月の導きと加護の宿命2
The world breaks everyone, and afterward, some are strong at the broken places.
誰をも苦しめる様な事が世界には起きる。しかし、その後、その苦しみの場所からもっと強くなれる人たちも居るのだ。
(俺を戻せ! もとの世界に戻せよっ! お前だろうがっ、お前が原因なんだろうがっ! ふざけるな、ふざけるなよっ、何の権利があって、くそっくそ、くそったれがっ、ちきしょう、なんで、どうして……っ)
(……)
(あぁ、ちくしょう、なんだよこれ、意味わかんねぇよ、あぁ、くそ、くそう……)
(……)
(……答えろ、戻る事は可能か、この世界はなにか、現状と、俺が知らない事を教えろ)
(……)
(……魔法? ふ、ふふふ、ファンタジーにも程がある、加護持ち? なるほど、ヒトの身に余る力と言う事か)
(……)
(へぇ、お前も向こうの世界を知ってるのか? まぁ、そりゃそうだよな俺を連れて来たんだから、ああ、悪いな別にそれに文句を言うつもりはもう無いよ)
(……)
(なぁ、お前にもなんか理由と目的があるんだろう? 教えてくれないか?)
(……)
(……まったく秘密主義にも程があると思うがな? 申し訳ないと思っているなら話してくれるとありがたいんだが?)
(……)
(あぁ、わかった、足掻いてみるさ。ただ、あまり期待はするなよ?)
(……)
(なんとかするさ、クラウシュラ。子供を導くのは大人の仕事なんだから、さ。そうだろう?)
○
幻星歴1037年 カナディル連合王国 首都ヘーゲル
喧噪が行き交うなか、一人の男が白く堅牢な建造物の中に入っていく。
カナディル連合王国の首都ヘーゲルにあるウィルヘル城である。その城は魔法的な処理を施された堅牢な城壁と懇々と湧き出る水の魔術刻印がなされた宝珠によって美しく彩られている。大きな庭園にはその湧き出た水と色彩豊かな花が植えられており、この国の裕福さを醸し出そうと工夫されている。
数カ所ある出入り口の一つである正門の傍に立つ兵士にその男は懐に忍ばせていた封書、その閉じられている蝋の印、そして持っていた金属製のバッチを見せた。
「こ、これは失礼しました。どうぞお入りください」
印を見たとたんあわてて敬礼し本来であれば必要な手続きを全て飛ばし正門の前から動く兵士。バッチと蝋の印はカナディル連合王国の象徴でもあるケイディアの花と二本の剣の文様が飾られ、――そして蝋の方は上部に小さな羽が刻まれていた。
ケイディアの花と二本の剣は王印、そして上部の小さな羽は可及的速やかに専任の人員を持って連絡を送る封書の印だ。
つまりこの封書は国に取ってそうとうな情報を持つと言う事。門番であった兵士がこの仕事について初めて見る封書であり、実在したのだと内心驚いてその封書を持っていた男を中へと通す。
――昼に同僚に自慢するネタが出来たな。
そう思いながらも門番の兵士はにやけそうになる顔を引き締めて引き続き仕事に従事した。
○
「ぬぅ、加護持ちが10年間も隠れていた。それも自治都市に居たとは、な」
届けられた封書を開き文面を見ながら唸る男、カナディル連合王国軍総司令官ウィリアムス。
50を少し回ったかと思われる皺のある顔ではあるが、その体格と溢れ出る威圧感からは年齢を感じさせない。
今でこそ第一陸軍のリヒテインに勝てないが、それでも数年前はカナディル連合王国最強と言われていたのだ。
当時唯一互角と言われていたグラン・ロイルは10年前に軍を辞めてしまっている。だが――
「あの男、まさか加護持ちが産まれるから職務を放棄したとは」
「これは立派な国家反逆罪です、早急に捕縛部隊の編成を」
こめかみを揉みしだきながらため息を吐くウィリアムスに対して毅然と告げる正面の男。先ほど封書を持って来た専任、間者である。
