幕間 舞台の上で踊る道化とその身に宿す業と宿命3
It is in the moment of decisions that your destiny is shaped.
あなたの運命が決まるのは、決心の瞬間だ。
コンフェデルス連盟は6つの名家から成り立っている。元々は商家であり、それが強大化した力を持つ様になり現在も商家の側面を持っていない訳ではない。故に6つの商家から成り立っているという様にも言われている。
6つの家、彼らはそれぞれ自分達の分野で上手く棲み分けを行い、コンフェデルスを統治してきた。
しかしながら、6つの家が有るという事はそれだけ考え方も変わるし、意見も違える。
其の為都度、話し合いの場にて対外的な国の代表を決めるのだ。
現在の代表はローズ家の当主、エイヤル・ローズが代表である。
しかしながらそれには理由があり、カナディル連合王国からナンナ王女が嫁いできたため、対面的な問題も加味した上でコンフェデルスのトップに据えたという側面もある。当然彼が無能であるという訳ではない、無能であればそも、コンフェデルスの6家の一つの長に等なれやしないのだから。
それは兎も角として、コンフェデルスの6家、その内のベルフェモッド家とレイズ家は専ら裏の仕事が主となる。
自国は当然、他国の情報収集から情報の流布、間者の調整、暗殺、誘拐、拷問、綺麗事だけでは国は動かない。
そしてベルフェモッド家とレイズ家、彼ら2家は他家に比べ私設軍が充実している。当然ながらコンフェデルス連盟としての軍も存在しているが、2家の戦力だけで無視できない程度には存在しているのだ。
故に、稀に国軍と私設軍で揉め事が起る時がある。
そして、その時犠牲になるのは下っ端の人間であるというのも良くある話である。
アインツヴァルは元々はコンフェデルス連盟所属、連盟陸軍第2魔法甲兵部隊、通称ダブルエス(UMSS:Union magic Shell soldier)総隊長の肩書きを持っていた。
叩き上げのヒトとしてはそれなりの地位では有ったが、所謂名家に属するヒトでは無い、という事が彼の出世の道を狭めてはいたのだが……。
他国に比べ、コンフェデルス連盟は一般市民に対しても門は大きく開かれている。とはいえ全く依怙贔屓がない訳ではない。
幻星歴1038年 冬。ナンナ王女の結婚式典の警備の一角を一任され、今までに無い大仕事を終えたアインツヴァルはいつも通り、魔獣に対する警戒、及び討伐業務を行っていた。彼は専ら魔法を用いて戦う、その中でも主に風の魔法を得意としており各メンバーとの連携を計り、そして自身も時と場合によっては前線に出る、頼りになる隊長と言えるだろう。
「アイン隊長、今日でしたよね? 例の奴が来るの」
「あぁ、そうだな。だが6家縁とはいえど特別扱いする事は無い。それは相手方にも為にならないし失礼だろうからな」
「ええ、当然ですよ。ここの厳しさをガツンと教えてやりますから!」
当時はまだ襟にかかる程度に長かったアッシュブロンドの髪は彼が良く好んで着る漆黒のローブと合わさり、陰湿な外観を思わせていた。しかしながら、アインツヴァル自体は寡黙ではあるが社交的で無い訳では無く、話せば応じてくれる、そういう認識の元、部下からの信頼も厚かったで有ろう事は想像に容易い。
彼らが今回担当したエリアは首都からやや離れた湿地帯、主に死霊系の魔獣が出没するという報告があった場所であり、今回はその状況の視察と場合によっては討伐指示が国より下され、それと同時に所謂新人と呼ばれる者の研修も兼ねた実戦経験を積む機会であった。
「しかし、死霊系魔獣ですか。最近特に戦争も起きてませんし、大型の魔獣が暴れたとも聞きません。取り越し苦労に終わりそうですけどね」
楽観視、と言ってしまえばそれまでではあるが、部下である彼の言い分も尤もな話であった。
死霊系の魔獣は主に魔素溜まりであり、尚かつ死者が多く存在していないと発生しない。戦争、あるいは大型の魔獣にヒト、魔獣が大量に殺され、その死体が積み重ならない限り早々発生はしないモノだ。逆に言えばそれが本当に発生しているのであればきな臭い事この上ないが、おそらく近隣住民の見間違えではないだろうか、という予想が今のアインツヴァルの部隊での認識だった。
