第三十七話 聖教国使節団
帝国出張から戻ったばかりの王都の港は、初夏の陽気とは異なる異様な熱気に包まれていた。
港を占拠しているのは、純白の船団。
マストには黄金の太陽を模した紋章。
大陸南方に位置する宗教大国、聖教国の使節団だった。
「また厄介なお客様が来ましたね……」
私は執務室の窓から船団を見下ろしながら、ため息を吐いた。
「ため息をつくな、運気が逃げるぞ」
「誰のせいで運気が逃げていると思っているのですか……。それにしても、今度は『聖女』ですか」
聖教国セレスティア。
表向きは慈愛と平和を説く国だが、裏では聖女との婚姻を通じて、各国の王室に血を入れ、傀儡化してきたという黒い噂が絶えない国だ。
先週到着した彼らは、王都の広場で連日『愛の説法』を行っているらしい。
病を治し、貧しき者にパンを分け与え、『真実の愛』を説く。おかげで民衆の熱狂は凄まじく、独身の貴族令息たちまでもが、「聖女様こそ理想の女性だ!」と色めき立っている始末。
「殿下、彼らの要求は何です?」
「今日の謁見で明らかになるが、十中八九、俺との『婚姻』目当てだな。だが覚悟しておけ、リリアナ。今回の相手は『神の愛』だ。帝国のテオバルトのような損得勘定も論理も通用しない、厄介な相手だぞ」
「愛ですか……」
愛だの神だのと言えば、許されると思っているなら大間違いだ。
相手が神だろうと、殿下の戸籍に土足で踏み込むような真似をすれば、イザベラ様が黙っていないだろうし。
◇
謁見の間。
重厚な扉が開かれ、純白の法衣を纏った一行が入場してきた。
先頭を歩くのは、枢機卿と呼ばれる狡猾な目をした初老の男。
そして、その背後に付き従う一人の少女。
「おお……!」と、会場がどよめく。
透き通る金の髪に、紫水晶の瞳。
装飾のない純白のドレスが、かえってその存在を際立たせていた。
彼女こそが聖教国の象徴――聖女ルミナ。
かつての偽聖女ソフィアとは違う。
「ようこそ、聖教国の使者たちよ」
玉座のアレクセイ殿下が挨拶をすると、聖女ルミナは胸の前で手を組み、潤んだ瞳で殿下を見つめた。
「嗚呼……なんという孤独でしょうか」
鈴を転がすような、しかし凛とした声が響き渡る。
「アレクセイ王太子殿下。貴方の魂に深い氷の傷が見えます。愛を拒絶し、孤独に凍える魂……このままでは、この国は『氷の災厄』に閉ざされるでしょう」
不吉な予言。
貴族たちが青ざめてざわめく中、殿下は眉一つ動かさずに返す。
「それは異なことを。俺の心は充実している。暖房魔道具も完備しているが?」
「いいえ、必要なのは物理的な暖かさではなく、『聖なる愛』なのです。すでに神託は下っております。この国の滅びを防ぐ唯一の道……それは、貴方様と聖女である私との『聖なる婚姻』です。二つの魂が結ばれる時、永遠の繁栄が約束されるでしょう」
――婚姻。
やはり来たか。
枢機卿が進み出ると、一枚の書状を差し出した。
「つきましては、王太子殿下。直ちに婚約の儀を執り行いたく存じます。これは『神の意志』であり、拒絶することは許されません」
実に手際がいいものだ。
断れば神への反逆として、民衆を扇動する気だろう。
「ふん、すでに心に決めた相手がいると言ったら?」
「おお、なんと嘆かわしいのでしょう! 地上の些末な情愛で、神の愛を拒絶するとは!」
殿下はわざとらしく肩をすくめた。
聖女ルミナが涙を流し、その場に崩れ落ちる。
すると、彼女の涙が床に落ちた瞬間、パァァッと眩い光が溢れ、石畳からピンク色の薔薇が芽吹き、咲き誇った。
「き、奇跡だ……!」
「聖女様の愛が花になったぞ!?」
貴族たちが驚愕し、次々と膝をついて祈り始める。
