月の導きと加護の宿命17
As long as you're going to think anyway, think big.
どうせなら、大きい夢を思い描こう。
――あ
声を上げたのはどちらが先だったか、クラウシュベルグの商店街の一角で赤い髪の男と妙齢の女性が二人、見合う様に立ち止まった。
片方の女性はリナと名乗った女性だった、奇しくもその赤髪の男、シュバリスに切り掛かった女でもある。
手を引いているのは似た様な顔の造形から恐らく妹である事がわかる。
とはいえ、シュバリスもフィリスが助け出した時に一度顔を合わせている。
しかしながら、その子はシュバリスの顔を見て直ぐに体をリナの後ろへと隠した。
「こらっ、ちゃんと挨拶しなさい。シュバリスさんよ」
「あぁ、別にかまいやしねーよ。初対面がアレだったしな」
そう言うシュバリスは初対面のときを思い出し、仕方が無いだろうとも思う。
その時のシュバリスは血に濡れて、肉の焦げる匂いを漂わせていた。
フィリスが連れて来た数人の女性に声にならぬ悲鳴をあげられたのも覚えている。
仕草から直ぐに味方だと理解してくれた為然程騒ぎにならなかったが、フィリスも眉を顰めた程だ仕方が無いだろう。
あの時シュバリスはスオウから僅かに遅れて来た合図に乗って、なぜか合流した鮮血、もといアリイアと暴れていたのだ。
陽動と言えば間違いは無いが、それは半分鬱憤を晴らしている様なものだった。
――クロイスを逃がした事に対しての。
クラウシュベルグに家族が居るであろうヒトを鬱憤を晴らす為に殺した、そんな自分に自嘲が浮かぶ。
逃げるものは追わなかった、しかし向かって来るものは殺した。戦場だ、肯定等いくらでも出来る、だが血に濡れた手で誰かを救っていたフィリスと、自分の為だけに剣を振るっていたのでは大きな違いが有るのではないだろうか。
だからこそ、この彼女の妹も、俺を恐れ、隠れても仕方が無いだろう、と。
「すみません、その、あの件で色々と有りまして……」
「本当に気にしなくてもいいって、アンタも、いや、アンタが一番大変だろうに」
「私は、大丈夫です。まだ少し、その、男性が怖いですが、メディチ家の方が色々と良くしてくれていますし……」
「そうかい……、まぁ、あんま無理すんなよ」
「はい、ありがとうございます」
がりがりと頭を掻き、ぶっきらぼうに、とはいえ拒絶した感じも無くシュバリスは女性にそう答える。
領主邸から救助されたのは5名、リナの妹を含めれば6名、か。
幸運にもリナの妹に乱暴された形跡はなかった、が、それでも精神的な物は別だ。
そして他の女性は言うまでもなかった、クロイスが怯え引きこもった事により、フィリスが救助されるまでは大丈夫だった様だが、それ以前は言うまでもないだろう。彼女達も同様にメディチ家系列の人間が手厚く保護している。
「その、シュバリスさん」
「あん?」
「コンフェデルスに行かれると聞きましたが?」
「あぁ〜、まぁ、な。雇い主が行くらしいんでね」
雇い主、とは聞こえは良いが、もはやスオウの側を簡単に離れる訳にも行かなくなった。
恩が有るというのが一番大きい、だがそれ以上にスオウの傍に居る事が一番真相に近づける様な気もしたからだ。
シュバリスは許すつもりなど到底無かった。
傭兵家業は独特な職業だ、故に殺し殺されそんな事は当たり前。
戦場であって殺されたからといって、そして殺したからといってそれに対して恨み言や文句をつけるつもりも無い。
だが裏切りは駄目だ。
傭兵として部下を裏切る上司というのは絶対に許される事ではない。
だからこそシュバリスはあの男を、ローエン隊長を、いやローエンを絶対にこの手で殺す事を決めていた。
「そうですか……」
