③ヒロシ、狂乱!
ピンポーン!
唐突に、家のチャイムが鳴った。
こんな時に一体誰だ?
祐介と凛が、顔を見合わせた。
もう一度、チャイムが鳴ると、続けて玄関ドアをノックする音も聴こえた。
すると、トイレの外にいたヒロシの気配が、フッと消えた。
凛がドアに耳をあて、確認する。
ヒロシの荒い息づかいが、全く聴こえない。
「お兄ちゃん。ヒロシいなくなったよ」
「……そうか! ゾンビは、音のする方へと向かうんだ。ゾンビが出てくる海外ドラマを見たことあるけど、そんなシーンがよくあった」
「え、じゃあ玄関の方に行ったの?」
「きっとそうだ。よし、後ろからヒロシを捕まえようぜ」
祐介達は、トイレの中で武器になりそうな物を探した。
祐介はハンドタオルを、凛は便所ブラシを、それぞれ手に持った。
準備が整うと、そっと鍵を外し、玄関の方を覗いた。
そこにフラフラと歩く、ヒロシの後ろ姿があった。
祐介達は音を立てないよう、慎重に近づいた。
「それっ、今だ!」
祐介は、両手で引っ張ったタオルを、ヒロシの首に巻きつけた。
とたんに暴れ出す、ヒロシ。
凛は正面から便所ブラシで、ヒロシの顔面を突こうした。
だが、ヒロシが寸前で避けたため、後ろにいた祐介の顔面に、汚いブラシ部分が命中する。
「ぶわっ! 汚ねえ!」
「あ、ごめーん」
「ごめーんじゃねえよ!」
顔を濡らした祐介が、憤慨する。
だが、今は怒っている暇もない。
またヒロシが、襲いかかってくるからだ。
祐介が、ヒロシと取っ組み合いを始めると、気の強い凛も加勢する。
凛は、おんぶのようにヒロシの背中に飛び乗ると、彼の薄い髪の毛を引っ張った。
ピンポーン!
コンコンコン!
ずっと玄関にいるのは、初老の男だった。
彼は苛立っていた。
家の明かりがついていて、声や物音も聴こえてくる。
人が居るのは、明らかだ。
それなのに、いつまで経っても、誰も出てこない。
「はよ出ろや、ほんま!」
男の名は、仲西。
関西出身だ。
彼はヒロシの麻雀仲間で、吉岡邸に来た理由は、ただ一つ。
麻雀でのヒロシの負け分を、取りに来たのだ。
ちなみに仲西は、この日、風邪気味でマスクを着けていた。
「おーい、ヒロシ!」
とうとう我慢が出来なくなった仲西は、大声で呼びかけた。
それと同時に、ドアノブを掴んでみる。
意外にも、ドアは力なく開いた。
実は、凛が帰宅した時、鍵をし忘れたのだ。
「なんや、開いとんのかい」
仲西が隙間から、顔を覗かせた。
そこには組んず解れつ、取っ組み合いを繰り返す兄妹達がいた。
その異様な光景に、仲西は眉間に深いしわを作る。
「……お前ら、何やっとんねん?」
仲西の声に、祐介と凛が振り向いた。
一瞬、力の抜けた祐介達は、ヒロシに払いのけられた。
そしてヒロシは、玄関にいる仲西の存在に気づき、足早に彼へと歩み寄った。
「おっ、ヒロシ! おまえ、この前の麻雀の負け分、今日こそキッチリ払えよ!」
「うがぁぁぁ!」
ヒロシが叫びながら、仲西に襲いかかる。
「うわっ、何やヒロシ! 気ぃ狂ったんか!」
仲西の首を締めるアツシ。
祐介は急いで、その手を引き離した。
「すいません! ヒロシの友人ですよね? この人、ちょっと酔っ払っているんです!」
「いや、酒乱にも程があるやろ! 悪魔が乗り移っとるやないかい!」
仲西はマスクを取ると、痛めた首を押さえて激怒した。
「あの、すいません。今日のところは……」
「言われんでも帰るわ! こんな発狂男、はよ縄で縛っとけや、ほんま!」
仲西は怒鳴りつけると、舌打ちをして、仕方なく帰って行った。
その後もヒロシは、手に負えないほど暴れたが、やがて取り押さえる事に成功した。
玄関の隅で埃をかぶっていた、二つの縄跳びで、ヒロシの体をグルグル巻きにしたのだ。
ちなみに、この縄跳びは祐介と凛が、小学生の頃に使っていたものだ。
まさか、こんなふうに役立つとは。
兎にも角にも、これでヒロシはもう動けない。
さらに、ヒロシの口をタオルで縛ると、彼はフガフガと唸るだけになった。
「……噛まれてないよな? 凛」
ふと祐介が、凛に問いかけた。
ゾンビに噛まれると、ゾンビウイルスに感染するかもしれない。
それを祐介は、心配したのだ。
「大丈夫、噛まれてないよ。それより、ヒロシどうする?」
「うーん、こんな奴がいたら、生活出来ないしな。もういっそ、ゾンビですって公表しようか。テレビの取材が殺到して、お金を稼げるかもしれないぞ!」
「そんなのイヤ! クラスのみんなから、気持ち悪がられちゃうよ」
祐介は、しかめっ面で再び、うーんと唸った。
こめかみをポリポリと掻きながら「じゃあ、畑に埋めるか?」と、提案する。
「畑?」
「母さんが、野菜を作るために買った、農地があるじゃないか。今はヒロシが、ビールのつまみにと、枝豆を植えているんだけど、そこにヒロシを埋めようぜ。埋めた後、枝豆の葉っぱや蔓を上に置いて、カムフラージュすれば、分からないだろう」
「……殺して、埋めるの?」
「殺すっていうか、すでに死んでるけどな。ゾンビの弱点は頭だから、頭をカチ割れば、やっつけられるよ。どのゾンビ映画でも、そうだったから」
またヒロシが、暴れ出した。
首を左右に振り、ウガウガと唸っている。
そんなヒロシを押さえつけながら、凛が言った。
「でも、ヒロシがいなくなったら、さっきのおじさんが探すよ。きっと警察も来るよ」
「大丈夫。酔っ払って外に飛び出し、そのまま行方不明になったっていう事にするよ。ヒロシが暴れていたのは事実だからな。そのおじさんが証人だよ」
凛は感心したように、何度も頷いた。
「お兄ちゃん、頭いいね!」
妹に褒められた裕介は、得意げな顔をした。
しかし、そんな会話の最中も、ヒロシは延々と暴れ続けている。
凛は、苛立った声を出した。
「じゃあ早く、ヒロシをやっつけてよ! うるさいから」
「ここじゃあ駄目だ。ヒロシの太った体を、二人で運ぶのは大変だぞ。畑まで歩かせた方が、どう考えても楽だろ?」
「あ、そっか、そうだね!」
さっそく兄妹は、ヒロシを起き上がらせた。
外は肌寒いので、祐介は上着を着る。
ヒロシには、黒いロングコートを羽織らせた。
だが玄関を出たところで、祐介が困惑した顔で振り返った。
「畑は、すぐそこだけど、それまでに人に顔を見られたら困るな」
「全員、マスクすれば? もう十一月だし、おかしくないでしょ?」
「おっ、それは妙案だな」
祐介は、凛から差し出されたマスクを着けた。
さらに凛は、玄関棚に置いてあった個包装のマスク二枚を、自分とヒロシに着けた。
「よし、俺がヒロシを引っ張って先頭を行くから、お前は後ろからヒロシを押してくれ」
「うん、分かった」
つづく……




