↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

私を捨てて別の令嬢を選んだ元婚約者が、今度は別の女性に夢中になっています

作者: 黒色鮎
掲載日:2026/10/18

 

「エミリア・ロゼッタ! お前との婚約を破棄する!」


 王都の劇場で開かれた慈善舞踏会。

 侯爵令息のヴィクトルは、集まった貴族たちの前で高らかに宣言した。

 彼の隣には、桃色の髪をした子爵令嬢、マリアが寄り添っている。


「私はマリアを愛している! お前のように可愛げのない女とは結婚できない!」


 まあ。

 私は思わず感心した。

 婚約者に向かって、これほど堂々と恥をさらせる人間も珍しい。


「そうですか。それでは、婚約破棄をお受けいたしますわ」

「……は?」


 ヴィクトルが間の抜けた声を出した。


 そんな彼を前にして、私は考える。


 ヴィクトル様には、かつて憧れていた時期があった。

 初めて二人きりで出かけた日のことを、今でも覚えている。

 彼は私の好きな花を尋ね、私が答えると、次に会うときにはその花を贈ると約束してくれた。

 けれど、次の逢瀬で彼が持ってきたのは、隣にいた令嬢が好きだという花だった。

 問い詰めると、彼は笑って言った。


「花なんて、綺麗なら何でもいいだろう?」


 そのときは、少し悲しかっただけだ。

 けれど、それからも似たようなことが続いた。


 私が楽しみにしていた観劇の日には、友人との約束を優先された。私の誕生日には贈り物を忘れたくせに、気に入った令嬢にはその日のうちに高価な髪飾りを贈っていた。


 それでも私は、彼にも事情があるのだと思おうとした。

 婚約者なのだから、いつかは私のことも大切にしてくれる。そう信じたかったのだ。


 けれど、先月のこと。

 私が勇気を出して、少しだけ不満を口にしたとき、彼は心底不思議そうな顔をした。


「君は侯爵家の婚約者だろう? 何不自由なく暮らせているのに、何が不満なんだ?」


 その瞬間、私はようやく理解した。

 彼にとって私は、一人の人間ではなかったのだ。


 侯爵家との婚姻を約束された、都合のよい婚約者。

 私が何を好きで、何を悲しいと思い、何を望んでいるのか。彼は知ろうともしなかった。

 そして、私もまた、彼に愛されることばかりを考えて、自分の気持ちを後回しにしていた。


 もう、十分だった。


「聞こえなかったのか? お前は婚約を破棄されるんだぞ!」

「ええ。ですから、お受けすると申し上げました」

「もっと取り乱すと思っていたのだが……」

「泣いてほしかったのですか?」

「そ、そういうわけではない!」


 では、何を期待していたのだろう。

 私が彼にすがりつき、愛していると泣き叫ぶ姿だろうか。


 残念ながら、そんな予定はない。

 私は彼の顔を見つめ、にっこりと微笑んだ。


「ヴィクトル様。ひとつだけ、お願いがございます」

「な、何だ?」

「マリア様と、どうぞ末永くお幸せに」

「当然だ! マリアはお前と違って、男を立てることのできる女性だからな!」


 マリアが頬を染めて、ヴィクトルの腕にしがみついた。


「ヴィクトル様ったら……。でも、私、エミリア様とも仲良くしたいですわ」

「君はなんて心優しいんだ!」


 ……なるほど。

 この二人は、ずいぶんと相性がよろしいらしい。

 どちらも頭の出来が随分と酷いようだ。


 ならば、もう言うことはない。

 自分たちの世界に夢中の二人に対し、私は優雅に礼をしてその場を後にした。







 ◇


 婚約破棄を受け入れた翌日、私は少しばかり考え込んでいた。


 ヴィクトルは、マリアを愛していると公言した。

 ならば、二人が結ばれること自体に、私が口を挟む理由はない。


 ただ、婚約者という立場を失った今、私にはひとつだけ気がかりがあった。


 これまで私は、ヴィクトルの隣に立つ者として、彼の交友関係にも気を配ってきた。彼が好みそうな話題を知る令嬢や、趣味の合う貴族を紹介することもあった。

 もちろん、これからはそんな役目も必要ない。