どこか寂しげに呟くリナに困った様に眉を顰めるシュバリス、互いの言葉が僅かに途切れる。
沈黙。
先にそれを破ったのはリナだった。
「また、戻ってこられますか?」
それの答えをシュバリスは持っていなかった。
結局は雇い主の思惑で動かざるを得ないから、だが彼も、スオウもクラウシュベルグ生まれのヒトであり、家族もあるだから――
「あぁ、必ず戻るさ。俺に取ってはここが第二の故郷の様な物になりそうだからな」
ニ、と笑いそう告げた。
○
「んっー、はぁっ」
ぎしぎし、と体の関節が鳴る様な錯覚を覚えながらフィリスはベットの上で背を伸ばし、そしてベットからおりる。
殆ど裸の様なその格好でぺたぺたと部屋の中を歩き、そして脱ぎ散らかしていた服を適当に羽織る。
その上半身には片腕が無く、切断面は既に癒えてはいるものの、見る物が見れば痛々しい姿でもある。
しかしながらその乳房と腰回り、十分に魅力的な体形であり、その顔も含め、片腕が無い程度然程問題が無い程には異性としての色があった。
傭兵らしく、豆が潰れごわついたその手で通常の剣よりやや短い、所謂ショートソードと呼ばれる部類の剣を腰に吊るし、そしてそのまま外に出ようとした所で声がかかった。
「フィリスさん? その格好で外に出るおつもりですか?」
ぴしり、と固まったフィリスに声をかけたのは緑色の髪をした女性。
フォールス邸の使用人の一人であるルナだ。
さもあらん、今のフィリスの格好は上着を一枚羽織っただけであり、裾が長いため下半身が有る程度隠れているとはいえ、その下はパンツ一枚、到底ルナには許容出来るレベルではなかった。
「い、いやぁ、中庭のつもりだからいいかなーって」
「駄目に決まっています、この屋敷にはロイド様もそうですが、スオウ様、旦那様もいらっしゃるのですよ」
「あれ? ダールトンさんは仕事じゃ?」
「えぇ、仕事でいらっしゃいませんが、だから良いという訳では有りません」
そも、女性だけだとしてもそんなだらしない事が許される訳が無いだろう、と告げるルナに、フィリスは乾いた笑いを浮かべる。
「えぇーと、す、すぐ着替えてきまーす!」
そして脱兎の如く自分に割り当てられていた客室へと走って行った。
はぁ、とため息をつくルナを置いて。
数刻後、多少ラフな格好ではあるが、常識の範囲で服を着込んだフィリスは中庭で汗を流していた。
片腕で振る剣、重心が変わってしまったため、全てを最初からやり直し、覚え直している。
剣を捨てても良かった、けれどフィリスは剣を捨てる事は出来なかった。
結局彼女も傭兵以外の生き方を知らなかった。
ただ、今度の仕事は傭兵とは違う、どちらかというと護衛、そして剣以外の生き甲斐も得る事が出来るかもしれない。
見えぬ未来、潰えた将来、暗く染まる希望に一筋の光を差し込ませてくれた今の主人の役に立てる事、それは今のフィリスには剣しかなかった。
「ふっ――」
僅かに短くした剣は片腕でも振れる様に軽くしている。専らフィリスの戦い方は中級魔法の行使と剣による牽制、所謂魔法剣士とも言える立ち位置だ。魔術に専念しても良かったが、だからといって剣の修練を怠るのは愚策。とくに魔術と違い、剣は体を動かして使う武器、腕が無くなった事によって一番不具合が起きているのはそっち、故に自分が行う鍛錬もどちらに重きを置くか自然と答えは出た。
近接戦闘としてはシュバリス、そして何よりアリイアが居るためある程度動ける様になれば魔術の方に専念しようとは思っているのだが。
片手に掴む剣が空を切る。
ぽたりぽたり、と顎から滴り落ちる汗がじんわりと服へ染み渡り、それでもフィリスは剣を振る。
そして数百という回数、手に持つ剣を振るった後、中庭の入り口に立つルナに気づいてその動きを止めた。
