第四十三話 園遊会
迎えた園遊会当日。
王宮の庭園は、心地よい冷気と幻想的な美しさに包まれていた。
「これは……」
会場に足を踏み入れた招待客たちが、感嘆の息を漏らす。
そこには、いつもの派手な生花や金銀の宝石装飾はない。
あるのは透き通るような青と白の輝き。
帝国から届いた数百の『氷晶花』が、陽光を浴びて宝石のように煌めき、会場全体を涼やかに彩っている。
「素晴らしい……。この時期に、これほど涼しく美しい演出をされるとは……」
「あのタペストリーや調度品。あれはローゼンバーグ家に伝わる一級品のアンティークではないか?」
倉庫で見つけた骨董品も磨き上げられ、氷の輝きと相まって、重厚な歴史の重みを醸し出している。
まさに『伝統』と『涼』の融合。
その会場の片隅で、ハンカチを噛み締めている男がいた。
イザベラ様の父、オスカー・フォン・ローゼンバーグ公爵である。
「うぅっ……予算がないからといって、倉庫のガラクタを……。パパが! パパが裏からこっそり国家予算並みの資金援助をしてやればよかった……!」
「お静かになさい。みっともないですわよ、あなた」
隣で扇子を揺らしているのは、母のベアトリス公爵夫人。
往年の大女優のようなオーラを放つ美婦人だが、その眼光は鋭い。
彼女こそ、かつて社交界で『伝説の悪役令嬢』として名を馳せ、数多の貴族をその美貌と毒舌で再起不能にしたという、生ける伝説である。
「これはあの子の試練です。それに、あの子が選んだあの椅子、貴方がお義父様から受け継いだ大切なものでしょう?」
「そ、そうだが……あんな傷だらけのものを王妃様に見せては、公爵家の恥だと言われてしまう……」
心配性の父君と、最強の元悪役令嬢の母君。
そこへファンファーレが鳴り響き、本来の主賓であるエリザベス王妃殿下と、アルブレヒト国王陛下が現れた。
「王妃殿下、陛下。ようこそお越しくださいました」
優雅なカーテシーで出迎えたのは、主催者であるイザベラ様だ。
その姿に、会場の空気が一変した。
今日のイザベラ様は深みのあるボルドー色のドレス。生地は年代物だが、ミミのリメイク技術により、現代的かつクラシカルに生まれ変わっている。
「あれは……!?」
オスカー公爵が目を見開き、ベアトリス様は不敵な笑みを浮かべる。
「まあ、私が20年前に着て、隣国の王子を論破した時の『勝負ドレス』ね。懐かしいわ……」
それはイザベラ様の母君が若き日に愛用していた、伝説のドレスだった。
イザベラ様は堂々と王妃様の前に進み出る。
「本日は我が家に眠る『古き良き伝統』をテーマに装いましたの。いかがでしょう?」
王妃様は紺色のドレスに身を包み、厳しい眼差しでイザベラ様を見回す。
「……見た目は、悪くありませんね」
王妃様は小さく呟いた。
だが、まだ合格点ではない。
王妃様の視線は次なるチェックポイント――料理と接客へと向けられた。
「では、お食事をご用意いたします」
イザベラ様の合図と共に、優雅な音楽と給仕たちが現れる。
『取り巻き二軍(肉体派)』の令嬢たちだ。
彼女たちは動きやすい制服を纏い、重い銀食器や大皿を微笑みを絶やさずに軽々と運んでいる。
「まずは、お飲み物をどうぞ」
彼女たちが差し出したのは、黄金色の蜜が揺れるグラスだった。
氷は入っておらず、とろりとしている。
蒸し暑い夏には、いささか重たく見える飲み物だ。
王妃様が不審げに眉を寄せる。
「ぬるいジュースですか? これは随分と気が抜けたものを……」
「いえ、これから魔法をご覧に入れます」
給仕の令嬢が、テーブルに飾られた『氷晶花』の花弁を一枚、グラスの縁に触れると、蜜が凍りついていく。
「これは……!?」
「帝国の氷晶花の冷気を利用した、『瞬間冷凍ネクター』でございます」
令嬢は涼しい顔で説明を続ける。
「森の奥深くに自生する『幻の果実』を、私たちが命がけで採取し、裏ごししたものです。常温では甘すぎますが、冷やすことでスッキリとした味わいに変わります」
王妃様が恐る恐る口に運ぶと、シャリッという音と共に、驚きで目を見開いた。
「なんと濃厚で上品な甘さ……」
目の前で凍るパフォーマンスと、暑さを吹き飛ばす冷気。そして野生の滋味。
王妃様は満足げに息をついた。
そのタイミングを見計らい、メインディッシュが運ばれてきた。
「これは繊細な見た目に反して、随分と芯のある味ですね」
「うむ……これは美味い! 肉の旨味がたまらんぞ!」
陛下が絶賛する。
王妃様がナプキンで口元を拭い、イザベラ様を見た。
「……イザベラ、この料理を作ったのは?」
「ふふん、お気に召したようですわね! 私の『人徳』と『コネ』で呼び寄せた、最高の料理人ですわ! マーサ! 王妃殿下がお呼びですわ!」
イザベラ様が高らかに命じると、調理テントから一人の大柄な女性が出てきた。
