第四話 逆断罪、予算無制限につき
舞踏会での断罪劇から、早一か月。
あの夜、私は寮に戻ってすぐ、徹夜で荷造りとイザベラ様への業務引継ぎ書の作成を同時進行し、翌朝一番で王宮への入城手続きを済ませた。
その足で鍵を受け取り、電光石火の早業で、王都の一等地に用意された官舎への引っ越しを済ませた。
雨漏りのしない天井、足を伸ばせるバスタブ、ふかふかのキングサイズベッド。
貧乏男爵家の娘には、過ぎた待遇に感動したのも束の間、待っていたのは、息つく暇もない激務の日々だった。
そして現在、私は王城の奥深くにある、第一王子執務室にいる。
窓からは美しい王都の街並みが見渡せるが、今の私に、そんな景色を楽しんでいる余裕はない。
なぜなら私の目の前には、人の背丈ほどに積み上がった書類の山が、三つも鎮座しているからだ。
「リリアナ、隣国ガレリアとの通商条約の改定案はまだか? あと10分で持ってこい」
執務机の向こうから、アレクセイ殿下の不機嫌そうな声が飛んでくる。
彼は朝からノンストップで決裁印を押し続け、殺気立っている。
「すでに出来ております、殿下」
私は三つ目の山から一冊のファイルを引き抜き、殿下の前に置いた。
「A案(強気)、B案(妥協)、C案(決裂覚悟の威嚇)の3パターンを用意しました。ついでに先方の交渉担当者の女性遍歴と、裏カジノでの借金リストも添付してあります。これを交渉材料に使えば、A案でも通るかと」
殿下は凄まじい速さで書類に目を通し、ニヤリと口角を上げた。
「……素晴らしい。借金のネタまで掴んでいるとはな。やはり、お前を拾って正解だったな」
「恐縮です。付け加えて、明日の視察スケジュールも調整済みです。移動時間を15分短縮し、その分を地方領主様との会談に充てております」
「よくやった。だが、ここの計算が甘い。修正して再提出だ。期限は5分後」
「……仰せのままに(鬼か貴方は)」
私は心の中で毒づきながら、自分のデスクに戻った。
アレクセイ殿下は、予想通りの『超』がつくほどのワンマン上司だった。
能力は極めて高く、決断も早い。だが、部下への要求水準が高すぎるのだ。以前の補佐官たちが、次々と胃に穴を空けて辞めていった理由がよく分かる。
ここは王宮の皮を被ったパワハラ体質のブラック企業。
だが、私に不満はない。
なぜなら『今月の給与明細』。引き出しの中にしまってある封筒。そこに記載された金額は、私が男爵家時代に見たこともないような数字だったからだ。
それに昨日は『深夜残業手当』として、最高級の菓子折りと、追加の金一封が無造作に投げ渡された。
働けば働くほど評価され、金になる。
イザベラ様の元でどれだけ完璧な仕事をしても、「さすが、リリアナだわ!」の一言と、一定の支援金で終わっていた頃とは充実感が違う。
「ところで殿下、先ほどから、私のデスクにピンク色の封筒が山のように届いているのですが」
私は未開封の手紙の束を指さした。
差出人は全て『イザベラ・フォン・ローゼンバーグ』。しかも封蝋には、泣き顔のスタンプが押されている。
とりあえず一通だけ開封する。
『リリアナへ(泣)
殿下に新しい腰巾着を紹介してもらったけど、その子、私が扇子を閉じたあとに「流石ですわ、お嬢様!」が来るまでに一拍あるの。
私にとっては致命的よ……。
あと紅茶がいつもぬるい。
今すぐ戻ってきなさい! ――イザベラより(泣)
P.S.
よく考えたら、殿下がリリアナを引き抜いたのって、私の好みを把握するためではなくて?
もう、殿下ったら、照れ屋さんなんだから!
殿下に、私のことを包み隠さず教えてあげなさい』
(……イザベラ様、そのポジティブ思考は、もはや恐怖すら感じます……)
私はそっと手紙を伏せた。
まあ、内容はさておき、文面は可愛い。
「あの騒がしい公爵令嬢か。気にするな。彼女には新しい腰巾着を見繕ってやったはずだが?」
「ええ、ですが手紙の内容を見るに、『新しい子は気が利かない』『笑うタイミングが遅い』『リリアナの淹れた紅茶が飲みたい』といった愚痴ばかりでして」
「ふん、自業自得だ。お前の抜けた穴の大きさを、身を以て知ればいい」
殿下は冷たく切り捨てたが、その声には少しだけ楽しそうな響きがあった。
彼はペンを走らせながら、ふと手を止めると、私を見る。
「リリアナ、お前が作成した『断罪イベント』の段取り。あれは実に楽しかった」
「はあ……それは何よりです。ソフィア様の件は迅速な処理ができて幸いでした」
ちなみに聖女ソフィアは現在、王都から遠く離れた修道院で、厳重な監視の下、これまでの横領分を返済するための強制労働に従事しているらしい。
ある意味、彼女も働くことの尊さを学んでいる最中と言えるだろう。
「だから、次のイベントも頼むぞ」
「次、ですか……?」
嫌な予感がする。
殿下がこの顔をする時は、ろくなことがない。
殿下は立ち上がり、窓の外に広がる王宮の広場を見下ろしながら、不敵な笑みを浮かべた。
「来月、俺の『立太子礼』が行われる。俺が正式に次期国王として指名される儀式だ」
「存じ上げております。国の最重要行事ですね」
「ああ。だが、ただの儀式ではつまらないと、俺を楽しませようと必死な愚か者がいる」
「確認ですが、その愚か者とは誰なのです?」
「俺の叔父にあたるグランビル公爵だ。儀式に合わせ、何かを仕掛けてくると情報が入った」
グランビル公爵――現国王の弟であり、野心家として知られる人物だ。アレクセイ殿下の優秀さを疎み、自身の息子を王位につけようと画策しているという噂は、私の耳にも入っている。
「まさか、殿下……」
「そのまさかだ。叔父上は儀式の最中、俺を失脚させるためのスキャンダルを捏造し、ぶつけてくると情報が入った」
普通なら背筋が冷える話だが、殿下は眉一つ動かさず、困るどころか、笑みさえ浮かべている。
「リリアナ、お前の出番だ。叔父上の企みを全て洗い出し、逆に儀式の場で完膚なきまでに叩き潰す『逆断罪イベント』の脚本を書け。期限は2週間。予算は無制限だ。できるな?」
「……」
私は天を仰いだ。
断罪イベントの次は、王位継承権を懸けた政争イベント。スケールが大きすぎる。失敗すれば、私の首も物理的に飛びかねない。
しかし、予算無制限……。
私の脳裏に実家のボロボロだった壁が、ピカピカの大理石に変わるビジョンが浮かんだ。
成功報酬はきっと破格。
私は眼鏡を押し上げ、ニヤリと口角を上げた。
「承知いたしました。叔父上様が後悔して泣き叫ぶような、完璧なステージをご用意いたします」
「いい返事だ。期待しているぞ、俺の筆頭秘書官よ」
私はファイルを抱え直し、新たな戦場へと駆け出した。
悪役令嬢の取り巻きAだった私は今、俺様王子の右腕として、国を揺るがす陰謀の中心に立っている。
忙しい日々は続きそうだが、悪くない。
さあ、仕事の時間だ。




