第14話
俺たちの変わった作戦は、完璧な成功を収めた。
俺は、巨大な水竜の幻影をゆっくりと霧の中へと下がらせる。
伝説の怪物は、まるで最初からいなかったかのように、夜の闇へと消えていった。
後に残されたのは崩れた見張り塔と、城壁の上で動けない、哀れな領主の姿だけだ。
俺は船の舵を切り、ゆっくりとその場を離れ始める。
バルガスも満足そうにうなずくと、砦から姿を消した。
彼は崖下で待つギルたちと合流し、小舟でこちらへ戻ってくるだろう。
俺は、隣で見守っていたルナの頭を、優しく撫でた。
「これで、全部終わったよ、ルナ」
「うん。ミナト、本当にすごかった」
ルナは、潤んだ大きな瞳で俺を見上げ、にこっと笑みを見せた。
その純粋な笑顔が、俺にとって、どんな褒美よりも嬉しかった。
こうして俺たちが仕掛けた壮大な芝居は、その幕を下ろした。
この一夜の出来事は、後に、この地方の伝説として長く語り継がれることになる。
欲深い領主を懲らしめた、偉大なる川の主の伝説として。
もちろんその正体が俺の作った船とは、誰にも知られない永遠の秘密だ。
俺たちの船が村の船着き場に戻ると、そこは、まるでお祭りのような大騒ぎだった。
村人たちが赤子から年寄りまで出てきて、俺たちの帰りを待っていたのだ。
俺たちが船から姿を現すと、割れそうなほどの歓声が上がる。
「ミナト様だ!」「我らが英雄の、ご帰還だぞ!」
村人たちは、あっという間に俺たちを囲み、心からの感謝の言葉を口にした。
中には、感情が高ぶってその場に泣き崩れる老婆もいる。
「本当に、本当にありがとうございましたミナト様。このご恩は、決して忘れません」
村長のゴンゾウさんが、深々と頭を下げた。
その手は長年の苦しみから解放された喜びで、小刻みに震えている。
「どうか顔を上げてくださいゴンゾウさん。俺は、あなたたちとの約束を果たしただけです」
俺がそう言うと、隣にいたギルが、がははと豪快に笑った。
「旦那は、本当に控えめなんだから! まったくもって、歴史に残る大芝居でしたぜ!」
ギルも作戦に参加した他の漁師たちも、皆、誇りに満ちた顔をしている。
彼らもまた、この作戦を成功に導いた、立派な功労者なのだ。
一方バルガスは、すでに村の男たちに担ぎ上げられ、英雄として盛大に祝われていた。
「うおっ! お前ら、やめろって! 俺はただ、あのデブを脅してきただけだぞ!」
彼はそう言いながらも、まんざらでもない様子で、心の底から豪快に笑っていた。
ルナは、好奇心の強い子供たちにすっかり囲まれ、質問攻めにあっている。
「ねえねえ、本当に大きなお魚さんだったの?」
「ミナト様と一緒に戦ったの? 怖くなかった?」
「うん、ミナトが一緒だったから、全然怖くなかったよ」
ルナは、少しだけ胸を張って、はきはきと答えていた。
その姿は、なんだか少しだけ、大人になったように見える。
その夜、村の広場では、これ以上ないほど盛大な祝宴が開かれた。
広場の真ん中には大きな焚き火が燃え、村人たちが、その周りで手を取り合って歌い踊る。
長いテーブルには村で獲れた新鮮な魚や、山の幸を使った料理が、大量に並べられていた。
もちろん、村で造られた特別な酒もある。
この小さな村に、これほどの喜びと笑顔が溢れたのは、一体何年ぶりのことだろうか。
俺もバルガスも宴の主役として、何度も酒を注がれた。
「ミナトの旦那! こいつは、わしが祝い事のために隠してた酒だ! さあ、ぐいっとどうぞ!」
「おうよ! 遠慮なくいただくぜ! こんな美味い酒は、王宮でも飲めないだろうな!」
バルガスはすっかり上機嫌で、大きな杯に注がれた酒を気持ちよさそうに飲んでいる。
俺も、村人たちに勧められるままに杯を重ねた。
この世界の酒は素朴で荒削りだが、不思議と味わい深い。
何よりも、こうして気のおけない仲間たちと飲む酒は、格別に美味いものだった。
宴が盛り上がった頃、俺は少し輪を離れ、一人でリバーサイド号に戻った。
甲板に立ち、村の楽しそうな賑わいを眺める。
焚き火の温かい光が、人々の笑顔を明るく照らし出していた。
あの笑顔を俺が守れたのだと思うと、胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じる。
金儲けも確かに楽しいが、こういうのも、悪くないなと思った。
「ミナト」
不意に、後ろから優しい声がした。
振り返ると、ルナが、そこに立っていた。
その小さな手には木の皿に乗せられた、こんがりと焼かれた魚が二匹ある。
「どうしたんだルナ。宴はもういいのか?」
「うん。だってミナトが、一人でいたから」
ルナは俺の隣に座ると、持っていた皿を恥ずかしそうに差し出してきた。
「これ、わたしが、ミナトのために焼いたの。よかったら、一緒に食べよう?」
見ると、彼女が焼いてくれた魚は、少しだけ黒く焦げている。
だがその不格好さが、逆に、とても可愛らしく思えた。