事実見間違いによる死霊系魔獣の報告は多い。
ヒトは恐怖で想像で、ただの木の枝や風の音を、見間違えて死霊だと言う事が有る。
暗闇の中、月明かりに反射しただけの水滴を死霊魂と呼ばれる魔獣の一種と勘違いする事もあるのだから。
数週間後、現地へと到着し、部隊が全滅するまでアインツヴァルはそう思っていた。
「アインツヴァル・コートオール。部隊死者28名、重傷者4名、軽傷者2名、目的の死霊討伐に失敗。現状の認識の甘さが招いた結果だな。申し開きは有るか?」
ドン、と置かれた報告書の束を机の上に置き、アインツヴァルへと問いかける一人の初老の男。
軍司令官であるその男の視線をまっすぐにアインツヴァルは受けながら答えた。
「申し開きする事は有りません。全て私の責任です」
粛々と受け止める事実。そのアインツヴァルもあちらこちらに包帯が巻いてあり、立っているのもやっとなのであろう、額からは脂汗が浮かんでいるが、それでも毅然として立っていた。部下の命を使って逃げ、現状の報告をしている、故に自分がここで倒れる訳にも、座る訳にもいかないと。
「そうか……。新人が一人暴走した、と聞いたが?」
「その様な事実は有りません。全て私の責任です」
繰り返される同じ解答。その答えに初老の男は目を閉じ、アインツヴァルへと退室を促した。
退室し、ふらふらと廊下を歩き、角まで来た所で一人の男が顔を出す。
嫌悪感を僅かに出したアインツヴァルではあったが、直ぐにそれを消し、その男へと問いかける。
「これで部下の命は……」
「えぇ、勿論です。そもそも貴方達はあの場所で善戦したがやむなくく敗退した、それだけです」
「……わかりました」
「あぁ、それと貴方も退役をお願いします。その足ではもう全力で走る事は出来ないでしょう? 責任を取るものが必要ですのでご勘弁頂ければと思います」
「えぇ……、理解しています」
ギチリ、と握りしめた手は強く、噛み締めた歯の隙間から漏れる声はただ怨嗟。しかし、これが現実に過ぎない。
ずりずり、と怪我の治らぬ足を引きずりながらおそらく部下達が眠る病室へと向かうアインツヴァル。そんな彼を流し見ながらその男は呟いた。
「いやいや、まさか名家縁の者が帝国から奴隷を買って人体実験をしているとは。しかも証拠隠滅の為に部隊ごと殺そうとするとは思いませんでしたね。まったく、ベルフェモッド家とレイン家の怠慢と言えるでしょうこれは。まぁ、軍としてもあの2家に貸しを作るのは良いですし、巫山戯た事をやらかした男の大本にも借りを作れましたし、良しとしますか」
死者28名、それの対価としては十分だろう、と思案しその男は廊下の奥へと消えて行った。
強力な私設兵を持つベルフェモッド家とレイン家、彼らの力を削ぎたいと思っているのは軍内部の者だけではないが故に。
その1週間後、アインツヴァルは軍を除隊。
そしてその除隊当日にスオウに拾われた。
○
襲撃を受けるほんの数十分前。
アインツヴァルは一つの部屋の前へと来ていた。
しん、と静まり返った宿の一室。
ドアの前で一度立ち止まったアインツヴァル、軽いため息をついてドアをノックした。
僅かに遅れて返事が返る、声はアルフロッドの声。
恐らくこちらが誰かは分かっているのだろう、声には刺が有る。
「入るぞアルフロッド君」
返事を待たず扉を開ける。
質素な客室のそれは自分が泊まっている部屋とほぼ同じ造りであり、ベットが二つと調度品が数点。
安宿という訳でもないためそれなりに見栄えは良いが、かといって高級品を置いている程ではない。
その部屋のベットの一つの傍、そこにアルフロッドは座っていた。
そしてベットの中には青い髪の少女が一人。
「……何の用だよアインさん」
「ライラ君は?」
「――さっき、寝たよ。怯えてた……、当たり前だよな、あんな光景」
「子供に見せる光景ではなかった、だから止めたんだがね」
軽く目を細めて俯くアルフロッドを見るアインツヴァル。
同情の目、だがしかしこれはこれで良かったのかもしれないとアインツヴァルは思う。
