第五十九話 情熱は、時に岩盤をも砕く
私たちは山の裏手、崖崩れの跡地へと向かった。
予想通り、岩の隙間から白い蒸気が噴き出している。
近付くと、熱気と共に硫黄の香りが漂ってきた。
「見つけたわ! 源泉よ!」
イザベラ様が岩肌から溢れる湯を指差し、声を上げる。
その横で、殿下が眉をひそめながら湯気を手で払った。
「だが、リリアナ。ここから川まで距離があるぞ。どうやってこの湯を運ぶというのだ?」
殿下の問いに、私はリュックから村で借りた大量のスコップと、即席の『工事計画図』を取り出す。
「土木工事です。ここから川の上流まで『水路』を引き、源泉を合流させます」
「待て。その大量のスコップは、まさか……」
「土木工事……? 私たちがするの?」
殿下の顔が引きつり、イザベラ様が小首を傾げる。
私は無慈悲に頷いた。
「はい、ここには便利な魔導重機などありません。頼れるのは、皆様の『人力』のみです」
私は振り返り、全員を見渡す。
イザベラ様、殿下、取り巻き軍団。そして様子を見に来たカトレア様とエステナ、さらに太鼓持ち軍団。
「カトレア様、エステナ様。皆様方にも手伝っていただきます」
「はあ!? なぜ、私が泥遊びの力仕事なんてしなければならないのよ!?」
「お断りします。それは非効率的かつ、私たちの義務ではありません」
二人は即座に拒否し、踵を返そうとする。
私は二人の背に向かって、冷ややかに告げる。
「そうですか。では王都に帰ってからの報告書には、『シュトゥルツフルート侯爵令嬢は、村の危機を前に協力要請を拒否し、自らの保身と衣服の汚れを優先した』と記しますが、よろしいですね?」
「なんですって……!?」
振り返ったカトレア様の視線が、ある一点で止まる。
そこには躊躇なく泥の中に足を踏み入れ、上等なシルクの上着を脱ぎ捨てる殿下の姿があった。
「次期、王たる俺が率先して動かねば、民には示しがつかんからな」
殿下は慣れた手つきでスコップを握り、覚悟を決めたように袖を捲り上げている。
「ここは王太子殿下の視察現場です。殿下が汗を流して作業される中、協力を拒否し、踵を返したとなれば、貴女方の『忠誠心』と『貴族の義務』が問われますから」
これが私の武器、正論と外堀埋めだ。
カトレア様がギリリと歯ぎしりをし、同時にエステナも表情を凍りつかせた。
カトレア様にとって非効率よりも許せないのは、『評価の低下』だ。
「くっ……やり方が汚いわよ、リリアナ!」
「汚いも何も、現場はいつだって泥臭いものです。さあ、こちらのスコップをお持ちください」
こうして高貴な令嬢たちによる、前代未聞の土木工事が始まった。
◇
「なぜ、私がこんなことをしなければならないのよぉぉぉ!!」
カトレア様が駄々をこねながらもツルハシを振るう。
泥が跳ね、顔にかかるが拭う暇もなく、薄汚れたペンギンになっていく。
「もっと腰を入れてください、カトレア様。それからペンギンの腹回りが邪魔です」
「う、うるさいわね! リリアナ、貴女こそ眼鏡が曇っていてよ!」
太鼓持ちたちも、泥だらけになりながらカトレア様を励ます。
「カトレア様! そのツルハシさばき、まるで荒れ狂う激流のようですわ!!」(太鼓持ちE)
「泥汚れたペンギンも高貴な精霊に見えます!」(太鼓持ちF)
「掘削のリズムが芸術的ですの!」(太鼓持ちG)
一方、イザベラ様は水を得た魚……いや、土を得た猪のようだった。
「おどきなさい! 私の情熱は、この硬い岩盤をも簡単に砕くのよ!」
「ガンッ!」と、イザベラ様がトレーニング用の鉄アレイで岩を叩くと、取り巻き軍団が一斉にさえずる。
「イザベラ様、ナイス粉砕ですわ!」(取り巻きL)
「我らが筋肉で運び出します!」(取り巻きM)
「道を開けなさい! イザベラ様の覇道のお通りですの!」(取り巻きN)
取り巻き二軍が土嚢を担ぎ、一軍が汗を拭くタオルを用意する。
その連携と作業速度は、カトレア軍団の三倍以上だ。
「信じられません。なぜ、あんなに動けるのです?」
エステナが息を切らせながら、呆然とイザベラ陣営を見ている。
彼女の計算では、令嬢の体力など数十分で尽きるはずだった。
「エステナ様、『動機』の違いです」
私はスコップで整地しながら淡々と答えた。
「貴女方はやらされていますが、イザベラ様たちは違います。イザベラ様は『殿下のために』、取り巻きの令嬢たちは『イザベラ様のために』動いています。愛と忠誠心は、時に計算を超越するのです」
「愛……非論理的です」
「はい。ですが現場を動かすのはいつだって論理より感情です」
その時、イザベラ様の声が響く。
「開通するわ!」
最後の岩が砕かれ、熱湯の奔流が掘り進めた水路へと流れ込む。
湯気がたつ水流が斜面を下り、冷え切った川へと合流する。冷水と温水が混ざり合い、川の水温が上昇していく。
しばらくすると、下流の畑では凍りついていた作物の霜が溶け、緑が戻り始めた。
「……適温ですね」
私が水温計を見て告げると、現場に歓声が上がる。
そこにはもう敵も味方も関係ない。
泥だらけの令嬢たちが手を取り合って喜びを分かち合う。
「や、やりましたわ!」
カトレア様も、いつの間にか笑顔で太鼓持ちとハイタッチをしている。
エステナはその光景を見て、ふっと息を吐き、眼鏡を外して泥を拭った。
「……また私の負けです、リリアナ様」
「別に勝負などしてませんよ」
「いいえ、私は人を『駒』として管理していましたが、貴女は人を『仲間』として動かしました。その差が、この結果です。今回のデータは脅威として記録し、再計算します。ですが……リリアナ様のやり方を、少しだけデータに入れておきます」
「それは光栄です」
私は泥で曇った眼鏡を指で拭う。
すると、エステナも同じタイミングで眼鏡を外し、泥を拭っていた。
視界がクリアになると、目の前には同じように泥だらけで、眼鏡を握りしめた彼女がいる。
鏡写しのような光景。
私たちは言葉を交わすことなく、ほんの少しだけ、互いに口の端を緩めた。
殿下が、ふっと息を吐く。
「……行くぞ。帰還だ」
◇
夕日の中、馬車は王都へと進む
ダムの詰まりも、冷水病も解決し、ようやく平和な日常が戻ってくる。
私はふと、窓の外を流れる川に目を向けた。
王都へと続くこの川は、いつもなら多くの商船が行き交い、活気に満ちているはずだ。
だが、今日は一隻の船も見当たらず、川面は不気味なほど静まり返っている。
まるで、巨大な何かに塞がれてしまったかのようだ。
「おかしいですね……」
私の小さな呟きは、馬車の車輪の音によってかき消された。
その静寂の理由を、私たちは、まもなく知ることになる。
これにて第五章が終わり、第六章へ進みます。
と、その前に【番外編】をいくつか投稿します。
引き続き、よろしくお願いいたしますと共に、
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