儚き幻想血に染まりて地に伏せる
There are no shortcuts to life's greatest achievements.
人生を勝ち取る為の王道など存在しない。
この世界には昔、龍が居た。
正しく言えば今も龍はいる。個体数こそ減らしたが、龍は間違いなく存在している。
飛竜などといった小型のタイプはヒトに使役され、あるいはヒトに討伐される存在となってはいるが、この場で言う龍、とはヒトの身では太刀打ち出来ない存在を指す。
龍は基本的にヒトを襲わない、襲う必要が無い。
ライオンが蟻を襲わない様に、象が蜘蛛を食べない様に。
そこに必要性を感じないが故に。
だがしかし、1000年、大凡1000年前までヒトを喰らう龍が居た。
その意味も理由も知らなかったが、それはヒトにとっては脅威だった。
故に、ヒトはそれに対抗する技術を生み出した。
一つは魔法、大気中の魔素を活用し、ヒトの身に余る現象を起こす技術。
そしてもう一つ生み出したのは、加護。
ヒトは以前から有った魔法技術を用いて何かしらの武器を生み出そうと知恵を絞った。
しかし、ヒトの一人の扱える魔素程度では龍に太刀打ちする事など出来ない。
では、なんらかの媒体を用いて使う事は出来ないか?
そうして生み出されたのが魔術刻印、だがしかしコレも駄目だった。
では、いくつもの魔法を合わせてみてはどうか?
そうして生み出されたのがダブル、そしてトリプル、しかしコレも駄目だった。
では、もとより膨大な魔素を持つヒトを生み出してはどうか?
それに対して出て来た案は二つ、作り出すか、集めるか。
そしてその二つの理論が組み合わさって出来た一つの技術。
産まれる母体の子供に、生け贄を捧げて魔素を注ぐ悪魔にも似た所行。
最初に産まれたその子の名はクィツラヴィフェン・リメルカ
母体は直ぐに衰弱死したが、その子供、いやもはや兵器とも言える存在は失敗作だった。
膨大な犠牲を用いて生み出した膨大な魔素ではあったが、その力故に消費も激しく、燃費の非常に悪い兵器だったのだ。
そこでとある女性の研究者が一つ案を出した。
膨大な魔素を生み出すタンクを作れば良いのではないか、と。
直に周りの研究者は反論をあげる。そんな物どこからもってくるのか、と。
加護持ち一人の魔素だけで数百という犠牲を産んだ。
常にヒトを捧げ続けろとでも言うのか、と。
だがその女性の研究者は首を横に振った、そうではない、と。
魔素を常に配給すれば良いのだから、吸い取るだけで良く、殺す必要などない、と。
その言葉に反論したのはまた別の研究者。
もはやこの世界は魔法が無くては生きては行けない、魔素を常に配給など、自分の生活が出来なくなる。
確かに死ぬよりはマシかもしれない、だがそれでもーー、と。
その言葉に女性の研究者は笑った、確かにそうだ、そして支障を与えない程度の魔素配給では数万というヒトでは足りない。
そして、加護一人だけでは龍に打ち勝つ事など出来ない事を考えれば何人もの加護が必要になる。
故に必要となるタンクは数千万、もはや世界の人口を全て捧げて到達できるかどうか。
だがーー。
く、と女性の研究者は笑った。その笑みは悪魔の笑みの様相で。
この世界のコピーを作れば良いではないか、と。
そのコピーの世界から魔素を全て吸い上げてしまえば良い、そうすれば加護の魔素問題は解決し、そして所詮使い捨てのコピー、魔素が無くなり世界が崩壊した所で知った所ではないだろう、と……。その瞬間だけ使えれば良いのだ、と。
星一つを写すなど、果たして可能かどうか。
だが、あの強大な龍を殺す事を目指す彼らにとってはその方があるいは容易かったのかもしれない。
そしてその写された星は、今も空に浮かんでいる。青い月、幻月として。