同様にスオウもそれほど苦情は言わなかった、ただ時と場合によるだろう、とは言われたのだが。
「……なんで、なんでだよ、クソッ」
ぎゅぅ、と握りしめた手。どこにぶつければ良いのか分からない苛立を感じているアルフロッドは悪態をつく。
しかしその答えを持つ者は居ない。
何故殺したのか、殺さなければいけなかったのか。そもなぜ襲われたのか、何故襲われなければならなかったのか。
時間が経つに連れて“何故”が増えて行く。しかし問うたスオウは沈黙を貫く。
自分で考えろ、と言われている様にアルフロッドはスオウのその態度に感じていた。
考えろ、思考しろ、スオウが良く言う言葉。
アルフロッドに対して、そしてスオウが自分自身に対しても使う言葉だ。
あらゆる観点から、あらゆる状況から、推測と予想を状況と情報から積み立てろ、と。
だがしかし、アルフロッドはまだ12歳、小学生から中学生にあがる程度の年齢。それから考えれば十分に成熟しているとも言えるだろう。
しかしながら彼が置かれている立場はそれで満足していては骨の髄までしゃぶられるか、あるいは周り全て不幸にしてボン、と爆発するだけだ。
「不満かねアルフロッド君」
ぼそり、と呟かれた言葉にギ、と睨み上げる様にアルフロッドはアインツヴァルを見た。
「殺した事が不満かね、知らない事が不満かね、教えてくれない事が不満かね。アルフロッド君、世の中全てなんでも教えてもらえると思っているのならばそれは大間違いだ。そして教えられたモノが全て正しいと思っているのならばそれもまた間違いだ、彼らが何故我々を襲ってきたのか予想は付いているのではないかね? それでいてそれを認めたく無い、いや……、もっといい方法が有ったのではないか、と考えているのかな?」
沈黙。
僅かに目線を逸らしたアルフロッドはライラの顔を見る。
すぅすぅと静かに眠る彼女はつい先ほどまで怯えていた影はどこにも無い。
唯一、暗闇で見えにくいが繋がれたアルフロッドの手が彼女の心を休めたのだろうか、アインツヴァルの声を心の中で反芻しながらアルフロッドは彼女の手を握りしめる。
「おそらく、ではあるが高確率でこれから襲撃を受けるだろう」
「――え?」
そして告げられた言葉。
硬直したアルフロッドはアインツヴァルに視線を送る。
「まさかあのまま大人しく引いてくれると思っていた訳ではないだろう?」
その言葉に対して唇を強く噛み締め、問いかけたアインツヴァルを強く睨みつけた。
原因は明白、最後に何かを言ったスオウのせいだろう、と。そう目が言っている。それは間違ってはいない、だがしかし。
「スオウが何かを言おうとそれは果たして関係があるのか? 本当に反省しているのならば何を言われても関係ないのではないか?」
スオウは不確定要素を無くしたに過ぎない、焚き付けて、早々に襲ってくれる事を期待して。
時期が不明瞭になればその分長期的な警戒が必要になる。逃がすなら、種を撃つ。妥協するなら次善策を、悪手ならば補填案を。
ぞわり、と空気が揺れ動く、戦場の空気、張りつめた空気。
ヒトがまた死んで行く――
「アルフロッド君、君はそこに居るべきだ。君の考え方が間違っている訳ではない、しかしそれが絶対的に正しいとは言わない。
だがヒトを殺してはいけないというその考えはきっと間違っては居ない。
ならば君は守りたまえ、まずは彼女を、そして良く覚えておくんだ、今の君が出来るのは彼女を守る事だけだと。
その手に守れる範囲はまだ一人にしか過ぎないのだと。
君の考え方は悪くは無いだろう、私個人としてもとても好ましい。
これから私たちは襲撃者を皆殺しにする。それは我々に手を出す事の愚考を教えるという意味も含めて必要な行為だ。私たちの邪魔をするか? だがアルフロッド少年、その時点で君は彼女を守れなくなるぞ、襲撃者を全て無力化し、我々を全て無力化し、そしてその彼女を今後一生守り通せるか? 今後全てそうしていくのか? 現実は夢物語ではない、夢を語るのならばまずは現実を受け止めるといいアルフロッド君」
――否定の言葉を叫ぶ。だがそれでいてアルフロッドはそれの不可能さを理解していた。
否定したのはただの感情、アルフロッドとしてそれを認められないのだ、と。
