第七十四話 黄金の運河と確かな未来
イザベラ様の『完全実力主義』の宣言により、接待ゴルフのつもりで来ていた貴族たちに戦慄が走った。
だが、ランドシャーク子爵は不敵に笑い、拍手すらしてみせた。
「素晴らしい! スポーツマンシップに溢れる見事な裁定です、イザベラ様。ですが少々遅かったですね」
子爵は懐から分厚い札束(証書)を取り出し、ヒラヒラと見せびらかすように振った。
「私はすでに手持ちの会員権を全て『金貨600枚』の高値で売り抜けております。ルールが厳しくなって紙切れになろうと、痛くも痒くもない。いや、むしろ感謝しておりますよ。皆様がこの『ゴルフ遊び』に熱中してくださったおかげで、私の真のビジネスは完璧に遂行できたのですから」
「真のビジネスだと……?」
これまで静観していたアレクセイ殿下が、鋭い声で問い詰める。
王太子の威圧感を受けてなお、子爵は勝ち誇ったようにタプタプの腹を揺らした。
「はい。王都の一般小麦の買い占めですよ! 会員権の利益と、私の立場を利用して引き出した『特別融資枠(国庫金)』を全て突っ込んでね!」
その言葉に、殿下の顔色がサッと変わる。
特級小麦が全滅した以上、王都のパンの供給量は必ず不足する。子爵は莫大な資金を市場に出回る小麦に充て、買い占めていたのだ。
食糧市場の完全掌握。それこそが、彼の真の狙いだった。
「さあ、アレクセイ殿下! 私を捕縛しますか? 私が投獄されれば、隠匿した小麦の保管場所は誰にも分からず、王都は飢えに苦しむ! 私から適正価格(10倍)で買い取る契約書にサインを――」
子爵が突きつけた契約書を前に、殿下は屈辱に顔を歪めた。
国の財政を破綻させる悪徳契約。だが、ここで拒否すれば王都の民が飢える。王太子として民の命を見捨てるわけにはいかない。
殿下がギリッと奥歯を噛み締め、苦渋の決断と共に震える手でペンを取ろうとした、その時だった。
「お断りします」
私はバインダーを小脇に抱え、殿下の前にスッと立ち塞がった。
「リリアナ!? ……だが、小麦が……」
「ご安心ください、殿下。パンの価格は1銅貨たりとも上がりません」
驚いて目を丸くする殿下を片手で制し、私は子爵を冷たく見据える。
「子爵、貴方は一つ致命的な見落としをしています」
「致命的な見落としだと?」
私の指摘に、子爵は鼻で笑い飛ばした。
「ふん、何を言うかと思えば、ハッタリか。そんなものがあるわけなかろう」
「あります。王国には今『莫大な借金を抱えた都合のいい国』があるのです」
私は手帳を開き、一つの国名を読み上げる。
「ドルイド海洋諸国連合。つい先日、巨大船で王都の大運河を封鎖し、密輸まで発覚した国です。彼らに課せられた天文学的な罰金と、座礁船の撤去費用を、私は『小麦による現物納付』で支払うように水面下で外交交渉を取りまとめていました。その量、王都の消費量の半年分」
「なっ……!? ハッタリだ! 仮に港に着いたとしても、王都の各地区や内陸へ運ぶには陸路しかない。馬車で一月はかかるのだ。その間に王都は飢える!」
「おーほっほっ! 何を寝言を言っていますの?」
子爵の悲鳴を掻き消すように、すぐ傍から高らかな笑い声が響き渡る。
カトレア様がこれ見よがしに扇子を広げ、背後に控える太鼓持ち軍団が一斉にコースの奥を指し示した。
「ご覧ください! カトレア様の湧き出る泉のような財力と、大河の如き深き御心によって建設された『アクア・リゾート・コース(仮)』の真の姿を!」(太鼓持ちB・C・D)
「港の大運河からこの農園まで、あらゆる障害を押し流し、一直線に繋いだ奇跡の大水脈!」(太鼓持ちE・F・G)
