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月蝕  作者: 檸檬
1章 幼年期編
1/67

月の導きと加護の宿命

 One of these days is none of these days.

 「いつの日か」は永遠に訪れない。 


 幻星歴1043年 カナディル連合王国 中央都市ヴァンデルファール


 ――たとえこれ以上無い理不尽に出会ったとしても、待つだけではかわらない。動かなければかわらない。いつの日かは永遠にこないのだ。


 そこは大凡オーストラリア大陸と同等程度の広さを持つ大陸、名をウィーリス大陸と言った。

 場所による程度の差はあれど、四季が存在し、ヒトと呼ばれる生命体が暮らす世界。


 しかしこの大陸には”己”の知るべき常識の範疇の中で大きな、そして根本的な違いがあった。

 この世界を構成する上で重要な一つ、“魔素”。それは魔法の源、魔法学の原理、現代社会の“日本人”であった己にはおおよそ理解できかねる現実と事実。


 故に、故にこの世界の発展方向は想像の付かぬ位置に居る。

 進みすぎた科学は魔法と同義である、だがしかし進みすぎた魔法は果たして科学と同義と言えるのだろうか。

 

 大凡中世時代のヨーロッパに酷似した環境にあるにもかかわらず、所々オーバーテクノロジーとしか思えぬ物体が存在する。

 それらは遠くのヒトと交信する手段であったり、数キロの距離を一瞬で移動する方法であったり、羽も燃料もいらず空を飛ぶ技術であったり。


 どれもが魔素を使い現実へと起こしている行為、現象、いわゆる”魔法”ではあるのだが、夢物語が現実目の前に現れているのは未だに慣れる事は無い。


 素晴らしいほどに知的探究心を刺激してくれる事この上ないのだが、この世界の住人もよくわからない技術として使われている部分もあるようで困った話である。

 以前の自身が居た世界、日本でも自分の手に余る、人の手に余る核を使用していたのだから世界が変わろうと人の根本は変わらないという事だろうか。


 とにもかくにも、二度目の人生、後悔しないように生きようじゃないか。


 トン、とレンガ作りの舗装された街道に立つ黒髪の少年はそう思う。

 心には意思と信念を、己の価値と存在意義を、そしてここにいる“原因と理由”を求め、満たすために。


 眩しいばかりに照らしてくる“変わらぬ太陽”を睨みつけ、夜にはその空に浮かぶ二つの月が回るこの世界。

 そうして自身の中に居るナニカへと問いかけた。


 ――なぁ、そうだろう? クラウシュラ・キシュテイン。


 彼の名はスオウ・フォールス。

 これは彼の物語。


 ○


 時は遡り幻星歴1027年、ウィーリス大陸の南西に位置するカナディル連合王国にて一人の男児が産まれる。

 その名はアルフロッド・ロイル。絶大な力を持つとされる加護持ちの子として産まれた。

 

 政治利用される事を、兵器利用される事を恐れたその両親であるグラン・ロイルとリベリア・ロイルはグランの親友であるダールトン・フォールスを頼る事にする。ダールトンが住むその町の名はクラウシュベルグ。


 そこはカナディル連合王国の最西端にある自治都市、漁港が盛んではあるが、誰もが裕福とは言えない場所。だがしかし、国の目を誤魔化すにはちょうど良かった。幸運にもこの国にはもう一人加護持ちが居た、第三王女であるリリス王女、数ヶ月前に産まれた彼女は5階級:迅雷のロルヴェの加護を得ていた。


 国を挙げて祝福を、加護持ちを所持している事によって他国に対する情勢は大きく変わる。暗殺や他国への刺激を懸念し、第三王女が大きくなるまで伏せる案も出たが、北の大陸を支配する大国、帝国アールフォードに対して牽制とする為に宣伝を行った。


 そんな喧噪の中、最西端クラウシュベルグの一軒家ではリベリアがじっとりと額に汗を浮かばせ苦悶の声を上げていた。


「ちくしょうっ、魔素が大きすぎる……! ウズロのじじいが言っていた通りかっ……!」

 

 はっはっはっ、と断続的に呼吸をする妻であるリベリアの手を掴みながら下唇を千切らんばかりに噛み締めて自身の無力を呪うグラン。

 宮廷魔術師であるウズロより、リリス王女が産まれたときの事について聞いていた。加護持ちとは自身が膨大な魔素を持っている事が大きな特徴である。自身の魔素をトリガーに、大気中に漂う魔素を活用して魔法を使う一般的な魔法とは違い、加護持ちは自身の持つ魔素だけで強大な魔法を放つ事が出来る。これは大気中に漂う魔素のおよそ100倍であると言われており、階級による違いはあるが、どちらにせよ持つ者、持たぬ者での差は言わずともわかるだろう。


