月の導きと加護の宿命11
The future depends on what we do in the present.
未来は我々の現在の行動にかかっている。
ちらちらと残り火が地面を焼き、周辺の酸素を吸い上げていく。
もうもうと燃え上がる煙は死を誘う呼び水の様に人に纏わり付き命を奪っていく。
死体、死体死体死体死体死体死体死体シタイ死体死体シタイシタイ。
転々と散在する様に焼けるシタイ、肉と脂肪の焼ける独特の匂いが辺りに漂い、鼻に届く。
「うぇっ……」
何度目かわからない吐き気、既に数回吐いた後、もはや吐く物も無いのだがその惨状と不快な匂いで胃は痙攣を繰り返し嘔吐を強制する。
「なん、だよ、これ……」
最初はただの怒声らしい声が聞こえただけだった。
もしかしたら魔獣が出て、そして誰か襲われているのではないかと思った。
故に、アルフロッド・ロイルは誰かを助けられるのではないかと思った。
自信の価値、自分の意義、力を持つ者の存在意義。
誰かを守る事で意味を成そうとしたアルフロッドは迷い無くその場へ走り出した。
加護持ちであるからこその速度、疾風の如く木々を縫い、声のした方向へと近づく。
だが、しかし、近づくにつれそれは魔獣と人ではなく、人と人の争いである事に気が付いた。
気が付かない振りをして、誰かに役に立つ事を願った少年は、最初にであったのは首の折れた男の死体だった。
「意味わかんねぇ、なんだよ、なんなんだよ、なんだってんだよっ!」
胃液で口の中が苦い、ふらふらと地面が揺れている様な錯覚の中生きている人はいないかと探して回る。
声のする方、声のする方、そうしてようやく見つけたのは鎧を付けたヒト、だが……。
「た、たすけてくれっ、ま、まっ――」
ザン、と切り落とされる首。
3人掛かりで押さえつけ、首を落としている光景。
ニヤニヤと笑みを浮かべ、一方的な暴力を振るう現場。
「う……ぁっ……」
足がすくむ。
目がかすむ。
手が震えて、いつも軽々と持っていた剣がまるで数十倍にもなったかの様な錯覚。
ずしり、と地面に縫い付けられている様なそんな感覚。
「あぁ? おい、なんでこんな所に餓鬼がいるんだ?」
「ちっ、見られたか。まぁ、いい殺せ、どうせこの火だ適当に放っておけば他の死体と見分けがつかネェよ」
じゃり、と歩き出す男達。
全身に浴びせられる殺気に手が震えて、涙が浮かぶ。
「残念だったなぁ、ママの傍で大人しくしてれば良かったのに。ま、運がなかったと思って諦めな」
ぶん、と振られる剣。
視界に入るのに体は動かない、だが、幸か不幸かスオウとの特訓で身に付いた身体強化だけは体が勝手に反応してその身を守った。
「がぁっ……」
ごっ、という鈍い音が肩越しに伝わる。
骨は折れていないだろうが、それでも衝撃はくる。
いくら加護持ちとはいえ、気の入ってない身体強化。いや、気の入ってない身体強化で大人の一撃を生身で受けて衝撃で済むのだからさすがは加護持ちといった所か。
「あ”? ちっ、切りすぎて鈍ったか? まぁいい、突きさしゃ一緒だろ」
両断出来なかった剣を掲げ、首を傾げながら血糊でべったりとなっているその刀身を睨んでそう呟く男。
切れずとも刺せるだろう、と、剣を再度構えてアルフロッドの顔を狙う。
「あ……?」
死ぬ?
死ぬのか?
母を殺して、生きていたのに、こんな所で死ぬのか?
いや、だ。
死にたく無い、死にたく無い、死にたく無い、死にたく無い、死にたく無いっ!
「あ……、あ……あぁぁぁぁぁっ」
死にたく無いなら、殺すしか……!
「あぁぁぁぁああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああ!!」
ドン、と大気が震える。
生物が本能的な死を感じる。
周りを囲んでいた男達は突然の変貌に、いや、その全身を覆う恐怖に身が竦み……、そして――
「ひっ、ば、化けも――」
紡がれた悲鳴にもならぬ言葉と共にバチャリ、と上半身が弾けとんだ。
○
轟々と燃え盛る火、火炎系中級魔法によって焼却されていく死霊の森。
本来であれば魔獣が逃亡のため一斉に動き、開けた場所は危険でもあるのだが、先日のビックピグ騒ぎでそういった雑魚は一層されていた。
それが幸か不幸かはわからないが、少なくとも暴走する暴力を振るう相手を探している一人の加護持ちにとって、選ぶ相手は少なかった。
「まいったねぇー、こいつは予想外の展開だ。いやはや焚き付けたらこっちの方向に転がるとは。ま、これはこれで問題ないかな」
目を細め、遠見の魔法で前方の燃え盛る森の中を見る一人の男。淡々と喋るその内容には感情がこもっている様に思えず、むしろ予定通りとでも言いたげな顔。30を少しだけ過ぎた程度の男だ、体格は引き締められており、身にまとう雰囲気は不気味ではあるが、その陽気な笑みは僅かにその雰囲気を和らげている。少なくともこの状況で笑みを浮かべられるというのは異質では有るのだが。
数刻前、アルフロッドにスオウが襲われた理由の一端を話した男でもある。
「いやはや、友達思いのいい男の子だと思ったけど、いーねぇ、加護持ちらしさがきちんと出てるじゃないか」
くつくつと楽しそうに笑う男。遠見の魔法の先には一方的に虐殺を繰り出しているアルフロッドが映っていた。
「問答無用で逃げれば良いのにねー。まっ、馬鹿は死なないと治らないって言うから丁度イイかもね」
あのアルフロッドの速度に逃げられる物なら逃げてみろ、ともしこの場に誰か居たらそう言った事だろう。
だが的を外れてない助言ではある、アルフロッドはあくまでも自分を殺そうとした相手と同じ格好をした相手を殺して回っているだけなのだから、見つかる前に逃げれば良いだけの話だ。勿論逃げられればだが。
「っと、ありゃーメディチ家の私兵か……。ふぅん、カリヴァ・メディチ、仕事が速いね。もう嗅ぎ付けたのか」
ちらり、と視線を移す先には統率された動きで死霊の森へと進む一団が見える。
しかし彼らもその魔素の異様な揺らぎを感じて動きが止まっている様だ。下手をすれば龍種並みの魔素の揺らぎ、ためらうのも当然だろう。
何より彼らは国を守る兵士ではない、金で雇われている傭兵に近いのだからさもあらん。
そして彼らは愚図ではないようだ、やはりカリヴァ・メディチはやり手なのだろう。異常を察知したか、彼らは死霊の森に入らず周辺で警戒を続けている。本人が居るかどうかは別として、それが出来る人間が手駒に居るという事はそれだけで意味が違う。正味な話相打ちしてくれれば完璧だった。そうすればアルフロッドにクラウシュベルグでの居場所は僅かにも残らなかったのだから。しかし高望みするべきではないだろう。何より現状ではそれはそれで好都合であった。
「とりあえずコレでアルフロッド・ロイルが自国の人間に手をかけたという事実は変わらない。首輪をかけさせてもらうよ」
二ッ、と笑いそして溶ける様に男は消えて行った。
○
「ど、どういう事だっ!」
ガン、と近くの幹に鞘に入ったままの剣を叩き付けて怒鳴る。
領主軍の司令官として現地へと着ているクロイスである。先ほどまでの享楽ぶりはどこへ行ったか、焦燥の表情で声を荒げ、近くに居た側近へと怒鳴り散らしている。
然もあらん、気が付けば自軍の半数が壊滅され、その死体は原形をとどめない程粉々に吹き飛ばされていると来た。
途中までは何も問題は無かった。馬鹿みたいに餌に食い付いた傭兵を一方的に嬲り殺しにするだけのお仕事だった。
現にそれは上手く行き、実際に傭兵団は壊滅した。だが問題はその後に起った。
残党狩りをしていた所、一部の部隊と連絡が取れなくなったのだ。
異常を察し、愚かにもこの司令官はてっきり最後の足掻きをする傭兵が居たのだろう、と考え全軍を持って擂り潰してやろうと部隊を進めたのだ。周りの静止も聞かずに。
