第三十九話 愛の定義
17時も投稿します。
翌日、王都の中央広場に、婚約発表のための特設ステージが組まれていた。
数万の民衆が詰めかけ、熱気は最高潮だ。
「聖女様万歳!」
「清貧こそ救いなり!」
ステージ中央に現れた聖女ルミナは、純白のウェディングドレスのような衣装に身を包み、涙ぐみながら民衆に手を振る。
「ありがとう、皆さん……。今日、私はアレクセイ殿下と結ばれ、この国を『神の愛』で満たすことを誓います」
そこへ、王宮のバルコニーからアレクセイ殿下が姿を現した。
隣に私を従え、冷ややかな表情で見下ろしている。
「さあ、アレクセイ殿下! 私の手を取ってください。それが、この国の救済なのです!」
聖女ルミナが手を差し伸べる。
民衆の歓声が地響きのように広場を揺らす。
もちろん、殿下の口から紡がれたのは、愛の誓いなどではない。
「救済だと? 笑わせるな!」
殿下の低い声が、マイクに乗って広場全体に響き渡った。
どよめきが走る中、殿下は私に合図を送る。
「これより行うのは儀式ではない! 『契約前の最終監査』だ! やれ、リリアナ」
「はい」
私は一歩前に進み出ると、上空に巨大なスクリーンを出現させた。
「聖女ルミナ様、貴女は『清貧』と『純潔』、そして『無償の愛』を掲げておられますね?」
「え、ええ、もちろんです」
「では、この『経費明細』について、国民の前でご説明いただけますか?」
私が指を鳴らすと、スクリーンに裏帳簿のコピーが映し出された。
『聖女ルミナ・美容維持費:金貨3000枚』。
『最高級エステ・女神の休日コース:金貨300枚』。
『裏カジノ・掛け金:金貨1000枚』。
『会員制美青年サロン「夜の騎士団」への貢ぎ代:金貨2000枚』。
「は……?」
広場が静まり返った。
数万の民衆の手には、石のように固く味気ない『忍耐の黒パン』。
対して、スクリーンに映し出されたのは、目が飛び出るような金額の『遊興費』。
特に『美青年サロン』への巨額の貢ぎ代に、聖女を信じていた男性信者たちが絶望の表情を浮かべ、女性信者たちが息を呑む。
「ち、違います! これは……!」
清貧を説いていた口で、裏では民の寄付金を男遊びとギャンブルに使い込んでいた。
その残酷な真実が、白日の下に晒された瞬間だった。
「こ、こんなものは捏造よ!」
「捏造ではありません。筆跡鑑定済みです。さらに、こちらの日記と音声データもございます」
私は次々と証拠を投影していく。
『チョロいものね、この国の奴らは』
『ああ、涙を流して「全てを神に捧げて祈る」と言えば、国一つが手に入る。これだから聖女ビジネスはやめられん』
『まあ、所詮は民衆なんてただの馬鹿。「清貧」と言っておけば、勝手に金を貢いでくれるもの。ああ、早く王妃になって、この国の宝物庫を空っぽにしたいわ!』
聖女の黒い本音が美しい声で再生された。
民衆たちが崇拝から困惑、そして疑念へと変わっていく。
「これは悪魔の仕業なのです! 私の愛は本物です! ああ、神よ! 私の潔白を示したまえ!」
ルミナの瞳からポロリと涙がこぼれる。
その瞬間、ステージの床から再びピンク色の薔薇が急速に芽吹き、咲き誇り始めた。
「……み、見ろ! やっぱり奇跡だぞ!」
「聖女様は本物なんだ!」
揺らぎかけた民衆の心が、再び視覚的な奇跡によって引き戻されそうになる。
化学トリックだと分かっていても、目の前の現象は強烈だ。
だが、その時――。
「刮目なさい! これこそが、本物の『愛』よ!」
頭上の時計塔の頂上から、声が降ってきた。
全員が空を見上げる。
バサァッ……!!