「あ、あれどうかしました?」
「いえ……」
「?」
僅かに不満げな顔をしたルナに首を傾げるフィリス。
よく見ると僅かに大きめのコップが盆に乗せられ、それを片手で持っていた。
「えぇーと」
「……水分を補給した方が宜しいかと思いまして、スオウ様が考案されておりましたすぽーつ飲料なるものです」
そう言って差し出してくる盆の上に乗せられた飲み物、良く冷やされていたそれを礼を言って受け取るフィリス。
味は少しだけ甘い味、もしスオウがそれを飲めばポ○リとアクエリ○スの中間くらいの味だなぁ、と思ったりしたのかもしれないが。
ぷはっ、と豪快に飲んだフィリスは再度ルナへと礼を言って盆の上にコップを返す。
そして再度剣を持ち、鍛錬を再開しようとした所でルナがまだ残っている事に気が付いた。
「えぇ、と?」
再度フィリスは首を傾げる、何か用が有るのだろうか、と。
僅かな沈黙の後、ルナがようやく口を開いた。
「私はスオウ様を幼い頃から見ております、それこそ産まれたときから」
「え、う、うん?」
「幼き頃から聡明な子でした、手がかからないとても聡明な子で、当時一部の使用人から気味が悪いと言われていた程です」
なるほど、確かにあれだけ異常なのだ、幼少期からでもおかしくはないな、と内心でフィリスは思う。
表情でフィリスが考えている事がわかったか、ルナは僅かに目を細めるが、それだけで話を続けて行く。
「ですがそれでも私にとっては可愛い弟の様な存在でした。そして奥様にとっては最初の子供、どれだけ愛しているか想像できます」
「あぁ、ええと、はい」
ここまでくればフィリスも彼女が何を言いたいかよくわかった。
当然だろう、とも思う。
常々忘れがちになるが、スオウはまだ10歳なのだ、それを他国、コンフェデルスに3年も送り、更にその後4年間中央都市の魔術学院。心配するのも当然の話だ。
中央都市はまぁ、馬車を使い1週間もあれば着くだろうが、コンフェデルスは別だ、船旅でも陸路でも相当な時間がかかる。
飛行機や電車なんてないこの世界、心配するのも当然だろう。
そしてそのスオウに付いて行くフィリスに対して思う所がない訳ではない。
多少の苦言は大人しく聞こう、と姿勢を正した所で――
「スオウ様の暴走を止められるのは恐らく貴方しかおりません、何卒、何卒、宜しくお願い申し上げます。えぇ、私の苦労を理解して共感して頂けそうなヒトが出来た事に感謝の言葉も御座いません。ですが、ですがしかし、そこを理解の上で申し上げます。スオウ様の暴走をなんとしても止めて頂ければ、何も言う事は有りません」
あ、頭痛い。とフィリスはこの時思った。
「幼少期から色々聡明な子と言いましたが、決して大人しい子ではありませんでした。えぇ、本当に。スオウ様を放置して良い事等何も有りません、えぇ、最悪貴方の体を使っても構いません、私が許可します」
「いや、それはちょっと」
「大丈夫です、スオウ様も他に比べれば女性には甘いですから」
「ええと、はい、頑張ります」
何とも言いがたい圧力に屈し、フィリスは答えを返してしまった。
「心配だったのです、あのシュバリスとか言う野蛮人はスオウ様に丸め込まれるであろう事は当然として、アリイアと言う女、あのタイプは絶対にスオウ様に逆らわないでしょう。フィリスさんがまともな方で本当によかったです。何卒、何卒スオウ様の事、宜しくお願い申し上げます」
「あ、あははは、は、はぁ〜い……」
がっくり、と肩を落としたフィリスは今後の苦労を考え憂鬱になった。
○
「リーテラ……」
ぐずぐず、と腰にしがみ付き泣いているのは妹のリーテラだ。
細い腕を必死に腰に回し、逃がさないとばかりにしがみ付いている。
