第四十六話 木陰のプロポーズ
裏庭の大きな樫の木の下。
私が駆けつけると、そこには一人の青年が仰向けに倒れていた。
短く刈り込んだ茶髪に、日焼けした肌。
端整だが、どこか人懐っこい顔立ち。
幼馴染のカイル・ディルクハウゼンだ。
「う、うーん……」
カイル君が呻き声を上げ、パチリと目を開けた。
「気が付いた?」
「……あれ、リリアナ? 俺は確か君の家に行って、お姉さんたちに挨拶を……」
彼は上体を起こし、ズキズキする頭(主にルル姉さんの手刀の跡)をさすった。
そして目の前に私がいることを認識すると、ハッと顔を赤らめた。
「リリアナ! 帰ってきてたんだな!」
「久しぶりだね、カイル君。災難だったね。うちの姉さんたちがごめんなさい」
「いや、いいんだ。俺が弱いのが悪い。それに君の姉さんたちに認められないようじゃ、君を守るなんて言えないからな」
彼は立ち上がり、私の服についた土を払ってくれた。
昔からそうだ。真っ直ぐで、少し暑苦しいくらいに誠実だ。
「リリアナ、君が王都へ行く前にも言ったけど、改めて言わせてくれ」
夕暮れの風が吹き抜け、木々がざわめく。
彼が私の手を取り、真剣な眼差しで見つめてきた。
「俺と結婚してくれ。ずっと君のことが好きだったんだ」
ドキッと心臓が跳ねる。
王宮での、あの変人たちに振り回される日々とは違う、等身大の温かい言葉。
隣町の騎士団のエリートで、性格も良くて、家族思い。
間違いなく、彼と結婚すれば幸せになれるだろう。
南の島ではないけれど、平穏で温かい家庭が築けるはず。
――でも。
「ごめんなさい。嬉しいけど受け取れない」
私はそっと手を解いた。
彼の顔が曇る。
「どうしてだ? 王宮の仕事が辛いなら辞めていい。今は俺の稼ぎだけで十分君を養える」
「ありがとう。でもね……」
私は王都の方角を見上げた。
脳裏に浮かぶのは、わがままな公爵令嬢と、不器用な俺様王太子、そして山積みの書類。
大変で、理不尽で、胃薬が手放せない日々。
「私、今の仕事が嫌いじゃないの。……ううん、むしろ好きなんだと思う」
日々の重い業務。
難題を解決した時の達成感。
そして何より、あの手のかかる人たちを支えることへの奇妙な愛着。
私はあの場所でやりたいことがたくさんある。
「それに私の家族を知ってるでしょ? 私は自分が思っていた以上に『甘ちゃん』だった。もっと王都で頑張って、胸を張れるようになりたい」
「……リリアナ」
「だから結婚できない。ごめんなさい……」
重い沈黙が流れる。
茂みの奥から、姉さんたちが「あらら……」「青春ねぇ」と小声で実況している気配がする。
彼は一度深く息を吐き、それからニッと笑った。
曇りのない笑顔だ。
「分かった。君がそこまで言うなら、俺の負けだ」
「カイル君……」
「でも諦めたわけじゃない」
彼は腰の剣に手を当て、力強く宣言した。
「俺だって、このまま田舎の騎士で終わるつもりはない。君が王都で戦い続けるなら、俺も上を目指す! 王都の騎士団に入隊試験を受けるよ。そして、いつか必ず、『近衛騎士団長』になってみせる!」
近衛騎士団長。
それは武門の頂点。今の彼には遠すぎる目標だが、その瞳には強い光が宿っていた。
「俺が国王様の近衛騎士団長になって、君の隣に立っても恥ずかしくない男になった時……その時、改めて迎えに行く。それなら文句はないだろ?」
私は驚き、そして自然と笑みがこぼれた。
「……どうだろう。今の私には分からないよ。ただ……騎士団長になったカイル君は見てみたいかな」
私たちは見つめ合い、笑い合った。
夕日が二人を照らす。
恋とは無縁な私にとって、最高の雰囲気かもしれない。
だが、その空気を切り裂くように、不穏な羽音が塗り潰した。
バササササッ!
「うわっ!? なんだ!?」
カイル君が私を庇う。
空が急に暗くなる。
それは空を埋め尽くすほどの『白い鳥』の群れだった。
「伝書鳩……?」
それも一羽や二羽ではない。百羽、いやもっとか。
白い悪魔の軍団が、私たち(正確には私)を目掛けて急降下してくる。
ポスッ、ポスッ。
鳩たちは私の肩、頭、腕、そしてカイル君の頭上に次々と落下した。
どれもこれも足に『王家の紋章』を結び付けた筒をつけている。
「……手紙?」
カイル君が自ら頭に乗った鳩から手紙を取り出す。
私も震える手で、一番大きな鳩の筒を開ける。
中に入っていたのは見慣れた、しかし見たくなかった筆跡。
さらに、イザベラ様の例の『泣き顔スタンプ』が、紙面いっぱいに押されている。
『リリアナ!!(泣)(泣)(泣)
緊急事態ですわ! 『披露宴の入場演出が決まらないの!
A案の「白馬に乗ってバージンロードを爆走して登場」は、レッドカーペットが傷んで招待客に迷惑がかかると言われたわ!
B案の「巨大ウェディングケーキの中から爆発と共に飛び出す」しかないと思うんだけれど、火薬の量が計算できないのよ!
リリアナ、貴女がいないと王城が吹き飛んでしまいますわ!
今すぐ戻ってきなさい!
このままでは、私は……! (泣)(泣)(泣)』
……なんて平和でくだらないのだろうか。
そんな理由でイザベラ様は、国中の伝書鳩を総動員したのか。
さらに、もう一通。
こちらは王太子の印章が押された正式な公文書……に見せかけた悲鳴。
『リリアナ、早く戻って来い。
お前が分類してくれていた書類の山が崩落し、執務室が雪崩に遭った。
現在、俺は埋もれているのだ。
イザベラが癇癪を起こし、壁に三箇所穴が空いた。
俺の胃薬も切れた。
至急、帰還せよ。これは王命だ。
PS.給料を倍にしてやる』
パラリと手紙が手から滑り落ちる。
カイル君が心配そうに覗き込んでくる。
「リリアナ? まさか国の一大事か!?」
「ああ……ある意味では……」
私は遠い目をした。
プロポーズの余韻は、鳩の羽ばたきと共に飛んだ。
目の前には、現実という名の業務命令が山積みになっている。
茂みから出てきた家族が、鳩まみれの私を見て微笑んでいる。
ララーナ姉さんが「今夜は鳩鍋にするか」と包丁を取り出し、ルルティア姉さんは「私は焼き鳥がいいかな」と炭を用意し始めた。
「カイル君……」
「ん? どうした?」
「ごめん、騎士団長になる姿を見る前に……」
私は鳩を振り払い、決然と伝える。
「私、過労でお父さんのところへ行くかもしれない……」
カイル君は顔を引きつらせる。
私の束の間の実家帰りは終わりを迎えた。
待つのは王都。
最強家族に見送られ、私は再び、半ば強制的に愛すべき修羅場へと戻ることになった。