その声にゆっくりと顔をあげ、睨みつけるように見た後ウィリアムスは告げる。
「ほぉ、ではジューダス。10歳になりそれなりに善悪の判断がつく様な状況になった加護持ちと、以前は国軍最強の名を儂とともに冠していたグランと争うというのか? それも自治都市の自治権を無視し、強引に? 勿論貴様が第一陣で先頭に立って戦うのだろうな?」
ふん、と馬鹿にしたように告げるその言葉にジューダスと呼ばれた青年は押し黙る。
それもそうだろう、一騎当千、一騎当万と言われる加護持ち、それを敵に回すとなれば相当な被害を受ける可能性があるのだ。
しかも捕らえても協力的でないのならまったくもって意味が無いのだ。事は慎重に当たる必要がある。
とはいえジューダスの言い分もわからないではない、加護持ちは強力な力を持つ、まさにそれは国にとって財産だ。しかしそれが自治都市にあるとなれば叛乱の意思があると取られる可能性だってある。今回の件もその辺りをほのめかして情報を掴んで来たのだから。
「グランとは付き合いも長い、あいつの考えている事は予想がつく。おそらくアルフロッドを政治の道具にされたくはなかったんだろう。だが所詮それは逃げに過ぎん、甘い考えだ、強すぎる力を持つ者は異端だ、故に普通とは違う事は普通のヒトに迫害され、あるいは傷つける。子にとってもふさわしい環境にはならんだろうよ」
言外に時間の問題だろうと告げるウィリアムス。
実際に同じ加護持ちのリリス王女は同年代の友達が出来ずに孤立していた時期もあった。しかし彼女は王族だ、傍に居るヒトは必ずいたし、それに理解力のある姉妹、姉が居た。
故に時間の問題だろう、と。
むしろ既に10歳ならばその辺りの齟齬が出て来ている所だろう。
致命的な状況にならない程度で介入し、それこそ恩を売るかのごとく振る舞えば勝手に首都に来る事になるだろう、とウィリアムスは楽観視していた。だがしかしその考えは直ぐに否定される。
「いえ、それが……。町の人々との関係も良好でして……。おそらくその問題が起る可能性は限りなく低いかと思われます」
「なに?」
そんな事はあり得ない、と言いそうになったがおそらくグランが巧い事やったのだろうと自己完結する、しかしそれもまたすぐに否定される事になる。
「現地の子供ですが、スオウ・フォールスという名で、彼が仲を巧く取り持っているようです。少なく無い問題が起っていたようですが彼が全て納めたと……」
「信じられんな、子供だろう?」
「はい、加護持ちと同い年と聞いていますので、10歳、かと」
「リリス王女と同い年か、より一層信じられんな」
当然だろう、10歳といえばまだまだ親に甘えたい年頃で、自分の我が侭を通そうとする年齢だ。
我慢を知らず、自由に謳歌する権利を持つ子供、まぁ、例外も居るだろうが……。
「つまりその子供が居るため早々に動く必要があると言いたいのだな?」
「はっ、加護持ちの秘匿は反乱罪、および国家権利横領罪に相当すると思われます。対象の加護持ちは確かに年齢を重ねましたが、10歳、まだ修正が利く段階かと思われます」
10歳であればまだ間に合う、このまま放置して叛乱の種となる方が問題である。そう告げるジューダスに目を閉じるウィリアムス。
彼の言い分も間違っては居ない、むしろ国の利益という観点から考えるとそちらの方が圧倒的に正しいだろう。
この事実を黙認するという事は今後も加護持ちを隠蔽しようとする者が出て来てもおかしくは無いのだ。
――それはつまり国家の不利益に直結する。
だがしかしウィリアムスは軽く首を横に振って否定した。
「拘束は出来んな、というより大事には出来ん」
その言葉に珍しく苛立を見せるジューダス。少なくとも上司に見せる態度と表情ではないのだがそれに対してウィリアムスは軽く眉をしかめただけで特に叱責する事もなく理由を続けた。
「今現在確認されている加護は8名、グランの息子とやらを入れれば9名だが……。