もう1時間もこのままの姿勢だ。
頭をゆっくりと撫でて背を軽く抑え、愛おしく、愛おしく抱きしめる。
「大丈夫、ちゃんと帰ってくるから」
抱きしめられている腕が強く締め付けられる。
ぎゅぅ、と、彼女が出せる力の限界まで。
「……やだ」
ぽつり、と呟かれる拒絶の言葉。
一旦解決したと思っていた説得、だがしかし未だ母上より強敵の剛の者がここに居た。
ロイドは多少不安げな表情をしていたが、おそらくリーテラの兄としての意地だろう、快く送り出してくれた。
父上も同様だ、見識を広めるという意味、そしてグランが同行するという事で納得した。
母上も同様だ、そしてアルフロッドの件もあり、父も、母も内心では別としてでは有ろうが、コンフェデルス行きに対して最終的には反対はしなかった。
だが――
「やだぁ、兄さんやだよぉ、会えなくなるなんてやだよぉ……」
ぐすぐす、と泣き続けるリーテラ。
「ほら、折角の可愛い顔が台無しだ、涙を拭いてリーテラ。大丈夫、ちゃんと帰ってくるよ、多分1年に一回は帰って来れるだろうし、さ」
「……多分、なの?」
ぐ、と思わずスオウも唸った。
変な所で自分の粗捜しがうつってしまったのだろうか、8歳の子供が気づいては行けない点だと思うのだが。
「よしわかった、じゃあ年に1回は帰ろう、うん」
これで年に1回は絶対に帰らなくてはならなくなった。
コンフェデルスまで片道1ヶ月、往復2ヶ月、旅費も生半可な金額では済まない。
この時初めてスオウはクラウシュベルグが最西端に有る事と、蒸気船が完成していない事を呪った。
出立するまでとことん突き詰めれる所は詰めておくしか無いと誓う。
せめて3年の内2年くらいは蒸気船で帰りたいと思いながら。
「……ううぅ」
どうやら年に1回では不満な様だ。
しかしながら年に2回も帰れる程余裕が有るかは微妙だ、安請け合いして答えて期待をさせるわけにはいかない。
「なぁリーテラ、リーテラはもう8歳だろう? そして3年経てば11歳だ、今の兄さんより年上になるだろう?」
「……うん」
「だから立派なレディになってるのを見せてくれないか? 1年に1回、兄さんを驚かしてくれ、な?」
「……立派なレディになったら、兄さんがお嫁さんに貰ってくれる?」
ぶふ、と吐き出すのをスオウは根性で堪えた。
うるうると泣いていた為か潤んだ瞳で見上げるリーテラは相当の破壊力が有った。
スオウはここに来てロリコンの事を馬鹿には出来ないかもしれない、と本気で悩んでいたりしたが、僅かの逡巡の後、スオウは真っ当な道に留まった。
「そ、そうだな。リーテラが嫁の貰い手が無かった時に考えようか」
「うぅー……」
というより誤魔化した。
不満げなリーテラに僅かに目を逸らす。
愛おしいと、これ以上無い愛情は感じているが、これとそれは違う。
内心でため息をつくも、まぁ大人になれば笑い話の一つにでもなるだろう、と楽観視したスオウ。
さもあらん、この世界でも兄妹(姉弟)間の結婚はあまり歓迎されてはいない。
まぁ、違法ではないのだが、それでも実際に有るのは精々従兄弟が結婚するのが多いくらいだ。
長年の経験から、近親間の子供がまともに産まれる確率が通常に比べ低いというのがわかっているのだろう。
貴族、血を守るという意味で近親相姦もこの世界では昔有った様だが、貴族になる基準が多少緩くなったのも有りそういう風潮は減って来た。しかしながら、昔ながらの風習に囚われ血を守るため、と僅かながら今も兄妹(姉弟)間で子供を産ませたりはあるようだが。
とはいえ、この身に宿る記憶と知識は日本人の物だ、変な所でいまさらの日本人的な価値観を出したスオウは大人になっても駄目だったら頑張って説得しよう、と決意した。
