第五十話 正規ルート全滅につき
サザン・ビーチの宿である、イザベラ様の別荘『ヴィラ・イザベラ』。
部屋に荷物を放り込むや否や、リビングでイザベラ様の悲鳴が上がる。
「ダメよ! こんな布きれでは、あの女に勝てないわ!」
イザベラ様が床に叩きつけたのは、王都の最高級ブランド『ローゼンバーグ』の新作水着だ。
深紅のシルクに金糸の刺繍。本来ならビーチの視線を独占できる逸品だが、今のイザベラ様の目には、ただの地味な水着に映っているようだ。
「落ち着いてください、イザベラ様。それは一着で家が建つほどの高級品です」
「値段なんて関係ないわ! 問題なのは『インパクト』よ!」
イザベラ様が窓の外、カトレアのいる方向を指差して叫ぶ。
「リリアナも、あいつの頭を見たでしょ!? 『南国のフルーツ盛り合わせ』よ!? あんな歩く青果市場みたいな暴力的なインパクトを見せつけられて、この上品な水着では太刀打ちできないわ!?」
「確かに、あのフルーツ盛りの隣に並べば、この水着はただの背景と化すでしょう」
『ミス・マーメイドコンテスト』は、審査員票に加え、観客の投票数で決まる。
観客は遠くのステージを見るのだ。繊細な刺繍より分かりやすい『派手さ』と『狂気』こそが票に繋がる。
「リリアナは素材を集めてちょうだい! 私はこの水着をベースに、カトレアの帽子よりも目立ち、かつ私の美貌を神レベルまで押し上げる『最強の戦闘服』を再設計するわ!」
「承知しました。では、私は手段を選ばず『盛れる素材』をかき集めてきます」
私は、イザベラ様の「もっと派手に! もっと輝きを!」という無茶振りを叶えるため、資材確保に走ることになった。
◇
私はリストを片手に、ビーチ沿いの商店街に到着した。
予算ならある。SOS婚騒動で頂いた特別ボーナス。足りなければ、あとでイザベラ様に請求すればいい。
金で解決できるなら、私の仕事は簡単だ。
――そう、思っていた。
「申し訳ありません、お客さん。その赤い生地は売り切れでして……」
一軒目の生地問屋で、店主が申し訳無さそうに頭を下げる。
「売り切れですか? そんなはずはありません。ここは王家御用達のリゾート地。在庫は潤沢なはずです」
「ええ、ですが今朝一番に、『シュトゥルツフルート侯爵家』の代理人の方がお見えになりまして……」
店主は困ったように頬を掻いた。
「当店の在庫どころか、倉庫にある予備、さらには来週入荷予定の分まで、全て『独占契約』を結んでいかれたのです」
「独占契約ですか……?」
「はい、『当店の青い帽子に合う素材以外は扱わない』という条件で、言い値の2倍で買い上げてくださいました」
「そうですか」
私は眉をひそめ、次の店へ向かう。
花屋、宝石商、食材問屋、さらには屋台に至るまで、どこへ行っても答えは同じだった。
「カトレア様が買い占めました」
「法的な契約書にサインしてしまったので、他には売れません」
「違約金が莫大すぎて……」
すべてのルートが塞がれている。
単なる買い占めではない。法的な拘束力を持つ『短期集中独占契約』によって、サザン・ビーチの物流そのものがガチガチに固められていた。
「やられましたね」
私は浜辺のカフェテラスでトロピカルジュースを睨みつけながら呟いた。
これは間違いなく、エステナの仕業だ。
彼女は私の動きを完全に予測し、私たちが到着するよりも早く手を回し、『兵站』を断ったのだ。
金はあるが、物が買えない。
これこそが彼女の言う『管理による支配』か。
その時、カフェの向かいの席に、音もなく誰かが座る。
潮風に揺れる青髪のボブカット、青縁眼鏡、エステナ・オーシャンだ。
彼女は手元のバインダーを見つめたまま、私を見ずに言った。
「何をしても無駄です。現在時刻14時30分15秒。リリアナ様、貴女が確保できた物資はゼロ。対して、わたしは主要なサプライヤーの95%を押さえました」
「随分と徹底的ですね。これだけの契約を結ぶのに、どれだけの予算を使ったのですか?」
「予算ですか? もちろん最小限です」
エステナは眼鏡を光らせ、資料をめくる。
「わたしは『一括購入割引』と『期間限定のネーミングライツ(命名権)』を組み合わせ、さらに『他店への牽制条項』を入れることで、市場価格の8掛けで契約しました。貴女のように、その場その場で現金をばら撒くような非効率なやり方はしません」
……ぐうの音も出ない。
彼女は完璧な事務処理能力と法的知識で、合法的、かつ安価に市場を独占したのだ。
理屈の上では、私の完敗。