 しかし、今回はその膨大な魔素が問題となっていた。加護持ちでない“普通の女性”であるリベリアではその膨大な魔素には耐えられない。大きくなるお腹と共に彼女は衰弱していき、そしてこのクラウシュベルグへの旅でもはや限界へと達していた。


 無理も無かった、専任の治癒魔法師が傍に付いていたリリス王女の誕生の際も母親は“助けられなかった”のだから――


「だい、じょうぶ、よ……。この子が産まれる、まで、死んで、たまるもの、ですか……」


 その事実を知った上でリベリアはこの子供を産む事を決意していた。自身の死と引き換えにでもこの子を産むと決意していたのだ。

 それは加護持ちであったからではない、むしろこの子は産まれた方が不幸になるかもしれない、利用されて兵器として生きていかなければならないかもしれない。それでも、それでも彼女はリベリアは産まれる前にそれを決めつける事だけはしたく無かった。


 その決意と意思にグランはお腹の子を殺す事を最後まで言えなかった。

 我が子を殺しても、妻を殺しても、結局の所後悔するのだ、ならば、ならば妻の望みを叶えてあげようと自身を騙して。


 そんな中、木造の扉をあけて薄く茶色がかった髪の20代後半くらいの男が入ってくる。

 手には大きなタライがあり、湯気が立っている事からお湯が入っているのだろう。縁に数枚の布がかけられている。

 その少し後ろには黒髪の女性が立っていた、目鼻立ちが整っておりなかなかの美人である、その二人の顔を見るとグランもリベリアも少しだけ安心した顔をして息を吐いた。


「湯を持って来たぞ! サラ! 治癒魔法を断続的にかけて……「駄目よダールトンさん……。治癒魔法も魔素を体内に送るという手順を踏むの……、だから余計に悪化させるだけよ……」……くっ」


 無力感に項垂れる男、そしてその答えに対して予想していたのだろう、グランは少しだけ顔を曇らせるだけで何も言わない。

 男がダールトン・フォールス。そして女性の方はその妻であるサラ・フォールスである。


「ふふ、大丈夫よ。ご、ごめんなさい、ね、サラ、も息子さん、まだ産まれたばかりなの、に」

「喋らないでリベリア、後の事は任せなさい」

「ええ、お願い、ね」


 汗を拭う、ゆっくりと青白くそして吐く息も弱まっていくリベリア、額に触れるとまるで氷のように冷たいのをサラは感じながらこぼれ出そうになる涙を必死にこらえながら彼女の汗を拭う。


「ダールトンさん、外に出ていて。そろそろでしょうから」

 

 痛みが断続的になって来ている事を見たサラは扉の傍で所在無さげに立つダールトンに声をかける。

 その言葉にハッと顔をサラに向けた後、ぎゅぅ、と爪が食い込まんばかりに手を握りしめ――


「あ、あぁ……」


 なんとか、声を出した。

 そしてグランの方を見てお前は、と声をかける。しかしグランは数秒悩んだ後、リベリアとサラに頭を下げて懇願した。


「俺は……、いさせてくれ、頼む」


 項垂れるように、もはやこぼれ出る涙を拭おうともせずに懇願する、彼女に、無力な自分を呪いそして謝罪しながら。


「ふふ、ええ、お願いねあなた……」


 力なくゆっくりとあけられた目、震える手がグランへと伸びて……。


 そしてその数十分後、部屋に産声が上がり、一人の女性の灯火が消えた。


 ○


 しとしとと雨が降る。

 土葬が風習であるこの国では死者が天でも不自由無く暮らせるようにときれいに着飾り、そして服を着せ、硬貨や価値のある貴金属類を棺の中に入れる。余談ではあるがその風習のため墓を暴く者もいる。貴族や名家の人間が眠る墓地にはそれ専任の警備員、護衛が付く程だ。逆にそうでない者は硬貨に似せたコイン等を入れるようにしている。所詮は代用品という奴だ。