「今日は一緒に寝ても良い……?」
おずおずと問うリーテラ、後数日でコンフェデルスへと発つスオウ、それを断る事は出来なかった。
○
そして――
コンフェデルス連盟 首都コンフェデルス
奇麗に整えられた街道は、首都なだけ有り相当な広さを誇る。
ここはコンフェデルスでも有数の観光地でもあり、更に言えば他国からの王侯貴族を迎える為の場所でもあるので相当に整備されている。
特に今回はカナディル連合王国からの嫁入りだ、コンフェデルス連盟は王族は居ない。
6家と言われる6つの商家が国を取り仕切っている。
民主主義、とはまた違う統治方法ではあるのだが、そのやり方でコンフェデルスは他国と上手くやり取りをしていた。
そのうちの6家の一つ、ローズ家、ここにカナディル連合王国の次女が嫁ぐのだ、これは騒ぎになってもおかしくは無い。
王族が商家に嫁ぐ、それが国を代表する一つとはいえ、所詮6つの内の一つなのだ、カナディル連合王国が下に見られていると取られてもおかしく無い行為、だがしかしそうはならなかった。カナディル連合王国のナンナ王女とコンフェデルス連盟のローズ家が当主エイヤル・ローズが恋仲である事は有名な話でもあったから。
産まれて直に、あるいは産まれる前から政治的利用を義務づけられている貴族として、王族としては恋愛感情を持っての結婚は望もうとしても望めない事が当然。だからといって夫婦仲が上手く行かないとは言わないが、それに超した事は無い。
当然、それだけで王族が商家に嫁入りする等簡単に許せる訳も無く、相当裏で取引が有ったのではないか、と聡い人間は推測していたりするのだが。ただ大多数の民はそのエピソードに心酔していた。
その結婚のパレードまで後数日、誰も彼もがお祭り気分で町中を闊歩する中、二人の少女が一つの喫茶店の一席に座りながら街道を眺めていた。
一人は水色の髪をサイドに纏め、美人よりはかわいい、と言われる部類に育つであろう少女。その少女は他のヒトに比べて一際目立つ者を背中に備えていた。多種多様な民族が暮らしているコンフェデルスでは不思議でも何でも無いのだが、彼女の背には白い羽が生えていた。翼人と言われる種族、ファサリ、と羽が動くと同時に風が舞う。その少女は何が嬉しいのかにこにこと微笑みながら出されて来たケーキをつつき、そして口に運ぶ度に笑みを浮かべている。
そしてその横に座る少女。その少女は黒い髪を肩口より僅かに上で切りそろえ、幼きその身でありながらその身にまとうのは氷の雰囲気。かといって冷徹に見える訳ではなく、凛とした雰囲気がより上に研ぎすまされていると言うべきだろうか。彼女は先に述べた青い髪の少女とは違い、かわいい、ではなく美しいと呼ばれる部類だろう。やや目が釣り目ではあるのだが、見開かず、半目で眠そうな目をしている、というよりあきれた目をしているというべきか。いや、あるいは世界をモノクロの様に見ているのだろうか、感情があまり見えない少女は目の前に出されていた茶菓子に手をつけず、ただ出された紅茶だけを飲んでいた。
「ねねね、食べないの?」
「……ライラが食べたいのならどうぞ」
残された茶菓子を見て不思議そうな顔で尋ねる蒼髪の少女はライラと呼ばれた。
翼人のその子は名をライラ・ノートランド、目の前に座る黒髪の少女の幼馴染みである。
とはいえこの数年まともに会う事が出来なかったのだが、だからこそライラはこの時を喜んでいた。
黒髪の少女の雰囲気に気が付かず、ただニコニコと今の状況を楽しんでいた。
黒髪の少女はほんの数日前の事を思い出す、言われた内容、いや、命令を。
「対象はこの子供だ」
「はい」
指し示す先には絵、そこには子供の似顔絵が書かれている。