「諦めてください。イザベラ様には『型落ちの水着』と『萎れた花』がお似合いです。それが計画性のない者への罰です」
エステナは勝利宣言を残し、立ち去ろうとする。
その背中に向かって、私はストローでジュースの底をズズズッと音を立てて吸い切り、不敵に笑いかけた。
「計画性ですか。ですが、エステナ様。貴女は一つ見落としていますよ」
「何を見落としているというのですか?」
「貴女のデータにあるのは『正規の商業ルート』だけだということです」
私は立ち上がり、エステナを真っ直ぐに見据える。
「私はこれまで『納期まであと一時間』『予算消滅』『仕様のちゃぶ台返し』といった地獄のデスマーチを生き抜いてきました。正規ルートが閉ざされているなら、『規格外』の方法で強行突破するだけです」
「強がりですね。この短時間で何ができると言うのです?」
「『市場』以外に頼ればいいだけのことです。私たちには、『プロフェッショナル』がいますから」
私はエステナに言い捨てて、その場を去った。
◇
「正規ルートが全滅ですって……!?」
イザベラ様が驚きのあまり、バサリと扇子を取り落とす。
それが合図だったかのように、背後の取り巻き軍団が一斉に崩れ落ちた。
「嘘ですわ!」(取り巻きB・C・D)
「信じられません!」(取り巻きE・F・G)
「この世の終わりですの!」(取り巻きH・I・J・K)
久しぶりにうるさい。実にうるさい。
私は鼓膜を守るために耳栓を取り出しながら、冷静に次の言葉を待った。イザベラ様がベースとなる真紅のビキニを握りしめ、全身を震わせている。
取り巻き軍団も絶望的な顔で立ち尽くす。
殿下は木陰のハンモックに避難し、サングラスの奥で虚無の瞳を浮かべている。その口元には、ウナギのタレの痕跡がわずかに残っていた。
「リリアナには悪いが、一足先に俺は『特上ウナギの蒲焼』を食べてきたが、期待外れだった。タレの香りはしたが、驚くほど味がしなかったのだ。……まあ、こんなことは初めてだが、精をつけるという目的は達成された。……イザベラ、物が売り切れているなら仕方ない。帰るぞ」
殿下、それはララーナ姉さんの『特製ポーション』の副作用ですと、私はその残酷な真実を、そっと胸の内にしまった。
「帰るですって!? ありえませんわ! ここで逃げ帰れば不戦敗になりますの! 一生あの女に笑い者にされますわよ!」
イザベラ様は殿下を一喝して黙らせると、再び手元の水着に視線を落とし、悲痛な叫びを上げた。
「これじゃあ、ただの水着じゃない! カトレアのあの巨大なフルーツ帽子に対抗するには、背中に孔雀の羽根を背負い、全身を発光させるくらいのインパクトが必要なのよ!」
「お嬢様、申し訳ないのです……」
ミミが泣きそうな顔で針を持っている。
絶体絶命の状況だが、私には勝算があるのだ。
「取り巻き二軍の皆様、今こそ出番です!」
その呼びかけに、タンクトップに短パン姿の、引き締まった肉体を持つ令嬢たちが一斉に顔を上げた。
夏の園遊会で、命がけで幻の食材をゲットした精鋭たちだ。現在はイザベラ様の私設親衛隊兼、荷物持ちとして同行していた彼女たちが、ビシッと整列する。
「お呼びですか、リリアナ教官!」
先頭に立つ『取り巻きL』が敬礼した。
そのたくましい腕には美しい筋肉が浮き上がっている。
「状況を説明します。現在、正規の資材ルートは全滅しました。カトレア陣営の完全封鎖によるものです」
「なんと!?」
「そこで貴女たちに任務を与えます」
私はテラスから海と、裏手の森を指差す。
「エステナが市場を支配したとしても、自然界までは支配していません。この海には、カトレア様のフルーツよりも美しい『天然の宝石』――真珠貝や、色鮮やかなサンゴ、流木なども落ちています。さらに森には美しい鳥の羽根や南国の花が咲いているはずです」
私はニヤリと笑う。
「園遊会の時の『激流下り』や『猛獣狩り』に比べれば、サザン・ビーチの素潜りなど、貴方たちからすれば温水プールのようなものです」
その言葉に、二軍たちがニカッと白い歯を見せた。
「「承知いたしました! 私たちにお任せください! 必ずや最高級の素材を根こそぎ獲ってきます!」」(取り巻きL〜U)
彼女たちはドレスを脱ぎ捨てると(すでに下は競泳水着)そのまま銛と籠を持って海へと駆け出した。
「一軍の皆様もお手伝いください。浜辺に打ち上げられたシーグラスや貝殻を拾うのです」
「は、はい!」
「急ぎましょう。日没までが勝負です」




