第29話
バルガスの元気な声と、香ばしい匂いが人々を誘った。
店の前に集まった人々は、すぐに俺たちの作った練り物の虜になっていく。
「なんだこの美味さは、今まで食べたどんな魚料理より格段に美味いぞ。」
上品な身なりの紳士が、目を丸くして感嘆の声を上げた。
彼のその一言は、周りの人々の買いたい気持ちをさらに強くさせた。
「すみません、そちらの燻製を十本ほどいただけますかしら。」
「あら奥様、こちらの竹に巻いた練り物も絶品ですわよ。」
店の客たちは、我先にと商品を買い求め始めた。
その勢いは凄まじく、店の売り子たちは突然の忙しさに嬉しい悲鳴を上げる。
高級食料品店である「金の麦の穂」が、まるで朝の市場のような活気に包まれた。
店主のゲルハルトさんとエリアーナさんは、その信じられない光景をただぼんやりと見ている。
俺は、その様子に満足して静かに微笑んだ。
俺の、ささやかな賭けは完璧な勝利を収めたのだ。
試食販売という、この世界にはない新しい売り方は大成功だった。
最初に用意した商品は、わずか一時間ほどで全て売り切れてしまった。
だが、客の波は一向に途絶える気配がない。
「もう、売り切れなのですか。私は、友人に美味しいと聞いてわざわざ来たというのに。」
美しいドレスをまとった貴婦人が、本気で残念そうな顔で言った。
彼女の手には、買い物でいっぱいになった籠が握られている。
「申し訳ございません奥様、次の入荷は三日後を予定しております。」
ゲルハルトさんが、深く頭を下げて謝罪する。
その顔には、悔しさとそれ以上の喜びの色が浮かんでいた。
店の前は、もはや小さなお祭りのような騒ぎになっている。
バルガスが焼くちくわの周りには、常にたくさんの人が集まっていた。
「うめえ、こんな美味いもんがこの世にあったなんて驚きだぜ。」
「兄ちゃん、酒はないのか。こいつは、絶対に冷えた酒に合うに違いねえ。」
屈強な体つきの傭兵らしき男たちが、豪快に笑いながらちくわを頬張っていた。
その熱気は、夕方の涼しい風が吹いても全く冷める気配を見せない。
俺は、店の隅でその光景を満足そうに眺めていた。
「ミナト様、あなた様は本当に魔法使いのようですな。」
いつの間にか隣に来ていたゲルハルトさんが、心の底から感心したように言った。
「いえ、俺はただ美味しいものをたくさんの人に食べて欲しかっただけですよ。」
俺は、少しだけ照れくさそうに笑って見せた。
「試食という、あの今までにない方法は一体どうやって思いつかれたのですか。」
ゲルハルトさんの目には、純粋な好奇心が浮かんでいる。
「まあ、色々とありまして。」
俺は、いつものように言葉を濁しておく。
まさか、別の世界の常識だとは口が裂けても言えない。
「ミナト殿、あなたというお方は本当に面白い。あなたと組むことができて、私は心から幸運だったと思いますぞ。」
店の混乱が少し落ち着いた頃、いつの間にかダリウスさんが店を訪れていた。
彼も、この大成功の噂を聞きつけて駆けつけてくれたらしい。
その顔は、商売人としての大きな喜びに満ち溢れていた。
「ダリウス様、これは、とんでもないことになりましたぞ。」
ゲルハルトさんが、興奮した様子でダリウスさんに報告する。
「うむ、見ておった。まさに、この都市の食の歴史が変わる瞬間ですな。」
ダリウスさんは、満足そうに大きく頷いた。
俺たちの、ささやかな試験販売は大成功に終わった。
いや、成功という言葉では足りないほどの、圧倒的な結果を残したのだ。
俺の作った商品は、この日を境に「幻の味」として都市中の人々の知るところとなる。
そして、その人気は俺の想像をはるかに超える速さで国中に広まっていくことになるのだ。
その夜、俺たちは再びダリウスさんの別宅に招かれた。
もちろん、大成功を祝うための盛大な祝宴である。
昨日訪れた高級レストラン「水辺の隠れ家」が、今夜は俺たちの貸し切りになっていた。
テーブルの上には、昨日以上に豪華な料理が所狭しと並べられている。
大きな皿には、黄金色に輝く鳥の丸焼きが乗っていた。
別の皿には、色とりどりの野菜を使った美しいサラダが盛られている。
そしてその真ん中には、俺たちの作った燻製や練り物を使った特別料理が置かれていた。
店の主人が、俺たちの商品に敬意を表して特別に考えてくれたらしい。
「ミナト殿、バルガス殿、そしてルナ嬢。今夜は、心ゆくまで楽しんでくだされ。」
ダリウスさんが、とても上機嫌で乾杯の音頭を取った。
俺たちは、それぞれのグラスを高く掲げる。
宴は、昨日以上に陽気で楽しいものになった。
「いやはや、ミナト殿。あなたの商売の才能には、全くもって驚かされますぞ。」