母を殺して、父を殺しかけて、そして膨大な力を得ていながらまだ守れるのはただ一人。
「現実はどこまでも厳しい。私は元軍人だ、それでいてまだ認識が甘かった。そも、事実を知った軍人をそう簡単に退役させる訳も無かったというのに。
アルフロッド少年、君は加護持ちという強大な力に飲まれずそういう価値観を持てるというのはとても素晴らしい事だ。私個人としては君の事はとても好ましく思っている。だからこそ、君にはその考え方を捨てろ、とは言わない」
呟かれる独白。そして続けられる助言。
思い起こされるのは過去の記憶。
『俺の下に就けアインツヴァル・コートオール。俺がお前を使ってやる。断るか? 事故死の死体が一つ出来上がるだけに過ぎない。まさか、裏事情を知る君をそのまま自由にさせてくれるとでも思っているのか?』
奴隷商からたどり着いた一つの事件だとその日会った少年から告げられた事実。
『裏取引なんてどこにでもある話だ、世界に名だたる加護持ちの付き人護衛、それが事故死するかな? 使える手札は有効活用しないと勿体無いだろう? 期待しているぞアイン』
くつくつ、と笑う少年。
彼の元で真実を掴む為に、私は彼に従う。
そうしてアインツヴァルは杖を振る。襲撃者の風を感じ、そしてスオウへと情報を送る。
パタン、と閉じられた扉。その部屋の中。
きつく閉じた目、握りしめたライラの手、自分が加護持ちであるが故に、宿の外で消えて行くヒトの気配を感じながらアルフロッドは耳を塞いだ。
○
コンフェデルス首都 郊外
太陽が沈み、月が浮かぶ時間。
満月ではない為か、あるいは曇りでもある為か、いつもより暗いその中で蠢くヒトヒトヒト。
言うまでもなくスオウ達が泊まる宿へと進んでいる一団だ。
総勢38名、殺し屋と傭兵が混在している部隊とも言えないただの集団。
いや、傭兵はまだまとまっているとも言えるが、そも殺し屋と傭兵が仲良く仕事などそうそう無い。
とはいえ相手は子供一人、油断が無かったとは言えないが、それでも彼らはいつもよりは緊張感が無かったとも言える。
この場合責められるべきはルイドだろうか、相手に加護持ちが居るという情報を伝えなかったという点で詐欺も良い所。
しかし、相手に加護持ちが居ると言えば果たして彼らを雇えただろうか。
答えは単純、否、それのみ。
あるいは法外な金銭を求められるだろう。
知らなかった、教えられなかった。だがスオウにしてみれば一言、馬鹿め、それだけだ。
知らないのが悪とは言わない、だがしかし自分の命を掛ける仕事をしているにも関わらず裏を取らない方が悪いのだ。
ガコン、と何かが動く音が襲撃者の耳へと届いた。
遠く尚かつ暗闇で見る事は出来ない、遠目の魔法を使用しぼんやりとだが僅かな月明かりで照らされ見えるそこは宿の一室。窓枠が外されており、そこには大きな筒が――
――散弾式大型弩砲射出。
空気を振るわせる程の轟音と共に機械が作動する。
片腕でも使用できる様にレバーは一本、機械を作動させたフィリスは自分の耳を抑える事が出来なかったため、目を顰めて外を睨む。
射出された後にまるで散弾の様に飛び散る鉄の矢。
アインツヴァルによって接敵を把握していた為に中心点へと放たれたソレの被害は尋常なモノではなかった。
「襲撃ぃぃっ! 散開――!」
怒声、一気に空気が戦場へと移り変わる。
比較的無事だったヒトは周囲の遮蔽物へと身を隠し、そして身を縮めて周囲を伺う。
途端、身を隠した遮蔽物の横から襲いかかる様に太い刺の付いた仕掛けの板が跳ね上がる。別の箇所では槍の仕掛けられた落とし穴。
ぐちゃり、と水袋を叩き潰した様な音、至る所でうめき声が聞こえている、始まるのは一方的な虐殺。
「馬鹿共が、襲撃するのを予測していて罠を仕掛けていない訳が無いだろう」
ふん、と鼻を鳴らし宿の窓から外を睨むスオウ。
逐一聞こえてくる情報を頭で整理しながら各自へと通達をする。
(スオウ、東に魔素が大きいのが来たぞ。これならば私も感じられる)
「アイン、東380m、魔術師2人。シュバを回せ。同時にログへ通達、同箇所に閃光弾を打ち込め」
『了解』
通達と共に一瞬明るくなる景色。
矢に括り付けた魔術刻印が衝撃と同時に発動し、辺りを照らす。
