第五十八話 論理より感情
王立ダムでの『肉塊投下作戦』による物理的な解決から一夜が明けた。
川には水が戻り、村は喜びに包まれている……そのはずだった。
目が覚めると、アルド村は季節外れの冷気に包まれていたのだ。
「寒いな……」
テントから出てきたアレクセイ殿下が、身震いしながら腕をさする。
昨日の暑さが嘘のような肌を刺す寒気。
川霧が立ち込め、畑の作物の葉まで白く凍りついていた。
「あなた! でしたら、私が暖めて差し上げますわ!」
どこからともなく現れたイザベラ様が、闘牛の勢いで殿下に突進する。
「待て、イザベラ! 今はそのような……ぐはっ!」
後退る殿下に、問答無用の愛の抱擁という名のタックルが炸裂した。
「どうです? 私の燃えるような愛で、寒さなど吹き飛びましたでしょう?」
「……ああ。寒さと共に俺も吹き飛んだがな」
殿下は腰を押さえて、よろめきながら立ち上がる。
イザベラ様が「殿下の温もりですわ!」と満足気だったが、やはり寒かったのか、頭から極彩色の毛布を被った。
確かに、この寒さは異常だ。
辺りを見渡していると、視界の端で何かが動いた。
真っ白な雪道を、村長が慌てて駆け寄ってくる。
「殿下、大変です!」
「村長か。また何かあったのか?」
「それが村に水は戻ったのですが、水が冷たすぎるのです。ダムの底から流れてきた水のせいで、川の水温が急激に下がっているのです。このままでは、冷気で作物が全滅してしまいます!」
私はハッとして川に手を入れる。
痛いほどに冷たい。まるで氷水だ。
「『冷水病』ですね」
私は即座に状況を理解した。
ダムの底の深層水は、夏場でも水温が4度近くまで下がっている。
昨日のイザベラ様の作戦で、底に溜まっていた冷たい水が放出された結果、下流の環境が激変してしまったのだ。
「ダムの詰まりは解消しましたが、『温度差』が新たな牙を剥きましたか」
「なっ……!? せっかく流してあげたというのに、冷たすぎるなんて贅沢だわ!」
イザベラ様が心外だとばかりに頬を膨らませる。
そこへ、カトレア様とエステナが現れた。
カトレア様は昨日の水難で高級ドレスがダメになり、今は予備のペンギンの着ぐるみ(ルームウェア)を着て、自慢気に腕を組んでいる。
「ふっふん、所詮は野蛮な解決策の末路ね。ただ水を流せばいいという、短絡的な思考が二次災害を招いたのよ」
カトレア様が鼻で笑うと、背後の『太鼓持ち軍団』が即座に反応する。
「その通りですわ、カトレア様!」(太鼓持ちB・C・D)
「このペンギン姿すら計算されたラフさ!(太鼓持ちE・F・G)
「カジュアルな水神様ですの!」(太鼓持ちH・I・J・K)
太鼓持ちたちは、どのような状況でもカトレア様を持ち上げることを忘れない。
側に控えるエステナが眼鏡を押し上げ、冷徹に言い放つ。
「私の計算によれば、この冷水放出が収まるまであと一週間はかかります。その間、村の農業被害は甚大。リリアナ様、貴女の主人が引き起こした『人災』ですよ」
今や私の主人はイザベラ様ではないが、エステナの言葉は正論だ。
イザベラ様が唇を噛む。
「私のせいで村を冷やしてしまったとでも仰る気?」
「そうよ、イザベラ! 責任を取って、貴女のその無駄に暑苦しい情熱で川を温めたらどうかしら? 何年かかっても無理だけれど!」
「何ですって!? 飛べない鳥がよく吠えるわね!」
「分かってないわね! 飛べないのは地に足がついているからよ!」
「ふふん、そのペタペタとしたヨチヨチ歩きで?」
「ふっふん、やっぱり分かってないわ! このヨチヨチ歩きは重心を低く保ち、空気抵抗を極限まで減らした『流体力学』の極致! 計算され尽くしたフォルムなのよ!」
カトレア様がドヤ顔で胸を張ると、背後の太鼓持ち軍団が一斉に声を上げる。