加護持ち達の魔素のタンクとして、過去の罪の象徴として。
それを提言した女性の研究者の名前、その名をクラウシュラ・キシュテインと言った。
○
ストムブリート魔術学院、それは中央都市ヴァンデルファールに存在している魔術学院である。
カナディル連合王国が誇る最高の魔術を学ぶ場であり、幾名もの宮廷魔術師や騎士団の精鋭を送り出している。
その魔法技術の高さから他国からの留学生も後を断たず、その学院を卒業する事が一つのブランドとなっている。
故に、権力者からの圧力が昔から有った。
息子に箔をつけたい父、娘に肩書きを欲した母、甥に宮廷魔術師の道を与えたかった叔父、彼らは魔術学院への圧力を加え、彼らの身内を強制的に入学させる様に圧力をかけたのだ。
その状況を重く見た当時の王は中央都市ヴァンデルファールが国王直轄である事も理由とし、かの学院を一つの治外法権として扱った。
学院長を王とする、あらゆる圧力に屈しない独自の機関、その瞬間からストムブリート魔術学院は陸の孤島と化した。
王も当然ただの善意で動いた訳ではない、有象無象の者が入る事による技術の低下よりそのブランドを守り、その強さ、知識を維持させたのだ。年間百に近い優秀な“国家に忠実”な精鋭を得る為に。
明確な密約が有った訳ではない。
だがしかし、ストムブリート魔術学院はその強さと知識の維持によって魔術の総本山として国に名を知らしめ、そしてその礼として国に優秀な魔術師を排出してきた。
「義理人情の世界、ってわけでもなさそうだし。まぁ、互いの利益が噛み合ったって所かね。陸の孤島といえど国の権力にまったく屈しないというのは無理だろうし。対外的にはそういう“体裁”は必要だろうけど」
ガタガタと揺れる馬車の中。土埃をかぶり、白いとは言いがたい幌の中で一人の少年がぼそり、と呟く。
内容は今から向かう場所の話。問いかけた訳でもなく、自身で再度認識させる為に呟いた一言。だがしかしその言葉に返事を返す者が居た。
「行く前から夢の無い話をしないで下さいスオウ」
馬車の中、やや長方形のその中は簡易的な座布団が置かれているだけであり、それ以外には精々個人の荷物が適当に放り投げられているだけに過ぎ無い。呟いたスオウ、その対面に座る少女。だらしなく足を放り出し半身に、幌の隙間から外を眺めているスオウとは違い、ピンと背筋を伸ばしながら揺れる馬車の中で本を読んでいた黒髪の彼女、スゥイ・エルメロイは胡乱気な表情でそう告げてスオウを見た。
「事実を述べただけなんだが」
「いいですかスオウ、カナディル連合王国のストムブリート魔術学院といえばエリートまっしぐらの最高峰魔術学院です。それもあらゆる外的権力にも屈しず、只々魔術の神髄を究めんとする最高峰の研究機関であり、学び場です。コンフェデルス連盟は勿論、精霊国ニアルや果ては帝国からの留学者も居る程なんです」
「(なんか変なスイッチ入ったな……)」
「この一年間必死で勉強した甲斐があったものです……。いえ、そもそも1年前にそんな所に入学する等と言われた事自体が巫山戯た話だったのですが」
「文句言うな、ライラだって頑張ってたじゃないか。まぁライラはアルフの枷だから多少学力が低くても入学できただろうけどな。アルフも一応合格基準は満たさせたが、駄目だったら水増しされただろうよ。
そう言う貸し借り無しで入学させるのが俺の仕事だったし、駄目だったらルナリア王女に何言われるか分かったもんじゃ無かったが」
「どこで誰が聞いているか分かりませんのであまり口に出して言う事ではないと思いますが」
「確かにな」
肩を竦め、返事を返すスオウ。
