第四十九話 似た者同士の好敵手
記者会見から数日後。
王太子執務室に冷やしたタオルを首に巻き、虚空を見つめるアレクセイ殿下の姿があった。
「……リリアナ、首が回らぬ」
「物理的にですか? それとも予算的にですか?」
「両方だ。イザベラが『結婚式の延期記念パーティー』なる謎の祝賀会を企画し、予算を食い潰そうとしている。そして俺の頸椎は、あのヘッドロック以来、右に45度以上向くと悲鳴を上げるのだ」
殿下は、さらにげっそりしている。
無理もない。国民からは「殿下の首が折れるのが先か、無事に式を挙げられるのが先か」という賭けまで行われている始末。さらに新聞には連日、『殿下の首、今日も持ち堪える!』『愛のコルセットが必要か?』という見出しが踊っている。
ララーナ姉さんに首に効く薬でも送ってもらおうかなと思っていた、その時だ。
「バンッ!」と、執務室の扉が轟音と共に吹き飛んだ。
「リリアナ、大変よ! 夏真っ盛りよ!」
砂煙の向こうから現れたのは、真紅のハイビスカス柄のサマードレスを纏ったイザベラ様だ。
背後には、なぜか浮き輪やパラソルを持った『取り巻き軍団』が控えていた。
「今日はどうされたのです、イザベラ様? また、すでに受理された『婚約誓約書』の規約を修正しろと仰るのですか?」
「違うわ! それならもう諦めたわよ! あら? あなた、首が傾いていましてよ?」
「誰のせいだと思っているのだ……」
「いったい誰がそんな酷いことを……あ、さては寝違えですわね? しばらく安静にしていれば治りますわ。……そうだったわ! リリアナ、これを見なさい!」
イザベラ様が、私のデスクに一枚の派手なポスターを急に叩きつけた。
『王家御用達リゾート・サザンビーチにて開催!
〜大花火大会&全国うまいもの市~』
「花火大会とフードフェスですか。いいですね。焼きとうもろこしに、りんご飴、それから冷えたエール……」
「そこじゃないの! もっと下よ! 隅をよく見なさい!」
私が眼鏡を押し上げて確認すると、ポスターの右下に小さく、しかしイザベラ様にとって最も重要なイベントが記されていた。
『同時開催:ミス・マーメイドコンテスト(※自由参加)』
「水着コンテスト。あくまで祭りの余興のようですが?」
「よ、余興ですって!? これこそがメインイベントでしょう! 結婚式が延期になった今、私がするべきことは一つだわ! 国民の皆様に次期王太子妃の健康的な美貌と、完璧なプロポーションを見せつけて安心させることよ!」
……要するに、誰よりも目立ちたいだけだった。
イザベラ様は純金の骨組みに大粒のルビーが埋め込まれた夏仕様の『特注扇子』を、バシバシと手のひらに叩きつける。
その真紅の扇面には、極太の金糸で『太陽は私の引き立て役!』と、刺繍が施されていた。
「それにこれは、ただの水着コンテストではないの! 審査員長の欄を見てちょうだい!」
そこには見慣れない名前が刻まれていた。
『大会名誉審査員長:カトレア・フォン・シュトゥルツフルート侯爵令嬢』。
「シュトゥルツフルート……」
「そうよ! 私の幼馴染にして、最大の腐れ縁! 通称『濁流の女帝』こと、カトレアよ!」
イザベラ様がギリギリと扇子を噛み締める。
「カトレアったら、私が結婚式の準備で忙しい隙を狙って、王家の夏の聖地である『サザン・ビーチ』の花火大会の実行委員長の座を奪い取っていたのよ! それに、こんな手紙まで寄越してきたの!」
イザベラ様が青い封筒を私のデスクに叩きつけた。
達筆で文字が流れるように……いや、溺れるように書かれている。
『ごきげんよう、イザベラ。
新聞を拝見しましたわ。何でも大切な結婚式を、売れ残りの在庫処分するかのように無茶な日程で迫ったようですわね。
さらにアレクセイ殿下の首を締め上げるなんて、とても正気じゃないわ。相変わらず野蛮で余裕がなくてよ?