結果は飛び散る肉片と血潮、まるで柔らかなパンを引きちぎる様に人がもがれ吹き飛び、死んで行く。その中心には悪鬼が居た。
――化け物。
ヒトとしての種の保存からか、あるいはその根源にある生命の保存の為か、全ての人間がソレに平伏し、そして死ぬ。
あるいは、統率された正規の部隊であればこんな事はなかったであろう。
加護持ちとはいえど所詮まだ子供、何より彼が持つのは守護の加護。攻撃に特化している訳ではないのだ。
未だ世界に表沙汰にされている訳ではないが、アルフロッドが持つのは7階級守護アーノルドの加護である。
故に、統率の取れた部隊であれば混乱の中に居るアルフロッドであれば無力化も可能であった。あくまで統率された真っ当な部隊であれば、ではあるのだが。
この領主軍は少なくともその両方どころかどちらも持っていなかった。
少なくとも、誰かの為に犠牲になろうという精神を持つ者が少なかった。正確に言えば居なかった訳ではないのだが、そう言った者はクロイスに忌避され、最初の突撃で使われほとんどが傭兵部隊とぶつかり散ったのだ。
「い、いやだ、こんなところでっ、くそぉっ! 何をしてるんだ! 僕を逃がせ! はやく僕を逃がすんだ!」
生け贄、とばかりに馬車の中に居た女性を外へと放り出し、我先にと走り出す。
コレに慌てたのは側近の者だ、部隊の司令官が我先に逃げ出せばただでさえ杜撰な統率がさらに崩れる。
「クロイス様、おやめください! ご勝手な行動をされては!」
「うるさいっ! そうだ、元はと言えばお前が悪いんじゃないか! お前の計画が杜撰だったからこんな事になったんだろう、何とかしろっ!」
まるで癇癪を起こした子供の様に手を振り乱し、怒鳴るクロイスに眉を顰める。周りの側近も全て同様の意見を持つだろう、元はと言えばお前が突撃する等と行ったからだろう、と。だがしかし彼らは何も言わない、どんなに程度が低いとは言え主の子供であり、主の命令は彼の補助である。封建制度が当然であり、主に仕える事が当たり前でもある故に、そして自身の立場の保持の為に大きな声では何も言えないのだ。いや、言う勇気がないとも言えるのだろうが……。
どちらにせよこの状況、座して待てば部隊は全滅、上手く行って半壊。金食い虫である部隊を全滅させた等と報告すれば自身の首は物理的に飛ぶだろう、勿論息子であるクロイスの死も同様、と考える側近。となれば、現状極力部隊の消耗を抑えクロイスを逃がす必要が有る。
(仕方が有るまい)
一人の初老の男が諦めにも似た顔でゆっくりと息を吐き、周りの部下へと指示を出した。
「これより私が数名の部下を率いて囮となる。他の者はクロイス様を率いてクラウシュベルグへと撤退せよ」
その男はただ他の者より僅かに年老いていたというだけ、だがそれだけで彼に取っては十分であった。
若い者を生かし年寄りが死に逝く。自身が行って来た事が正しい等と思っている訳ではない。クロイスの悪行を見て見ぬ振りをし、自身の立場の保持に走ったのだから。今回の遠征でも馬車から漏れる悲鳴と苦悶の声に耳を塞ぎ、聞こえなかった事としてやり過ごしたのだ。自身の罪は明白、故に、せめて最後に役に立とうと思った。
ギチリ、と剣を握りしめ、手綱を持ち自身の愛馬へと跨がり燃え盛る森を睨む男。
運悪く指名された悲壮の顔をした部下を引き連れ、森へと駆け出す。その後ろ姿に別段声をかける事も無く、はやく、はやくと逃げる事を急かすクロイス。
慰労の言葉も、最後の言葉も何も無い。ただ自分の命を延ばす為だけしか考えていないのがよくわかる。自分達も同様だというのにそれに気が付かず周りの人間が嫌悪の視線をクロイスへと向ける。同じ穴の狢、同族嫌悪か、だがしかし彼らは所詮仕える者、囮となった男を無駄にしないため、別方向へと逃走の指示を送る。
そしてその背後、囮となったその男が森へと入った瞬間、パンっ、と肉片が飛び散っていく。
音が消える。
命が消える。
ゆらりと、そこから現れたのはただ助けを求める子供の様にも見えた。
○
夜が開ける、朝日が昇る。
決着は犠牲のもとで、終着は身内の血と肉で、ただ幼き子供に大きな傷だけを残して終焉へと向かう。