 そんな代用品が多くちりばめられた棺の中には美しく化粧され、そして着飾られた女性が一人眠りについていた。

 名残惜しむように傍に立っていたグランが冷たく眠るリベリアの頬を一度撫でた後棺の封を閉じ、そして土をかけていく。


「名はアルフロッドと名付けようと思う」


 ぽつり、と呟いた。

 来たばかりという事もあった、そして加護持ちの事が公になるのを避けたのもあった。

 その葬儀はグランと、ダールトン、そしてサラの3人、いや……。アルフロッドの4人が居た。


「そうか……。前日まで考えていた名前か?」

「いや……、結局決まらなくてな。産まれてから決めようと言ったんだがアイツは笑ってたな」


 無理だという事を理解していたんだろう、そう言外に漏らす。

 

「彼女が考えた名前の一つだ、他にも色々あったんだがなんとなく、な。こいつも気に入ったみたいだし」


 そう言って自ら抱える幼子を見る。すやすやと眠り、その表情は穏やかだ。

 雨の中連れてくるのはどうかと思ったが、それでも母の葬儀だ、出してやりたかった。

 リベリアの為にも。


「アルフロッドは立派に育ててみせる、政治利用なんてさせないで、一人の意思で、こいつの意思で立てるように俺が一人前に育ててみせる。だから、もう少しだけ待っててくれ」


 ――いつか必ず、そっちに行くから。


 抱きしめる、壊れそうなその幼子。くるまれた毛布の中には大量の魔術刻印がされた木札から布、紙符が見える。

 膨大すぎる魔素を押さえ込む為の処置だ。これだけでも相当な財産になるのだが、グランは惜しげも無く使っていた。


 これとて長続きする訳ではない、だが、せめて気休めだったとしても少しでも発見を送らせる為に。

 片膝を付いて土に埋まった彼女の顔があったところをゆっくりと撫でた後立ち上がったグラン。振り向いたその顔、目が赤く酷い顔ではあったがその目には決意が見えた。


「悪いな付き合わせて、お前んとこの子供もまだ幼いだろうに」

「気にするな、俺の子供の頃に似て利発だからなうちの息子は。夜泣きもしないし、我が侭も言わん、むしろ拍子抜けなくらいだ」

「お前の子供の頃の話は聞かなかった事にして……。大丈夫なのか? それ、なんかの病気じゃねぇのか……?」

「む、まぁ、な。最初はそれも心配したんだが……」

「どうやらこちらの言ってる事や、やってる事を理解している様で、使用人なんかは気味が悪いという者もいて困り者です。あんなに可愛いというのに」


 困った者です、と頬に手を当てて嘆くサラ。それに対して苦笑を浮かべてダールトンが続ける。


「うむ、俺に似て天才なのだよ、間違いなくな!」

「へいへい、そーいう事にしといてやるよ。まぁ、アルフロッドと仲良くやってくれりゃ文句はねぇよ」

「ふふん、心配するなうちの息子は天才だからな!」

「はいはい、そーですね」


 そして笑う二人の男、それは無理矢理にでもこの雰囲気を吹き飛ばしたいが為にやっているようにも見えた。

 影のある笑いをする二人、とそれに気がつきながら何も言わないサラ。彼女の目もまた赤く腫れてはいたが、誰もそれには触れない。

 そして一段落、リベリアの墓を去りながら彼女の忘れ形見であるアルフロッドと名付けられた幼子を、そっともう一度壊れ物を扱うかのように撫でた後、ふと思い出したようにグランが聞く。


「そういやお前のとこの名前なんつーんだ?」

「失礼な奴だなお前は、前も話しただろう? スオウ、スオウ・フォールスだ」


 かちり、と歯車が動き出す音が世界に響いた。


 ○


 幻星歴1037年 カナディル連合王国 クラウシュベルグ


 春、鳥の鳴き声が僅かに聞こえてくるクラウシュベルグの港町、潮の香りが漂い潮風によって僅かに萎びた植物や錆の入った銅製の看板が所々に付けてある。そんな家が立ち並ぶ一角、2階建ての建物の一室で動きがあった。


 むくり、と一人の少年が起き上がる、年はおそらく10歳くらいの子供だ。

 少年らしいあどけない顔ではあるが、体格はそれなりに鍛えられているのがわかる。

 鍛え過ぎで成長を阻害する、と、とある友人から言われて調整はしているが、それでも世間一般の子供達に比べれば圧倒的に違うその体。だが表情は間抜け面だ、まさに寝ぼけた顔。その少年は数秒間ぼぅ、と中空を眺めた後くぁ、とあくびを上げた。