帝国で3人、4位死滅ミーナリフィを持つフィーア・ルージュ、3位粛正オードリッヒを持つ帝王、グリフィス・ロンド・アールフォード。そして9位隔離ターシャのライドリヒ・フロイト。
精霊国ニアルの12位追憶の加護ベルトを持つローディン。
同盟国コンフェデルス連盟の8位制定イミステインの加護、クルト・ヴィンス。
そして我が国の5位迅雷ロルヴェの加護リリス王女だ。
……あとの二人は封印処理はされているが1位崩壊クィツラヴィフェンを持つリメルカ王国、現在行方不明の亡国スイル国の10位救済ハンスのユーステンだ。まぁ、この二人はこの際置いておこう。
ここで問題となるのは何かわかるか?」
「は……、いえ、それは?」
ウィリアムスが告げた事実は今更の話だ、なにを、と考えているジューダスにウィリアムスは話を続ける。
「8年前も紛糾したが、リリス王女を対外的に発表したのは帝国に対する牽制が大きい。
当時帝国の加護持ちは二人、死滅のフィーア・ルージュと粛正のグリフィスだ、さらに言えば当時のフィーア・ルージュは2歳、戦力として考えるにはまだ弱かった。
そしてこちらにはコンフェデルス同盟のクルト・ヴィンス殿が居た事、そして精霊国ニアルにローディン氏が居たから成立していた緊張感の元だったからだ。
精霊国ニアルとは同盟関係ではないが、敵対国という訳ではない。こちらに帝国が攻め入った際、ニアルから後ろを突かれる可能性を考慮して帝国は硬直状態に陥ったのだ。そしてだからこそそれをより強固にする為にリリス王女の発表を行った。
年齢こそ問題があれど、これで帝国と我が連合王国、連盟は同数の加護を得る事が出来たという事だ。
だがしかしここで加護持ちが更に増えたとなるとどうなる?」
「それは、より有利な交渉に持ち込めるのでは?」
加護持ちが増えるのだ、単純計算で3対3、ニアルも含めれば4対3だろうか? 勝っているではないかとジューダスが考えた所で目の前に座るウィリアムスはため息を吐いた。
「ジューダスよ、お前の悪い癖だな。単純な戦力計算しかせん、感情を考慮せねばならんのだよ外交という物は。
この状況で加護が一人増えるとなると我が国が保有する加護持ちも二人となる。それはニアルにとっても脅威なのだよ。現在帝国が3人の加護持ちを所持しているがための同盟の様な関係であるに過ぎない。
敵対するとは思えんが、加護持ちのどちらかが潰し合ってくれれば良い、くらいは考えるかもしれん。故に、ニアルを切り捨てでも得る程の価値がなければ大々的には発表できないだろう。
それにコンフェデルス連盟との差が出来る事によって強気に出る馬鹿も我が国に沸いてくる可能性がある、それらも考慮せんとならん。
当然今後の流れとしてグランの息子はカナディル連合王国の国軍に入れる事は決定する事だろうが、それを発表するかどうかは儂らで独断する訳にはいかんだろう。勿論階級でいえば3位と4位が帝国に居る以上力量差がある。少しでも戦力を、という考えで動く可能性も大きいがそれでも慎重に事に当たる必要がある。つまり下手に手を出して事を大事にし現在の外交関係に罅が入るのは問題だ」
まぁ、内密で確保出来るのであればそれに超した事は無いがな、と内心でぼやくウィリアムスだがそれは上手く行かないだろうと思っている。
故に、しばらく監視で済ませろ、と。そう言って話は終わりだとウィリアムスは口をつぐんだ。
不満げに睨むジューダスの視線を受けながらも。
○
カナディル連合王国 クラウシュベルグ
クラウシュベルグでは最近有名になったパン屋がある。親子でやっているパン屋なのだが、こじんまりとした建物に朝から数人列を成しているのが視界に入る。パン屋の傍ら軽食店も行っていたのだが、並んでいる彼らはそれ狙いだろう。
大繁盛結構な事だ、と自身の事のように喜びをかみしめながら店の準備をしている一人の赤髪の女性に近づく。
