第23話
「さてミナト殿、早速ですが商売の話を始めましょうか。」
ダリウスさんは葉巻を灰皿に置いて、商人の顔つきになった。
ここからが、本番だ。
俺は背筋を伸ばして、彼と向き合った。
「ええ、よろしくお願いします。ダリウスさん。」
「まずはこちらから、契約書の案を用意させていただきました。」
エリアーナさんが、羊皮紙を一枚テーブルに置いた。
そこには細かい字が、ぎっしりと書かれていた。
さすがは、大商会というべき仕事の速さである。
俺は、その契約書にゆっくりと目を通し始めた。
隣からバルガスとルナが、興味深そうに覗き込んでくる。
内容は、俺が作った水産加工品の独占販売契約についてだった。
ダリウス商会が、俺の商品をすべて買い取る。
そして彼らが持つ販売の仕組みを使い、この国の隅々まで売りさばくというものだ。
示された買い取り価格は、俺が考えていたよりもずっと高い。
これだけでも、俺には大きな利益が入ってくる計算になる。
「ミナト殿、我々の示す条件はどうですかな。」
ダリウスさんは、自信に満ちた顔で俺の様子を見ている。
この条件なら、普通の商人なら大喜びで飛びつくだろう。
だが俺は、首を横に振った。
「いえ、この内容では足りません。」
俺の言葉に、ダリウスさんとエリアーナさんの顔が驚きに変わる。
「なんと、これでもまだ不満だと言うのですか。」
ダリウスさんが、信じられないというように言った。
「ええ。俺が提供できるのは、ただの燻製だけではありませんから。」
俺は、にやりと笑って見せた。
そして懐から、もう一つの小さな瓶を取り出す。
中には、琥珀色に輝く液体が入っていた。
「これは魚醤です。魚を腐らせずにうまく変化させて作る、特別な調味料ですよ。」
俺は、瓶の蓋を開けた。
濃くて良い香りが、部屋いっぱいに広がった。
ダリウスさんとエリアーナさんは、その匂いに思わず目を見開いている。
「なんと、これも魚から作られたものなのですか。」
「ええ。料理の隠し味に使えば、驚くほど味が深くなります。特に、スープや煮込み料理とはとても相性が良いですよ。」
俺は、小さなスプーンに魚醤を数滴垂らした。
そして、二人に味見を勧める。
ダリウスさんは、恐る恐るそれを口へ運んだ。
その瞬間、彼の顔が驚きでいっぱいになった。
「こ、これは。旨味がぎゅっと詰まった、こんな調味料は初めてだ。」
エリアーナさんも、ほんの少しだけ舐めてみたらしい。
彼女も先ほどの燻製を食べた時と同じように、その場で固まっている。
そしてその白い頬を、興奮で赤くしていた。
「信じられませんわ。これさえあれば、王宮の料理さえも超えることができます。」
「でしょう。俺は、この魚醤もダリウス商会に卸すつもりです。」
俺の言葉に、ダリウスさんはごくりと喉を鳴らした。
商売人としての勘が、この魚醤の持つすごい可能性を感じ取ったのだろう。
「ですが、それだけじゃありませんよ。」
俺は、さらに話を続けた。
「俺の船には、特別な生け簀があります。それを使えば、生きたままの新鮮な川魚をこの都市まで運べるんです。」
「なんと、生きた魚をですか。それは、今までにないすごいことですぞ。」
内陸にあるこの都市では、新鮮な川魚はとても値段が高い品だった。
ほとんどは、塩漬けや干物に加工されたものしか出回っていない。
もし生きた魚を安定して届けることができれば、それだけで大きな商売になるのだ。
「それに鉱山の町で手に入れた特別な金属で、新しい加工機械も作りました。それを使えば、魚のすり身を使った練り物なども大量に作れます。」
かまぼこや、ちくわのようなものである。
この世界にはない、新しい食の文化を俺は生み出せる。
俺の口から次々に出てくる新しい商売の話に、ダリウスさんとエリアーナさんは完全に驚いていた。
もはや、口をぽかんと開けて俺の話を聞いているだけだ。
「つまり俺が言いたいのは、こういうことです。」
俺は、人差し指を立てて言った。
「俺とダリウス商会は、単なる商品の売買契約を結ぶのではありません。この世界に、新しい食の文化を作る仲間になるのです。」
俺の言葉は、部屋の中によく響いた。