 朝の5時、太陽が上がり始めた時刻だ。僅かに見える外は薄暗い、季節は春だがまだ若干寒いその気温に身を縮こまらせながらもアルフロッド・ロイルは必死にベットから抜け出した。


「ぐ、く、ちきしょー、スオウの野郎俺が朝弱いってのにこんな時間から始めやがって……!」


 くぉぉ、と苦悶の声をあげ冷えきった井戸水で顔を洗いここに居ないフォールス家の長男に罵詈雑言を浴びせる。

 しかし数秒後、思案顔で唸りだした。


「あいつの事だからこれすら予想の範囲かもしれないぞ……、うむむむ」


 ブロンドの髪を短く切り僅かに青みがかった瞳、典型的な所謂欧米系の顔で首を捻りながら先日もしてやられた友人の事で悩むアルフロッド。

 さもあらん、書物が恋人であるとでも言いそうなアルフロッドの友人であるスオウ・フォールスはいつもなんでもお見通しとばかりに喋るのである。本人が聞けば呆れ返りそうな話ではあるが、未だ10歳に過ぎないアルフロッドからすればスオウ・フォールスという少年は不思議の塊だった。


 同年代ではずば抜けて落ち着いており、知識量は大人が舌を巻く程だ。

 本来ならば学院に通って学ぶべき魔法を独学で修め、最近はどうやらパン屋であるロレンツァのおっちゃんに色々口出ししているらしい。スオウが自分で趣味だと言っていた料理も独特であり、――実を言えばアルフロッドもそれを楽しみにしていたりするのだが――とにかく世間一般的な価値観とは違う位置に立っているのではないかと常々思わされるのだ。


 特に顕著なのがこの朝の鍛錬である。


 加護持ちであるアルフロッドはもはやクラウシュベルグの大人では敵無し、という言い方には語弊があるが1対1ではもはや勝てる相手が居ない。父親であるグラン・ロイルがなんとか、と言った所だが加護持ちであることは伊達では無い。

 その膨大な魔素によって身体強化魔術を用いて戦うその姿はまさに戦神。クラウシュベルグの守備隊もその力を頼りにしている程だ。


 それだけ強ければその力に溺れ道を違える可能性もあった、だがアルフロッドはその力に溺れる事は無かった。

 グランの教育もあったのだが、それ以上に根幹となる出来事が別にあったからだ。


「今日も勝ってやる」


 ぐ、と握りこぶしを作り気合いを入れるアルフロッド。

 いまや状況次第では大人相手でも余裕を持って勝てるアルフロッド・ロイル。しかし彼は同年代のスオウ・フォールスに52勝54敗と負け越していた。


 ○


 同時刻 クラウシュベルグ屋外

 

 風きり音が聞こえる、身体強化を施し、早朝の家屋の上を疾走する。均一に淡く光るその魔法行使は淀みなく行われ、その技術の高さが伺える。


 この世界では珍しい漆黒の黒髪、少しだけ癖の入ったその髪は朝日に照らされ濡れ鴉の様に美しいが、残念ながら男性である為それは褒め言葉にはならないだろう。そもそも目付きが若干上がり気味の切れ目、可愛げのある顔とは言いがたい。むしろ見方によっては冷たい印象を得るかもしれない。だが、少しでも話した事のある者はそうは感じないだろう、そしてどこか疲れた目をしながらも仕方が無く、といった感じでこの町の子供達の面倒を見る様子が多々見受けられる事から、内面は推して知るべしと言う所。


 額から流れ出る汗から彼が相当な時間走り込んでいるのがわかる、ギシギシと全身を襲う疲労感と筋肉への過負荷がどこか心地よいと本人は感じながら足を動かし、全身に酸素を送らんが為呼吸を繰り返す。


 鍛錬とは限界だと感じた先に進んでからようやく意味がある、とは誰の言葉だったか。


 生憎と熱血漢を気取るつもりも無ければ、体育会系のノリも付いていけないタチではあった少年、だがしかし過剰な程の筋トレこそ行ってはいなかったが、それでもこの走り込みだけは毎日続けていた。

 

 それは不安感の為だったのか、それともやり直せる機会を得た事に対する自分なりの足掻きだったのかは不明だが、それでもこの体の性能は幸運にも高く自分の予想以上に答えてくれた。