そろそろ15歳になるであろう彼女は看板娘と言える程に美しくなり、そして女らしくなってきた。どうやら向こうもこちらに気がついたようで振り向くと同時に目が合い、彼女はうれしそうに微笑んだ。
「スオウ君! 今日は早いね?」
「明日はちょっと来れそうに無いから早めにね。ゴーザさんは仕込み中かな?」
ゴーザ・ロレンツァ。最近サンドウィッチにバーガーと色々なアイディアを授けた40過ぎの髭の似合うおっさんだ。
スオウからの情報ではないと言う事を約束に何点かこちらでそれを元に作られた商品を出してもらっている。そして目の前に立つ赤髪の少女はアイナ・ロレンツァ。そこのパン屋の一人娘だ。
そのアイナは問いかけた質問に数秒指を顎に当てて悩んだ後――
「んー、たぶん、かなぁ? 前に教えてもらったテリヤキ? に試行錯誤中らしいからいつも時間ギリギリまでやってるの」
「それは悪い事をしたかな、仕事に支障が出るようでは本末転倒な気もするが……」
「別にいいのよ。お父さんはそれが楽しくてやってるんだから、活力にもなってるんだから大丈夫よ」
少し悪い事をしただろうかとも思ったが、アイナは逆にうれしそうに笑った後そう答えてくれた。
いつも遅くまで試行錯誤の繰り返しであまり寝ていないという話も聞いたのだが。
「あまり無理はしないように、って言っても聞いてくれないか」
「ふふ、そうねー。だってお父さんだもん」
自慢するように告げるアイナに苦笑を浮かべてスオウは店内に入っていく。
列を作っている客に見られないように裏側に回ってからではあるが、少し古ぼけたその木扉を数回ノックした後、邪魔するよ、と告げて店内へと足を踏み入れた。
店内に入るとパンの焼ける匂いとジャムの匂い、シンと静まった店内はアイナが飾ったと思われる一輪挿しが丸いテーブル一つ一つに置かれ、窓から差し込む光に照らされて美しく輝いている。
木製で統一されたテーブルと机がカウンターから覗け、その先には先ほどの客が並んでいた正面の扉がある。その扉を横目にスオウは奥のキッチン場へと足を向ける。
パチパチと火の音が聞こえてくる、丁度次のパンが焼かれた所だろう。キッチンに入るすぐ手前の所にある棚においてあった奇麗に洗濯された帽子とエプロンを身に纏、そしてキッチンの扉を数回ノックしたあとに部屋へと入った。むっとする熱に僅かに顔をしかめた所で怒鳴り声が耳に届いた。
「くぉらっ! だれだっ! 調理中にはいってくんじゃー、ってスオウか、声をかけろっていっつもいってんだろぉ?」
ひげ面に強面の顔、パンだけこねてるとは思えないその筋肉だらけの体格、普通の人ならその怒声だけで腰が引けるであろう所をスオウは苦笑を浮かべるだけで軽く手を挙げて返事を返した。
「ごめんごめん、ノックはしたんだけど集中しているみたいだったからさ。それよりどう? テリヤキはうまくいきそう?」
「ちっ、まったくよ。テリヤキはお前さんが魚醤でつくってくれた奴がやっぱり限界かもしれねぇな。魚肉ならまぁうまいが、魔獣の肉じゃちとあわねぇ。お前さんが言う醤油っつーもんがあれば違うのかもしれんけどなぁ」
折角考えてくれたのにわりぃな、と頭を掻きながら謝るゴーザ。
元から期待はしていなかったので別に構わないのだが、そこまで謝られるとむしろこっちが申し訳なくなってくる。
居心地が悪くなる前にスオウは話題の転換を計った。
「マヨネーズは問題ないんでしょ? 一応カリヴァさんにも話をしておいたからクラウシュベルグの売りの一つで使えると思う。まぁ、直に真似される可能性もあるけど調理法は独特だからね、しばらくは独占できる」
「あぁ、あいつはうちの店の売りの一つだからな。ちぃと材料費は高く付くがその分客受けはいいぜ」
マヨネーズは簡単に言えば卵黄と酢と油だ。作るコツは必要だが、作り方がわかれば簡単に作る事が出来る。
電動撹拌が出来ないためそうそう大量生産できないので高級調味料の一つだったのだがこの店ではそこそこの値段で売っている。
