第11話
決行の日の朝は、穏やかに訪れた。
俺はいつも通り、バルガスの作る美味い朝食の匂いで目を覚ました。
リビングへ向かうと、そこにはもう全員が揃っている。
バルガスやルナ、そして昨夜からリバーサイド号に泊まっていたギルと村長のゴンゾウさんだ。
「おはよう、ミナトの旦那」
ゴンゾウさんが、深く刻まれた眉間のしわに緊張を浮かべて挨拶してくれた。
「おはようございます、朝早くからすみませんね」
ギルも、それに続いて固い表情で頭を下げる。
無理もないことで、今日というたった一日がこの村の全ての運命を決めるのだから。
「おはよう二人とも、よく眠れたか?」
俺は、この場の重い空気を少しでも払拭しようとできるだけ普段通りに声をかけた。
「へい旦那の船は、王様のふかふかの寝床よりよっぽど快適でさあ」
ギルは、わざとらしく腕を組んで少し大げさに笑って見せた。
その明るい振る舞いが、この場の張り詰めた緊張を本当に少しだけ和らげる。
テーブルには、いつも以上に豪華で心のこもった食事が並んでいた。
どうやら、村人たちがなけなしの食料の中から感謝の印にと差し入れてくれたらしい。
湯気の立つ焼きたての黒パン、村の畑で採れた新鮮な野菜のサラダがあった。
そしてこの村の川で獲れたという、ひときわ大きな川蟹のスープもある。
蟹の甲羅が、茹でられて鮮やかな赤色になっておりとても食欲をそそる。
「さあみんな、今日は間違いなく長い一日になるぜ!」
「今のうちにしっかり食って、腹ごしらえしとけ!」
バルガスが、皆を鼓舞するようにいつにも増して威勢のいい声を上げる。
その大きな声に励まされるように、俺たちもそれぞれの席について食事を始めた。
川蟹のスープを一口飲むと、濃厚で複雑な出汁が口いっぱいに広がってとんでもなく美味かった。
食事をしながら、俺たちは作戦の最終確認を行う。
細かい部分まで、全員の認識を完全に一致させておく必要がある。
「いいかギル、あんたたちの役目はあくまでも陽動だ」
「決して、深追いして無理に戦うんじゃないぞ」
俺は、彼の目を真っ直ぐ見て念を押すように言った。
「分かってやす旦那。崖下から、大声を出したり松明を掲げたりします」
「大軍勢がいるように、見せかけるんでやすね」
ギルは、作戦内容を間違いないように正確に復唱した。
「そうだ、敵の注意を砦の真下に引きつけて欲しい」
「その隙に、俺が度肝を抜くやり方で派手に登場するからな」
「しかし本当に旦那の船たった一艘だけで、あの砦をどうにかできるんでやすか?」
ゴンゾウさんが、どうしても拭いきれない不安をぽつりと口にした。
彼の心配も、もっともなことだ。
普通の船一艘で、傭兵が守る砦を攻めるなど無謀な作戦にしか聞こえないだろう。
俺は、彼を安心させるために自信たっぷりに笑ってみせた。
「見ていてくださいゴンゾウさん、俺の船はただの木造船じゃありませんので」
「伝説の怪物を、この川に寸分違わず蘇らせることができるんです」
俺の言葉に、ゴンゾウさんはまだ半信半疑といった顔をしている。
まあこればかりは、実際にその目で見て体験してもらわないと信じられないだろう。
「ルナ、砦の周りの川の様子で何か新しい情報はあったか?」
俺は、隣でスープを懸命に飲んでいるルナに尋ねた。
ルナは、持っていた木のスプーンを置いてこくりと頷いた。
「うん砦の近くは、やっぱり流れが少し速いの」
「それと水の中に、船が傷つくような大きな岩がいくつか隠れてるってお魚さんたちが言ってた」
「でも隠れた岩の場所は、全部細かく教えてもらったから大丈夫」
「そうか、本当に助かるよルナ」
「お前は、俺たちの最高に優秀な航海士だからな」
俺が頭を優しく撫でてやると、ルナははにかむように嬉しそうにえへへと笑った。
朝食を終えた俺たちは、すぐに行動を開始した。
俺は、リバーサイド号の心臓部である各動力装置の最終調整に取り掛かった。
作戦の要である、幻影を映す装置と大きな音を出す装置の最後のチェックだ。
甲板に、テスト用の小さな幻影を試しに映し出してみる。
俺のイメージ通りに、手のひらサイズの可愛らしい翼の生えたドラゴンが現れた。
「がおー」という、少し気の抜けた鳴き声もつけてみた。
「ミナト、すっごく可愛い!」
ルナが、手を叩いて子猫のようにきゃっきゃと喜んでいる。
「はっはっは、こいつは確かに傑作だぜ!」
バルガスも、たくましい腹を抱えて大笑いしていた。
うん、装置の調子は完璧なようだ。
あとはこれを何十倍にも拡大して、もっと恐ろしくて迫力のある見た目と音にするだけだ。
一方バルガスとギルは、村の男たちを広場に集めていた。
そして、作戦で使う様々な道具の扱いを教えている。
これは、本格的な戦闘のための訓練ではない。
作戦で使う松明の振り方や、大きな音の出る道具の使い方を入念に教えているだけだ。