いつぞやスオウがシュバリスへと使った方法と同様では有るが、今回は標的の位置をあぶり出すのにも有効。
正確無比なニーヴェログの一撃が命を刈り取る。
『スオウ2射目発射可能』
「そのまま待機、もう少し引きつけてから撃て。アリイア西から挟む様にシュバと合流しろ、お客さんを一カ所に纏めるぞ。罠の箇所に気をつけろよ」
火薬と硝煙の匂いこそしないが至る所でおそらく火魔法と思われる小爆発が起こっているのが見える。
郊外の宿にしておいて良かったものだ。何より亭主の聞き分けが良いのが最高である。
「情報戦の重要さを理解していないのがまだまだ発展途上だな。まぁ、金で子供を殺そうとする程度の低い連中にそれを求めるのも失礼か」
そう言いつつも子供を利用している俺も似た様な者か、と自嘲するスオウ。
情報戦、この世界では騎士や名誉、名乗り上げ等スオウから見れば非効率で古くさい慣習が残る戦い方がまだ定着している。
一部は理解していようとも、全体的な流れはまだ甘い。
「さぁ、締めだ。場数が違うんだよ賊め」
バガン、という音が夜の闇にもう一度響いた。
○
コンフェデルス首都 リッツェア商店 ベルフェモット家分店
こぽこぽと注がれた紅茶を眺め、注いでくれた侍女に礼を言ってスオウは正面に座る一人の女性へと視線を向けた。
メリッサ・ベルフェモッド。
ベルフェモッド家5女、コンフェデルスの裏を取り仕切っている名家の一つ、その家の娘だ。
スオウとアリイア、二人で訪れたその場所で顔を出して来たのは彼女だった。
注がれた紅茶に手をつけなかった事を怪訝に思ったかメリッサが声をかけてきた。
「ご心配せずとも毒は入っておりませんよ。それでも心配でしたらカップを入れ替えましょうか?」
くすくすと笑いながら告げてくるメリッサに対してスオウは苦笑を浮かべて返事を返す。
「お気遣いに感謝します。こういう立場ですと色々と深読みするのが仕事の様になっていまして」
「それはそれは、その歳でご苦労なさっている様で。私どもでご協力できる事が有りましたら何なりと」
「そうですね、首都の治安維持をしっかりしてくれれば特に問題はないのですが」
「私どもと致しましてはあまり前面に出る訳にも行きませんので」
そして互いに笑う。
今回警備兵にせよ、宿の襲撃にせよコンフェデルスの首都で起っている割には初期動作が遅すぎた。
ソレに対してスオウが嫌みを言ったつもりだったのだが特に堪えていない様だ。
「まぁ、こちらとしては金が貰えればそれで良いんですがね」
「えぇ、政治犯のルイド・ツェッペンバーグ。金貨ではなく銀貨で申し訳ございませんが銀貨500枚、後ほどご用意させて頂きます」
軽く頭を下げて謝意を告げてくる。
上手い具合に“餌”に食いついたルイド。コンフェデルスの部隊を動かす事も無く、コンフェデルス側の犠牲者、負傷者も無く、金貨50枚で解決した事に対してメリッサはスオウに頭を下げたのだ。いや、金貨50枚、銀貨にて500枚でスオウと会談をする機会を自然に持つ事が出来た事も含めて、か。
「この時期あまり騒ぎたくは無いですよね。この国もまだ加護持ちが必要ですし。あぁ、いやあるいは、加護持ちには魔工学では敵わない、という事実を知られるのがまずかったというのも有りますかね」
「うふふ、魔工学だけで加護持ちに勝てる訳が有りませんわ。それでも市民は支えが必要なのですよ、加護持ちが一人しか居ないこの国では」
「その割には妙な実験を行っているとお聞きしましたが?」
「さて? 妙な実験でしょうか、私の耳には入っておりませんが」
とぼけた仕草に内心でため息を付くスオウだが別に話してもらえる等と思っている訳でもない。
どちらにせよトップの連中はカナディル連合王国の加護持ちを、間接的では有るが政治利用した事に対して否とは思っていない様だ。
自国を守る為に利用するのは当然、そしてカナディルも多少の利用はあまり派手では無い限り公認するだろう。あちらは隠蔽していた、もとい隠されていたという点が有る為に。
「しかし大人しく金を払って貰えるとは思いませんでしたがね」
「払わなければ襲撃事件をコンフェデルスの意思だと触れ回ったのではないですかスオウ様? 貴方の噂は聞いておりますよ」