その原因である方法をスオウは手慣れたように銅製のボウルの中に特殊な形状の形をした木製の道具を投入する。
そして入れられていく材料、ニッと笑った後詠唱を唱えた。
――Un tour(回れ)
ふわり、と僅かに材料の中で浮かぶ木製の道具、それは小さなプロペラの様にも見え、そしてものすごい勢いで回転しだした。
所謂、魔法式の撹拌器である。
「いやぁ、いつ見ても魔法ってのは便利だなぁ。まぁお前さんみたいな使い方をしてる奴はそうは居ないんだろうが……」
「多分居ないんじゃないかなぁ、これ考案したの俺だし」
「……そうかい」
10歳児が魔法を考案するなよ、とため息をつきそうになるのを堪えるゴーザ。2年前にアイナが連れて来た子供は兎にも角にも規格外だった。
最初の出会いは怪我をしたアイナを背負って店まで連れて来てくれたのがスオウだった。
どうやら遊んでいて転んで足を擦りむいてしまったそうなのだが、運良く通りがかったスオウが簡易な治癒魔法をかけてくれて連れて来てくれたのだ。治癒魔法は国のお抱えの宮廷魔法師や首都や大きな都市にいる治癒魔法師だけが使う高等技術であることは周知の事実であり、クラウシュベルグでは市井で使えるのはフォールス家のサラ・フォールスが使い手であることがわかっている程度だ。
勿論領主邸には一人は居るだろうし、町にいる医者も簡易な治癒魔法はつかえるはずだ。しかし、10歳の、いや当時は8歳の子供が使えるというのは驚き物だった。
そして8歳の子供が13歳になりそれなりに身長もあったアイナを背負ってここまで来たという事も驚いた。
ゴーザとしては根性がある! と一発で気に入ったりしたのは余談だ。まぁ、どうやら身体強化の魔法を使っていたらしいのだが。
とにかくそんな出会いを果たした後、スオウはゴーザの店にも口出しを始めた。
少々思う所が無かった訳ではなかったが考案した料理は客受けし、そして店の繁盛にも繋がった。
故に常々思うのだ、スオウがあと5年、いやせめて2年早く産まれていれば娘の夫にやったものを、と。
「よし、完成。じゃこれ今日と明日の分ね。明日はちょっと来れないかもしれないから保冷庫で冷やしておくよ」
「いつもすまんなスオウ、助かるぜ。これを手でやると疲れるんだよなぁ」
がはは、と笑いながら次のパンをこねているゴーザに声をかけてキッチンの隅にある保冷庫へとボウルごと入れる。
保冷庫といっても別に電気が通っている訳でもフロンを使用している訳でもない。ただ分厚い銅板を中に仕込んでその周りを厚い木材で覆っているだけだ。ただ、その銅板には魔術刻印が施されているのだが。
奇麗に乳化したマヨネーズ入りのボウルを中に入れると同時に一晩で減ったであろう蓄積されている魔素を補充して蓋を閉める。
中には魔獣の肉や魚肉の残りなどが入っていた事からどうやら今日もテリヤキの試行錯誤を行うのだろう。
「じゃーまた、店頑張ってね」
「おう、今日の分のパンはいつもの所に置いてるから持ってけ」
仕事の報酬という程でもないが、ゴーザからの好意に礼を言って玄関近くに置いているバスケットを持つ。
どうやらコレでもかという程パンを詰め込まれているようだ、まったくもって仕事量に見合わない。
魔法師を雇ってやらせるとなるとこの程度では到底済まないのでむしろ安いくらいなのだが、スオウにとっては魔法の微調整の練習やこの世界のヒトの味覚、好みなどを知りたかったという事情もあるのでこれで十分に満足している。
それにパンは両親にも、そしてアルフロッドの父親であるグランにもお裾分けをしている。互いに喜ばれるのだそれだけでもまぁ十分に報酬だろう。
(良く言うわ、味覚にそれほど差が無い事を検証するのに使ってカリヴァと悪巧みしとるじゃろうに)
(失礼な奴だな、どちらにせよロレンツァの店じゃ捌き切れなくなるのが目に見えてるし、ゴーザさんにも説明してるぞ?)