告げた言葉の通り彼ら二人はあまりにも低く無い限りは裏取引が行われた可能性が大きかった。反面スオウとスゥイに関しては真っ向勝負で合格する必要が有ったのだ。ルナリアにとってスオウが入学する事自体を全面的に歓迎しているとは思えない。それにもしルナリアが許可したとしても他の貴族はあまり良い顔をしないだろう。おそらく、ではあるが。
だがそんな心配も杞憂に終わり、スオウ、スゥイは勿論、既に先に向かっているアルフロッドとライラの二人は無事、魔術学院の試験を通過していた。
文句無しの真っ正面からの通過であり、これで後4年間余計な干渉が無い(だろう)と思われる。
だが、現状スイル国も安定せず、帝国との国境付近も不穏な空気が流れている。おそらく無事に4年間過ごせるかは賭けになる可能性が高いだろうとスオウは考えていた。
思案に沈む中、スオウは口角を僅かにあげて笑う。思い出したのは数日前の事、一時的に戻っていたクラウシュベルグにてアルフロッドから言われた言葉。
『俺は全部守ってみせる、お前のやり方があってるとは思わねぇ。スオウ、お前の指図はもう受けない』
意思の篭った視線で告げられたその宣告。
そもそも指示をした覚えは無い、あえて言うなら事実と現実を述べただけに過ぎない。だが12歳の子供にはそれはその通りに取られなかった様で。
決別、という程でもないが、ライラの苦手意識も有りアルフロッドとライラは一足先に魔術学院へと向かっていた。
思っていたより自分自身ショックでない事が意外だ。予想していた事が来ただけ、そう考えていたからかもしれないが、それ以上にアルフロッドはそれでいい、そう考えている自分が居るからかもしれない。
だがしかしーー
(俺も焦っていた感は否めない、か)
(盆に返らず、仕方有るまい。もとより学院卒業までには手を離すつもりだったのじゃろうて)
(そうでもないが、強力な手札がある分には困らないからな)
(まぁ、そうじゃがの)
ため息を吐くクラウへと苦笑が浮かぶ。一人苦笑しだした事にスゥイが訝しげに見てくるが、軽く手を振って何でも無いと答える。
苦笑、思い出したアルフの顔と仕草。
(あれはまるで恋人を守る騎士、かな?)
(良く言うわ、ライラ嬢を脅かしたお主の言える言葉じゃないぞい)
最後まで目の奥の怯えた色を消す事が無かったライラ。とりあえず普通に喋れる程度にはなってくれたが、当然積極的ではない。
だがしかし枷にはなってくれた。
コンフェデルスに対しての面子の確保、そしてアルフロッドに対しての戦力上の枷、そしてルナリアにとっての手札の一つ。
強すぎる戦力、弱点の無いバケモノ、そんなものが国に居る事に不安がるヒトは多いのだから。
当初の約束、学院での監視に関しては別に四六時中傍に居なくても出来ない事はないだろうし、恐らく国からの監視も付くだろうからさほど重要視はされないだろう。むしろアルフロッドとの仲が悪くなった事に対して喜ぶ奴も居るかもしれない。
「やだやだ、友人売って点数稼ぎ。嫌な奴になったもんだ」
「何を今更。嫌な奴どころか極悪人でしょう」
「スゥイ君、君も極悪人の仲間だからね」
「それも今更ですね」
諭す様に告げた言葉も肩を竦めて返された。
この一年で随分と遠慮が無くなった様で何よりではあるのだが。
はぁ、とため息をついた所で本へと視線を戻していたスゥイが呟く。
「それをしなければ強制的な婚約、あるいは肉親、友人関係、クラウシュベルグの知人を利用した枷作りをしたに過ぎないと思います。舞台の上に過ぎないとはいえど、当人同士がそう思っていないのであればそれは良い事ではないですか」
「なんだ、慰めてくれてるのか?」
「慰めて欲しいのですか?」
「いいや、全力で遠慮しておく」
「それは残念です」
僅かに目を細めてちらり、とこちらをみたスゥイから視線を逸らし外を見る。