「同年齢の方が怪しまれないだろうという推測だな、まぁ好きにしろ、体を使って陥落しても構わん好きにしろ」
「……」
「お前も誰にでも体を開く様な血が流れているんだ、母親の様にな。別に問題ないだろう?」
「……はい」
10歳の子供に言う言葉ではない、そしてそれを告げたのはその子の父親、少女の顔から感情が抜け落ちて行くがそれを気にせず男は告げる。
「そしてこの少年の傍に居る加護持ち、こいつの情報も常によこせ、忘れるなよ」
「……はい」
「怪しまれない様に適当に誰か見繕え。あぁそうだ、お前にたしか友達が居たな、ライラ、と言ったか? ふん、淫売の娘だと知ればどう思う事やら」
「……」
表情は変わらない、私は氷、ただの氷、凍てつかせれば何も感じず何も思わず、そして何も望まない。
「名はスオウ・フォールス、加護持ちの方はアルフロッド・ロイルだ。繫は向こうの連中が用意してくれる、報告はそいつを経由して行え」
「はい」
受け取った絵、黒髪の少年と金の髪を持つ少年、懐に入れて部屋を出る。
「……スゥちゃん?」
はっと意識が戻る、がやがやと周りの喧噪が耳に届く。
「大丈夫? なんかぼーっとしてたけど」
「何でも有りません、大丈夫です」
そう言って紅茶を飲む、口に広がる苦み、ライラはお洒落だ、と言って高級な砂糖を入れて飲んでいた。
金は今回繫をしてくれる相手が出してくれるらしい、普段食べれない様な物を食べ、普段入らない様な場所に入る。
家に居ればけして得られないモノ、それだけでも外に出て来た意味が有ったのではないだろうかと思う。
そして再度、紅茶を口に近づけ……、声をかけられた。
「こんにちは、お嬢さん」
その声は若い男の声だった、優男と言うべきか。
女性受けしそうな顔を持つ男、こちらから自分達の容姿と証明となる小さな銀細工を机の上に置いていた為直ぐにわかったのだろう。
そも、このような店に子供二人で居る事自体が異質とも言える。
今はナンナ王女の結婚パレードの準備で貴族層も富裕層も来ているため、その辺りの子供だろう、とあまり気にされていないがそうでない場合は注目を浴びていた事間違いない。
「貴方が?」
「えぇ、そうですよ。そちらはスゥイ・エルメロイ嬢で間違い有りませんか?」
「ええ」
「では、一応私が連絡役となりますので宜しくお願いしますね。連絡は週に1回、場所はこの場所で」
そう言って小さな紙切れを黒髪の少女、スゥイ・エルメロイに渡す。
その流れにライラが首を傾げているが、後で上手く説明するつもりなので問題は無い。
「わかりました、彼らと会うのは何時に」
「この後ここに来る様に手配しております、後1刻程でしょうか、相手方はスオウ・フォールスご本人とアルフロッド・ロイル、そして3名程護衛が付いていますのでご了承を」
「……護衛の件は聞いていないのですが?」
「同年代で行ける場所、もあるでしょう? 一応そう言う事で話をしています」
スゥイとライラは名目上スオウ・フォールス、いやアルフロッド・ロイルの護衛、という名の緩衝剤として出された。
正直な所コンフェデルス連盟としては連盟の息がかかった人間を付けたかった事は間違いは無い、実際婚姻パレードの間はアルフロッドは別行動となるだろう。だがしかしその後は別だ、幸運にもライラ・ノートランドの親はコンフェデルス連盟の軍属である、一応繋がりは有るか、と妥協した。カナディル連合王国と摩擦を作りたく無かったのも有るだろう。
勿論、大人しく黙っている筈も無いのだが。
「では、これで」
そう言って軽く会釈をして下がる男。
手には紙切れだけが残った。
○
そしてその店から優男が離れ、路地に入った瞬間。
するり、と伸びた手が男の首を掴み、口を塞ぎ、一瞬で物陰へと叩き込む。