思い出したかのようにナカで喚くクラウ、彼女? が言うように確かにこの世界での好みの検証に使ったのは間違いではない。
更に言うならば、世間一般的な価値観と情報を得る為にも有効活用させてもらっていた。
だが、それで十分向こうも利益を得ているのだ、WinWinの関係なのだ。故に、その情報を元により大きな商家に話を持っていったとしてもごく当たり前の話だろう。
(その商家をお主が裏であやつっておらんかったら可愛げもあったもんじゃがの)
(馬鹿言うな、カリヴァがそんな玉か? 都合が良いから俺の話を聞いているだけの事だ。悪くなれば切り捨てられるだろうよ)
まぁ、その時はこちらにも考えがあるけどな。そう考えながら裏口から外に出た所で視線の先、アイナが客らしき集団に絡まれているのが目に入った。
「あぁ、キミがアイナ嬢かね? キミを領主様がご所望だ、一度料理をご一緒したいと言っているのだよ」
聞こえた言葉から残念ながらどうやら客ではないようだ、3人ほどの集団。慇懃無礼、とまではいかないが威圧的にアイナに声をかける男が一人三人の中から前に出て話をしている。服装からして領主に仕えている者だろう。
一介の市民に過ぎないアイナに対して帽子を脱ぎ、頭を下げて告げている事からそれなりに礼儀作法は弁えているようだが威圧的な態度は変わらない。そも、所望という発言自体如何なのだろうか、さらに色よい返事をしないアイナに若干苛立っているようにも見える。後ろに控える二人なんかその苛立を隠そうともしていない。
「あの、とても光栄なお話ですが、私も店の手伝いが……」
「ほぉ、キミは領主様との食事より店の手伝いの方が大事だと言うのかね? まぁ、確かに忙しいようだしな。しかし、こちらも上から言われていてね、すまないが来てもらえないだろうか?」
「すみません、お店が……」
簡単な押し問答、言葉を濁すアイナ。その態度が気に入らなかったのかついに後ろに居た二人が怒鳴り声を上げた。
「いい加減にしろよテメェ、こっちが下手にでてりゃ調子に乗りやがって! 領主様が呼んでるっつってんだからさっさとくりゃいいんだよっ!」
その声で遠巻きに様子を見ていた人もざわめきだす。まさに権力を振りかざして、である。
封建制度が色濃く残り、国王が存在するこの世界ではある程度の強権執行はやむを得ないとして、これはどう考えてもおかしいだろう。
まぁ、日本人的な感覚を持つ自分だからこそ、そう思うのであってこの世界の住民はそれが当然とも考えているヒトが多い。
遠巻きに見ている彼らを見てもそうだ、運が悪かったな、という視線が大半である。だがその中で一人違う視線を送っている20代後半ほどの優男と目が合った。――カリヴァ・メディチだ。
先ほど話にあがった悪巧み相手同士、何を言いたいか残念ながら伝わってしまった。このままではゴーザが駆けつけてその筋肉に任せた暴力行為を行うと言った所だろうか? それとも鼓膜が破れる程の怒声を浴びせるのだろうか? どちらにせよ領主仕えの人間と事を構えるのはゴーザとて本意ではないだろう。スオウは、はぁ、とため息を軽くついた後その騒動の中心へと向かった。
○
スオウがため息をついている中でアイナは必死に言い訳を考えていた。
クラウシュベルグの領主は別に悪徳代官万歳な性格とは聞いた事は無いが、それでも二人きりで会いたいなどその理由は明確である。他の町娘なんかは領主の手付きになればそれなりの金も貰えると、棚から牡丹餅と考える者もいるかもしれないが、アイナはそうではなかった。好きでもない男に抱かれるなど冗談ではなかった、身の毛のよだつ最悪の事態だ。