そして馬車の中にはまた沈黙が続く。ストムブリート魔術学院まで後数刻。
「(さて、アリイア達はうまくやっているかな)」
浮かんだ笑み、それはどこか歪んでいる様にも見えた。
○
同時刻 カナディル連合王国 とある馬車の中にて
みしみし、と音がする。
馬車の枠を掴み、力の限り潰してしまえとでも言いたい程に力を込めて握りしめているその音だ。
それを成しているのは目の前の女性、無表情ながらその周囲を覆う雰囲気は不機嫌、それ一色。
ブロンドの髪、褐色の肌、苛立たしげにもう片方の手では馬車の狭い空間でシャムシールをくるくると回し危険極まりない。
「な、なぁアリイア。剣を鞘に納めてくれないかなーと……? いえ、なんでもないです」
スゥ、と細まるアリイアの目と一気に下がった馬車内の温度で告げた言葉は尻窄みとなり、いつもの活力ある表情はどこへやら。自慢の赤髪もどこかくすんでいる様に見えるシュバリスはため息をついた。
アリイアの機嫌が超絶に急降下しているのは数時間前からの話なのでもはや他の面子は触れない様に、見なかった事にしているくらいなのだが。生憎と隣に座っていたシュバリスにとっては他人事ではなかった。
本来スオウの護衛であるはずのアリイアはなぜかシュバリス達と中央都市ヴァンデルファールへと向かう馬車ではなく、カナディル連合王国首都へと向かう馬車の中に居た。
「あぁ、スオウ様に何か有ったら……。一ミリでも傷をつけたらバラして晒して並べてあげましょう。うふ、うふふふふふ。両親兄弟親戚皆殺しです。えぇ、殺して殺して殺して回ってみせましょう。いえ、それよりもスゥイ、あの子がもしスオウ様を守れなかったらまず彼女から殺しましょう、ええ、そうしましょう」
「あ、あのー、アリイアさん……?」
「なんですかシュバリス、その時邪魔をするようなら貴方から切って捨てますが?」
「いや、そのだな仲間を裏切るなってスオウから……」
「スオウ様以外の存在等必要有りませんので、それがなにか?」
「いえ、なんでもありません」
はぁ、とため息をつくシュバリス。気の毒そうな目が3対。視線を合わせると全員目を逸らした。
スオウ絶対主義具合こそ今更の話なのではあるが、よくまぁスオウはこいつと上手くやれるものだと思う。
いや、スオウが傍に居る時はこれほど酷くは無いのだ、全く以て頭が痛い。
そも、凄惨な過去を持ち、殺す事しか知らなかった彼女を一般常識に当て嵌める事自体が間違いでもあるのだが。
「糞生意気な加護持ちがスオウ様に反旗を翻したのです。殺さなければ殺さなければ危険です、危険すぎます。今直ぐ殺さなければ」
アルフロッド少年と呼ばれていた頃の面影等既にない。
危険なのはお前だ! と今馬車の中に居る皆は同じ事を思った。
ーー兎にも角にも。
「アリイア、現場に付いたら指示には従ってもらうぞ」
太い声、アインツヴァルが念を押す様に告げる。スオウが居ない時のリーダー。元総隊長の肩書きは伊達ではない。この状態のアリイアに真っ正面から話しかけるとは、さすがはアインツヴァル。
若干感動しているシュバリスではあるが、その隣に座るアリイアと言えば色の篭らぬ目でアインツヴァルをみている。
心臓に悪い。対面のフィリスがお腹を抑えていた、胃にダメージでも来たのだろうか。同情してあげたい所だが生憎と自分も同情されたい立場だ。
エーヴェログなんかは完全ガチ無視で気配を消してる。さすがのアイツもこの状態のアリイアにちょっかいを出す事は無い。
「作戦失敗はスオウ様の害となりますので当然です」
「なら構わん。好きにシュバリスでストレス発散しておいてくれ」
「うぉい! アイン! てめぇ売りやがったな!」
