第六十一話 違法建築物
「皆様、ご覧あそばせ! あの船底の色を! まるで一週間放置した雑巾のようですわ!」
「船員たちの制服もヨレヨレですわよ! カトレア様の頭上のイワシの方が、よほどパリッとしていますわ!」
運河の土手は、優雅なお茶会会場へと変貌していた。
イザベラ様とカトレア様が中央に陣取り、その後ろに総勢50名の令嬢たちが控える。
彼女たちは扇子を片手に、船を指差してはクスクスと笑い声を上げる。
イザベラ様の『取り巻き』と、カトレア様の『太鼓持ち』。
普段はいがみ合う二つの派閥が、今日ばかりは「あの船を罵倒する」という一点において、奇跡的なコンビネーションを見せていた。
その様子を見ながら、エステナが私の隣に並ぶ。
「効果的ですね。『集団心理』を利用した精神的圧力。リリアナ様、貴女の策ですか?」
「はい、バラスト公の弱点はプライドです。しかし、エステナ様の手腕も見事です。あの『太鼓持ち軍団』の統率、一糸乱れぬ罵倒のタイミング。全て計算されていますね?」
「当然です。罵倒の音圧レベルと周波数を調整し、最も不快に感じるリズムを指揮していますから」
エステナ様は無表情で恐ろしいことを言う。
彼女もまた、数字と効率で世界を見る同類だ。
「ええい、黙れ! 黙らせろ! 窓を閉めろ!」
バラスト公が船内に逃げ込もうとする。
精神攻撃は成功だ。
だが、これだけでは船は動かない。
「リリアナ、次の手よ! 視覚の次は『嗅覚』よ!」
「はい、手配済みです」
イザベラ様の号令と共に、土手に巨大な送風機と、調理器具が運び込まれた。
王都のカトレア様行きつけの高級料亭『清流亭』の料理人たちが駆けつけている。
「カトレア様、貴女の魚を少し分けていただけますか?」
「ええ、構わなくてよ。サバもイワシも脂が乗っていますわ! 炭火で豪快に塩焼きにしておやりなさい!」
焼き網の上で、大量の『脂の乗った肉』と『ニンニク』、そしてカトレア様が提供した『青魚』が焼かれ始めた。
ジュワァと暴力的なまでに食欲をそそる香ばしい肉と、皮目が焦げる青魚特有の脂の匂い、そして濃厚な白煙が立ち上る。
送風機が座礁した船へと送り込む。
「な、なんだこの煙は!? く、臭い! いや、美味そうな香りが……」
船上の船員たちがざわめき始める。
彼らは座礁してから数日、保存食の乾パンと塩漬け肉しか食べていない。
そこへ最高級のステーキと焼き魚の香りが直撃する。
「カトレア様、計算通りです。風速3メートル、湿度60%。匂いの粒子は船内換気口を通り、98%の確率で船員食堂と船長室へ到達します。空腹係数から予測するに、あと18分で暴動が発生します」
「素晴らしいわ、エステナ! さあ、干からびなさい!」
バラスト公がハンカチで口元を押さえながら叫ぶ。
「おのれ……このような卑劣な真似を! 誇り高きドルイドの民が、飯テロごときに屈すると思うな! 我々は動かん! 絶対に動かんぞッ!」
さすが一国の全権大使。食欲程度では動かない。
だが、それも想定内。
私は眼鏡を押し上げ、真の狙いである『法的解決』へ移行する。
「殿下、バラスト公は『動かない』と明言しました」
「ああ、確かに聞いたぞ。全会一致の証言だな」
「では、エステナ様。例の条文の確認をお願いします」
「はい、こちらに用意してあります」
エステナが分厚い法典を開き、該当箇所を指し示す。
私は頷き、懐から一通の書類を取り出す。
それは『王都港湾局』の公印が押された命令書だ。
「バラスト閣下! 貴殿が動かないと宣言されたことで、この船は『航行の意思がない』と見なされました!」
「それがどうしたというのだ!」
「よって本船は、『船舶』ではなく、河川を不法に占拠する『建築物』として認定されます!」
レトリックのすり替えだ。動かないなら、それはもう船ではない。ただの邪魔な建築物。
「建築物である以上、我が国の『建築基準法』が適用されます。……リリアナ調査官、監査を開始します」
私は小型ボートに乗り込み、船体に接近する。
虫眼鏡で船体をチェックし、次々と違反切符を切っていく。
「外壁の塗装剥離。景観条例違反です」
「排水の垂れ流し。水質汚濁防止法違反です」
「マストの高さが航空規制法に抵触しています」
「そもそも建築確認申請が出ていません。完全なる違法建築です」
私は拡声器で淡々と罪状を読み上げる。
「よって、これより『固定資産税』及び『違法占拠罰金』を徴収します。エステナ様、算出額をお願いします」
「はい。日割り計算、及び延滞金を含め、金貨1日5000枚です」
「ご、5000枚だとぉぉぉ!?」
バラスト公の目が飛び出そうだ。
船であれば停泊料で済むが、違法建築物となれば話は別。王都の一等地を占拠する巨大建造物の税金は、莫大な数字になる。
「ふ、ふざけるな! そんな法律が通るものか!」
「通ります。ここは王国の領土内です。外交特権は『公務』に適用されますが、『違法建築』は公務ではありません」
私は冷徹に告げる。
「支払いが滞れば、法に基づき『強制執行』……つまり積荷の差し押さえを行います」
「積荷だと……!?」
バラスト公が初めて動揺を見せた。
やはり、『外交機密』と言っていた積荷には、何か見られたくないものがあるのだ。
「イザベラ様、カトレア様、出番です」
「待ってたわ!」
イザベラ様が腕まくりをした『取り巻き軍団』に、そしてカトレア様が『太鼓持ち軍団』に合図を送る。
「さあ、皆様! 『強制執行』という名のお買い物タイムの始まりよ!」
「王家の近衛兵、及び港湾警備隊と共に、徹底的に監査なさい!」
私の要請で待機していた武装した近衛兵団と警備隊が、令嬢たちを護衛しながらボートを進める。
数と権力による制圧だ。
「や、やめろ! 来るな! 中を見るなぁぁぁ!」
バラスト公の絶叫が響く中、合法的略奪(税務調査)が始まった。