勿論巧く話をして、それだけで帰るという手もある。
あるいは領主はすごく良い人で出会えばそこから恋が始まるかもしれない。
だがしかし、目の前で怒鳴り声を上げる様な男を部下に持っていたり、そもそも連れてくるのに人づてでお願いする時点でこちらとしてはお断りだと言いたかった。そもそもこの朝の忙しい時間に来る時点で非常識である。
アイナは幸か不幸か強面の父親と二人暮らしであったため、そういった怒鳴られる程度の怖さには耐性があった。故に怯える事は無かったが逆に冷静な頭でどうしようかと本当に困っていた。さすがに実力行使は問題があるし、かといってこのまま長引かせれば客に迷惑がかかる。
領主とて評判を気にする、さすがにコレだけ騒ぎになってしまった状況で無理矢理連れて行くなどと言った事は無い……と思うが、それでも多少の不利益を考慮しても彼らを送って来た事からそう簡単にはかえらないだろう。
いや、むしろ領主の面子として無理にでも連れて行くという可能性も無いとは言えない。
どうしたら、と嘆きそうになった所で思わぬ所から救いの手が入った。
「アイナ姉さんどうかした?」
ふぅ、とため息をついて介入して来たのは先ほど店の中に入っていったスオウだ。
少し癖のある黒髪はまるで気まぐれの猫の様で、それでいて意思のある強い目は5歳も離れているのにどこか大人びて時偶自分より年上でないだろうかと思うアイナ。だがそれよりも今はなんで出て来たの、という気持ちで一杯だった。
「なんだぁ、ガキ、邪魔しないでさっさと家にかえんな」
身長差もあるだろう、覗き込むようにスオウを睨む男の一人が吠える。
なんだこの三文芝居的な典型的な悪役は、とスオウが考えていた所で恐らくリーダー格なのだろう、最初にアイナに声をかけていた男が前に出て来て鼻で笑う。
「坊や、良いから家に帰りなさい。おじさん達は大事な仕事をしているんだ」
「こんな町中で怒鳴り散らすのが仕事か……。そんな仕事あるのは知らなかったな」
くすり、と馬鹿にした様に笑った後、うーん、と考え込みその場に留まるスオウ。
元々アイナの対応に苛立っていたのもあったのだろう、先ほど怒鳴り声を上げた男がスオウの襟首をつかみあげ、そして顔を寄せて怒鳴りつける。
「てめぇ、くそガキ! ぶっ殺されテェのか!」
ぎしり、と首が絞まる。苦しくなる呼吸の中でギロリとその男を睨み上げ、僅かに手を出そうとした所で慌てて止めた。
――危ない危ない、さすがにコレだけの衆人環視の前ではまずい、な。
そんな事を思っている中で何かをしようとしたのを察知したのか、それとも苛立をぶつけたかったのか、襟首をそのまま投げ出すように男はスオウを地面へと叩き付けた。
周りを囲う民衆から悲鳴が上がる中、問題なく身体強化を施していたスオウは多少顔を歪めた程度でさして痛みもなかった。男の加虐心を満たしただろうと冷めた頭で考えていた所でアイナに抱きしめられた。
「やめてくださいっ! スオウッ、大丈夫? スオウッ?」
必死に体を揺すって地面へと叩き付けられてうずくまっている“様”に見える状態のスオウを確認しようとするアイナ。
頭を打っていたらあんまり揺すると問題なんだがな、と考えながらスオウは薄目を開けていい加減仕事をしろと野次馬と化している男を睨みつけた所で場が動いた。
パンパン、と手を叩く音と同時に一人の優男がその場に入ってくる。