「これぞ水の女神の御業ですの!」(太鼓持ちH・I・J・K)
子爵が振り返り、絶句した。
カトレア様が「コースの九割が水場」と言って農民たちを雇い、掘削させていた巨大な溝。
それはゴルフコースなどではない。海と繋がる王都の大運河から、この農園までを直結する『巨大な内陸貨物運河』だったのだ。
ザザァァァッ、と豊かな水音を立てて。
その運河を、大量の小麦を積んだドルイド連合の輸送船が、隊列を組んで堂々と進んでくる。
「輸入小麦の到着により、市場の小麦供給量は完全に安定します。……子爵。貴方の倉庫の小麦は、明日には買値の十分の一にも満たない『不良在庫』に変わりますよ」
私のマクロ経済(市場)からのカウンターが決まった。
食糧危機は回避された。誰もが子爵の敗北を確信した、その時だった。
「……ふ、ふざけるな」
ギリッと、子爵が血走った目で私を睨みつけ、懐からもう一枚の羊皮紙を引き抜く。
それは農民たちと交わした『融資の契約書』。
「市場の小麦はどうでもいい! だが、この土地の権利は別だ! 契約書にはこうある! 『秋の収穫物を以て返済とする。万が一、この土地から収穫物が得られなかった場合、担保として土地を没収する』と!」
「なっ……」
「輸入小麦が届こうが、それは国のものであって農民のものではない! 現にこの土地の麦は全滅し、私への『収穫物の納品』は行われていない! よって、法に基づきこの土地は私のものだ! 貴族どもを追い出し、運河を埋め立ててやる!」
子爵の主張に、私は息を呑んだ。
……正論だ。どれだけ彼が悪辣でも、法治国家において民間同士の契約は絶対。契約違反があった以上、担保の没収は合法だ。
ここで王家が強権を発動して契約を反故にすれば、国の信用制度そのものが崩壊してしまう。
私が論理の壁(法)の前に立ちすくんだ、その時だった。
「お待ちなさい!」
凛とした声と共に、イザベラ様が真紅のドレスを揺らして進み出た。
「収穫物がない? 子爵、貴方の目は節穴ですの?」
イザベラ様は、コースの脇に山と積まれていた泥と芝生の塊をビシッと指差す。
それは貴族たちがスイングで削り取った地面――キャディたちがコース整備のために集めた『ディボット』である。
「よくご覧なさい! ここはもう麦畑ではありませんわ! 立派なゴルフコースよ! ならば、この土地の収穫物とは、麦ではありませんわ!」
「では、何だと言うのだ!?」
「決まっていますわ! 高貴なる貴族たちと、ミハイル殿下が流した情熱の汗! それが染み込んだこの『ディボット(泥の塊)』こそが、この土地が生み出した最高の収穫物ですわ!」
イザベラ様の、あまりにも歪んだ、しかし堂々たる感情論。
「ば、馬鹿な! ただの泥の塊ではないか! そんなゴミが返済の代わりになるものか! 絶対に受け取らんぞ!」
「……ゴミと仰いましたの?」
「ひっ……」
「この泥には第二王子であるミハイル殿下の汗と、高貴なる貴族たちの努力が結晶として練り込まれていますのよ? それをゴミと呼ぶとは、王家に対する不敬罪と受け取ってよろしくて?」
「ち、ちがッ! そういう意味では……!」
子爵が顔面蒼白になって後ずさる。
だが、イザベラ様は逃がさない。
「不敬でないと言うなら、その高貴な収穫物を受け取りなさい! 今すぐ、貴方のその上等な馬車に、この泥の山を積んで帰るのですわ!」
「そ、そんな泥の塊など資産価値はゼロだ! 断固として拒否する!」
子爵がたまらず受取拒否を宣言した時だった。
「それは困ったね」
今までゴルフのプレイを静観していたミハイル殿下が、優雅に微笑みながら歩み出た。