 けれど、先日のお茶会で、ある令嬢からこんな話を聞いていた。


「ヴィクトル様って、華やかな女性がお好きなのでしょう? わたくし、以前から一度お話ししてみたかったの」


 その令嬢こそ、イザベラだった。


 美しい容姿に、自分の望みをはっきり口にする性格。男性から贈り物を受け取ることにも、華やかなデートを楽しむことにも遠慮がない。


 以前の私なら、彼女とヴィクトルを引き合わせることには慎重になっただろう。婚約者のいる男性に、余計な誤解を招くような真似はできなかったからだ。


 けれど、今は違う。

 ヴィクトルにはマリアがいる。私が彼の交友関係を取り仕切る必要もなければ、彼の好みを気にする必要もない。


 イザベラにすぐ連絡し、彼と婚約破棄したこと、彼に新しい婚約が出来たことを伝えた。

 それでも、イザベラは「純粋に彼と会話してみたい。もちろん深い意味はない。……今の所は」と言っていた。

 ならば社交の場で紹介するくらいは構わないだろう。

 その先で誰と親しくなるかは、本人たちが決めることだ。


 私は父に頼み、次の茶会にイザベラ様を招いてもらうことにした。






 ◇


 数日後、社交界で開かれたお茶会。

 ヴィクトルは、イザベラを見た瞬間に目を輝かせた。


「なんて美しい方だ……!」


 そしてイザベラもまた、彼の顔立ちを気に入ったらしい。


「あなたがヴィクトル様? エミリア様からお話を伺いましたわ」

「エミリアが?」

「ええ。あなたは女性を大切にしてくださる、たいへん素敵な殿方だと」


 わお。

 そんなこと一言も言ったことはない。

 やはり、私との婚約中に合わせなくて良かった。


 私の内心をよそに、ヴィクトルは得意げに胸を張った。


「もちろんだとも!」


 その言葉を聞いたイザベラは、嬉しそうに微笑んだ。

 ヴィクトルは更に言葉を重ねる。

 会話に花が咲いていたのでボーッとそれらを聞いていたら、彼はイザベラを逢瀬に誘っていた。


「――私のお気に入りの店があるのですが、明日などお時間取れないか?」

「まあ!もちろん大丈夫ですわ」

「良かった。明日は朝――」


 彼の言葉を遮ってイザベラが話し出す。

 さあここからは彼女の独壇場だ。


「では、明日の朝は薔薇の花束をお願いいたしますわ。赤ではなく、白い薔薇がよろしいです」

「え?」

「それから、来週の観劇にもご一緒してくださいませ。もちろん、席は最前列ですわ」

「いや、それは……」

「わたくしのお願いを聞いてくださらないの?」


 イザベラの微笑みが、わずかに冷たくなった。


「まさか、口先だけで女性を喜ばせる殿方ではありませんわよね?」


 ヴィクトルは慌てて首を振った。


「そ、そんなことはない!」

「まあ、素敵! では、明日はよろしくお願いいたしますわね」


 こうして、二人の交流が始まった。

 ……イザベラの思惑通りに。



 そして三日後。

 私は庭園で、ヴィクトルに呼び止められた。


「エミリア! どういうことだ!」

「何のことでしょう?」

「イザベラ嬢だ! 毎日花束を要求するし、観劇に食事に宝石に……。こちらの都合などお構いなしだぞ!」


 私は首を傾げた。


「まあ。女性を喜ばせるのがお好きなのではありませんでしたか?」

「限度があるだろう!」

「それは困りましたわね」

「お前、わざと紹介したんじゃないだろうな!」


 ヴィクトルの顔が怒りで赤くなった。

 私は少しだけ考えてから、微笑んだ。


「私はイザベラ様が貴方と話してみたいと言うので、ご紹介しただけです。そこから先は貴方達の問題ではありませんか?」

「い、いや、それもそうだが……」


 そもそも、と私は続ける。


「あなたの婚約者はマリア様のはずです。

 マリア様は、あなたを立ててくださる素晴らしい女性なのでしょう? でしたら、そちらを大切になさればよろしいのでは?」

「マリアは……」


 彼は口ごもった。


「マリアは、あまり金のかかることを望まないからな」

「まあ。素晴らしいことですわ」

「だが、最近は少し……」

「少し?」

「いや、何でもない!」


 私はそれ以上、追及しなかった。