愛も肌もカサカサの貴女と違って、今年の夏の覇権は潤いたっぷりの私がいただくわ。
もっとも貴女のその貧相なドレスセンスじゃ、私の洗練された新作『帽子』の足元にも及ばないでしょうけれど。
悔しかったら浜辺にいらっしゃい。
私が貴女の時代遅れで暑苦しい情熱ごと、綺麗に洗い流して差し上げるわ。おーほっほっ!』
「……むきいぃぃぃ!!」
イザベラ様が絶叫し、窓ガラスがガタガタと震える。
「許せないわ! 私のドレスセンスを愚弄するなんて! リリアナ、秒で支度なさい! 今すぐサザン・ビーチへ行くわよ! 汚水出しっぱなしの蛇口女を干上がらせてあげるわ!」
「汚水の蛇口女ですか……」
殿下は「俺は行かんぞ。人混みは首に悪い」と抵抗したが、私はポスターの『全国うまいもの市』を見て、即座に決断する。
「殿下、すぐ行きましょう。海風は湯治に良いと聞きます。それに経費で『特上ウナギの蒲焼』が食べられるかもしれません」
「……ウナギか。精がつくなら悪くはないか」
「はい、国家中枢を担う御身が疲弊したままでは、それ自体が国益の損失です」
「確かに首が動かぬ以上、政務の効率も悪いからな」
こうして私たちは、それぞれの思惑(イザベラ様は復讐と露出、私と殿下は食欲と保養)を抱き、サザン・ビーチへと向かうことになった。
◇
馬車に揺られること数時間。
私たちは王国有数のリゾート地、サザン・ビーチに到着した。
青い海、白い砂浜、そして浜辺を埋め尽くす数万の観客たちの熱気。
メインストリートには数百の屋台が並び、香ばしい匂いと歓声が渦巻いている。
だが、その熱気をさらに上書きする、洪水のような「声」が聞こえてきた。
「皆様、お聞きなさい! 渇きは罪! 乾燥は敵! この世界に必要なのは圧倒的な『潤い』ですわ!
母なる海、父なる川、そして全ての源流に君臨する絶対的湿度! 私の声は恵みの雨! 私の存在は聖なる雫!
さあ、干からびた庶民たちよ! そのカサカサの心と肌を、私のマイナスイオンで潤しなさい!
そして私の美貌という名の奔流に溺れなさい!
海とはすなわち生命の源! その源流に立つ者こそが、この私、カトレア・フォン・シュトゥルツフルートよ!」
滝のような勢い、いや、濁流の如き長台詞がマイクから響き渡る。
祭りのメインステージ、その中央の水色のパラソルの下で一人の女性、声の主がいた。
まるでイザベラ様に対抗するかのような艶やかな青髪のツインドリルの美女。
体つきは豊満なイザベラ様とは対照的に、水流のようにしなやかだ。水しぶきを模した水色のドレスを着ているが、何よりも目を引くのは帽子だ。
「あれは、なんだ……?」
殿下がサングラス越しに絶句した。
彼女の頭には、常軌を逸した大きさの『麦わら帽子』。
その上には南国のフルーツ――パイナップル、マンゴー、パパイヤ、バナナなどが、芸術的なバランスで塔のように盛り付けられている。
「あら、やっと来たの? 遅いわよ、干からびた孔雀さん」
カトレアがこちらに気付く。
彼女は扇子ならぬ、白銀の軸にアクアマリンを嵌め込んだ特注の『太鼓のバチ』を向けた。
「イザベラ! 貴女がノロノロしている間に、このビーチの湿度は私が支配したわ! さらに見ての通り、私の『帽子』は世界一! 貴女のド派手なだけのドレスとは格が違ってよ!」
カトレア様が指をパチンと鳴らすと、彼女の背後に控えていた令嬢たち――通称『太鼓持ち軍団』が、一斉に賛辞を浴びせる。
「その通りですわ! カトレア様こそが時代の奔流!」(太鼓持ちB)
「誰も逆らえぬビッグウェーブよ!」(太鼓持ちC)