集団催眠のような光景。
だが、私は冷静に『奇跡』を観察していた。
床の隙間から、微かに魔力の残滓と、帝国の闇市で嗅いだことがある『植物成長剤』の成分臭がした。
「リリアナ、どう見る?」
殿下がすぐ側に控える私に小声で話しかけてきた。
「限りなく黒に近いピンク色。成分分析が必要です」
「噂通りの神を盾にした押し売り婚活だな」
枢機卿が勝ち誇ったように笑みを深める。
「回答は明日まで待ちましょう。愛のない国に未来はありませんぞ……」
◇
謁見が終わった直後、廊下で待ち構えていた人物がいた。
イザベラ様だ。
今日のイザベラ様は、いつにも増して気合が入っている。纏うのは、漆黒の夜空を切り取ったかのような、重厚なベルベットのドレスに星々のような無数のブラックダイヤモンドが散りばめられている。
『黒い宝石の王』と呼ばれる希少な輝石を、これでもかとあしらった、悪役令嬢の装いだ。
「お待ちなさい! 神の愛を盾に、私の殿下に求婚したという図々しい女狐は、どこかしら!?」
イザベラ様は、廊下を歩いてきた聖女ルミナの前に立ちはだかった。
純白の聖女と、漆黒の悪役令嬢。
白と黒のコントラストが、廊下の空気を凍りつかせる。
イザベラ様は扇子で口元を隠し、ルミナを頭のてっぺんから爪先まで品定めするように見下ろした。
「……あら? 意外と地味な方ね」
ルミナは足を止め、イザベラ様をじっと見つめ返した。
そして、哀れむように微笑んだ。
「なんと嘆かわしいのでしょうか。貴女のドレス……一体いくらかかっているのですか? その黒い宝石一つで貧しい民が何人生きられるのでしょう?」
聖女ルミナは、イザベラ様のブラックダイヤモンドを指差して嘆いた。
「貴女は『強欲』の悪魔に取り憑かれています。その無駄な装飾、無駄な贅沢……全てが罪です」
「な、なんですって!?」
イザベラ様が柳眉を逆立てる。
「これは『無駄』ではなく、『美』よ! それに、私が買い物をすることで経済が回り、職人たちが潤うのよ!」
「いいえ。それは言い訳です。真の救済とは、全てを捨てて施すこと。『清貧』こそが美徳なのです」
ルミナは、自分の質素なドレスの裾を摘んで見せた。
「貴方と違い、私は何も持っていません。宝石も、ドレスも。あるのは神への愛だけ。だからこそ、民衆は私を愛してくれるのです」
その言葉は、イザベラ様にとって最大の攻撃だった。
帝国には「無駄は文化だ」と言い返せたが、今回は「貧しい民のため」という道徳的な正論で殴られている。
浪費家のイザベラ様にとって、『清貧』ほど相性の悪い敵はいない。
「くっ……!」
イザベラ様が珍しく言葉に詰まる。
聖女ルミナは勝ち誇ったように微笑み、イザベラ様の横を通り過ぎる。
その背中には、「貴女のような贅沢な人に、民衆はついてこない」という、無言の嘲笑が張り付いていた。
「リリアナ……」
イザベラ様が震える声で私を呼んだ。
「あの女、ムカつくわ」
「同感です」
私は即答した。
聖女ルミナの言っていることは正論のように聞こえるが、私の『金銭感知スキル(勘)』が告げている。
あの聖女の肌艶の良さ、そして髪のキューティクルは、ただの清貧では維持できない。あれは庶民には手の届かない超高級エステの賜物だ。
清貧を武器にして、贅沢を叩く。
その裏で自分だけが甘い蜜を吸っている匂いがプンプンする。
「イザベラ様、少々荒療治が必要かもしれません」
「そうね、私のプライドにかけて、あの女の化けの皮を剥いでやるわ!」
こうして、聖女ルミナとの『清貧(白) vs 浪費(黒)』の戦いが幕を開けた。
本日、17時も投稿します。