 どうやら、彼はまだ気づいていないらしい。

 マリアが彼に求めているのは、贅沢な暮らしではなく、彼が持つ侯爵家の財産と地位だということに。


 彼女がそんなことを考えているのはわかり切っていること。

 既に夜会でも噂になっている。

 同様の手口で色々な男を誑かしてきているようだ。


 これまでの男からは財産を絞り取っていた。

 だが、彼に対しては、金のかかることを望まない。


 彼と今まで彼女が誑かしてきた男との相違点は一つ。

 公爵家とそれ以外。

 つまり立場だけだ。


 そう考えると、彼女の思惑も頭に浮かんでくる。


 良い地位の子供を育てて周囲に自慢しつつ、そんな子供を自分の忠実なお人形にするために、今はお金をあまり使わせない。


 それがマリアの算段であろう。


 互いに相手の都合のいい部分しか見ていなければ、いつか不満が噴き出すのは当然だろう。


 私は別に、彼らを破滅させたいわけではない。

 ただ、自分で選んだ相手と、自分で選んだ人生を歩んでいただきたいだけだ。








 ◇


 それから一か月後。

 ヴィクトルとイザベラは、あっさりと破局した。


 イザベラは「わたくしを満足させられない殿方など必要ありませんわ」と言い放ち、別の貴族との縁談を進め始めたらしい。


 一方のヴィクトルは、マリアとの仲もこじれていた。


 マリアは、彼が自分のために贈り物を買わなくなった途端、目に見えて不機嫌になったのだという。

 金は掛けずとも愛されている実感が欲しい。

 そんな彼女の心の内にも気づかなかったようだ。


 結局、二人は喧嘩別れしたらしい。

 その話を聞いた私は、紅茶を一口飲んだ。


「そうですの」


 それ以上の感想はなかった。


 ところが、その翌週。

 ヴィクトルが我が家を訪ねてきた。


「エミリア……。もう一度、やり直せないだろうか」


 私は思わず瞬きをした。


「何をおっしゃっているのです?」

「俺は間違っていた。お前は、俺のことをよく理解してくれていたんだな」


 彼は真剣な顔で私を見つめた。


「もう一度、婚約を結び直そう」


 私はしばらく彼を見つめた後、静かに首を横に振った。


「お断りいたしますわ」

「なぜだ!」

「ヴィクトル様。私たちの婚約を破棄したのは、あなたです」

「それは……」

「そして、あなたが私に求めていたものは、私にはないとおっしゃった。私は、その言葉を尊重しただけですわ」

「だが、俺は……!」

「ご安心くださいませ」


 私はにっこりと微笑んだ。


「あなたには、きっと素敵な女性が見つかりますわ」


 それは、心からの言葉だった。

 ただし、その女性が私である必要はない。


 ヴィクトルは何か言いたそうに口を開き、結局、何も言わずに去っていった。

 その背中を見送りながら、私は小さく息を吐いた。


 ようやく、終わったのだ。

 婚約者にふさわしい女性であろうと、彼の好みに合わせて振る舞い続けた日々。

 自分の好きなものを好きと言うことさえ、ためらっていた日々。


 もう、そんな生活に戻る必要はない。

 その日の午後、私は友人に誘われて街へ出かけた。


 以前から気になっていた小さな菓子店で、ずっと食べてみたかった焼き菓子を買う。

 帰り道、ふとショーウィンドウに映った自分の顔を見た。

 私は、思っていたよりも晴れやかな顔をしていた。


「……悪くないわね」


 誰に聞かせるでもなく、そう呟く。

 婚約破棄されたからといって、人生が終わるわけではない。

 新しい恋がすぐに見つかるわけでもない。

 けれど、少なくとも私は、もう自分を嫌いにならずに済む。


 それだけで、今は十分だった。



 そして数か月後。

 社交界で、私がある紳士と親しげに話している姿を見たヴィクトルが、ひどく複雑な顔をしていたらしい。


 その話を聞いた私は、ただ笑った。


 ――今さら、何を惜しんでいらっしゃるのかしら。

 私はもう、自分を選ばなかった人を選び直すつもりなど、なかったのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。