イザベラ様の取り巻きが『感情で肯定する』のに対し、彼女たちは『流れるような勢いで媚びへつらい、担ぎ上げる』集団だった。
「イザベラ様など、日照り続きの貯水池も同然!」(太鼓持ちD)
「お肌の潤いが枯渇しておりますわ!」(太鼓持ちE)
「燃えすぎてカサカサですわ!」(太鼓持ちF)
さらに彼女たちは一斉に両手を広げ、カトレア様を讃えるポーズを取る。
「それに比べてカトレア様の、この圧倒的な水分量!」(太鼓持ちG)
「毛穴から気品が噴き出しております!」(太鼓持ちH)
「頭上のフルーツも果汁がしたたり落ちそうですわ!」(太鼓持ちI)
最後に『轟音班』が声を揃えて叫ぶ。
「よっ! 溢れ出るカリスマ!」(太鼓持ちJ)
「溺れるほどの美貌ですの!」(太鼓持ちK)
……うるさい、実にうるさい。
イザベラ様の軍団が「キャーキャー」という黄色い歓声なら、こちらは「ゴウゴウ」と流れる濁流のような圧迫感がある。
さすが「濁流の女帝」と言われることはあるようだ。
イザベラ様が負けじと声を張り上げ、砂浜を進む。
「お肌に潤いが足りていないですって!? カトレア! 貴女こそ、その帽子の供え物は何よ! 歩く青果市場の真似事かしら!? 重すぎて首が縮んでいるのではないのかしら!?」
「なんですって!? これは最新のトレンド『トロピカル・サマー・タワー・ハット』よ! イザベラ、貴女こそサマードレスと見せかけて、無駄にフリルと布が重なった暑苦しいドレスで、よく平気な顔ができるわね!」
カトレア様が頭を振ると、帽子の上でパイナップルが揺れた。
イザベラ様が『情熱の赤いドレス』なら、カトレア様は『潤いの青い帽子』。
対極の美意識が衝突し、ビーチの空気が湿り気を帯びて重くなる気がする。
「いいわ、カトレア。そこまで言うなら勝負よ! この『ミス・マーメイドコンテスト』に私も出場するわ! どちらが真の夏の女王か、この際はっきりさせてあげるわ!」
「望むところよ! ただし! 負けた方は勝った方の『太鼓持ち』になってもらうわよ? 私の軍団、ちょうど『A』の席だけ空いているの」
カトレア様はニヤリと笑った。
私はハッとして、カトレアの背後を見回す。
太鼓持ちB〜Kは揃っている。
だが、確かに『太鼓持ちA』に相当する人物がいない。
――いや、違う。
カトレア様のすぐ後ろ、影のように寄り添う一人の女性がいる。
青髪のボブカットに、青縁眼鏡。そして地味な鉄紺色のパンツスーツを隙なく着こなしている。
手には分厚いバインダーを持ち、冷徹な視線でこちらを観察していた。
「私にそっくりだ……」
私が小さく呟くと、その女性が眼鏡を光らせ、一歩前に進み出る。
「お初にお目にかかります。カトレア様の筆頭補佐官のエステナ・オーシャンと申します」
冷静かつ機械的な声。
彼女は『太鼓持ち』の列には加わらず、指揮官の立ち位置にいる。
「リリアナ・フォレスト様ですね。データで拝見しております。貴女のやり方は非効率で泥臭いです。わたしの管理下であれば、一切の不純物を濾過し、『清流』のように滑らかに動けますよ?」
「余計なお世話です」
やはり、このエステナという女性は私と同類。
それも、シルヴィア様とはまた違うタイプだ。
そしてカトレア軍団の『A』が空席なのは、彼女が『元太鼓持ちA』であり、『管理者』だからだ。
「上等よ! 私が負けたら、その『太鼓持ちA』とやらになってあげるわ! ただし! 私が勝ったら、カトレアは『取り巻きA』になってもらうわよ! 泥水の中を引きずり回してあげるわ!」
「ふっふん、いいでしょう! 契約成立ね!」
水しぶきと火花が散る。
波乱の水着美女コンテストが、始まろうとしていた。