「そんな外交問題に発展しそうな事をする訳が無いでしょう? 折角結婚も有り両者の関係が深まってきていますし、精々が蒸気機関も開発できない技術レベルの落ちたコンフェデルスだと触れ回る程度。ただまぁ、その噂は気になるなぁ是非お聞きしたい」
「……」
ぴしり、と空気が凍る。
コンフェデルスの国の強さの一つ、魔工学。それはそれで未だにカナディルを上回っている点が多く有る。
しかし、現在カナディルで開発された蒸気機関と呼ばれる物の出現によってコンフェデルスの技術力に対して疑問視する声があがる事を首脳陣は危惧していた。
市民の不安を煽る行為、それは裏を司るベルフェモッドとして容認できる訳が無い。
「……随分と面白くも無い冗談ですね」
「そうですね、笑えない冗談程詰まらない物は無いですし」
苦々しげにこちらを見るメリッサに対して口角をあげて笑みを浮かべ返事とする。
スオウは楔を打った、金を大人しく渡す事、そしてスオウ、アリイアと少数で会おうとする事。恐らく蒸気機関に関してスオウが関わっているであろう事を掴んでいるのだろう。大体カリヴァの傍に居た期間が長かったのだ、少し調べれば分かる話である。あげくに両親が蒸気船を開発しているのだから隠せると思っている方が馬鹿だ。
故に楔を打った、お前らに話す事は無い、と。
だがしかし、状況はスオウが思っている以上に切羽詰まっているようだった。
「お待ちください」
立ち上がろうとしたスオウへと声がかかる。
同時に立ち上がろうとしていたアリイアの目が細まるが、意に返さずメリッサは続ける。
――おいくらでしょうか、と。
スオウは少しだけ評価をあげた、というよりは好印象を受けた。
余計な言葉は無く、言い繕いもせず、明確に対価をこちらへと振ってきた。
それも威圧的ではなく、ただ望む様に。
それが演技である可能性が無い訳ではないが、スオウはその仕草に好感を受けた、だがしかし――
「話す事は何もありませんよ。あの技術はカナディル連合王国の物。交渉は国同士でやるべきではないですか?」
「……そちらも並行してやらせて頂くつもりでは有りますわ」
つもり、ね。
く、と内心で笑う。それはここで得られるのであればそれに越した事は無い、と言っているのも同義。
あるいは、国との取引で使用できるカード“未満”であるのならばそれを使用してもいい、とも取れる。
だがそこまで理解していてスオウは首を縦に振るつもりは無かった。
「そこまで愛国心が有る様には見えなかったのですけれど」
ため息をつく様に呟いたメリッサのその言葉にふと思う。
そうだ、確かに愛国心なんてものは無いかもしれない。だがしかし彼には守りたい物が家族が居る、故にあの国に無くなってもらうのは困る。
だが同時に家族を守る、という意味合いであれば極端な話あの国でなくても構わないとも言える。
それでいてスオウがカナディル連合王国に固執する理由は一つあった。
「まぁ、これは独り言なんだが」
呟く。椅子から立ち上がりながら、メリッサを見下ろしながら。
「とある女性が一人交渉に来てな。最初はただの馬鹿かと思った、これでは後が無いな、とも。
だが調べて行くうちにどんどん面白い事が分かってな。そして何より感動したのは彼女の目だ、揺らぐ事の無い目。15歳、たったの15歳に過ぎない彼女が首元に剣を突きつけられても瞬き一つ、体の硬直すらなかった。
まるで自分が死ぬ訳がないと思っているかの様に、あるいは自分が死ぬ事によって起こり得るメリットを計算してそれも良いと思ったのか。尋常じゃない、尋常じゃない胆力だ。
そも、彼女は何故一人で来た、それはそうしなければならなかったからだ。信用できる者が居なかったからか? いいや違う、それもあるかもしれないが、彼女はそれがベストだと判断した。
嗅覚だよメリッサさん、国の利を得る為の嗅覚、国の益を得る為の嗅覚、それを彼女は無意識に選択していた」
大勢の軍を連れてきて彼女がくれば果たしてスオウは彼女を主と崇めただろうか。
国家権力を傘にスオウをやり込めようとしたらスオウは果たして彼女に仕えただろうか。
