第六十七話 おかえりなさい
「お黙りなさい!」
場の論理も空気も強引に突き破るような金切り声を上げたのは、イザベラ様だ。
イザベラ様は貴賓席から身を乗り出し、『私こそが絶対正義!』と金糸で刺繍されたド派手な扇子を、大佐へ向かってビシッと突きつけた。
「管轄? 国際法ですって? そんな小難しいことはどうでもいいわ! 私の言いたいことはただ一つよ! その首輪のデザインが、絶望的かつ壊滅的にダサいのよ! 何より『親子の感動の再会』という美しい舞台を汚す貴方の存在は、私の美学に反するわ!」
「び、美学……?」
イザベラ様は扇子でバンバンと手すりを叩きながら、言葉を畳み掛ける。
「四の五の言わずに今すぐ失せなさい! 素材は安っぽい鉄くず! 加工は雑極まりない! 機能美の欠片もない前世紀の遺物! それに何ですの、その軍服は! 仕立ても悪いし、ドブ川みたいな色! 色彩感覚が連邦は死んでいるの!?」
「き、貴様……! 連邦の軍服を愚弄するか!」
「愚弄もするわよ! 何より許せないのは、『親子の感動の再会』という至高の芸術シーンに、貴方のような無粋な男が映り込んでいること自体が、視覚的公害なのよ!」
「し、視覚的公害だと……!?」
「ええ、そうよ! 貴方の存在そのものが画面の汚れノイズ! 四の五の言わずに今すぐ視界から消えなさい! 全く、これだからファッションセンスの欠落した産業廃棄物は嫌になるのよ!」
「わ、私に向かって産業廃棄物だと……」
あまりの剣幕と、論理もへったくれもない罵倒の暴風雨。
これには大佐も呆気にとられ、一瞬だけ思考を停止させた。
「……やれやれ。王国の貴族というのは、こうも頭も口も悪いのか」
大佐はすぐに気を取り直し、冷徹な目で私とイザベラ様を見据える。
「美学も法律も結構だが、現実を見たまえ。所有権は我ら連邦にあるのだ」
「……黙れ! 父さんを返せ!」
ルルティア姉さんが激昂し、殺気立って大佐へ詰め寄る。
「おっと動くなよ、獣娘。一歩でも動けば、貴様たちの父親がどうなるか、分かるな?」
大佐は起爆装置の赤いボタンへ、これ見よがしに親指を這わせた。
「ッ!? 卑怯者め!」
足がすくむ。姉さんも私も、奥歯を噛み締めて立ち尽くすしかない。
そんな私たちの姿に、父の瞳が揺れた。
慈愛に満ちた家族を案じる弱々しい光。
大佐はその変化を見逃さなかった。
「……チッ。家族との再会に毒されおったか。これでは兵器として使い物にならんな」
大佐は興味を失ったように鼻を鳴らし、私たち姉妹を値踏みするように視線を向けてきた。
「だが、何も問題はない。アンノウンよ、貴様がここで『不良品』として廃棄したとしても……その穴埋めは、貴様の血を分けた娘たちで十分に賄えるのだからな」
「何だと……? 今、なんと言った……?」
大佐の言葉が、父の逆鱗に触れた。
自らが犠牲になれば家族は守れると信じて耐えてきた、その根底を覆す宣告。
「大佐……いや、貴様!」
「……おい、止まれ!」
父は怒りの形相で大佐へと歩み出した。自分がどうなろうとも、この男だけは生かしておけないと、捨て身の殺気が大佐を射抜く。
「俺はいい……だが、その薄汚い手を家族に伸ばすことだけは絶対に許さん!」
「チッ、仕方ない。貴様はここで廃棄処分してやる!」
もはや父に起爆装置など目に入っていない。
大佐は迫りくる父の殺気に、反射的に指へ力を込める。
カチッ……乾いた音が響く。
カチッ、カチッ、カチッ。焦ったように大佐は何度もボタンを押すが、火花どころか何も起こらない。
「どういうことだ? もしや故障か?」
大佐が怪訝そうに手元の装置を見る。
そこには精巧な魔導装置ではなく、小さな玩具が握られていた。
「おじさん、それじゃ何も起きないよ?」
背後から、少年の無邪気な声。
大佐がハッとして振り返ると、観客席の手すりの上にエルヴィンが座っていた。
器用に指先でクルクルと回されているのは、本物の魔導リモコンだ。
「い、いつの間に……!?」
「ん? さっき、あの派手なドレスのお姉ちゃんに見とれてたでしょ? その隙に『交換』しておいたよ」
イザベラ様が、「こんな男に見とれられても嬉しくないわ」と吐き捨てるのが聞こえた気がしたが、エルヴィンは気にも留めずニカっと笑い、起爆装置を地面に叩きつけて踵で踏み抜いた。
ガシャンッという破壊音と同時に、母の冷静な声が響く。
「ララーナ、今よ」
「うん、母さん任せて。オペを開始するわ」
母さんの指示と同時に、ララーナ姉さんがガラスのアンプルを父目掛けて投擲した。