彼の名はカリヴァ・メディチ、スオウに近い黒髪ではあるが、若干の赤みがかっている事からスオウの様な漆黒ではない。
どこか貼付けた様な笑みを浮かべながらその騒ぎを起こしていた男3人へと近づき話しかけた。
「そこまでにしたらどうですか? 子供相手に暴力を振るうとはずいぶんと野蛮ですね、領主様はそのような行為をしろと言ったのですか?」
「あぁっ、てめぇ誰だ! いちゃもん付けるならてめぇも――「よせ、黙ってろ」」
次の標的を見つけたとでも思ったのか威嚇を止めずに睨みつけた所を別の男から止められる。
小声でこいつ、メディチ家の奴だと言っている事からどうやらそれなりに名前は売れているようだ。
「ちっ」
この場で喧嘩を売る事の不利を悟った連中は悪態をついて場を去る。その姿を横目にアイナに声をかける。
「大丈夫だよアイナ、身体強化が間に合ったからね、怪我一つないよ」
「ごめんなさい、ごめんなさいスオウ、私のせいで……っ」
半泣きで謝るアイナにまいったなぁ、と思いながら、ニヤニヤとこちらを見下ろすカリヴァをアイナに見られないように睨む。
「あぁ、そうだ、貴方もありがとうございました……っ。危ない所を……」
「いやいや、気にしないで大丈夫ですよ。美人を守るのは男の役目ですから」
こちらを見ていたカリヴァに気がついたのか俺を抱きかかえながらカリヴァにも礼を述べるアイナ。
何をかっこ付けているのやら、そう内心でぼやきながらため息を吐き。アイナに早く仕事に戻るように伝えた。
この騒動で今日の店の開店は遅くなるだろう、騒ぎを聞きつけたゴーザのおっさんが遠目で走ってくるのが見えた。まったく遅すぎる。奥で作業しているからこうなる、おそらく最後の怒鳴り声で慌てて出て来たんだろう。
そして数十分後、コレでもかというお礼もといパンやら感謝の言葉やらをもらったスオウはニヤニヤとした笑みを絶やさない赤黒髪の優男と街道を歩いていた。
「災難でしたねスオウ“様”」
「黙れカリヴァ、遅いぞ、危うくぶちのめす所だった」
「くくく、それはそれで面白かったのですがね? まぁ御陰様でいいネタが手に入りました。子供相手に手を挙げる領主仕えの役人、手札が増えるのは良い事です。しかしアルフロッドと手合わせできるスオウ様に喧嘩を売るとは新参者でしょうかねぇ」
「さぁな、そもそもアルフロッドと手合わせしているのは早朝だし、知ってる人間は殆ど居ないだろう?」
――なによりアイツも手加減してくれているから真っ当に手合わせできている訳ではない。
と続けるスオウに意味深な笑みを浮かべるカリヴァ。
「それでもここで暮らしていればそれなりの立場に居る連中はわかるはずです。なのにも関わらず“領主”が彼らを送ったのが腑に落ちませんが」
「確かにな、捨て駒として使うつもりか? にしては杜撰だと思うが。そもそもアイナに手を出した意味が分からん。本当に色が目的なのか?」
「あの領主はそう言う点がありますからね。可能性が無いとは言えません。実際数人手を出していますし、女奴隷も囲っているようですから」
「……」
「おや、そういえば奴隷はお嫌いでしたか。まぁ、明文化されていない以上忌避されども違法では有りませんからね」
くすくすと笑いながら頭を下げるカリヴァにつ、と感情の篭らぬ視線を送り――、そして二人揃ってとある屋敷へと入っていく。
3階建てのレンガ作りの大きな屋敷、正面の玄関、その上に掲げてある看板にはこう書かれていた。
――メディチ商会 本店。