「――!」
まさに早業、声を上げる暇もなく、抵抗する暇もなく、ミシリ、と首の部分から嫌な音がなっている様な気がするがそれをしている本人は気にしたそぶりも見せない。
手加減等十分に心得ている、痛すぎる事は有るかもしれないが、死ぬ事は無い。
連絡員を攫ったのは男、その男の髪は燃え盛る様に赤い髪。
目を見開き、状況を把握しようと必死に体を動かすが、ギチリ、と体が動くと同時に締め付けられる首によって意識が朦朧とする。だが消失しそうになる所で首の締め付けが弱められ、と思ったらまたギチリ、と締め付けられる。
一体何が、と男が思った所で声がした。それは幼い声、小さな子供の声。
「やぁ、こんにちわ」
そうしてその赤い髪の男の影から出て来たのは少年。
連絡員の男はそこで驚愕に目を見開いた、そこに居た少年、それは紛う事無き先ほどの少女に渡した対象の一人、黒髪の少年、スオウ・フォールスであったのだから。
「アリイア、他に居ないか警戒してくれ。もし居て無力化出来そうに無かったら始末していい」
「は」
軽く手を振って指示を出すと同時にどこからとも無く声が聞こえてヒトが動く気配を感じる。
びくり、と連絡員の男が震える、自身の立つ場所がどれほど危機的な状況なのかゆっくりと染み込む様に理解して来た。
「シュバ、口を開かせてくれそのままでは会話が出来ない、あぁ、一応言っておくけどそのヒト片腕で首を折れるからね。大声を上げたらどうなるかわかるよね?」
こく、と塞がれたまま首をゆっくりと縦に振る。
男はそこまで馬鹿ではなかった。
そして赤髪の男、シュバリスはゆっくりと口から手を離す。
「さて、こちらで監視が付くとは思ったけど子供を利用するのは気に入らないな。君の雇い主は誰かな?」
「……ごぉっ」
ベキ、と前歯を数本折り、口に剣の柄が無理矢理入れられ、咥えさせられる。
行ったのはシュバリスだ、忌々しげな顔をしている所から何をするか予想した。
そしてスオウも同様、はぁ、とため息をついて男を見る。
男は躊躇なく舌を噛み切ろうとした、それはそれだけの忠誠を誓うか、あるいは喋ればそれ相応のリスクがあるか、だ。
物取りの可能性を含め、ぎりぎりまで見極め、しかし雇い主を聞かれた時点でこちらの真意を読み取り、死を選ぶ。なかなかの練度である。だがそれが一つの見極めともなる。
「成る程、ね……」
それで大体理解した、ふむ、と少しだけ思案したスオウは持っていた鞄から一つの短剣を取り出した。
フィリスにも一度渡した事のある短剣、僅かに目を泳がせる男、その仕草に口角をつり上げ、そして再度交渉を行う。
「この短剣の持ち主と関係がありそうだね、とはいえこれの更に上は知らなそうだけど。さて、どうしたものかな……」
くるり、と短剣を回す。
ここで彼を殺しても次の連絡員が来るだけに過ぎない、故に彼を抱き込む事こそが一番のベスト。
とはいえこの短剣の持ち主の部下であればかなり難しいと言える、なんせ腕に転移刻印を刻む程の男だ、そしておそらくルナリア王女の部下。彼女を主と仰いだ以上事を構えるつもりは無い。だが黙っているつもりも無い。
「まぁ、交渉とはそういう状況でこそ行う物だけどね。さてはて、君が望む対価を出せれば良いのだけど」
こきり、と首をならす。
この後の予定はスィートルームへご招待。用事を済ませば時間はたっぷりとある、さて話し合いを始めようか。
にこり、と笑ったスオウの笑顔。連絡員の男は背に嫌な汗が浮かぶのを自覚した。
――そして約束の時間、スオウは彼女と出会う。
一部完
ここまでで1部完結です。
次は学院編まで飛びます。
誤字修正等は追々行って行きますのでご了承頂ければ幸いです。