 町を数周、10キロ程の日課をこなした後、自宅フォールス邸に戻って来たスオウ・フォールスは玄関先で仁王立ちしているアルフロッド・ロイルを見つけ――


「スオウ! 今日こそお前に完璧に勝つ!」


 びしり、とこちらを指さすこの世界の理不尽から勝負を売られたことに盛大にため息をついた。


 ○


 スオウ・フォールスは転生者である。


 前世というのが正しいのかは置いておく事にして、少なくともスオウは自分が死んだという認識は無かった。

 気がついたら赤ん坊になっていたというのが正しい表現である。


 バチン、とまるでテレビの様に視界が閉ざされたと思ったらその次に目の前に映っていたのは知らぬ男女二人だった。

 思わず誘拐か、それとも――と狼狽しそうになりながらも20も過ぎた男であるという自覚がそれを必死に抑えていた。

 誘拐されるシチュエーションにおける行動パターンと緊急回避マニュアルなんぞ産まれてこのかた作った事も考えた事も無かったのだが、少なくとも動揺し混乱する事によるメリットは何も無いと考えるだけの思考能力は残っていたのが幸いだった。


 僅か数時間後、自分が赤ん坊になっていて、そしてここが日本では無いという事を理解し、そして理解したく無い状況であることを把握した。


 そして同時に俺の中に巣食うナニカとの付き合いも始まった。


(右、くるぞ)


 ざわり、と中で騒ぐその声を頼りに体を地面すれすれにまで落とし屈めて暴風のごとき木剣を避ける。

 ちりちりと焼ける様な錯覚を首の後ろで感じながら直撃したら骨が折れるかもな、とどこか他人事のように考えながらも目の前で理不尽な動きをするアルフロッドを視界に納めて距離を取る。


 確実に当たったと思っていたのだろうか空振りに終わったその剣と後ずさったスオウに驚愕の目を向けた後、また笑ったアルフロッド。

 楽しいのだろう、同世代に真っ向勝負ではないとはいえそれなりに戦える相手が居る事が。

 生憎とこちらは楽しくも何ともないのだが……。


(緊張感と経験を積む為に協力を申し出たのはお主ではなかったかの?)


 また中でざわりと騒ぐ声、その声に眉をしかめて返事を返す。


(五月蝿いな、確かにそれはそうだが、それが楽しいかどうかは別だろう)

(何事も楽しむ事から始めるのが大事なのではなかったのかの?)

(あーいえばこー言う、ずいぶん嫌らしい性格になったものだなクラウ?)

(ふん、それはこちらの台詞じゃ、あーいえばこー言うのはお主の専売特許じゃろうて)


 言外にお前のせいだとも取れるその言葉に苦笑を浮かべて前を見る。

 憎くて憎くて仕方が無かったこのクラウ、クラウシュラ・キシュテインも10年間という長い年月付き合えばそれなりに軽口を叩ける関係にまで発展した。

 

 それが良い事か悪い事かはまだわからないが、下手をすれば一生付き合わなければならないのだ、多少は妥協も必要だろう。


 風切り音が耳の傍を通る、上から下へと振り下ろされる木剣。今のは危なかった。もはや完全に避ける一方になっている。


「くそっ、身体能力の基本ポテンシャルはともかくとして、活用できる魔素が多すぎだろっ」


 急激に減りだした自身の魔素を知覚しながら必死に避ける。もちろん大気中の魔素も取り入れているが如何せん焼け石に水。

 これでもアルフロッドが身体強化の魔法、それも基礎の基礎しか使わないというハンデがあるのだからシャレになっていない。


 だが見ようによっては異常なのはスオウの方である。


 いくら手加減したとは言っても相手は加護持ち、少なくとも10歳の子供が相手できる者ではない。

 その理由には姑息とも言える搦め手や、愚直とも言えるアルフロッドの特徴を利用した不意打ちなども理由の一つではあるのだが、それ以上にスオウには巧さがあった。


 ――set main droite. le pied droit.