ダリウスさんは、美味しい酒を飲みながら何度も同じ言葉を繰り返した。
「いえ、これもダリウス商会とゲルハルトさんのお店のおかげです。」
俺は、謙遜して答えた。
「それに、バルガスの頑張りも大きかったですよ。」
俺がそう言うと、バルガスは照れくさそうに頭を掻いた。
「へへへ、俺はただ美味いもんを焼いていただけだぜ。みんなが喜んでくれてよかったよ。」
「バルガスが焼くちくわ、とっても美味しそうだったもんね。」
ルナが、嬉しそうに言う。
その言葉に、バルガスはますます照れていた。
エリアーナさんも、今夜はいつもよりずっと穏やかな表情をしている。
美味しい料理と酒に、彼女の固い心もすっかり解きほぐされたようだった。
「ミナト様、一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか。」
宴が盛り上がった頃、彼女が少しだけ真面目な顔で俺に尋ねてきた。
「ええ、何でしょう。」
「その、不思議な商品の数々は一体どのようにして生み出されるのですか。何か、特別な秘伝の書でもお持ちなのですか。」
彼女の質問に、俺は少しだけ考えた。
そして、にやりと笑って答える。
「秘伝の書、ですか。まあ、似たようなものかもしれませんね。」
俺は、自分の頭を人差し指で軽く叩いた。
「俺の、この頭の中にある知識が俺だけの秘密のレシピブックなんですよ。」
俺のその答えに、エリアーナさんはきょとんとしていた。
だが、やがて何かを納得したように小さく頷く。
「なるほど、あなた様ご自身が歩く伝説の料理書というわけですな。」
彼女のその面白い例えに、俺たちは皆で大笑いした。
宴は、夜遅くまで和やかに続いた。
俺たちは、最高の仲間たちと最高の時間を過ごしたのだ。
この日の成功は、俺たちの絆をさらに強く固いものにしてくれた。
翌日、俺はダリウス商会の仕事部屋でダリウスさんとエリアーナさんと向き合っていた。
昨日の宴の雰囲気とは違い、そこには商売人としての真剣な空気が流れている。
「ミナト殿、昨日の売り上げですが。」
エリアーナさんが、一枚の羊皮紙を俺に差し出した。
そこには、昨日の「金の麦の穂」での売り上げが細かく記録されている。
俺は、その数字を見て思わず目を見開いた。
たった一日、それも半日ほどの売り上げでしかない。
それなのに、そこには俺が以前燻製を売って稼いだ金の何倍にもなる額が記されていたのだ。
「これは、すごいな。」
俺は、正直な感想を漏らした。
「ええ。これは、もはや単なる商品ではありません。金のなる木、と言っても言い過ぎではないでしょう。」
ダリウスさんが、満足そうに頷く。
「そこで、ミナト殿にご相談があります。」
彼は、商売人としての鋭い目で俺を見た。
「この素晴らしい商品を、このまま限られた場所で売るだけではあまりにも惜しい。本格的に、大規模な生産と販売を始めるべきだと私は考えます。」
彼の提案は、俺が考えていたことと全く同じだった。
俺も、この商売をさらに大きくしたいと思っていたのだ。
「ええ、俺もそう思います。それで、具体的にはどうするのですか。」
俺が尋ねると、ダリウスさんは待ってましたとばかりに一枚の大きな地図を広げた。
それは、この国の全土を示すとても詳細な地図だった。
「まずは、この王都で確かな地位を築きます。王家や貴族たちに、あなたの商品を完全に認めさせるのです。」
彼は、地図の中心にある王都を力強く指差した。
「そして、そこから一気にこの国の主要な都市へと販売網を広げていく。北の港町から、南の砂漠のオアシスまで。我がダリウス商会の力を使えば、それも決して不可能なことではありませんぞ。」
彼の語る壮大な計画に、俺は思わず息を呑んだ。
それは、この国の食文化の地図を塗り替えるほどの、とてつもない野望だった。
「そのためには、まず安定した生産体制を作らなければなりません。」
エリアーナさんが、冷静な口調で付け加えた。
「ミナト様お一人では、これからの需要に到底追いつかなくなるでしょう。生産の拠点を、どこかに設けるべきです。」
彼女の指摘は、とても的確だった。
リバーサイド号の加工室だけでは、いずれ限界が来るだろう。
もっと大きな、本格的な工場が必要になる。
「そのことなんだが、俺に一つ考えがあるんだ。」
俺は、二人の顔を交互に見て言った。
「工場の建設場所として、最高の場所を知っているんです。」
俺の言葉に、ダリウスさんとエリアーナさんは興味深そうに身を乗り出した。
俺は、地図の一点を指差す。
そこは、以前俺たちが訪れたあの小さな漁村だった。




