第六十三話 王都大闘技大会
王都の大運河を塞ぐ巨大船騒動から数日が過ぎた。
季節は夏から秋へと移ろい、王宮の庭園も鮮やかな黄金色に染まり始めている。
「ようやく首の痛みが引いたな」
執務机の向こうで、アレクセイ殿下が首を回しながら呟いた。
あのSOS婚会見でのヘッドロックによる頸椎のダメージは、ララーナ姉さんの薬でようやく完治したようだ。ただ、姉さんの手紙には副作用として嗅覚が当分効かなくらしい。
まあ、命に別状はないから問題ないだろう。
おかげで殿下は本来の美貌を取り戻しているわけだし。
「バラスト公からの賠償金振込も確認されましたし、没収した密輸品の競売も順調です。おかげで国庫は潤いました」
私は電卓を叩く手を止めず、事務的に答える。
カシャン、カシャン、チーン。
私の脳内レジスターが心地よい音を奏でる。
私のボーナスも右肩上がりだ。
「だが、リリアナよ。平和すぎて逆に不安になるのは、俺が毒されているからか?」
「それは『イザベラ様不足』による禁断症状ですね。ご安心ください、そろそろ来ますよ」
私の予言通り、廊下からカツカツと、ヒールが高らかに鳴る音が近付いてくる。
バンッ! ノックという概念を置き去りにして扉が盛大に開かれる。
「ごきげんよう、リリアナ! そして愛しの旦那様(予定)!」
現れたイザベラ様の姿を見て、私はペンを止めた。
今日の彼女が身に纏っているのは、秋の訪れを全身で表現した、圧倒的なボリュームのドレスだ。
深みのあるボルドーのベルベットをベースに、その上から燃えるようなオレンジ、鮮烈な黄金色、そして熟れた果実のような赤色のシルクオーガンジーが何層にも重ねられている。
まるで王宮の廊下に、『紅葉の嵐』が吹き荒れているようだ。
(イザベラ様、今日はまた、山火事のように騒がしいドレスですが、その燃え上がるようなグラデーションの色彩はとても素敵ですよ)
私は心の中で、いつものように冷静な称賛を送った。
「イザベラ、今日はまた一段と目が……いや、情熱的だな」
「お褒めいただき光栄ですわ! テーマは『収穫の秋・豊穣の女神』ですわよ!」
イザベラ様はバサッと紅葉色の扇子を開き、私のデスクに一枚の羊皮紙を叩きつけた。
「そうでしたわ! リリアナ、それに殿下。あなたも仕事をしている場合ではないですわ! 今日から『王都大闘技大会』が開幕しますのよ!」
――王都大闘技大会。
秋のスポーツとして、毎年行われる国一番の武術大会だ。
だが、今年は少し事情が違う。
「ああ、もうそんな時期ですか。今年から参加資格を国外にも開放した『国際オープン大会』でしたね」
「そうなのよ! この機会に我が、カイゼル王国の余裕と『美』を世界に見せつけるチャンスだもの!」
イザベラ様が胸を張る。
そう、今年は『国籍不問』。
表向きは門戸開放だが、実質は周辺諸国に対する「王国の騎士は強いぞ」というデモンストレーションの意味合いが強い。
だが、殿下は少し不愉快そうに書類をめくる。
「そのせいで招かれざる客も入り込んでいるようだがな」
「『バルドール連邦』ですね」
私が小声で確認すると、殿下は無言で頷いた。
帝国の一件で暗躍していた西の大国。
決定的な証拠がないため国交断絶とまではいっていないが、関係は冷え切っている。
その連邦が、このオープンルールを利用して『最強の剣闘士』を送り込んできたという噂がある。
「駐在武官のエドガー・センチネル大佐が、やけに鼻息荒く『我が連邦の強さを見せてやる』と息巻いていたそうだ。……まあ、我が国の騎士団長が負けるとは思えんがな」
「当然ですわ! 野蛮な連邦の剣など、王国のエレガントな剣技の前ではダンスの相手にもなりませんもの! オーホッホッ!」
イザベラ様が高笑いする。
そう、これは代理戦争だ。
王国の面子にかけても、連邦の刺客に優勝を渡すわけにはいかない。
「さあ、観戦に行きますわよ! 筋肉と汗、そして国家の威信をかけた代理戦争! 燃えますわ!」
「……言い方が物騒ですが、視察も仕事のうちですからね」
私がペンを置いて立ち上がると、イザベラ様はニヤリと悪戯っぽく笑い、顔を寄せる。
「貴女の『ご家族』も、すでに会場にいらしているけれど?」
「えっ……?」
◇
王都コロシアム。
古代の遺跡を利用して作られた円形闘技場は、数万の観衆で埋め尽くされ、地鳴りのような歓声に包まれていた。
貴賓席の最前列に立ったアレクセイ殿下が、マイクを握る。
王族による開会宣言。
これも毎年のしきたりだ。
「王都の民よ! そして、各地から集いし強者たちよ!」
殿下のよく通る威厳ある声が響くと、会場が一瞬で静まり返る。
「遠き地より集いし強者たちよ、よくぞ参った!