「五月蝿いよシュバ。私は現地に付くまで寝るから後宜しくね〜」
「さて……、僕は矢の再確認でもするかな……」
のそのそとそれほど広くも無い馬車の中で各自が各自アリイアから距離を取る。俺も距離を取りたい。
仕方が無く立てかけていた剣の手入れでもするかと鞘から抜き、調子を見る。
後ろでひゅんひゅんと風切り音が聞こえるが聞こえない事にする。聞こえない事にするったらする。
コンフェデルスで彼女を単独行動させた理由がよくわかった、一人の方がマシなのだ、ちくしょうめ。
「あぁ、スオウ。どうしてお前は魔術学院なんて行ってしまったんだっ……!」
ただの慟哭、答える者は誰もいない。
○
入学式には最適の天候、まさに入学日和。
燦々と降りしきる太陽の日差しは学院の白い外観を美しく照らしあげ、周辺に点在する歪な樹木に栄養を送る。
真新しい制服を身に纏い、自分と同じ年齢層の少年少女が満面の笑みを浮かべ校舎へと歩いて行くのが見える。
幻星歴1040年、ストムブリート魔術学院代540期入学式。
エリートへの第一歩、最高峰の学問へと、最高峰の技術へと触れる事の出来る最初の一日。
長い茶色の髪を首の後ろで一つに纏め、どこか軽薄な印象をもたらせながらもその目は決意に満ちた様な目をしている。その少年、カーヴァイン・イーエルは期待に胸を膨らませ、白く輝く校舎を見上げていた。
「へへっ、夢にまで見たストムブリート魔術学院! うっしゃぁーっ! やったるでぇー!」
ぎゅう、と握りしめた拳は天を突かんが如く上空へと掲げられた。
本人の熱意は相当な物では有るが、周りのヒトにしてみればおかしな奴がいるなぁ、くらいの印象に過ぎず……。
「周りの目が痛いから止めんかー!」
どごふっ、と上空へと手を突き出したままのカーヴァインへと飛び蹴りをかまし、見事に背中へと突き刺さるその一撃。
そげふっ、と変な声を出しながらごろごろと吹き飛ばされて行くカーヴァイン。
吹き飛ばしたのは一人の少女、残念な事にその少女もまた周りから変な目で見られる事になっているのには気が付いては居ない。
一方ごろごろと吹き飛んだカーヴァイン、だがしかし流石はこの学院に入れる程の実力者。
一瞬にして身体強化を施した彼の体に傷は付いておらず、ーー砂埃でみすぼらしくなってはいるがーーぴくぴくと痙攣したかと思ったらがばりと立ち上がり蹴り飛ばした少女へと指を指して声を張り上げる。
「てんっめぇー! ロッテこの野郎っ、なにしやがるぅぅうううっーー!」
「うっさいぼけしね、だまれ、というか消え失せろー! うっさいんじゃー! 入学式初日から騒ぐなぼけー!」
「お前のほうがうっさいわー! 何してくれてんのお前っ、まじ何してくれてんのっ。この、超絶イケ面の俺様が砂埃でぼろぼろじゃねーか!」
「鏡見てこいやこのだあほっ、アンタの顔のどこがイケ面だっつーのよ。死ねっ、いっぺん死んでもっかい死ねっ、私の完璧な入学式が全部パァじゃないのー!」
罵倒の嵐。数分にも及ぶその口撃の後、あぁぁぁぁっ、と頭を抱え横へと振りながら絶望の色を宿して崩れ落ちるロッテと呼ばれた少女。
水色のショートカットの髪がさらりと流れ、中々に整っている顔では有るのだが、その仕草とテンションと纏う雰囲気から残念ながら相殺どころかマイナスである。
本人は気が付いていないが、周りの入学生諸君は今年は変な奴が“二人”いるなぁ、と思われていたりする。
魔術の最高峰、正直変な奴はもっといたりするのだが、入学式前からここまで目立てる奴も居ないだろう。
あぁ、終わった私の学院生活、と落ち込んでいるロッテの肩にぽん、と誰かが手を置く。
振り向いた先にはピンク色の美しい髪が一面に広がる。もみあげを長く伸ばし、後ろ髪を短く切っている独特の髪型をした少女、シュシュ・エルがロッテへと声をかけた。