「ごめんなぁ、アルフロッド」
くしゃり、と撫でるその大きな手。
泣きじゃくるアルフロッドの頭をゆっくりと撫でる。
周りは武装した“カリヴァ・メディチ”の私兵で取り囲まれており、しかしながら誰もが殺意を持って彼らを囲っている訳ではないのが唯一の救いと言えようか。
「おや、おやじっ……、お、おれっ、ごめんなさい、ごめ、ごめんなさいっ」
「何を謝る必要が有る、お前が大変な時俺が傍に居てやれなかった。お前の親父失格だ、お前は何も気にする事は無い。ヒトよりちょっとばかし強いだけだ、それだけだ」
燃えた森を消化する為に滅多打ちされた水系統の範囲中級魔法によって水たまりだらけの一角で、グランはアルフロッドを”片手”で強く抱きしめる。間に合ったのか、間に合わなかったのか。少なくとも自身の息子が両手では収まらない程の数のヒトを殺した事には違いが無い。正当防衛、だがしかし、加護持ちである彼がそれで済む筈も無く、そして加護持ちである事がコレでバレた事は間違いない。
ただでさえ訝しんでいたクラウシュベルグではたして居場所は有るだろうか。少なくともカリヴァ・メディチはアルフロッドの有用性を見いだしている、気に入らないが、故にそう簡単に手放すとは思えない。だがしかし所詮は自治都市、国から正式に求められてそれに対抗する事は出来るだろうか。今回の件で領主とは明確に敵対してしまった、助力を得られるとは思えない。
「隊長、至急治癒を……」
「かまわねぇ、もう少しほっといてくれ」
親子水入らず、とは聞こえが良いが、そんな状況では無いだろうと部下の一人が声をかけるがグランは軽く頭を振ってそれを断った。
「お、おやじ……、ひっ、あっ、うぁっ、ごめ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
震え、恐れ、泣き出す息子をまた強く抱きしめる。
利用されたか、あるいは流されたか、どちらにせよ巻き込んだ奴がいる。ぎちり、と歯が軋む。
カリヴァに言われた事を思い出す。息子を愛し、守ろうとするのは尊いと。それは素晴らしい考えだ、と。
だがしかし加護持ちの価値はそういうレベルの話ではないのだと。
いずれアルフロッドは巻き込まれる、力を持つ者は力を持つ責任があるのだと。
――それを自覚しない限り自身と周りが不幸になるだけだと。
「あぁ、くそう、わかっていたさ。わかっていたさ、ちくしょうがっ」
だが、なぜだ。俺から妻を奪い、そして息子まで奪うのか。
なぜだ、なぜ俺の息子に加護を与えた、そんなものはいらなかった、ただ、ただ家族で幸せに暮らせるだけでそれだけで良かった。
なぜ加護なんてものをよこした。笑わせるな、こんなものは加護ではない、これはもはや呪いだ、この世界に存在する呪いだ。
「あぁ、ちくしょう。俺は俺が情けない、なんでだ、なんで、なぜ俺に力が無い、こいつを守ってやれるだけの力がなんで俺にはないんだ!」
咆哮。
ぽたり、ぽたりと滴り落ちる自分の血。そこには腕が無かった。肩から奇麗に切り取られた様に無くなっている腕一本。
そして同様に片目が抉られ、耳が千切れ、その傷は深い。
だが、だがそれでもグランは、腕一本で息子を取り戻した、その腕に取り戻した。
痛みは自身への戒めか、どこか甘く見ていなかっただろうか。
現状を、実情を、状況を、加護という存在を、どこか舐めてかかっては居なかっただろうか。
その存在を、国一つ傾く可能性があるその絶大な力を、ただ一人のヒトがどうにか出来る等と本気で思っていたのだろうか。
今まで誰かに頼らなかった訳ではない、むしろ大勢のヒトに助けられて来た。だからこそ今が有り、ここに居る。
クラウシュベルグに来た事が間違っていたのだろうか、そんな事は無い。アルフロッドに親友が出来た。
スオウ・フォールス、アンナ・ロレンツァ、他にもスオウ経由で友達が出来た。
だからここに来た事が間違いだったと思いたくは無い、思いたくは無いのだ。
「ごめんなぁ、アルフ……」
ごめんなぁ、リベリア……。
亡き妻への誓いは守られる事無く世界は動いて行く。
○
中央都市ヴァンデルファール