「カトレア様は大気の波を泳ぐ『ヨチヨチウォーク』をしているのですわ!」(太鼓持ちB・C・D)
「氷上の覇者の動きを取り入れた『水の化身よ!」(太鼓持ちE・F・G)
「陸にいながらにして海を感じさせる、高貴な揺らぎですの!」(太鼓持ちH・I・J・K)
称賛の嵐に、カトレアの鼻息が荒くなる。
だが、イザベラ様の背後に控える『取り巻き軍団』も黙ってはいない。
「なんと滑稽なことでしょう! それはただの体幹不足ですわ!」(取り巻きB・C・D)
「揺らぎですって!? いいえ、ふらついているだけですわ!」(取り巻きE・F・G)
「陸で溺れる鳥ですの!」(取り巻きH・I・J・K)
両陣営の令嬢たちが火花を散らして睨み合う。
もう収拾がつかない。
殿下は腰をさすりながら、「こんな時にまで、こいつらは何を言い合っているのだ……」と呟く。
私はエステナと顔を見合わせた。
「カトレア様、挑発に乗らないでください」
「イザベラ様も、ペンギ……カトレア様と張り合わないでください」
「ちょっと、リリアナ! 貴方までペンギンと言ったわね!?」
「いえ、カトレア様。ただの聞き間違いです」
私はしれっと答え、話を戻すために呆然としている村長の方を向いた。
「村長、解決策ならあります」
私の声は平坦だが、よく皆に聞こえたようだ。
不毛な罵り合いをしていたイザベラ様とカトレア様がピタリと止まり、全員の視線が私に集まる。
村長が縋るような目で身を乗り出す。
「ほ、本当ですか!? この冷え切った川を温める方法があると言うのですか!?」
「はい、単純な物理の問題ですから」
私が断言すると、背後から冷ややかな声が掛かる。
エステナだ。彼女は手元の魔導計算機を高速で操作し、数値を確認しながら私の前に立ち塞がる。
「リリアナ様、わたしの計算では、この水量を温める熱源など存在しません」
「机上の計算にはないでしょう。ですが『現場』にはあります」
私は村長に向き直る。
「村長、この村の地図を見せてください。昨日、ダムの堰堤で肉塊を落とした時、地響きと共に微かに『硫黄の匂い』がしました」
「硫黄ですか? ……ああ、そういえば昔はこの山の裏手に湯が湧く場所があったと聞きます。それに有名な『白銀温泉郷』もそう遠くはありませんから、地脈が近くても不思議ではありませんが……」
「昨日の衝撃が原因で、地層にヒビが入った可能性があります」
私は殿下とイザベラ様を見る。
「行きますよ、水が冷たいなら、お湯を足して適温にすればいいだけのことです」
「なるほど! さすがリリアナだわ!」
イザベラ様が扇子でパンッと手を打ち、瞳を輝かせる。
「つまり川全体を巨大なスープに見立てて、熱い出汁(温泉)を注ぎ込み、弱火で煮込むのね!」
「……まあ、大体そんなところです」
「素晴らしいわ! 冷めた料理など貴族の恥! 今すぐ温め直すわよ! 源泉を探し出し、この川を最高の飲み頃に仕上げるわよ!」
「ふっふん、大きく出たわね。どうせ無駄足に終わるに決まっているわ」
カトレア様がペンギンの翼(袖)をパタパタと振って鼻で笑う。
「いいわ。その無様な失敗を、この私が特等席で笑って差し上げるわ!」
「カトレア様、山道は足元が悪いのでお気を付けて。そのヨチヨチ歩きでは転びますよ」
「だから、これは計算された流体力学だと言ってるでしょう!」
騒ぎながらも、カトレア様とエステナも同行することになったようだ。
殿下は「やれやれ」と肩をすくめ、私に目配せをする。
「行くぞ、リリアナ。しかし本当に温泉などあるのか?」
「可能性は高いです。それにイザベラ様の『食への執念』が絡む時、奇跡は必然に変わりますから」
私は地図を丸め、リュックを背負い直す。
湯けむりを求めて、山の裏手へと足を進めたのである。