「あの泥には、僕の努力(汗)が詰まっているからね。それを『価値がない』と法廷で証言するなら、僕は喜んで原告席に座るよ。……国庫の資金を不正操作し、買い占めした件と合わせてね」
「あ……あぁ……」
子爵が絶望の声を漏らす。
その隣でカトレア様がバチを握りしめ、両頬を真っ赤に染めて身を乗り出した。
「ミハイル様の汗が染み込んだ泥ですって!? なんて尊いの! それは最早、土ではなく聖遺物だわ! エステナ、今すぐあの泥の山を金貨一万枚で買い取りなさい! 私の寝室の壁土にして、毎晩その香りに包まれて眠るわ!」
「カトレア様、落ち着いてください。公衆の面前です。ドン引きされていますよ」
エステナの冷ややかなツッコミを無視し、カトレア様は「ミハイル様の香り……」と荒い息を吐いている。
当のミハイル殿下は「あはは、カトレア嬢は相変わらずだね」と、王子スマイルで爽やかにスルーしている。
「お聞きになりましたか、子爵。侯爵家が金貨一万枚での買い取りを保証した以上、この泥は法的に『十分な資産価値を持つ収穫物(代替品)』として成立しました」
私が呟くと同時に、エステナも冷たい笑みを浮かべた。
「はい。にも関わらず、貴方は先ほど明確に『受け取らん。断固として拒否する』と宣言なさいましたね。……頂きました」
私たちは示し合わせたかのように、同時に眼鏡を中指で押し上げ、バインダーを開いた。
「「民法第四百十三条。『受領遅滞』」」
見事なハモリに、背後のアレクセイ殿下がビクッと肩を揺らす。
「債務者(農民)が契約に基づき弁済(泥の引き渡し)を提供したにも関わらず、債権者(子爵)が正当な理由なくその受け取りを拒否した場合」
私が前半の条文を読み上げると、エステナが流れるような滑らかさで後半を引き継いだ。
「債務者は以降の『債務不履行責任』を一切免除され、債権者は担保を執行する権利を失います。……つまり、こっちが用意したものを『いらない』と突き返した時点で、貴方の負けです」
普段は火花を散らす王宮と侯爵家の実務トップ二人が、この瞬間だけは、法解釈において恐るべき連帯感を見せつけた。
王族の証言(圧力)と、法務官コンビの冷徹な条文。
そして何より、イザベラ様の「泥=高貴な収穫物」という無茶苦茶な論理と、カトレア様の「狂気的な泥の買い占め宣言」の前に、子爵の最後の盾であった『契約書』の論理は、完全に粉砕された。
「終わりましたね、子爵。……キャディの皆様、お客様がお帰りです」
私の合図で、農民たちがニカッと笑って子爵を取り囲んだ。
「へいっ! それでは『収穫物(泥)』は、俺たちが責任を持って子爵様の馬車と、お屋敷のベッドに敷き詰めておきやすね!」
「や、やめろぉぉぉ……!」
秋空の下、かつての悪徳商人が泥の塊と共に馬車に押し込まれ、逃げるように去っていく。
その滑稽な姿に、農民たちからどっと笑いが起きた。
「……終わったな」
アレクセイ殿下が、安堵の息を吐きながら秋の空を見上げる。
「ええ。カトレア様の運河のおかげで、今後の物流コストも大幅に削減できます。長期的に見ても、国の食料自給と経済は磐石になりました」
「法と経済で追い詰め、最後はイザベラの屁理屈とカトレアの奇行でトドメを刺す……。俺は、お前たちのこの『連携』にいつまで耐えればいいんだ?」
「胃薬の予算は、来期も多めに計上しておきますね」
今年の特級麦は失われたが、代わりに黄金の運河と、確かな未来が残った。
王国の平和と経済は、逞しい農民たちと、規格外の令嬢たちによって、今日も泥臭く守られているのだった。




