第七十話 帰る場所があるということ
ステージ上には10名の挑戦者が並んでいた。
歴戦の猛者と思わしき屈強な大男たちに混じり、涼しい顔で座る父と姉。
だが、私の視線はテーブルの端――明らかに場違いなオーラを放つ二人の女性に釘付けになった。
「なぜ、ここにあの二人が……?」
極彩色のドレスに身を包み、優雅に、しかし捕食者のごとき眼光で「お腹が空きましたわ!」と扇子を振るイザベラ様。
扇子には達筆で『美は食事から!』と書かれているが、今の状況では『カロリーへの宣戦布告』にしか見えない。
そして対極の位置には、清流のような水色のドレスを纏い、「肉汁補給ですわ!」と謎の理論武装をするカトレア様。
さらにステージ袖には、それぞれの信者とも呼ぶべき応援団が陣取っていた。
「イザベラ様、胃袋の許容量は無限大ですわ!」(取り巻き軍団)
「カトレア様! 肉まんを飲み物に変えてくださいまし!」(太鼓持ち軍団)
どうやら二人はここでも、「どちらがより優雅に、かつ物理法則を無視して大量に摂取できるか」という、哲学的かつ無意味な勝負をしているらしい。
私の休日に安息の地はないのか。
「始めッ!!」
銅鑼の音と共に、戦いの火蓋が切って落とされた。
父とルルティア姉さんの動きは洗練されている。
肉まんを手に取る、口へ運ぶ、飲み込む。この三動作が限りなく同時に行われている。
まるで肉まんが自ら彼らの体内へと帰還していくような吸引現象だ。
もはや食事ではなく、一種の格納作業に見える。
「すごいよ、父さんもルル姉さんも噛んでないよ」
「エル、良い子は絶対に真似してはダメよ。あの二人は消化器官を自らの意志の力で制御できる技なのよ」
エルヴィンが畏敬の念を込めて呟く。
すると、お母さんが穏やかな口調で、しかしとんでもない教育的指導を挟む。
「エルヴィン、あの食べ方は、消化器官を自らの意志の力で制御する特殊な技なのよ」
「そんなことできるんだね! お母さん、僕もできるようになるかな?」
「そうね、二人のようにたくさん努力すればできるようになるわ」
エルヴィンが純粋に感心し、ララーナ姉さんは「生物学を冒涜しているわ」と呆れ混じりに息を吐いた。
家族の会話を聞いていると、常識という概念が崩壊を起こしそうだ。
一方、貴族令嬢二人の戦いは、別の意味で恐怖を感じさせる光景だった。
「熱いですわ! けれど美味しいですわ! 肉汁が溢れてきますの!」
「おーほっほっ! 熱いなら水で流し込めばいいのよ!」
二人は互いに睨み合いながら、貴族とは思えぬペースで肉まんを食べている。しかし大口を開けて食べているわけではない。あくまで上品に口元を扇子で隠した一瞬の隙に、拳大の肉まんが神隠しに遭ったかのように消えているのだ。
そこへ取り巻きたちが一斉に煽る。
「イザベラ様、喉越しのラインも美しいですわ!」(取り巻き軍団)
「カトレア様、肉まんは飲み物ですの!」(太鼓持ち軍団)
その異様な熱狂の渦中、私はふと群衆の片隅に、冷ややかな色彩を見つけた。
エステナだ。彼女は焼き鳥の串を持ったまま、祭りの喧騒から離れた場所で硬直していた。
その眼鏡の奥の瞳は、ステージ上の二人の捕食シーンを捉え、明らかに処理落ちを起こしている。
『計算不能』『論理的エラー』という文字が顔に浮かんでいるようだ。
その隣にエステナを心配そうに覗き込む、アイルさんの姿もあった。
彼も苦笑しながら、固まったエステナの肩をポンポンと叩いている。
見なかったことにしよう。彼女たちもまた、休日の被害者なのだから。
観客席にいる私たち家族の間に、微妙な空気が流れる。