「式、始まる」
ぼそぼそと呟く様に紡がれたその言葉は壊れそうなガラスの様に儚い声。整ったその顔から紡がれる声は同性ですら思わず顔を赤らめる程の美声ではあるが、付き合いが長いロッテは特にそう言う事もなく、はっ、とした表情をしたかと思うとがばりと立ち上がり怒り心頭のカーヴァインへと声をかける。
「バカーヴァイン行くよ! 遅刻したら笑えない!」
「誰が馬鹿だっ、アホッテ!」
「へぇぇえ、アンタなに? 死にたいの?」
「ほぉぉ、その言葉そっくりそのまま返してやるぜ暴力女がっ」
ぴりぴりと空気が張りつめそうになる、がーー
「急ぐ、時間無い」
ぼそぼそと紡がれる言葉。その言葉に互いに威嚇し合っていた二人も血相を変えて走り出す。
「んがー、これで遅れたらお前のせいだからなロッテ!」
「うっさい! 全部アンタのせいよ!」
「二人、走る」
走りながらも罵倒し合う二人にやや諦めの表情を宿しながらも二人を諭すシュシュ。
さすがは学院入学生、子供とは思えない程の速度で学院の廊下を走り抜ける。特殊な樹木で作られた壁や金属、レンガ作りの建造物。それらが後ろへと流れる様に過ぎ去り、目的地へと疾走する。
途中数名追い抜いたが残念ながら襟に付いている紋章の形状から彼らは上級生、であれば入学式に急いでいる自分達とは関係ない。
まずいまずい、と思いながら足を急がせていた所でふと、遠目の広場、その木の陰で数人の上級生が固まっているのが見えた。
「んお?」
「どーしたのよカーヴァイン、立ち止まって」
ぴたり、と急にとまったカーヴァインを訝しみ少し先へと走っていたロッテとシュシュが戻ってきた。
怪訝な表情で目を細め文句の一つでも言おうと思ったロッテであったが、遠くを見ている彼を見て自分達も同じ方向へと視線を向ける。
「あら、あれ、うちらと同じ1年生もいるね。黒髪の男の子と女の子かなー?」
「あぁ、ってなんかアレ雰囲気まずくねぇか? って、あ、上級生が!」
「ちょっと喧嘩? 入学初日から何考えてるのよ!」
遠目では有るが、ドン、と上級生が遠目の黒髪の女の子を小突いたのが見えた。
転ぶかと思われた少女だが、上手く重心をずらしたのか逆に小突いた方の上級生がつんのめっているのが見える。
しかしそれがきっかけとなったか一気に険悪なムードへと変わって行く。
「やっばい、先生呼んでくる!」
「頼む! 俺は手助けにーー「いらない」え?」
聞こえた声は冷徹な拒絶、その声は儚くもありながら力強い拒絶の意思が篭っていた。
慌てる二人へ不要と告げるその言葉を発したのはシュシュ。
睨みつける様に上級生と同級生の集団を見る彼女は珍しく真剣な表情だ。
「あのヒト何かおかしい。関わらない方が良い」
「は? え? 上級生の奴らか?」
「違う。あっちの黒髪の男の子。関わらない方が良い」
「ちょっと、シュシュがそんな事言うなんてどんな奴よ……」
険しい表情を変えず集団を見るシュシュの言葉に思わず眉を顰める二人。
そしてシュシュにそう告げられた少年の方を見てーー硬直した。
「は……?」
「え?」
「……」
ガクリ、そう言う表現が適切だろうか。
まるで操り人形の糸が切れたかの様に囲んでいた上級生が一気に崩れ落ちたのだ。
遠目ではあったが黒髪の彼らが動いた様相は見えなかった。自分達に視認できないレベルで行動したなんて事はあり得ない。
これでも相当な修練を積んできた自負が有る。しかし目の前で起った現象を説明する事は出来ない。
「おい、何が起ったか見えたか?」
「わ、わっかんないわよ……。魔素が揺らいだ様には感じたけど……」