正確無比な軌道を描いたアンプルが、父の首輪に直撃する。パリン! 特殊な溶解液が飛散し、金属だけを溶かす白煙が上がる。
十数年、父を縛り付けていたであろう首輪が、バラバラに崩れ落ちた。
「ク、クソガキ共めがッ!」
「……ほう、俺の可愛い子供たちに向かってクソガキ呼ばわりとはな……」
父は再びゆっくりと大佐へ迫る。
その背中から、かつての英雄が纏う覇気が立ち昇る。
「ま、待て! それ以上近寄るんじゃない!」
「10数年分の未払い給料と、俺の愛する家族を脅した慰謝料……たっぷりと請求させてもらうぞ?」
形成は逆転した。
だが、大佐は取り乱さない。
彼は舌打ち一つこぼすと、冷徹な指揮官の顔に戻り、手を振り下ろした。
「総員! その廃棄物を始末せよ!」
叫ぶでもなく、淡々とした処刑命令。
それに呼応し、数十人の連邦兵が一斉に抜刀し、殺到する。
だが、フォレスト家の前には有象無象に過ぎなかった。
「あたしが見逃すとでも思ってるのかい! 父さんに手出しはさせないよ!」
姉さんが父の前に飛び出し、正面から迫る刃を剛剣の一振りでまとめて弾き飛ばす。その隙を突き、左右から回り込む兵士たちを、今度は父が鋭い剣閃で薙ぎ払った。
「……まさか娘に守られる日が来るとはな」
「何言ってんのさ! 『困った人がいれば手を差し伸べろ』……そう教えたのは父さんだろ!」
姉さんはニカっと笑い、次々と襲いかかる敵を圧倒していく。
「……ふっ、違いない」
父もまた、頼もしく成長した娘の横顔を見て、嬉しそうに笑みをこぼした。
並び立つ二つの旋風。親子が通る道に、立っていられる敵など一人もいなかった。
「チッ、潮時か……」
部隊の全滅を悟った大佐は即座に踵を返す。
無駄な抵抗はせず、最短ルートで出口へと向かうが、逃走ルートは、すでに白銀の壁が立ちはだかっていた。
「逃がすな、カイル!」
「はっ!!」
騎士団長の号令と共に、カイル君の剣が一閃する。
大佐の足を払い、無様に転がしたところで、切っ先を喉元に突きつけた。
「……リリアナの大切な家族を傷つけた罪、償ってもらうぞ!」
「……ふん、私を拘束するつもりか? 私は連邦の外交官特権を持っている。この国の法では裁けんぞ?」
剣を突きつけられてなお、大佐は不敵に笑っていた。
「お前は許さないぞ! ……だけど」
カイル君の剣を持つ手が、ギリっと音を立てて震える。
目の前の男はリリアナを、家族を傷つけた仇だ。
今すぐにでも斬り捨てたい。
けれど、カイル君は今や王宮の『近衛騎士』。その一撃が、国を巻き込む戦争の引き金になることを理解している。
個人の感情と公人の責務。その板挟みに、カイル君の動きが止まる。
「剣を引け! 騎士の若者よ!」
「殿下!? し、しかし!」
「引くのだ! 感情に任せて剣を振るえば、それこそ大佐の思う壺だ! 今ここで戦争の火種を作るわけにはいかない!」
カイル君は悔しさに顔を歪めながらも、ゆっくりと剣を下ろした。
「賢明なご判断に感謝しますよ、殿下」
大佐は襟を正し、悠々と出口へ歩き出す。
だが去り際に一度だけ立ち止まり、振り返ることなく告げる。
「勘違いするなよ、貴様ら。これは一時的な撤退だ。そやつの所有権は未だ連邦にある。必ず回収に来る」
法と軍事力という、絶対的な盾。
大佐たちは不穏な余韻を残して去っていった。
私たちは唇を噛み締め、背中を見送ることしかできなかった。
完全勝利とはいかない、ほろ苦い結末。
――けれど。
「父さん!」
ルルティア姉さんが剣を捨て、父の胸に飛び込んだ。父さんはよろめき、けれどしっかりと姉さんを受け止める。
「……ただいま、お前たち」
「おかえりなさい! 父さん!」
姉さんの抱擁を合図に家族全員が一つの輪になる。
「……ああ、すまなかった。苦労をかけたな」
父の太い腕が、私たち全員を力強く抱きしめた。
汗と土、そして懐かしい父の匂い。
10年以上の年月を経て、父の温もりが冷え切った心を溶かしていく。
敵は逃した。前途多難だ。それでも、私たちは今、この瞬間、最高に幸せだった。
その感動的な光景を見下ろしながら、殿下が安堵の混じったため息をつく。
「……全く、私の主催する大会は、どうしてこうもトラブルになるのだ」
「あら、いいではありませんの」
その横で、イザベラ様が勝ち誇ったように扇子を開いた。
その顔には、一点の曇りもない満足げな笑みが浮かんでいる。
「ドブネズミが去って美しい家族の愛が残った。私の美学が完全勝利したことだけは歴史に刻まれましたわ! オーホッホッ!」
イザベラ様の高笑いと共に、闘技場に温かな祝福の拍手が戻ったのだった。