今日、この闘技場に国境はない! 身分の差も、言葉の壁もない! あるのは鍛え抜かれた肉体と技、そして背負った祖国の誇りのみ! 剣を交え、拳で語り合え! その熱闘こそが国を結ぶ架け橋となるだろう! 勝者には大陸全土に響き渡る栄光を! 敗者には国境を越えた称賛を! これより国際親善・王都大闘技大会を開催する!」
「「うおぉぉぉッ!!」
殿下の宣言と共に歓声が上がり、開戦の銅鑼が鳴り響いた。
殿下は満足げに席に戻り、サングラスをかける。
「これで仕事は終わりだ。あとは高みの見物といこう」
「お疲れ様です、殿下」
私は飲み物を用意しつつ、観客席へ視線を走らせる。
イザベラ様の言葉が本当なら、この広い会場のどこかに家族がいるはずだ。
キョロキョロと視線を巡らせる。
「姉さん!」
一般観客席の一角から、よく通る少年の声がした。
振り返ると、最前列で大きく手を振る姿があった。
弟のエルヴィンだ。そしてその隣。
「……お母さん?」
私は目を疑った。
そこにはララーナ姉さんに支えられながらも、杖を使わずに自分の足で立っているお母さんの姿があった。
以前、実家に帰った時は杖が必要だったはずだ。
「リリアナ、こっちよ」
母が穏やかに微笑み、手招きをする。
私は殿下に一礼し、許可を得て駆け出した。
◇
「お母さん! 足はもういいの?」
「ええ、ララーナの新しい薬が効いたみたいでね。リハビリは大変だったけれど、貴女の働く姿も見たかったし、……あの子の晴れ舞台も見たかったからね」
お母さんの瞳には、かつての『ガラントの正華』と呼ばれた頃の知的な光と、母親としての温かい色が宿っていた。
隣でララーナ姉さんが、分厚い眼鏡を光らせてニヤリと笑う。
「ふふふ、新作の『筋肉活性化ポーション・改』の臨床実験……じゃなくて、治療の成果よ。副作用で一週間ほど身体が発光するけど、些細な問題よね?」
「……お母さんが夜間照明代わりになっていないことを祈るよ、ララ姉さん」
相変わらずのマッドサイエンティストぶりだが、結果を出しているのだから文句は言えない。
「姉さん、久しぶり。これ、お土産だよ」
私の影から音もなく現れたエルヴィンが、無造作に差し出したのは分厚い紙の束だった。
それは闘技大会の『的中済み賭けチケット』の山。
「……ねえ、エルヴィン。この大量のチケット、どうしたの?」
「ん? 仕事の成果だよ」
エルヴィンはポケットから、出場選手たちの詳細なデータが書き込まれたメモ帳を見せてくれた。
「酒場の噂話、選手の体調、控え室周辺の会話とか、情報を集めてたんだよ。勝敗の確率はお母さんに教えてもらったんだ」
「す、すごいね……」
「これで、みんなの旅費も浮いたし、新しいおもちゃも買えるんだ」
「相変わらず、いい仕事してるね」
私はエルヴィンの頭をわしゃわしゃと撫でる。
家族を見るが、やはりルルティア姉さんの姿がない。
思い出すのは、実家へ帰省した際の事。
『借金はチャラになったことだし、次はこの屋敷を堅牢な要塞にするよ!』
要塞化。つまり莫大な改築費用が必要ということだ。そして目の前には高額な賞金が出る闘技大会。
計算式は、あまりにも単純だった。
「やっぱり、今年も出てるんだね」
「もちろんよ。あの子ったら、『まずは家の周囲を鉄壁で囲む』って、朝から張り切っていたわ」
「鉄壁……」
やはり、ルルティア姉さんは家を砦にする気だ。
私が遠い目をしていると、お母さんが優雅に入場ゲートを指差した。
「見て、リリアナ。出てきたわよ」
その言葉を合図にしたかのように、実況アナウンスが響き渡る。
「さあ、お待たせしました! 次は予選第4ブロック! 今年もこの最強の女が帰って来たぞ! 辺境からの最強の刺客にして、二年連続大会優勝者! 我らが戦女神! ルルティア・フォレストォォォ!」
実況の声と共に、赤髪をポニーテールに束ねたルルティア姉さんが、革鎧姿で現れた。
手には使い込まれた木剣。だが、その木剣は鉄よりも硬い『鉄木』を削り出した愛刀だ。
大会王者の登場に会場のボルテージが最高潮に達する。
ルルティア姉さんは歓声に手を振ることもなく、ただ退屈そうにあくびをしている。
「始めぇぇぇッ!」
試合開始の声と共に銅鑼が鳴らされる。
対戦相手の大男が駆け出し、斧を振り上げるが、ルルティア姉さんは避ける素振りすら見せない。
「遅いね」
一撃だった。
ルルティア姉さんの見えない突きが炸裂し、大男が場外まで吹き飛ばされた。
開始3秒での決着。
「相変わらずだ……」
私は苦笑して小さく呟いた。