流通都市とも言われるこの街、カナディル連合王国の中でも二番目に大きなこの街には空中に浮かぶ建物もいくつか存在している。それは魔法によって実現している不可思議現象でもあるのだが、これほどぶっ飛んでいるのはカナディルでもこの都市だけだ。その理由はこの場所にカナディル最大の魔法学院があるからなのだが。
そんな都市の一角、物々しい雰囲気が辺りをぴりぴりと締め付けていた。屈強な男達が一人の女性に連れられて豪華絢爛な屋敷へと入って行く。僅かに見えたその女性は金の髪を肩より僅か、肩甲骨程までに伸ばしており、半分を宝石の散りばめられた華美ではないが美しい装飾品で纏められており、もう片方は自然に下へと流している。
目は僅かに釣り上がっており、赤く塗られた唇のルージュは何処となく妖艶でありながら大人びた雰囲気を醸し出す。世間一般的に言う美女、という奴であろう。だがしかしその身にまとう雰囲気は女性が纏うべき物ではなかった。
カツカツ、と靴を鳴らしながら配下護衛を引き連れ、そして腰には一本のサーベルを吊るした女性。彼女こそこの連合王国第一王女、ルナリア・アルナス・リ・カナディルである。
バン、とルナリアにによって乱暴に開けられた会議室に備え付けられていた木製の扉はその勢いで悲鳴を上げるがそんな事はお構いなしに椅子に座る一人の男の傍へと歩いて行く。
その近づいて来た女性の顔を見て血相を変え立ち上がる一人の男、僅かに震える声で問いかける。
周りに居た文官、部下と思われる者は蜘蛛の子を散らす用に散って行くのを横目で恨めしげに見ながら。
「こ、これはルナリア王女様、この度は何用で……?」
「何用で?」
くつり、とルナリアは笑う。
「笑わせないで、今選んでくれるかしら。王家への報告義務を怠り隠蔽工作にいそしむ愚か者とこの場で謳い私に首を刎ねられるか、それとも自身は王家への報告義務を怠る愚か者の主に仕える先見性の無き愚図であると認めるかをね」
ヒュン、と銀の線が舞う。
一寸の後に振られたサーベルは寸分狂い無く目の前の男の首へと添えられる。
一気に青ざめ、がくり、と椅子へと崩れる男に対してルナリアは笑みを浮かべるだけだ。
所詮は茶番だからだ、ルナリアは既にその報告義務を怠っている件、即ち加護持ちに対する接触行為及び加護持ち発見に対する報告義務を怠っている事を把握している。
目の前に居るのは中央都市ヴァンデルファールの傭兵部隊へと指示を出した男。要するにガウェイン辺境伯の子飼の者だ。
トカゲの尻尾切りになる可能性が高いが、ルナリアは正直な所このカードはこれ以上放っておいても効果的にならないだろうと今切ったのだ。
「な、何の事か検討も……」
しどろもどろ、傍目から見れば十分に冷静を装っている様にも見えるのかもしれないがルナリアにとっては児戯にも等しかった。
幼少期より王族として育てられ、そして彼女には守らなければならない妹が居たのだ。故に彼女は力と、そしてヒトを見る目を養う必要が有った。魑魅魍魎が跋扈する王宮の貴族達、彼らに比べれば目の前に座る男など子供より浅はかであった。
ひゅん、とサーベルが音を鳴らす。びくり、と震える男の目の前で尚もルナリアは笑う。
「貴方耳の聞こえが悪いのかしら? であるならその耳、不要よね?」
ピン、と突き刺さる。その先、椅子の背へと突き刺さったサーベル、その刃は男の耳より僅か数ミリ横に生えていた。
「ぁっ、ひぃっ!」
「ねぇ、私は気が長い方ではないの。今回の件、ウィリアムスの平和ボケした腐り切った対応も、王家への報告義務を怠った辺境伯に対して沈黙を貫く父上の愚鈍さも、何もかもが気に入らないのよ。このサーベルが貴様の腐り切った脳味噌を貫く前にさっさと吐いてくれないかしら?」
底冷えする目で男を睨み、顔を近づける。これが色恋のある華やかな場所であるならば男は歓迎しただろう。目の前に居るのはまごう事無き美女だからこそ。だがしかしその美女は呟いた。
男だけに聞こえる小さな声で、地獄から這い出て来る様な声で、下手をすれば叛逆の意思とも取れるその言葉をぼそり、と呟いた。
もはやそれは死刑宣告に他ならなかった。
○
カンカン、と乱暴に靴を慣らし不機嫌に歩くルナリア。
手段はともかく求むべく情報を得たのだから機嫌良くするべきなのだろうが、生憎とルナリアの機嫌は最悪だった。