太陽を遮るように、漆黒の巨大な翼が広がった。
イザベラ様だ。重厚なベルベットとブラックダイヤモンドでできた特製のドレス(というより滑空スーツ)を広げ、時計塔から虚空へ身を投げ出した。
「ひいっ! 人が落ちてくるぞ!?」
「違う! あれは……!」
落ちているのではない。
彼女の背中と腰に仕込まれた小型の『風魔導具』が突風を生み出し、巨大なドレスの翼が風を捉えているのだ。
イザベラ様は優雅に螺旋を描いてステージへと降下していく。
「……カラス?」
「いや、あれはムササビだな」
「いいや、あれは空飛ぶ巨大ナマコだぞ」
「なっ……!? カラスでも、ムササビでも、ナマコでもありませんわ!? その節穴をこじ開けてよくご覧なさい! これは全てを包み込む、『夜の女神ニュクス』よ!」
滑空しながらの演説。
可愛いさも、可憐さもない。あるのは「私が黒と言えば、世界は黒になるのよ!」と言わんばかりの圧倒的な圧迫感と美貌。
イザベラ様は音もなくステージ中央に舞い降りた。
その圧倒的な闇のオーラの前に、聖女ルミナの純白のドレスが、急に『洗濯しすぎて色あせた安物の布切れ』のように見え始めた。
「ひいっ……!」
聖女ルミナが後退る。
イザベラ様は咲き誇るピンク色の薔薇を見下ろし、鼻で笑った。
「ふん、これが愛ですって? 笑わせないでちょうだい! こんな花が愛だなんて、片腹痛いわ!」
イザベラ様が指を鳴らすと、ステージ袖から『取り巻き軍団』が現れバケツに入った液体を、薔薇にぶちまけた。
「な、何をするの!?」
液体を浴びたピンク色の薔薇は、瞬く間に変色し、溶けて枯れ果ててしまった。
それは、ただの強力な『除草剤』。
「よく見なさい! これが貴女の『愛』の正体! ただの化学肥料で咲かせた偽物の花よ! 本物の愛はね、除草剤なんかでは枯れないのよ!」
イザベラ様は胸を張り、アレクセイ殿下を指差す。
「私の殿下への愛を見なさい! 例え無視されても! 冷たくされても! 鬱陶しいと罵られても! 雑草のように何度でも蘇る! それこそが『聖なる愛』なのよ!」
言っていることはストーカーの理屈だが、この場面においては、妙な説得力と凄みがある。
どんな逆境でも折れない(懲りない)イザベラ様の姿は、嘘で塗り固められた聖女よりも、遥かに力強く、真実だったのだ。
「……そ、そうだ。イザベラ様はずっと殿下を追いかけ回していた……」
「あれこそが、本物の愛(執念)かもしれない……」
民衆の空気が変わった。
聖女の薄いメッキが剥がれ、悪役令嬢の漆黒のブレない姿勢に軍配が上がったのだ。
「クソがッ!」
全てが露見したルミナは、聖女の仮面をかなぐり捨てた。
般若のような形相でドレスの裾を捲り上げ、逃走を図る。
「覚えてなさい! こうなったら聖教国の軍隊を送り込んでやるから……!」
だが、逃げ場はない。
ステージの四方は、すでに近衛兵によって包囲されているからだ。
「ま、待て! 無礼だぞ! 私は聖教国の枢機卿だ! 我々には外交特権がある! この国の法律で裁くことなどできんのだぞ!」
逃げ道を塞がれた枢機卿が、真っ赤な顔で叫ぶが、見苦しい抵抗だ。
私はバルコニーから冷ややかな視線を向け、マイクを通して告げる。
「外交特権が適用されるのは『公務』の場合のみです。貴方たちが持ち込んだ『植物活性液』は、我が国で禁止されている違法薬物。それを密輸し、使用した時点で貴方たちは外交官ではなく『麻薬密輸犯』です」
「な、何だと……!?」
「連れて行け。それと……牢屋は『個室』を用意してやれ。愛人への手紙くらいは書かせてやろうではないか」
アレクセイ殿下の冷酷な命令が下る。
ルミナと枢機卿は、抵抗する間もなく取り押さえられ、民衆の罵声を浴びながら引きずられていった。
◇
聖女がいなくなったステージ。
広場に静寂が戻り、数万の視線が、私たちと漆黒のドレスを纏ったイザベラ様に注がれる。
イザベラ様は優雅に翼を畳み、勝利のポーズを決めている。
「ふふん、見直しましたか、殿下? 私の『雑草魂』の勝利ですわよ!」
「……自分を雑草に例えて嬉しそうにする令嬢は、世界でお前くらいだぞ」
殿下は呆れつつも、その口元はわずかに緩んでいた。
「だが、助かった。礼を言う」
「あら!? お礼なら言葉よりも行動で示していただきたいですわ! 例えば……熱い抱擁とキスを!」
イザベラ様が再びタコの口で殿下へ迫る。
殿下はサッと身をかわすと、真剣な表情で私に向き直った。
「リリアナ、イザベラを抑えておけ。私は直接民衆に語りかけねばならない」
「まだ興奮状態の者もおりますので、お気をつけください」
「だからこそだ。王族が恐れずに前に立ち、真実を語らねば、皆の洗脳は解けん」
殿下は毅然と言い放つと、ステージ中央の最も民衆に近い場所へと歩み出した。
ざわめきが残る広場を見渡し、大きく息を吸い込む。
「王都の民よ! 我が声を聞け! 偽りの夢は覚めた! だが騙されたことを恥じる必要はない! 顔を上げろ! そして曇りなき眼で真実を見るのだ!」
朗々たる声が王都に響き渡り、誰もがその威厳に打たれ、聞き入ろうとした。
だが、思いもしない事態が起きる。




