロイルに何の説明もされていない様子で御座います」

「あぁ、それなら問題ないわ。そうする様に言っておいたからそうなのよ。知らない方がきっと良いでしょうし、それを理由に学院に入学するのを辞めると言われたら困りますしね」


 くすくすと手の甲を口に当てて笑うルナリア。

 内容から自分の事を話しているのだと察したアルフロッドは下げていた頭を僅かにあげて、ルナリアを見る。と、同時にルナリアと目が合い、慌ててまた視線を下げる。


「……好ましいわね、本当に。大人達の汚い事情に巻き込みたく無くなる程に。けれどそれもまた運命なのかしらね」


 威圧的でもなく、力に傲慢にもならず、加護持ちとして産まれ、特別な環境下で生きた訳でもないというのに。これはまさに奇跡なのではなかろうか。

 情報としては聞いていた。

 直接ではないが、当事者も確認した。

 だが、直に傍でその仕草を見ると、彼のそのヒトとなりが想像できる。

 故にルナリアはそう思ったのだ。だがしかし、彼女は王女であり、カナディル連合王国の発展を第一に考える者。故に、思うだけで、自分の成そうとする事を止めるつもりは微塵も無かった。


「アルフロッド・ロイル。頭をあげよ」


 入学式会場の一角、通路の一カ所に過ぎないその場所が一瞬にして王宮の謁見室並の緊迫感が包む。

 一瞬にして纏う王女の威厳、数秒前の優しげな彼女はもはや居ない。


「これより4年間貴方はこの学院で様々な事を学ぶであろう。それによってこの国を知り、愛し、そして将来は国を守る剣として、そして盾として力を貸して欲しい。其の為、其方が守る価値ある国であり続ける事を私は約束しよう」


 ゆっくりと手を差し伸べる。

 まるで届かぬ頂きにあるモノを掴まんが如く、空中へと広げられた手の平。そしてゆっくりと握りしめられて――ふ、と表情が和いだ。


「まぁ、堅苦しいのは良いわ。部屋に戻りましょう、貴方に紹介するヒトが居るわ。この国のもう一人の加護、私の妹。そして……、貴方の婚約者よ。アルフロッド・ロイル」


 そして最後に爆弾を投下した。

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