大部隊で移動して彼女が到着するのが数日遅れていたら果たしてどうなっていただろうか。
そも、彼女ではなく別の誰かを使いとして出してそれを信用しただろうか。
愚鈍、と言えばそれまでに過ぎない。護衛も付けず、碌な武装もせず、戦力も持たず、暗殺されたらどうするのか、と。
だがそんな物は後からでも身につけ、周りに指示されれば済む話。
だがしかし、その嗅覚だけは得る事が出来ない。
経験である程度補えるかもしれない、だがしかしそれは天性的な物が大きく関係している。
「それに対してアンタはどうだ? 自分の陣地で、そして周囲には警戒した警備兵、あげくに5女。アンタは優秀だと思うよ? だがアンタに話す事は無い」
比較をすれば必然。
彼女を、ルナリア王女を心の底から信用している訳ではない、だがしかし、彼女の益になる程度には力を貸しても良いと思える程度には……。
眉を顰め、怪訝な顔で見上げるメリッサにそう告げてスオウは部屋を退室して行った。
○
「よろしかったのですかスオウ様」
「あー、まっずいねぇ。カリヴァに何て言おうか、折角コンフェデルスとの個人的な繋がりが出来そうだったのに」
屋敷から出て直ぐにアリイアから問いかけられたスオウはため息をつきながら返事を返した。
ぐったりと肩を落としたスオウへと周りからヒトが集まってくる。
「なんだぁ? 上手く行かなかったのかよ?」
「シュバか、まぁ一応取引は問題ない。予想していた襲撃も無いだろう」
赤い髪を風に靡かせ、帯剣している男。シュバリスはスオウの言葉に警戒を緩める。
敵陣に誘われて何の準備もしていない訳も無く、かといって呼ばれたのは二人。故に屋敷の周囲で警戒をしていたのだ。
一緒にシュバリスと物陰から出てきたフィリスが手を振り合図を送ると近くの家の屋根からニーヴェログが、そして市民にまぎれて座ってたアインツヴァルが近づいてきた。
「ま、終わってしまった物は仕方が無い。今回の件は終わり。終了終了! お疲れ様、酒くらいは奢るぞ皆」
パンパン、と手を叩き空気を切り替えるスオウ。
憂鬱な表情は鳴りを潜め、いつもの貼付けた笑みが浮かんでいる。
「お、いいねぇスオウ。今日は飲むぜぇー!」
「シュバ、スオウに飲ませるんじゃないよ!」
「心配有りませんフィリス、スオウ様に飲ませる様な事が有ればそれ相応の対応を取らせて頂きます」
「うーん、僕としては子供に奢ってもらうのはなぁ」
「そうは言うがログ、スオウは一応雇い主だろう問題ないと思うがな」
「おいおい、一応ってなんだよアイン。というかアリイア酒一つでそんな目くじら立てなくても良いだろう」
わいわいと騒ぎだす一つの集団が産まれる。
太陽が下がり始める時刻だ、真っ昼間とも言える時間。そんな時間から酒を飲んで騒ぐのか、と周りの道行くヒトに思われていそうだが当の本人達は知った事かとばかりに騒ぐ。まぁ騒いでのはシュバリスが殆どだが。
この時間から開いている酒場は限られている、皆言わずとも分かっているとばかりに同じ方向へと足を向け、歩き出そうとした所でその歩みを止めた。
行く先、視線の先、そこには黒髪の少女が一人立っていた。
「スゥイ、か。どうかしたのか?」
立っていた少女はスゥイ・エルメロイ。宿でライラと休んでいた筈のスゥイがそこに居た。
「どちらへ行っていたのですかスオウ、出かける時は声をかけて下さいと言っていたかと思うのですが」
「んー、まぁなんだ。シュバ達と酒場に行くつもりだったからな。スゥイはさすがにまずいだろ?」
「……スオウも同様にまずいと思うのですが」
「大丈夫、俺は飲まないから」
問いつめる様なスゥイの視線に肩を竦めて返事を返す。
探る様な視線を向けてくる彼女、いつも無表情でアリイアと無表情対決で良い勝負が出来るスゥイだが今日の彼女は何かを聞きたいかの様な表情をしている様にスオウは感じた。
「どうかしたのか?」
問いかける。
それは心配、というよりは確認。
年齢に見合わず聡明な彼女は理由も無くそんな顔をする筈も無い。故に確認。
「貴方は何を求めているのですか?」
問いかけた言葉に対して答えたスゥイの言葉はスオウの目を開かせた。
今まで煙に巻いていた問いかけでもあり、そして問いつめられない様な雰囲気の中で過ごしてきた2年間。