「なんかの魔法を行使したのか? それにしたっていつ詠唱したんだよ。即時詠唱だとしても相手の意識を一瞬で奪うって睡眠系か雷撃系だろう? でもあの上級生だって魔術学院の生徒だろ、状態異常の耐性くらい持ってるに決まってんだろ」
「そんな事言われたって私にはわかんないわよ!」
一瞬で意識を奪う魔法、無い訳ではないがその方法は限られている。そして見る限りには相手に目に見える外傷は無い。
これならば魔法というよりは一瞬で動いて昏倒させた、と言われた方がまだマシだ。
互いに額をあわせてひそひそと話し合うカーヴァインとロッテ。答え等出る筈も無いのだが、二人で喧々囂々と話し合う。
その間、シュシュはずっと彼を、黒髪の少年を睨みつける様に見ていた。
「……異質。世界の異端」
ぼそり、と呟かれた言葉。総じて彼女の眉間に皺が寄る。
それは自分で言った事に対して今一しっくりこないから、であろう。
間違ってはいない、だがしかし当ってもいない。そんな印象。だがしかし彼女の意識が、危機感が、彼には関わるなと言っている。
シュシュ・エルは月読みの一族。星とともに生き、星とともに死ぬ一族の末裔。
所謂高確率で当たる占い師の様な物なのだが、故に彼女は自分の直感を信じていた。彼が何らかの方法を持って上級生を倒したのだ、と。
「あ、ちょっとこっちくるよ!」
「え、げっ、やべぇ、なんか言われるんじゃねぇか!?」
「えぇっ、なんでよ、私たち何もしてないわよ!」
「そ、そうだよな。よし、まかせろドンと構えてろ!」
距離が近づくにつれその表情が鮮明になる。
黒髪の少女は肩口で切りそろえられた髪を静かに揺らし、恐ろしいまでに整った顔は無表情に近い。その乏しい感情の為に半減されてはいるが将来確実に美人と呼ばれるに違いない造形をしていた。シュシュも同様なのだが、生憎と自分自身の事に関しては無頓着なのでそこに気が付いては居ない。
隣に立つ少年は癖のはいった黒髪でそれなりに整った顔をしている。だがしかしその顔はまるで貼付けた様な笑みを浮かべていた。数人のヒトを昏倒させた後とは思えない表情であり、シュシュはその表情を見てぞくり、と背筋が泡立つのを感じた。
「おや、まさか見学者が居るとは」
「巫山戯た事を抜かさないで下さいスオウ。そんな事とっくに分かっていたでしょう」
「お前、形式って必要だろうよ」
「無駄な時間を労するだけです。いい加減にしないと約束の時間に遅れますよ」
「多少待たせておいても問題ないだろうさ」
「そんなはずありません。常識で物事を考えて下さい。今後の学院生活を円滑に送る為にも必要最低限の事はしっかりして下さい」
「まぁ速攻で問題起きたけどな」
「悪化させたのはスオウです」
肩を竦めて返した男、名前はどうやらスオウ、と言う様だ。
スオウ、どこかでその名前を聞いた様な気がしたとロッテは考えるが、思い出す前にカーヴァインが彼へと話しかける。
「な、なぁ。アンタさっき何したんだ?」
「ちょ、カーヴァインやめなさいよ!」
「いや、だってよ……。な、なぁあいつら救護班とか呼ばないでいいのか? というか、大丈夫なのかアレ……」
目線を先ほどの上級生へと向けて目の前に立つ少年。スオウへと声をかけるカーヴァイン。
それに対して僅かに首を傾げるスオウ。
そして思い出したかの様にあぁ、と呟いた彼は貼付けた様な笑みから一点、目だけは笑わずに告げてきた。
「どうやら朝食を抜いてきた様でね。お腹が減って寝込んでいるだけだから大丈夫だろう」
そんな訳あるか、とカーヴァインとロッテの二人は内心で毒づいた。
隣に立つ黒髪の少女がため息をついている事から嘘である事は明白だ。というかため息が無くても嘘である事は明白である。
「種族差別の揉め事です。暫くすれば目覚めるでしょう。申し遅れました、半吸血族のスゥイ・エルメロイと申します」