「ねえ、リリアナ。王都の貴族って、あんな感じなの?」
お母さんが引きつった笑みを浮かべた。
純粋な疑問というより、未知の生物に対する困惑に近い。
「あのドーピングなしのテンション。脳内物質が常時過剰分泌されているとしか思えないわね。私の興奮剤を使わずにあの熱量とは、素晴らしい検体だわ」
「ララ姉さん、研究対象として見るのはやめましょう。深淵を覗くことになります」
私は眼鏡を直し、努めて冷静に現実逃避を図る。
だが、純粋無垢なエルヴィンだけは違った。
「姉さん、すごいよ! あの時のドレスの人、一口でいったよ! かっこいい!」
目をキラキラさせてイザベラ様を応援している。
エルヴィンの将来が少し心配だ。
そして終了の鐘が鳴り響く。
「そこまでッ!!」
結果は明白だった。
優勝は、お父さん。
軍人の如きペース配分を崩さなかった勝利だ。
二位は僅差でルルティア姉さん。
そして三位は、同数でイザベラ様とカトレア様だった。
「くっ……やっぱ父さんはすごいね。熟練の技だったよ」
「はっはっは! これで一勝一敗だな。だがルル、お前の食べっぷりも見事だったぞ」
親子がスポーツマンシップに則り健闘を称え合う横で、二人はテーブルに突っ伏している。
「まさか引き分けですの……?」
「悔しいけれど、これ以上詰め込めば、ドレスのウエストが限界を迎えて弾け飛びますわ……」
二人は限界まで膨らんだお腹を抱え、コルセットの悲鳴に耐えながら、それでも互いに「次は勝つわ!」と不屈の闘志で火花を散らしていた。
その姿は、奇妙なほどに美しかった。
◇
夕暮れ時。
王都の城門前で家族と別れの時が来た。
父の新しい服と、大食い大会の賞金、そして大量のお土産を馬車に積み込み、家族が乗り込んでいく。
「リリアナ」
父が私の肩に手を置いた。
その手は大きく、分厚く、そして温かかった。
かつて写真立ての中でしか触れられなかったその温かさが、確かにここにある。
「無理はするなよ。辛くなったらいつでも帰ってこい。俺たちは、いつでもお前の味方だ」
父の声は低く、優しく、私の心を揺さぶった。
不器用な父なりの精一杯の愛情。
「うん……ありがとう、お父さん」
胸の奥が熱くなる。
視界が少しだけ潤みそうになるのを、私はぐっと堪えた。
ここで泣いては、せっかくのイケオジになった父のスーツが涙で濡れてしまう。それに、私はもう子供ではないのだから。
馬車の窓から、母が、姉たちが、弟が、そして父が身を乗り出して手を振る。
「リリアナ、これからもしっかり稼ぐのよ」
「リリ、今度帰ってきたら、あたしと手合わせしようぜ」
「新しい薬送るからね。副作用は減らしておくわ」
「姉さん、またお仕事あったらいつでも言ってね!」
家族の言葉が夕暮れの空に溶けていく。
なんて騒がしくて、手がかかって、そして頼もしい家族なんだろう。
御者が鞭を振るい、車輪が軋む音と共に馬車がゆっくりと動き出す。
夕日に照らされて、黄金色に輝きながら遠ざかっていく家族の笑顔。
私は皆の姿が見えなくなるまで、大きく手を振った。
「……行ってらっしゃい」
寂しくないと言えば嘘になる。
胸の中にぽっかりと穴が開いたような、そんな喪失感はある。
けれど、私は感傷に浸っている暇はない。
背筋を伸ばし、眼鏡を中指で押し上げる。
王宮に戻れば、殿下からの終わらない指示と予算の計算。そしてイザベラ様の予測不能な対処が山のように待っているのだ。
日常という名の愛すべき戦場。
さあ、帰ろう。
私の戦いは、まだまだ続くのだから。