「ありがとう、ルナ。すごく美味そうだな」
俺は焼き魚を一つ手に取り、熱いのを我慢してかぶりついた。
香ばしい匂いと、川魚の優しい甘みが、じゅわっと口の中に広がる。
「……美味いよ。ルナが焼いてくれたから、世界一美味い」
俺が心からそう言うと、ルナは、世界が輝くような、嬉しそうな笑顔を見せた。
その笑顔は、夜空に輝く、どの星よりも綺麗だった。
俺たちは、しばらくの間、二人きりで魚を食べた。
村の賑やかな声が、心地よい音楽のように遠くに聞こえる。
それは、とても穏やかで、満ち足りた時間だった。
「ねえ、ミナト」
「ん? なんだ?」
「わたしたち、これから、どこに行くの?」
ルナが、ふとそんなことを尋ねてきた。
「そうだなあ……」
俺は、夜空を見上げながら、少しだけ考えた。
この村を苦しめていた問題は、見事に解決した。
ギルたち漁師も、これからはあの領主に奪われることなく、安心して漁ができるだろう。
俺の、この村での目的は、完全に達成されたわけだ。
「まずは予定通り、鉱山の町ロックベルに行こう。そこで鉄鉱石をたくさん仕入れて、また何か新しい商売を考えるんだ」
「うん!」
「それから、農業が盛んなセレスの町にも行きたいな。ルナが食べたいと言ってた、甘い果物のジャムを作らないと」
「本当!? やったあ!」
ルナが、子供のようにはしゃいで嬉しそうな声を上げる。
「この大きな川は、きっと、どこまでも続いてる。俺たちは、この船で、どこへだって自由に行けるんだ」
俺は、夜の川の暗い向こう岸を見つめながら、言った。
この広い世界には、まだ俺の知らない場所が、たくさんあるはずだ。
見たこともない美しい景色や、食べたこともない美味いもの。
そして素晴らしい人々との出会いが、きっと、この先の旅路でも待っているに違いない。
「ずっと、わたしも一緒にいてくれる?」
ルナが少し不安そうな声で、俺の服の袖を小さな手で掴んだ。
俺は、その小さな手を、安心させるように優しく握り返す。
「当たり前だろ。ルナは、俺の船の大事な航海士で、かけがえのない家族だからな」
「……うん!」
俺の言葉に、ルナの顔が、ぱあっと明るく輝いた。
彼女は安心したように、俺の肩にこてんと頭を乗せてくる。
その温もりが、俺の心に、とても心地よく感じられた。
翌朝、俺たちは、村人たちの盛大な見送りを受け、出発の準備をしていた。
村長のゴンゾウさんとギルが、真面目な顔で俺のところにやってくる。
「ミナトの旦那。これ、村からの、ほんの気持ちだ。どうか、受け取ってくだせえ」
ギルが、ずっしりと重い革袋を俺に差し出してきた。
中には、たくさんの銀貨が、ぎっしりと詰まっている。
「こんな大金、受け取れないよ。あんたたちの村の生活も、これから楽になる段階だろ」
俺が丁寧に断ると、ゴンゾウさんが、穏やかな笑みで首を横に振った。
「いえミナト様、これは、我々の心からの感謝のしるしです。それに旦那様には、我々が捕った魚を、独占的に買い取っていただきたいのです」
「……それは、どういうことだ?」
「我々は、ミナト旦那様専門の漁師団になります。我々がこの川で捕った極上の川魚を、旦那様にだけ、特別にお売りしたい。これは、そのための大事な契約金だと思ってください」
ギルが、いつになく真剣な顔で言った。
これは、俺にとって願ってもない素晴らしい提案だった。
腕のいい漁師たちと、専門の供給契約を結べるのだ。
これで俺は質の良い新鮮な水産物を、安定して大量に手に入れることができる。
俺がこれから始める新しいビジネスの、これ以上なく強力な土台になる。
「……分かった。その話、受けよう。あんたたちが捕った最高の魚を、俺が責任を持って、最高の形で、この世界の隅々まで届けてみせる」
俺が力強くそう言うと、ギルとゴンゾウさんは、本当に嬉しそうに顔をほころばせた。
「頼みましたぜ、ミナトの旦那!」
こうして俺は思わぬ形で、最初の確かな取引先を手に入れた。
ギルたちが率いる漁船団は、俺の商売の、記念すべき第一号のパートナーとなったのだ。
全ての準備を終え、俺たちは、いよいよこの村を出発する時が来た。
船着き場には村の全員が集まり、別れを惜しむように俺たちに手を振っている。
「ミナト様! このご恩は、一生忘れません! 本当に、ありがとうございました!」
「またいつでも、この村に帰ってきてください!」
「達者でなー!」
その温かい声に、俺は船の上から、大きく手を振り返した。
「ああ! 必ず、また戻ってくる! その時まで、みんな元気でな!」
バルガスもルナも、満面の笑顔で村人たちに手を振っていた。
リバーサイド号は、ゆっくりと岸を離れ、再び大きな川の流れに乗る。
世話になった小さな村が、少しずつ遠ざかっていった。
だが俺たちの心は、温かい満足感で満たされている。
この村で得ることができたものは、金では決して買えない、かけがえのない宝物だった。




