第五十五話 ミハイル・フォン・グラン・カイゼル
「やあ、兄上。お久しぶりです。お忍びデートですか? 仲が良いのは素晴らしいことですね」
ミハイル殿下は、暴徒の前にいるとは思えない優雅さで、ニコリと微笑んだ。
そして、呆気にとられる元締めとの距離を一瞬で詰める。
近い、鼻先が触れそうなほど近い。
「ねえ、そこの彼」
「あ、あぁ……?」
「せっかくの楽しいお祭りだ。そんな物騒な木槌を振り回すより、みんなで美味しいものを食べた方が幸せだと思わないかな?」
ミハイル殿下は小首を傾げ、元締めの肩にポンと手を置いた。
「君の部下たちも、お腹一杯になって幸せそうじゃないか。君もそうした方がいい。……ね? まさか、この国の楽しい夜を、君の手で壊したいわけじゃないよね?」
言葉は丁寧だ。だが、その瞳の奥には『拒否などという選択肢はこの世に存在しない』という、絶対的な圧力が渦巻いていた。
命令ではない、『同意』の強要だ。
「あ、あぁ……そ、そうだな……」
歴戦の元締めが引きつった笑みを浮かべ、後退る。
本能が告げているのだ。この優しげな青年に逆らえば、社会的に、あるいは物理的に消されると。
――その時だった。
カトレア様の屋台から悲鳴のような歓声が上がる。
「ミ、ミミミミハイル様ぁぁぁぁ!?」
カトレア様が手にしたバチを取り落とし、両手で頬を押さえてクネクネと身悶え始めた。
先ほどまでの『濁流の女帝』のオーラは消え失せ、そこに恋する乙女がいた。
「嘘……幻覚!? いいえ、あの神々しいオーラは本物! 外交ツアーで遠国にいらしたはずのミハイル様が、なぜここにいるんですの!?」
「やあ、カトレア嬢。久しぶりだね。君の元気な声が聞こえたから、つい寄ってしまったよ。相変わらず濁流のように激しいね」
ミハイル殿下がキラキラと手を振る。
その瞬間、カトレア様の脳内リミッターが弾け飛んだ。
「きゃあぁぁぁ!! 私に会いに来てくださったのですわね!? 運命! これぞデスティニー! 水平隊、陣形変更! 『恋の包囲放水』ですわ!」
「「カトレア様の恋路を阻む障害物を排除しますわ!」」(太鼓持ちB〜K)
カトレア様はドレスの裾を翻し、元締めたちを押しのけ、ミハイル殿下へ突撃する。しかし太鼓持ち軍団(水平隊)の動きはさらに早かった。
太鼓持ちたちが、ミハイル殿下への道を塞いでいたゴロと手下たちを、オールと素手で薙ぎ払う。
もはや、そこに令嬢の姿はない。主の恋路のための暴力的な道路工事だ。
「お、お前ら、なんで俺を!? ぶべっ!?」
ゴロが弾き飛ばされ、イザベラ様の屋台の柱に激突する。
カトレア様は目もくれず、ミハイル殿下の前で急停止し、媚びるような態度取る。
「ミハイル様、お帰りなさいませ。このカトレア、噴き上がる噴水の如く、抑えきれずにお待ちしておりましたわ!」
「うん、そのようだね。それと、その帽子。とても独創的で素敵だよ。君にしか似合わないね」
「まあ、素敵だなんて……! そうですわ! 喉が渇いていらっしゃるでしょう!? 私の『愛のかき氷』を召し上がって!」
カトレア様は山盛りのかき氷を差し出す。
だが、そのスプーンの持ち方は、明らかに「あーん」を狙っている。
「さあ! 口を開けてくださいませ! 私の愛が溶けないうちに!」
「あはは、美味しそうだね。でも、僕は今、手が塞がっているんだ。残念だなあ」
ミハイル殿下はスルリと体をかわし、いつの間にか私の隣に移動していた。
そして、私の手から麦茶の入った紙コップを自然に奪い取った。
「うん、今はこんな素朴な味の気分なんだ。……リリアナ事務官だったかな? これ、美味しいね」
「あ、はい……」
カトレア様がスプーンを持ったまま硬直する。
「……ミハイル様? 私の氷より、その地味な麦茶を……?」
「ああ、ごめんね。君の氷は芸術品すぎて、僕には勿体ないから。見て楽しませてもらうよ」
「見て楽しむですって!? つまり、私の作った氷越しに、私を見てくださるということですわね!? キャーッ! 焦らしプレイですの!」
超ポジティブ変換。
カトレア様は「水平隊! 喜びの水舞を!」と叫び、太鼓持ちたちが謎の盆踊りを始めた。
カオスだ。暴れる的屋、恋に狂うカトレア様、踊る太鼓持ち軍団。
その中心で、イザベラ様が不満げに腕を組む。
「騒がしいですわね。ミハイル様、帰っていらしたなら連絡くらい寄越しなさいな」
「やあ、イザベラ嬢。いや、これからはイザベラ義姉さんだね。貴方も相変わらず情熱的だね。その焼きそばからは凄まじい匂いがするよ」
ミハイル殿下はイザベラ様に対しては、少しだけ砕けた口調になる。幼い頃から、アレクセイ殿下を追い回すイザベラ様を見て育ったためだろうか。一種の猛獣使いと猛獣のような信頼関係があるように見えた。
「あら、お腹が空きましたの? なら、貴方にも『全部乗せ』を作ってあげましてよ?」
「いや、遠慮しておくよ。兄上の胃袋を独占するのは悪いからね」
ミハイル殿下は笑顔で拒否し、壁際に縮こまっているゴロたちに向き直った。
「さて、お祭り騒ぎもいいけど、彼らの処遇を決めないとね」