 

 呟かれた詠唱、その瞬間、ドン、と急激に魔素の消費があがるとともにスオウの体が掻き消えた。


 “稼働区域動作瞬間増幅魔法”もうちょっとネーミングセンスがどうにかならないのか、と言われそうな名称ではあるが、その名の通り人体の稼働区域のみを一時的に強化する魔法である。

 身体強化と同じ魔法ではあるが、そのポテンシャルと効果は凄まじい、が同時に諸刃の剣でもある。

 通常全身を覆うように強化する身体強化の魔法だが、この魔法はその身体強化を切って稼働区域、膝や肘、踝から指の爪先関節などごく一部にしか集中させない。それによる弊害は強化されていない部分への負荷と防御性能の低下である。


 以前制御に誤り壁へとぶつかり通常身体強化をしていれば痛いで済んだのだが、すごい痛いを通り越して意識を飛ばしかけた。

 その後の母親であるサラからの説教も相当に堪えたのだが、それは置いておこう。


 とにもかくにも魔素が加護持ちに比べて比べるのもおこがましい程に劣っているスオウとしての苦肉の策。

 だがこれがあったがために何とか誤魔化し、勝っていたとも言えるのだ。しかし、5歳や6歳相手に本気を出していたスオウも大概である。


 ――だが……。


 カン、と甲高い音が庭に響き持っていた木刀が彼方へと飛ばされていくのを横目にスオウはため息を吐いた。

 一瞬でアルフロッドの背後を取り、振り下ろしたその剣を同じように拙いながらも“足関節と腰を強化”したアルフロッドに一瞬で向き直られ迎撃されたのだ。


「んー、そろそろどうやっても勝てないな。戦略を戦術で覆すのを地でいく加護持ちだけあってもはや小細工も通じないか……」


 肩を竦めて飛ばされた木刀を眺めるスオウ、目の前にはガッツポーズで喜びを全身で表しているアルフロッドがいるのだが、水を差すのもあれだろう、と特に何も言わない。

 武器を飛ばしたから勝ちというのは勘違いも甚だしいと先日関節技を極めてやったのだがどうやら失念しているようだ。

 どちらにせよもはや関節技も極められないだろう、今日のアルフロッドの身体強化は群を抜いていた、間接を極めた所で無理矢理引きはがされ叩き付けられるのが目に見えている。あとはチョークスリーパーで一瞬で落とすしか無いのだろうが子供相手にそれはさすがに大人げない。


(クックック、さすがは7位じゃの。儂とはできが違うのぅ)

(はぁ、稼働区域動作瞬間増幅魔法も奪われたか。やってられんなこれは、一応この世界の医学レベルでは不可能な知識に基づいた魔法原理なんだがなぁ……)

(その名前どうにかならんのか……?)

(タクティカル・ブーストとかオーバーリミットとかか? 嫌だね、厨二病も甚だしい、これでも俺そろそろ一応は30を超えるんだぞ?)

(一応考えておった時点で説得力が無いと思うがの)


 ほっとけ、とナカで呟くクラウに悪態をつく。


「おーい、スオウもう一戦! もう一戦!」


 元気に手を振るアルフロッドにため息をついて飛ばされてしまった剣を拾いに行く。

 恐らくもう勝つのは難しいだろう、搦手使って数回と言った所か。


「わかった」


 軽く手を挙げて返事を返す。おそらく今日で溜め込んだ勝利数も抜かれる事だろう。

 悔しい気持ちもあるのだが、どこか誇らしいような気もする。父親の気分とはこういう物なのだろうか。


「なんだよ?」


 その視線に気がついたのか訝しげにこちらを軽く睨むアルフロッド。

 その仕草に軽く苦笑して剣を握り、そして2戦目の手合いが始まっ――


 ――La terre qui found(溶けゆく大地)


 構える一瞬の隙をついて唱える詠唱。それは何の変哲も無い地属性魔法、精々田畑を耕すときや、塹壕を作るときに活用するくらいの魔法。ずぶり、と沈むアルフロッドの足。

 だがそれだけでは終わらない、魔法によって柔らかくなった大地が崩壊を始め、沈んだと思った瞬間に全身に力を入れて飛び上がろうとしたアルフロッドの胆力も加味した所で、地面がものすごい勢いで崩れ落ちていく。


「なぁぁぁぁぁぁっ、卑怯だぞスオウォォォォォオオ!」

「はははは、勝てば官軍、負ければ賊軍。卑怯などという言葉は弱き者の言い訳だ! 備えあれば憂いなし、何事も経験だぞアルフロッド!」


 大人げないとはこの事か、およそ垂直で10mはあろうかという巨大な落とし穴にアルフロッドは落とされていく。


(昨日遅くまで頑張って掘っとったからのう)


 落とし穴へと落ちていくアルフロッドに滅多打ちとばかりに魔法を放つスオウ。はぁ、とクラウがため息をついたのは聞かなかった事にした。

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