ダリウスさんは、しばらくの間ぼうぜんとしていた。
だがやがて、その顔に満面の笑みを浮かべた。
そして、腹の底から大きく笑い出した。
「はっはっは、いやはや参りました。ミナト殿、あなたという方は私の想像をはるかに超える大人物だ。」
彼は、涙を拭いながら言った。
「仲間、ですか。なんと、胸が躍る言葉でしょう。ええ、ええ。ぜひ、そうさせていただきたい。」
彼は、エリアーナさんに向かって力強く言った。
「エリアーナ、契約書をすぐに作り直せ。ミナト殿は、我々の最も大切なパートナーだ。待遇も、我々の商会の最高基準とするのだ。」
「は、はい。かしこまりました。」
エリアーナさんは、慌てて立ち上がると新しい羊皮紙を取りに行った。
その顔には、先ほどまでの冷たい様子はもうない。
俺に対する、尊敬の気持ちが浮かんでいた。
こうして俺たちの契約は、最初の予定よりもずっと大きなものになった。
俺は、ダリウス商会の特別なパートナーとして迎えられることになったのだ。
それはこの世界の商売の歴史が、大きく変わる第一歩だったのかもしれない。
新しい契約書の作成には、少しだけ時間がかかった。
その間、俺たちはダリウスさんと世間話をして楽しむ。
バルガスは、すっかり安心した様子でソファに深く座っていた。
そしてメイドが運んできた高級な菓子を、美味そうに食べている。
ルナは、部屋の隅にある大きな地球儀に興味を持っているようだった。
指でくるくると回しながら、この世界の広さを考えているようだ。
「それにしてもミナト殿、あなたのその知識と発想はどこから来るのですかな。」
ダリウスさんが、本当に不思議そうに尋ねてきた。
「さあ、どうでしょうね。俺はただ、美味しいものが好きなだけですよ。」
俺は、笑ってごまかした。
まさか、別の世界から来ましたなどとは言えない。
俺たちは、お互いのこれまでの旅の話などをした。
俺が、悪い役人を懲らしめた話。
ダリウスさんが、砂漠の国で珍しい香辛料を手に入れた話。
どれも、わくわくする面白い話ばかりだった。
やがてエリアーナさんが、完成した契約書を持ってきた。
そこには、俺にとても有利な条件が書かれている。
俺は、その内容に満足して名前を書いた。
「これで、我々は晴れて正式なパートナーですな。ミナト殿、今後とも末永くよろしくお願いしますぞ。」
ダリウスさんは、嬉しそうに俺の手を握った。
「こちらこそ。一緒に、世界をあっと言わせましょう。」
固い握手を交わして、俺たちの契約は無事に成立した。
「さて、と。記念すべき契約成立を祝して、今夜は宴を開きましょう。この都市で、一番美味いと評判の店を予約させました。」
ダリウスさんの素敵な計らいに、俺たちは喜んでうなずいた。
「やったあ、ごちそうだあ。」
ルナが、嬉しそうに飛び跳ねる。
「はっはっは、そいつは楽しみだぜ。どんな美味いものが食えるのか、今からよだれが出てくらあ。」
バルガスも、腹をさすりながら大きく笑った。
俺も、この都市で一番の料理には興味があった。
きっと、素晴らしい材料と腕で作られた絶品が味わえるだろう。
俺たちは、ダリウスさんの用意してくれた豪華な馬車に乗り込んだ。
エリアーナさんも、一緒に行くことになった。
馬車は、石畳の道を滑るように進んでいく。
窓の外には、きらびやかな都市の夜の景色が流れていった。
ガス灯の柔らかな光が、美しい街並みを照らし出している。
道を行き交う人々も、皆どこか楽しそうだ。
俺は、その光景をぼんやりと眺めていた。
大きな都市での、新しい生活が始まる。
俺は、隣に座るルナの小さな手をそっと握った。
ルナは、にこりと微笑んで俺の手を握り返してくれた。
その温かさが、俺の心に伝わってくる。
馬車は、やがて一軒の店の前で止まった。
そこは、俺が思っていたよりもずっと落ち着いた雰囲気の店だった。
派手な看板はなく、入り口に小さなランプが灯っているだけだ。
だがその様子からは、知る人ぞ知る名店だという自信が感じられた。
「さあ、着きましたぞ。ここが、今、食通の間で一番の話題になっている店です。」
ダリウスさんは、誇らしげにそう言った。