「早急にクラウシュベルグへと向かうわ、加護持ちは王家が保護する必要が有しね」
「は、ですがウィリアムス様へのご報告は如何されますか?」
「ボケた軍司令部など価値等無いわ、他の者と挿げ替えるわよ」
ふん、と何事も無さげに告げるその言葉に慌てたのは別の男。
「そ、それは問題です。総司令官はルナリア様の一存で決められる者では有りません! これ以上国王陛下の心労を増やす真似はお止めください」
「笑わせないで、国家級戦力が自治都市とはいえ、保有している事が判明していながら傍観すると言った男よ。それが本当に傍観出来ていたのならばまだしもあの男が言う傍観とは辺境伯が口を出し手を出し、クラウベルグの領主が金で加護持ちを売ることを黙認する事が傍観だとでも言うの? であるのならばさっさと首を切ってしまいなさい! 物理的にね!」
忌々しげに吐くルナリア。
事は国防に及ぶ問題なのだ。この国の民を守るべき総司令官がなにを甘い事をやっているのかと。
他国に対する配慮だと? 笑わせるなと言いたい。大々的に公表し、正式に発表するべき点とそうでない点は理解している。だがしかし加護持ちを発表しない事の方が論外だ。国家戦力級を隠蔽? それこそ他国に不信感を与えるだろう。戦時中のカウンターとして持つ、あるいは戦争を行う為に油断させる等、戦略的観点から隠すというのもわかる。あるいはコンフェデルスとの同盟問題を懸念するのもわかる。だがしかしまさかこの先ずっと隠し通せるとでも思っていたのだろうか? 数年、良い所3年が限度だ。ではそれまでに帝国を上回る国力を付ける事が出来るのか? 答えは否だ。であるのならば攻め込ませればそれなりに被害が発生するであろう点を見せるのも必要。精霊国ニアルとの懸念はわかるが、他国に流出する前に自国から自発的に発表するべきであろう。もはやルナリアにしてみればウィリアムスは耄碌したかと思える程であった。
「どうか発言にお気をつけ下さい……、ルナリア様の発言はただでは済まないのです」
どこで誰が聞いているかわからない。
ルナリアの力は所詮王女であって、女王ではない。だがしかし王位継承権第一位なのだ。
その発言力は小さいものではない。
故に国の総司令官と不仲などと流れればどこぞの馬鹿貴族が馬鹿な真似をする可能性が高い。
そんな事はルナリアも承知しているが、言わずにはいられなかった。こういった所は15歳の若い少女らしいと言えば可愛げが有るのだろうか。いや、数分前に耳を切り落とそうとしていたその姿を見てそう思えるならある意味強者か。
「……まぁいいわ、直にクラウシュベルグに発つわよ。元はと言えば正式に面会を申し出れば良いだけの話、相手はそれを断る事は出来ないわ」
「本当にルナリア王女が直々に行かれるので? 警備の問題も有りますので、また他国の目の問題が……」
「仕方が無いでしょう、ここまで拗れているのよ、私が直接行って誠意を見せる必要が有るわ」
そう言ってくすり、と笑う。誠意、笑わせる、自分で言っておきながら一番自分に相応しく無い言葉だ。
現に、”態と”拗れるまで待ったのだから。
今回不満に思う点は大きくある、だがしかしグラン・ロイル、そしてアルフロッド・ロイルにとって現状を把握するには一番の薬で有ったろう。何人ものヒトが死んでいる事に対してその程度の認識しかしていないルナリア、だが彼女に取ってはヒトの死に対する忌避感などそこらに転がる石の価値にすらならない。彼女に取ってヒトの死は何の為に死に、そしてその死をどう活用するか、それがどれだけ国の為になるか、それしか考えていないからだ。まぁ、それしか、と言うと語弊が有るかもしれないが……。
未だ直接会っていないため明確ではないが、今回死んだ人間のお陰でアルフロッド・ロイルがこの国に協力的な姿勢を見せてくれるのならば彼女は膝を付き、死んで行った者の為に涙の一つも流すだろう。無駄にならなかったのだから。そうしてそういう流れにもっていくこそが貴族、そして自身であると思っている。
「ですが……」
「くどいわよ、私がやる、と言ってやらなかったことがあるかしら?」
尚も食い下がる部下へ告げる一言、それが止めとなった。