それでも、男たちの顔は真剣そのものだった。
自分たちの村を、今度こそ自分たちの手で守ってみせるのだ。
その燃えるような強い覚悟が、ひしひしとこちらにも伝わってくる。
昼過ぎになり、全ての準備が滞りなく整った。
俺たちは、村人たちに見送られて再び船に乗り込む。
ギルと、志願した村の若い男たち十数名は彼らの漁船に乗り込んだ。
リバーサイド号と漁船という、たった二艘だけの小さな船団だ。
だが俺たちの士気は、どんな巨大な大艦隊にも決して負けていない。
「ミナト様、どうかご無事で!」
「ギル、村のことは任せたぞ!」
「みんな、絶対に気をつけてな!」
船着き場では、ゴンゾウさんをはじめ村に残る人々が集まっていた。
老人や女子供たちが、目に涙を溜めながら必死に手を振っている。
その光景に、俺は胸が熱くなるのを感じた。
絶対に、この人たちの純粋な期待を裏切るわけにはいかない。
「リバーサイド号、出航!」
俺の号令で、船はゆっくりと使い慣れた岸を離れた。
目指すは、悪徳領主バルトスの根城である忌まわしい砦だ。
川の流れは、砦に近づくにつれてだんだんと速さを増していく。
両岸には、まるで壁のように切り立った巨大な崖が迫ってきた。
空が、急に狭くなったように感じる。
いよいよ、決戦の地が近い。
船内には、心地よいと言うべき緊張感が漂っていた。
バルガスは、椅子にどっかりと座って自慢の戦斧を丁寧に磨いている。
その鋭い目は、これから始まる戦いへの期待に爛々と輝いていた。
「なあミナト、あの領主のデブは本当に俺がぶん殴ってもいいんだろ?」
「ははは、好きにしてくれて構わないさ」
「ただし、俺たちの作戦が全て終わってからにしてくれよな」
「ちぇっ、つまんねえの」
軽口を叩きながらも、彼の集中力は極限まで研ぎ澄まされているのが分かった。
ルナは、俺のそばを離れずにじっと川面を見つめている。
彼女の小さな頭の中では、川に住むたくさんの魚たちと情報のやり取りが行われているのだろう。
「ミナト、次のカーブを曲がったらすぐに大きな岩があるから気をつけて」
「ああ、情報ありがとう助かるよ」
ルナの的確なナビゲートのおかげで、俺たちの船は危険水域を順調に進んでいく。
複雑な川の流れと水面に隠れた岩礁を、危なげなく通り過ぎていく。
やがて日が傾き始め、空が燃えるような美しい茜色に染まってきた。
その時だった。
「見えたぜミナト、あれが忌々しいクソ領主の屋敷だ!」
マストの見張り台に立っていたバルガスが、憎しみを込めて声を張り上げた。
俺も、前方に視線を向ける。
川が大きく蛇行した先、夕日に照らされた崖の上に黒い城のような建物が見えた。
ギルが言っていた通り、悪趣味で威圧的なデザインの屋敷だ。
周りの美しい自然の風景とは、全く調和していない醜い建造物だ。
あの中に、この辺りの人々を長年苦しめている元凶がいるのだ。
「よし、作戦開始地点はあの岩陰だ」
「全速前進で、そこまで一気に進むぞ」
俺は、屋敷の監視塔から死角になる対岸の大きな岩場を指差した。
船は速度を上げ、滑るように川面を進んでいく。
やがて、目的の岩陰に到着した。
ここなら、屋敷の見張り台から俺たちの船の姿は絶対に見えないはずだ。
俺は船を停泊させると、緊張した面持ちのギルたちを甲板に集めた。
「いいかみんな、作戦は日が完全に沈んでから開始する」
「それまで、ここで息を殺して待機だ」
「へい、旦那!」
ギルたちが、覚悟を決めた顔で力強く頷いた。
俺は、高性能の双眼鏡を取り出して崖の上の屋敷の様子を窺った。
城壁の上には、数人の見張りが立っているのが見える。
だがその勤務態度は、お世辞にも真面目とは言えなかった。
ほとんどの者が、壁に寄りかかって仲間とつまらない談笑をしている。
だらしなくあくびをしたり、中にはあからさまに酒瓶を呷っている者までいた。
「はっ、噂通りのどうしようもないクズどもだな」
バルガスが、俺の隣で軽蔑するように吐き捨てて言った。
「ああ、だがそのだらけきった態度が俺たちにとっては好都合だ」
油断しきっている相手ほど、御しやすいものはないのだから。
俺は双眼鏡から目を離し、西の空を見上げた。
太陽は、もうすぐ山の向こうにその赤い姿を隠そうとしている。
夜の闇が、俺たちの最高の味方になってくれるだろう。
俺は、大きく息を吸って深呼吸をした。
いよいよだ、この異世界に来て初めての大仕事が今から始まる。
まあ、人によっては派手な悪戯みたいなものかもしれないが。
俺は、自然と口元が緩むのを感じた。
「バルガス、ルナ準備はいいか?」
「いつでもな、とっくに準備万端だ」
「うん、私も大丈夫!」
二人の頼もしい返事を聞いて、俺は舵輪を握る手にぐっと力を込めた。
リバーサイド号のエンジンが、低い唸りを上げる。
あとは、夜の帳が下りるのを待つだけだった。