ミハイル殿下の瞳が、スッと細められる。
その瞬間、場の空気が凍りついた。
「ねえ、君たち。僕の義姉さんと、可愛いカトレア嬢の邪魔をした罪は重いよ? でもさ、僕は平和主義者なんだ」
彼は静かに、しかし優雅に指を二本立てた。
「君たちには二つの選択肢がある。一つは衛兵に引き渡されて、暗い地下牢で夏を終えること。もう一つは……」
ミハイル殿下はイザベラ様の屋台と、カトレア様の屋台を交互に指差した。
「この個性的な二つの屋台で、祭りが終わるまで『呼び込み』と『下働き』をして、売り上げに貢献すること。どちらがいいかな? もちろん働く方を選ぶよね? ね?」
ゴロと手下たちは、イザベラ様の巨大ヘラと、カトレア様の氷削り機、そしてミハイル殿下の笑顔を見比べた。
地獄の強制労働か、牢獄か。
「は、働かせてくだせぇ!!」
「一生ついていきますぅぅ!」
男たちは即座に土下座した。
ミハイル殿下は満足げに頷き、アレクセイ殿下の方へ振り返った。
「兄上、解決しましたよ。これで僕も、ゆっくりお祭りが楽しめそうです」
「余計な仕事を増やしおって。相変わらず、お前の『お願い』は、命令より質が悪いな」
アレクセイ殿下が頭を抱える横で、カトレア様が「ミハイル様と屋台番に!? 同棲生活の予行演習ですわ!」と気絶寸前になっていた。
「さあ、働きなさい! 罪滅ぼしの時間よ!」
「おーほっほっ! キリキリ動くのですわ! 私の愛の結晶(氷)を削り出しなさい!」
ミハイル殿下の『お願い』により、的屋の元締めと手下たちは、二つの屋台の従業員として組み込まれた。
そしてこれが、まさかの化学反応を生むこととなる。
イザベラ様の屋台では、元締めが、その巨体と腕力を活かして『特注ミスリルヘラ』を握る。
「へい! らっしゃい、らっしゃい!」
カンカンッ! 元締めが熟練の手つきで、巨大ヘラを振るう。
イザベラ様だと『破壊』になっていた高級食材が、豪快な鉄板焼きへと昇華されていく。
「イザベラのお嬢ちゃん! 火力が強すぎる! 少し弱めてくれ!」
「生意気よ! でも……従うわ! 取り巻き軍団、炭の調整を!」
イザベラ様の情熱的な食材供給と、的屋テクニックが融合し、香ばしい匂いが漂い始めた。
一方、カトレア様の屋台では、手下たちが『手回し式・氷削り機』の動力源となっている。
「大渦の如く回しなさい! 止まることは許さないわ!」
屈強な男たちが死に物狂いでハンドルを回すことで、氷削り機は安定した高速回転を維持した。
「おーほっほっ! 素晴らしい雪質ですわ! これならシロップもよく絡むわ!」
そして、このカオスな現場を統括するのが、ミハイル殿下だ。
彼は通りゆく人たちに向かって、極上の微笑みを投げかける。
「やあ、王都の皆。楽しんでいるかな?」
その声に、女性客たちが吸い寄せられる。
「ミ、ミハイル様だわ!」
「キャーッ! こっち向いてぇぇぇ!」
黄色い歓声が上がる中、ミハイル殿下はウィンク一つで群衆を静める。
「イザベラ義姉さんと、友人のカトレア嬢が、君たちのために『究極のセット』を用意してくれたんだ。熱々の焼きそばで汗をかき、冷たいかき氷で整える。どうだい? 試してみたいと思わないかな?」
「た、食べたいです!」
「ミハイル様のおすすめなら!」
瞬く間に客が押し寄せてくる。
「へい、お待ち! 特製焼きそば一丁!」
「貴方、ソースが足りないわ! 金粉マシマシで!」
「へいよ! ……って、金粉かけすぎて原価どうなってんだこれ!?」
「「セイヤッ! ソイヤッ! 納品! 納品!」」
「氷、お待ち! 頭がキーンとするぜ!」
「おーほっほっ! もっと回しなさい! 愛の回転数が足りなくてよ!」
「「ミハイル様、こっち向いてー!」」
鉄板の熱気、氷の冷気、太鼓のリズム、そして王子への歓声。
全てが混ざり合い、とてつもない熱狂が渦巻く。
元締めたちも次第に客の笑顔と売上の勢いに当てられ、目を輝かせていた
「悪くねえな! こういう真っ当な商売もよ!」
「兄貴、すげえ売れ行きですぜ!」
祭りのフィナーレ、花火が上がる頃には、用意した高級食材も、巨大な氷塊も、全て底をついた。
◇
祭り終了後。
私たちは心地よい疲労感と、胃もたれと共に、片付けられた屋台の前に座り込んでいた。
「やりきりましたわ……。これぞ、王妃の務め……」
「ミハイル殿下に、私の愛が届きましたかしら……」
その横で、元締めたちが地面に大の字になって息を切らせている。
「死ぬかと思った……」
「でも、楽しかったっすね、兄貴」
「……ああ。憑き物が落ちた気分だ」
「お疲れ様、君たち意外といい動きだったよ。どうかな? このまま王宮の厨房や、土木課で働いてみる気はないかい? 君たちのその体力を地下牢で腐らせるには惜しいからね」
「え……?」
「もちろん断ってもいいけど……その場合は、カトレア嬢の屋敷で『氷削り係(永久機関)』になってもらうことになるけど、別にいいよね? ね?」
「「お、王宮で働かせてください!!」」
即答だった。
こうして、王都の治安悪化の一因だった組織が、物理と笑顔によって解体・再就職させられたのだった。