ううん、とカーヴァインとロッテが頭を悩ましていた所で黒髪の少女が頭を軽く下げてそう告げてきた。
半吸血族、と言った所でカーヴァインとロッテの体が僅かに硬直する。それに対して彼女は僅かに眉を顰めたが、とくに何も言う事は無い。逆にカーヴァインとロッテが申し訳なく、沈痛な表情を浮かべ、僅かな逡巡の後スゥイへと謝罪を述べた。
「あ、ご、ごめんね。うー、といっても説得力ないよねぇ……。はははー。えっとー、うん、ごめんっ!」
「お、おう! すまん!」
がばり、と二人揃って頭を下げる。一瞬目を見開いたスゥイだが、直ぐに無表情へと戻る。僅かに笑みを浮かべているのをスオウは認めたが黙っている。
「気にしないで下さい。吸血族に対する忌避感はコンフェデルスですら稀にある程ですから。カナディル連合王国ではある程度は仕方が無いと思っていますし」
吸血族はヒトの血を啜り、眷属とする。そういう噂、いや事実でもあるのだが、そういう話が広まった時期が昔あった。
正確には魔素の混じった血液を吸血の際に送り込み、対象のブーストを行う事が出来るのだ。
何故そう言う噂が立ってしまったかというと、そのブーストは血を送らず吸う事によって吸血側のブーストを行う事が出来るという事。そして彼らの行う吸血の殆どがそれであった事と、操ろうと思えば魔素量で勝る事によって出来なくも無い事が発覚したからだ。
実際相手の魔素量を上回るとなると相当量の血液を送り込むか、あるいは潜在的な魔素量がとてつもなく高く無ければ不可能なのだが、出来る、という点は吸血族に対しての忌避感へと繋がった。其の為大規模な討伐事件も過去起った程なのである。
現在はそれらは解明されており、危険性は無いと言われているのだが、それでも僅かに残った忌避感が吸血族に対する忌避感へと繋がっているのだ。それは半吸血族とて同様の事なのだが……。
「なんで話す?」
「いずれ知られる事です。それにこのままではスオウが一方的に暴力を振るったかの様に思われます」
「別に構わないんだが……。事実だし」
「今回は正当防衛です。相手方の魔素の揺らぎも有りましたしあのままでは危険でした。それに……私が構うのです」
はぁ、とため息をつくスオウと呼ばれた少年。
彼らの会話を聞くにどうやら向こう側にも問題があった様だ。とはいえ一方的に昏倒させて良いかと言われると疑問では有るのだが。
兎にも角にもそんなにヤバそうな奴らじゃなさそうだな、と一安心したカーヴァインではあったが、これ以上無い程険しい目でスオウと呼ばれていた少年を睨みつけているシュシュに気が付いて思わず声をかける。
「お、おい。シュシューー」
「行く、時間無い」
「え、あ、ちょっとシュシュ! えーっと、ごめんなさい! ま、またー!」
かけた声は途中で途切れ、シュシュにしては珍しく強引にカーヴァインとロッテ両方の手を掴み入学式の会場へと走って行く。
その様相に疑問を持つが、シュシュがそうした方が良いというのだからそうした方が良い可能性が高い。
話した感じはまともそうだったが……。トラブル体質なのだろうか、と失礼な事を考えながらカーヴァインはシュシュに引っ張られながら走る。
と、同様に横で並走していたロッテが急に大声を上げた。
「あーーーーーーー!」
「なんだようるせーな!」
「思い出したのよ! あの二人っ、スオウ・フォールスとスゥイ・エルメロイよ!」
「はぁ? いや、まぁ名乗ってたからな。スオウとやらの方は、あれそう言えば名乗ってなかったか」
「ちっがーうっ、ちがうのよ! あの二人トップの二人、入学筆記試験の一位と二位よ!」
「え、ええぇぇぇぇぇええ!」
絶叫が学院の廊下に響いた。