真っ白なコックコートを着ているが、その腕っぷしは騎士顔負けの白銀館の料理長、マーサさんだ。
人徳も何も勝手に押しかけて来ただけだが、偶然を必然と言い張る度胸もイザベラ様の武器だろう。
私は無表情を貫き、成り行きを見守る。
「へえ、あんたが王妃様かい? 口に合ったようで何よりだよ」
マーサさんは王族相手でも物怖じしない。
王妃様が少し驚いたように眉を上げる。
「貴女がシェフですか? ……随分と豪快な味付けですが」
「あたしは小細工が嫌いなんだよ。素材の命をいただくんだ、一番美味い食い方で提供するのが礼儀だろう? 肉も野菜も、新鮮なうちに下処理さえ完璧にすれば、余計なソースなんざいらないのさ」
マーサさんは仁王立ちで言い放った。
無礼とも取れる態度だが、その瞳には料理人としての誇りがある。
すると、横に座るアレクセイ殿下がニヤリと笑った。
「その通りだ。母上、彼女の腕は私が保証します。……以前、見事な猪の解体を見せてもらったことがある」
「お、誰かと思えば、アレクセイじゃないか」
マーサさんが殿下の肩を「バン!」と叩く。
周囲の貴族が「ヒッ!」と息を呑む中、殿下は嬉しそうに笑った。
王妃様は呆気にとられていたが、ふっと口元を緩める。
「……なるほど。味だけでなく、料理人も芯が通っているようですね。よろしい、料理は合格としましょう」
ここまでは順調だ。
王妃様の表情も和らいでいる。
だが、空気を読まない男の声が響いた。
「ふん。なんだ、この貧乏くさい椅子は!」
声を上げたのは、王妃様の取り巻きである保守派の重鎮、コンラート男爵だった。
王妃殿下の不興を買っている公爵家など恐るるに足らず。むしろここで叩けば、王妃殿下への点数稼ぎになると、浅ましい計算が透けて見える。
彼はわざとらしく椅子を手で叩いた。
「見ろ、この椅子の脚を。傷がついているではないか! こんな粗悪な椅子を王妃殿下にお出しするとは、ローゼンバーグ家も落ちぶれたものだな!」
会場が静まり返る。
隅にいたオスカー公爵が飛び出そうとするが、ベアトリス様がそれを制す。
コンラート男爵の前に立ちはだかったのは、イザベラ様だった。
「審美眼を持たない節穴男は、黙っていなさい!」
「なっ、なんだと!?」
「粗悪な椅子ですって? 訂正なさい! これは『歴史』ですわ!」
イザベラ様は傷付いた椅子の脚を、愛おしそうに撫でた。
「この傷を見なさい! これは父や祖父が家族と共に過ごし、歴史を刻んできた証です。新品の家具にはない、時を経た物だけが持つ『魂』と『温もり』……それが理解できないなんて、貴方の方こそ心が貧しいのではなくて?」
「貧しいだと……」
イザベラ様は胸を張って言い放った。
「私はこの傷さえも誇りに思います。新しい物だけが良いのではない。父や母が守ってきたものを尊び、磨き上げ、次代へ繋ぐ……。それこそが貴族の、そしてローゼンバーグ家の誇りですわ!」
一瞬の沈黙の後、一人の男がイザベラ様に駆け寄った。
「う、うおおおおん! イザベラァァァ!!」
号泣しながら飛び出してきたのは、オスカー公爵だ。
「パパの古い椅子をそのように思ってくれていたとは! パパは嬉しいぞぉぉぉ!」
「ちょっと、お父様! 離してくださいませ! ドレスが乱れますわ!」
娘に抱きついて大泣きする公爵。
その背後でベアトリス様が優雅に進み出て、王妃様に目礼した。
「お見苦しいところを申し訳ありません。少々、娘を『厳しく』育てすぎましたかしら?」
かつての伝説の悪役令嬢が、ニヤリと笑う。
王妃様は、ふっと息を吐いて口元を緩めた。
「いいえ、良い教育をされましたね、ベアトリス」
その後、王妃様は男爵を一瞥し、「下がりなさい。興が削がれます」と冷たく切り捨てた。
そのままローゼンバーグ親子に向き直り、穏やかに告げる。
「イザベラ、貴女の覚悟をしかと見届けました。予算半分という理不尽な課題の中で、安易な安物に逃げず、『知恵』と『誇り』でローゼンバーグ家の品位を示し、本物を用意した。……合格です」
王妃様が宣言すると、会場から割れんばかりの拍手が巻き起こる。
陛下も「うむ、実に頼もしい」と満足そうに頷いた。
「合格……ありがとうございますわ! 王妃殿下! いえ、お、おおお義母様!」
「お、お義母様ですって……?」
「ガッハッハ! いいではないか、エリザベス。少々変わった娘ではあるが、可愛い娘ができたのだ! イザベラ、私のことは『お義父様』と呼んでくれて構わんぞ」
「……お義父さま」
「さあ、皆! ここからは無礼講といこうではないか!」
王妃様が困惑する中、陛下が高らかに宣言する。
皆一様に大きな拍手をし、会場が最高潮に盛り上がった。
無事に王妃様からの合格をもらい、婚約破棄、そして二人まとめて修道院送りという最悪の事態は回避できた。
そして園遊会は大成功に終わる。
そのはずだった……。