だが彼女はもう一歩踏み込んできた。今度は逃がさない、と言うかの様な目で。
「くっくくくく、あっはははははははは、くはははっ、はっはっははぁはぁ……」
我慢できない、と笑い出すスオウ。
顔を上げ目を手で覆い仰ぐ様に、嘲笑されたのかと彼女は思うがそのスオウを覆う不気味な雰囲気に口を噤む。
そしてひとしきり笑った後、ゆっくりと掌が額からずるり、と落ちて――
「真実さ」
告げられた答え、それはまた煙に巻いてきたのかとスゥイは思い。語気を荒げ問いつめようとした所でスオウが口を開く。
「スゥイ・エルメロイ。お前は何を知っている?」
「――な、にを?」
「お前は一体誰だ? 自分は一体何者だ? この世界は一体何だ? 加護とは何だ? 疑問を感じる事はとても必要な事だと俺は思う。ただ安穏と一生を終えるのもまた一つだ。それもまた一つだと俺は思う。だが俺にそれは許されない、それは俺が許せない、だからこそ俺は真実を知りたい」
なぜ、俺がここに居るのかを。
一歩彼女の傍へと近づく、年齢的な事も有り、殆ど変わらない背の高さ。
正面で見つめる彼女の目は揺れている。その黒い瞳に映る自分の顔を覗き込む様にスゥイを見る。
「スゥイ・エルメロイ。何故君が俺を監視しなければいけないか考えた事は有るか?」
そして告げる。
「あ……」
一瞬にして青ざめるスゥイを見ながらスオウは続ける。
「何故自分が監視をしなければならないのか? 何故俺なのか? 俺に一体何が有るのか? 2年間傍に居たなスゥイ、それの答えは出たか?
それを知って君はどうする? ただそのまま言われた事を言われたままに言われた通りこなすだけだろうか。
違うな、君は違う、君は状況を良く理解している、現状を理解している。12歳とは思えない程の聡明さだ、素晴らしいと思う。天才とはきっと君の様な子の事を指すのだろうと思う。故に不憫だ、その程度の事にしか使われない君の能力が! 俺の監視? 俺の報告? その程度の器か君は。
後1年で俺とアルフはカナディルへと戻る。そこで君は用済みか? そこで終わるかスゥイ・エルメロイ。
俺と共に来いスゥイ、俺が世界の広さを教えてやる。そして俺を利用してみせろ。だがしかし君にもきっと理由があるのだろう、譲れられない理由が。何が大切で何が一番なのかは人それぞれだ、それをヒトに強制されるのでは意味が無い」
ゆっくりと手を差し出す、彼女の前へと顔の前へと、ぶら下げる様に手を差し出す。
それは自分自身への葛藤を振り切るかの様にも見える。スオウの葛藤を、哀れな少女を利用する自分への愚かさを誤魔化すかの様に。
「さぁ、選べスゥイ・エルメロイ。俺と共に来るか、それともその場に留まるか」
告げられる選択、突きつけられる選択、正解等無いその選択は12歳の少女の身には重く重く伸し掛る。
それが理解できているが故に、それが認識できているが故に彼女に重く伸し掛る。
これが知らぬ者なら、分からぬ者なら、理解できぬ者ならば話は早かったのかもしれない。彼女も悩む事は無かったのかもしれない。
だが不幸にも彼女はそれを理解できた、そしてそのメリットとデメリットも。
スゥイは自分の意識が遠くなるのを感じていた、自分が自分でなくなる様な、まるで大勢の前で舞台の上に立ち、一人で踊るその一寸前の様な緊張感。自分を空から見下ろすかの様な、まるで今起きている状況が他人事の様な錯覚へと陥る。
何を失うのか。何を得られるのか。
今のこの場所で果たして自分は何を得られるのか。
何を、何を何を何を何を……。
私の目的は、そも……。ワタシハナニヲモトメテイタ?
揺れる瞳、焦点の合わぬ目はスオウを見ているのか、それともその先を見ているのか。
逡巡、葛藤、そして震える手があげられ――
――気が付いた時にはスオウの手を掴んでいた。
「歓迎しようスゥイ。
俺達の決まり事は一つだけ、仲間を裏切るな、それだけだ。俺達は君を裏切らない、君が君で居る間は俺達は君の味方だ。さぁ皆今日は新しい仲間の歓迎会と行こう!」
告げられた言葉、あげられる歓声。
そうして一つの事件はこうして終わる。
幼き少年に小さな傷を残して。
幕間 完




